「阿賀野遅い! 暇だから長良筋トレしてたよ!」
「知らないですよ〜……」
大体半分くらい走ったあたりで一旦公園で休憩を取る。肩で息をしてフラフラと歩く阿賀野を長良が腕を組んだ仁王立ちで迎える。
「知らないですよじゃないよ。今日の阿賀野いつもより遅いよ。真面目にやって」
「これ着てるせいで走りづらくて……。暑くて汗もかくし……」
「じゃあ脱ぎなよ」
「嫌です」
「即答……」
余りの間髪いれない阿賀野の返答に長良は何も言えなくなってしまう。
「まあいいや。長良達は飲み物買ってくるからベンチで休んでてて」
「はぁ〜い……」
長良が飲み物を買いに走り出すと阿賀野は立ち上がり重たい足取りでベンチへ向かう。ベンチに着いた阿賀野はまるで倒れこむように座り込む。
「はぁ……疲れた……」
「お疲れだにゃ〜」
「お疲れ様」
ぐったりとベンチに座る阿賀野に多摩とパースが労いの言葉をかける。少しして阿賀野の呼吸が整うととある異変に気づく。
「2人ともコートとか脱いじゃったんですか?」
「脱いだにゃ。暑いし走りづらいからにゃ〜」
「私も脱いだわ。汗かいちゃうし……」
「そう……ですか……」
2人の隣にある布の束を見て阿賀野は少し不満気な表情をする。自分は頑として着込むのを貫いたというのに2人はあっさりと脱いでいたからだ。パースはともかく多摩も同じように脱いでいて僅かだが裏切られたような気分になったのだろう。そんな阿賀野を見てパースが口を開く。
「そういえば2人はなんで長良と五十鈴に着いてきたの?」
「え? 長良さんが言ってませんでしたっけ?」
「いや……あれじゃよく分からなくて……」
「あー……」
「『コタツでゴロゴロばっかりしてるから気合いを入れ直す』っていう理由だにゃ……」
阿賀野とパースの会話に多摩が割って入る。
「そうそれです。部屋でコタツに入ってたらいきなり長良さんが来て……それで……」
「なんかよく分からないこと色々言ってきて安住の地から無理矢理引きずり出されたんだにゃ」
「引きずり出されたこともそうですけど、何より辛かったのはそのとき妹達が全然阿賀野の味方してくれなかったことですね」
「あー分かるにゃ〜。多摩のときも木曾がちょっと優しかったくらいで後はみんな妙に視線が冷たくてにゃ〜……」
「能代と矢矧は引きずられる阿賀野を手を振って笑顔で見送ってくれました。酒匂は終始ピンと来てないみたいでした。流石にちょっと傷つきました」
「なる……ほど……」
しみじみと語る阿賀野と多摩に対してパースは微妙な表情をする。
「でもそんなことするってことは2人は長良と五十鈴とそれなりの仲なの?」
「長良さんは阿賀野が旗艦だった戦隊の一つ前の先輩なんで……。色々とお世話になったし、なってるんです……」
「五十鈴は多摩のこと『助けようとした』ことがあったんだにゃ。今の五十鈴と多摩の仲はそれが由来だにゃ」
「そうなの……」
「パースさんは名取さんとどんな仲なんですか?」
阿賀野がパースに質問する。
「私と名取は昔バタビア沖で戦った仲よ」
「……それって今みたいになるのに時間かかったんじゃないですか?」
「そうでもないわ。昔は敵でも今は仲間だもの。割と直ぐに打ち解けたわ」
「そうなんですか……。見習いたいです……」
阿賀野の脳裏に浮かぶのはとある潜水艦。自分と違うパースに尊敬の念と少しだけ時間のかかった自分に僅かな劣等感を覚える。
「……でもあの3人の服装はやっぱりおかしいと思うにゃ。こんな糞寒いのに制服の上にジャージ一枚着ただけって……」
そんな阿賀野を見て多摩が声を落とす。
「……確かにそうですね〜。それに加えて長良さん達ジャージの前開けてますもんね。ありえないですよ」
「それはそうね。私も最初に名取の服装見たときびっくりしたわ」
「いや、それに関しては別に良いにゃ。むしろもっと開けてもらっても良いくらいだにゃ」
「え?」
「え?」
「にゃ?」
阿賀野とパースが多摩に視線を向ける。多摩もそんな二人を見る。3人の間に沈黙が流れる。最初に口を開いたのはパースだった。
「……でも、『コタツでゴロゴロしてるから』なんて理由でわざわざ2人を連れ出して走ろうなんて、長良と五十鈴って結構世話焼きなのかしら?」
「違いますよ。長良さんは単に阿賀野達がヒーヒー言ってるところを見るのが楽しいだけですよ」
「そうだにゃ。五十鈴は人が苦しんでいるところを見ると快感を覚える変態なんだにゃ」
「全部聞こえてるわよ」
突然聞こえてきた三人の誰でもない声に阿賀野と多摩が振り返るとそれぞれ飲み物を持った長良と五十鈴と名取が立っていた。
「……でも多摩は五十鈴のそんなところを含めて良いと思ってるにゃ」
「誤魔化されないからね」
「阿賀野は一度言ったことは撤回しませんからね!!」
「良い心意気だね阿賀野! 次の走り込みはいつもの倍走りな!!」
「やだーーーー!!!」
「面白い人達ね……」
「ははは……」
阿賀野と長良。多摩と五十鈴のやり取りを見てパースが独り言のように漏らす。そして名取は再び苦笑いをするのであった。
「だけど何か悪いですね。長良さんに飲み物まで買って貰っちゃって……」
「大丈夫だよ。後で阿賀野からちゃんとお金貰うから」
「あ、これは対象外なんですね……」
阿賀野と長良が買って来た飲み物を飲みつつそんな会話を繰り広げる。多摩と五十鈴。名取とパースも同様に飲み物を飲んでいる。すると突然突き刺さるような冷たい風が吹く。
「流石に寒いね。前閉めよ」
「そうね」
「そうですね」
「あ、そんなんで……大丈夫なんですね……」
ジャージのジッパーを上げていく長良と五十鈴と名取。その三人を見て阿賀野の顔が強張る。その隣で多摩が残念そうな表情をする。そんな多摩をパースが不思議そうな表情で見つめる。
「よし! 休憩もしたし。そろそろ行こうか」
「かえ……」
「駄目」
「は、早い……」
阿賀野が喋り出すより早く長良が遮り否定する。そのハッキリと力強い物言いに阿賀野がたじろぐ。
そして長良が走り出し続けて五十鈴と名取。それに続いて多摩とパース。阿賀野が最後尾で走り出した。
「阿賀野もっとスピード上げて!」
「えー……」
「『えー……』じゃないよ! もっとやる気……出す!」
「痛!? ちょっと背中叩かないで下さいよ!!」
残り半分の後半戦。ダラダラと走る阿賀野の背中にバシンッ!と平手打ちをして長良は気合いを入れようとする。
「もう! もっと緊張感持ってやる!」
「緊張感って言われましても……。目的が目的ですし……」
「じゃあどうすれば良いと思う?」
「う〜ん……。『競争してビリだった人が全員分奢る』とかの方が緊張感があって……」
そこまで言って阿賀野はハッとして口に手を当てる。しかしもう遅かった。
パチンッ!と指を鳴らして心底感心したように長良が阿賀野の方を見る。そんな長良を見て阿賀野は後悔の念に包まれていた。
「よし、それで行こう! 1番コンビニに着くのが遅かった人が全員分奢り!!」
「え?」
「にゃ!?」
「ふえ?」
「Why!?」
長良による突然の予定変更により阿賀野を除いた全員が困惑の声を上げる。当然反対の意見が飛び出してくる。
「はぁ……めんどうだにゃ……」
「ビリにならなければいいだけの話でしょ」
「あの……パースさんは大丈夫ですか……?」
「構わないわ」
「それじゃあスタート!!!」
なんてことは無く、全員が変更を受け入れ長良の合図で一斉にスピードを上げ始める。
(うそ〜……)
阿賀野はそんな五人の背中を呆然と見つめていた。
「はぁ〜……」
阿賀野はため息をついて一人走っていた。長良達の姿は既に見えず阿賀野は取り残されていた。このままいけば最後になることは確実だった。
(もう帰っちゃおっかな……)
阿賀野の脳裏にそんな思考が過ぎる。確かに今の誰も見ていない状態なら例え戻っても長良達が気付くことはない。仮に気づいてもその頃には既に鎮守府に戻っているかそれに近い位置にいるだろう。タイミングとしては絶好の機会であった。
「ほら阿賀野! もっとちゃんと走って! ダラダラしない!」
「っ! 長良さん!?」
しかし遥か前方にいた筈の長良が何故か阿賀野の隣に現れたことによってそのタイミングは失われることとなった。
「……何でここにいるんですか?」
「阿賀野1人だけ置いてけぼりにするのは可愛いそうかなって思ったから戻ってきたの」
「長良さん……」
「あと無いと思うけど途中で帰るなんてことしないように監視も兼ねて」
「な、長良さん……」
まるで阿賀野の思考を読んだかのような長良の理由に阿賀野は妙なプレッシャーを感じてしまう。
「まぁ阿賀野は途中で帰るなんて舐め腐った真似しないよね! だってそんなことしたらどうなるか身に染みて分かってるもんね!」
「な、長良さん……ひょっとして今日怒ってます……?」
「そんなことないよー!」
「は、はぁ……」
屈託無く笑うその顔に似つかわしくない脅迫めいた言葉が長良の口から飛び出してくる。笑顔の長良から漂うプレッシャーに阿賀野に緊張が走る。
(絶対怒ってるよこれ……)
考えてみれば当然なのかもしれない。阿賀野は始まってからずっとやる気の無い態度を隠そうともせずそれでいて真面目に走る気もない。長良が腹を立てるのも無理もない。阿賀野は並走する長良の圧力を感じつつ無言のまま目的地のコンビニまで走る。筈だった。
「……長良さん」
「ん?」
「前見ないと危ないですよ……」
「そうだね。でも大丈夫」
「…………」
走り始めてから長良は隣の阿賀野のことを笑顔のままジッと見つめている。そんな長良に阿賀野は言いようのない恐怖を感じる。
しかし阿賀野は長良が何故こんなことをしているかの理由については大体察しが付いていた。恐らく長良は走り辛くなるまで着込んだ阿賀野の防寒着を脱がせたいのだろう。長良にとっては防寒より走り易さの方が優先度が高いのだ。
「持つよ」
「え?」
「阿賀野が脱いだ服。長良が持つよ」
「…………」
長良は荷物持ちを買って出ることによって阿賀野に揺さぶりをかける。しかし阿賀野が防寒着を脱がない最大の理由は寒さであり脱いだ後の服が邪魔になるからではない。いつもなら意味のない行為だが今回は違った。
「うっ……」
長良の言葉に阿賀野が揺らぐ。といっても長良の提案が魅力的だったからではない。普段とは違う長良の未知のプレッシャーの掛け方にここで首を縦に振らなければ後で何をされるか分からないという恐怖に近い感情が阿賀野を追い詰めていく。
「…………」
「…………」
阿賀野は長良から目を逸らして走り続ける。しかし長良はそれでも阿賀野から視線を逸らそうとしない。
「……もう! 分かりましたよ!! 脱げば良いんでしょ!! 脱げば!!!」
結局折れたのは阿賀野の方だった。分厚いダウンベストを脱ぐと投げつけるようにして長良に渡す。長良の小脇に布の束が出来上がっていく。
「そうそう、脱いだ方が良いよ。やっぱり身軽な方が走り易いしね。それにこの時期は汗かくと風邪引きやすくなっちゃうし最初から気になってたんだよね」
「じゃあ長良さんは今までずっと阿賀野を脱がす方法を考えてたんですか!? 阿賀野を道の真ん中で脱がそうとする方法を!! 頭の中そればっかりだったんですか!?」 「うん……。もっと違う言い方してくれる?」
阿賀野はダウンベストの下に着ていたコートも脱ぎ捨てる。手袋を外し、マフラーを解き、それら全てを長良に投げつける。最後にコートの下に着ていた上着を脱ぐと、ジャージ姿の阿賀野が現れた。
「あ、いつも節分のときに着てるジャージ。着てたんだ」
「着てましたよ。それがどうしたんですか」
「いいなって思ってさ。そのジャージ」
「……だったら長良さんもこういうの買ったら良いんじゃないですか?」
「あ、そうじゃなくてね。前から思ってたけどそのジャージ阿賀野に似合ってていいなって。可愛い」
「……何が目的ですか」
「別に目的なんて何も無いよ」
「本当ですか……?」
「本当だよ」
「誓えますか?」
「誓えるよ」
「…………」
「…………」
「ふふん! そうでしょう! 阿賀野は服のセンスも最新鋭なんです!」
阿賀野が得意げな顔で胸を張る。そんな阿賀野を見て長良が微笑むと言葉を続ける。
「ははは。でも阿賀野はセンスあると思うよ。少なくとも長良は好き」
「そーですかそーですか! 長良さんは阿賀野のセンス好きですか! 好きなっ!?」
ガンっと音を立てて阿賀野が電柱に激突する。意識の外からの衝撃と痛みに阿賀野はうずくまって悶絶する。
「……大丈夫?」
「狙ったでしょ……?」
「狙ってない狙ってない。誓ってもいいよ」
「ひ〜ん……」
悶絶する阿賀野に長良は冷静に声を掛ける。痛みに震える阿賀野は泣き声を返すしか出来なかった。