※一部性描写有。
第三十四話 アステル・パーティ
アーステクノロジー。新生連邦軍にMSを提供している軍事企業である。かつての地球連邦軍にもMSを提供していた。
現在開発されているディースト、ジョゼフといった機体はこれらが開発したものに当たる。新生連邦軍のスポンサーでもある、その企業。
そしてFLCシステムを搭載している三機のガンダムである、デスペナルティガンダム、アトミックガンダム、バイラヴァーガンダムのパイロットを務めるニッカ・ドレイク、ハーディ・クオレント、シエル・ホーンドを総司令に提供した事もある。特殊強化モデルという、戦闘マシーンを扱っているスルース。彼は強化モデル開発の管轄顧問でもあり、人間を戦闘兵器としか見なしていないという非道さは彼独特のものでもある。
これは総司令がアステル家に同盟条約を結ばせようとして失敗する、少しの話である。その時にアーステクノロジーに滞在していた総司令。彼がそこで見たものはカプセルの中に裸で眠る特殊強化モデル達。どうやらニッカとハーディとシエルだけではなかったのだ。その側で、スルースは笑う。
「あの三人は成功作品です。これらは改造手術の際に命を落してしまった失敗作です。やがてこれらは腐っていき、ゴミと化するでしょう。戦闘マシーンを作るのは大変な作業が必要でしてね、多く製作しても成功しているのはほんのごく僅か。殆どは失敗し、埋められていますよ。現に、ホルマリン漬けの失敗作は会社の裏にストックを貯めています。」
その言葉は、総司令の気分を不快にさせる効果を持つ。思わず口を塞いでしまう、総司令。その光景を、想像してしまったのだろうか。
「今の時代、軍備を増強するには更なる力を持つ人間が必要です。ただでさえ先の大戦で人口は減っています。もっと、力を持つ人間を効率よく作って行かなければなりません。」
スルースの独特の、妙な甲高い声が室内に響く。
「強化モデル……増してや、特殊強化モデルを作るとなればそれ相応の研究が必要です。研究に成功する為には失敗は不可欠。ここで死んだ被験体達は人類発展の為の必要な犠牲と考えますよ。」
「……それは、分かっているつもりです。」
何故、総司令、レヴィー・ダイルはここに来たのか。理由は一つ。平和国連盟と対立する状況になった為、少しでも戦力増強をしていきたいと、考えていた為である。
「FLCシステム搭載の機体に乗る三人以上に、更に強力な人材や、兵器は必要になってくるでしょう。その為にも、人為的に作られている強化モデルのような戦闘マシーンは必要です。シンギュラルタイプと同様に戦える優秀な人材がね。」
歳の差が十以上離れている総司令とアーステクノロジー社長。立場は違えど、年齢の若さは経験の若さだ。そして、感受性もスルースと異なる。故に、特殊強化モデルという人間の、“死”に過敏に反応していたのである。
「貴方も若いですねぇ。戦力増強の為の特殊強化モデルを生み出すには失敗を繰り返さなければなりません。そこに犠牲が生まれるのは必然。それに不快感を示していては軍のトップは定まりませんよ?」
「分かっています!私は、それを承知の上で貴方に依頼をしに来たのですから……」
軍備増強は総司令か掲げる事だ。平和国連盟とも戦って行く事になるかも知れない状況で、アーステクノロジーを頼るのは当然の事と、言える。
「私が驚いたのはまさか、平和国と新生連邦が対立状態になるということですよ。同じ地球人同士で、亀裂が走る事になるとは……ね。」
スルースの、冷たい言葉が走る。
「恐らく今後、戦争は避けられないでしょう。その為、事前に更なる戦力を作って行きたいと考えています。そこで提案があるのですが。」
「提案……ですか。」
総司令自らがアーステクノロジーの社長に提案するという状況。これも、総司令の拘りでもあるのかも知れない。
「一ヶ月程前、日本で巨大MS、ダッゲインが謎の暴走事故を起こしました。被害は最小限でしたが、この時に使われたMSと、サイコミュシステム。これらを組み合わせた兵器の開発を、依頼したいのです。」
「ダッゲインを基にした兵器……ですか?」
スルースは首を縦に、何度か頷きながら言った。
「成程……ねぇ。それは、期待以上の良い兵器が開発出来るかも知れませんね。お時間は要しますが、それでも宜しいでしょうか?」
「大丈夫です。今後の戦争の切り札……それさえ、出来れば。」
「これは、大掛かりなプロジェクトになりそうだ。」
スルースは舌を舐め回し、言った。
「もし、総司令が考えられている兵器を扱うのならば、それ相応のパイロットの存在も必要になるかと思われますねぇ。」
「手配はします。では、これにて……」
総司令は、手早くその場を去っていく。その後ろ姿を見て、スルースは妙な笑みを浮かべていた――
新生連邦と平和国連盟は対立しつつある。そして、更なる軍備増強が行われようとしている。それを快く承諾する男、スルース・ディアン。
これにより、アーステクノロジーは更なる利益を上げる事になる。会社が在り続けるには常に利益を産み出さなければならない。それが、例えいずれ大勢の人を抹殺する事になろうとも。
人間は勝つ為になら知識を振り絞る。だが、それ以前の、人本来が持っている欲望や支配、思考は簡単に変えられるものではない。
新生連邦は平和国連盟と対立している。その上、更なる軍事兵器を、同じ地球人である存在に対して向けようとしている。この狂った悪循環は、留まる事を知らない。
やがてウイングイーグルへ帰って来た総司令は、特殊強化モデルが閉じ込められている部屋に入った。
人間に見えず、まるで野獣が監禁されているような光景を見て、ただ俯くしか出来ない。
「グウウウウウウウウ……」
野犬のように唸る、ニッカやハーディ。戦闘時ははっきりと言葉を喋るのに、現在の状況とでは余りに差がありすぎるのだ。
「これが、人……か。人とは、何なのだろうか。僕達は、こうした存在も利用していかなければならないという事なのだろう……。」
その瞳は、特殊強化モデル達への憐れみを指しているのかも知れない。ただ、戦闘時のみ人の言葉を発し、それ以外では本能のままに生きる彼等。彼等の幸せとは、果たして何なのだろうか。
こうした存在を利用して、戦力を増強させていくという事。それは、彼自身も分かっている筈であるのだが、どこか、その瞳には躊躇いが見られるようにも見えた。
アーステクノロジーから新生連邦本部へ帰還した総司令は、病室にて安静にしているソフィアの元に向かった。傷口は塞がってきている。回復も順調だ、後遺症もなく、経過している。身体の動きに悪影響は及んでおらず、術後の経過は良好であった。
「ソフィア、体調は問題ないか?」
「レヴィー様……私は、大丈夫です……私の事より、今は軍の事をなされては……?」
謙遜するソフィア。それに対し、彼は言う。
「何かを成す時には、常に側に力となる人が必要だと僕は思う。ソフィア、それは君だ。僕にとって、君の存在は力の根源だ。これから成すべき事を、成す為の。」
大きな野望を成す時、それは、一人では難しい。共に歩む人間が居て、初めて力を発揮する。
レヴィー・ダイルの場合、ソフィア・ブレンクスがそれに当たる。彼に必要とされ、喜ぶソフィア。
だが彼等の関係は公にはどのような関係であるかは不明だ。それ故に、総司令は陰で妙な噂を立てられてしまう事となるのだが。
「レヴィー様は、次は何を考えられていますか。」
ソフィアは、聞いた。
「じっくりと、練って行こうと考えている。平和国連盟に対抗する作戦を。だが今はその時ではない。君をこのような怪我を負わせた彼等には制裁を与えなければならない。その、“オペレーション”を計画していかなくては。」
総司令の言う、“オペレーション”とは何を示すのか。新生連邦軍の新たなる野望。それは、これから始まる世界の混乱の幕開けとなり得るのであろうか――
アステル家ではターナ・アステルの葬儀がしめやかに行われていた。親族関係者のみの葬儀が行われている。
世界的女優の死は大々的に報道されたが、当主ジンクの意向で、親族のみで執り行われたのである。その最期の顔は、まるで眠っているかのように美しい寝顔であったという。
葬儀が終わってから一日が経過した頃。ジャンヌは、アステル家のプールにて水泳を行っていた。しなやかなフォームで、様々な泳法を泳ぎ続ける。25メートルを、何度も、何度も。
やがて彼女は泳ぎ終えた。スイミングキャップを外し、その長い髪を露わにする。そっと、呼吸をするジャンヌ。
「ジャンヌ」
そこへ現れたアレン。ジャンヌを心配していた彼はアステル家内の様々な場所を探し、兵士から場所を聞き、プールに辿り着いたのだ。そこで延々と泳いでいる彼女の姿を見て、驚いている様子だった。
「アレン。どうなされました?」
「その……大丈夫?色々……と。」
母親の死を誤魔化すかのような、彼女の水泳。アレンはその行為が何を意味するのかを分かっていた。
彼女は、悲しみを隠している。それを誤魔化す為に、彼女は身体を動かしている。それを、アレンは察していたのだ。
アレン自身も、暗い。人の死を目の当たりにして、平気で振舞える人間など、いないのだ。
「私は平気ですわ。このような時だからこそ、常に身体を動かしておく必要があると考えていますの。」
そのプロポーションは見る者を魅了する。悲しみに暮れている筈の彼女。
「あれから、お母様の突然の死に対し、捜査が行われました。アステル家に仕える人間達は勿論、その全てを調査しました。ですが、結果としてはお母様の自殺という形で結論づけられ、捜査は打ち切られました。死因は毒殺。アステル家の人間でそのような事が出来るのは、近親者のみに限られます。外部の者は決してそのような事は出来ません。」
ターナ・アステルの死に対して捜査は行われていた。しかし、いくら状況を見ても、彼女の死は自死以外、考えられないというのだという。彼女は、自ら毒を飲み、自殺したというのだ。
「それに、あの一件の後、エファンから聞いたのですが、どうやらお母様はお父様との距離感に相当悩んでいたとの事なのです。あのお母様が、私にも見せない悩みがあったなんて……」
と、少しばかり暗い表情を見せる、ジャンヌ。
「あの人が、そんな風には見えなかったけれど……」
アレンがターナと交流したのは僅かな時間だ。その中で、彼は少しでもターナという女性の存在を理解していた。
「ですが、ターナお母様が自ら毒を盛り、自殺という手段を選ぶなど、考えられません。何か、裏があると、考えているのです。」
「裏……か。」
視線を落とす、アレン。ターナの死は一体何が原因なのか。自殺とは思えないジャンヌ。それは、アレンも同様であった。
「……アレン、私は決めた事があります。」
「決めた事?」
突然の彼女の言葉に、首を傾げる。
「アステル家主催のパーティを、開こうと考えています。」
アレンは二回、瞬きした。母親が死んでまだ一週間も経過していないのに、何故パーティを開こうというのか。理解に苦しんでいる様子のアレン。
「何故、パーティを?このタイミングで?」
当然の質問。それに対し、ジャンヌは言った。
「アステル家は恐らく、何者かに狙われていると考えています。シュネルギアの情報が何者かに漏洩された事と、お母様の死。これは、偶然とは思えないのです。その、真相を追求する為に“パーティ”を行うのです。」
シュネルギアの情報が新生連邦にリークされていた事や、母、ターナの死。それらは、何らかの関係があるというのだろうか。それは分からない。
ジャンヌは、今後の事を考えていたのだ。彼女は母親が死んでも、止まらない。止まっていられない。寧ろ、この状況を打開しなければならないと、必死に考えていた。その結論が、アレンに対して言った“パーティ”なのである。
「パーティを行う、理由があるのか?」
アレンの質問。それは、当然の疑問であった。
「アステル家の交友関係は厳重に管理されています。無論、中の情報に関しても。貴方やエファンのように、信用に値する人間でなければ見せる事は出来ません。だからこそ、交友関係のある人間達を集め、あえてパーティを行う事で、そこからアステル家に恨みを抱いている者を暴くのです。そこに、ターナお母様の死も、関係しているかも知れません。」
そこに、確証はない。だが彼女は、あえてそれを行うのだ。
ジャンヌは、濡れた髪を長い指で伝わせ、水気を取りながら、言った。
「アレン、貴方にもパーティに参加をして欲しいのです。」
「俺に……?」
唐突の、パーティの正体を受けたアレン。悲しみに暮れている筈の彼女は、予想以上に強気だった。パーティとは名ばかりの、真実を見極める時間。それを、彼女は作るのだという。
「貴方は私にとって信頼に当たる人間です。貴方には、是非参加して頂きたいのです。真相究明のお手伝いをして頂ければと、思います。」
今、彼はジャンヌに頼られている。それは、男としては有難い事だ。増してや彼女のような美女に頼られる事は誇りではある。
「ですが、準備が必要になります。その時になれば、お知らせします。アレン。貴方はご自分の時間を過ごして来て下さい。私はパーティの為の準備を、進めて行きたいと思います。一週間後にはご案内を致します。その際に、戻ってきて貰えれば……」
「うん、分かった。」
ジャンヌは彼に自由な時間を過ごして来てはどうかと提案をしたばかりだった。だがレヴィー・ダイルのアステル家への交渉やターナの死が重なり、その時間を過ごす事のが、伸びてしまったのだ。
今、彼女の元を離れるのはアレンにとっては気の毒な思いがある。だがジャンヌは前を向こうとしている。彼女が行う、“パーティ”は、決意に溢れたものとなる。
パーティと聞けば、それは本来、仲間達と楽しい時を過ごす時間であるものだ。しかし、彼女が意図するパーティはそれらとは全く異なる。それを、今から彼女は準備をしていくのだ。そこにアレンが立ち入る隙間はない。彼は、ジャンヌの提案に甘える事にしたのである。
アステル家のMSデッキに入ったアレンは、輸送機に搭乗していた。それを駆り、彼は移動する。一週間の、束の間の休息を、得に行く為に。
パーティが開催されるのだが、それは決して遊びではない。アレンにとっては仕事。それも、大きな仕事なのだ……と、彼の中で、感じていたのだ。
(今、君の元を離れるのは気が引ける気もするが、俺には何も出来ない。君の準備を待つのみだ。ただ、無理をしないで……)
一人、静かに心配をしたアレンは、そのまま輸送機を発進させた。
その去って行く姿を、ジャンヌは見届けていた。そして、彼女はパーティの準備を進めて行く。“決意のパーティ”を。
アレンは休暇の中で、知人の家を訪れようと考えていた。暫く見ていない彼等は元気であるのかが気になった為である。予めEフォンで連絡をとっており、そこで無事は確認できている。
彼の操る輸送機はアレクサンドリアへ着いた。そこから、彼は引っ越しをしたワートンの家を目指す。
以前氷河族のメンバーに襲われた後、ワートンは元の家から離れた場所に引っ越しをしたのだ。アレンの身柄を確保しようとした氷河族のメンバー達だったが、彼の力によって回避する事が出来た。だがアレンと一緒に居る事が知られた以上、共に行動してはワートンにも危害が及ぶ可能性が高いと考え、アレンは一度離れていた。セイントバードチームと合流し、その後はジャンヌと共に行動している。
少しして、ワートンが引っ越しした家に辿り着いた。彼は早速帰ってきたことを知らせる為にインターフォンを鳴らした。
だが、中から人が出てこない。アレンはおかしく思い、再び鳴らした。しかし二度目も出てこない。聞こえている筈なのに、何故……?アレンは思った。
仕方なしにドアの取手を持ち、押してみた。するとドアが開いたのだ。つまり、入口の鍵が開きっぱなしだったのだ。
「住所を間違えた?いや、それはないな。にしても不用心だな。せっかく帰ってきたのに。」
呆れるアレン。そう言いながらアレンはドアを開き、中に入る。
「……あれ?」
留守にしているのか?しかし留守にしているにしてはおかしい。鍵を開けっ放しにするなど不用心だ。アレンは少し不安になり、二階に上がって見ることにした。
階段を上っていると、何やら話声が聞こえてきた。声に気づいたアレンは階段の途中で止まり、話声を聞く。
「……おうよ。ひでえことをしやがるんだ。何せデウス本国のコロニーに毒ガスを撒こうとする奴がいるんだからよ。」
「一体、何が目的で?」
「いや、最初はデウス軍の誰もが連邦軍の仕業ってことになってたんだよ。けど位置的にありえねえんだよ。地球側にいた連邦が地球より離れているデウス本国のコロニーに毒ガスを撒くか?」
「た、確かに……けどそれは未遂で終わったんでしょう?」
「おうよ。なんとかな。そうそう、それで俺はその犯人を、デウス軍を裏切ろうとした奴等が起こした行動だと思っている。」
「裏切り……それって、もしかして天国兄弟?」
「それそれ!よく知ってんな。そいつら、末期になってデウス軍を裏切り始めやがった。それで当時の司令官を殺害しやがった。俺は当時その光景を目の当たりにした。信じられなかったぜ。まさかの裏切りだからな。何の目的かは知らねえが、本当にタチが悪い。ま、そいつらは連邦軍に倒されたんだけどな。そうそう、話を戻す。だからこいつらがもしかしたらデウス帝国本国に毒ガスを撒いたんじゃねえかって思ってるんだよ。」
先程から、〝デウス〟〝毒ガス〟〝天国兄弟〟といったキーワードがこの会話から聞こえてくる。そして、喋っている内の一人は間違いなくワートンであることが分かった。しかし、もう一人は知らない。声を聞く限り、女性であることに間違いはない。そして、聞き覚えある声だ。
「天国兄弟が、毒ガスを?」
「可能性だがな。けど高いんだよ。その可能性が。」
「ふぅん……少し興味あるかも、その話……ありがとう、私、興味のあることは聞きたがる性格だから。」
盗み聞きをしていたアレン。話の内容から、デウス動乱当時の話をワートンが教えていたように思える。最初から聞いていなかったので話は分からなかったが、間違いなく話が一段落したことは確認できた。これによりアレンは安心した様子で階段を上り、二人が話す部屋に入ってきた。アレンの姿を見たワートンは驚きと同時に嬉しそうな表情を浮かべる。
「……お、おい!お前じゃねえか!」
そこには顔を赤めているワートンの姿が。その右手にはウイスキーの酒の入ったグラスを持っており、彼は酒を飲んでいるのが分かる。ワートンにとっても、今は安らぎのひと時だったのだろう。
「ただいま。久し振りだね。ワートン。鍵かけなきゃダメじゃないか。」
「ああ、そうだ……いけねえな、忘れちまってた。ハッハッハ!」
と、上機嫌な様子のワートン。
ワートンの家に戻ってきたアレン。そこには銃マニアのワートン独特の空間があった。久し振りに見る光景が広がった。
「まあ座れや。久しぶりに酒を飲んだらやっぱり美味いな!ははは!」
「あ……うん。」
彼の言葉に甘え、近くの椅子に座ったアレン。
「しかしお前さん、どうしてここに戻ってきたんだ?えらく久しぶりだけどよ。」
「あ、実は…」
アレンはこれまでにあった事を話した。セイントバードに乗り、それからジャンヌと久しぶりに再会し、それから日本へ行き、そしてアステル家に行き、様々な事情を説明し、現在は時間が空いたのでワートンに顔を見せるために戻ってきたことを話した。
すると、ワートンは驚いた表情で言った。まるで、先程の酔いが醒める勢いだ。
「お前ジャンヌ・アステルと知り合いなのか!?」
「まあね。」
「はぁ……お前あのジャンヌ・アステルだぞ?二十歳にして世界的歌手の!あの、ジャンヌ・アステル!!」
「ダメなの?俺がジャンヌと関わっちゃ。」
冷淡としたその疑問に、ワートンは黙る。
「いや、そう言う訳じゃねぇ……けどさぁ……」
この時、何故かワートンは溜息を吐いた。
「もしかして、ワートン、ジャンヌのファンなのか?」
率直なアレンの疑問にワートンは焦った。
「う、うるせえ……黙ってろ!気安く、“ジャンヌ”なんて呼ぶんじゃねえよ!お嬢様なんだぞ!!」
酒に酔っていたワートンはその顔を更に赤めながら言った。
(絶対ファンだな。)
心の中でアレンは笑う。落ち着いた雰囲気の中、部屋を見回すと同時に側にあった茶を飲もうと手を差し伸べた時、先程までワートンと喋っていた女性がアレンに声をかけた。この言葉で、アレンは女性の存在を思い出す。
「久しぶりね、スパーダ・スクード……いいえ、アレン・レインド。」
その女性も、右手にワイングラスを持っていた。
「ウィリアさん!お久しぶりです!」
ほんのりと薔薇の香りが漂う。その女性には独特の色気があり、背もアレンとほとんど変わらない。女性の名は、ウィリア・ラーゲンと言う。
顔立ちは幼さが残る女性であるが、ロングヘアの黒髪にすらりと伸びた足。美しさが際立つその外見の女性。彼女とアレンは知り合いであった。
「バンディットとしての活動はどうかしら?」
「いえ、実は最近はそこまで行っていません。」
「あら、調子はあまり良くないのかしら?」
ウィリアは首を傾げる。
「そういう訳じゃないんですけどね。」
何故彼女はアレンの事に対して詳しいのか。バンディット自体、公になっていない存在であるはずなのに、妙に親しげな両者。
「ウィリア、お前さんがアレンを紹介してくれなきゃこいつはバンディットとしてやっていけてなかったんだぜ。感謝に尽きるぜ、いや、ほんとに。」
ワートンの言葉でもあるように、アレンが戦後にバンディットとして活動するきっかけとなったのがウィリアなのである。その為、彼等は顔見知りであったのだ。
「ああ、そうだ、せっかくだし俺は下に降りるわ。お二人で喋ってな。」
「階段、踏み外さないでよ。」
「誰が!」
そう言って、ワートンは下に降りて行った。
部屋に二人残ったアレンとウィリア。戦後以来の再会である。彼等は互いにバンディット仲間として行動していたが、アレンが今、アステル家に身を寄せている身である為、バンディットとしての活動は休止しているのである。
「アレン、本当、久し振りね。戦後以来だから四年振りぐらいかしら。貴方が駆け出しのバンディットの時以来ね。」
ウィリアは脚を組みながら、言った。
「ええ。あの時はお世話になりました。色々と、ウィリアさんが教えてくれたから今の俺があるんだと思いますよ。」
恩人との再会は懐かしさと新しさを同時に感じる。今のアレンが、まさにその状態だった。
「あら、お酒は飲まないの?せっかくなのだから飲みましょう?」
ウィリアは、所持しているワイングラスを揺らし、アレンを酒の席に誘う。
「ここの所、多忙だったから……少しだけなら。」
珍しく、アレンは酒を飲む事を承諾した。近くに置かれているワイングラスに手を触れ、ウィリアはそこへ赤い色の酒を注ぐ。
カァン
と、グラスが鳴り響く。そして、一口、ワインを口に含む。葡萄酒の特有の深い味がアレンの喉を通した。
「お酒の場というのはね、人を安心させる場でもある。そして、口を開きやすくなる環境でもあるの。」
「ウィリアさんはそれで、今まで仕事をしてきたんですね。」
「ええ、まあ。」
青年と美女の組み合わせ。久しぶりの酒の場は、彼にとっての束の間の“癒し”と言えた。
「ところで、先程の話だけれど、貴方、アステル家と繋がりはあるの?」
酒の場で話が盛り上がっていた時に、ウィリアが言った。
「ええ、ジャンヌとは戦前からの繋がりですよ。」
「へぇ、成程……」
ウィリアはワインを一口飲み、口元から離す。
「それは、随分と太いコネクションね。伊達にデウス動乱の英雄とは呼ばれていないみたい。」
彼の呼び名は連邦内だけでなく、彼女のようなバンディットにも伝わっている。アレン自身は、この呼ばれ方を受け入れている訳ではないのだが。
「彼女はアステル家の令嬢という立場であるだけです。別に俺がそのような肩書きがあるから知り合いと言うわけでもありません。純粋な友人関係……それだけです。」
「随分と謙遜するのね。バンディットとしても、パイロットとしても一流である貴方が。」
ウィリアの声は甲高く、聴くものを落ち着かせる効果があるように感じられる。そして、今彼は酒に僅かに酔っている。その状況で聴く彼女の声は、どこか、色気を感じられる。
「ねぇ、アレン。突然だけれど、アステル家の秘密について、何か、知らないかしら……?」
と、ウィリアは彼の身体を見て、意味ありげな視線を送ってきた。
「秘密ですか。」
「アステル家はデウス帝国に対して兵器等の生産、提供を行なってきた。けれども、そのアステル家は戦後になってこの地球上で大人しく暮らしている。かつて死の商人と呼ばれた一家が……ね。」
兵器を提供している時点で、死の商人と言う呼び方は間違ってはいない。しかし、その呼び方にアレンは僅かながら不快感を示していた。
「そして、ジャンヌ・アステルは世界的な歌手としてメディアの注目を集めている。これ、凄く気になるなぁって思ったの。」
「何が、でしょうか。」
アレンは酒を飲みつつも、真剣な眼差しをしている。
「これは私の仮説だけれど、アステル家当主、ジンク・アステルは、地球上で何かを考えていると思うの。その上で愛娘である、ジャンヌ・アステルを歌手として世間にカモフラージュさせて、裏では何かを起こそうとしている。まあ、これは大衆がよくするような。俗な仮説だけれども。」
情報を知りたがる女性、ウィリア。彼女もバンディットであり、それ故の追求なのか。
アステル家の秘密を知りたい者は多い。公になっている情報以外では謎に包まれている部分が多い為である。まさか、彼女もバンディットへ誘った当時の少年がジャンヌ・アステルと知人だとは、思わなかったのだ。
「ウィリアさんとはいえ、その言い方は良くないと思いますよ。」
「あら、どうして?」
「彼女の意思は、純粋な気持ちで動いているからです。」
アレンはそれを聞いてきたからこそ、それを断言した。
しかし、それはウィリアに話を切り拓かせる事と、同意義であった。
「じゃあ、知っているのね。アステル家の事。私、もう少し知りたいと思うなぁ……」
と、ウィリアはアレンとの距離を狭める。まるで、自身の美しさを武器にしているかのように。
「取引しない?アレン。」
「取引……ですか。」
顔を赤めているウィリアと、アレン。この部屋には今、二人しかいない。そして、近くにはベッドがある。妖艶な雰囲気を醸し出してきたウィリアは、まるでアレンを誘惑せんと、迫っているのである。
「交渉の一つの手段として、セックスがある。貴方を気持ち良くさせて、その代わりに情報を私が得る。お互いに良い思いをするし、悪くないと思うのだけれど。貴方の若さならば、金銭よりも性欲。そう思うのだけれど……。」
と、アレンの大腿部に、手で触れる、ウィリア。
何らかの交渉で、性行為を交える事は旧世紀からある事だ。例えるならば芸能人等見られる、枕営業。有名企業等のコンパニオンとして重役と共に一夜を過ごし、そこから仕事を得るという方法だ。
性行為は人間の本能の一つ。どのような聖人であろうと、睡眠、食欲と同様、抗えない、欲の一つ。故に、交渉等で利用されやすいのだ。
「……俺はそういうのでは動きませんよ。」
アレンは、キッパリと彼女の誘惑を断ち切った。それと同時に、彼女は手を放す。
「へぇ、英雄さんは思ったよりも硬派な人間なのね。私を前にして、気が乗らないなんて。」
と、驚いた様子を見せるウィリア。
「歴史上、有名な人物でも女性関係に関してはふしだらであったりするものなのに、貴方は絵に描いた通りの聖人って訳ね。」
「いや……というよりは、貴方とはそういう関係になれないと言う事ですよ。」
「別に性行為は恋人同士じゃないとしてはいけないと言うルールはないのよ?まさか、貴方……そんな童貞のような発想をしていたとか?」
「いえ、どうしてしょうね……」
彼の中には、ココットの存在が大きく存在していた。アレンにとって最愛の人間は、ココットのみ。それ故に、ウィリアの誘惑にも関心を抱いていないのである。
それ以外にも、まるで自分がウィリアと寝る事でジャンヌの事を教えてしまうという事に対し、罪悪感を覚えているというのもあるのだ。
酒を飲んだ時、人は少なからず軟派になり易い。そこへそれなりに想い合っている男女が現れれば、性行為へと繋がる可能性は格段に上がるだろう。
だが、アレンにとってウィリアはその範囲の外の存在だった。彼女は恩人であれど、性的対象として見做せなかったのである。
「フフ、硬派な英雄さん。貴方には人が集まる魅力があるのかもね。英雄という肩書きだけでない、人間としての魅力が。」
魅力。アレンにとって、それは何を示すのかは不明だ。
「さて、英雄とのセックスも出来ないみたいだし、そろそろ失礼しようかしら。」
ほろ酔い状態のウィリアは、そっと、立ち上がった。その妖艶な雰囲気を醸し出したまま、やがて去っていく。
「バンディットの好として、また会えたら良いわね。英雄さん。」
ウィリアは笑みを浮かべ、ウインクをし、階段を降りていった。
(英雄……あの人は何度もそう言うけど……それは俺に相応しい言葉なのか?)
ふと、アレンはそう思っていたのだ。
ウィリアはワートン宅から去って行った。アレンにとっては久しぶりに会う知人であり、バンディットの師ともいえる女性、ウィリア・ラーゲン。だが彼女はアレンがアステル家と関係を持っている事を知った時、その身を差し出してまで話を聞こうとしていた。その理由は不明であるが、アレンにとってはこれが謎で仕方がなかったのである。
「ウィリアとはどんな話をしたんだ?」
「いや、まあ……ちょっとした、雑談だよ。久し振りに会ったし、溜まる話もあるだろう……って、感じかな。」
「へぇ、そりゃありきたりな。」
「それぐらいの会話が、一番良いんだと思うよ。本当に。」
まさか性行為の交渉を求められた等、ワートンに言える筈がないと、考えていたアレン。
その晩、彼は酒が回ったのか、眠気に襲われた。彼はワートンに断りを入れて、そのままシャワーを浴び、ベッドで一眠りをする事にしたのである。
外に出たウィリアは一人、歩いていた。普段目に掛かる事のない美女の存在は街ゆく人間達の注目の的と言える。
「おほぉ、ウィリアじゃねえか。」
奇抜な感嘆詞を上げる男が、彼女の後ろに立つ。振り返るウィリア。
そこに居たのは、メイド・ヘヴンであった。氷河族内でパニッシャーと呼ばれているこの男が、彼女の背後に立っている。美女と野獣と呼べるような妙な組み合わせ。何故、バンディットである彼女にこの男が付いているのか。
「あら、メイド。日本では大活躍だったそうじゃない。」
彼の存在に驚く様子を見せないウィリア。
「ひつまぶし……ちゃう、暇潰しで暴れさせてくれたからな。お陰で世界は冷戦みてぇなモード。ドンドン世界情勢が悪くなりゃ、俺の楽しみは増えんだわな!」
男の楽しみは、あくまでも戦闘。戦う事に対する愉悦。それのみが、楽しみの男。それがメイド・ヘヴンである。
だが彼は氷河族のメンバーだ。何故、氷河族のメンバーであるこの男がこの場にいるのか。そして、バンディットであるウィリアと接触をしているのか。
「相変わらずね。私には直接関係ないから、気にはしないけれど……」
「関係ないことはねぇだろうが。氷河族の癖によォ。」
メイドから語られた言葉、氷河族。それは、フォン・ヤマグチの暗殺に関与した組織であり、裏社会の勢力を拡大している存在だ。
メイドの台詞により、ウィリアも氷河族のメンバーの一員であるということが、分かる。
「お陰であの時のフォン・ヤマグチの暗殺に関しての情報は世界各地のテロリストに行き渡った。その結果、莫大な利益を得る。組織にとっては良いエピソードが続いているわね。」
「んで、その還元を俺等が受けているって訳だなぁ!まあ、金が増えるのは良いんやけどなぁー。」
上機嫌なメイドと、少しばかり考え込む様子を見せる、ウィリア。
「ちょっと気になったのだけれど、あの暗殺の後で起きた、アルメジャン紛争。あの紛争の最中、クレーディト・メカニクス社の株価が軒並み上昇したの。これ、凄く気になってるんだけれど。」
ウィリアが語った、クレーディト・メカニクス社。それは北欧にある、機械関係の企業である。
氷河族によるフォン・ヤマグチの暗殺により、このクレーディト・メカニクス社の利益は増大した。これが何を示すのかと、ウィリアは考えていた。
クレーディト・メカニクス社は、北欧に存在する、家電や運送などに関係する、機械関係の企業である。この会社と氷河族の関係が何を示しているのか。それは、分からない。
「私の仮説だけれど、この事からクレーディト社と氷河族は密接な関係である可能性が高いかも知れない。そして、気になるのは氷河族も、クレーディトも、共にトップの顔が明らかになっていない。これ、興味湧かない?」
氷河族と機械関係の企業が関係を持っている。それが、莫大な利益を上げている。しかし、その実態は謎に包まれている。ウィリアは、一人この事について、興味を抱いている様子だった。
「そんなモンに興味あんのか?どうでもいいわ。」
「貴方は良くても、私は気になるのよ。氷河族に所属している身としては……ね。」
ウィリア・ラーゲンは物事を追求する事に関心を抱いている女性だ。それ故に、追及する。アステル家の事もそうだが、氷河族とクレーディト社の事も。
クレーディト・メカニクス社は謎に包まれている要素が大きい。表向きは機械関係ではあるが、その実態も公にはされていない。
「あんまり知らねぇけどよ、下手な詮索は止めといた方が良いんじゃねーの?それで消された奴、いっぱいいるし。下手したらお前、死ぬ事になるかもな。」
メイドはまるで、ウィリアを睨みつけるような視線を送った。
「……何故、そう言うのかしら?」
ウィリアの疑問に、メイドが言う。
「知ってんだろ?俺はパニッシャーって呼ばれてンだわ。情報詮索する奴は殺さなきゃならねーんだってさ。組織に入る時の契約みてぇなもんだ。その時に変な印押されそうになったけど押されたフリして誤魔化したぜ。あれか?組織に入る人間はみんなあんなクッソダサい印を植え付けられんのか?」
妙な単語が出てきた。その“印”とは何を示すと言うのか。
「……分からないわ……」
と、ウィリアは言った。
「ま、何でも良いけどよォ、それと、俺にゃオカルトパワーがあるんだぜぇ?人様より何かを察したりする力ってもんがあるらしいんだな、これが!」
と、言いながら右示指を自身の額に当てる、メイド。
「へぇ、それがシンギュラルタイプって呼ばれる人間なのかしらね。」
「そうなんだろーな!あんまり知らんけど。」
メイドは視線を空に向けた。やがて腕を空に向けてうんと伸ばす。
「ま、なんでか知らんけどお前に対して抹殺する気はねぇんだわ。とりあえず、俺が望むのは早くデウス動乱みたいになんねェかな。つまらなさ過ぎるんだよなぁー。今の世の中が。」
「貴方みたいな戦闘狂と、同じ所属と言うのも面白い運命の巡り合わせのような気がするけれど……ね。」
「よー言うわ。」
寒空の下、犯罪組織に所属する人間が二人、静かに歩いている。
戦争を望む戦闘狂と、アステル家の事や、氷河族の実情について気にする美女。不釣り合いな組み合わせの両者の共通点は、犯罪組織、氷河族の所属であるという事だ。
彼等の思惑は異なる。それぞれの目的は違えど、同じ組織に所属している。それが、氷河族という、組織なのである。
翌朝。アレンは以前にバンディットの依頼を受けていた孤児院のある、アレクサンドリア東部に移動していた。元々あった孤児院は以前の戦闘で破壊されており、現在は別の場所で孤児院経営を行っているという。以前の出来事から二ヶ月程経ち、久し振りに孤児達に会うアレン。
彼にとって孤児達は弟や妹のような存在であり、会える事を楽しみにしていたのだ。
孤児院の施設長、ウィルと会う時、彼は偽名で対応する。スパーダ・スクード。アレンの偽名。バンディットとして活動する為の名前だ。
「お久しぶりです、スパーダさん。」
「ウィルさん、お久しぶりです。最近は仕事が色々と立て込んでまして……」
実際は世界情勢が気になっていたアレン。今は、その休暇としてここを訪れているに過ぎない。
以前ここを訪れた時、反政府デモに協力するテロリストと、新生連邦軍の戦闘に巻き込まれた。その際に彼は旧式MS、ディエルに乗り、それらを倒した。それから世界情勢は更に不安定になっていき、心配をしていたのだが、それも子供達の顔を見た時に安心へと変わっていく。
「お兄さん、久し振り!!」
マリクが声を掛けた。アレンに近付き、目を輝かせている。
「久しぶりだね、マリク。元気してた?」
「うん!」
「他の子達は?」
「お昼寝中!みんな起こしてくる!」
そう言って、マリクは他の子ども達を起こしに行ったのだ。
(世界情勢は不安定だ。けど、この子供達は無事……それだけでも俺は安心だ。けど、俺は今日が終われば暫く会えないだろう。しっかりと、顔を見ておかないとな。)
一週間経てば、アレンはジャンヌと合流し、パーティに参加する。それまでは休息期間として、知人達へ挨拶を済ませようと、アレンは考えていた。
ジャンヌと共に行動していく事になれば、恐らくここに帰ってくる事は殆どなくなるだろう。ワートンに対しても仕送りをするようになるだろう。戦後、家族同然に過ごしてきた彼等との別れは、寂しいものがあったのだ。
施設内部は以前よりも奇麗だった。だが彼等にとって親しんでいた環境が一変したことで、最初は不安に思ったりもしただろうと、アレンは考える。
そこへ、じいっとアレンを見る一人の少年の姿が。ラージーだ。以前にディエルに乗って彼等を助けた時、一人、アレンがMSに乗って戦った事を否定した少年。
アレンは彼等を守る為にMSに乗った。だが、それはラージーのトラウマを引き起こした。その事を、彼は気にしていたのである。
(怒ってるかな……)
と、アレンは静かに思った。
「お兄さん!久し振り!」
次の瞬間、ラージーは笑顔を作った。どうやら、アレンの事を受け入れた様子だった。それを見た時、彼は自然な笑みを浮かべる事が出来た。
「久しぶり、ラージー。元気でやってる?」
「勿論!この前運動会やって一位だったんだぜ!」
「へぇ、それは凄いなぁ!」
「あとさ、Eフォンも買って貰ったんだよ!みんな使い方を先生から教えて貰ってる!」
と言って、彼は自慢げにEフォンを見せた。
「おお、ついにデビューだね!何を見てるんだ?」
「ジャンヌ・アステルの動画とかみてる!」
彼等のような子供達にも知られる程、ジャンヌは有名なのだ。
美しい容姿で世界中を虜にし、そして希望を与える女性、ジャンヌ。まさかアレンは一週間後にそのジャンヌに会う事になる等、彼等は知る由もない。
「素敵だよね、その人。」
「歌上手いし、スーパースターだもんな!」
と、笑顔でラージーは答えた。それに対し、アレンの表情は、どこか曇っていた。
それから施設の中に入り、孤児達と合流したアレン。久しぶりに見る彼の姿を見て、喜ぶ孤児達。そして、皆がEフォンを取り出し、何を見ているのかをアレンに言った。
「僕は勉強の為に使ってる!」
「私はエレチャンネル見てる!」
「私はジャンヌ・アステルを見てる!」
それぞれが好きなジャンルの動画等を見ている。皆、それらを使って勉強したり、エンターテインメントを楽しんでいる。
「あれから色々と大変でしたけど、こうして孤児達が楽しそうにしているのを見ると、ホッとしますよ。あの時はどうなるかと、思いましたから。」
ウィルが、アレンに対して話をする。
「本当、良かったです。あの後、子供達が心身共に傷付いていないかが心配でしたから。」
安寧の表情を浮かべるアレン。子供達の無事を見る事が出来たアレンにとって、子供達がそれぞれ楽しんでいる時間を見るのは、何よりの至福なのである。
「スパーダさんはどうなされていましたか?」
ウィルの質問。それに対し、アレンは言った。
「仕事が、忙しくなりまして。バンディット以外にも少し、稼ぎが必要な状態なんですよ。恥ずかしながら。」
彼はあえてジャンヌとの関係を言わなかった。そもそも彼は自分の正体を隠してここにいる。
(正体を隠してこの子達を欺いているようなものだ。英雄なんて呼び名ばかりがチラつくけど、そんなものは所詮、下らない肩書に過ぎない……)
本当の名はデウス動乱の英雄、アレン・レインド。だが、その名を知られた時、人はどのような反応を示すだろうか。英雄と呼ばれている人間ではあるかもだが、このような場においてそれは言ってはいけないものだと、考えている。
戦争における英雄というのは、現役や元軍関係者等の人間が口にして良い言葉である。彼等のような民間人、増して、孤児院の人間にそれを軽々と言って良い筈がないのだ。現に、戦争の被害者である彼等が、アレンがデウス動乱の英雄と知れれば、彼等の見る目は変わってしまう事だろう。
(俺が求めているのは称賛でも名声でもない。純粋に、人を見ていたい。けれども先のデウス動乱で連邦に貢献して、その上でこんな偽善者みたいな真似をしている俺は、最低な人間なのかも知れないな……この子達にも、正体を隠し続けて……)
彼は子供達の姿を喜ぶと同時に、複雑な思いをしていた。
以前のアレクサンドリアの内戦でもMSに乗って戦っていたアレン。その時も、子供達の一人、ラージーから非難の声が上がった。MSと呼ばれる存在は、人の心を歪ませる事さえある。そのパイロットをしていると知れば、否定されるのも致し方のない事だ。
だがラージーは彼を認めた。笑顔で対応したのが、何よりの証だ。それもまた、アレンにとっては複雑なのである。
「何やら、複雑そうな表情を浮かべていますね。スパーダさん。」
ウィルは、彼にマグカップを渡した。コーヒーが入っているそれを受け取り、アレンは一口、飲む。
「ウィルさん、聞きたいことがあります。」
「何でしょうか。」
アレンは一度、息を飲んだ。そして、口を開く。
「もし……俺の名前が知りたいとなったら、聞きたいと思いますか。」
アレンは自ら、本名を名乗るかも知れない機会を設けたのだ。その際のウィルの反応を、聞きたいと思っていたからである。
「それを知って、私は何も思いませんけどね。恐らくこの子達も同様だと思いますよ。」
「どうして……ですか。」
意外な返答に、気になる様子のアレン。ウィルは、全く動じる様子がない。
「貴方がその名前であるのは事情があるのは、分かっているのです。子供達もそれを理解している。でもそれを聞いたところで、今の貴方がその行動をしているのならば、それは間違っていないのです。そこから無暗に詮索をして、過去を知ったところで、貴方には今がある。貴方の過去がどうであれ、それを気にする事はありません。あの時、MSに乗って子供達を守ってくれた貴方を見て、そう思ったのですよ。」
ウィルの優しい言葉がアレンに伝わる。その言葉を聞いたアレンは、彼の意思を感じ取っていた。詳細は分からなくとも、察しているのかも知れないと、感じていたのだ。
「俺は、やっぱり浅はかな人間なのかも知れませんね……」
「どうして、そう思うのですか?」
「勝手な思い込みで孤児達を“可哀想”って思って、そこに対して取り組んでいる自分が、時に偽善じゃないかって思う事があるんですよ。バンディットとして何度かここに来させて貰った時から、それは思っていましたが。」
デウス動乱の英雄という肩書はアレンにとっては荷が重すぎる。戦争の犠牲者が居た上で成り立っている肩書であり、孤児院という、両親を失った子供達と接して本当に良いのか……と、ふと、考えていたのである。
――――――――この人がデウス動乱の英雄って知っていたんですか―――――――――
――――――――――――前大戦の英雄と呼ばれていた……とか―――――――――――
――――――――――戦争の英雄って呼ばれていたんですよね――――――――――――
英雄。それは栄光の意味で使われる言葉。それを言われた者は誇りに思うだろう。それを言われたものは、尊敬されるだろう。時に求愛され、名誉も得られる事だろう。
しかしアレンはそこに驕りを感じていない。孤児院と言う環境に身を置く事で、自らの愚かしさを顧みているのだ。
英雄と呼ばれていても、結局は人殺しだ。戦争を拡大し、その被害者となっている子供達はこうして孤児院で保護されている。そして、二ヶ月前も内戦があった。
アレンはその戦いで彼等を守りはした。だが、それは子供達の不安を蘇らせてしまった事と同義でもあったのである。特に、ラージーは大きく傷ついていた。二ヶ月で、それをどうにか克服をした様子ではあったが。
(戦後の世界情勢が不安定なのはレヴィーの影響もある。しかし、俺もそれにかつて加担していた。俺なんかが、このような場所にいる資格は、無いんだろう……なのに、どうしてここに居るんだろう……こんな我儘が、許されて良いのだろうか……)
アレンがそう、考えていた時だ――
「私が思うのは、何もしない偽善より、何かをする偽善だとは思いますけれどね。行動せず、ただ否定する者も世にはいます。貴方はその中でも、行動をしていますよ。」
ウィルが、笑顔で話す。
「どうでしょうか。前の件から思っていたんです。俺の場合、子供達のトラウマまで蘇らせて……正直、金銭だって貰う資格はないんですよ。俺には。」
マグカップを、アレンがテーブルに置いた時――
「それは違いますよ。労働に対して報酬があるのは当然。報酬を得ないボランティアは、善意の極みです。全く、私利私欲のない人間と呼ぶべきでしょうか。」
ウィルの言葉を聞き、アレンの表情が変わりつつあった。子供達の面倒を見続けていたウィル。彼の言葉は、アレンに大きく響いていたのである。
「以前のMSの事を気にされているのでしたら、それはもうやめにしましょう。貴方が気にする事ではありません。貴方は、貴方の責務を果たしたに過ぎません。」
「そうでしょうか。」
アレンは、瞬きを二回した。
「貴方を見ていて思うのですが、これから、何かを成そうとしているのではないでしょうかね。」
「……どうして、それを思うのですか?」
まるでウィルに見透かされたような感覚に陥ったアレンは、驚愕している様子だった。
「そうでなければこのような話、普通はしませんよ。何かを行おうとするから、迷いが生まれる。“本当にそれで良いのか……”といった戸惑いが、生じるんですよ。大丈夫、貴方は自らを卑下する必要はありません。寧ろ、忙しい中、ここまで来て下さって有難いと思っていますよ。」
「ウィルさん……」
ジャンヌも大変な状況の中、アレンに一週間の休暇を与えた。アレンは限られた時間を利用し、彼にとって大切な人達に会いに行っている。
ふと、その中で孤児院の人々に対して正体を隠し続けている事に対する罪悪感を抱いたアレン。それを、ウィルが見透かしたように言った。
「もしかすれば、これからの貴方は過酷な道を歩むかもしれません。それは、分かりませんが……また、戻って来ることがあれば、いつでも、是非戻って来て下さい。子供達も私も、いつでも、歓迎しますよ。」
詳細を聞かなくとも、それを察するウィルの優しさ。それは今のアレンを包んだ。
ジャンヌの件もあり、大変な状況のアレンではあったが、その中でウィルの言葉が優しく、感じられるのであった。
「はい、必ず。」
一人、苦悩を抱えていたアレン。自身が英雄であるという事を子供達に誇示する必要等ない。彼等は戦争の犠牲者。それを分かった上で接する。その行為は偽善そのものではないかと考えていた彼だが、ウィルの言葉に、癒された気持ちになった。
一週間後、彼はジャンヌの主催するパーティに参加する。そのパーティは、どのようなものになるのかは不明だ。
ジャンヌも止まっていない。今後の世界の為に、動こうとしている。ならば、アレンも今後の世界の為に動いて行こうと、考えていたのだ。このような、両親を亡くした不幸な子供達を少しでも減らしていく世界を、作り出そうとする為に。
別の日。アレンは日本に来ていた。ココット・メルリーゼに会う為である。だがその猶予は僅かだ。一日しか共に過ごせない。
その日、ココットは仕事があった。アレンと出会うのは、夜の時間。アレンはディナーを予約し、レストランにてココットと束の間の時を過ごす。彼女と会うのは一ヶ月振りだ。
レストラン内は緩やかなジャズの音が流れている。ジャズの音色はそこで過ごす者達を癒す効果がある。心地良い音色。その場にいる客人達も、外見上、品の良い人間ばかりが集まっている。
「アルメジャン紛争とかあったりして、大変だったね。アレン。その……ジャンヌさんのお母さんが亡くなられたそうだし……自殺だって……」
世界的女優の訃報は日本にも伝わる。ココットもそれは分かっていたのだ。
「彼女は今、無理をしているんだと思う。決して涙も見せないで、前を向こうとしている。余りに突然だったよ。あの人が亡くなるのは……」
「アレンは、詳細を知っているの?」
「分からない。本当に、不明だ。自殺って言われているけど、それが本当なのかも分からない。」
用意されているコース料理を食べながら、アレンは言った。
「アレンは、大変なんだね。今も……」
ココットは料理の一つであるマッシュポテトを口に含み、喉に通し、言った。
「私なんかと比べて、アレンのやろうとしてる事は本当に大きい。私は目の前の仕事しか、出来ないから……」
「そんな事はないと思う。」
「どうして?」
「ココットは、今出来る事をして行ったら良い。それが仕事なら、仕事をすれば良い。俺も、君の事を応援したい。頻回に会える訳では、ないけれど……」
その言葉は、何処か、寂しげに聞こえた。
「私は……本当ならアレンと一緒に暮らしたいの。その時間が僅かしかないのが、悲しくて……」
対面に座るココット。アレンから見て、彼女が俯いているのが分かる。
(彼女と一緒にいる時間がもう少しでも増えれば……とは思う。けれど、今は彼女を巻き込めない。あの時を、思い出すから……)
ふと、アレンは過去の出来事を思い出す。
それは、デウス動乱中にココットが宇宙空間に放り出された件についてである。それから行方不明になっていた彼女は一命を取り留めてこの場にいる。それ自体が、奇跡だ。
だからこそ、なのだろう。生きている彼女が愛おしいが故に、彼女を巻き込みたくない。目の前の仕事をこなす事で精一杯で、良いのだと、彼は思っているのだった。
「アレンは、明日にはもう行っちゃうの?」
「うん、朝には空港に行く予定だ。そうなれば、暫く君に会えない……」
「そうなんだ……」
寂しそうに、表情を浮かべるココット。
「ねぇ、また、うちに来てよ。アレンの事ずっと思っていたい……せめて今夜は一緒にいて欲しい。」
恋人同士の彼等は互いに愛し合っている。それ故に、世界の現実がそれをさせないのだ。アレンの中の使命感が、行動をさせる。ジャンヌと共に、新生連邦と対峙していく事になる状況で、ココットとの別れは、余りに悲しい。
「じゃあ……お言葉に甘えるよ。」
「本当!?嬉しい……」
ココットは白い歯を見せ、笑みを浮かべた。
(こういう時、指輪とかを持っていた方が良かったんだろうな。俺はやっぱり女心が分かっていないんだろうか。)
と、内心で思っていた。
愛し合う二人が一つ屋根の下にいれば、互いに身体を求め合う。愛情を感じている人間同士は、時に、過激な行動をする事もある。それは、二人が互いに想い合っているが故に、行為を行うのだ。
アレンの場合、最愛の人間が愛らしい表情で目の前にいており、そっと抱擁を行い、激しい接吻を交わす。そして、身に纏っているその衣服を脱ぐ。
その後、ココットは愛おしいアレンの為に積極的且つ、献身的な行動を取る。他者から見れば、過激に思える行為……例えば、彼の下着を取り、そこから露わになる男の象徴への愛撫行為や、それを自身の口腔で咥える行為等。
「……くぁっ……」
アレンは顔を赤め、ただ、その快楽に耐える。
「んむぅっ……ごめんね、今日は生理で……せめて、これぐらいは。」
献身的な彼女の姿に、アレンはただ、愛おしさだけを感じていた。
「ううん……気にしてない……生理なのは……身体が健康だって……証拠だよ……うぁっ……んぅっ……」
「気持ち良い?」
「うん……はぁ……くぅぅっ……!」
ココットの都合により、性器同士を結合させる性行為が出来ないならば、せめてその身体の一部を使い、愛する人間の心と、身体を満たしていく。それが、愛する者への愛情表現である。彼女はただ、アレンを快感へ誘導する。それに呼応する、彼の吐息がマンションの一室に、静かに響くのであった――
それから一週間が経過し、アレンにジャンヌから連絡が来た。パーティが始まるという知らせだ。それを見て、彼は航空機でイタリア、ローマに訪れた。
そこでアレンはジャンヌと会い、彼の為に用意した特製のスーツに着替えさせた。服装が変わった事により、彼の印象は大きく変わる。まるでその容姿はどこかの貴族の子息のように、見えた。
パーティ会場は豪華客船上で行われる。地中海から出発し、そのまま大西洋に出て、横断するルートだ。その目的地は、アメリカ合衆国、ボストンの港である。豪華客船の中には彼女の友人や、知り合い等が見受けられる。実際にパーティが始まるのは本日の午後6時。まだ12時を回った所である。
それから客船は出航した。そのスピードは緩慢であり、そのまま、客船は西へと向かう。
平和国連盟の本部のあるニューヨークの僅か西側に位置するボストン。そこは平和国の勢力下であり、アステル家とも親密な関係であるフェイン・バウアーと呼ばれる男がいた。
彼はボストンの平和国の一部代表を務めている男であり、ジンクとも交友がある。今回のクルーズは、フェインの協力もあった為、航行の安全は保障される。何故ならば、平和国が関係している客船という事となる為、何らかの襲撃が行われる事は、まず、あり得ない。それはアステル家の中に潜んでいるかも知れない、新生連邦のスパイにも言える事だ。アステル家を何者かが狙う人間が居るとして、平和国が関与していればそのような勝手は許されないだろう。
現在対立しつつある状況の新生連邦と平和国ではあるが、表向きで奇襲を仕掛けるといった事は、まずしない。それも踏まえた上での、今回のクルーズという訳である。更にその保険として、国連軍の水上艦が待機している。その中には国連のMSである、ヴァントガンダムも搭載されており、万が一の時の対策も出来ているのだ。こうした準備が出来るのも、父、ジンクの交友の広さが幸いした事になるのである。
母親亡き後、娘を想うジンクはこのような形で彼女を守るのだ。これは妻であるターナを殺害した真犯人を見つけて欲しいと思う、彼の強い思いが加わっていたのである。
「凄いな、流石アステル家。この豪華客船を使ってパーティ。その上でアステル家を陥れようとする真犯人を突き止める……か。やり方も彼女らしいというか、大胆というか。」
客船の全長280メートル。全高は58メートル。幅は28メートル。旧世紀に北大西洋にて沈没したとされる、タイタニック号を彷彿とさせるようなデザインの、豪華客船。それが、今回のパーティの舞台だ。
アステル家の令嬢、ジャンヌ・アステル。世界的歌手として活躍する傍ら、スポーツでも結果を残している。テニスでは世界大会でスポーツで世界選手権ベスト4にまで進出した程の腕前を持つ。そして戦艦、シュネルギアの艦長も務め、挙句の果てにはアドバンスドタイプである彼女。恐らく、才色兼備とは彼女の事を指すのだろう。そして、その振る舞いも完璧と呼べる、女性だ。
アレンは改めてジャンヌの事を尊重した。何せ、彼女が主催しなければ、このパーティも成り立たなかったのだ。無理もない。
「アレン。」
アレンを呼ぶ声が。後ろを振り向くと、黒色の、短い丈のスリット入りのドレスを纏ったジャンヌの姿がそこにはあった。気品あふれている彼女の姿にアレンは思わず見惚れてしまう。
「やっぱり君はドレスがよく似合う……ね。綺麗だ。」
特に誇張する表現もせず、ジャンヌを褒めるアレン。
「フフ、それは口説いているようにも聞こえますね、アレン。」
珍しく、ジャンヌが冗談で返答してきた。先日の悲劇があったにも関わらず、まるで余裕のある彼女。
「別に、口説く気はないけど。」
と、謙遜するアレン。
「けれども、そのようなシンプルな言葉の方が嬉しさを感じる事もありますわ。ありがとうございます。」
ジャンヌは、笑みを浮かべた。彼女の纏っている衣装は、より、その笑みを輝かしく見せているようにも見える。
「この船はアステル家が保有している客船です。名は、セントマリア号。旧世紀、北大西洋沖で沈没したとされるタイタニック号を模して作られた客船ですわ。」
「どこかで、見た事があるとは思っていたけれど……やっぱりそうなんだね。」
アレンは、関心を抱いている様子だった。
セントマリア号。その大型客船はこれから大西洋を横断する。その間、客人達を招き入れ、大西洋の絶景を見ながら航海を楽しむのだ。
しかしそれは只のパーティではない。真実は、ターナ・アステルの殺害に関係した人間を炙り出す為のパーティである。
シュネルギアの情報の漏洩に、ターナの死。これらの事件が続く事から、アステル家を陥れようとする者が必ずいるに違いないと考えた彼女が主催する、このパーティ。
彼女の知人達をこの船に一同に集め、パーティと称し、その調査も行う。その為に、アレンは呼ばれているのだ。
これはバンディットとしての仕事も兼ねている。アレンにとって、これは所謂、潜入捜査なのである。
セントマリア号が地中海を抜けようとした頃、アレンは自室でシャワーを浴びていた。パーティの時間までは三時間ある。髪を拭きながら、彼はベッドに寝そべった。
黒い下着一枚と、白いTシャツ姿で過ごすアレン。彼はこの時、今までにあった事を、思い出していた。彼はEフォンを見ながら、ジャンヌの事を考えていた。
(戦後になって彼女と再会して、今に至る。彼女と出会わなければガンダムにも乗らなかっただろう。妙な巡り合わせ……その上で、彼女自身にも不幸が訪れた。今、彼女は無理をしている。そうなった場合、支えられるのは……誰だ?俺なのか……?)
ターナ・アステルの死は間違いなくジャンヌの心を傷付けている。そうした経験をしながらも、彼女は世界の平和の為に、動き出そうとしているのだ。それを支える人間が必要なのは、間違いない。アレンは、その人間になるべきなのかと、ふと、考えていた。
(多くの事が、渦巻いている……レヴィーの事もそうだし、今回の事だって……世界は、どうなっていくのだろうか。ココットと一緒に過ごせる日は、来るんだろうか……)
様々な出来事を思い出すアレン。そして、成すべき事が多いと感じている彼。頭の中で様々な事を考えている内に、次第に眠気が襲ってきた。
彼の、瞼が少しずつ閉じられていく。そして――
「……すぅ……」
シャワーを浴びた後で眠気に襲われたアレンは、人目につくには恥ともいえる、その、格好のままベッドに眠りに就いてしまったのだった――
「アレン」
アレンの眼が開かれた。その茶色の眼に映るのは、黒いスリットスカートのドレスを着用しているジャンヌである。彼は短時間ではあるが、眠ってしまっていたのだ。
「もうすぐお時間ですわ。クスッ。お疲れだったのですね、アレン。」
「あ、ああ……ごめん。あれ、どうして部屋に?」
「マスターキー、ですわ。」
ジャンヌは微笑し、カードキーを彼に見せた。アレンは二回、瞬きをする。
「パーティの時間まではあと30分です。ご支度をよろしくお願いしますわね、アレン。」
と、言った後でジャンヌは部屋を去って行った。
「あと30分……うわあ、こんな格好を見られたのか、情けないな……」
まさか、ジャンヌに起こされるとは思わなかったアレン。それと同時に時間を確認する。
部屋の時計は長針が6、短針がと6の間を指していた。それを見たアレンは慌ててスーツに着替える。
その後、すぐに急いでパーティ会場へ向かう事にしたのであった。
アレンはパーティ会場へ走った。そこには大勢のゲスト達がそれぞれのテーブルに座り、それぞれが楽しそうに会話をしている光景が映った。
そこにいたメンバーは、いずれもが各界の著名人ばかりが集っていた。アレンにとっては一度は目にした事のある有名人の姿も、中にはいた。その著名人の子供や、子息、令嬢といった面々がこの場に集っている。皆、端正な衣装を身に纏い、ジャンヌが主催したパーティを楽しみに、歓談をしている。
「ふぅ、間に合った……かな。」
安寧の溜息を吐き、アレンは指定されている席へ向かった。その場所は、メインとなる舞台の一番近くで、間近でジャンヌの姿が見る事が出来る場所だった。その場所に彼は着席し、じっと待つ。しばらくすると隣から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
隣にいたのは上流階級の人で、名はヘア・マルコス。イギリスにあるマルコス家の盟主で、アステル家とは長い付き合いらしい。
「ほぅ、若い青年か……。貴方はどこの盟主のご子息ですかな?」
「あ……その……俺……いえ、僕は、盟主の子息とかそう言うのではなくて……。」
「ほぅ……貴族ではない……と。」
「ええ……僕はジャンヌ・アステルの友人で、このパーティに招待されました。」
「それは光栄ですな。ジャンヌ様のご友人とは。」
ヘアは笑いながら、アレンに対して言った。
「え、ええ……まあ。」
そしてマルコス氏はアレンと会話をするのをやめ、隣にいたマルコス夫人と喋り始めた。
アレンは改めてジャンヌの凄さを思い知らされた。
(マルコス家って有名じゃないか。メディアでもよく見かける……そんな人も呼ぶなんて、流石アステル家だ。コネクションが段違いだ。)
と、考えていた時。彼の座っていたテーブルに、食前酒が用意された。だが今回彼はあくまでもジャンヌの依頼を受けている側である為、酒に手をつける事は出来ない。その為、彼は酒でなく、ジュースをウェイターに依頼したのである。
それから時が流れ、時計は6時を指した。6時になったと同時に舞台に現れたのはエファンだった。
(あの人……司会者なのか。)
アレンが疑問に思った矢先、エファン・ドゥーリアはゲストに向かって喋り始めた。会場にいた、皆が彼の方に注目している。
「私はジャンヌ・アステル様の側近を務めるエファン・ドゥーリアと申すものです。今回のパーティにご出席頂き、誠にありがとうございます。この後でジャンヌ様自身が貴方方に言葉を伝えたいとの事で、私は司会者と言う立場でこの場にいさせていただきます。皆様は、まずは用意された御食事をお楽しみ下さい。」
と、一斉にアステル家専属のシェフ達が現れ、一人、一人に用意されていた、料理を覆っていた蓋を開けた。アレンはこの料理を見て関心を抱いていたが、他の人々はそれ程、関心を抱いている様子ではなかった。恐らく、食べ慣れているのだろう。
やがて用意された料理を少しずつ頂くアレン。暫く食事に集中していると、舞台がライトアップされた。そして、中央には主催者であるジャンヌの姿があった。彼女の麗しい容姿は、会場にいたほとんどの男性ゲストの心を掴んでいた。皆が、彼女に興味を抱いている。
「皆様。本日は私、ジャンヌ・アステルが主催するパーティにお越し頂き、誠にありがとうございます。今現在、世界情勢が不安定な状況が続いている世の中ではございますが、せめて、パーティの合間だけはその事柄を忘れ、ゆっくりと時間をお過ごし下さい。その後、19時になりましたら、舞踏会を開きたいと思います。できるだけ、ご協力下さい。」
それからジャンヌは舞台裏へ戻っていった。
アレンは食事を終え、暫くしてから、司会を務めるエファンがパーティの準備をするために係員を呼んでテーブルを片付けさせた。アレンは一度深呼吸をした時、彼は肩をポンと背後から叩かれた。
慌てて後ろを見ると、そこにはジャンヌの姿があった。静かな笑顔を彼に対して振り撒くジャンヌ。
「アレン。どうですか?楽しむ事は出来ていますか?」
「あ、ああ……。それより、どう見ても普通のパーティにしか見えないけど、調査とかはしているのか?」
今回のパーティは表向きのものであり、実際は母の死の真相を突き止めるのが目的だ。自殺で片付けられたターナの死を、無碍には出来ない。彼女の笑顔の裏で、その執念が宿っているのである。
「ええ。今、ゲストの方々にはお酒を堪能していただいております。貴方を含め、アステル家の調査員の方々には酒類の提供はしておりません。」
「それと、調査はどう、関係があるの?」
ジャンヌはそっと息を吸い、喋る。
「酒はどのような人間であれ、冷静さを欠く事に一役を買います。泥酔までは行かなくとも、一時的な睡眠へと誘発し易い飲料です。もし、ゲストの中に夜間に動く者が居て、何らかの行動を起こす者が居れば、それがアステル家に何らかの不利益をもたらす者と、私は考えております。」
「てことは、毎晩、酒を提供していくという訳か。」
「ゲストはこの事に気付く事はありませんわ。フフ……」
ゲストに楽しんでもらいつつ、アステル家に恨みを抱く者の正体を暴くというのが、彼女の目的だ。こうしたパーティでは、人は気を緩みやすい。そこを狙う者を、彼女は問い詰めて行こうと、考えていたのである。
「それよりも、アレン。これから舞踏会の時間ですわ。」
「……え?」
そう言われ、アレンはふと周辺を見た。
そこには既に踊り始めている人の姿が
多く見られた。それを見た時、アレンは焦った。踊っている人々はいずれも貴族の夫妻ばかり。その貴族の子息や令嬢も踊りだしている。誰もが華麗なステップで踊っており、ダンスが未経験のアレンは見るたびに余計に焦る。
「ダンスなんて、した事がないぞ……」
焦るアレン。彼は生まれてダンスなどしたことがない。救いの手が差し伸べた。ジャンヌである。彼女はアレンに手を差し伸べ、静かに笑みを浮かべた。
「アレン、一緒に踊りませんか?」
「え……?」
突然の彼女のダンスの誘い。アレンは、驚愕するばかりだ。
「貴方と一度踊ってみたかったのです。是非……。」
「あ、ありがとう。でも俺、踊りなんて……」
「大丈夫です。私がフォロー致しますから。」
そう言われ、アレンはジャンヌと両手を繋いた。慣れない様子で焦るアレン。ジャンヌはダンスを慣れた様子で踊ろうとする。
アレンは、ジャンヌに合わせようと必死だった。彼女の動きに付いて行く事が精一杯で、アレンは焦ってしまう。
「焦らないで下さい。落ちついてゆっくり……。」
「あ、うん……。」
そしてジャンヌが履いているヒールを地面に打ちつけ、360°回転をした。その動きについていこうと必死のアレンは焦ってばかり。
「うわっ……」
「落ち着いて下さい。大丈夫ですから。」
この時、アレンは自らの生まれを僅かに呪った。上流階級と呼ばれる人間達は、それ相応の振る舞いを身に付けるものなのだろう。一方で自分はそのような生まれではない。故に、このようなダンスを踊る事は難しく、彼にとってはこの場に於いてはひ恥を晒しているようなものだ。
やがてダンスを終えた時、周囲は皆ダンスを終えていた。それらを見て、アレンは恥ずかしくなった。
「クスッ……頑張りましたわね。」
「こういうダンスって、初めてだから……。」
「楽しかったですわ。貴方と踊れて……とても。」
「そっか……それは良かった。」
初めてのダンスをジャンヌと踊ったアレンと、アレンと踊る事が出来て喜びに満ちているジャンヌ。両者共に、満足そうな笑みを浮かべていた。その時にアレンはジャンヌに聞いた。
「あ、あのさ……アークとも何度か踊った事はあるの?」
「……ええ。何度かと言うよりは……ほとんど毎日でした。」
かつてデウス動乱の最終決戦で戦ったアレンの宿敵、アーク。今は亡き婚約者であるジャンヌ。彼の話が出た時、ジャンヌは笑顔でありつつもどこか寂しげな表情を見せた。
だが、二人が会話をしていたその時である。とある男がジャンヌの元へやってきた。見覚えのないその男にアレンは首を傾けた。
「ジャンヌ・アステル……メディアでよく見てはいたが、実際に見ると、やはり、とても美しいね。」
高飛車であり、尚且つ自信家な印象をもつ、その男。年齢は彼女と同年代程度か。だが、その男の喋り方は独特で、妙に、嫌味たらしい印象を持つ。
「あ、貴方は……?」
「おっと、失礼。ギアン家をご存知でないのかな?」
「ギアン……あ、ウィアー様の……。」
「そう、僕はギアン家の盟主、ウィアー・ギアンの息子である、ゲスペル・ギアンだ。
君に会えて光栄だよ。本当に……綺麗だ。」
ギアン家は、先程アレンが挨拶をしていたマルコス家同様、メディアにも顔が知られている一族だ。
この男、ゲスペルはギアン家の当主であるウィアー・ギアンの子息に当たる人間だ。大手メディアに対しての絶対的な発言力を持つ、この男。それはギアン家という一族がメディア関係を牛耳ってきた事も関係しており、ゲスペルはこのように、優雅に振る舞いながらも権力を握っている。その男が、ジャンヌの姿を見て、近付いてきたのだ。
その時、ゲスペルはジャンヌの手の甲に口付けをした。突然の行動に、戸惑う彼女。アレンはそれを見て少し眉をしかめた。
「しかし先程のダンスの動きも、素晴らしい。一方で……相手の方は下手の様子だったが。」
と、ちらとアレンの方を見るゲスペル。見下すような表情を浮かべる彼の姿を見て、アレンは内心苛立ちを覚えていた。
「しかし君は本当に綺麗だ……。美しい。」
そう言ってゲスペルはジャンヌに近づき、彼女の頬に触れた。その行為は、アレンにとっては不快に感じられる。
「どう?今夜は表に出て、波音を聞きながら月を眺めて、その中でワインを飲もう。君のような美しい女性こそ、僕に相応しい。僕ならば、君を楽しませる自信がある。」
「いえ、私はお酒は……」
「失礼、では、ジュースでも構わないよ。」
「ですからその件は……」
明らかに、ジャンヌは嫌がっている。それは誰が見ても明らかではあるが、ギアン家は名門一族である。父、ウィアー・ギアンはアステル家と親密な関係ではあるが、息子であるゲスペルは気ままに育ってきた人間であり、このような無礼が目立つ。
「それ以上、ジャンヌに手を出すな!」
明らかに嫌がるジャンヌの姿を見て、アレンは思わず声を出してしまった。それを見て、ゲスト達は皆がその方向を見る。ゲスト達は酒に酔いつつも、大声や騒動に対しては過敏に反応をするのだ。
「ん?誰かな。あ、君は彼女と一緒にいた、踊りが余りに下手な人間だったね。あの踊りでジャンヌ嬢の相手をするなんて論外極まっているよ。まあ、それよりも君はどこの貴族の子息なんだ?」
「俺は……別にどこの子息でもない……でも!ジャンヌに触れるな!明らかに嫌がっているじゃないか!」
どう、説明をすればよいか分からないアレンは、ただ、怒る。ジャンヌは、戸惑うばかりだ。そして、彼の怒りはゲスペルにとっては嘲笑の対象に過ぎない。
「ククッ……アハハハハハ!お笑いだ!何が分かるんだ?彼女が嫌がっている?御託もいいところだ。バカらしい。君に彼女の何が分かるんだ?心の中でも読めるのかな。フフ……仮に読めたとしても僕に伝わらなきゃ意味がないんだよ。」
「ク……」
自信過剰なゲスペルに、アレンは怒りを覚えている様子だった。
「大体名前も名乗らないで、失礼だと思わないのかな。どこの貴族の子息かは知らないけれど、喧嘩腰なのは貴族の振る舞いから大きく離れているね。そもそも、君は何者かな?」
明らかに、挑発をしているゲスペル。
「まあ、あれだけダンスが下手な時点で彼女には相応しくないよ。僕の方が、余程相応しい。」
と、言いながら再びジャンヌの頬に触れる、ゲスペル。彼女は一切、彼の行動に対して動じる様子はない。明らかに、慣れているのだ。
しかし、アレンの方が違う。散々コケにされ、苛立ちを覚えていた彼は、ゲスペルと言う男の高飛車な言動に対し、握り拳を作っている。
だが、彼は我慢をした。ここでの暴力行為はしてはいけない。以前に総司令、レヴィー・ダイルに対して胸倉を掴んだ時も、彼はジャンヌに止められている。それを、思い出したのだ。
「それにね、僕に喧嘩を売るような真似はしない方が良いよ。WCN(World Connect Network)に対して喧嘩を売るのと同義に値するからね!」
ゲスペルのいう、WCNというのは地球圏に於ける最大手のメディア会社である。
ギアン家はWCNへの出資者であり、彼は、その会社の主要株主の一人として君臨している男であり、自身に不利益をもたらす存在等に対しては逆らう者に対しては社会的制裁を加えてきた、厄介な男であった。
「ゲスペル・ギアン様。貴方のお父様には幼い頃にお世話になりました。その常は、この場を借りて感謝を申し上げます。」
アレンとのやり取りを見ていたジャンヌが、見兼ねた様子で、ゲスペルに対して言葉を発した。
「ですが、貴方という人間を尊いと思う事は無いでしょう。生憎ですが、WCNの肩書きでしか己を語れない貴方には、興味がありませんの。申し訳ありませんが、そのつもりで宜しくお願いします。」
ジャンヌの冷たい言葉がゲスペルに降りかかる。先程まで調子に乗っていた彼だったが、彼女の言葉が彼の行動を止めさせたのであった。
「ジャンヌ嬢……!」
と言いながらゲスペルは後ろに移動し、その場を去って行く。それが、悔しく感じられたゲスペルは、ただ、寂しげな表情を見せていた。
「ジャンヌ、追い払ったんだね。あの男を。」
「私にとっては、彼の存在は何にも値しません。ただ、それだけなのですわ。」
はっきりと、言うジャンヌ。その言葉の強さは、アレンに関心を抱かせたのであった――
やがて、広間でのパーティは終了した。ゲスト達は各々の部屋に戻り、安らぎの一時を過ごしている。酒に酔った者達の中には、すぐに眠りに就く者の存在もあった。
アレンはジャンヌの部屋に呼ばれた。現在の状況や、今後の事について話をしようと考えていた為である。
ジャンヌの部屋はアレンの部屋と違い、広い。そして、ベッドのサイズも大きい。彼女の為に作られた、特別なベッド。そして、テーブルが置かれている。彼が仮眠を取っていた部屋の三倍程度はあろう、広い部屋。その広さに、アレンは圧倒されていた。
「部屋の確認、お疲れ様でした、アレン。」
ドレスを脱ぎ、黒いキャミソール姿でいるジャンヌ。彼女は今、ヒールを脱ぎ、ベッド端座位で、裸足で過ごしている。アレンは彼女に招かれるまで、各部屋の様子の確認作業を行っていた。あくまでも彼は運営側の人間。仕事として、このパーティに潜入している人に過ぎない。
「皆、安らかに眠っています。今の所不穏な動きはないと見て、良いでしょう。」
「そのようだね。まあ、一安心といったところか。」
と、言ってからアレンもベッドへ腰掛ける。
「しかし、まだ油断は出来ません。私の部屋にはアステル家の者達を側に置き、万が一の事があっても対応できるようにはしております。もし、何らかの不祥事があれば私が狙われる可能性が高い……と、考えます。」
一連の件。シュネルギアのリークと母、ターナの死。アステル家を陥れようとする者がいるのは間違いないと考える彼女の行動。一見、優雅な様子ではあるが、内心彼女は緊迫していたのである。
「だから、俺をこの部屋に入れたのか。」
「ええ。万が一という事もありますので。」
とはいうが、彼等の性別が異なる。恋人同士でもない異性の部屋に簡単に入る事は、あっても良いのだろうか……と、疑問を抱くアレン。
「それに、貴方に見て欲しいものが、あるのです。」
「見て欲しいもの?」
それは何なのだろうか?疑問を抱くアレンを他所に、ジャンヌはテーブルに置かれている、一つの小型のコンピュータを取り出した。そして、そこに映っている映像をアレンに見せる。
そこに映っているもの――それは、一機のMSのデータだ。見覚えのある、その形状。頭部の二つのアンテナに、デュアルアイ、そして口腔部に該当する突起。間違いない、ガンダムタイプだ。
しかし、そのデザインは近代のガンダムタイプと比較して、シンプルである。アレンの乗るティフォンガンダムや、新生連邦のガンダムタイプと比較しても、武装も少ない。ならば、このデータは、何の機体なのか。
「これは、一体……?」
「ガンダムタイプを駆る貴方は知っておいても良いかも知れません。いえ、正確には“知るべき”でしょうか。」
そのデータを、知るべきと断言するジャンヌ。
「全てのMSの起源とも呼べるMS……ファースト・ガンダム。伝説とも呼ばれたMSのデータが、これに該当します。」
「ファースト・ガンダムの、データ!?」
それは現代から百五十年以上前に地球連邦軍で開発されたとされる、伝説上のMS。当時のデウス帝国軍との戦いに終止符を打ったとされる、機体。そして、MSの元祖と呼べる存在。
だが百五十年以上もの前のデータがここに残っているという事自体が、奇跡と言えた。地球圏は度重なる反乱を続けており、その度に多くの貴重な文明や文化が失われて言った為である。その中で、このように過去のデータが残っている事は、ある意味奇跡的と言えたのだ。
「じゃあ、これって非常に貴重なものじゃないのか?」
「ええ。現存するデータはこれのみです。そして、この中にはパイロットのデータの情報も、組み込まれています。」
ファースト・ガンダム。その、伝説の機体の正確なパイロットの名前は不明だ。ただ、伝説上では“ホワイト・デーモン”という名前だけが残されている。
今回彼女が手にしているデータにも、パイロットの名前は残念ながら残っていない。恐らく、抹消されたのだろう。しかし機体データのみは、このように残存していたのだ。
「このデータが、何を示すって言うんだ?」
貴重なデータを彼女が持っている事には驚愕したが、それが果たしてどのような役割を果たすのかは、不明である。貴重なデータだけを持っていては、それは只のコレクションに過ぎない。恐らく、何らかの意図があって、彼に見せたのだろう。
「世界は、今後更に混迷の状況に陥って行く事でしょう。そしてその世界を混迷に導こうとしている人間……レヴィー・ダイルを止める為の力が必要……私は、以前貴方に、そう、お伝えしたと思います。」
「言っていた、ような。」
アレンは、日本での彼女の言葉を思い出す。
――――レヴィー・ダイルを止める為には、それ相応の“力”が必要という事です―――
「その切り札となるのが、ファースト・ガンダムのデータです。そして、パイロットのデータ。そして……貴方の力と、もう一人の少年の、力。」
ジャンヌの眼が、アレンを捉える。真剣な眼差しを感じているアレンも、彼女の顔を見ていた。
「少年って……まさか。」
「アインスガンダムのパイロット。彼の力は必要なものになるかも知れません。」
ここで、レイの話が出てきた。だが、ジャンヌはレイが戦う場面は直接見た訳ではない。ダッゲインMk-Ⅱが東京の市街地に暴走してきた時に、遠目でその活躍を見ていただけに過ぎないのだ。
「君は、アインスガンダムのデータを既に持ち帰ったというのか?」
ジャンヌは、静かに頷いた。
「それに、セイントバードの方々からもデータを頂いているのです。最近頂いたデータが、これになります。」
そう言って、ジャンヌは別の画面を展開した。そこに映っているのは、日本海での戦いのデータだ。新生連邦と海賊がセイントバードに迫って来た時のデータ。そして、後半ではアインスガンダムは圧倒的な力を見せ、敵勢力を倒した。
彼女はそのデータを見て、アインスガンダムの強さを確認したのである。
「これが、レイの動きなのか?」
それを見たアレン自身も、驚愕する。ほぼ、単体で敵勢力を倒しているアインスの動き。
「彼の強さは、本物だと思いましたわ。今後の世界の為に必要な力であることは、間違いないと見て、良いでしょう。」
世界の為に必要な力。それは何を示すのかは不明ではあるが、恐らく、MSを指しているのだろうか。
先に見せた、百五十年以上前のファースト・ガンダムの存在や、そのパイロットのデータ、そして、アレンとレイというパイロットの存在。これらが示すものとは――
「君は、今後、どのように考えている?」
アレンが聞いた。彼女に詰め寄るように、顔を近づける。
「今は、“その時”ではありません。今回の仕事が終われば、お話しが出来ると、思います。」
と、ジャンヌはアレンの口元に自身の示指を立て、言った。
何故、そこで話を中断するのだろうか?アレンは一人、疑問を抱く。
(恐らく、何かを企てているのは間違いないだろう。そして、ここで言えない事という事は、余程極秘な内容なんだろう……)
と、内心で思っていた時――
ギュッ
ジャンヌの、柔らかな腕の感触がアレンの肩に触れた。突然の出来事に、アレンは驚愕する。
「私はこのパーティを終えるまでは、決して感情を見せないでおこうと、思っておりました……ですが……やはり、駄目ですわ……」
先程まで今後の事について語っていた彼女の表情が、突如柔らかなものへと変わっていく。
やがて彼女の目元は次第に緩んでいく。気が付けば、ジャンヌの目元からはうすらと、涙が頬を伝っていたのであった。
「ジャンヌ、泣いているのか……?」
「やはり、貴方を前にしているからでしょうか……私……もう、堪えられません……う、うう……」
この瞬間、やはりジャンヌは無理をしていたと、彼は理解した。この部屋にアレンを入れたのも、アレンが今のジャンヌの一番の理解者であると、彼女の中で分かっていたからである。
「お母様が亡くなってから時間が経った筈なのに……今になって、喪失感と、悲壮感が私に同時に迫ってくるのです……どうしてでしょうか……どうして……」
突然の悲劇に直面した時、人はその現実を受け入れられない。それを受け入れるのに、時間を要する。そして時間が経過していくと共に、現実が迫ってくる。その時に、遅れて感情を爆発させることも、ある。
最愛の母の死はやはり、ジャンヌの中で衝撃だった。無理をして、動こうとしていた彼女だが、それが今になって、堪えられなくなったのである。
しかし、アレンにはそれをどうする事も出来ない。ただ、彼女の涙を見る事しか、出来ないのだ。
「アレン……お願いです……」
「ジャンヌ?」
突然の、彼女の依頼。アレンは首を傾げた。
「私を、抱き締めて下さい……そして、口付けをして、この気持ちを、忘れさせて下さい……」
抱擁と接吻を求める、ジャンヌ。それは彼の事を信頼しているが故に、依頼している事だ。
だが彼等は友人同士である。そのような事をして良いのか……と、アレンは一瞬、躊躇った。
「それで、君は癒されるのか?」
アレンが、聞く。
「貴方にしか出来ない事ですわ。戦後に再会し、これまで私を支えてくれていた、貴方だからこそ、出来る事なのです……う、うぅぅ……」
人々に希望を抱かせていた歌姫の涙は、まず、見ることは無いだろう。アレンは、自分がジャンヌにそれ程に信頼されていたという事を、改めて再認識した。
だが、彼には最愛の人がいる。ジャンヌとは友人関係であるが、抱擁と接吻をして良いのか。それは、ココットを裏切る事になるのではないか?アレンの中で躊躇いが生じる。
「ココットさんの事が、気になりますか……?」
図星だ。ここでジャンヌと接吻を交わす事はココットへの裏切り行為と同義である。
「……ごめん、ジャンヌ。俺は……」
躊躇うアレン。ジャンヌの事は大切な友人と感じていた為、その先の行為には及ぶ事が出来ない。
「いえ……私も、どうかしていたのだと思いますわ……けれど……」
「……?」
「せめて今夜は、私と共に過ごして下さい……一人に、しないで……」
不謹慎ながら、彼女の流す涙がより、ジャンヌ・アステルという女性の美しさを際立たせた。
女性の流す涙はどうして、美しいのだろうか。それは女性という人種が美しい存在であるが故に、感情が際立つのだろう。感情はその個人をより際立たせる。そこも相まり、美しさが感じられるのかも、知れないのであった。
「……じゃあ……」
ギュッ
アレンは、彼女を抱擁した。目の前で涙を流している女性に、せめて出来る事を、彼はしたのだ。
それはココットへの裏切り行為でない。ジャンヌを少しでも癒したいと思う、彼なりの、良心なのであった。
「君が安心出来るのなら、これぐらいは……」
「嬉しい……ですわ……」
互いに、安心をしている状況。この状況に、不埒な感情は、ない。ただ、純粋に慰めたいと、思う気持ちだけが、アレンを突き動かしたのである。
結局アレンはジャンヌの部屋で一夜を共にした。彼女の部屋は広い。傷心の部屋に一人だけ過ごすというのは、心寂しく、虚しくなるものだ。それ故に、ジャンヌは人を求めた。アレン・レインドという名の、人を。
「貴方は私を求めなかったのですね。」
「求める……何を?」
眠気から覚めたばかりのアレンに対し、ジャンヌが言った。
「フフ、何でもありません。こちらの話ですわ。」
それが何を示しているのかは不明ではあるが、ジャンヌが少しでも笑顔でいる姿を見る事が出来たのは、アレンにとっては光栄と言えた。
セントマリア号は大西洋沖を航海中だ。気候は穏やかであり、荒天でない。緩やかな波の音は心地よさを感じさせる。朝、展望デッキでそれを眺めるゲスト達の姿が数名、居た。
しかし一方で、ジャンヌ達主催者の仕事は多い。食事会場でのもてなしや、ゲスト達への配慮等。そして、アステル家の調査員達からの報告を聞く等、気配り以外の仕事も怠らない。
セントマリア号がボストンに着くのは、あと二日の予定だ。もし、アステル家に恨みを抱く者がいたとすれば、この二日の間に動きがある筈であると、ジャンヌは思っていた。
船上は陸地から隔離されている環境。逃げ出すにも、逃げ出せない状況。ジャンヌを狙う者がいるとすれば、絶好の機会なのである。
やがて時間が経ち、二日目が経過しても、動きはなかった。その日の夜の晩もゲストに酒が振る舞われ、皆がそれぞれの時間を過ごしていた。
この日の夜は、アレンは自室にて待機していた。昨夜の出来事により、ジャンヌ自身が少しでも、安心が出来たからなのかも知れない。
ロビーにて。ジャンヌはエファンと僅かながら会話をしていた。両者はソファーに座り、対面のテーブルを介して会話をしている。黒いスリットのドレスを纏うジャンヌと、同じく黒いスーツを着るエファン。信用に値する人間である彼に、彼女は胸中を打ち明けていた。
「アステル家はやはり何者かに狙われていると思われます。ですがこの二日を見ても不穏な動きはありませんでした。ですが、最後の一日ではどのような動きになるのかは、分かりません。」
ジャンヌが、不安げな表情を見せる。
「有名な一族や、上流家庭と呼ばれる存在があれば、それを妬む者がいるのが世の定めです。ですが、ジャンヌ様を始め、著名人といった人々が経済活動等に貢献していたからこそ、世の中は成り立ってきました。」
「私は、それで驕り高ぶる、俗な思考には至りたくないのです。この世界を包もうとする混迷を断ち切る力……それが、今は必要なのです。ですが、お母様がまさか、あのような……」
やはり、彼女の中で母の死は、十分に受け入れきれていない様子だった。昨日よりも幾分か気持ちは晴れてきている様子だが、それでも、やはり悔やみ切れないのである。
「私も、それに関しては残念に思います。ターナ様はジンク様との関係に対して深く悩まれていたそうではありますが、自死を選択する程とは、思えませんので……」
と、傾聴をするエファン。彼女の言葉に、静かに耳を傾けている。
「ジャンヌ様。私の意見ではありますが、母親から生まれた人というのは、その思いをしっかりと受け止めて生きていくものと、考えています。今はお辛いかも知れませんが、ターナ様がジャンヌ様を想う気持ちは、紛れもなく本物でしょう。ターナ様の想いも、引き継いで、ジャンヌ様には生きて欲しいと、私は思うのです。」
それはエファンなりのフォローだ。死者は戻る事はない。だが、残された者はその思いを受け継ぐ事が出来る。それを、純粋に願っている様子の、エファン。
「貴方様が為そうとしている事に応援してくれる方も多いでしょう。ジャンヌ様は、お強いお方です。私も、精一杯のフォローをさせて頂ければと、思います。」
エファンの笑みは、優しかった。ジャンヌが信用している男、エファン・ドゥーリア。彼の言葉に、ジャンヌの心は揺れ動きつつあった。
「母親の事については、凄く親身になって下さるのですね。貴方のお母様も、素敵な方だったのでしょうか。」
ふと、ジャンヌはエファンの母親について聞いた。絶大な信頼を置いているエファンではあるが、彼のその生い立ちに関しては分かっていない事が多いのである。
「彼女がいなければ、今の私の存在はなかったでしょう。今はもう、この世に居ませんが、彼女の意思は、引き継いでいたいと、思いますね。」
エファンの母親はもう亡くなっている様子だった。しかし、亡き母親を思い続けている、彼の言葉に、ジャンヌは感銘を受けている様子だった。
「詳しくは伺いませんが、貴方も、辛い思いをされていたのですね……」
「素晴らしい母親でした。私に生き方を教えてくれた、存在だったもので。」
と、視線を落とすエファン。
「エファン、ありがとうございます。貴方の言葉で、少しでも前を向いていこうと、思いました。まずは、真相を確かめていきたいと、思っています。」
ジャンヌの表情が、少しばかり明るくなった。
「人は、辛い過去を乗り越えて成長し、より強くなっていくものです。それが、人という存在の素晴らしさ。それが、どのような存在であろうとも、人と関わる事はその人、そのものを成長させるのですから。」
この時、エファンはジャンヌにアドバイスするように、言った。穏和な印象を受けるその言葉も、傷心の彼女には大きく響いていたのであった。
「ありがとうございます、エファン。明日も、よろしくお願いしますわ。」
「ジャンヌ様も、ご無理をなさらず。」
エファンは、静かに会釈をし、立ち上がった。そして、その場から去っていく。
いつまでも立ち止まってはいられない。彼女は、母の死を乗り越えて行かなければならない。側近であるエファンは、それを、教えてくれたのだと、改めて感じていたのである。
三日目。この日はボストンにセントマリア号が到着する日である。結局二日目も大きな動きは見られなかった為、この日に全てが掛かっていると、言える。
午前中も調査員からの報告や、船の状況を確認したのだが、不審な動きはなかったのだ。
何事もなく終わるのならば、それはそれで構わない。しかし、恐らく何らかの動きはある筈と、彼女は疑う姿勢を崩さない。
やがて、時刻は18時を回った。夕食の時間、会場には大勢のゲストで満たされている。そこで、主催者であるジャンヌは舞台に立ち、ゲストの前で言葉を伝えようとした時だった――
バチンッ
と、突然会場の電気が消えた。慌てるゲスト達。アレンの隣に座っていたヘア・マルコスも焦りの色を隠せていない。
「な……これは……?」
突然のアクシデント。皆が騒然とする中、アレンは本能的に危機を感じ取った。運営側の人間であるアレンですら予期していない事が起きるという事は、明らかに何か不吉な事が起きる前触れだ。
彼は急いで舞台に上がり、暗闇の中でジャンヌを探した。ジャンヌが危ない。ただ、その一心で彼は行動した――
「ぐああ!」
その時、暗闇の中でヘア・マルコスの叫ぶ声が聞こえた。それに伴い、悲鳴が会場内で響き渡る。何が、起きているのか?何故、悲鳴が?
急いでフロアに戻りたいと思うアレンだったが、ジャンヌの事を考えると行く訳にはいかなかった。
突然の停電からの悲鳴。それらから想起されるのは、恐怖の感情。死の恐怖を感じ取ったゲスト達は、自分達の部屋へ戻ろうとする。
「どうなってるんだ!?」
「助けてぇぇぇ!」
騒然とする会場内。戸惑うゲスト達。彼等は所謂富裕層と呼ばれ、各界に影響を与えている著名人ではあれど、所詮は人。突然のアクシデントには驚愕し、戸惑うものなのだ。
「落ちついて下さい!皆様!」
と、叫ぶジャンヌ。しかしそんな彼女の声等、聞こえる筈がない。
ただ、その声を頼りに、アレンは暗闇の中でもジャンヌの居場所が分かった。
「ジャンヌ、大丈夫か!?」
「アレン……ええ、私は平気です。ですが、これは一体……。」
「分からない……」
余りに突然の出来事に、困惑するアレン。
「アレン様、ご無事ですか。」
と、声を掛けるのは側近の男、エファンである。
「俺は大丈夫です。しかし、この状況は……」
「分かりません、もしかすれば、ジャンヌ様が言っていた“アステル家を良く思わない者”による犯行なのかも知れません。」
騒然とする現場。誰もが、混乱している状況。人々は恐怖から逃れようと、会場を後にする者もいる。
「アレン様はジャンヌ様をお願いいたします。私は、会場の外を見てきます。」
「分かりました、お願いします。」
そう言って、エファンがその場を去った時だった――
ピキィィィ
その時、彼の頭の中で電撃が走った。そしてアレンは暗闇の中、ジャンヌを押し倒した。
「ジャンヌ!」
彼が感じたもの。それは、ジャンヌが何者かに狙われているという事だった。それを、本能的に察知したアレンはジャンヌを守る為、庇う。そして、彼女を舞台裏に移動させた。
舞台裏は予備電源が作動していた為、彼女の表情を見ることが出来る。突然の出来事に、明らかに動揺しているジャンヌ。アレンは懸命な表情を浮かべ、彼女に聞いた。
「大丈夫か、ジャンヌ!怪我はないか!?」
「怪我は……ありません。あの、これは……?」
ジャンヌは、気が動転している様子だった。何故アレンが庇ったのか、何故停電が起きたのか。全ての状況を把握しきれていない彼女は、明らかに困惑している。
「銃弾の音が僅かに聞こえた。恐らく、サイレントガンによるものだろう。」
「サイレントガン……?」
それは、暗殺用に使用される銃だ。普通の銃ならば銃声が響くのだが、それは音が鳴らない。それ故に、暗殺等で用いられる事が多い。但し、その出力は遠距離では殺傷能力に欠ける。標的を暗殺するとすれば、より、近距離での使用が求められるのだ。
「バンディットをやっていたから、分かるんだよ。ジャンヌ、恐らく君は狙われている。」
「やはり……」
アステル家をよく、思わない存在がジャンヌを狙ってくるのは予想できた。だが、まさかこのタイミングで狙って来るとは、思わなかったのである。
「俺と共に、今は逃げよう。安全な場所へ……。」
「ですが、先程のマルコス氏は……?」
「恐らく、殺されている……」
「そんな……」
ゲストに危害が及ぶ事は、主催者としてはあってはならない事だ。だがサイレントガンを持った暗殺者がこの場に居るという事は、被害者が出るのは間違いないと言える。
本来ならばゲストを守らなければならない。しかし、混乱している状況でゲストを守る事は出来るだろうか?いや、難しいだろう。
彼女は罪悪感を抱いていた。狙われるのは自分の筈。なのに、ゲストが狙われている。これは、一体何を意味するのか。
「もし、暗殺者がいるとすれば、狙いは私の筈です。なのに、このような……」
「無差別で殺傷をしようと考えているのかも知れない。とにかく、今は逃げるしかない。」
突然のアクシデント。停電により会場は暗闇に染まり、その上ゲストまで何者かに殺害されている状況。アレンは、ジャンヌを守る為、動き出さなくてはならなくなったのであった。
第三十四話、投了。
母親を失ったジャンヌは気丈に振舞うもアレンに対してのみ、弱さを見せるといった話。
だがそれに対してアレンは恋人がいるにも関わらず、抱擁を交わしてしまうと言った話でした。