路地裏の邂逅
雨が降っていた。
凍えるような雨水は傷を負った体から容赦なく熱を奪っていく。
第二級冒険者であり、かつて【疾風】として名を馳せた自分でさえ、この重傷で雨に打たれれば間違いなく命を落とすだろうと彼女には分かっていた。
…しかし彼女は自分に移動出来るだけの体力が残っていない事も分かっていたし、そうまでして自分の命を繋ぎたいとも思えなかった。
“復讐”を成し遂げた、今となっては。
(………アリーゼ)
かつての友の名を呼ぶ。己を救い、共に託され、そして己の手で命を奪った友の名を。
(……輝夜、ライラ)
一人ずつ、呼んでいく。共に駆け、共に笑い、共に高めあった友の名を。
悔悟と哀惜を込めて、呼んでいく。
(…………アストレア様)
最後に、己の主神を呼ぶ。愚かな眷属の願いを聞き入れ、今はもう都市にいない神の名を。
刻まれた恩恵が自分の死を彼女に伝える筈だ。彼女は怒るだろうか。それとも悲しむだろうか。
…どちらにせよ、自分がそれを知ることは無い。
(………ああ、けれど)
恋しい。胸が張り裂けそうな程。いっそ笑いたくなる程に、恋しい。友の声が、女神の微笑みが、恋しくてたまらなかった。
空色の瞳を閉じ、脳裏にかつての
彼女らとの出会い、正義を語り合った日々。そして別離の瞬間も。全てが泡沫の様に浮かび、そして消えていく。
妖精の胸に最期に残ったのは空虚と…そして安堵。
これでやっと、仲間の元へ行ける。
これでやっと、謝ることができる。
…これでやっと、復讐を終えられる。
かくして、復讐を遂げた愚かなエルフは、その短い生涯に幕を─────
「…大丈夫、か?」
────────────
雨が降っていた。
雨足は刻一刻と強まり、道を行く
彼らと同様に、早足で
懐に抱えているジャガ丸くんマンゴークリーム味を濡らしてしまうと、
自分では何もしないくせに我儘ばかり言う駄目神だが、こちらも恩恵を授かっているので強く出ることができない。
……甘やかしている自覚はある。そろそろアルバイトでもさせようか。
(……っと、ヤバいな)
と、余計なことを考えていると本格的に雨が強くなってきた。
少々不味い。この雨では
…仕方ない。『近道』を使うとしよう。
本来真っ直ぐ進む道を右に曲がり、さらにその先の道具屋と服飾店の間の狭い道に入る。その道を何度か曲がりながら進んでいけば、西のメインストリート付近にある
迷宮都市オラリオは広大だ。都市を縦横に結ぶメインストリートの他にも、こうした抜け道は数多くある。
ほんの少し前までなら、例えずぶ濡れになろうともこんな道を通る様な真似はしなかっただろう。
だがそれも過去の話である。
最後の
(…それをたった一人でやっちまったってんだから、恐ろしいよなぁ…【疾風】ってのは)
【アストレア・ファミリア】。正義の剣と翼のエンブレムを掲げ、
その中でただ一人生き残り、復讐の為に
(…まあ、やり過ぎてギルドから指名手配されちまったが)
【疾風】の復讐対象は
(よし、そろそろだな)
考え事をしている間に、最後の分かれ道まで来ていたようだ。ここを左に曲がれば、後は
そして俺は最後の角を曲がり───
「……………え?」
───妖精に出会った。
自分の運命を変える、美しい妖精に。
─────────────
「…死んでる、のか?」
それほどまでに酷い傷だった。
全身に裂傷を負い、絶え間なく血が流れ続けている。瞼は力無く閉じられ、枝のように細くしなやかな手足もぴくりとも動かない。
例えまだ生きていたとしても、目の前のエルフが死ぬのは時間の問題であろう。
(派閥間の抗争か…?)
格好からして冒険者の様に見える。とすれば、敵対する派閥との争いで傷付いたと考えるのが妥当だが…
(クソ…面倒なことになっちまった…)
現実感を取り戻すと同時に体が震えだす。真っ赤な血液が視界の大半を占めているこの状況はあまりにも非現実的だ。ダンジョンですら感じたことのない濃密な『死』の気配が辺りに立ち込めている。
心臓はどくどくと脈打ち、理性はこの場からの迅速な逃走を命じてくる。
…客観的に考えるならば、この少女を無視して通り過ぎなければならない。大きな派閥同士の争いに巻き込まれれば、自分達のような零細ファミリアなどひとたまりもなく潰されてしまうだろう。何も見なかったことにして、
頭の中の冷静で臆病で、
「………っ」
だが、だが俺は、俺には。
偽善と嗤えばいい。
自己満足と謗ればいい。
薄っぺらい正義感だと罵ればいい。
彼女を助けたいという思い。
卑怯で、臆病で、意志の弱い俺に僅かに残された良心。
…あの日、目に焼き付いた少女達の背中。正義の勇姿。
それを嘘にすることは、俺にはできない。
「………」
一歩、踏み出す。
一歩ずつ、彼女に近付いていく。
そして、彼女の前で立ち止まり。
「…大丈夫、か?」
かけた言葉は、驚くほどに平凡で。
自分の声は、可笑しくなるほどに震えていた。
────────────
「………」
薄らと、目を開く。
言葉は目の前の影から発せられたのだろうか。声をあげようとして、微かに身じろぎをすると、全身に激痛が走った。
「…っづ、ぅ…」
「…生きてる……無理に動くなよ!今、起こすからな…!」
(…や、め……)
自分を助け起こす手から逃がれようとする。
どうして。やっと終われるのに。やっと仲間の元へ行けるのに。どうして邪魔をするのか。
朦朧とする意識の中で、怒りすら感じながらなんとか体を動かそうとしていると─
「………大丈夫だ」
(…あ)
──手を、取られた。
自分の、エルフの手を。
潔癖で知られ、心を許した相手にしか接触を許さないエルフの手を。
自分の短い生涯で僅かな親友にしか触れさせたことのない手を。
青年は両手で包み込むようにして握っていた。
「俺はお前の味方だ」
「見捨てることはしない。安心して欲しい」
「だから……大丈夫だ」
(………ああ)
青年の手は温かく、どこか懐かしく感じられた。
冷たい夜に差し込む曙光のような、冷え切った自分の身体に沁み込むような温かさだった。
その温かさに抱かれるようにして、
「……真似してみたが…柄じゃないな、やっぱり──?おい⁉︎しっかりしろ!」
【疾風】リュー・リオンは意識を落とした。
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かくして、かつて【疾風】と称えられたエルフ───リュー・リオンが正義を取り戻す物語の幕は上がった。
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シルがリューを見つけた路地裏は作中で記述が無かったと思いますが、おそらく豊穣の女主人がある西のメインストリート付近ではないかと推察しました。