人と呼ばれる存在は本当に、果てしない生き物だと思う。
祖先、アウストラロピテクスが生まれてから四百万年以上経過した時代。人は際限なくその進化を続けてきた。
身体の事や、植物、動物の事、地球の事、そして宇宙の事。時が経つに連れて多くの事が判明していった。それだけではない。多くの文明、文化を創り出していった。それらも時を経て進化していき、より自身が快適に過ごしていけるようになっていった。
人はその脳を活かし、手先を活かして文明、文化を創り出す。それが、世界中にある世界遺産等となり、形となって作り出されていった。人はスポーツを発明し、多くの人間が楽しめるものとして発展していった。その祭典、オリンピックは世界中の人間が開催国となる一箇所に集められ、世界中の人間達が各国の代表を応援し、熱狂する。
スポーツだけでない。様々な文化を競い合う大会などは数多くある。音楽の祭典や、映画の祭典等。より優れた研究の学術集会といった祭典もある。それらは人の生活には欠く事の出来ないモノとして、根付いていった。
全ては人の発展の為。競い合いつつも、人は互いに手を取り合い、コミュニケーションを交わしていき、その文明、文化を発展させてきた。それらは紛れもなく、宝と呼ぶに相応しい存在と言えるだろう。
だが全ての人が互いに分かり合える筈がない。人にはそれぞれ意見がある。その意見に共感する者、反対する者……様々な人がいるだろう。ある時は建設的な意見を交わす事もあれば、特定の者に対して誹謗中傷を行う者もいる。
それは真実であるかも分からないまま、敵と見なした存在を徹底的に攻撃する事さえある。やがてそれは古来より、喧嘩、果ては戦争を経て発達してきた。
つまり、人は文明、文化と同時に、対立する為の手段も発達してきたと言えるのだ。それは媒体によって様々な形をしている。
例えば、ナイフ。肉、野菜等を切る為に使用する物であるが、一方では他者を傷つけるのに十分な殺傷能力を持つもの。それは、使う人間によって目的が異なる。
例えば、SNS。あらゆる人間が意見を気軽に言うことが出来る場ではあるが、同時に批判される事もある世界。直接的な害はないにしても、精神的な苦痛を伴う事さえありえる世界。
これらは生活面で豊かさをもたらす半面、使い方を間違えれば人を殺める道具にもなり得る物だ。では、銃はどうだろうか。
銃の目的は他者を攻撃する為にある。だがそれだけでない。攻撃し、暴れ回ろうとする者を止める為の抑止力にもなる。攻める道具にも、守る道具にもなる。だが結果は人を傷つける可能性が高い道具だ。
ナイフ、SNS、銃。その他人が作り出した文明達は人を豊かにし、一方で人を殺める道具としての役割を果たしてきた。これもまた、矛盾していると言えるだろう。
人は矛盾する生き物だ。目的があっても、その目的とは異なった事をしてしまうことも多々ある。それに対して罪悪感を抱くか、まあいいかと開き直るか。それは個人差ではある。
では、兵器はどうだろうか。兵器は明らかに豊かにするものとは言えない存在である。純粋に人を殺める為に存在しているのが兵器だ。それは発達していき、叡智の炎、核兵器を人は作り上げてしまった。これに対する抑止力としての核兵器が存在しているのが現状の世界。それは各国首脳をはじめとした人間達が抑制している為、人は滅びずに生きることが出来ている。
しかし、いつでも地球人類を滅ぼす事が出来る脅威がある上で生活が成り立つ事は、考えてみれば恐ろしいものではないだろうか。
日常と非日常。平和と戦争。それらは表裏一体だ。些細な事で日常は変化する。平和は消え、戦争が始まる。そして、歴史は繰り返していく。
今回描く話のテーマは、日常と非日常、人の矛盾、人とは何かという三つの軸から成り立っている話である。ガンダムというテーマは筆者が幼い頃から好きだったテーマであり、独自の視点で物語を書いてみたいという結果、執筆を開始した。
多くの造語が見られたりし、不明な点も多い作品にはなるかも知れない。しかし、このような作品でも最後まで拝見して頂ければ、これ以上ない幸福であると、筆者は考える。
※この物語はフィクションです。実際の人物、団体等とは一切関係がありません。
日常と戦場を行き来する少年が主役のオリジナルガンダムです。
中学時代から構想していた内容を発表するに至りました。
宜しくお願いします。