第一話 疾風と臆病者
『行くわよ、リオン!』
揺蕩っている。
在りし日の記憶、二度と戻らない昔日。
輝夜、ライラ、アリーゼ。他の団員達も。
共に笑い合った。衝突することも多かったが、それでも最後には和解した。
共に戦った。時には
どんな時も、共に在った。
そして、その傍らには常に主神アストレアがいた。
彼女はどんな時も帰ってきた自分達を迎えてくれた。
彼女が、自分達の帰る場所だった。
全て、
どれだけ焦がれても届かない、遠い、遠い、過去。
────────────
「……ア………ゼ」
「…ん?」
何事かを呟いたようだった。
椅子から立ち上がり、彼女の眠る
寝息は深く、瞼は重く閉ざされている。どうやら起きた訳ではなさそうである。
「…寝言か」
少し落胆しつつ、椅子に座り直す。
路地裏で襤褸雑巾のようになっていた彼女を発見し、
エルフの少女は一度も目を覚ましていない。
取り敢えずの応急処置を行い、なけなしの
それだけ負っていた傷が深かったということだろうが…それにしても、5日間も眠り続けるのは異常ではないか。
(…まるで、彼女自身が生を望んでいないような)
そんな不吉な想像を頭を振って追い払う。
今はそんな
…彼女が装備していた武器や防具から、おそらくは上級冒険者、それも第二級以上であることは確認した。
【ステイタス】の昇華、【ランクアップ】を果たした者は超人であると理解はしている。数日間飲み食いしなくとも活動可能な化け物であると。
…しかし、深い傷を負った彼女が果たしてその能力を活かせているのか。どれだけの超人であっても死ぬ時は死ぬのだ。楽観視だけはできない。どれだけ優れていようが、
一度、【ディアンケヒト・ファミリア】の様な治療を専門とするファミリアに診せる事も考えたが、訳ありそうな彼女を
…さらに言えば、もっと現実的な問題もある。
金だ。
残念ながら我がファミリアは、主神と俺の2人だけの超零細派閥である。しかも、主神が全く働こうとしない為に俺が2人分の生活費を稼ぐ羽目になっている。
…
俺が日夜
とてもではないが、高額な治療費など払える訳が無かった。
(…いけない、いけない)
…また悲観的な想像をしてしまった。俺の悪い癖だ。
主神からは
「………っ…ぐ、ぅう……」
「!…おい、大丈夫か…?」
答えは返ってこない。
この5日間、彼女が今の様に魘されることは何度かあった。
その度に声をかけ、彼女の覚醒を促そうと試みたが…今のところは徒労に終わっている。
形のいい眉を歪め、苦しげに身をよじる少女を見ていると、自分の不甲斐無さに無力感と、怒りすら感じる。
…何故、俺には彼女を救えないのか、
俺には、何も出来ないのか、と。
…出会ったばかり、会話もしたことの無い相手を救おうなど傲慢だ、と理性は語る。
大人しく、ギルドなり、他の専門的なファミリアなりに引き渡せばよい、と常識は語る。
…それでも。
それでも彼女を救いたいと、俺の意志は叫んでいる。
…彼女を見つけたあの日から、ずっと叫び続けている。
自分でも分からない。どうして見ず知らずの相手にここまで必死になれるのか。
正義感、と呼べば良いのだろうか。
責任感、と言ったらいいのか。
…どれも、違うような気がする。
5日前、彼女に声をかけた時は良心であると感じた。
臆病者に僅かに残された、善性であると。
…果たして本当にそうだろうか?
今、胸の内に感じているこの熱は、
心臓が脈打つ度に燃え上がるこの
もっと純粋で、単純で、どうしようもないモノだった。
「……………」
最早神頼みに近い思いで、彼女の手を握る。
神時代において
それでも願わずにはいられなかった。
────────────
絶叫が響く。
少女達の悲鳴が、叫喚が、恐怖の声が胸を打つ。
そこは、正しく地獄だった。
【アストレア・ファミリア】が終わった日。
リューの【絶望】が始まった日。
理外の『
繰り返し、繰り返しリューが見る
復讐を終え、虚無が支配するリューの心を捕え続ける
(………嫌だ…もう…)
何も見たくなかった。
飛び散る肉と血。
枯れ果てぬ涙と喚声。
破壊の限りを尽くす【悪夢】。
それら全てから背を向け、目を固く閉じる。
(……………?)
ふと、右手に熱を感じた。
暗い地の底で感じるはずのない、陽光の様な温もり。
次第に温度を上げていく。
熱に耐え切れず右手を見れば、
『な──』
燃えていた。
右手だけが、炎に包まれている。
炎は次第に大きくなっていき、リューの全身を覆っていく。
(………温かい)
不思議と、恐怖は感じなかった。
何故ならリューは、この温もりを知っていたから。
…自分を救ってくれた、
リューの意識は浮上を始める。
誰かの熱に導かれるようにして。
遠ざかっていく
─そんな気がした。
───────────
「……ここ、は…」
覚醒したリューが最初に見たものは、穴だらけの天井。
ぎりぎり家屋としての体裁を保っているかのような、
廃墟一歩手前、といったような天井である。
天井の穴から見える空は暗く、星が瞬いていた。
「………っ」
次にリューが感じたのは、酷い倦怠感。
起き上がろうと試みても、全身に力が入らない。
肉体は虚脱感に包まれ、一刻も早く栄養をとることを望んでいた。
「………」
起き上がることを諦めたリューは、自身の右手を包む温もりに意識を向ける。
そこには、リューの右手に触れたまま眠っている青年がいた。
(…冒険者、か?)
覚醒したばかりの回らない頭で考える。
顔は漆黒に近い濃紺の髪に覆われて見えないが、背格好からして
(…何故)
自分を救ったのだろう。
リューを【疾風】だと知らなくとも、路地裏に倒れているような冒険者を助けるのは
最悪の場合、派閥間の抗争に巻き込まれ、命を落とす可能性もある。
それでもリューを助けた理由は、
何かしらの打算があっての事か、
もしくはよっぽどのお人好しか、
…単に考え無しなだけか。
(…まあ、私にはどうでもいい事ですが)
考え事を続けるにつれ、リューの頭も段々とはっきりしていく。
そして同時にリューの心を占めていくのは、虚しさだった。
友の仇を討ち、復讐を果たした彼女には、何も残っていない。
笑い合った
(………彼に)
救われるべきではなかった。
そんな思いだけが胸中で膨らんでいく。
(……とにかく、ここから出なければ)
リューはそう決断した。
自分はお尋ね者だ。ギルドの
側にいると、間違いなく彼を巻き込んでしまう。
「くっ…ぅ、ふっ…」
力を振り絞る。
肉体は休息を訴えているが、そんなことを気にしてはいられない。
何とか上体を起こし、
「まだ、寝ていた方がいい」
眠っていた筈の青年の声が聞こえた。
────────────
「…いつから目覚めていた?」
青年に問われる。
「……つい、先程」
「…そうか。良かったよ、起きてくれて。
もう少し目が覚めるのが遅かったら【
青年のおどけた口調に、肩の力を抜く。
朗らかな青年の態度からして、打算を働かせて自分を助けた訳では無さそうだ。
こちらの緊張がほぐれたのを見てとったのか、青年は微笑を浮かべたまま、
「俺はゼスタ・ソール。【エオス・ファミリア】の冒険者だ」
と名乗った。
「……リュー、といいます」
「そうか。リュー、君は5日間も眠っていたんだ。
まだ動かない方がいい……腹が減ったんなら、何か作るか?」
その反応で、彼は自分が【疾風】であることを知らないのが分かった。
(……………)
考え込む。
今の短い会話でも、いくつかの情報を得ることが出来た。
まず、自分が眠っていた時間。
5日、というのは不味い。ギルドや商会の追手がそろそろここを嗅ぎつける頃だろう。
次に、目の前のゼスタ・ソールという
短いやり取りの中でも、彼の明るく世話焼きな人柄が垣間見えた。昔のリューであれば好ましく思ったかもしれない。が、彼の善性はこの状況ではむしろマイナスに働くかもしれない。
そして彼のファミリアがそれ程大きくは無い事。
【エオス・ファミリア】という派閥は聞いたことが無い。
ごく最近に出来た新興のファミリアの筈だ。
尚更自分の問題に巻き込む訳にはいかない。
彼を巻き込まない為にも一刻も早くここを出ていかなくてはならないが、彼の性格からしても恐らく自分を引き止めるだろう。
どうやって説得するべきか。
素早く彼の身体、周囲に目を走らせる。
一応は警戒しているのか、彼が座っている椅子の側には得物と思しき長剣が置いてある。しかし防具は身に付けておらず、周りにも障害となりそうな物は何もない……というか、リューが寝ている
力づくで脱出することも可能だが…現在の自分は衰弱している。推定Lv.1の青年に遅れを取ることは無いだろうが、制圧に時間をかけている間に騒ぎを聞きつけた周辺の人間が来るかもしれない。そうなればさらに面倒な事になる。それに自分の命を救った人物を叩きのめすのは少々躊躇われた。自分はこれでも誇り高いエルフなのだから─
─と、そこまで考えたところで、リューは自分が生存の為の計画を立てている事に気付き、少し可笑しくなってしまった。
かつて、
…もう、自分には生きる意味なんて無いのに。
「…ふふっ」
そして、覚悟を決めた。
「…大丈夫か?」
突拍子も無く笑った自分に、ゼスタは不審そうな眼差しを向けてくる。
「…ええ、問題ありません……私は、【疾風】です」
「⁉︎」
彼の驚愕が、手に取るように伝わる。
当然だろう。自分が助けた人間が、いくつもの組織を壊滅させ、ギルドに指名手配された凶悪犯罪者であると唐突に名乗ったのである。
「…何故、今それを言った?」
(…おや)
意外だった。
ゼスタはすぐに冷静さを取り戻し、自分に問いかけてくる。
存外、肝の据わった人間らしい。
真っ直ぐ見つめてくる彼の明るい橙色の瞳を見つめ返しながら、リューは予め用意していた言葉を放つ。
「私を、ギルドまで連行しなさい」