「……………」
「……………」
空気が、重い。
重過ぎる。
「……あー、その、味はどうだ?薄すぎたりしないか?」
「………」
エルフの少女─リューは一言も言葉を発さなかった。
ただ黙々と、俺が用意した粥を食べ続けている。
…恐ろしい
「………はぁぁ…」
思わず、溜息が出てしまった。
こうしていると、ただの少女にしか見えないのに。
…そんな事を思いながら、つい先程の出来事を想起する。
リューの衝撃的な言葉を。
───────────
「私を、ギルドまで連行しなさい」
この日、何度目かの驚愕。
【疾風】と名乗った彼女の驚くべき宣告に、俺の貧弱な脳は簡単に思考を放棄した。
「…自殺志願者か何かか?」
辛うじて、それだけを捻り出す。
彼女が【疾風】というのが本当ならば、ギルドに向かうのは自殺行為だ。
指名手配を受けた彼女が現れれば、ギルドはこれ幸いとばかりに彼女に罰を下すだろう。
全くもって理解できない。
命を捨てたいとしか言いようがない。
…冗談を言うような性格でもないだろう。
「自殺志願者…そうかもしれない」
縁起でもないことを言いながら、リューは微笑を浮かべる。
全てを諦めたような、力無い微笑み。
その顔を見た瞬間、悟ってしまった。
…死ぬ気だ、と。
あれは、生きる目的の無い人間の目だ。
俺は、その目をよく知っている。
よく、知っていた。
だから、
「断る。お前をギルドに連れて行く事は出来ない」
行かせる訳にはいかない。
例え、リュー自身がそれを望んでいたとしても。
例え、リューがもう抜け殻の様になってしまったのだとしても。
俺の原点を壊すのは、例え
俺の言葉を予期していたのだろう。
リューは驚く様子もなく、
「私を差し出せば、貴方には私の賞金が与えられる…貴方の望む物に使えばいい」
「金の為にあんたを助けたんじゃない!」
思わず声を荒らげる。
そんな事を彼女に言わせたくなかった。
そんな顔をしている彼女を見たくなかった。
『生きたい』と言って欲しかった。
…だが、
「どうしても応じないと言うなら…実力を行使せざるを得なくなる」
彼女は冷静だった。いっそ絶望的なまでに。
『死』に対して、余りにも前向き過ぎた。
目を細め、殺気を放つ。
辺りの空気が一瞬で変わった。
「手荒な真似は、したくない。どうか願いを聞き入れて欲しい──私はいつもやり過ぎてしまう」
…歯の根が、合わない。
背筋が凍る。足が震え、肌が粟立つ。
…いや、
公開されている【疾風】のLv.は4。
上層最強と云われる『
想像もつかない程の修羅場をくぐり抜けてきた傑物。
さらに【疾風】は、Lv.4の中でも最上位の『
その実力は、間違いなく都市の中でもトップクラスだろう。
対して俺は、未だLv.1。
彼女から見れば、俺は
彼我の実力差は、どうしようもなく隔絶している。
…けれど、
「…やれるもんなら、やってみろよ」
通す訳にはいかない。
彼女をみすみす死なせる訳にはいかない。
震える声で啖呵を切る。
と同時に、念の為に側に置いていた得物─
手加減の出来る相手ではない。
例え怪我人だとしても、全力で戦わねば足止めにもならない。
臨戦態勢を取ったゼスタを見て、リューは更に目を細める。
溢れ出す殺気。
際限なく高まっていく緊張。
濃密なアドレナリンの匂い。
一触即発の空間の中で───
─くきゅぅ
音が鳴った。
もっと正確に言えば、リューの腹部から。
唖然とする青年。
呆然とする少女。
時間の停止した2人を他所に、リューの腹はもう一度、
─くぅ
と、空腹を主張した。
ゼスタの停止した思考の何処か冷静な部分は、
(そりゃあ、5日間何も食べてないもんな…)
と呑気に納得していたが、
「───⁉︎」
あらん限りに目を見開き、凄まじい勢いで赤面しながら、
身を捩り、何とか音を抑えようと試みる。
その様子が余りに可笑しくて、
「くくっ」
つい、笑いを漏らしてしまう。
「‼︎」
瞬間、少女はこちらに向き直り、生真面目な表情を取り繕い、
「……忘れなさい」
と、微妙に震える声で言ってきた。
耳の先まで真っ赤にして、羞恥の涙を目尻に浮かべながら。
「いや…すまん、無理だ」
不可能である。忘れたくても忘れられない。
あの【疾風】が空腹で腹を鳴らした─など、面白すぎて忘れられる筈も無かった。
「⁉︎な、何故ですか!貴方は─」
目を吊り上げ、怒りの表情を形作るリューの言葉を遮るように、三度目の腹鳴が起こる。
とうとう顔を伏せ、黙り込んでしまった少女に、
「…話の前に、飯を食べないか?」
すっかり緊張が解けてしまった青年は提案した。
微妙に笑いを堪えながら。
「………はぃ」
少女は消え入りそうな声で、返事をするのだった。
────────────
そして、今に至る。
(一生の不覚でした……)
恐ろしい辱めを受けた。
まさか男性に空腹の音を聞かれるとは。
リューの記憶している限り、父にすら聞かれた事は無かった筈なのに。
聞かれただけでなく、笑われ、あまつさえ
怒ればよいのか、感謝すればよいのか。
側に座り、粥が入った鍋を抱えている青年に複雑な視線を送る。
そんなリューの視線をどう捉えたのか、
「どうした?おかわりするか?」
と、笑顔で鍋を掲げるゼスタ。
「…いえ、もう十分です。ご馳走様でした」
屈託の無い笑顔に毒気を抜かれながら、そう返事する。ほとんど麦の形は残っておらず、粥と言うよりは重湯に近いものだったが、弱った体にはありがたかった。
(…まったく)
彼はどこまで善人なのか。
【疾風】であることを明かし、戦闘寸前までいったばかりだというのに、リューに対する態度を全く変えない。
むしろより甲斐甲斐しくなっているようにすら感じる。
…何故、彼は自分にここまで尽くしてくれるのだろうか?
路地裏から助け出し、5日もの間赤の他人を看病する。
ここまではまだ、善行の範疇として納得出来なくもない。
しかしリューが【疾風】だと知っても尚、庇い続けるのは、善人だから、というだけでは説明がつかない。
「……何故、貴方は─」
私を助けようとするのか、という問いは、しかし最後まで続くことはなかった。
上級冒険者の強化された五感が、この部屋に近づく気配を察知したからだ。
「…どうした?」
突然言葉を途切れさせたリューに、ゼスタは訝しげに聞いてくる。
「…誰かがここに近づいている」
「何?それは…」
ガチャリ、と。
青年の言葉を遮り、軋みながら開いたドアの先にいたのは─
「ねぇゼスタ、お腹空いたからジャガ丸くん買ってきて〜」
─
────────────
(…神、エオス)
神。人類とも
その理由は様々である。例えば、リューのかつての主神、アストレアは正義と秩序を守る為に恩恵を施していた。
しかし、多くの神々は高尚な理由など持ち合わせておらず、そのほとんどは『未知』の為─永遠の生命がもたらす退屈を紛らわせる娯楽を求めてやって来る。
…その中には、混乱を愉しみ、罪悪を好しとする
そのような神が作ったファミリアが巨大化、凶悪化し、かつての
(彼女は…どちら側でしょうか)
煌びやかな紫紺の髪を踝の辺りまで垂らした幼い容貌の女神を、リューはじっと観察する。
青年を騙し、悪事に加担させようとしている可能性もある。もしそうならば、
(もし、そうなら─)
どうすると言うのだろう。
自分はもう、
復讐の炎に身を委ねた自分は、むしろ裁かれるべき『悪』である。
(……私は、何をやっているんだろう…)
与えられた食事を貪り、生命を繋ぐような真似をして。
もう、生きる場所など何処にも無いのに。
暗然とした面持ちで、暗い思考の渦に囚われていたリューは、女神が自分に視線を注いでいるのに気付かなかった。
「………」
女神エオスは陰鬱とした表情のリューから視線を外し、
「ほらぁ、早く買ってきてよ、ジャガ丸くんマンゴークリーム味!あ、あと紅茶クリーム味も食べたい!」
「エオス…あのなぁ、今何時だと思ってんだ?もうとっくに店は閉まってるよ。それに紅茶クリーム味は期間限定品だ。もう何処にも売ってねぇよ。…腹が減ったんなら粥でも食うか?残り物だけど」
「えぇ〜?ジャガ丸くんが食べたかったんだけどなぁ…。ま、いっか。君のご飯もなかなか美味しいからね、許してやらんこともない」
「何様だよ…」
「神様です」
呆れたように応対する青年と
「いや行儀悪いな…せめて座って食べろよ。そこに椅子もあるんだし」
とゼスタは椅子を指差すが、
「
「すぐ終わるとかいう問題じゃないし、口に食い物を入れたまま喋るな!汚ぇだろうが!」
(何故聞き取れる…)
リューが心の中で思わずツッコミを入れてしまう程、彼らの会話は気が抜けるものだった。
「…むぐ……ごくん。ご馳走様。10点満点中7.5点ってとこかな。もうちょっと味が濃い方が私は好きだよ」
「バクバクくっておいて失礼過ぎるし、完全にあんたの好みで点数つけてるじゃねぇか…」
「まあまあ、気にしないで。よく頑張ったよ、うん……さて、と」
脱力し、エオスから返された鍋を抱えながら完全にいじけてしまっているゼスタを適当にあしらいつつ、リューの方へ向き直った女神は、
「初めまして。ようこそ、私達の
左右で色の違う、薔薇色と金色の瞳でリューの空色の瞳をしっかりと見据えながら、とんでもないことを宣った。
「君、私のファミリアに入らないかい?」