機動戦士ガンダム Living Days   作:すからぁ

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日本での日常を過ごすレイだがそこで“見てはいけないもの”を見てしまう――


第二十二話 レイの悲劇

 

 薄雲から月が覗かせる時間。日本、東京にて。冬の東京は寒空が広がっている。

 そこのとある温泉施設に、レイとガーストが居た。MSの整備を終えた彼等は仲良くなっており、エリィの許可も得て、ガーストが車を出し、都内の温泉施設に来ていたのである。

 温泉。日本は温泉大国と呼ばれる程に温泉が湧いている国だ。その歴史は古代に及び、ヨーロッパ諸国では古くから労働者がその疲れを癒す為に温泉に入り、その疲労を癒やしたという。

 日本に於ける温泉は同じような役割ではあるが、どちらかといえばレジャー、観光で温泉という役割を果たす事が多い。国内は勿論、海外からもその人気は後を絶たないのだ。

 今、レイはガーストに連れられて来ていた。日本の温泉施設というものを、彼はレイに堪能して欲しいと考えていたのである。

「ふぅ……」

と、彼等は露天風呂に浸かっていた。昼間の労働の疲労を、こうした場所で癒しているのである。

「しかし、お前本当に女の子の顔、してるよな。最初おっちゃんら、皆滅茶苦茶びっくりしてたぞ?」

「僕、そんなに女顔ですか……?」

レイは、少しばかり落ち込んだ様子を見せる。

「ちゃんと形の良い“イチモツ”は付いてるし、立派な男だろ。それに、最初なよなよしてる印象があったけど、脱いでみたら思ったより身体付き良いじゃん。サッカーやってるだけの事はあるな。」

「そういうの、なんか嫌です……」

恥じらいながら、レイは言った。

レイは顔こそ女顔であるが、それなりに引き締まった身体をしている。うっすらと割れている腹筋、引き締まった臀部、僅かに作られている胸筋群。両前腕と両下腿は末端にかけて引き締まっており、均整の取れた身体付きと言える。

「けど、僕、本当に日本に来られて良かったと思ってます。色々とあったけど、こうしてゆっくりとした時間が取れるなんて思っても見ませんでしたから。」

レイの表情は、嬉しさで満ちている。故郷への想いはあったが、何よりも憧れだった日本に来れたという強い嬉しさが勝っていた。

「じゃあ、日本に住むか?」

「えっ!?それは……」

と言われると困る。帰る家があり、家族もいるのにそのような事など、出来る筈がないのだ。

「ま、実家がある以上はそうもいかないよな。住民票とかややこしいし。」

 宇宙と地球の行き来が可能になった時代ではあるが、簡単に住民票を取るのは難しいのが現状なのだ。それは、不法移民等に対する問題が大きい為である。

 この時代になり、コロニーを含めた人々は様々な居住場所に住むようになっていた。国籍や人種問わず、それぞれの国の良いところや住み易さ等を見て、住所を決めている。従って、学校も様々な顔触れが揃いやすい。西洋系の顔立ちの者も居れば、東洋系の顔立ちの者もいる。レイの通う学校も例外でない。

「それにさ、地球上でデウス帝国出身って言ったら誰もが嫌な顔するんだよ。」

「どうしてですか?」

湯船に浸かりながら、レイは首を傾げる。

「デウス動乱は、デウス帝国が戦争を仕掛けて来た……って言われてるんだよな。それが大きいんだよ。」

この時代の歴史の認識としては、デウス動乱が起きたのは冷戦状態だった地球連邦とデウス帝国の緊張状態を破ったのが、デウス帝国軍であると認識されている。

「地球に侵攻してきたデウス帝国を許さないって思う人間が多い。コロニーと地球間の行き来は確かにし易くはなっているけど、デウス帝国の人間は住民票を地球側に移すってなると、明らかな差別を受ける。」

「差別……ですか。」

「そう。今の世界情勢では、デウス帝国の人間は、堂々と地球で住むことが出来ないんだよ。だから不法移民が後を絶たない。それで宇宙へ送還しようとお偉いさんはぼちぼちと動いているんだよ。まあ、ぼちぼちとだけどな。」

デウス帝国は敗戦した。そしてデウス帝国軍はその力を失った。その為、Cコロニー14群に滞在するデウス帝国の国力は大幅に弱体化。その国としての機能も成り立たなくなりつつある状態だった。

 それ故に、地球へ移民しようとする人間が多い。だがそれは簡単に行く筈がなかった。先程ガーストが言ったように、地球ではデウス帝国の人間は差別をされる為である。

「えっと……じゃあ、ネルソンさんって……」

ネルソンはデウス帝国出身だ。だが彼は今、セイントバードチームのクルーとして同行している。彼は不法移民なのかと、レイは疑問を抱いた。

「まあ、不法移民って言い方は悪いけれど、今の連邦に多額の金銭を渡せばそれも見逃される事が多いって話だ。恐らく、ネルソンさんはそれで今も地球に居るんだろうな。」

ネルソンは地球に住所を持たない。それはエリィも同様であるが。それ故に、セイントバードチームが成り立っていると言える。それは戦後、MS乗りが多数存在している事からも、住所不定者が多いのが事実なのである。

「どうして、そんな事が?」

「今の新生連邦がどういう訳か軍備増強ばかり進めるから、こうした事にまともに取り組もうとしてないんだよ。だから言ったろ。“ぼちぼち”と動いてるって。そして、場所によっては治安も悪くなってるんだぜ。まあ、当然の結果だよ。」

ガーストは、湯船で顔を洗い、言った。バシャ、バシャと湯が弾ける音が響く。

「ガーストさんも、お金を渡してここまで来たんですか?」

ネルソンが金銭を連邦に渡す事で不法移民を合法的に認められている状況ならば、何故ガーストはそれをしないのかと、彼は疑問を抱き、聞いた。

「いや、俺の場合は金がない。しかし、今のデウス帝国の本国のある、Cコロニー14群は、敗戦後に連邦の自治下になって、行政としても不利な状況になっている。金を取られ過ぎて貧困の状況だ。とても、住める状況じゃない。だから一か八か、俺は戦後になってプレーンと共に地球に渡った。けれど、案の定どこの国も門前払い。デウス野郎を受け入れられるかって酷い仕打ちを受けたもんだ。」

「そんな、ガーストさんは何も悪くないのに……」

レイの表情が暗くなる。

「しかもデウス出身って分かった瞬間、多額の税金を要求しやがる。明らかに不等な差別だよ。けれど、これが敗戦国の果てなのさ。」

はぁ、と、ガーストは溜息を吐いた。その息は、湯気と共に空を舞う。

「まあ、俺はデウスを最終的には裏切ったんだけどな。こういうのは、結局組織がやらかせばその皺寄せが所属している組織の人間にも来るのが当然なんだよ。一部の人間がやらかしてくれたせいで、真面目に生きる人間が迷惑被るってのはいつの時代も一緒だな。」

差別や偏見は、結局はその組織の一部の過激思考の人間が思わぬ行動をとる事により、生じる事が多い。それは真面目に活動している大半の人間にも悪影響を及ぼす事がある。デウス帝国軍の戦争ではあるが、戦争をする事を決めたのは軍の上層部であり、一般市民や下層部の人間はただ、迷惑を被るだけなのだ。

 真面目に何らかの事を取り組んでいる人間がいる。しかし、その人間が所属している組織の人間の一部の者の行動が非常識的な行為をした場合、その全体が偏見で見られる事がある。それが差別、偏見を生み出す大きな要因となるのだ。そうなってしまえば、いくら真面目に活動している人間が何らかの主張をしても、偏見の目はそう簡単には覆らない。レイと仲良くなったガーストは、こうした影響を受け、生きているのである。

「レイ、デウス動乱がどうして起きたか知ってるか?」

「え?それはデウス帝国が侵攻してきたとかって話……ですよね?」

それを言った時、ガーストは首を横に振った。

「実際は違う。当時の地球連邦軍内部の反乱軍って連中が、デウスの民間コロニーを襲撃したのが原因だ。実際の歴史じゃデウス帝国が悪者扱いされてるけど、諸悪の根源は連邦の中の反乱軍って連中なんだよ。」

「そうなんですか!?そんなの、歴史の授業でも習ってないですよ!?」

レイは驚愕した表情を見せた。彼が知っている歴史の内容と、大きく異なっている内容を、今聞かされたからだ。無理もなかった。

「無理もないぜ。歴史上じゃ隠蔽されてるって話だしな。」

ガーストの表情は、どこか虚ろだった。レイはそっと彼に近づき、聞く。

「どうして、ガーストさんはそんな事を知ってるんですか?」

そう言われた時、ガーストは空に浮かぶ月を見つめた。

「その襲撃された民間コロニーの生き残りが、俺だからだよ。」

 

 

今から十五年前。デウス帝国領の民間コロニー内にて。

円柱状のコロニーの外壁には、三機のMSが居た。それらはコロニーに侵入した後に、民間人が住まう、居住区に侵入。罪なき民間人を容赦なく、虐殺した。明らかな無差別攻撃。人間がしてはいけないとされる、愚業だった。

その後デウス帝国のMSがこれらのMSを撃墜した。しかし、その際にパイロットの一人が言った台詞が、後に十年という長きに渡るデウス動乱の開戦のきっかけとなったのであった。

 

――――――――――――――くたばれ、デウス野郎――――――――――――――――

 

そのMSは地球連邦軍の所属の機体だった。その事がきっかけで、デウス帝国は地球連邦軍へ宣戦布告したのである。

 その民間コロニーに住んでいたガーストは当時五歳。両親は殺されており、彼はデウス本国に保護された。その後十歳になり、彼はデウス帝国の兵士として戦争を戦い抜くことになる。

 

 

「数年後に廃墟と化した故郷のコロニーに訪れた時にさ、落ちていた日記を見つけたんだ。そこには連邦軍のMSが襲撃したってはっきりと書いてあった。そして、その時の連邦軍のMSの跡を調べた所……その所属が当時の反乱軍が所有している機体だって分かったんだよ。」

ガーストは、当時の現況を知る、数少ない人間であったのだ。レイはこの時、今まで自分が習ってきた事と違う話をされ、ただ、混乱していたのであった。

「けど実際は連邦軍が勝利した。だからこの事はデウス帝国が宣戦布告したっていう事が歴史上では事実となってるんだよ。」

「理不尽だとか……思わなかったんですか?」

「理不尽には感じた。でも俺は今、愛する人と地球で暮らせてるからあんまり贅沢は言わない。不法移民でもなく、ちゃんとしたデウス帝国出身者として暮らせてるんだからな。ま、公には出来ないのが玉にキズだけれども。だからこうして温泉にも入れるって訳。」

彼の過去を聞き、レイはただ、驚くのみ。全く自分が知らない出来事が、過去に起きていたという事に、只驚愕する。そして、改めて、彼は自分が平和な世界で生きて来たのだと感じたのであった。

「でも、気になる事があります。お金を渡さないで、どうして日本に住む事が出来ているんですか?」

ここで、レイは疑問を抱く。彼の過去に

様々な事があったのは分かる。しかし問題は戦後だ。彼はデウス帝国の出身として、堂々と日本に暮らすことが出来ている。これは何故なのだろうか。

「シュアーさんのお陰なんだよ。これも。」

「昼間の、あの人の?」

「そう。あの人、ああ見えてコネクションが凄いんだぜ。日本政府の高官とも関係を持っているぐらいだ。そのコネクションを使って、俺を受け入れてくれた。まあ、代わりにジャンク屋で働くという条件付きだけどさ。」

セイントバードが日本に着艦許可が下りたのは、シュアーのコネクション故なのである。関西弁が特徴的な男性ではあるが、彼が居なければセイントバードは日本に降り立つ事が出来なかったのだ。

「仕事しながらでも、俺には愛する彼女が待ってるから、幸せに生きられてる。まさかエリィさんに出会うなんて思いもしなかったけどさ。ハハハ!」

先程までの真剣な表情は何処へ行ったのか。ガーストは、笑顔を見せた。レイはそれを見て、自然に笑みを浮かべる。

「ところでさ、“愛する彼女”で気になったんだけどさ。お前って好きな人とか居るのか?」

「え!?すすす、好きな人……ですか!?」

突然の質問に動揺するレイ。まるで流れるように質問をされ、彼の表情は一度に赤面をしたのだ。

(す……好きな人……それは……それは……それは……)

好きな人。異性として認識している人間。それが最初に浮かんだのは、故郷にいる、リルム・エリアスだ。幼馴染である彼女の事が、突如頭から離れない。この一ヶ月余りで多くの出来事を経験したレイだったが、恋話に関して質問をされたのは久しぶりであった。

 ガーストは、何気なく彼に質問をしたつもりだったのだが、彼は明らかに動揺している上、目が挙動不審であった。キョロキョロとしており、ただ、慌てているだけ。

(エリィさん……はその、好きとか……じゃないけど……身体が奇麗な人で……でも……好きって言われたら……その……リルム……なのかな……って……ええと……ええと……ええと……)

次の瞬間、レイの顔色が赤く染まっていた。そして、そのまま動かなくなってしまったのだ。

「おい、レイ!?レイ!!」

慌てるガースト。彼はそのままガーストに連れられ、風呂の外に出る事になったのだ。

 

 

レイは湯あたりしてしまっていたのだ。ガーストに連れられ、ソファーにて、ぐったりと、横たわっている。彼は普段、長湯に浸る事は無い。ガーストの話を聞いている内に、次第にのぼせて行き、ぐったりとしてしまっていたのであった。

「はぁ……ふぅ……はぁ……」

深呼吸をするが、視界はぼんやりとしたままであった。

「おい、大丈夫か?」

「は……い……なんとか……」

そうは言うが、彼の顔色は紅潮したままである。用意されていた浴衣を羽織り、レイはただ、呼吸をするのみだ。

 

「あれ?君、もしかしてレイ君?」

湯あたりで苦しむレイに、どこかで聞き覚えのある声が。ぼうっとするレイは視界を意識的に広げていく。

 その時、彼の目に映ったもの。それは、眼鏡を掛けている女性の姿だった。

 その女性には見覚えがあった。だが、この時、彼は名前が出てこなかったのである。

「ほら、覚えてない?アムンだよ!アムン・ディース!ヒューナと一緒に居た!」

「アムン……さん……ええと……?」

視界がぼんやりとしているレイ。目は薄く見開かれ、その輪郭が少しずつ分かってくる。

 やがてじっと見ていると、覚えのある顔が浮き出て来た。アムン・ディース。モントリオールのイベント会場で、レイを女装させる事を提案した人間である。

「えと……えええええ!?」

レイが驚くのも無理はなかった。まさか、このような所で再開するなど予想もしなかったからだ。

「あああああ!やっぱり君の反応女の子みたいだねぇ!男の子って感じじゃないわ!あああああ!」

一人で高揚しているアムン。だがレイはそれを見ても困惑しか出来ない。

 そもそもモントリオールに居る筈のアムンが、何故日本に居るのか。訳が分からない状態で、彼はただ、混乱していた。

「おお、奇遇だな。」

「師匠も!偶然ですねぇ!」

「師匠……?へ?え?」

羅列する単語が分からない。師匠?何の事だろうか。

一つ分かる事は、アムンは、近くにいたガーストと知人関係のようだ。何故、“師匠”と呼んでいるのかは不明だが、この事がレイを余計に混乱させる。

「あれ、レイはアムンと知り合いなのか?」

ガーストは、顔を覗かせ、レイに聞いた。

「知り合いっていうか……一回しか会ってないですけど……てか、どうしてここにアムンさんが……?」

紅潮したまま、レイは起き上がり、座位姿勢を取る。瞬きし、アムンとガーストが並んでいる光景を見た。

 片や同じ故郷から出て来た女性。片や日本で知り合った、元デウス軍の青年。この異色の組み合わせに、レイは混乱している。

「あああああ!その顔も艶っぽい!男の子じゃないよ君!女の子!Eフォンで撮っちゃおうかな!」

と、アムンはポケットに入っていたEフォンでレイを撮影しようとした――

 

バッ

 

と、ガーストがそれを止めたのだ。

「師匠?」

「あんまり無暗に写真を撮るもんじゃないぞ。肖像権ってあるんだからな。」

「はぁい。」

ガーストに言われ、アムンはしぶしぶ、Eフォンをポケットに戻した。

「あの……ガーストさん。アムンさんとはどういう関係なんですか?」

レイは一番気になった事を聞いた。何故、アムンとガーストが知人関係なのか。そして、アムンは何故、彼の事を“師匠”と呼ぶのか。訳が分からない状況で、レイはその疑問の一つ一つを解消しようと聞くのだった。

「SNS繋がりの知り合い。彼女アニメとか滅茶苦茶詳しくてさ、日本に来たら紹介してあげるって言ったら本当に来た……みたいな感じ。今回で二回目なんだよ。まあ、今回は偶然だったけれども。」

「師匠にはお会いする予定だったんですよ〜!」

それを聞き、少しは状況の把握が出来た様子のレイ。そして、次の疑問に移る。

「あの、師匠ってどういう……?」

師匠。本来ならば弟子と呼ぶ人間がその人間に対する敬称。しかし、SNS繋がりのアムンとガーストは、一体どのような関係なのか。何故、師弟関係と呼べる関係なのか。レイはただ、疑問だったのである。

「アムンが呼びたがってるだけ。なんか俺があるアニメに出てくる師匠キャラにそっくりだから、師匠って仇名、付けてるんだよ。特に大した意味はない。」

(ネルソンさんの、“大尉”みたいなものなのかな)

仇名はその人をより親しく呼ぶ為に使える手段の一つである。しかし、当人がその名を不快に思えばそれは侮辱に当たる。逆に、当人が納得して使えばそれはより良いコミュニケーションツールになり得る。

ただし、それを第三者が理解する事は難しい。より親密な関係性を持つ人間でなければ、その判断は難しいのである。

 ガーストの場合、特に気にしている様子はない。呼びたければ呼べば良い……というのが、彼なりの考えなのだ。

「師匠とレイ君がまさかの知り合いだったなんてー!!なんか、偶然って続くんですねぇ!てか、さっきまで二人でお風呂に入ってたんですか??」

「え?見て分からなかいか?明らかにレイ、のぼせてるし。」

何気なく、ガーストが言った後、アムンは急に自身の顔を手で覆い始めた。

「あああああ!禁断の関係!師匠とレイ君の入浴!あああああ!そんなシチュエーションがあるなんて!!!!!」

(え……この人……)

一人、高揚しているアムン。何の事を想像しているのかは不明だが、レイには奇妙に思えた。

 この頃、僅かではあるがレイの湯当たりは少しばかり、緩和している様子だった。顔色も元の白色に戻り、視界もはっきりと見えるようになっていた。

「というか、そもそもどうしてレイ君は日本に来ていたのー?学校は?」

モントリオール出身者であるアムンは、レイがここにいるのに疑問を抱くのは当たり前だ。

 彼は故郷を離れて一ヶ月余りが経過している。その中で、まさか地元の人間に会うなど思いもしなかった。これに対し、レイはどう言い訳をすれば良いかが、分からないでいた。

 困惑するレイ。すると、傍にいたガーストが言った。

「まあ、そういうのはあんまり詮索するもんじゃないんじゃないか?人間、色々と事情があるんだから。アムンもせっかく日本に来たんだからゆっくりしたらいいじゃん。」

まるでレイをフォローするかのように、ガーストの言葉が遮る。アムンはそれを聞き、気にする様子無く言った。

「まあ、そうですよねぇ!師匠!少しお話ししましょうよー!この前のアニメなんですけど――」

この後、アムンとガーストは少しばかり会話を楽しんだ。

 まさか、故郷の人間に会うという偶然はあったものの、僅かにレイは心から安らぎを覚えていた。

 遠く離れた場所で、地元が同じ人間に会った時、人は非常に親近感を湧くものだ。今のレイが、それに該当している。アムンとはそれ程知り合いという訳ではないが、それでも、今のレイの心を満たすのには十分だった。ただ、彼の経緯は決して語れる内容ではない。

 

 

 

 レイは夜遅くにガーストに、車でセイントバードまで送ってもらっていた。そして、一晩をそこで過ごす。日本に着いてから初日。彼にとっては、良き話し相手が出来た日でもあった。

 翌朝。ガーストは勤務の為に空港まで来ていた。再びレイと会い、互いに作業を行う。ガーストは給料の為、レイは自身の経験の為に、作業を行なっていた。

 すっかり仲良くなった両者。この日も仕事終わりにガーストに連れられる形で、再び東京内を移動していた。

 繁華街付近をガーストと歩いていた時、レイはある、一人の少年の姿を見た。黒い髪色の、小柄な少年。彼は黒い鞄を持ち、走っている。

「あれ?」

「ん、どうした?」

「あの子、追われてませんか?」

レイよりも幼いその少年。だが、様子がおかしい。“何か”に追われている。そのように、見えたのだ。

「待てクソガキ!!」

一人の男の声が響く。少年は路地裏に入り、逃げる。

 男の数は三人だ。いずれもが、黒服を着ている。年端も行かない少年を、何故三人の男が追いかけているのか。その異様な光景にレイは疑問を抱く。

「事件か?なんか、嫌な予感がするな。」

そう言うのは、ガーストだ。

「なんか、気になります!」

そう言った後、レイはすぐに後を追いかけた。

 クラリス・デイルに囚われた時が一度あったが、彼は好奇心が旺盛な人間である。明らかになんらかの事件かも知れないと思ったレイは、すぐに反応し、その後を追いかけたのである。

「ちょっ……レイ!?」

レイが路地裏に入るのを見たガーストは、すぐに追いかけたのだった。

 

 

 

 路地裏にて。少年は三人の黒服の男達に追われている。狭い路地裏。少年のような小柄な体躯ならば駆け抜け易いが、男達にとってはやや通り辛い通路だ。

 その中で、少年は劣化していた階段の傍に駆け込んだ。幸い、男達はその様子を見ておらず、そのまま過ぎ去る。

「クソッ、見失ったか!」

と一人の男が周りを見渡す。と、その時に男はレイの姿を見た。

「お前、さっきこの辺に子供が通ったのを見なかったか?」

レイに聞く、男。これに対し、レイは

「見てました。あっちの方に行きましたよ。」

と、指差した。男達は皆、レイが指差した方向に走っていった。

この時、隠れている少年はそっと、男達が過ぎるのを見守った。そして、一息、深呼吸をする。自身を落ち付かせるかのように――

「君、大丈夫?」

「わ!?」

声を掛けられ、驚いた少年は思わず声を出そうとした……が、口を塞いだ。声を出せば先程の男達に見つかるかも知れないと感じたからだ。

「さっきの人達は去って行ったよ?」

レイは笑みを浮かべ、言う。しかし少年はレイを警戒している。何者か、分からないからだ。

「お前、何者だよ。」

ギロリと、睨む少年。レイは少し怖さを感じたが、彼の目を見て、言った。

「レイ。レイ・キレス。君が追われてるの、気になって……」

レイは困った人間を放って置けない人間である。特に、今回のようなケースは珍しい。何があったのかと聞こうとするレイ。

「……お前に関係ないだろうが!この野郎!」

 

スッ

 

少年の肘部から、光る“物”が見えた。それを見たレイは一歩、後ろへ下がる。

 辛うじてそれを避けたレイ。少年が持っていた物……それは、ナイフだったのだ。

「何のつもりで俺に声掛けてるか知らねえけど、こっちは人殺しだってした事あるんだぞ!」

普通に考え、年端の行かぬ少年がナイフといったものを所持する事自体、本来ならばありえない事だ。しかしそれは、レイがごく普通の環境で育ってきたからこそ言える事であり、目の前にいる少年の場合はこの限りではないかも知れない。

「君、どうしてナイフなんか……?」

やはり、何か訳がある。少年の行動を見て、レイはより、一層近づこうとする。

「何のつもりだよ!お前っ!」

 

ブンッ

 

少年は、ナイフをレイの頬に当てた。僅かに赤い鮮血が、伝って流れる。

「っ!」

痛みは伝わる。しかし、何故だろう。この少年がナイフを持ち、彼に危害を加えてもレイは恐怖心を感じなかった。

 レイの様子を見た少年は、明らかに驚いていた。人に危害を加えた時、それを愉悦に感じる者が世にはいる。しかし、この少年はそれに対して驚愕した。つまりは、抵抗があるのだろう。

「お、お前……ナイフ怖くないのかよ……!?」

明らかに動揺している少年。それに対し、レイは言った。

「怖くない事はないけれど、どうしてか、君が放って置けない気がして。」

レイ自身、どうしてこれ程冷静なのかは不明だ。この一ヶ月余りの出来事が、もしかすれば彼を強くしたのかも知れない。

 死と隣り合わせの状況を生き延びたレイは、いつしか僅かな恐怖を感じる事も、少なくなっている様子だった。死と隣り合わせの経験は、より一層、人を成長させるのだろうか。

「黙れ……黙れ黙れ黙れ!!!」

明らかに動揺している少年。レイを見て、逃げ出そうとしている彼。

 

バタンッ

 

慌てていた少年は黒い鞄を落としてしまった。更に悪い事に、そこから中身が飛び出した。

 黒い鞄の中身は札束だった。それが多数に渡り、散らばっている。明らかに異質なその光景を見て、レイは目を疑っていた。

「お金……!?」

 この時代においても“現金”は現役だ。キャッシュレスと呼ばれていた時代があり、その流れはこの時代において更に進歩している。この時代に生きる人々の大半は現金を持たず、クレジットカードや電子マネーといったものが主流である。しかしこれらはやり取りが履歴に残る。それを良しとしない者も、一定数存在する。現金の文化が残っているのは、それ自体を重んじる者がいるのが理由である。しかしそれが原因で、暗躍する裏社会の人間の資金源となりやすいのも、また、事実なのだ。

 レイは多額の現金を目の前にし、それが“あってはならない”ものであるものであるというのを一目見て、理解した。

「ああ、しまった!」

少年は動揺した様子で、急いで札束を拾い集めようとしていた。が、レイはそれを止める。鞄を少年から、奪い、言った。

「これ、盗んだんでしょ。どうしてそんな事を?」

レイの言葉は冷静だ。それは相手が少年であるからなのかは不明であるが、何故か、レイは彼の事が放って置けないのであった。

「うるさいんだよ!女の癖に!ふざけんなよ!!」

「僕は男だよ!それより、教えてくれないの?」

レイは怒りながらも少年に聞く。

「教える訳ないだろうが!大事な金なのに!返せよバカ!!!」

 

バッ

 

と、少年は無理にそれを奪い、そこから逃走しようとした――

 

「ゼオン!」

と、声を掛ける少女の声が、聞こえた。

レイはその声の方向を見る。ボブショートの髪形に、大人びた顔立ち。茶の髪色。何らかの盗みを働いた、少年の関係者だろうか。

その時、少年は苦笑いを浮かべて、少女と話し始めた。

「ハハ……嘘だろ。なんでエレン姉ちゃんがここにいるんだよ。」

その台詞から、少女は少年の姉だと言う事が分かる。身長はレイと同じぐらいで、容姿端麗である。レイから見れば、少女と言うよりは、一人の女性にしか見えなかった。それだけ、大人びて見えたのだ。

呆然とその少女を見ていると、突然彼女はゼオンに言った。高らかであり、どこか幼げであるその特徴的な声も、魅力的だった。

「ゼオン……貴方……また、そんな事を……」

「仕方ねぇだろうが!こうしないと、生活して行けない!もう俺達が普通に生活するには、これしか――」

 

パシィ

 

少女は彼に思い切り平手で顔を打った。ゼオンは目を疑い、少し目を潤す。

「姉ちゃん……?」

「馬鹿ゼオン……そうして非行に走り続けて、その先に何があるの……?」

「う、うるせえ……関係ないだろ……」

彼女を睨むが、どこか悲しそうだった。その際、少女はレイを見た。見知らぬ人間が隣にいることに違和感を覚えたのだろう。

「貴方は?」

「あ……えと……この子が追われているのを見て、気になって……」

「そうなんですね……じゃあ、ゼオンを助けて頂いたんですね?ありがとうございます。」

と、少女は一礼した。それに対し、レイも一礼する。

「姉として、この子の非行は許されざる事じゃないのは分かっているんです。けれど……この子は止めないの。どうしても……」

寂しげに、語る少女。と、同時に、思い出したように言った。

「自己紹介がまだでしたね。私はエレン。エレン・ニーマード。この子は、ゼオン・ニーマード。」

現金とナイフを持っていた少年はゼオンという名だった。自身からは名乗らない為、姉のエレンが名乗り出たのである。

「その頬の傷、まさかゼオンが?」

すると、エレンはレイの頬に触れ、すぐにガーゼ処置をした。応急処置用の用具を、常備していたのだろう。

 その美しい容姿の少女に触れられる事は、レイにとって驚きだった。その様子から、優しい少女である事が分かる。

「こんなに可愛い顔立ちの女の子なのに、傷つけて……ゼオン、謝りなさい。」

ガーゼ処置後、エレンはゼオンを睨むように見た。しかし、ゼオンは謝る様子を見せない。

「こいつが一方的に聞いてきたんだよ……それにそいつ男って言ってたぞ……!」

声が震えつつも、ゼオンはレイの事を“男”とフォローした。

「あ……失礼。」

「いえ……こちらこそ、ありがとうございます。」

と、レイは改めてお礼を言う。

 どういった事情があるのかは分からない。非行に走る少年と、穏やかな姉。何故ここに、この姉弟(きょうだい)がいるのかも不明だ。

レイは、これだけ綺麗な女性……いや、少女が同い年だと思えなかった。丁寧な口調が大人びており、彼は再び呆然とした。

「この子は元々盗みを簡単に働くようなことはなかったんです。全て……あの時以来から……いえ、やっぱり……あの時ゼオンをこのようにしたのは……お父さんやお母さん……」

「姉ちゃんは黙ってろよ……」

ゼオンはエレンが喋ろうとする言葉を遮った。この時にでも既に、レイにとって気になる台詞が登場していた。

(お父さんやお母さん……?)

そのワードは、レイに興味を抱かせる。だが、先程のゼオンのように、安易に聞くことは控えた。

「とにかく、俺は急いで行かなきゃならないんだよ!組織に金を届ける為にな!」

ゼオンはレイをじっと睨みながら、まるで隙をついたように逃げ出した。追おうとするレイ。しかし、ゼオンの足は速い。追いつく事も出来ないまま、逃がしてしまった。

「あの子……」

行くゼオンを、ただ見守るエレン。一体この姉弟にはどのような事情があるのか。そして、弟のゼオンが言っていた“組織”とは何を示すのか。

「あのお金は、どうやって盗んだお金……なんですかね。」

レイは少しばかり、気になる事を聞いた。それを聞き、エレンは静かに頷く。

「恐らく、日本の犯罪組織とかから盗んだお金だと思います。私、どうすれば良いのか……分からない……」

その場で、エレンは姿勢を崩した。レイは彼女を介抱するように、その姿勢を変える。

「ありがとう、優しいんですね、貴方は……」

「そんな事、ないですよ。」

弟想いの姉なのだろう。その姿にレイは妹を世話する自分と照らし合わせていた。別に特別な意図はないのだが、どうしてか、エレンが放って置けなかったのだ。

「そう言えば、名前、聞いてなかったですね。」

「僕は、レイ・キレスです。」

「歳は?」

「十四歳です。」

「え……同い年……まさかだね。」

レイは目をパチパチとさせた。目の前にいる奇麗な少女が、同い年という事実。彼女はどこか大人びていて、背もレイより2、3センチ程高い。それ故に、落ち着いた印象を受けていた為、驚いたのだ。

「じゃあ、敬語使わなくていいね。」

「あ……えと……うん。」

妙な感覚ではあったが、レイは静かに頷く。

「なんか、変な事に巻き込んじゃったみたい。ごめんね。」

すると、エレンはすっと立ち上がった。その際に映った彼女の目が、どこか、印象的だったのだ。

「私、ゼオンを追い掛けなきゃ。また、会えたら良いね……レイ。」

最後に、エレンは笑みを浮かべ、路地裏から去って行った。

 この僅かな時間ではあったが、レイは妙な出会いを果たした。盗みを働く少年、ゼオン・ニーマードと、その姉、エレン・ニーマード。彼等が何者なのかは分からないが、この僅かな時間はレイの中に、印象に残る事になる。

 

 

「レイ、何があったんだ!?大丈夫か?」

そう言うのは、追いかけてきたガーストだ。入り組んでいた場所だった為、探すのに苦労していた。

「さっきの子供はどうなったんだよ?」

ガーストの質問に、レイは

「いえ……何でもないです。」

と、あえて答えなかったのだ。非行に走る少年とその姉と出会ったという話。それを言う必要はないと、レイは判断していたのである。

「頬のガーゼは?」

「これも、さっき転んじゃって……」

と、無理に取り繕うレイ。少し疑問を抱くガーストだったが、あえて詮索はしないでいた。

「まあ、お前が無事なら良かったよ。何らかの事情があるんだろうけど、あんまりああいうのは下手に首を突っ込むもんじゃない。急に走り出したからびっくりしたよ、いや、ホント。」

先程の光景は何だったのだろうか。僅かな出来事とはいえ、レイにとっては印象に残る出来事であったのだ。現金を盗む少年とその姉という異色の組み合わせは、レイの心を捉えて、離さなかったのである。

 

 

 少し時間が経ち、路地を歩いている両者。ガーストは先程の事が気になる様子ではあったが、レイは口を開く事はなかった。それに対し、ガーストもあえて深く聞こうとはしなかったのだ――

 

「はいどーも!エレチャンネルですぅ!!!」

それは、余りに突然過ぎる出来事だった。レイは、ある少女に声を掛けられたのだ。

 少女とは言っても、彼よりも年齢は上だろうか。マスクを付けており、桃色の髪色にツインテールの、派手な外見の少女。背丈はレイよりもやや高い。そして何よりも、異様なテンションの持ち主の少女が目の前に現れたのである。

「えーっと……?」

当然ながら困惑するレイ。それを見た少女は笑顔で言う。

「突然ですけどごめんなさいねー!街角インタビューみたいな感じなんですぅ!ちょっとお時間頂ければーっと思いましてねぇ!あ、そんなにかからないです!多分10分ぐらいかなぁ?」

レイは困惑している。が、一方ガーストはその少女に対し、見覚えがある様子だった。

「エレチャンネルのエレア・シェイル!動画いつも、見てるよ!」

「あ、いつも視聴ありがとうございますー!」

ガーストと、その少女は握手を交わした。それに続くように、少女の周りには人が集まっていく。

「エレチャンネルだ!」

「いつも、え、こんな所で?」

この様子から、少女は有名人であることが分かる。昨日休憩時間にガーストが見ていたのも、この動画投稿主が投稿している動画だったのだ。

「その中でも幸運にも選ばれた貴方ぁ!是非インタビューにお答え下さいねぇ!!」

と、目元が笑顔の少女に連れられ、レイは戸惑いながらも繁華街の端の所に連れられた。ガースとはそれを、ただ見守るだけ。動画視聴者である彼は、レイに対して手を振っていた。

 この時、天気は曇り空。今にも雨が降り出しそうだった。

 

 レイはこの後エレアと名乗る少女から様々なインタビューを受けた。国籍や、東京へ来た目的や、学生であるか等。レイは十四歳の少年であり、答えられる内容は限られるが、彼なりに工夫をしながら答えていた。

 やがてインタビューは終わった。そこまで深い内容を聞かれることはなかったので、本当に、ただの突撃インタビューをしたいだけなのだろう。

「今回インタビューした内容は動画作成の参考にさせていただきますぅ!十四歳ってのにびっくりしたけど、色々話聞けて良かったよー!ありがとうね!」

笑顔で話すエリアに、レイは苦笑いで答える。

(こういうのって、趣味でやってるのかな?)

何気なく、レイは思っていた。

 彼はEフォンで動画類を拝見する事は時折あるが、こうした素人の動画投稿主が糖擦る動画はあまり見ない。彼が見るのは有名人の公式動画や、音楽の動画、サッカーの動画、アニメ等といった種類に限られる。

「わざわざカナダから日本に来たんだねぇ!家族旅行か何かかな?色々と欲しい化粧品は見つかったー?」

「あの、僕は男ですよ?」

「え?そうなんだぁ?見えないなあー」

と、またしても少女に間違えられるレイ。最早、これも恒例行事となりつつあると、レイの中で思っていた――

 

(箱……?)

その時、ふと、レイの目の前に大きな箱が見えた。エレアが用意した箱なのだろうか。しかし、何故このような箱があるのか?

「ごめん、少し離れるねぇ!」

ツインテールでマスクを付けた少女は、急いでその場から去る。何やら、少しばかり慌てている様子だった。

 

 残されたレイ。目の前にあるのは、異様に大きな箱。エレアの私物だろうか。しかしハイスクールの生徒が何故このような大きな箱を持っているのだろう。それが妙に思えて仕方がないのだ。

「気になる……けれど、良いのかな……?」

無論、他人の私物を勝手に覗く事は基本的にはしてはいけない事だ。個人の嗜好等が分かってしまうことは、人によっては大きく傷をつける要因になりかねない。

 だが、エレアはインフルエンサーと呼ばれる人間である。再生数は常に七桁をいく、有名な動画投稿主であり、こうした有名人の私物というのはやはり、興味が湧く。

 レイがそう感じた時、彼の手は箱を開けてしまっていたのであった。それはまるで、ギリシャ神話で伝えられている、パンドラの箱を開く時のような感覚であった――

 

ギィィ

 

重い音が、聞こえる。そして、箱を僅かに開け、興味を示したレイ。

 

「こ……れ……?」

スーツを纏った人間の足が、レイの目に映った。切断面もハッキリと、映っている。下腿の脛骨や前脛骨筋をはじめとした筋繊維の断面が、ハッキリと。

 生々しいというものでは済まない。明らかに、本物だ。ハロウィン等で使われる仮装用の衣装では、ないというのはレイに理解出来た。

 その間は、一瞬の出来事だった。見てはいけないもの。彼は、それを見てしまったのである。

 

バタンッ

 

すぐにレイは箱を閉じた。彼の額には汗が流れている。今、レイが見たものは忘れなければならないもの。彼の本能が、それを諭す。

 見てはいけないものを見た。それは、レイ自身理解している。だが、何故だろうか。彼はそこから逃げ出そうという行動に、移す事が出来なかったのである。不自然な呼吸が出る。脈拍が早まるのが分かる。それは怖さなのか、人の切断された死体という、普通に生活をしていればまず見ることのないものを見たという事実は、彼の中で強烈な印象を残した。

 怖い。ただ、怖い。レイは今まで人殺しをした事はある。だが、それはMSに乗った上の話である。

 今回のように直の死体を見たのは、当然ながら生まれて初めてだったのだ。

「あ、ごめんなさいねぇ!」

びくり、とレイは反応した。まさか、動画投稿主が殺人を犯すなど、ありえない筈だ……と、彼は感じている。

 レイは表情を殺すように努力した。もし汗をかこうものならば、真っ先に疑われる。その、“箱の中身”見たということを。少なくとも、インタビューに答え、早くここから去れば良いのだ。

 箱の中身が見えた事は衝撃以外何者でもない。だが、彼女は幸いレイの好奇心に気付いている様子は、今の所無いように見えた。

「えっと、はい!ちょっとしたお礼です!」

と、エレアは紙を渡す。恐らく、謝礼文のようなものなのだろう。

「えと、こちらこそありがとうございます。」

平静を装う。万が一、発覚すれば何をされるかは分からないからだ。この時、レイはエレアの目を見ていなかった。

「良い経験になったと思えれば良いですねぇ!えへへ!」

と、言うエレア。レイは彼女の表情を、一目見た――

 

そこにいたのは、先程までの桃色の髪色をした少女ではなく、青い髪をした、マスクを外している少女の姿だった。先程の少女はどこへ行ったのだろうか?

 一番奇妙なのは、声がエレアと一緒だと言う事だ。先程までの桃色のツインテールの髪の少女は、今ここにはいない。そして、何よりも目が笑っていない。

「汗、掻いてますね?冬なのに。それに不自然な表情してますねぇ。」

少女の声は少しずつ、落ち着いたものになっていく。

「早くここから去りたいって顔してない?君。」

レイの表情を観察する、青髪の少女。明らかに、レイは動揺している。指先にも汗が伝わる。

 人は何かを誤魔化したりする時、余程嘘が得意でない限り明らかに動揺する。何不自由なく、比較的ごく普通に育てられた人間は嘘を取り繕う事は、余程そうした訓練をしない限り、全てを隠しきるのは難しい。

 彼の考えは甘かった。インタビューを受けれ、そのまま帰れば良いと、思っていたレイだったのだが、ほんの、僅かな好奇心が彼を危険な目に遭わせる事になるのである。

「去りたいよね。君。そりゃそうか――」

 

スッ

 

少女は、レイの頬に触れた――

 と、同時に、頬に張っていたガーゼを剥がす。

「ナイフで切られた跡だね。多分、ゼオンがやった奴だ。」

「え……ゼオン……?え、どういう事――」

少女は何故、先程レイが会った少年である、“ゼオン”の存在をしているのだろうか――

 

サクッ

 

その時、レイに激痛が、走った。何が起きたのかは全く分からなかった。声を出したかった。だが、出せない。

 何故ならば、少女がレイの口を塞いだからだ。僅かに激痛に悶える声は漏れるが、それは、誰か、助けを呼ぶ声として届かない。

「―――――――――――――ッ!!!」

レイの目は涙を浮かべている。そして視線を下方にやる。

 血が、出ていた。左胸の部分から。少女が持っていた短刀が刺さっているのが見えた。血が、三滴流れているのが見える。

「ねぇ、痛い?痛い??」

挑発するように聞く少女と、痛みに悶えるレイ。

 短刀を容赦なく、深く抉る。彼が十四歳と言う年齢の少年であろうと容赦しない、少女。

「箱、見ちゃったんだよね。知ってるよ。好奇心旺盛なのは良い事だけど、悪い事だよ?」

左胸から血が流れていても、全く動じない少女。レイは逃げたくても、逃げられない。ただ、強烈な痛みが彼を襲っているからだ。

「多分、君何も分からないで死ぬの、嫌だと思うから教えてアゲル……」

「―――――……?」

声を出せないレイは、涙を浮かべ、少女を見た。

「私はエレア・シェイル。これはウイッグ。顔なんてメイクでいくらでも誤魔化せる。びっくりでしょ?エレチャンネルやってる人間がこんな事するんだよ?ま、そんなの知られる訳ないし、知ったところで誰も信じないけれど。」

青髪の少女は、やはりエレアだった。

 人は生きていくに連れ、様々な顔を見せる。それは特別、人格が多重に分かれるという事ではない。年月が経ち、身を置く環境が変化するに連れ、それ相応の役割を見せるようになる。ハイスクールならば、ハイスクールの生徒として。カレッジ、ユニバーシティの学生ならば、それに合わせて。社会人ならば、それに合わせて。

 やがて人は仮面を被る。プライベートの時間で見せる仮面や、社会で仕事をしている時に見せる仮面等。それにより、本当の自分が分からなくなる事は、有り得る話だ。

 “自分らしく”いる為には趣味活動は欠かせない。己の楽しみを見つけ、学生生活や仕事に励みながら、その隙間の時間を趣味に使い、人格を保つのだ。これは現代に生きる多くの人間に必要な事であり、それによって人は人であることが保てる。

 ではエレア・シェイルはどうだろうか。彼女はハイスクールの生徒であり、動画投稿主である。その動画は日本では非常に人気のある動画として知られている。

 だが、彼女には裏の顔があった。それは、“殺人鬼”と言う顔だ。普通に生きていては、理解されない一面を持つ少女。それが、エレア・シェイルなのだ。しかし、何故殺人衝動に駆られるのか。何故、その趣味だけでは満足できないのだろうか。

「動画を撮影して、人に見てもらうのはとっても楽しいし、お金にもなるし、良いことづくめ。でもね、有名人になったら“顔”を使い分けなきゃダメなんだよね。」

何を言っている?今、こうして左胸を刺され、激痛に悶えている状況でエレアは淡々と語るのだ。それが、レイにとっては絶え間なく、恐ろしい。

「だから、その“顔”の一面を無邪気に覗き込むような事ってしちゃいけないと思うんだよ。“アレ”だってゼオンを追い掛けていた奴等をさっき殺した所で、運ぶところだったのに。」

薄れゆく意識の中で、レイは先程の出来事と今の出来事の関係に、少し気付いた。

 彼が追いかけていた少年、ゼオンは三人の黒服の男に追われていた。そして、ゼオンは現金を持っていた。エレアは三人の黒服の男を殺したのだ。ゼオンを何らかの目的を果たす、“支援”をする為に。

「今こうしてる私を仮に見たとして、エレチャンネルのエレア・シェイルって気付く人はいないよ。まあ、君には死んでもらうけれどねぇ。」

そう言う、エレアの力は思いの外、強い。それはレイが刺されている為に力を発揮できないという事もあるのだが、それ以上に、抵抗が出来ないのだ。

(死ぬ……?僕が……?何で?どうして……どうして……?)

「ケド、君って可愛い顔してる。殺すのに惜しいなぁ。せめて声、聴きたいかも……!」

エレアは笑みを浮かべ、短刀を捻る様に動かした。そして、塞いでいたレイの口元を少し外すようにする。

「あぁぁぁぁッ!」

微かに声が出た。恍惚とした表情を浮かべる、エレア。

「いいなぁ……その声、好き……!」

エレアの表情が歪む。いつでも殺せる標的を、まるで弄ぶかのように。

「人を殺す時ってなんで、こう、気分が良いんだろうねぇ!?私はこうやって直接刃物で切るのが好き!料理とかでもそう!何かを切って相手が痛がるのを見るのは堪らない愉悦だよぉ!」

人を殺す事に悦楽を感じる。それは、ローマでアレンと交戦をしたメイド・ヘヴンと似ている性質だ。メイドは堂々と、平気で人を殺す。一方のエレアは、動画投稿者という隠れ蓑を使い、裏でこのように、非行を行う。

 どういった理屈であれ、問題行動であるのに変わりはない。目の前にいるエレア・シェイルという女は、危険極まりない女だ。

 しかし逃げられない。訳が分からないまま、レイの意識が、少しずつ消えかけていく――

 

ゲシッ

 

その時だ。エレアは“何か”に腹部を蹴られる感覚を覚えた。急な事に、彼女は思わず短刀を離してしまう。

 レイの左胸から短刀が離れた。と同時に、血が流れる――

 それと同時にレイは何者かに連れられていた。腕だけが引っ張られている状況。訳が分からないまま、レイは残された力を振り絞り、走る。本能のままに、凶悪な殺人鬼から逃げる為に――

「逃げた……かぁ。うーん、顔は覚えたけど見られてるし、また新しいウイッグにしなきゃダメかぁ。」

そう言いながら、エレアは呆然と、レイが消えた方向を見つめていた。

 

 

 雨が降っていた。雨音が聞こえる程の、雨。冬場の寒い雨は地面を寂しく濡らす。

その中を走る、二人の影。一人はレイ。もう一人は、分からない。

(だ……れ……?)

この時既にレイの血は多量に出血をしていており、その意識が回らなくなっていた。“何か”に手を引っ張られている状況。その感覚さえも、徐々に麻痺してくるようだ。

 死。いずれ誰もが通る門。レイの場合、MSに乗って戦う事があり、それに近い状況で戦った事はあった。しかし、いずれも生き延びることは出来た。それは彼自身の技量も伴っていたからである。

 しかし死は違う場面でも襲ってくる。とは言え、このような形で死に直面する状況に見舞われるなど、誰が予想出来るだろうか。

 やがてレイの足は力尽きたように、彼の意志に答えなくなる。姿勢を崩し、倒れる、レイ。

手を引いていた人間はそれに気づき、雨に打たれて動かなくなるレイに声を掛ける。レイの目は見開かれたまま、その青い目はただ、建物の間を降る雨を見ているだけ。

 

「おい、しっかりしろ!おい――」

 

声が、遠のいていく。誰が声を掛けているのかも、分からない。

 

「死ぬな!こんな所で――」

 

……

 

……

 

……

 

 

 

「う……ぅ……」

 レイは目を覚ました。それは、奇跡ともいえる回復だった。エレアによって刺された彼は何者かによって助けられ、そのまま意識を失っていた。

 だが、彼は生きていたのだ。しかし彼が目を覚ました場所は倒れた噴水広場ではなく、白い部屋の中だった。そこのベッドの上で目を覚ましたレイは辺りをキョロキョロと見回す。服は病衣を着せられているレイ。自分の着ていた服もどこへ行ったのかが不明だ。

(ここは……セイントバード……じゃない……ここは一体……どこ?)

辺り一面が、白い。眼前に見えるのは本が収納されている大型のロッカーがある。それ以外には何もない。

ここがどこか分からない。それを確認しようと、レイはベッドから起き上がろうとしたが、左胸の部分に痛みが走った。

「痛っ……」

刺された場所が痛んだ。レイはその場所を手で押さえる。それと同時に、傷口の部分が包帯で巻かれている事に気付いた。誰かが手当てをしてくれたのだろう。レイはありがたいと思うと同時に、自分の置かれた境遇に対して溜息を吐く。

(僕は何度もこんな事ばっかり経験してる気がする……初めにエリィさんに世話になって、その次がワートンさんで……今はここ……今回で三回目だ……)

彼は今回のように、何らかのアクシデントで怪我等によって気がつけばベッドの上であるという状況で目を覚ます事が多い。彼が数えたように、このようなケースは今回で三度目だった。

 

ウィィィィィィン

 

その時、扉が開く音が聞こえた。レイは音が聞こえた方向を見る。そこにいたのは彼と同じぐらいの歳の少女だった。上下共に黒いジャージ姿で、髪型はポニーテール。そして何よりも、愛らしい顔つきの少女が彼の目に映った。首元には銀色のチョーカーをしている、その少女。

「お前、目が覚めたのかよ。」

レイの目を見るなり、少女は口を開き、近くの椅子に座った。顔立ちに反して口調は荒い。

「あ……はい。その、ごめんなさい。」

急に声を掛けられて慌てたレイは思わず謝ってしまった。別に彼は何か、特別に悪い事をした訳ではない。

「何謝ってんだよ。変な奴。てか、別に丁寧な言葉で喋らなくていいよ。気を遣われるの、嫌いだし。」

「え、でも……」

レイはこのように助けて貰った状況では親しい者以外では必ず丁寧な言葉で接するように心掛けている。

「私が良いっつってんだからいいんだよ。なよなよしてんなお前。」

少女の言葉はレイに突き刺さる。しかし彼も怪我人であり、あまり、強い言葉を出す事等出来ない。

「あの、助けてくれたのは君?」

少女の言葉に甘え、敬語を使うのを止めたレイ。

助けて貰ったのは間違いない。瀕死だった彼を助けた恩人が誰かを確認する為に、レイは少女に聞く。

「そう。私がお前を助けた。」

冷淡に、少女は答えた。

「やっぱり、そうだったんだ……ありがとう。あの、僕はあれからどうなったんだろう?」

彼はエレアに刺されてからの記憶が曖昧だ。朦朧としている意識の中で、何者かが彼を助けたという事は間違いないのだが、それからの経緯が一切不明だ。だからこそ、その経緯を確認する必要があったのだ。

「病院に運ばれた。そこで処置された。けど、入院続けてもお前身元不明だし、だからって怪我人をそのまま放置なんて出来ないから、誰かが保護しないと行けないし、とりあえずうちで預かる事になった。それだけ。」

と、冷淡に答える少女。レイは目を、パチパチとするばかりだ。

「Eフォンの表面に記載している、パスポート登録証明はあるから、別に密入国者って訳じゃない。だからここで保護出来た。感謝しろよな。」

この時代、パスポートの登録情報はEフォンの表面に保存する事が可能だ。そこにあるコードを記載すれば、パスポートを取得している人間のデータや渡航歴が分かる。

今回は、それが救いだった。もし密入国者扱いをされれば、彼はここにいる事も出来なかっただろう。

「ま、死ななくて良かったんじゃないか。」

ポンと、少女は肩を叩く。その表情は無表情ではあったが、レイは僅かに優しさを感じていた。

(この人、なんだろう、この覚えのある感覚は一体……)

この時、レイは少女から妙な感覚を感じ取っていた。その正体は何なのかは分からない。ただ、妙な感覚である事に間違いはなかった。

「何、見てんだよ。」

それに反応したのか、少女は睨むようにレイを見た。

「あ、ごめん……」

咄嗟にレイは謝る。

「そういや、これお前のEフォンだろ。ポケットに入ってた。解析もしてる。」

その時、少女はEフォンをレイに投げるように渡した。慌ててレイはそれを受け取り、一言謝礼をする

「ありがとう――」

と、同時に彼はふと、疑問を抱いた。

(え、待てよ……そう言えば僕は病院に運ばれて……あれからどれぐらい、時間が経ってるの!?)

当然の疑問が浮かんだ。一連の行動には、当然時間がかかる。

“あの出来事”からどれぐらいの時間が経過しただろうか。彼が目を覚ました時、部屋に時計は無かった。今、日付や時間を確認出来るのは手渡されたEフォンでのみである。

彼はEフォンに表示されている日付、時間をちらと見る。そこに表示されていた日付は、レイが刺された時より三日経過していたのだ。

「え!?あれから三日も経ったの……?」

驚愕するレイ。丸三日、眠っていたのだ。そして目が覚めれば、このような場所にレイはいたのだ。全く、訳が分からないレイ。Eフォンが手元に戻っただけでも、幸いと呼ぶべきか。

「そうだ、連絡しなきゃ……」

思い出したように、レイはEフォンを持ち、急いで連絡をしようとした――

「無理。ここ電波入らないから。」

「え?どうして……?」

「どうしても。」

少女がレイの行動を止めた。実際、Eフォンには圏外のマークが付いており、連絡を取るにも、取ることが出来ない状況だ。それを見て、レイは渋々、諦める。

「そんな……」

落胆するレイ。しかし、それを見ても少女は何の関心も抱く様子はなかったのである。

 

それから少しの時間だが、沈黙が続く。彼にとって全く知らない場所で、知らない少女と二人きりの空間。Eフォンの電波も届かない場所で、気まずい思いをしたレイ。

しかし少女の方はレイとは対照的に、Eフォンを弄っていた。Eフォン内のゲームを起動し、遊んでいたのである。

「お前さ、名前は?」

その沈黙を破ったのは少女の方だった。彼女はゲーム画面に目を向けながら言った。

「僕はレイ。レイ・キレス。」

「歳は?」

「十四歳。」

レイは、この質問に対してデジャヴを感じていた。

 ゼオンの姉、エレン・ニーマードと喋った時も同じ質問をされた。今回、恐らく彼を助けたかも知れない少女も、同じ内容でレイに聞く。

「確認できた。解析データと同じ。偽名じゃないな。」

「それ、どういう事?」

疑問を抱くレイ。確認?解析データ?聞き慣れない言葉が、羅列する。

「Eフォンの解析をしたって言っただろ。データに載ってるんだよ。お前の家族構成とかの情報は。」

少女が言ったように、レイは日本においては身元不明である。その為、保護するにも個人情報の確認が必要だ。Eフォンがその役割を果たしていた為、彼の事を解析した者がそのデータを割り出したのだ。

「レイ・キレス。十四歳。カナダ国、モントリオール市出身。ジュニアハイスクール通学中。父親はジュナス・キレス。母親はカレン・キレス。姉はリリア・キレス。妹はミィス・キレス。」

彼の家族構成を全て言われた。無理もない。パスポート情報には家族情報は全て載っているからである。

「全部、分かるんだね……全然知らなかった……」

Eフォンを普段扱っているレイだが、パスポート機能がこのように活用される事を初めて知ったレイ。

「紛失したらやばいからな。」

少女は素っ気なく、話した。そして、そのまま再びEフォンのゲームを続ける。

 

それから沈黙が続く。彼女は何も喋ろうとしない。冷淡な印象を持つ少女に、どうにか声を掛けようとするレイだが、言葉が思いつかない。

相変わらず少女はゲーム画面ばかりを見ている。コミュニケーションに、関心を持っていない様子だった。レイにとっては非常に会話し辛い人間と言える。

「あの……さ。」

勇気を出し、レイは声を出した。

「僕の事、知っているのなら……君、名前は……?」

自分の名前を言ったのだから、相手にもそれを伝える必要がある……と、レイは考えていた。

「スバキ・シンドウ。」

少女は冷淡に答えた。彼女の名はスバキだということがここで判明する。日系の名前だろうか。余り聞き慣れない名前に、レイは思わず口に出して確認した。

「すばき・しんどう……?」

「は?何復唱してんだよ。変な名前とか思ったら殴るぞ!!」

すると、スバキは右手で拳を作り、腕を上げた。それを見て思わずレイは目を逸らした。

無論、それは“フリ”である。実際に殴る事は、する筈がなかった。そして、スバキは舌打ちをした後で、彼に言う。

「ああ、ちなみにお前とタメだから。」

「え……て事は十四歳なの?」

レイは驚愕した。まさか、自分を助けた少女の年齢が同い年であるという事に。

「お前さ、ずっと気になってたけどさ、なんでそんなナリなのに男なんだよ。言葉遣いも喋り方も声の高さも顔つきもなよなよした性格も、全てにおいて女じゃないか。多分私より女かも。」

それを聞いた時、レイはスバキに対して怒った。少女扱いされると事に対しては、いくら恩人であれ、レイは怒ってしまう。

「僕は男だよ!」

「は?うっさい黙れ!」

少女の、圧の強い言葉はレイを黙らせる。そして、再び沈黙が始まる。

 

 妙な光景ではある。スバキ・シンドウはレイの恩人に当たる人間だが、その言葉遣いは粗暴であり、他者を寄せ付けない。レイ自身も、彼女と喋るのに人一倍気を遣う。何かを喋ろうにも、冷淡な言葉で返されるばかり。何を喋れば良いのか、全く分からない。そもそも、彼女が何故ここでいるのかも分からない。こうなるのなら、いっそ一人で過ごせる方がどれ程楽か……と、考えていた。

 人は相性の合わない人間と喋る時、苦痛に感じる。その時の時間は普段過ごす時以上に長く感じるものである。厄介なのは、そうした人間が同じ空間にいる場合だ。

 空間は人との距離を親密にさせる効果がある一方、相性が悪い場合は最悪のものになりかねない。それは極度のストレスを生み出し、人によっては精神的なダメージを負う事さえある。だから、人は他者に優しく接する事が重要だ。異様な圧を加える人間と一緒に居る事は、精神を崩壊させる要因の一つに成り兼ねないのである。

 ゼオンを追い掛けた時は、彼自身無我夢中だった。ゼオンの口調も荒い上に、彼はナイフを持っていた。しかし、追い掛けられているゼオンを放って置けない気持ちが強かった為、今の状況程気まずい感覚にはならなかったのである。彼の中の、“正義感”がそうさせたのだ。

 今の状況。今回の場合、スバキは恩人だ。そして、彼は怪我をしている状態。その状態での、粗暴な性格はより一層、彼に苦手意識を芽生えさせた。

(そう言えば……ここ、どこなんだろう?)

スバキの発する雰囲気が苦手だったレイだが、それ以上に気になる事が一つ。

“ここの場所”は何処なのだろうか。目が覚めた時から気になっていたのだが、そもそもここが何処かが分からない。

 ここの場所が知りたい。Eフォンの電波も届かず、ただ白く彩られている部屋。ここはどこなのか、場所が知ることが出来れば少しはこの緊張が拭えるのではないか……と、考えたレイは。勇気を出し、スバキに対して口を開いた。

「あの!」

その音量は調節を間違えたかのように、部屋に響いた。スバキはギロリと、レイを睨む。

「は?」

レイと同い年の少女であるが、スバキの言葉に恐怖するレイ。しかしそれでも、黙ってはいられない。この場所を、聞かなければならないと思ったからだ。

「ここ、何処かな……?教えてくれたら、嬉しいんだけど……」

慎重に聞くレイ。しかしスバキは目を合わせることなく言った。

「連邦の基地。」

「連邦の、基地……?」

“連邦”。それに該当するのは、現代では新生連邦以外にあり得ない。レイにとって、新生連邦は今まで何度も交戦している相手だ。

「どういう事?君は、新生連邦の人間なの?とてもそうには見えないけれど―――」

この場所が新生連邦の基地と聞き、黙っていられないレイは気まずくなる事もなく、スバキに聞く。

だがそれがスバキの逆鱗に触れた――

「いちいちうるさいんだよバカ!!!」

怒るスバキはレイに目を合わせた。そして、座っていた椅子から立ち上がる。

「ごめん!でもそんなに怒らなくても……」

「怒るに決まってる!お前がうるさいからなッ!!」

 

ジャキンッ

 

するとその時、スバキはズボンのポケットの中から銃を取り出した。突然の出来事に、またしても驚くレイ。その銃を、スバキはレイの眉間に近づけてくる。

「お前、私の事新生連邦の人間とか言ったら……殺すぞ。」

銃口を向けられ、レイは黙る。彼は静かに唾を飲み込んだ。

「訳が分からない状況だよな!だってそうだろ?瀕死の所を助けてもらったと思ったら、命の恩人に銃向けられてるんだもんな!しかもお前と歳が一緒の奴にさ!私だって同じ境遇だったらパニくってるよ!ハハハ……」

何故か、乾いた笑いを浮かべるスバキ。しかし心なしか、彼女の表情は明らかに笑っていないように見えた。

 やがて、スバキは銃をポケットに収納した。そして、静かに溜息を吐く。

「こうやってゲームを遊んでいるように見えるかも知れないけどな、私はお前の監視を任されてるんだよ。」

「監視……?どういう事……?」

訳が分からない。何が、どうなっているのかが不思議に思えて仕方がない。

「確かにお前はモントリオールから来たのは間違いないけど、お前自身の事を監視する必要があるんだよ。最近世の中物騒だからな。犯罪組織とかの可能性だってある訳話だし。」

目が覚め、自分を助けた少女が今度は、“監視”という言葉を述べた。次々と起こる出来事はレイ自身を混乱させるのに、十分だった。

 日本に来て、平和だと思っていた環境が一変、突如短刀で胸を刺され、意識を失い、気が付けばこの、新生連邦の基地らしき場所で同い年の少女に銃を突き付けられたという状況。彼は、一つ一つ状況の整理をしようとするも、頭が混乱していて何も出来ない。

 

ウィィィィィン

 

混乱の最中、突如、扉が開かれた。レイは扉の方向を見る。

 そこに居たのは、一人の男だった。スバキは何も言わないのだが、男は一礼し、レイに近づく。背丈は180センチメートル程度。眼鏡を掛けている。顔つきは凛々しく、ミディアムな癖毛が目立つ。軍服を着ているが、屈強な印象は受けない。スーツを着れば、まるで、“青年実業家”といった印象を受ける、その男。

「やあ、目が覚めた?初めまして。マサアキ・アルトです。宜しく。」

物腰柔らかな印象の男はレイに握手を求めてきた。それに対し、レイは握手を交わす。

「君は色々と大変だったみたいだけど、無事で何より。傷はどうかな?痛む?」

「あ……はい。少しですけれど。」

「そっか。」

と言いながら、マサアキは椅子に座った。

「あの、貴方は一体……?」

レイは疑問に感じた。“マサアキ”と名乗る人間だが、その素性は不明だ。レイの質問に対し、マサアキは答える。

「ああ、私はここの司令官をしている人間でね。階級は少佐。」

と言いながら、マサアキは椅子に座った。

 この男、マサアキ・アルトは若くして佐官という経歴を持つ。優秀な人物ではあるが、レイはどこか、この男に若干の違和感を覚えていた。

「彼女……スバキから聞いているとは思うけど、ここは新生連邦の基地なんだよ。都心から随分離れた、奥多摩という山奥の場所だけどね。」

男の言葉から、ここが“奥多摩”と言う場所であることが分かる。

 それは、旧世紀から東京都心より遥かに離れている、山が生い茂る場所。近年になり、新生連邦軍の基地が出来た場所。都心では基地を増設する事は禁じられている為、東京に基地を作るには絶好の場所と言えるのだった。

「スバキが色々と頑張ってくれたみたいだね。無事で何より。それより、ちょっと君に興味があってね。」

「興味……ですか?」

目を、二回瞬きしてレイは聞く。

「まるで少女のような美しい顔立ちをしている君……うん、良いね。」

「え……?」

そう言った時、マサアキは突如、レイの股間部に触れ始めた。突然の出来事に、驚愕するレイ。近くで見ていたスバキも、同様だった。

「ふぁっ!?ひゃああ……!」

思わず妙な声を上げるレイ。しかし、男は止める気配がない。

「フンフン、女の子の顔してる。そして、触るとそこは、男の子。ケド反応は女の子のような声。なんか、とても珍しい人間だね。君。興味、あるな。」

初対面で人の股間を触るという行為をするマサアキ。明らかに、“異様”な存在と言えるこの男。

(この人……!)

レイは顔を赤め、まるで睨むようにマサアキを見る。それを見たスバキは不快そうな表情を浮かべている。

「まあ、挨拶はこの辺にして。君の事、少し教えてくれないかな?」

「あ……えっと……はい。」

明らかに辱める事をしたにも関わらず、すぐに彼を尋問するマサアキ。全く顔色を変える様子のないこの男は、どこか奇妙に感じてはいたが、レイは自身の事を話した。

 この時、彼は自分がガンダムのパイロットである事等については、勿論一切言わなかった。それはここが新生連邦の基地である事を理解していたからだ。もしそれを言ってしまえば、自身どころか、セイントバードチームにも迷惑を掛ける可能性が高いと、考えた為である。

 レイは、あくまでも“旅行者”として日本に来たという話をした。取り繕う様子もなく、レイは答える。

「なるほどね、君は単身、旅行で東京に来た。しかし、道中に襲われた所をスバキに助けられたって訳ね。お疲れ様だね。しかし、不幸中の幸いだったね……君は。」

そう言われ、三日前の出来事がフラッシュバックされた。エレアに襲われた、あの事件だ。

 

――――――――――――――君には死んでもらうけれどねぇ――――――――――――

 

「話を聞くのはまあ、これぐらいにしておこうか。まあ、君自身病み上がりのようなものだから色々聞かれるのは大変だろう。少しゆっくりしていると良い。」

と、笑顔でマサアキは話す。

「あと、一つだけ気になる事があるけれどね。」

“気になる事”と言われ、レイは首を傾げる。

「君からは“力”を感じるね。気に入ったよ……」

「え……?」

その言葉が何を意味するのかは分からない。シンギュラルタイプの事なのか。それは分からない。ただ、その言葉だけが意味深だったのだ。

「まあ、それはさておき。君の事はパスポート情報以外にも少し調べさせてもらう必要がある。それに、怪我もあるだろうし、それまではしばらくこの部屋で待機して欲しい。君の事が判明するまで、監視させて貰う必要がある。その間はスバキに世話を任せるよ。」

そう言って、マサアキは去って行った。

 レイは保護された身ではあるが、実際、身元は分かっていない。それを明確にする必要がある為、彼はここにいる必要がある。だがその監視をするのはこの少女。何故スバキが監視役なのか。それも、謎だ。

 

 

 一命は取り留めた。しかし、次々と謎が重なる。混乱する頭を一つずつ整理するレイ。

 まず、ここが“奥多摩”と呼ばれる場所にある新生連邦の基地であること。そして、自分は三日間眠っていたという事。目の前の少女、スバキが自分の監視をしているという事だ。

 マサアキが部屋を出た後、スバキと二人きりとなったレイ。相変わらず言葉を話さないスバキ。多くの情報が入り、混乱するレイは、ただ、溜息を吐く。

「分からない、分からないよ……」

一命は取り留めたが、この先どうなるのかも分からない。彼はマサアキに身元を調べられる事は分かる。しかし、それからどうなる?この後彼はどのようになるのか。怪我が治れば解放されるのか。それも、謎だ。

幸いなのは、彼の言った事は間違っていない事だ。セイントバードチームとの同行の話を抜きにすれば、確かにレイはカナダから日本へ来日した事になる。身分証明としてEフォンがパスポートとしての役割を果たしたのであった。

 悩むレイ。しかしその時、スバキはEフォンのゲームをしながら、口を開いた。

「お前、マサアキに気に入られたな。あいつ、お前の事さ、“力”を感じるとかとかなんとか言ってただろ。」

「え?」

それに対し、レイは首を傾げる。

「お前、覚悟しとけよ。あいつ、マジで“ヤバい”奴だから。」

「……え?」

スバキの言葉が、恐ろしく感じられる。ヤバい奴?どういう事なのか?

 レイが置かれた奇妙な状況は、暫く続く様子だった――

 




第二十二話、投了。

日本での日常を描いていますがそこから突然新生連邦に救助される事になるという話。そこで出会ったスバキという少女と、マサアキ・アルトとは……という話でした。
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