ひいらぎ賞、8着。
「マイルマイルマイル、本当に参るな!……ハァ」
今の時期、純ステイヤーにとってはまさしく冬である。何しろ中距離以上のレースがホープフルステークスしか無い。当然、G1に誰でも出走できるわけではない。希望なんて無かった。
仕方なくマイルレースに出てみたが、この有様である。お兄さまの見立ては正しかったというわけだ。こればかりはどうにもならない、私は同期とは違うのだから。
「さしあたって、ゴール前の坂だな。なんだあれ壁か?うーんどうすれヴァ!?」
肩を強く引かれた。気が付くと目の前に階段がある。どうやら誰かが階段に突っ込むのを止めてくれたらしい。
「危ないっスよ?気を付け……ってまた君っスか」
振り向くと、そこにいたのはバンブーメモリー先輩だ。全くもー、とばかりに腰に手を当てている。先輩には何度か風紀を正された仲なので、あきれ顔も見慣れたものである。なお廊下を歩く癖は未だに直らん模様。
「っと、毎度すみませんバンブーメモリー先輩。ちょうど良かった、聞きたいことがありまして」
「お、何スか?なんでも聞いていいっスよ!」
「マイルって、どうやって走れば良いんでしょうか?」
とっさの事とはいえ、具体性ゼロのひどい質問をしてしまった。先輩の背景が宇宙になっている気がする。
「うーん、そう言われると説明が難しいっスね。短距離よりは緩く、中距離よりは速いペースで走る、とか……?」
「まあ、それはそうでしょうね……」
「「うーん」」
二人して、顎に手を当て「私考えてます」スタイル。私は何を聞きたいのだろうか?何を教えてもらえればマイルで速くなれる?
賞金の関係上せめて掲示板には入りたいが、それは今無関係だからなあ。
などと考えていると、先輩が両手をパシンと打ち鳴らした。
「頭で考えてもしょうがないっスね!今日時間あるっスか?」
◇◇◇
というわけで、コースの上である。今日は空いていて助かった。
「アタシは差しが得意なんで後ろから追うっスから、自由に走って良いっスよ」
「分かりました。では行きます!」
とりあえず走り出す。少し後ろから足音が追いかけてきた。遠ざかる背中を眺めるのはつらい気持ちになるが、後ろから迫られるのもメンタルに来るな。
背後からピリピリしたものを感じながらコーナーを曲がる。距離的にそろそろかな、という位置でスパートを開始した瞬間──
「じゃあそろそろ行くっスよお!」
──私は自分が負けることを悟った。背後の空気が切り替わったのが分かる。全力で足を回すが、外からあっさり抜かれてしまう。そのまま距離を離されて、いい所なくゴールした。
勝てるとは思っていなかったが、一捻りされてしまった。うーん強い。
「ふぅっ!ちゃんと伝わったっスかね?」
「はあっ、はあっ、そりゃあもう」
まずはトップスピードが足りていない。少し足を余らせてしまったから、仕掛けるのはもっと早くて良いかもしれない。後は。
「やっぱり坂を登るとスピードが落ちますね」
「なら坂路……は空いてなさそうっスね。スクワットでもやるっスか?付き合うっスよ!」
「ではお願いします。えっと確か背を伸ばして……」
一人のトレーニングはつまらないから、とてもありがたい。落ち着いて、二人して姿勢を正して、ゆっくりゆっくり腰を落とす。
「「い~~っち、んにぃ~~い!」」
◇◇◇
太ももにストレッチパワーを充填した後、休憩中に先輩が小言を言ってきた。
「おっちょこちょいが直らないっスけど、本当に大丈夫っスか?アタシは来年で卒業するんスよ?」
「んんん足が、えっ卒業?」
今度は私の背景が宇宙になる番だった。そんな馬鹿な、やっと頼れる先輩ができたと思ったのに。
「そう、ですか。寂しくなりますねえ。いや本当にどうしよう」
「まあアタシの後輩はやればできる子っスから、頑張るっスよ!応援してるっス!」
「先輩……。ありがとうございます」
私にこんなことを言ってくれる人がいようとは。これからは廊下は走るようにしないと。静かに感動していると、先輩が自分のバッグをごそごそと漁りだした。
「んー確か入れたはずなんスけど……あった!はいこれ!」
「えっと?先輩これは?」
「アタシの直筆サインっス!集めてるところをたまに見かけたんで書いて来たんスよ」
先輩最高かよ。
「ありがとうございます!」
「うんうん大事にするっスよ!」
自慢気な顔をしている先輩。しかし申し訳ない、事が済んだら売る気なんだ。……私は本当にこれを売れるのか?気持ちを無下にするという意味でも、思い出が手元に残らないという意味でも。
いや、後者については解決可能だ。本物の予備があればいい。
「すみません先輩、もう一枚ください」
あ、また先輩が固まっていらっしゃる。毎度本当に申し訳ない。
「どういう事っスか!?」
「あーいやその、念のため?」
「うーん……?まあ良く分かんないけど分かったっス!」
「ありがとうございます」
先輩の方こそ本当に大丈夫だろうか、と内心思いつつ、自分のバッグにサイン入り色紙をしまう。あれ、未使用の色紙はあるけどペンが無いぞ。
「ところで先輩、次走はいつですか?」
「次走?」
「いや、近場なら応援に行こうかなと。お、あったあった」
色紙とペンを取り出して先輩の方を振り向くと、先輩は何か変な表情でこちらを見ていた。
「応援、してくれるっスか?」
「え?そりゃもう。先輩なら何だかんだ勝つでしょうし」
最近勝てていないことは知っているが、まだ卒業までは数か月もある。
先輩ほどのウマ娘ならばセンターを取れるだろう。そんな期待を抱きつつ、色紙とペンを渡そうとした。
突然頭をガシッと掴まれた。止める間もなく、すごい勢いでワシャワシャしてくる。ちょっ!
「しょうがないっスねー!ちゃんと応援に来るっスよー!」
「オアアアアアアアア!?」
髪が!私の自慢の青毛がぁ!一応すぐ手を放してくれたが、完全に爆発状態になってしまった。これ直すの超大変なんだが、なんて事をしてくれたんだ。というか「しょうがない」って何の話だ!
アタシとお揃いっスね、と言ってからからと笑う先輩は、今日一番のやかましさだった。
「いやーここまでサインを欲しがられるのは久しぶりっスね!」
「早く受け取ってください、手を空けたいので」
髪で前が見えない。本当にどうしてくれようか。
受取日時:xxx1/12/20
記載者:バンブーメモリー
備考:事前に用意してくれたらしい。風紀委員の標語か何か?
受取日時:xxx1/12/20
記載者:バンブーメモリー
備考:書いてもらった。なぜこの色紙だけ「必勝」なのかは不明。