それは路地裏で青年が妖精を見つけた2日後の事。
「はぁ?【疾風】?」
「…そうだ。我々が
疑問の声を上げる
同じく
少女の名は、ルノア・ファウスト。
裏の世界では『
所属していた派閥の主神が送還され、各地を放浪していた彼女は数年前から
ルノアと相対するのは、とある商会の商人。
『黒拳』の実力に目をつけ、度々仕事を回してくるありがたくも少々面倒な『上客』である。
オラリオの中でも後ろ暗い人間しか集まらない場末の酒場で、ルノアは『依頼』の説明を受けていた。
「…【疾風】はついこの前、
「生存を確認した。
「……それで?」
ぐい、と酒を流し込みながら話を促す。
……都市に来たばかりの頃はここの蜂蜜酒も中々美味いと思っていたが、最近すっかり味がしない。
(…疲れてんのかな、あたし)
「【疾風】が逃げ込んだのは、【エオス・ファミリア】という新興の派閥らしい」
「ふうん…あの【疾風】を匿うなんて、物好きがいたもんだね」
元【アストレア・ファミリア】とはいえ、ギルドに指名手配されている危険人物を助けるのは余程肝が太くなければ出来ない。
聞いたこともない派閥に妙に感心してしまう。
「……まあ、それはどうでもいい事だ。お前は【疾風】を消してくれれば良い…いいか、確実に仕留めろよ。我等の『仕事』が露見すると、色々と不味い事になるからな」
そう言い捨てると、商人の男は前金と【疾風】の
「…まあ、何でもやるとは言ったけどさぁ」
重い溜息をつきながら酒を
「第二級冒険者かぁ…きっついなぁ……」
戦って、戦って、戦って。
次から次へと依頼される仕事。
いつまで経っても終わらない。むしろ依頼をこなすより依頼が増える方が早い。
そんな不毛な生活に、ルノアの精神は限界を迎えようとしていた。
何より少女の
「
都市外とは全く異なる冒険者達の戦闘能力。
頼まれた仕事は
一時たりとも油断できない戦闘の連続は、ルノアの神経をゆっくりと、しかし確実に蝕んでいた。
「…もうやめ時かなぁ」
ぽつりと呟かれたその言葉は、薄汚れた酒場の天井に吸い込まれていった。
───────────
ルノアが酒場で依頼を受けていた、ちょうど同じ頃。
「…そう。まさかあの【疾風】が生きていたとは、ね」
「あぁそうだ。懸賞金8000万ヴァリスのお尋ね者だぜ?こいつを逃す手はねえよ」
古びた鐘楼。
月光が錆び付いた鐘を照らしている。
少女の名は、クロエ・ロロ。
狙った
以前は大陸でも悪名高い
そんな彼女が流浪の果てに辿り着いたのが、この
クロエに依頼しているのは、ある商会のドワーフ。
敵が多く、また金の匂いにも敏感である商会は、腕の立つ彼女に何度も仕事を持ち込む『お得意様』だった。
「それで?【疾風】は何処に居るの?」
「【エオス・ファミリア】ってぇ、無名のファミリアだ。ちょっと調べたが、Lv.1の冒険者1人だけだ。『
下卑た笑いを浮かべながらそう話す男の言葉を、
「前金は4000万で、報酬は7割こっち。
それ以下は受け付けない」
遮ったクロエは『条件』を叩きつける。
「お、おいおい、流石にそりゃあ…」
露骨に焦り出すドワーフを冷ややかな瞳で睨みながら、
「Lv.4の【疾風】を殺るなら、それくらい貰わなきゃ割に合わない…なんなら、
「わ、分かった!それで良いから、勘弁してくれ…」
全く温度を感じさせない『黒猫』の笑みに、
ドワーフの男は一瞬で屈服した。
【疾風】の
小走りで鐘楼を降りていく。
完全に男の気配が消えたのを確認して、
「……ちょろいニャ」
別人のように口調を変えたクロエはにやりと笑った。
舐められないように纏っていた『
吹っ掛けた交渉の成功にしめしめとほくそ笑む。
「あの程度の脅しで頷くなら、仕事も一緒に持ち帰って欲しかったニャア…」
しかし、笑っていられたのはほんの束の間。
彼女はすぐに表情をげんなりとしたものに変える。
「…第二級、しかも【疾風】とかめんどいニャァ〜。
準備だけで前の報酬金が持っていかれるニャ…」
しなしなと尻尾を萎れさせ、猫耳をぺたんと伏せる。
依頼成功率は100%に近い『黒猫』ですら、
それだけ念入りに準備しても、失敗という
積み上げても、積み上げても、すぐに崩される。
極東で云うところの賽の河原のような生活に、クロエもいい加減疲れ果てていた。
「そろそろ廃業しようかニャァ…」
ぽつりと呟かれたその言葉を、月明かりだけが聞いていた。
───────────
ダンジョン。
世界の大穴。
太古の昔より存在しながらも、未だ謎に包まれた迷宮。
オラリオが
数多くの
神々すらも惹きつけて止まない『未知』。
そして、無数の英雄と冒険者が散っていった、夢の跡。
「腰が引けている」
「ぐ、ぅっ⁉︎」
ダンジョンの第7階層。その最奥。
淡い緑の壁に囲まれた
いや、俺はリューにボコボコにされていた。
「こ、のぉっ‼︎」
「踏み込みが甘い」
攻撃が虚しく空を切る。
大上段からの勢いのついた振り下ろし。
それを僅かに後ろに引くだけで躱されたことに驚きつつ、肘を戻し防御の姿勢を取ろうとするが─彼女の
「がっ⁉︎」
咄嗟に膝を曲げることで急所を突かれることだけは避けられたが、Lv.4の一撃は信じられない程に重い。
すぐに立ち上がれないでいる俺を見たリューは、
「……一度、休憩にしましょう」
表情を変えること無くそう言った。
『私が、貴方を強くしてみせます』
と、彼女に言われたのが昨日の夜。
翌日、太陽が昇り始めたばかりの早朝に彼女に叩き起こされた俺は、訳が分からないままダンジョンに連行され、
リューの指導は
ただひたすらに彼女と戦い、その中で彼女の技を学ぶ。
彼女は俺の立ち回りの改善点を見つけ次第、それを俺に伝え、戦いながら矯正する。
そう戦闘前に宣告された俺は、張り切りながらそれに臨んだのだが…
『ちょっと待、ぐぇっ⁉︎』
『守ってばかりでは敵は倒せない。もっと積極的に攻撃しなさい。では次』
『ごはっ⁉︎』
『視野を広く持つ事が肝要です。なるべく死角を作らないよう意識しながら動きなさい。次』
『げぶっ⁉︎』
『攻撃とは真っ直ぐ押すばかりでは無い。
『グワーッッ⁉︎』
リューの指導は
山のように出てくる改善点。
それと同時に飛んでくる痛烈な攻撃。
そのくせこちらの攻撃は全く当たらない。
半年間の冒険者生活で僅かに芽生え始めていた俺の
タコ殴りにされ続けること数時間。
ようやく訪れた
懐中時計を取り出して見てみれば、ちょうど長針と短針が天辺で重なり合う所だった。
途端に空腹感が胃を締め付ける。考えてみれば朝から何も食べていない。何か食べ物は無いか
がっくりと首を折る俺を見かねたのか、リューが自分の携行食を分けてくれた。
「ありがとう…この恩は一生忘れない…」
「…大袈裟です。私も貴方に助けられたのですから」
もそもそと携行食を食べながら、彼女と言葉を交わす。
苛烈な訓練が嘘の様な穏やかな空気が流れていた。
「…さて、先程までの戦闘の振り返りですが」
「あ、あぁ」
休憩を終えたリューがこちらに向き直る。
彼女の真剣な眼差しに緊張しながら、言葉の続きを待っていると─
「ひとまずは、合格です。思っていたよりも貴方の動きは悪くなかった」
「ほ、本当かっ⁉︎」
「これならもう少し激しい訓練も出来ます」
「………」
認められた喜びも束の間。
妖精の
恐怖に身を震わせる俺を他所に、彼女は話を進めていく。
「攻撃はまだまだ稚拙ですが、防御には卓越したものを感じます。急所を外し、
「あー、それは、だな……」
純粋な質問に、思わず言葉に詰まる。
いや、むしろ彼女だからこそ、言いたくなかった。
あまり、思い出したく無いものだ。
暴力と怒号の記憶というのは。
「…すみません。聞いていい事では無かったようですね」
「………すまん」
こちらの表情からリューも察してくれたようだ。
申し訳なく思うが、彼女の気遣いに甘えることにする。
そのまま会話は途切れ、
『……………』
休憩していた時とは真逆の重い沈黙が辺りに流れる。
「……では、再開しましょう」
───────────
都市は既に宵闇に包まれ、家々にも魔石灯の暖かな明かりが灯っている。
酒場や料亭からは人々の笑い声が絶えず、街を行く
…しかし青年に周りに気を配る余裕は無かった。
『………』
ダンジョンに蓋をする
フードを被り、覆面で顔を覆う彼女の表情は窺い知れないが…微妙に距離を感じる。休憩後の会話から、ずっと。
(…やっぱり、不味かったかなぁ)
このまま彼女との関係を拗らせるのは勿論良くないが、かと言って自分の過去をべらべらと喋るのも気が引ける。
悩みに悩んでいたゼスタに─
「お久しぶりです、ゼスタさん!ダンジョンから帰られたところですか?」
「………シルさん?」
薄鈍色の髪の少女は、優しげな笑みを浮かべていた。