レイは夢を見ていた。廃墟の街の夢である。廃墟の街に少女が死んでおり、その後で自分も銃で殺されるという、恐ろしい夢。何故この夢を繰り返し見るのか、何度も同じ結末を辿るのか。それは、彼自身も分からない。
やがて目が覚めた。夢の内容、結末は同じ。この夢を見た時、レイの目覚めは悪い。
「この夢を見る時は大抵ギリギリの時間になる事が多いんだよね……あれ?」
ふと、彼はEフォンの時間を確認する。すると、まだ6の数字が映っているのが見えた。
「あれ、まだ6時なんだ……けど、あんまり眠たくないような……うーん。」
レイは朝に弱い。早起きは苦手だ。最近は特に、登校時間ギリギリに起きてくることも多かった。しかし今日は珍しく、早く起きることが出来た。
それから彼は階段を降り、既に起きていた母親に朝の挨拶をした。レイの母親、カレンは子供達の為に家事をこなす必要がある為、毎日朝起きるのが早い。
「あら、おはよう。今日は早いのね。」
「うん、なんでかは知らないけど……」
「あ、お弁当出来たから鞄に入れて。」
母親はそっとテーブルに出来立ての弁当を置く。レイはそれを持ってバッグに入れた。作り立てのそれは、温かさを感じる。
「あ、朝ご飯は?」
「今から出すから、少し待ってて。にしても珍しいわね。」
せっかく早起きしたのだ。できるだけ早く朝食を食べ、早く着替えて出発時間までゆっくりしていきたい。レイはそう思いつつ、早く支度をした。急いで制服に着替え、靴下を履く。その時に母親が朝食を出した。それは市販されているカレーパンだった。
レイは袋を破ってそれを静かに嚙み、朝食を食べる。側にはコップ一杯の牛乳とヨーグルトが置いてあった。
やがて登校までの準備を終えた後、レイは床に少し寝転がった。何故だろうか、再び妙な眠気が襲ってきたのだ。
「あれ?眠たいのだったらなんでそんなにはやく起きたの?部活の朝練とかじゃなくて?」
「目が覚めたもの、しょうがないでしょ。ごめん、ぎりぎりまで少し寝ます……」
朝早く起きたと思えば、食事後に再び眠気に襲われたレイ。やはり、夢の影響なのか、睡眠が不足しているのかもしれない。
やがて段々と眠気が深くなっていく。レイの青い目は少しずつ、閉じられていく―
「スゥ……」
と、レイは少女のような寝息を立てていた。
しかしこの時も再びレイはあの、“悪夢”を見ることになったのだ。やはり繰り返されるあの悪夢。何故この夢ばかりがリフレインするのか。何故彼はこの夢を見なければならないのか。恐怖と同時に、怒りさえ感じる事さえあった。
以前、レイはこれについて心療内科を受診したことがあった。だが、結果は原因不明。ストレス、環境の変化、自律神経の負担等を説明され、簡単な薬を貰うぐらいしかなかったのであった。
しばらくしてミィスが下りて来た。しかしレイは深い眠りに入っていた。ミィスは懸命に兄のレイを起こす。少し寝苦しそうにしているレイに対し、ひたすら上体部を揺さぶった。
「お兄ちゃん!」
「うぅ……ん……」
「時計!」
「時計……?」
ミィスに言われるままに時計を見るレイ。それを見たレイの眼は見開かれた。
何せ気がつけばもう七時二十分。登校時間まであと十分しかないのだ。
「ええっ!?もうこんな時間なの!?」
「レイ大丈夫?なんだか大分うなされてたみたいだけど……」
「うん、なんとか!行ってきます!」
レイは慌てて登校準備をし、顔を洗い、そのまま家を出た。
悪夢を二度も見たレイ。登校前の仮眠の筈が、悪夢に悩まされる形となってしまったのだ。
今日のレイは始業前から余裕をもって登校することが出来た。友人達と挨拶を交わすレイ。一限目は社会の授業。社会はクラス担当のリアンが担当している科目である。
やがてその授業が終わり、レイが手を洗いに行こうとした時、彼はある人物に声を掛けられた。
「キレス……!」
「あ、フィジット。」
フィジットがどすどすと音を立て、レイのもとへやって来た。彼はリルムの事について聞こうとしていたのである。
「あの……さ、聞いてくれた?」
「え……?あ、う、うん。聞いたよ。別にいないって……」
それを聞いたフィジットは
「ほ、ホントか!?よ、よしっ!」
と、急に嬉しそうな表情を浮かべ、ガッツポーズをした。この様子を見たレイは複雑な表情を浮かべた。
「あ、ありがとうな!よーし……!」
そう言ってフィジットは去って行った。レイはその後ろ姿を見送り、再び手を洗いに行く。
時が流れ、昼休みの時間となった。いつものようにレイはモークやリルムと食事をしようとするが、リルムの様子がおかしかった。
「ごめん、急に用事が出来たから……先、食べておいて!」
「え?うん……いいけど。」
そう言ってリルムは教室から去って行った。レイ達には彼女が明らかに慌てているように見えた為、それ程大事な用事なのだろうかと彼は思った。
「なんだよ、あいつ。ま、別に行けどさ。食おうぜレイ。」
(何だろう、一体……)
疑問を感じつつも、レイは母親が作った弁当を鞄から出し、モークと昼食を食べる。
それから十五分が経過してもリルムは一向に戻らない。レイ達は既に食事も終えており、レイはモークと雑談を交わしていた。
その時、トイレが近くなったレイはモークにトイレへ行くと言い、それから教室を出てトイレへと向かった。
トイレを済ませた後、レイは手を洗う。それからレイは教室へ戻ろうとした時、彼はふと窓を見た。
(えっ、あれって!?)
レイが見たもの……それはフィジットとリルムの姿だった。リルムは用事があると言って、フィジットの所へ行っていたのだった。その様子に興味を抱いたレイは窓からじっと二人の様子を見る。しかし二人との距離は離れており、何を言っているかは把握する事が出来ない。しかし、彼から見てフィジットは落ち込んでいるように見えた。
(もしかして、昨日言っていた……?)
レイは思い出した。昨日、フィジットが言っていた言葉を。
――――――――――――――――告白はするつもり――――――――――――――――
(告白してるのかな?でも……なんだか落ち込んでるみたいだけど……)
二人が何の会話をしているのかは分からない。それでも、レイは二人の動作や表情を見て、どのような会話をしているのかを模索しようとしていた。
「キレス君!何してるの?」
「わあっ!?クラークか……びっくりした。」
急にクラークスが声を掛けてきた。レイは慌ててクラークスと会話をする。
「窓を見てぼうっとしてたからさ、何をしてるのかなぁって。」
「う、ううん……何でもないよ?」
色恋沙汰の話はクラークスとはあまりしたいとは思わなかった。彼とはMSの関連の話で喋りたいと思っており、レイはクラークスにフィジットの事を言わなかった。
「最近ねー、量販店に行ってデウス帝国のMSのプラモデル買って来てさー、高かったなーあれー……」
「そ、そうなんだー。」
出来ればフィジットとリルムの様子を見たかったレイだったが、クラークスがMSについて語り出す為、しぶしぶ彼の話に付き合う事になった。
(タイミング、悪いなぁ……)
レイは密かに思った。
昼休みが終わろうとしていた頃。クラークスとの話を終えたレイは教室へ戻り、元の席に着いた。その際、彼はリルムの姿を見る。
「遅えぞレイー。何してんだよ全く。リルムもさっき帰って来てさ。」
モークが言った。レイは彼に対し、
「ごめんごめん、ちょっと友達と喋り込んじゃって。」
と謝る。その次にレイはリルムに話しかけた。
「おかえりリルム。何の用事だったの?」
レイは彼女がフィジットと喋っていた事は知っていたが、あえて声を掛けた。するとリルムは笑顔で言う。
「友達と話してただけだよ!」
レイにはこの笑顔が作り物である事が分かった。フィジットと何かあったのだろう……と、レイは感じていた。しかしレイはあえてリルムに聞かず、
「そうなんだー。」
と、無関心の様子で言った。
次の授業が始まった。その授業は数学。レイにとって苦手分野であり、彼は出来るだけ集中して先生の話を聞こうとするが――
(眠い……駄目だ、集中……しないと……)
カクンッと彼の頭部が眠気のあまり屈曲する。二度の悪夢にうなされた事もあった為でもあり、昼食後の為か、強い眠気に襲われ、授業に集中できていないのだ。一方のモークはいつもは授業中は寝るのだが、何故かこの時間は元気だった。
(駄目だ、仮眠を取ろう、それから起きて……)
眠気に負けたレイは自分の腕を枕代わりにして頭を伏せ始めた。そして、数秒後にはすでに熟睡していた。彼は静かな寝息を立て、眠っていた。前の席にいたモークはそれを見て笑う。するとモークはペンを持ち、レイの頬をそれで突いた。しかしレイは起きる様子を見せない。
「レイって眠ってる時なんか可愛いよね。」
ひそひそと、モークに対して言った。
「まー顔は女だからなーレイって。つーか!男を可愛いなんて言いたくねーよ。」
眠るレイの傍ら、リルムとモークは静かに談笑していたのだった。
レイは悪夢を見ていた。眠りに陥る度に悪夢を見るレイ。何故これを繰り返されるのか。何故このような体験ばかりをするのか……レイ自身、分からないのだ。
――――――――――――――――――――死ね――――――――――――――――――
最後の、男の一言の後で彼は銃を向けられ、発砲される……いつも同じ結末のその謎の夢。
やがて、発砲されるタイミングでレイはいつも、目を覚ますのだ。
「はぁっ!」
レイが目を覚ます。すると、周りの目線が自分の方向に集中している事に気付いた。そして、数学担当の教師は静かに言った。
「昼食後は眠くなりますよねー。あんまり夜は眠れませんかね?大丈夫?」
教師は心配しているのか、皮肉で言っているのかは分からなかったが、レイは只、一言、謝った。
「あ……えと……あ、はい。すみません……」
その後、クラスメイトにどっと笑われたのは言うまでもなかった事だった。
やがて放課後になった。いつものように部活動へ向かうレイとモーク。しかしレイは図書館へ行く用事があった為、モークに先に行ってもらうように言った。
図書館にて。そこは学校の自習室や、必要な資料が揃っている場所である。放課後に勉強の為に自習する生徒や、本を読む生徒がいるのもこの空間である。レイはこの場所で自分の目当ての本を探している時、声を掛けられた。声を掛けた相手はフィジットである。
「キレス……」
「あ、フィジット。」
朝の授業の後の休憩時間にフィジットと会っていたレイ。その時の彼の表情は笑顔であったが、今の彼は悲しそうな表情で、レイに話しかけてきた。
「あのさ……俺……さ……エリアスに……」
「まさか……昨日言ってた?」
フィジットは静かに頷いた……と同時に、レイは彼が昼間リルムと話していて落ち込んでいる理由について理解する事が出来た。
「告白したんだ……」
「でも駄目だった……はぁ……やっぱデブは嫌われんのな……」
「そ、それは違うんじゃないかな……」
落ち込むフィジットを、レイは慰める。
「ごめん、俺帰るわ……」
「そ、そう……元気でね。」
そう言ってフィジットは去って行った。レイはその後ろ姿を見送った後、溜息を吐く。
「振られたのか……うん……あ、あれ……なんで僕は安心をしているんだろう……」
フィジットの失恋は本来は同情してあげるべきである筈なのに、レイはそれを聞いて安心していた。自分の感情が理解出来ないレイは少し困惑しながら、本を探す為に本棚を見て回った。
図書館で必要な本を借りた後に、レイは部室に着いた。自分の中の複雑な心境を変えようと、今日の部活に関してはやる気を出そうと心掛けていた。
「おーレイ。」
モークがレイに対して言う。
「ちょっと遅くなっちゃった。まだ始まってないよね?」
「だから俺Eフォン弄ってんだろー。もうちっとゆっくりでいいんじゃね?」
そう言いながらモークは持参しているEフォンを操作する。それを見て、レイはロッカーに荷物を入れ、着替え始めた。レイが着替えている最中、モークが言う。
「どうでもいいけどさ……最近あいつ来てなくない?練習に。」
「あいつって?」
「イースだよ。イース・ハドラス。あいつ嫌い。性格うざいから来なくていいんだよ。今の状態が一番楽だし。」
イース・ハドラス。レイ達の通うベレーナジュニアハイスクールのエースで、先輩以上の力を持つ天才ストライカーである。現在のキャプテンは彼であるのだが、ここ数日間全く来ていないので代わりの副キャプテンが指揮を取っている。モークがイースを嫌うのは、イースのあまりに強気で偉そうな態度が原因であった。レイ自身も、イースの事は好きではない。
「うん、僕は人をあんまり嫌いたくはないけど……イースはちょっと偉そうだもんね。」
「お前優しいなー。あいつさ、モントリオールのジュニアハイのエリートに選ばれるぐらいの実力があるとはいえさー、感じ悪いのは嫌だわマジ。」
そう言うモークはロッカーを背もたれにして、レイと目を合わせることなくEフォンをずっと操作し続けていた。
彼の台詞からして、イースはサッカーにおいて相当の実力の持ち主である事が分かる。カナダのエリートに選ばれると言う事は、この世界におけるサッカーのワールドカップ等の世界大会などで活躍する期待を持たれていると言う事である。既にイースの実力はマスコミ各社に知れ渡りつつあったのである。
「そういえばイースって変わった髪形だよね。男なのにロングヘアーだもん。」
着替え終えたレイが言った。
「お前は顔が女だから違和感あるけどな。」
「えぇ……」
彼等がそのような雑談を交わしている時、別の部員が彼等に言った。
「今日あいつ来るらしいぜ。あと、キャプテン休み。」
「え、マジ!?」
モークの目は見開かれた。イースが来る代わりにキャプテン休みという話に驚いていたのである。
「おー。」
部員はEフォンを弄りながら言った。
(イース、来るんだ……)
レイは本心からイースの事を嫌がっている様子だった。天才ストライカーとして、モントリオールで注目を集めつつあるその少年はレイを不快な気分にさせた。一体どのような少年であるのかは、定かではない。
やがて練習時間になった。部員たちが各自でストレッチや準備体操をしている……その時、部室から一人の少年が姿を現した。
「全員整列!並べぇ!」
急な大声がグラウンドに響いた。その声を聞いた部員は全員声の方向を向く。
そこにいた少年……それは、顔立ちが凛々しく整っており、目つきは鋭く、髪が長い、茶色の髪色をした少年、イース・ハドラスの姿があった。
「キャプテンの代わりに今日は俺が指導することになってる!ありがたく思えよなお前ら!」
高らかに笑うイース。その傍ら、現在副キャプテンを務めている少年、アロナス・メッザー。彼は努力家で、一年の時はサッカーの素人だったのだ。しかし彼なりに懸命に努力をした結果、現在では副キャプテンを務める程の実力の持ち主になっている。
「お前……今までどうしてたんだよ。」
理由も無く数か月休んでいたイース。当然アロナスは怒りを覚えた。
「取材受けてた。そりゃそうよ!俺はだってさー!モントリオールの希望だから!お前ら下手くそとは月とスッポンなんだよねー!てかこの部活も所属してるだけだし、ここにいる理由は俺にはないの!分かった?下手くそども!」
その台詞を聞いたメンバーはイースの事を良く思わなかった。
イースはサッカーの実力は相当なものがあるのだが、欠点がある。それは自信過剰な性格故に無意識に人を傷つける発言を行う事と、他者への配慮が欠けた行動が見られる事。自信過剰な性格故、イースは女子には異様にもてるが男子からは嫌われている。
「ま、どうでもいいや。さて!練習だぞ!今日はキャプテン休み!だから指揮は俺が取る!ホラホラ!お前等1500メートル走二セット!ぐずぐずするなよ!」
いつもより一セット多いメニューだった。イースが勝手に作ったのである。彼の命令に仕方無しに従うメンバー達。が、イースは走ろうとはしなかった。そして彼はキャプテンと同じように椅子の上に座ってじっと見始めたのである。
ずっと休んでいた少年が、急に現れては高圧的な態度。その非常識極まりない行動に腹を立てたのはモークだった。彼はトラック一周を終えた時にイースの元へ駆け寄り、言った。
「お前!お前もやれよ!何座ってんだよ!!」
注意をするモーク。しかしイースは動揺しない。
「はぁ?俺はキャプテンだぞ?キャプテンに何逆らおうとしてんだよお前!」
「キャプテンならみんなの見本だろ!走れよ!練習メニューやれよ!」
モークが懸命に怒っているのに対し、イースは面倒くさそうな表情を浮かべていた。
「才能ない癖に何偉そうに言っちゃってんのよ。お前。」
イースはモークに、突き放すような言い方をした。
自意識過剰のイース。自分の実力を既に十分だと思っているイースは自分でこの部活で一番偉い存在だと思っている。その時イースは側にあったサッカーボールを拾い、それを指で回転させながら言った。
「なあ、そんなに俺に文句言うならサッカーで勝負しようぜ。」
「え?」
得意げにイースは言ってきた。モークはあまり理解できない様子だった。
次にイースはルールを説明した。
「ルールは簡単。俺からボールを取れ!ただそれだけ。ルールは以上。簡単だろ?」
要するに、イースが蹴るサッカーボールをモークが奪うと言う事だった。さすがのモークもそれに対して怒った。
「お前ー!馬鹿にしてんじゃねえぞ!」
「馬鹿になんてしてない。お前の実力を見せてもらうんだよ。そうだな、制限時間は十五分やる。その間に一回でも俺から奪えたら勝ち。」
いくらイースがモントリオールで期待されている程の腕前とは言え、それほど時間があれば奪える筈だと、モークは心の中でそっと考えた。
「よし、勝負だ!」
「お前なんかに勝てるかよ!」
そっとイースは微笑んだ。自信漫々である。
すぐに準備が行なわれた。部活メンバー達は1500メートル×二セットのメニューを中断し、サッカーゴールの周りにメンバーが集まった。中央にいたのはイースとモークの二人だけ。その中で、レイはモークに対し心配そうに言った。
「モーク……やめておいた方が……」
「これは男と男の勝負ってやつだ!こんな奴に舐められてたまるかよ!」
モークに怒鳴られたのでレイは黙ってしまった。
まるでボクシングにおける挑戦者とチャンピオンのような関係を持つ二人。挑戦者がモークで、チャンピオンがイースである。そしてモークの挑戦が始まった。制限時間は十五分。その間に取る事ぐらい余裕だと、モークは思っていた。
しかしイースの動きは非常に素早く、一向にモークは追いつけない。追いつきそうになってもイースはフェイントをかけてくる。
まるで挑発しているような動きを見せるイース。それでモークは疲れた為、激しく呼吸をしていた。相手の動きが非常に素早い為、一向に追いつけない。思った以上に苦戦をするばかりである。息を切らせているモークと違い、イースは余裕の表情でモークをあざ笑っていた。
そして早くも十五分が経過し、モークは負けてしまったのだった。悔しそうな表情を浮かべるモークに対して、イースは笑った。
「分かったか?お前なんかじゃ俺に勝てねえんだよ!俺に偉そうな事を抜かしたかったら、まずお前が俺に勝てるようになれ!バーカ!」
散々な扱いをされ、モークは歯を食い縛り、地面を思いきり叩いた。固い地面は余計にモークの手を痛めた。
「こんなの……帰る!」
「あ……ちょっとモーク!」
レイが引き止めようとしても、モークは引き返そうとはしない。部室に戻って行き、やがて制服に着替えて帰っていった。
「やれやれ。弱い癖に偉そうだよなあいつ。さて、無駄な時間使ったな。練習再開!」
引き続き、サッカー部のメンバーに練習をするように促すイース。だが、皆の表情が暗かったのは言うまでもなかった。
友人が馬鹿にされたのを見て、レイ自身腹立たしい気持ちはあった。だがイースにサッカーで勝てないのは分かっていた為、何も言うことが出来なかったのだ。
(モーク……なんだかなあ……こんなのって……)
心の中でもやもやとした気持ちになるレイ。モークが居ない今、レイ自身、練習をする気にはなれなかった。
それに目を付けたのはイースだ。まるでレイを狙ったかのように近づき、ずいっと顔を近づける。
「うわっ!?」
突然の事に、レイは後ろに二、三歩下がった。
「お前は帰らないの?あいつと一緒に帰ったらいいんじゃね?」
「僕は別に……」
正直、帰りたい。しかし帰る理由がない。不快な気持ちではあるがレイはイースに何も言うことが出来なかった。
「ふーん。つーか……」
と、イースはじいっとレイの顔を見る。正直、レイは良い気分ではなかった。
「お前が女なら口説いてたんだけどなぁー。男で残念っ。」
と言って、イースはレイの右肩をボンと突き放した。そして高らかに笑い、去っていく。
(僕は男だよ……)
顔の事を言われたレイ。自分もモークのように歯向かう事が出来ればもう少し悔しい気持ちもましだったのだろうか。だが今のレイにイースに対し、反抗する気にはなれなかったのだった。
やがて部活は終了。イースは真っ先に帰る。今日の部活はレイにとって散々だった。友人のモークは先に帰る上、イースに馬鹿にされる。しかし、イースの実力は本物だ。その為、何も言い返すことが出来ない。内心レイは悔しい気持ちで一杯だった。
そんな中、声を掛けてくれたのは後輩のティル・バーンだった。
「先輩、お疲れ様です。」
小柄な少年のティル。レイの一歳下の後輩だ。彼はレイよりもサッカーが上手いが、イース程自意識過剰な人間ではない。
「なんか、元気なかったですよね。キレス先輩。まあ、無理もないか……」
「うん、まあ……ね。」
落ち込むレイ。後輩を前にこのような姿を見せるのは、正直恥ずかしいのだが、今はどうしても気分が乗らなかったのだ。
「ねえ、先輩。一緒に帰りましょうよ。」
「帰り、一緒の方向だっけ?」
「はい!」
やがてレイは後輩のティルと帰ることになった。今日あった事が嫌で仕方がないレイ。そんなレイに対し、ティルは慰めるように言った。
「俺もイースさん好きじゃないんですよね。あの偉そうなの、社会に出て上司でいたら溜まったもんじゃないですよ。」
社会に出たことを想定するティル。まだジュニアハイスクールの一年生にも関わらず、将来の事を考えるティルの言葉にレイは関心を抱く。
「へえ、ティルは偉いね。将来を考えてるんだ。」
「いやあ、俺の家、貧乏なんですよー。だからジュニアハイスクール出たら働こうと思って。でもそうなったら社会人になるでしょ?部活とかやっとくと上下関係ってわかってくると思ったんですよー。てか、貧乏なのにサッカーさせてくれてる親に感謝っていうか。」
「そ、そこまで考えてたなんて……」
普段部活の中でしか喋る事のない後輩、ティル。彼等がこうして一緒に帰る事自体あまりない為、レイはティルの事を初めて理解したのである。それと同時に、レイは自分が余計に情けない気持ちになった。
「あ、先輩!良かったらファミレス寄っていきません?」
「え?あ、うん。いいよ。」
歩いている途中、レストランが見えた。ティルはまるでもっとレイと話がしたいかの如く彼をレストランに誘った。
レストラン内で二人はサッカー部の事や学校の事などの話をしていた。あまり話す事のなかった二人がこうして交流を深めるのも珍しかった。
「ティルは偉いね。僕は全然そこまで考えれてないよ。」
苦笑いを浮かべるレイ。それに対してティルは言った。
「けど、それはそれでいいんじゃないんですかね?俺もサッカーなんてやった事なかったんですけど、やっぱり経験って大切かなーって。」
「僕は何になりたいんだろうね。あと一年したら卒業だし、そこから進路の事も考えていくし……」
「うーん、その内見つかるんじゃないですかねー?」
「まあ、気長に考えればいいのかな。」
後輩の方が自分の意見を持っているようで、正直気が引けるところはあった。しかし今のレイにとっては、ティルと一緒に喋る時間が、楽しく感じられたのだった。
多くの出来事があった一日だった。家に帰宅したレイ。やがて自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がり、少しぼうっとしていた。
「僕は将来どうしようかな。今は学校に行ってサッカーをやっているけれど……他の事はあんまり考えられてないや。」
実際、彼は、才能自体はある。それは、プチモビルスーツを操るという才能。先日のプチモビルスーツ大会で準優勝したことが何よりの証だ。
しかし、今の彼はそれを何とも思わなかった。自分のものに出来ていると、思っていなかったからだ。
何気なく、レイはEフォンを開き、SNSに接続。そこで様々な情報を見る。
自分と同い年で会社設立をしている者、オリンピックの代表、芸術大会の優勝者等。見れば見る程、凄い人間ばかりが目に浮かぶ。
「僕はこんな人達に比べたらちっぽけなんだろうな。僕は特別な才能とかあるわけじゃない。けど、こうして生活が出来てる。それもまた、贅沢なんだろうか。うーん……」
SNSは一見、情報を見る上では非常に有用なツールである。しかし自信喪失している状況でこうした情報を見てしまうのは、反って彼自身を傷つける。
隣の芝生は青いという言葉がある。今の彼は、周りの人間が非常に羨ましく感じてしまっているのだった。
ピピピピピ
その時、レイに一通の電話が掛かってきた。すぐに応答し、返事をする。
「もしもし?」
「ああ、レイ。久しぶりー、元気?」
「ヒューナ姉さん!久しぶりだね。どうしたの?」
電話の相手はヒューナといった。
ヒューナ・エリアス。リルムの姉である少女。歳はレイの二つ上であり、現在はハイスクールに通学している。幼い頃からレイの事を知っており、よくリルムと共にどこかへ出かけたりしていた仲だった。今はレイ達は学生生活が忙しい為、連絡を取る頻度が減っていた為、
久しぶりの連絡だったのだ。
「いやあ、今電話いける?」
「うん、良いけど……」
「いや、今度の土曜日時間空いてるかなーって。」
「え、土曜日?う、うん。空いてるけど……」
「良かった!あのさ、ちょっち付き合ってほしいんだけど良い?」
「うん、良いけど……もしかして、リルムも一緒?」
何故かレイは“リルム”という言葉だけ少し小さく言った。
「いや、あの子は友達と出かけるみたい。空いてるならちょっち付き合ってくれない?」
「うん、いいよ。」
「ありがと!そんじゃ土曜日ね!」
「え、ちょっと――」
そう言って、ヒューナは一方的に連絡を切った。何の要件かを聞こうとしたレイだったが、一方的に切られてしまった。
その後彼はメッセージをヒューナ宛に打つ。“何の用事なのか”と。だが、ヒューナはそれに対し、“来たら分かる”とメッセージを返したのだった。
「えー、何でよ……」
詳しい内容を教えてくれないヒューナ。レイは一人、部屋で溜息をついたのだった。
「けど、ヒューナ姉さんと出かけるなんていつ以来だろ。なんか、変な感じ。向こうから連絡をくれるなんて。」
幼馴染、リルム・エリアスの姉。レイにとっては幼い頃から知っている人物。しかし、彼は今十四歳で、年頃の少年でもある。幼い頃から知っている仲とはいえ異性と出かけると言うのは少しばかり嬉しさを感じる所があったのだ。
やがて土曜日になった。レイは約束通りヒューナと合流する為に駅前に着く。時間は朝の7時。外は晴れていたが比較的早朝であった為、外は寒かった。頭にニット帽、首にマフラーを巻き、ピーコートを羽織ったレイ。
「お、来た来た。おーい!」
そう言って手を振るのはヒューナ・エリアスだった。リルムよりも背が高く、その上スタイルも良い。七分丈のワンピースを着ており、レイと同様マフラーを巻いている。足はストッキングを纏っている。
「久しぶり、姉さん……あれ?この人は?」
「あー、ごめんごめん、言ってなかったね。今回はこの子の依頼なのよ。」
二人で会うと考えていたレイ。しかしこの場に居たのは、レイと、ヒューナ以外にも、もう一人の女性が居た。
「アムン・ディースです。よろしくね、レイ君。」
もう一人の女性、アムン・ディース。ヒューナのクラスメイトだという少女。眼鏡をかけており、顔立ちは愛らしい。レイにとっては全く知らない女性だった為、最初は困惑するレイ。
「よ、宜しくお願いしま――」
と、レイが自己紹介をしようとした時――
「あああああ!ヒューナ、この子なら間違いないわ!」
「……はい?」
突如アムンは高らかに声を上げた。レイにとっては一体何がどうなっているのかが分からない。
「良かったねーアムン。あんたの大好物だと思ったよ。」
「あああああ!最高よヒューナ!まさに完璧な逸材!絶対この子人気出ると思う!だってめっちゃ可愛い!君、本当に男の子なの?」
「……えっと……?」
ヒューナとアムンの会話が分からない。全く情報を聞かされていなかったレイにとって理解が出来なかった。
「まあまあ、来たら分かるよ。とりあえず、行こうよ。」
詳しい情報を一切聞かされないまま、三人は電車に乗る事になった。電車の中でレイは何度もヒューナに聞こうと試みたが、やはり教えてくれる様子ではなかった。
「あああああ!可愛すぎる!最高だよ君!!!」
「いやあああ!なんで!?なんでこんな格好をさせられてるんですか!!!」
それから時間が経ち、ある場所に移動した三人。そこは巨大なイベント会場であり、今日は、そのイベントが行われる日だったのだ。そのイベントは、所謂“アニメ”関係のイベントである。
そのイベントは二日間に分けて行われ、その内の一日目がこの土曜日だった。
レイは全くその内容を聞かされていなかった。恐らく、その実情を説明すれば断られる可能性があったからだろう。無理もなかった。レイは今女装させられているからである。
この企画をしたのはアムンだ。彼女は所謂コスプレイヤーのサークルに所属しており、ヒューナに協力を依頼していたのだが人数が足りないという事で、知り合いを探している中でレイに声が掛かったという訳である。
今、三人は控え室にいた。この時レイは用意された服を着替えた時に異変に気付いたのであった。
「いやー、あんた昔から顔は本当に女の子みたいに可愛いじゃない?それでふと思いついたのよ。あんたを呼べばいいなーって!」
「姉さん!酷い……」
「酷くはないよ!あとでランチ奢るからさ!アムンの頼みと思って!お願い!」
「あああああ!君最高だよー!逸材だね!まさに!」
「僕は男だよ!なんでこんな格好をさせるの!?」
レイがしている格好。それは女子の制服だった。それも、男子生徒が調子に乗ってするようなものではない。メイクもきちんとした上で本格的な女子の恰好をレイはさせられていたのだ。足もストッキングなども一切履いていない。靴はスニーカー。しかし、スカートは本物だ。その上リボンまでつけられている。完全な“女子”と化したレイ。
「いや、コスプレだから。」
「コスプレって!僕の場合男のキャラクターをするハズだよね!なんで女子なの!?ねえ!」
「あんたは顔が可愛いから女の子でいいのよ。はーい、本番前。急いでよ!」
「え、本番!?え、何それ!?」
「いいから!写真撮影すんのよ!」
「意味が分からないんですけど!?」
「あああああ!良い!良い!完全に、女の子だねぇ!」
混沌とした状況。訳が分からないまま、レイはイベント会場に連れられるのだった。
そこでは写真撮影が行われた。恐らくその制服の少女が出るアニメのコスプレをレイはしているのだろう。彼の周りには人が多く集まり、注目の的だった。レイは、ただ下を向いて俯くばかり。顔を赤め、恥じらう様子を見せた。
(なんで……こんな……いや、もうこうなったら……僕は女の子……僕は、女の子……)
自棄になったのだろうか、レイは自己暗示を始めた。今、この時間だけ自分は“少女”として振舞う事を決めた。
カシャ、カシャとEフォンのカメラや一眼レフカメラがレイを撮る。そのシャッターの音がレイにとって恥ずかしくて堪らない。そして、その傍らアムンとヒューナは笑顔だった。
それからツーショットの時間になり、レイと撮りたい人が集まってきた。撮影者はアムン。その際、ヒューナは
「お金払ってから撮影して下さいねー!」
と、撮影料の徴収をし始めたのだ。この時、レイは今回自分が呼ばれた真の目的を把握した。
(お金の為なの!?酷いや……僕は男なのにどうしてこんな……)
そう、今回レイが呼ばれたのはコスプレのツーショットの際の賃金を稼ぐ為の、所謂“客寄せパンダ”の役割をレイが果たすのが目的だったのだ。
「ふふひひ、握手……して下さいねぇ……でゅふっ……」
(この人……)
体格の肥えた男性がレイの手を握る。レイは、明らかに苦笑いを顔をしていた。
「いやあ、儲かりましたなぁ!ありがとうね、レイ!あ、SNSに流出しないように注意書きはしてるから多分それは大丈夫だと思う!あと、分け前も勿論払うよー。」
「もう、嫌だ……」
「あああああ!レイ君、本当に良かったよぉ!」
コスプレの時間は終了した。この間二時間。レイはその間ずっとツーショット写真を撮られ続けたのだ。握手を求められたり、ハートマークを手で作ると言った事も求められた。男であるレイからすれば正直これ程プライドを捨てた事は無かっただろう。
その後三人はランチを済ませた。ヒューナとアムンは楽しそうに会話をしているが、レイにとっては男を捨てた二時間であり、彼にとっては何とも言えない体験であったのだった。
その後、三人は解散する事になった。ヒューナとアムンはこの後別の用事があるのだという。レイは、心底疲れ切った表情で帰路に就くことになった。
「何やってんだろう、僕は……女装なんてして……」
一人、レイは溜息を吐く。何も知らされないままヒューナと会い、その友人であるアムンとも会い、結局行ったのは二時間の女装。そして写真撮影。男としてのプライドをズタズタに引き裂かれたレイ。ただ、彼は溜息しか吐けないのだった。
「こんなんじゃないんだよ……僕はこんなのをしたいんじゃないのに……はぁ……」
先日のティルとの話から、レイは将来の事について悩んでいた。そのタイミングでの今回のコスプレのイベント。彼自身にとって、休まる日はなさそうだった。
「とりあえず家に帰ろう。それから――」
バタンッ
突如、レイは意識を失った。周囲は人通りの少ない道。一体何があったのかは分からない。
やがて、レイはその身柄を車の中に連れ去られた。まるで、それは最初にクラリス・デイルに連行された時のようだった。
「う……ん……」
やがてレイは目を覚ました。始めの内はぼやけるせいで何があるのか分からなかったが、見た事が無い場所である事は把握できた。
ぼやけが取れてきた。改めて見ても全く分からない場所だ。見た事の無い場所に連れて来られたレイは不安になる。この中で、レイが唯一理解できた事は今自分は固いベッドの上に寝ていたという事だった。
「どうしたんだろう……僕……どうしてここに……?あそこから帰ろうとして……それから……あれ、どうだっけ……」
突然意識を失い、気が付けばレイはここにいた。だが全く覚えのない場所だ。そこで、彼はEフォンを取り出そうとした。が―
「ない!?落としたの!?まずいよ……」
ポケットを探してもEフォンはどこにもない。あたふたと、探し回るレイ。
「探しモノはこれかよ?」
その時、一人の男の声がレイの耳に聞こえた。その声に、彼は聞き覚えがあった。
「貴方は……」
クラリス・デイルだ。彼は軍服を着て、何故かレイのEフォンを持っている。
今のレイに状況が理解できなかった。まず、何故自分がここにいるのか。そして、目の前にクラリス・デイルがいるのか。混乱するレイ。そんな彼の心境など構うことなくクラリスは言った。
「まさかあんな場所で遭うとは思いもしなかったなぁ。レイ・キレス君?」
「どうして……どうしてここに貴方が……?」
レイの顔は恐怖に満ちた。両者の因縁は、レイの些細な好奇心から始まった。その次にプリモビルスーツ大会。そして、今回。だが今回は明らかにこの男がレイに何かをしたのは間違いなかったのだ。
「いやあ、やっぱり諦めきれないんだよ。お前みたいな優秀なパイロットになるかも知れない存在をさ。これも何かの縁だ。今の生活を捨てて新生連邦に入隊しろ。人手不足の状況でお前は絶対才能がある。俺が直々に言ってやってんだぜ?なあおい!」
以前のプチモビルスーツ大会でクラリスが勧誘した際、レイは大声を出して難を乗り切った。だが今回は場所が場所だ。明らかに個室であり、大声を出しても誰も来ないだろう。
「俺は中尉だからな。ある程度権力がある。これも、俺個人がやっている事なんだよなぁ。」
その言葉にレイは恐怖した。
「それにお前のせいで……俺は屈辱ばっかりだ!元はと言えばお前が悪いんだ!」
一方的な台詞だ。レイはクラリスの言葉に理不尽にさえ感じた。
「そんなの、関係ないです……」
新生連邦軍の軍人であるクラリス・デイル。しかし今の彼は、少年であるレイに対して異様に固執する只の変人と言えた。今回彼がレイをこのような個室に監禁したのである。
キョロキョロと首を振るレイ。窓もないその部屋で、レイは場所も分からず、目の前にいるクラリス・デイルに恐怖している。
「ここがどこか知りたいか?新生連邦のモントリオール基地だよ。俺はそこの所属。」
「基地……?」
クラリスの一言で、ここが基地だという事が理解できた。だが、何故基地にわざわざレイを連行したのだろうか。男は、“個人的”な理由だと言うが。
「まあ、何にしてもお前は首を縦に振るしかない。横に振ったところで逃げられねぇからな。それに、脱出だって無理だぜ。ここは完全窓無しの個室。懲罰房だからな!」
クラリスによって、レイは基地の中の懲罰房内に連行されていたのだ。
彼にとって“基地”という単語そのものが初めてだった。何故そこに自分がいるのかという事さえ、分からない。今言えるのは、もしクラリスの頼みを断れば、何をされるか分からないという事だった。又、以前のように暴力を振るわれる可能性もある。
ふるふる、と震えるレイ。しかし、この時、レイはクラリスの足元が空いていることに気付いたのだった。
(一か八かだ!ここから逃げるには……!)
それを見た時、迷う時間は無かった。
ダッ
レイはまず、クラリスの股下にスライディングをする形をとった。サッカー部に所属していたが故に、そのような芸当が出来たレイ。その際、彼はあろうことか、クラリスの股間部を思いきり殴ったのである。
「あぎゃああああ!?」
クラリスは激痛のあまりそのまま倒れてしまう。この時、レイはEフォンを取り返すことに成功する。反抗しようにもクラリスに力が入らない。
「返してもらいますからねっ!そして、逃げるんだ!」
取り返したEフォンをポケットに収納し、レイは一目散にそこから逃げ出した。そこに残されたのは、股間を殴られ、悶え苦しむクラリスの姿だった。
レイは出口が分からない道を、ひたすら走る。やがて彼は広い通路に出た。
そこは様々な兵器が詰め込まれている場所だった。明らかに人が扱うサイズではない巨大な重火器類。レイはこれを一目見て理解した。“これらはMSの為の兵器だ”と。
MSカタログを見て、こうした類のものは見た事があった。しかし、実物を見るのは今回が初めてである。クラリスから逃げてきてこのような場所に着いてしまっていたレイ。その光景に、ただ絶句するばかり。
(凄い!本当に基地だ……あれは、きっと何かのMSの為に使われるんだ……)
MS好きであるレイからすれば、本来ならばこうした光景は感動的な光景である。しかし今、彼はクラリスに追われている。悠長に、この景色を見て感動をしている場合ではないのだ。
「おい、お前、何をしているか!」
レイはある、一人の兵士に声を掛けられた。
「え……と……えと……ごめんなさい!」
そう言って、レイは再び走り出した。本来なら、ここに連行してきたクラリスが悪いのだが、レイはとにかくここから去らなければならないと思い、一目散に逃げる。
「待て!足の速いガキだ!おい!探せ!!」
兵士は周りの兵士にも声を掛けた。やがて十数人程度の兵士が集まり、レイの捜索が始まった。
レイはコンテナの物陰に隠れていた。幸い、彼の姿は見られていなかったがどうやってここから逃げ出すべきかと、懸命に考える。
思えば今日は散々な日だ。リルムの姉、ヒューナとその友人、アムンによってコスプレイベントで女装をさせられたかと思えば、今度はクラリス・デイルによって見知らぬ基地に連行され、そして今彼は何故か追われている。何故このような状況に陥ったのかはレイ自身も分からない。彼は、何も悪くないのである。
しかし、一概に散々とは言えないのも事実だった。兵器が格納されているこのような場所は実際レイにとっては憧れの場所でもあった。現物のMSサイズの兵器を見るなど、普通に生活していてはまずありえない事だからだ。
やがて彼は眼の前に広がるMSの姿を見た。レイの眼は非常に輝いており、また、奇麗だった。
(これって……EMS-009ジャスティスだ!デウス動乱時に使われてたやつだ!)
EMS-009ジャスティス。それは4年前のデウス動乱時に旧地球連邦軍が使用していた量産型MS。カメラアイはバイザー型。細身の機体である。アイボリーカラーのその機体は四年後の現在では第一線は退いている機体ではあるが、この基地には格納されていた。
MSという存在を生まれて初めて見ることが出来、レイは心底興奮していた。実物の、本物のMS。それが目の前に広がっている。
「えっと……あれって……?」
ジャスティスに感動している時、レイはとある一機のMSの姿を見た。
全高は約18メートル程度。色は紺色。明らかにジャスティスとは違うその機体。頭部はジャスティスとは違う、特徴的な形状。二つの遂になっているカメラアイに、四本の頭頂部のアンテナ。
「見たことのある造形……あれってまさかガンダム!?嘘、まさかこんなところで!?」
レイは感動の余り、思わず声が出てしまった。
ガンダム。遥か昔にデウス帝国と地球連邦との戦争で作られたとされる伝説のMS。先の戦争であるデウス動乱時でもガンダムタイプのMSは活躍したという話がある。しかし今回見たガンダムは今まで見たことがないタイプだ。レイが愛読しているMSカタログにも載っていないその機体。
この時、レイはギリア・ノールの言葉を思い出した。
――――――――――新生連邦は新しいガンダムを開発しているらしい――――――――
(もしかして、これがアインスガンダム……?)
ギリアが言っていた新生連邦の新型MS、アインスガンダム。恐らく、目の前にあるそれが該当する機体であることは想像に易かった。
そして、レイはこの機体をじいっと見ていた。形状の美しさだろうか、いや、違う。レイはこの機体に惹かれるような“何か”を感じたのだろう。例えるならば恋人同士が良く使う、運命の出会いと言うものでも感じたのだろうか。
(あれに、乗れるのかな。それで逃げ出せるなら……)
今までMSに乗った事があるとすれば、プチモビルスーツであるパワームだけ。その、レイがこれから新型のガンダムに乗ろうと考えていたのだ。到底、信じられない話である。
しかし彼は今乗るつもりでいた。根拠などはない。ただ、“乗って出たい”と言う気持ちだけが彼を動かしたのだ。
「傍にエレベーターがある!コクピットも空いてる!なら!行くしか……」
そう言った後、レイの身体は動いていた。兵士に見つからぬよう、レイは近くにあるエレベーターに乗り込む。すぐにエレベーターはガンダムタイプのコクピットの隣に移動。そして、すぐに入り込んだのだ。
「おい、さっきガキがここに居なかったか!?」
と、兵士達の前に現れたのはクラリスだ。痛みが引き、動けるようになった彼は兵士達に聞いた。
「いましたが、行方を眩ましてしまいまして……」
「そうか……って!とにかく追え!早く見つけるんだよ!」
クラリスの指示により動く兵士。彼自身、子供に二度も逃げられるという屈辱を体験したくないという気持ちがあり、以前にレイに逃げられた時以上に焦る様子を見せた。
一方、レイはガンダムのコクピットの中に入ってしまっていた。右も、左も分からない。その中身。生まれて初めて見る軍事兵器、MS。どのようにすれば動かせるのか、さっぱり分からないでいた。
「と、とにかく脱出さえすればいいんだから……適当にボタンを押して……と。」
とある、一つのボタンを押すとコクピットのハッチが閉まった。それによって兵士が入って来る心配は無くなった。
と、同時に画面に突然“パスワード入力”というメッセージが出てきたのだ。当然パスワードなど知らないレイは困惑するばかり。
「分からないよ!けど動かせなきゃ終わりだ……もう、どうにでもなれー!」
焦るレイ。しかし、今は迷っていられない。レイはキーボードに配列されている六文字である、〝GUNDAM〟とパスワードを入力した。
Complete.
青い背景のスクリーンに、文字が出た。恐らく、了承されたという意味だろうか。
「え、これって行けたって事!?」
何が何だか分からなかったレイは、ただ、喜んだ。
そしてスクリーンに、“start up Eins”という文字が配列される。これを見たレイはこのガンダムの名前を理解する事が出来た。
「アイ……ンス?ああ、やっぱりこれはアインスガンダムだ!ギリアさんが言ってた……」
彼が乗ったアインスガンダム。このガンダムは、まだ搭乗予定のパイロットによってパスワードが入力されていなかったのである。今回偶然レイがそれを入力した瞬間、パスワード入力のときに〝GUNDAM〟と入力しないと起動しない仕組みになった。つまり、この機体はレイ以外に扱う事ができなくなったのである。
本来アインスガンダムはクラリス・デイルの機体であり、彼が搭乗後に試験運用が行われる予定だったのだ。だがレイによって、それが不可能になった。
やがて更に先程まで真っ白だったコクピット内部が突然透明に変わった。それによって基地全体が見渡せるようになった。
アインスガンダムには最新鋭のモニター(360°モニター)が備えられており、ウインドウ全体が見渡すことが可能で、あらゆる方角からの攻撃に対応できる。当然何も知らないレイはただ驚くしかできなかった。
「わっ……!?なんだろう……落っこちたりしないのかな……?」
そう言ってそっとモニターに触れてみるが、当然ながら大丈夫だった。ホッとするレイ。それと同時に迷いが生じた。
「多分、これで動くんだろうけど……どうすれば動くんだろう?」
実際のMSを、全く何も分からないレイ。訳が分からないまま、一度操縦桿を引く事にした。
キシィン
するとアインスは緑色のカメラアイを輝かせた。と、直後にレイ自身も驚きを隠せない。
ズシン、と重い音を鳴らすアインスガンダム。紺色の巨人が、今まさに目覚めたのだ。
兵士達はそれを見て黙っている筈が無かった。アインスに乗っているレイに対して警告をする。
「おい、誰が乗っている!?」
「な……アインスガンダムが動いてるだとォ!?」
本来の搭乗者である筈のクラリスが驚いていた。誰が乗っているのか見当もつかない。
「あれはパスワード式になってた筈だ!誰が解いた!?」
「中尉はまだあれを操縦していない筈ですよね!あれは最初に乗ったパイロットが入力して、それ以降はその人以外に扱えないようになってるんですよ!」
「こ……こんな屈辱がぁぁぁ……!」
クラリスは、ただ、悔しい気持ちを言葉に出すばかりだった。
一方のレイは、ただ困惑するばかり。操縦桿を握れば前進するのは何となく理解は出来た。しかし他のボタンをレイは知らない。
「これは……?」
レイは操縦桿についているグリップボタンを握った。
ブゥンッ
それに伴い、アインスガンダムはバックパックのサーベルラックからビームサーベル展開し始めたのだ。
「これって……まさかビームサーベル!?こんなことやってる場合じゃないのに!」
滅茶苦茶な動きをしているアインス。パイロットのレイは余計に困惑するばかりだ。
「これは……?」
と、別のボタンを押したレイ。
ダダダダダダダダダダ
今度はこめかみ部の砲門から頭部機関砲を発射した。それは地面にいた兵士に向けて発射される。幸い兵士に怪我はなかったが、レイは驚くばかりだ。
「機関砲!?そんな、攻撃する気なんてなかったのに!!とりあえずこれをしまって……と。」
そう言って、レイはビームサーベルを背中のサーベルラックに収納する。
その時、レイは足元のボタンを見つけては押した。すると今度は背部のランドセルからのバーニアが起動し、アインスは上空へ向かう。
「わわわ……これで飛ぶの!?」
慌ててボタンを踏むのを止め、アインスは地面に着地し、その際に重い音が響いた。
地上にいたクラリスはそれを見て腹を立て、兵士に言った。
「クソッタレ!どこの馬の骨か知らねぇがやりたい放題しやがって……ジャスティスで出る!」
「宜しいので!?」
「うるさい!あいつを止める!あんなの動きが滅茶苦茶だ!どこの誰だか知らないが……そもそも俺のMSを勝手に動かしやがって!」
もともとアインスはクラリスが操る予定であったMSだったのだが、それをレイが奪い取って、今になってはレイ専用機になってしまったのだ。クラリスは、アインスに乗っているのがレイである事をまだ知らない。
やがてアインスは歩き始めた。レイの操縦センスが良いのだろうか、彼は物の数分でアインスガンダムを少しずつ操る事が出来るようになっていった。
「よし、なんとか、行けるかも。武器さえ使わなきゃ脱出するだけだ!」
そして彼がアインスのランドセルのブースターを使い、基地から脱出をしようとした瞬間だった。
ピピピピピピピピッ
アインスガンダムの後方に熱源反応を確認。それを見たレイはアインスを後ろに向ける。
そこに立っていたのは、旧地球連邦軍のMSである、ジャスティスだった。機体のバイザー型のカメラアイがアインスの背後で不気味に光ったのだ。怒りに満ちた様子で、クラリスはレイに回線を開くよう促した。
「そこのパイロット!今すぐ止まれ!何を考えてやがる!!!」
何も知らないレイはボタンを押し、通信に応じてしまった。
そこに映った少年の姿に、クラリスは驚く。無理もない。まさか自分が追いかけていた筈の少年が、モニター越しに、自分が乗る予定だったガンダムに乗っているのを確認してしまったからだ。
「えっ……お前……なんでガンダムに!?嘘だ!!こんな奴が俺の機体を!?どうしてだ!?お前如きが何でアインスに!?」
「い、今は……逃げるしかないんです!僕はここから逃げます!邪魔をしないで下さい!!」
クラリスが驚くには二つの理由があった。一つはアインスガンダムを奪われたという事。そしてもう一つは、自分が逃がしたレイと言う少年がそのアインスガンダムに乗っている事だった。
「ふざけんな!とにかく止めるしかねえ!メンデル、アーネスト!俺に続けぇ!」
クラリスがそう言った後、残り二機のジャスティスがバイザー型のカメラを輝かせ、起動した。いずれもがビームライフルを装備している。
メンデルとアーネスト。メンデルはプチモビルスーツ大会の時にクラリスと同行した男であり、アーネストは最初にレイを拉致した時にクラリスと居た男であり、レイを逃がした男だ。これらの男達が駆るジャスティス。いずれもクラリスの部下であり、優秀なパイロット達であった。
「こいつに傷を付けるな!コクピットさえ破壊してパイロットを引きずり下ろせばいい!こんな屈辱与えやがって!覚悟しろクソガキ!!!」
怒りに燃えるクラリス。それに対し、焦るレイ。
レイにとって状況は非常に悪い。まだ操作してほんの数分でしかないアインスガンダムを操るレイと、それを止める為に起動した三機のジャスティス。レイにとっての初陣が、今始まる――
ジャキンッ
と、ある一機のジャスティスがライフルを構え始めた。
「馬鹿野郎!基地の中でライフルを使う馬鹿がどこにいる!機関砲とサーベルのみで行け!」
「了解です、中尉!申し訳ありません!」
クラリスに怒られるアーネスト。クラリスの指示通り、アーネストはジャスティスのビームサーベルを展開し、アインスに迫る。
「他に武器はないの!?このままじゃやられちゃう……」
焦るレイ。武装の検索を試みるのだが、今のアインスに搭載されている武器は頭部機関砲と背中のサーベルラックに搭載されているビームサーベル二本のみだった。
レイは相手に対して再びビームサーベルを展開。迫る、メンデルのジャスティスを迎え打つ。
「相手はド素人と見た!」
メンデルはにやりと笑う。そして、ビームサーベルを構えるアインスの懐に飛び込み、胴体を思い切り蹴り飛ばした。ビームサーベルの展開は、フェイクだったのだ。
「あああああっ!」
不意打ちを受けたレイ。そのままアインスは尻餅をつく形となったのだ。
「そいつは大事な機体なのでね!さあ、降りてもらおうか!こちらも無駄な殺生はしたくない!」
メンデルはアインスを追い込む。何も出来ないレイは、ただ、焦るばかり。
「アーネスト!黙らせるぞ!」
「了解!」
今度はメンデルの駆るジャスティスが迫った。両機体は左前腕部から紐状の武器を放出し始める。ヒートストリングスと呼ばれる武器。それによってアインス身動きが取れない上、ストリングスによる熱が彼を襲う。
「うぅ……このままじゃ……逃げないと……行けないのに……!」
機体が思うように動いてくれない。機体の操作に慣れていないレイはジャスティスを駆る二機に苦戦を強いられるばかりだった。
「抵抗するならば切り裂くぞ!」
更に悪い事に、背後からメンデルの乗るジャスティスがビームサーベルを持って襲って来たのだ。それに、メンデルの駆るジャスティスもビームサーベルを構えている。前後でビームサーベルを持ったMSに囲まれたアインス。危機的状況に陥ったレイ。
「動け……動いて!」
ヒートストリングスを腕部を使い、無理にでも引きちぎろうとするアインス。しかし強固に巻かれたそれを外す事は、並ならなかった。
「抵抗する気か!なら、切り裂いてやるまで――」
「え……!?」
アーネストの駆る、ジャスティスのビームサーベルが、アインスのコクピットに迫った。レイはこの時、“死”を確かに意識した。これをもし受ければ、死ぬかもしれない。
“死”は彼自身今まで経験したことない出来事だ。それが、今目の前で行われようとしている。あり得ないと思われた事が、起きようとしているのだ。それも、レイの脱出を手伝った人間の手によって。
ピキィィィ
その瞬間、レイの頭の中に電流が走った。この時、何故か相手の動きが緩慢に見えたのだった。
(えっ……何……この感覚……変な感じ……)
不思議に思ったレイ。だが、相手の動きは間違いなく緩慢に見える。それには余裕で対処することが出来る。
やがてアインスは間一髪ジャスティスの攻撃を見切り、自分を守る為に、すぐに背中のビームサーベルラックを展開。
「やああああああ!」
ズバァァァ
それはコクピットの部分を串刺しにし、アーネストのジャスティスを破壊したのだった。
「ちゅ……中尉!!!」
ジャスティスのコクピットの中にいたアーネストはビーム刃の熱により、消滅。ジャスティスは、爆発こそしなかったが、クラリスは一人の部下を失ってしまう形となった。
「え……?」
この時、レイは妙な手応えを感じた。確かに、人が蒸発したような妙な感覚を、その手に感じていたのである。
「人が、消えた……?」
レイ自身感じた事のない、異様な感覚。その確かな手応えの正体は、一体何か。
ただ一つ言えるのは、レイにとって恩人と呼べる人間を、MS越しという、互いに正体が分からない状況で彼は仇で返してしまったという事だ。
「貴様!よくもアーネストを!」
その際、アーネストの敵を取らんと、迫るメンデル。
「っ!」
レイも身を守らなければならない。彼は敵の攻撃に気付き、切りかかるメンデルのジャスティスに対して左手部マニピュレーターを駆使してビームサーベルラックを把持し、ビーム刃を展開。打ち合いを行った。
ビームサーベル等のビーム刃はビーム粒子と呼ばれる粒子によって構成される。これをエネルギー状に放出したのがビームライフル。一方、ビームサーベル等の刃は粒子が一つ一つ固形になり、物理的干渉を可能にする。これにより、ビーム刃同士や質量兵器等との打ち合いを可能としているのだ。
「こ、このぉ!」
レイはアインスの右手部マニピュレーターを駆使し、ビームサーベルでメンデルのジャスティスのコクピットを切り裂いたのだった。
「うわあああ!」
これにより、ジャスティスの胴体は二つに切り裂かれてしまう。
この一瞬の内に二機のジャスティスを撃墜したレイ。一瞬の出来事ではあったが、彼はこの状況を帰る事に成功した。
しかし、それと同時に、罪悪感に襲われたのであった。
(あれ、今、僕……人を二人も、殺したの……?)
人殺し。それは普通に生活している人間がまずしないであろう出来事。現代に於いても怨恨やビジネスなどで人を殺害するという事は悲しい事実で起きてはいる。
だがレイの場合はこれは、全く予期していない事だった。彼自身人を殺す気などなかったし、寧ろ自分自身が殺されるのを守る為に戦った結果である。言わば、正当防衛だ。
しかし気味の悪い感覚は、レイを襲った。人の死。それが目の前に感じられたという現実。
「よくも部下をやってくれたな!!」
しかしクラリスは彼に後悔させる暇もなく容赦無しに襲いかかる。先の二機と同様、ヒートストリングスを放出したジャスティス。しかし、アインスはそれをステップ移動で回避した。
(人を殺した……僕が!?違う……僕は人を殺してなんていない!襲ってきた敵を……倒しただけだ!違うんだ!!)
苦悩するレイ。しかしクラリスは苦悩するレイを待つことなく、迫る。
「てめぇは生け捕りにする予定だったが可愛い部下を殺した以上は只じゃすまさねぇ!!!機体はそのままに、殺してやるぞ!!!」
怒るクラリス。しかし、レイは――
「ぼ……僕は……僕は戦いたくない!人を死なせたくないんです!クラリスさん!僕を逃がさせて下さい!お願いです!」
懇願するレイだったが、クラリスはそれを許す筈もなく――
「逃がせるかよ!散々基地で暴れまわりやがって!」
ジャスティスは頭部機関砲を連射。これに対してアインスも頭部機関砲で応戦する。
「僕は……逃げるから!」
そう言ってアインスはバーニアを高出力で出しきり、やがて屋外に出た。しかしクラリスはジャスティスのバーニア展開し、アインスと同様に外に出てし追い掛ける。
「逃がさねえ!お前だけは絶対に逃がさねえぞ!」
クラリスの乗るジャスティスは頭部機関砲を撃ってきた。怒りを込めた一撃である。
「お願いです!もう、逃げさせて!!!
ガキィン
アインスは、クラリスの駆るジャスティスの頭部に向けて思いきり蹴りを食らわせたのだ。
この衝撃により、クラリスのジャスティスは地面に叩きつけられる。
「うわあああ!しまったぁぁぁ!」
たちまちジャスティスは仰向けに倒れ、機能が停止した。
「逃げなきゃ……今は……」
レイはアインスに乗ったまま、その場から姿を消したのだった。
脱出に成功したレイ。しかし、彼には“人を殺した”という紛れもない事実がある。今後、彼はそれに苦しめられる事になるかも知れない――
「ちきしょう……こんな屈辱があってたまるかぁ!」
“ド素人”と呼べるレイに、自分が搭乗する予定だったアインスガンダムを奪われた上に、敗北を味わったクラリス。その上彼は部下も亡くした。この状況に、彼はレイに対する怒りを抱える事となったのだった。
「メンデル……アーネスト……仇は取る!あいつは……次に会ったら絶対に許さねぇ、からな……糞がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
クラリスは握り拳を作り、やり場の無い怒りを感じていた。復讐心に燃えるクラリス。
この瞬間、クラリスは自身の中でレイに対し、殺意を芽生えさせていたのだった。
第四話投了。女装させられた後で突然ガンダムに乗るという成り行き回。レイはこの時にタクシー代を出してくれた軍人を殺してしまうという、ガンダムシリーズあるあるの最初の苦悩に続く話です。