機動戦士ガンダム Living Days   作:すからぁ

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sideレイ。日常生活を謳歌する彼に現れたのは――


再びの故郷編
第三十七話 家庭教師のエリィ


 

 月日は流れ、四月になった。春と呼ばれる時期。気温はまだ一定しない時期ではあるが、真冬と呼ばれる時期と比較して暖かさを感じる頃。

 レイはジュニアハイスクールの三年生へと進級した。ジュニアハイスクール最後の一年が、始まったのである。

 昨年の十二月から二ヶ月間、多くの事を経験したレイ。久しぶりの日常生活にも慣れてきており、クラス内も、彼の事で噂になる事は無くなっていた。

 最初は異物扱いをされたりもしたレイ。当たり前のように学校に来ていた人間が急に来なくなり、その理由も明確でないと、妙な噂を立てられるものだ。ましてや、彼等のような年頃の人間ならば、そうした事もあり得るのである。

 日常を謳歌しているレイは、試験を終え、春休みの時期を迎え、友と過ごす時間と着実に増えていった。ただ、試験の結果は決して良いとは言えないものではあったが。

 日常を謳歌しているレイ。勉強、部活動は人並みに行っている。その上で友人とも他愛のない会話をしている。

 ただ一人、彼との距離を置いている人間が居た。リルム・エリアスである。

 クラスメイトの中でレイの事情を唯一知る人間。やはり、レイの事で情報の処理が出来ないでいたのだ。クラスでも、リルムとは挨拶を交わす程度。

 レイは部活動、リルムは生徒会。互いに学生生活が忙しくなる中、互いの心は擦れ違ったままなのであった。

四月になれば、最初に行われるし行事が始業式である。新しい人間関係が構築される、所謂“クラス替え”が行われる時期だ。校庭でレイは発表されているクラスのメンバーが映し出されているモニターを見た。そこに映る名前を見て、殆どが二年の時のメンバーと相違ない事に気付いたのである。

「おうレイ。また一緒じゃん。」

と、声を掛けるモーク。

「そうだね、宜しく。」

と、自然な笑みを浮かべるレイ。そして、彼は名簿を見ているとリルムの名前もそこにある事を知る。

(リルムも、一緒なんだ……)

それは、本来ならば喜ばしい事なのだろうが、今はそのような気分になれない。無理もない。両者は会話さえ成り立っていない状態なのだから。

「お前さ、全然リルムと喋らんくなったよなぁ。夫婦喧嘩長くね?」

何気なく、モークが言った。茶化したつもりで言ったのだろうが、レイにとっては嫌な印象を受けた。

「夫婦じゃないよ!!もう!!」

彼女を意識しているが故に、感情的になる。そして、意地になったレイを見て、マークは更にからかう。

「いつまでも喧嘩してんじゃねぇよー!早く仲直りしねーと取られるぞ!あいつ人気はあるんだからな!」

「取られる……?そんなの、関係ないよ!」

実際、リルムはその容姿から、人気が高い。現に、少し肥えた体型の男子生徒であるフィジットや、陽気な男子生徒等から告白を受けた事あった。しかし、リルムはそれらを悉く、断っていたのだ。同じ生徒達からすれば、まさに高嶺の花。

 その中で、レイの存在を羨ましく思う人間といた。だが今、彼等は余り会話を交わしていない。この事は、リルムを狙う男子生徒からすればチャンスでしかないのだ。

「レイ!」

その時だ。丁度、リルムの噂をしていた彼等の前に、リルムが現れた。その表情は、まるで二年生の末の時とは違う。

 髪型も変わっていた。ブラウンの髪色に、柔らかなパーマが当てられている。そして、微かに桃の良い香りがする。一つ、大人になったような印象を受けたリルムが、自らレイに声を掛けてきたのである。

「リルム……?髪型、変わったんだ……。」

呆然としているレイ。最初、同一人物であるかが分からなかったのである。

 それ以前に、彼女の言動が明るくなった印象を受けたレイ。一体、春休みの間に何があったというのだろうか。

「また一緒のクラスだね、宜しくね!!」

と、リルムは握手を求めてきた。突然の出来事にレイは戸惑いを隠せない。

 春休みに入るまでは明らかに両者共に、会話すら成り立っていない状態だったというのに、何故?どういう風の吹き回しだというのか。一体、彼女の身に何が起きたというのだろうか。

 しぶしぶ、レイはリルムの握手に応じる。それを、笑顔で交わすリルム。モークはそのようすを、ただ、じいっと見ているだけだ。

「なんだよいつの間にお前等仲戻ってんだよ。意味分かんねぇ。」

と、両手を後頭部に組み、他所の方向を見るモーク。実際、この状況を一番理解出来ていないのはレイなのであるが。

 その後、リルムはすぐに友人と共に移動した。彼女の友人も何名か、同じクラスの人間が居た為、リルムが寂しさを感じる事は、ない様子だった。

 

 始業式。新しい学年になれば必ず行われる時間。三年生はジュニアハイスクールの最終学年であり、ハイスクールへの受験を見越した動きが起こる一年。そして、クラスメイトと共に過ごす事が出来る、最後の一年でもある。

 レイのクラスの担任の教師は、二年の時と同じだった。リアン・マーキュリー。社会科の担当の教師であり、再び担任になったのである。この事を喜ぶ生徒が大半であった。それ程、彼女は人気のある教師と言えた。

「えー、皆さん、何名かは知っている生徒も居てますね!多分皆さんは知っていると思うけど、改めて自己紹介!リアン・マーキュリーです!宜しくお願いしますね!」

殆ど代わり映えのないクラスメイト。それが、レイにとっては反って安心だった。

 クラス替え等で、新たな人間関係を築く事は負担を強いられる。知らない人間に声を掛けるといった行為は勇気のいる行為だ。そこから仲良くなる事もあれば、そうでない事もある。

 よくあるのは、四月の時期に隣の人間や前後の席の人間に声を掛け、一度はその周囲でグループが形成される。だが時間が経てば、それらのグループとは離れ離れになっていく事もある。そこから別の友人を見つけることが出来れば良いのだが、そうも行かない場合もある。

 こういう時でも、積極性は求められたりする。それは進学した時で求められる能力であり、仮に進級した場合で上手な人間関係の構築が出来ない場合は、足を引っ張る事が多い。下手な知人関係である場合、反って会話が成り立ちにくい事もある。互いに、妙な気まずさを感じてしまうのである。

 これは、どうしても閉鎖的になりがちな学生生活ではよくある事だ。レイ達のようなジュニアハイスクールの人間にとっては、ここでの生活が大半を占める。ここでの生活の仕方を誤ってしまうと、後々厄介な事に成り兼ねない。学生生活とは、一見暢気なものではあるが、実際は人間関係の構築力を求められる場でもあるのだ。

 レイは普通で居たいと願っている少年だ。彼がこの日常を有難いと思えるのは、ある種、彼自身が他愛のない会話を交わしたりすることが出来る能力を持っているが故なのかも知れない。それは、決して努力して培われるものではない。ある種、才能の一つなのかも知れない。

「じゃあ皆さん、一人一人、自己紹介をしていきましょうか!」

新学期で恒例となるのが自己紹介。知人同士も居れば、そうでない人間もいる。そう言う意味でも、自己を知ってもらうチャンスとなるのがこの、自己紹介だ。

 やがて自己紹介はレイの番になる。レイは、特別な事を言うつもりはなかった。正確には、言える筈がないのだ。自身がMSに乗って戦ってきた話等、出来る筈がない。

「レイ・キレスです。ちょっと事情があって二ヶ月程休学していました。宜しく、お願いします!」

恐らくその部分を気にしている生徒がいるだろうと考えたレイは、当たり障りなく事故を紹介した。そして鳴る、拍手。特に絶賛されるような内容でもない、その拍手は静かに響いた。

 その後も自己紹介は続く。お調子者の人間ならば、それ相応の自己紹介。それによってどっと笑い声が出るクラス。大半の人間は、特殊な自己紹介をする事なく終えていく。

「リルム・エリアスです!髪形を変えてみました!一緒の子も、新しい子も宜しくね!」

今度はリルムの自己紹介。甲高い、愛らしい声がクラスに響く。そして、レイの時よりも拍手の音量が大きい。この事から、彼女の方がクラスメイトに人気がある事が伺えた。

 

 自己紹介の時間は終わりを迎える。そして、始業式の日は午前中に学校が終わる事が多い。放課後になり、皆が帰路についている。

 最初、レイはモークと共に帰っていた。やがてモークと別れた後、彼が一人で歩いている時だった――

「レイ!」

レイの、肩をぽんと叩く人間の姿があった。その方を確認すると、そこにはリルムの姿があった。

「リルム!あれ、生徒会は?」

「今日は無いよ!ねえ、一緒に帰ろうよ!」

まさかの彼女からの誘い。レイにとっては、困惑するばかりだ。

 始業式から彼女のテンションが明らかに違う。最後に彼女の笑顔を見たのはいつだっただろうか。それすらも忘れていたレイ。

 セイントバードチームと共に過ごした二ヶ月を経て日常生活を謳歌しているレイだが、リルムとは溝が出来ていた。それは、彼がカミングアウトをした事についてである。

 MSに乗って、戦い抜いたという話。創作話のような、本当の話。それをしてからリルムは離れた。レイの前から笑顔を見せることは無かったのである。

 しかし今、リルムは彼の前で笑顔を見せた。何故なのだろうか。

 

 春風は時に寒さを感じる事があるが、真冬に比べればそれは大きく落ち着いているように感じられた。その中を、両者は歩いている。距離は、人間が半人分入る程度。その距離感は二人の、今の距離と言えた。

「何か、久しぶりな感じだね。」

先に口を開いたのはレイの方だった。

「フフ、そうだね、レイ。」

やはり笑顔だ。一体何があったのか。どうしてこれ程笑顔であるのか。聞くべきか?どうするべきか。レイは、悩んだ。

「ねえ、私ね、あれからずっと考えていたんだよ。」

悩むレイを他所に、リルムが口を開く。

「考えていた?」

「うん。レイがロボットに乗って戦っていたって話。」

MSは兵器だ。しかし、彼女のようにそれらの詳細を知らない人間からすれば、人型のロボットという認識で捉えられる。それはある種、このモントリオールが平和な環境である何よりの証拠なのかも知れない。

「最初は信じられなかった。合成写真の話を一生懸命しているんだと思ってた。」

やはり、ショックだった様子だ。無理もない。今まで同じ日常を謳歌していた人間がMSに乗るなど、信じられる筈がないのだから。

「だから、私も色々と調べてみたんだ。MSについて。」

「調べたの……?」

リルムのような少女がMSに関心を抱くなど、予想が出来なかった。女性がMSに乗り、戦う事はある。彼が知る限りでは、スバキ・シンドウや、敵であればチェーニ姉妹。

 だがリルムは幼馴染であり、その少女の口から“MS”という単語が出る事自体、信じられないのである。

「凄く長い歴史なんだよね。大体18メートルぐらいの大きさのロボットで、レイはそれを乗りこなしていたって思うとね、本当に凄いなぁって思ってたんだぁ。」

今でこそ、彼女は笑顔で話しているが、それを聞いた時は明らかに動揺していたのだ。

「あのさ、リルム。」

今度はレイが口を開いた。

「ん?」

「あれから、僕の事をどう思っていたの?軽蔑した?」

殆ど口を利かなかった一ヶ月余りの期間。その間の心境を知りたいと、レイは考えていたのだ。

「軽蔑なんてする訳ないよ!でも、本当に大変だったんだなって思った。多分、レイも悩んでたんだと思う。それで、今日は思い切って声を掛けようと思ったんだ。私が、レイを受け入れないとって、思ったんだよ?」

リルムは優しい少女だ。それはレイが幼い頃からそうであった。

 互いに幼馴染ではあるが、幼い頃は様々な事があった。レイはその顔貌故に、近所の男児にいじめを受ける事もあった。その度、リルムはレイを励ましたりしていた。そして、逆の場合でもそうだ。リルムが何らかの怪我をした時、レイが献身的になっていた。

 いつしか、両者の話題は幼い頃の思い出へと変わっていた。次第に盛り上がる会話。それは、両者の心の溝を、埋めていく効果を発揮している。

(久しぶりに、リルムと話せた気がした……なんだろう、この暖かい感じ。)

レイの笑みが、自然に出る。それは、彼女に対して安心感を抱いている何よりの証拠であった――

 

ピキィィィ

 

その時、何故だろうか。レイの頭の中で電流が流れたのである。と、目の前には自転車を漕ぐ一人の男。Eフォンの操作に夢中になり、前を見ていない、男。

 咄嗟にレイはリルムを引き寄せ、回避する。明らかに危ない行動を取っている男は、悪びれる様子もなく、去って行った――

(……あれ?)

と、次にまたしても自転車が来た。今度は女性が乗っている。そして、女性は前を向いている。だがレイがどちらに避けるのか分からず、困惑している様子だった。

 だが一方のレイは、自転車が左へ避けるのをはっきりと見えたのである。そのヴィジョンが浮かんだ時、躊躇いなくレイは右へ避けた。

 結果、自転車はスムーズに去って行く。何事もなく、時間は流れたのである。

「レイ、ありがとう。危ないね……」

「う、うん……」

彼は、先程の一連の動きの中で、“力”を感じ取っていた。アインスに乗っていた時に感じる事があった、力。それが今になって発揮されたのである。

(あの感覚は、やっぱり残っているんだ……MSにはもう、乗っていないのに……)

不思議な感覚であった。MSに乗っていないにも関わらず、まるで相手の動きが先読み出来るような感覚。何故この感覚に陥るのかは不明だ。以前ならば、そのような事になる事は無かっただろうに。

「レイ?」

呆然としているレイを心配したリルムが声を掛ける。それに気づく、レイ。

「え?あ、うん……無事でなにより。」

まさか、日常生活において先のような感覚を覚えていたレイ。それが何を示すのかは、全く

理解出来ない様子であった。

 

 

 

 家に帰ったレイ。帰ってくると、母親がリビングで座っている。テレビを見ながら、くつろいでいる様子の母、カレン。

『二ヶ月程前に起きた大西洋沖での豪華客船の襲撃事件ですが、未だにその真相は明らかになっておりません。又、それと関連するかのような、世界的歌手、ジャンヌ・アステルのスキャンダル。これらは一体何の関係があるというのでしょうか――』

と、ワイドショーがラジオのように流れている。そして、レイが帰って来たのを確認し、カレンは反応した。

「あら、お帰りなさい。」

「ただいま。」

レイが鞄を置き、椅子に座った時だった。

「そうそう、レイ。もう三年生だし、家庭教師に勉強を教えてもらうのはどうかしら?」

「……え?」

突如、母親が口を開いた。と、同時に母親はチラシを見せる。

 この時代に、紙媒体での広告がある事自体、非常に珍しい。明らかに時代錯誤の代物ではあるが、逆にこの古風な広告の仕方に感銘を受けたカレンが、それを気に入ったのである。

「定期試験や模擬試験、受験まで幅広くカバーしますって!値段も塾に行くよりも安いし、どうかしら?この前の定期試験、成績全然ダメだったし。」

二ヶ月も空白の期間があれば成績が追い付かないのは当たり前だ。レイは、そっと溜息を吐いた。

「家庭教師……かぁ。」

レイの成績の悪化を懸念した、カレンが提案した事。確かに、これから一年は受験に向けて勉強を一層して行かなければならないのは分かっていた。

 しかし突然習い事が増えるというのは、正直レイにとってはストレスであった。母親がそれを心配する気持ちも分かるのだが、やはり彼にとっては悩むところであったのだ。

 レイは自然に溜息を吐く。それに対し、母親は顔をしかめた。

「あのね、レイ。皆何かしら塾に行ったり習い事をしているの。二ヶ月も何してたか知らないけど、その分埋め合わせだってしないと行けないんじゃないの?」

それを言われ、何も言えなかった。空白の二ヶ月。それは、レイが生死を掛けた戦場で戦っていた二ヶ月。しかしその間も、学校では勉強は続いていた。それを忘れていたレイは、ただ、縦に頷くしか出来なかったのである。

「そっかぁ……家庭教師、していかないとね……」

しぶしぶ、レイはそれを承諾。母親は早速、電話を掛け、契約に踏み切った。

 日常に戻り、一ヶ月余りが過ぎた頃。レイは受験を受ける為の準備を、刻一刻と進めていく事になるのであった。

 

 

 

 それから一週間後。学校の授業や部活動が行われていく中で、家庭教師が家の前に立っていた。それに応じるカレン。

 家庭教師から一連の説明を受け、母親は納得する。この時、隣にはレイの姿もあった。

 家庭教師の身長は高い。そして、キャップを被っている。その上で長い髪を結んでいるポニーテールに、眼鏡を掛けている。すらりと伸びた足にはジーンズが纏っている。一見、“美人”に見えるその女性。その女性が、レイの家庭教師となる人物だ。キャップの影響もあってか、やや、ボーイッシュな印象を受ける、その女性。

「レイ、良かったわね。こんな美人さんに勉強を教えて貰えるなんて!」

感激する様子のカレン。それと同時に、レイはこの女性から異様に視線を感じていたのである。

「宜しくお願いしますね、レイ・キレス君。メディナ・リアです。」

と、女性は丁寧な印象を持った。レイは、静かに礼をするのだが、この時、彼は彼女に対し、“既視感”を抱いていたのである。

 メディナ・リア。容姿端麗で、第一印象も丁寧な印象を受けるその女性。だが、何故かレイはメディアを見ても、初対面の、他人に見えなかったのだ。

(どうしてだろう?この人、なんか見覚えがある……)

と、考えていた。

 

 

 オリエンテーションを行う為、メディナはレイの部屋に入る。そこで、メディナはレイに声を掛けた。

「改めまして、家庭教師のメディナ・リアです……なんて言うと思う?レイ君。」

“レイ君”という言葉が出た。その言葉に、覚えがあった。彼が抱いていた既視感は、より確実なものへと変貌していく。

やがて女性は被っていたキャップと、眼鏡を取った。そこに映る、女性の姿は、紛れもなく見た事のある人間であったのだ。

「あ……あああ!エリィさん!?」

家庭教師の正体は、エリィだったのである。母親と喋っている時から感じている既視感の正体が、完全なものとなった。レイの中のモヤモヤした違和感は拭え、まるで透き通った気分になった。

「じゃーん!家庭教師としてエリィ・レイス、レイ君の家に登場しましたぁ!って、気付いていたんじゃないの?」

既視感はあったが、まさかエリィだとは思っていなかった様子のレイ。目を何度も瞬きさせ、じっと彼女を見る。

「エリィさんですよね!?えええええ……?」

レイは喜びと同時に、困惑した。何故、エリィがレイの家にいるのか。それがそもそもの疑問なのである。

 彼女との再会は、実に約一ヶ月半振りだ。セイントバードを去ったのは二月下旬。今が四月の上旬である。しかし、何故エリィがここにいるのか。事態の把握が全く出来ていない、レイ。

「久しぶり、レイ君。凄く、困惑してるね。」

「そりゃ、そうですよ!だって……一体、何がどうなってるんですか!?」

混乱しているレイと違い、冷静な様子のエリィ。何故これ程冷静でいられるのか、それが不思議でならなかったのである。

「まあ、これに関しては話が長くなっちゃうんだけれどもね。どうしよう。説明、要る?」

「要りますよ!セイントバードはどうしたんですか!?訳が分からない、分からないですよ!!」

セイントバードで艦長をしている筈のエリィがここにいるという事自体、レイからすれば妙な事でしかない。一体、何がどうなっているのか。彼の日常生活の中で、まず、会う事のない人間が、目の前に居ている。それは何を示すというのか。

 一つ、一つを整理しようにも、出来ない。レイの頭は混乱状態だ。

「じゃあ、まずは深呼吸をしましょうか。」

「え……え?あ、はい。」

すぅ、と息を鼻から吸い、はぁ、と吐く。この時、レイの中で僅かに気持ちが整理出来たような気が、した。

「よし、じゃあ事情を説明していきましょうか。」

何故レイの家に家庭教師として来ることになったのか。今からその秘密が、明かされるのであった――

 

 彼女の口から語られた内容。それは、レイが去ってからのセイントバードの行動についてだ。セイントバードチームはアステル家がスポンサーとなって行動している。その中で、新生連邦の情報を集める為に今は動いている。それは、二ヶ月前に起きたセントマリア号の事件も関係していた。

 やがて、アインスガンダムに乗って、その強さを見せたレイ。しかしその強さは、新生連邦軍にも目立つ結果となってしまったのである。力を持つ存在として活躍していたレイが、元の日常に戻る。しかし、今の世界情勢を見て、新生連邦軍がより戦力を求める可能性が高いと考えられた。

 今のレイの立場や、置かれている状況。それを、誰かが見ておく必要がある。その適任者が、エリィと言うことになる。彼を新生連邦から守る為には、誰かが彼の存在を確認出来る立場でなければならない。そして、どのようにレイと接触するのが良いかと考えた結果が、家庭教師という形である。レイはジュニアハイスクールの三年生。受験のシーズンだ。子供の受験事情で頭を抱える家庭は間違いなく存在すると考えたエリィは、思い切って広告を作り、募集した。結果、上手に裏工作をして、彼女は家庭教師としてキレス家に入る事が出来る様になったという事であった。

 

「新生連邦が、僕を狙っているって事ですか……?」

「端的に言えばそういう事になるね。だから、貴方を誰かが監視しないと行けないという話になったの。そこで、私が適任かなって思ったという訳!」

その言葉はレイを恐怖に陥れる事になる。彼にとってのかけがえのない日常。それは、誰にも侵される事のないものだ。新学期が始まり、新しいクラス、受験の為にこれから勉強も、頑張っていかないといけないと考えていた矢先の、衝撃。

 レイは困惑した。結局何も、終わっていないのだ。故郷で生活をしていて、友人と、かけがえのない時間を過ごしていても、何も、終わっていない。

 寧ろ、いつ新生連邦軍が迫って来るのかが分からないという新たな現実がエリィから聞かされた。そのショックが、計り知れないのだ。

「こんな……こんな事って……!」

「お、落ち着いて!貴方がいきなり狙われるとか、そんな事はないから!“もしも”の話をしているだけ!だから、用心に越した事はないって事!」

とは言うが、レイは困惑し、そして恐怖している。元の生活に戻れた筈なのに、新生連邦に狙われるかも知れないという事実。それは、果たして元の生活と言えるのだろうか。

 平穏な日常。それはレイが憧れていたもの。MSによる死の恐怖とは一切関係のない、日常。普通の生活。だが新生連邦と言う単語が脳裏を過る時、その不安が彼を包む。

「受験だってあるんだ……僕は、もう普通の生活を送るのに!どうして、こんなのって!」

今の彼は、その危険性の話を信じたくなかった。もう、戦闘に巻き込まれる事も、戦わなくても良い生活を謳歌できるとばかり考えていた。だからこそ、エリィがその姿を見せ、事情を聞いた時に苦悩した。

 レイの眼は、大きく見開かれている。そして、震えている。もし、自分が新生連邦に拉致されるような事があるとすれば……という、不安を抱いているのだ。

 現に、彼は一度クラリスに拉致をされた事があった。そうした体験を、ここでもしていくというのか。もう、何にも怯えなくて良い生活を謳歌する中で。アインスガンダムも、もう何もないというのに。

「レイ君。よく聞いて。」

震えるレイを宥めるのは、エリィだ。彼女の優しい声が聞こえた時、レイは視線をエリィの方に向けた。

「貴方は怯えているかも知れないけど、それは可能性の話。普通に生活をしていれば、新生連邦が貴方だけを何らかの形で襲って来ることはないよ。」

「じゃあ、どうしてエリィさんがここにいるんですか!?本当に安全なら、エリィさんがこんな、家庭教師なんて潜入捜査みたいなことしなくて良いじゃないですか!」

レイの声が響く。エリィは、そっと溜息を吐き、言った。

「うーん、色々と君には説明をしていかないと行けないんだよ。少なくとも、アインスガンダムのパイロットだった、“君”はね。」

「説明……ですか。」

「そう。よく聞いてね。脅しじゃないし、世界情勢の話も絡んでくるから。」

そう言って、再びエリィは説明を行った。

 現在の世界情勢は、新生連邦と平和国の冷戦状態であるという事。それに伴い、新生連邦軍の行動も過激になっていく可能性があるという事。そして、その矛先はアインスガンダムのパイロットであったレイにも及ぶ可能性があるという事。

 つまり、レイの日常を守る為に、彼女はここに来たという事だ。一つ、一つを説明するエリィ。それらを聞いた時、レイの表情は少し、穏やかになる。

「でも、狙われるかも知れないのは変わらないんですね……」

「だから言っているじゃない。“可能性の話”だって。」

エリィは、少しばかり呆れている様子だった。説明をする事で、レイ自身も少しずつ納得はしていくのだが、やはりどこか、引っ掛かる様子だった。

「それで、合理的にレイ君と情報交換が出来るのがこの形という訳なの。家庭教師なら全く怪しくないでしょ?貴方の“日常”の一場面ですもの。」

と、エリィは右の示指を立てて言った。

「Eフォンのメッセージアプリじゃ、駄目だったんですか?」

と、聞くレイ。

「万が一レイ君の身に何かあった時に対応出来ないじゃない。」

と、エリィが答え、レイは頷いた。

「まあ、そう言う事ですよ。貴方の家族さんの前では、メディナ・リアという仮名で過ごして、私と二人でいる時は、エリィ・レイスとして接してね、レイ君!」

とは言うが、やはり彼の日常の中でエリィが目の前に居るという事が、信じられない様子だった。今の彼は、ただ、混乱しているだけ。

 セイントバードの艦長をしていたエリィ・レイスが目の前に居るという事が、おかしい話だ。増してや、エリィが家庭教師をするなど、考えもつかない。

 やはり現実を受け入れ切れていないレイ。それを見て、エリィは溜息を吐き、言った。

「あのね、レイ君。厳しい事を言うけど、君は新生連邦軍の機密兵器を持ち出したの。その上で、セイントバードチームの一員として、大きな活躍したの。それは、私達にとっては良い事ではあるのだけれど、目を付けられても仕方がない事なの。だから、私達が貴方を守らないと行けないの。新生連邦軍は、何をしてくるか分からないからね。」

それは、分かっているようで、分かり切れない事だった。

 全てはあの時、クラリス・デイルに拉致されたあの日が発端なのだ。成り行きで乗ったガンダムは、彼の人生を大きく変えた。日常に戻りたいと願っていても、それが叶う事は果たして来るのだろうか。それは、分からないのである。

「でも、私がこうして定期的に来ることで、貴方は安心して日常生活を送ることが出来る。その事に関しては、心配は要らないよ。ね?」

様々な想いがレイの中で混ざり合う。しかし、エリィがそう答えるのならば、受け入れるしかないのだと、彼は感じていた。

「そう……ですかね。」

レイは、頷いた。

「今の世界情勢はメディアで報道されているからよく分かっているとは思うけど、非常に不安定なの。新生連邦と平和国が対立しつつある状態。そうなれば、戦力を欲する新生連邦が何らかの行動をする可能性は、高いわ。」

その発言をする根拠の一つが、彼等も経験した、日本海での海賊と新生連邦軍の協力である。それらの情報や、セントマリア号の一件が関与し、より、新生連邦軍が不穏な組織である事に繋がったのだ。

 地球上を統一する軍が、民間人にまで関与するという異常な状況。だが、それが現実にまかり通っているのが問題なのである。

「新生連邦って……何なんですか。どうして、こんな事をするんでしょうか。」

「なりふり構っていられないのかもね。恐らく、何らかの形で平和国を排除したいと考えているだろうから。」

と、エリィは髪を掻き撫でながら言った。

「という訳で!レイ君、私は家庭教師をしながら、情報の伝達を貴方にする役になりましたので、改めて宜しくね!」

と、笑顔で答えるエリィ先程までの真剣な表情は何処へ行ったのだろうか。

「あ、はい……あのあの、僕も色々と質問がしたいです。」

エリィの説明が続き、レイ自身も、混乱状態ではあったが、いくつか聞きたいことがあるのも、また事実である。

「エリィさんが家庭教師をやるって言ってますけど、今、セイントバードって誰が艦長をやっているんですか?」

レイの疑問の一つ。それは、誰がセイントバードを指揮しているのかである。

「大尉だよ。」

「ネルソンさんが?」

「うん。そうだよ。」

と、笑顔でエリィは答える。

「あと、エリィさんは何処に住む予定なんですか?家庭教師をする以上は、近所じゃないと難しいんじゃないですか……?」

この疑問もそうだ。だが、エリィは答える。

「ちかくに賃貸住宅があってね、そこで暮らす事になるの。まあ、暫くは気楽な一人暮らしをする事になるわね!あ、もし良かったら遊びに来て良いからね!」

「そ、そんなのは大丈夫ですよ!」

と、慌てふためくレイ。

「フフ、レイ君は本当に可愛いな。でも、油断は出来ない。敵はいつ来るか、分からないもの。」

言ってみれば、家庭教師の皮を被ったボディガード。それが、今のエリィの役割であったのだ。

 妙な感覚に陥ったレイ。自身の日常生活を行う為に、エリィに守られているという、妙な状況。彼はただ、唖然とするばかりであった。

「という訳で、じゃあ早速家庭教師として勉強を始めましょうか。レイ君、この前の定期試験はどうだったのかな?」

「え?家庭教師をするんですか?」

当然の疑問だ。彼は、エリィが“家庭教師の振り”をしてくるものだと、思っていたからである。

「いやいや、あのね、貴方のお母さんからお金を頂いているのに成績が伸びなかったらそれこそ打ち切られちゃうよ。私、これでも勉強を教えるのは得意なんだからね!」

妙な関係が出来上がってしまった瞬間だった。

表向きは、家庭教師と生徒の関係。だが実際は、MS乗りのチームの艦長と、そのMS乗りの少年の関係。互いに、レイの家族に対し、そのペルソナを纏う事になってしまったのである。

「あの、それならボランティアとかでも良かったのでは?」

と、聞くレイ。

「こういうのはボランティアの方がかえって怪しまれちゃうのよ。だから、ある程度格安の価格に設定して、安心してもらう!その方がレイ君の家族さんも安心するでしょう?」

と、エリィはウインクをしながら言った。レイの事を思って、彼女はそこまでしてくれているのだ。それに対し、レイはただ、申し訳のない気持ちで一杯だったのである。

「さて、じゃあ早速勉強を始めましょうか。」

「えっ早速ですか?」

先程までの会話から、突然の勉強の話。レイは、ただ困惑するばかりである。

「当然だよ!私は遊びに来たわけじゃないんだから。あくまでも、仕事に来たんだから、ね!」

と、言いながらエリィは彼が持っている教科書を見た。内容に対して何度か頷き、それらを理解している様子のエリィ。

 彼にとっては不思議な感覚だ。MS乗りの艦長を務める人間が、家庭教師をしているという構図。それ自体が奇妙であり、尚且つ不思議な事である。

 結局、レイはその日、エリィとのマンツーマンで勉強を教わる事になったのだ。その内容は、レイが想像していた以上に過酷であり、彼自身が、妙な息切れ感を起こす程だったという。

 この日、レイはエリィの新たな一面を知る事となった。家庭教師のエリィ。それは、彼の生活の一部として取り込まれていく事になるのであった――

 

 

 

 日常生活を謳歌している筈のレイだが、何故か元の日常を送っているにも関わらずエリィと再会するなど、妙な事が続く様子だった。

 エリィの家庭教師の訪問は週一回。土曜日のみ、昼から夕方にかけて家庭教師を行う。

エリィがカバーをする科目は、レイの点数が取れていない科目のみである。特に、空白の二ヶ月で遅れた分を取り戻す必要がある科目においては彼女のフォローが必要になるという訳だ。しかし、彼の得意科目となれば余計な指導は不要となる。

 例えば今、彼が授業で受けている物理化学。それは三年生に上がった時に選択式の授業として取る事となっている授業だ。二年生まで受講していた理科の応用の授業。

 この授業はこの時代における物理化学の事を学ぶ。MSの兵器で主要に使用されている、ビーム粒子の基礎理論等だ。

 選択式の授業ではクラスメイトの顔ぶれが変わる。物理化学を受ける人間は、大半が男子生徒。何故この科目を受けるのかと言えば、物理化学を受講さえすれば、就職活動に有利になるという話があった為である。

「ビーム粒子と呼ばれる粒子は元々C.W時代に戦争で使われる兵器として用いられて来た事が由来であり、その特性故に兵器として用いられる事が多い粒子という制約があります。実は地球上でも粒子は極、小さな粒子として宙を舞っています。ですが人体には影響を確認されない為、使用上の問題はないとされています。しかしその粒子の数が集まり、熱を帯びる事があればそれは兵器と言う形となります。例えばビーム粒子を放出する為の媒体の電力とビーム粒子が合わさる事で、それは荷電粒子砲という形となり、所謂“ビーム兵器”という形を作ります。これは、MSと呼ばれる兵器や戦艦等でよく用いられたりするものです。但し、大気圏内でのビーム兵器は大気の影響を受ける為に、所謂減衰する傾向にあります。その為、ビーム兵器が主流となるのは主に宇宙となる訳です。また、熱を帯びた粒子は民間企業がネットワークで使用する回線に障害を生じさせます。故に戦闘がある国や場所でのSNSは難しいとされています――」

と、物理化学の基礎の話をする教師がいた。だが、その話を聞いている人間の大半が眠気に襲われている。その中で、教師の話を頷きながら聞いている生徒が一人。レイである。

「キレス君、詳しいの?なんか興味ありげだけど……」

と、聞くのは眼鏡を掛けた男子生徒である、クラークス・ミラックである。彼とはクラスは別々であったが、物理化学の時間は同じクラスで受けていたのだ。

「うん、まあね。」

と、ひそひそと喋る二人。

「MSの事は好きだけど、難しいなぁ……理論とかってあんまり得意じゃないかも……」

と、嘆くクラーク。彼はMSマニアであり、レイとはそういった繋がりでよく会話をしていた。しかし、その兵器に関する物理化学などの話に関しては余り詳しい様子ではなかったのである。

「そして、ビーム粒子で出来た、こうしたエネルギー体は膨大な出力を誇ると言われていますが、水中ではどうなるでしょうか。誰か説明できますか?」

と、教師がクラスの人間に聞いた。しんと静まるクラスメイト。こうした場面で答えられる人間と言うのは、珍しい。分からない事を答え、恥をかくのが嫌だという人間が大半なのだ。

 だが、この時レイが手を上げた。それも、自らの意思で。

「キレス、じゃあ答えて見なさい。」

と、言われ、レイは口を開く。

「水中ではビーム砲といった高エネルギーの兵器類は減衰してしまう為、基本的には使用されません。しかし、エネルギーの基部となる部分から放出されるビーム粒子に関しては、減衰はあれど、ある程度水中で使用することが出来ます。その例えが――」

と、レイがすらすらと答える。それを見ていた、物理化学を受けていた生徒達が皆、彼の方を見ていた。

「も、もう宜しい!随分と詳しい様子だね。いやはや。」

と、教師は苦笑いを浮かべていた。眼鏡を掛けた、初老の教師であった。

 レイは、この時海中での新生連邦や海賊との戦いを思い浮かべていた。それ故に、言葉を発してしまったのである。彼の戦闘中の経験が、発揮された瞬間であった。

「キレス君、凄いね!まるで見て来たみたいに話すね!」

と、関心を抱くクラーク。

「い、いやあ……僕、こういうの、好きだから……」

“好き”ではない。実際に経験したから、その経験を語っただけに過ぎない。だが、そのような話等出来る筈がない。彼の実情を知るのはリルムのみ。それ以外の生徒は、彼の事を知る筈がないのだから。

 しかし、このクラスの端で、レイの発言に対し、快く思わない人間が居たのだった。

 

 

 

「おい引き籠り野郎!!」

放課後の部活動。サッカー部で準備運動をしていたレイに声を掛けてきたのは、イース・ハドラスだった。サッカーに関しては天才的な才能を持つ少年だが、口調が悪く、余り好かれている様子ではない、生徒。

 事情を知らない彼は、レイが登校を再開してから彼の事を、“引き籠り”と馬鹿にするような発言をする。レイはそれが嫌に思えて仕方がなかったのだ。

「なんであんなに堂々と答えられるんだよ?偉そうにさ!普段は地味で女みたいな顔してる陰キャ野郎が偉そうに!なんかムカつくわ、マジで。」

顔を近づけるイース。レイは、彼と顔を合わせようとしなかった。ただ、嫌だった為である。

「別に、知ってる事を言っただけだし……」

「あの白髪もビビってたぞ!キメえんだよ!」

と、更にイースはレイに対して顔を近づける。

「大体な、お前いつの間にエリアスと仲良くなってんだ?口、利いてなかったんじゃねえのかよ!?」

イースとはクラスが違うのだが、リルムが男子生徒に人気であるが故に、レイとリルムが喋る瞬間を、他の生徒に見られている。その中の一人に、イース・ハドラスが居たのだ。

「か、関係ないでしょ……」

と、否定するレイ。しかしイースは明らかに苛立っている様子だった。

「お前等が仲良くなるとな、いずれ俺とミアーといずれダブルデートしなきゃならなくなるだろうが!お前みたいなオタク陰キャ女顔野郎と一緒にデートなんてしたくねぇんだよ!」

イースは、リルムの友人であるミアーと交際をしていた。それ自体はレイにとっては何も思わない事。

しかし、イースの方はレイと一緒に居る事が嫌だという。その理由も、全く理に適っていない。感情極まっている内容だ。

 彼等のようなティーンエイジャーというのは直感的に行動をする人間が多い。理性的で、合理的な人間関係を築くことが出来る人間は、数少ない。イース・ハドラスもその一人だ。サッカーの天才と呼ばれている人間であるが、結局は年相応の人間。所詮は子供なのである。

 レイは、何も言い返せなかった。別にリルムとは交際をしている訳ではない。だが、明らかに自分の事を馬鹿にしてきたイース。これに対して何も言えないのは、正直情けないと感じていたのである。

 その後部活動は何事もなく終わったが、嫌な気分だけがレイを襲ったのだった。

 

 

 

 部活動の帰り道。レイはモークと共に帰っている。その際に、リルムと合流していた。三人で帰路を歩く光景。この光景も、レイにとっては有難い光景の一つである。部活の途中でイースに言われた事も、少し忘れられるような気がしていたのだ。

「リルムも遅かったね。」

レイが声を掛けた。

「学園祭の準備が大詰めでねー。あれで時間が掛っちゃって……」

と、苦笑いを浮かべるリルム。生徒会に所属している彼女は、近々ベレーナジュアハイスクール内で行われる学園祭の準備に追われていたのである。

 学園祭。年に一度の学校の祭り。全校生徒がその為に居残りをしたり、出し物等の準備をする。それらに意気込む者や、そうでない者等、様々ではあるが、それらを取り仕切るのが生徒会であり、リルムはそのメンバーとして残っていたのである。

「来週だもんね。もうすぐ。」

「とりあえず飯さえ食べれたらいいや。」

と、能天気なモークは言う。その言葉に、リルムは笑う。

 この三人で歩く帰り道が、レイにとって嬉しい時間だ。友人と、幼馴染。皆が仲の良い状況。穏やかな時間。部活中の、嫌な事さえ忘れられる、時間。

 そして、レイはリルムの事を想っている。密かに抱く恋心。表面上では笑顔でも、実際は違う。彼女の事がいつしか好きという感情へ変わりつつあるのだ。

部活動中にイースに馬鹿にされたが、もし、リルムと付き合う事が出来たのなら、やはりそのような事になったりするのだろうかと、ふと考えるレイ。いや、それ以前に付き合えるのかも分からない。何故ならば、その想いを伝えていないから。

 

「あれ、レイ君?」

その時、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。その方向を見ると、そこには眼鏡を掛け、キャップを被っている女性の姿が。

 メディナ・リアという仮名で過ごしている、エリィがそこに居たのだ。彼女とここで会うのは、全くの偶然であったのだ。

「エリィさ……いや、メディナ先生!」

慌てて言葉を修正する、レイ。エリィは笑顔を浮かべている。

「先生?え、レイの知り合い?」

「うん、実は言ってなかったんだけど、家庭教師始めたんだ。エリ……違う、メディナ先生はその先生だよ。」

やはり、仮名でエリィの事を呼ぶのは辛そうな様子のレイ。

「凄い美人……こんな人に勉強を教えてもらってるの?」

エリィのプロポーションは、ティーエンジャーである彼等にも一目で分かる程である。眼鏡とキャップ、そして括ったロングヘアーを見ても分かる整った顔立ち。その上での脚の長さ、胸の大きさ。その完璧とも言える美貌は男女問わず見る者を魅了する。

 まるで、トップモデルかのような印象を持たれたエリィ。リルムの言葉を聞き、ふと、笑みを浮かべていた。

「う、うん……まあ。」

対するレイは僅かに困惑している様子だった。彼はエリィの事を良く知っているだけに、まさかこの状況を彼女に見られるとは思わなかったのである。

「レイ君は学校の帰り?」

「あ、えと……そ、そうです!部活動の帰りです!」

「フフ、いいね!青春を謳歌してる!じゃあ、また土曜日に!」

と、エリィは一瞬リルムの方を見た後で視線をレイの方に向け、笑みを浮かべる。その後、手を振りながら去って行った。その姿を、呆然と見つめるのはモークだった。

「モデルみたいじゃねえか……レイ、お前いつの間にあんな家庭教師に教えて貰ってんだよ!ずるいぞ!教えろ!俺も雇うわ!」

エリィの美貌に魅入られたモークは、レイを羨ましく思ったのだろう。彼の頭をぐいと持ち、押さえつけた。その力は強いものではないが、レイはやや、困惑している。

「む、無理だよ!専属だって言われてるし!」

「何だと!?お前マジかよ!!」

と、更にモークはレイの頭を抑えつける。

「ちょっと止めてよモーク!けど家庭教師かぁ。うちも、塾とか通い始めないとなぁ。受験も控えてるし。」

エリィがきっかけで話題が弾んだ三人。

 レイにとっては不思議な光景ではある。日常生活でお馴染みの三人と、非日常で世話になったエリィが同じ環境で顔を合わせるという状況。それを詳細に知るのは、レイのみ。無論、家庭教師のメディナが実はMS乗りの艦長をしているという話等、する筈がない。それは、最早お伽話のようなものなのだ。

 

 

 

 学園祭が近づく中、別の日にて。昼休みの時間、昼食を食べ、席に戻ろうとした時だった。

「なあ。」

突如、レイは声を掛けられる。その方向を見る、レイ。

 そこに居たのは長身の男子生徒だった。身長は、推定180センチメートルはあろう、長身の男子生徒。レイの身長が165センチメートルである事を考えると、如何に背が高いかが分かる。

「えっと……?」

クラスメイトの人間だったのだが、席が離れている人間。一見では、寡黙であり、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している生徒。友人はそれなりにはいる、その男子生徒。目はやや垂れ目であり、物事を呆然と見ているような印象を持つ。

「レイ・キレスだよな。二ヶ月間学校来てなかったのって確か、お前だよな。」

「え?あ、う、うん……」

レイは対応に困っている様子だった。

「ちょっと屋上来いよ。」

レイはびくりと反応した。言葉が怖い。殆ど……いや、全くと言って良い程会話した事のない男子生徒にそのような事を言われるのだ。何かあるのではないかと考えるのが普通だろう。

 だが何故?全く覚えがない。そもそも、この生徒と喋る事自体も今回が初めてだ。何か、彼にとって不利益な事をした覚えも、ない。だからと言って、断る理由もない。

 レイはこの男子生徒に連れられ、屋上へ向かう事になった。何を言われるのか、されるのかは分からない。どちらかと言えば、不安の要素が大きいと言えた。

 

 

 屋上は風通しが良い。だが、普段この場所に立ち入る生徒は少ない。何故ならば、基本的にこの場所への立ち入りは禁止されているからだ。

 だがレイを連れた男子生徒はあえて彼をここに連れた。そして、ドアを開け、近くにある段差に座る。レイにも、その場に座る様に言った。そして、男子生徒はまるで睨むようにレイをじいっと見る。

「改めてお前を見るとさ、ほんと女みたいな顔だよな。学ラン姿が違和感しかない。女学生の服とか似合うんじゃね?」

「え?」

何を言っているのか……と、困惑するレイ。

「いや、今はそんな事どうでもいいや。あ、えーと……そうそう、俺の名前知ってる?」

レイは、男子生徒の事を把握していなかった。無理もない。彼とは出会ってまだ二週間も経過していない。

だが、相手はレイの事を知っていた。その相手の名前を知らないのは、失礼であると、彼は考えていた。しかし、分からない。思い出せないのだ。

「ご、ごめん……分からない。」

生徒は少し、溜息を吐いた。レイは彼と目線を合わせるのを、少し躊躇っていた。

「俺はトラン・オセイド。ベースボール部所属。まあ、宜しく。」

と、冷淡な様子で握手を求める、男子生徒。名は、トランと言った。彼が名乗った時、レイは目線を合わせた。レイもそれに応じ、握手を行う。握手をするという事は、悪い事ではないのだろう。

 手から感じる握力。その強さは紛れもなく、彼の力強さを感じた。対するレイの手は、華奢で、やはり少女のような手つきだ。レイは自らの手を好きに思えない。男らしさを感じない為だ。この時レイは、トランの手を羨ましいと、感じていた。

「ああ、そうそう。話ってのはさ、エリアスの事についてだ。」

「リルムの?」

トランは、リルムの事を知っている様子だった。対するレイはトランの事を全く知っている様子ではない。一体、どういう事だというのか。

「お前等って、付き合ってないのか?」

「え……?そ、そんなのは……!」

付き合ってはいない。レイの方から一方的な好意を持っているのは間違いないが。改めてそのように言われると、レイ自身、困惑するのは明確だ。

「その……トランは、リルムとどういう関係なの?」

今度はレイが聞いた。今まで自分が知らなかった人間が、彼がよく知る幼馴染の話をするのだから、その疑問は至極当然と言える。

「俺の彼女がエリアスと友達でさ。よくエリアスがお前の話をするんだって。そこから彼女を通じて俺と喋るけどさ、俺、お前の事知らねえし。良い機会と思ってさ。」

と言いながらトランは手に持っていたジュースを、一口飲む。

(多分……トランは良い人だ。僕を知ろうとしてくれている。)

内心で、彼は思った。それと同時に、リルムの交友関係をあまり把握できていない事を感じていた。

 ジュニアハイスクールに進学してからリルムとはよく喋っていた。だが、彼女の人間関係までは、把握出来ていない。それはレイの人間関係を、彼女が分かっていないように、それは当然の事。

 個人で形成する人間関係は、他人とは違う。いくら友人や恋人、家族であれ、それぞれが形成する人間関係は異なる。それらから繋がり、関係を築く事もあるだろうが、所詮は人と人の問題。親族、友人であれ、それらは関係ないのだ。

「じゃあ、リルムとも喋ったりする?」

「まあ、たまにだけど。」

トランは頭を掻きながら言った。

「僕は、リルムの事をよく分かっていなかったのかな……」

と、何気なくレイは呟いた。

人間関係の把握というのは、一見では難しい。幼馴染とはいえ、それぞれ経験している事も異なるからだ。

「お前はエリアスの事をどう思ってんのよ。」

気だるそうな様子でトランはレイに言った。

「え?そんな、いきなり……」

ほぼ、初対面の人間に、そのような話をされるとは思わなかった為、レイは困惑している。モークともそのような話はしなかった為、不思議な感覚であった。

「ま、学年が変わって、更に知り合ったばっかりの人間に恋話するのもどうかとは思うけど。」

トランは、そっと呼吸をし、言った。

「分からない。リルムとはどういう関係でいるべきなのか……」

今、こうして改めて話をする事で、リルムの事を考える良い機会となったレイ。

 ジュニアハイスクールに進学し、何度かリルムとは一緒に出掛けたりした事はあった。学校の帰り道を一緒に歩いたりした事はあった。だが空白の二ヶ月の事や、その出来事を伝えた時、一度リルムとは口を利かなくなった。

 新学期になり、久しぶりにレイと喋るようになったリルム。それは、良い事ではあるが、トランの言葉を聞き、交友関係が把握できていなかった事を、知ったのである。

「それにさ、この前の部活の時、お前ハドラスの奴に偉そうになんか言われてたよな。」

先日の事だ。部活動でイースがレイに対して言っていた台詞。レイはそれを思い出し、不快な気分になった。

「ジャイスとハドラスが付き合ってて、お前とエリアスが仲良くなると、ダブルデートしないと行けなくなるから、嫌とか言ってただろ。あいつ。」

「あれ、聞こえてたんだ……」

ベレーナジュニアハイスクールの校庭は、放課後はベースボール部とサッカー部が主に使用している。先日の件は、ベースボール部であるトランの耳にも聞こえていたのである。

「ああいうのうぜえんだよな。自分の事しか考えてない野郎がいるのって、ほんと迷惑っつーか。」

その様子から、トランもイースの事を嫌に感じている様子だった。高圧的であり、自己中心的な人間のイースを嫌う人間は、部活動以外にもいたという事になる。

「でもさ、俺は仮にエリアスとお前が付き合う事になって、ダブルデートになったら歓迎だよ。」

「え……?」

気だるそうな印象を持つトランだが、この時、自然な笑みを浮かべていた。何故だろうか。その言葉が、レイにとっては嬉しく感じられたのである。

「俺の彼女……イーシャ・ヘレンって言うんだけどさ、エリアスとは仲良くしてくれてるし、幼馴染のお前の事を知らないのもどうかと思ったんだよな。」

イーシャ・ヘレン。レイとは一度もクラスが一緒になった事のない人間だ。その為、どのような人間かはよく知らない。しかし、リルムはイーシャとは仲が良い。それもその筈。イーシャは生徒会の人間だからだ。それから繋がり、彼女達は仲良くなったのである。

「こうやって喋ってみたら、お前良い奴っぽいし。仲良くしても良いかなって。誘い方強引だったけど。」

その言葉はレイにとって喜び以外の何者でもない。突然の屋上への勧誘は驚愕したが、話してみれば、会話のし易い人間である事が分かる。

 この瞬間、レイに新たな友人が出来た。トラン・オセイド。普段から一緒に行動する仲というわけではないが、幼馴染の友人を介して、仲良くなったのである。

「レイ……で良いか?呼び方。」

「うん。僕も、トランって呼んて良い?」

「勿論。あとさ、お前って物理化学得意なんだろ。また今度教えてくれよ。」

思えば、トランも物理化学を選択授業で受講している人間だ。先日のレイの質疑応答が印象に残っていた彼は、レイという友達を作り、勉強を教えてもらうきっかけとなったのである。

 人間は得意分野があれば、そこを認める人間と、そうでない人間に分かれる。それぞれの価値観がその人間達にはある為だ。勉強が得意ならば、その人間に勉強を教わるだろう。だが勉強が得意過ぎても、それを妬む人間がいるのも、また事実なのだ。

「またお前にイーシャの事、紹介するよ。イーシャは俺と幼馴染で、色々とあって交際に至ったっていうか……」

「そう……なんだ。」

レイにとって、それは吉報だった。同じような立場の人間がいると、分かったからだ。

 まるで神が与えたかのような偶然。ある種、自分と同じような立場の人間と仲良くなれるとは、思わなかった。トラン・オセイド。三年生になってからのクラスメイト。席は離れているが、好意的に接してくれる彼の存在を、レイは今日、強く印象に残したのであった。

 

 

 

 学園祭の日が来た。ベレーナジュニアハイスクール外からの、地域の人々が出入りし、賑わう祭り。生徒や教師達は勿論、地域の人間も楽しそうな表情を浮かべている。

 出し物はそれぞれのクラスによって異なる。飲食店をするクラスや、美術を展示するクラス等。レイのクラスは雑貨店であり、内部からも、外部からも客人が来る。個性的なアクセサリー等が格安で購入できる事もあり、人気はそれなりに、あった。

 店番でない時に、レイはモークと校内を歩いていた。そこで、トランと偶然にも会い、三人は合流。そして、リルムとイーシャとも合流し、五人での移動が始まった。

 モークからすれば、トランの存在は顔見知り程度の関係であった為、最初は困惑している様子だったが、トランがリードするように話をした為、次第にモークとも仲良くなっていく。

「リィルの幼馴染って君だよねー?キレス君!」

リルムの事を、“リィル”と愛称で呼ぶイーシャ。その事から、余程仲が良い事が伺える。

「あ、う、うん。」

「よろしくー!」

イーシャは彼が想像していた以上に気さくな印象を持つ、女子生徒だった。トランの気だるそうな印象とはかけ離れた、明朗な少女。彼女が、リルムの友人なのだ。桃赤色の髪色に、ツインテールが、より彼女の明るさに拍車をかけている。

 校内を巡る五人。会話はそれなりに弾み、彼等にとって楽しい時間が過ぎて行く。

「レイ、いつの間にイーシャと仲良くなったの?」

「トランが教えてくれたんだよ。」

「オセイド君が?」

「うん。」

リルムとの会話も、弾む。この瞬間がレイにとって楽しい時間であるのだ。好意を持つ人間との会話は、一際楽しく感じられ、心が踊る。特に、彼のようなティーンエイジャーならば尚の事だ。

「なんか俺、このメンバーで浮いてる気がするんだよなぁ……」

一人、モークはつまらなさそうな表情を浮かべている。レイとリルム、トランとイーシャのように、特に親しい女子生徒がいる訳でもない彼にとっては、少々寂しい時間なのかも知れない。

 やがて五人は記念撮影を撮る為、校舎の前に集まり、Eフォンを使い、記念撮影をした。その時、モークは違和感を覚えながらも満面の笑みを浮かべていた。

 この日常こそが、レイにとっての理想。生死を伴う環境に身を置いたからこそ、彼は今の時間を謳歌出来ている。その上で出来た新たな友人。皆と過ごす学園祭。この時間は、周りの友人以上にレイにとってかけがえのない、時間と言えた。

そして、彼は写真撮影の際、リルムの傍にいたのである。彼女との距離は、20センチ程度離れていた。それが、今の時間を楽しんでいるレイにとっては、少しばかり寂しい気持ちにさせたのだった。

 

 

 

 学園祭が終わってからの土曜日。エリィが家庭教師として来る日だ。母、カレンに挨拶をするエリィ。そして、レイの部屋に訪れる。

 今日の服装はやや、刺激的と言える恰好をしていた。臍を出しており、黒いタイトジーンズに、白い三分丈のシャツ。その格好にレイはやや、驚いた表情を見せた。

(なんか、刺激的だ……)

と、レイはやや恥じらう様子を見せる。

「ヤッホー、レイ君。学園祭は楽しかったかな?」

レイの眼を見て、じいっと顔を覗かせる、エリィ。

「あ……はい、楽しかったです!」

と、レイは笑みを浮かべた。

「それは何よりだね。フフ、青春してる。ねえ、写真とかないの?」

と、言いながら彼女は鞄を下ろし、椅子に座る。

「ありますよ?」

と、言いながらレイはEフォンをエリィに見せる。そこに映る、様々な光景。催し物の光景が一枚ずつ写真に収められている。

 その中で、エリィは五人が映っている写真を見つけた。

「仲良さそうだね!レイ君、本当に学校生活を満喫してるね。」

エリィに、自然な笑みが浮かぶ。レイの幸せを、願っているが故の笑みなのだろうか。

「あれ、この子、前に一緒に居た子だよね?」

ふと、五人が映る写真を見るエリィ。そこに映る、レイと微妙な距離を作っているリルムに注目したのだ。

「はい。僕の幼馴染なんです。」

「ふぅん。」

エリィは、何故か素っ気のない返事をした――

 

ギュッ

 

エリィがレイの首元に対し、自らの腕を絡ませてきたのはその瞬間の時だった。しなやかな筋肉の柔らかさが、レイの首に伝わる。まるでシルクのような肌触り。エリィの綺麗な腕が、彼の首筋の表在感覚から感じられた。

「あ、あの……エリィさん?」

突然の行為に、レイは困惑する。少女のような顔つきの彼の首筋に抱きつくエリィ。まるでそれは、仲の良い姉妹のように見える。

「なんか妬いちゃうかも。」

「えぇ……!?」

何に対しての嫉妬だというのか。レイには、理解が出来ない。

「だってさ、私達は常に命懸けの環境で今まで戦ってて、その中で私はレイ君っていうオアシスを見つけて喜んでたのに、レイ君はその子と仲良くしようとしてるもの。ずるいなって思ったの。」

突然の行動と、台詞はレイを困惑させる。彼女は一体、何を言っているのか?

「エリィさん、何を言ってるんですか……?」

「平和な環境で、青春を謳歌してるレイ君に、ちょっとだけ嫉妬してるんだよ。」

エリィの声が、寂しそうに響く。そして、彼女の言葉には違和感があった。

 レイの環境に対して嫉妬しているのなら、何故レイの家庭教師という立場を取ったのか。先程の言葉との乖離が見られる。その態度には矛盾が感じられた。彼女の言葉の意味が、分からない。

「ねぇ、レイ君。覚えてない?私、自分の事を“悪い大人”だって言った事。」

「えっ――」

それは、アレクサンドリアに降り立った時。落ち込むレイを、誘惑した時の事であった。

 

カプッ

 

レイの耳垂に、僅かにこそばゆい感覚を覚えたのは、エリィの誘惑するような言葉がきっかけだった。

 彼女は口唇を使い、レイの耳に優しく触れた。スキンシップなのだろうか。ただ、レイにとっては、驚愕する事でしかないのだ。

「ひあっ!?」

反応するレイ。それと同時にエリィはレイの首筋に触れてきた。

「ちょっ、エリィさん!やめて……下さいっ!くすぐったいです……!」

「嫉妬してるから、やめないんだからね。それにここ、レイ君のお家でこんなイケない事をするなんて、悪い大人のする事だからね。このまま、食べちゃうんだから。」

と、言いながら更に甘く、耳垂を噛む。

「ひやぁぁっ!ダメぇ……!」

拒否するレイだが、その反応がエリィの嫉妬心に更に火を付けた。

 だが、レイはエリィの突然の行為を嫌がる様子がない。本心では喜んでいるのか?それすらも、今のレイには分からないのだ。

「こんな、突然……ダメですよ……!ふぁぁぁっ……!」

「フフ、レイ君は耳たぶが敏感なのかな?」

目を疑うような光景だった。セイントバード内でも何度かエリィはレイを誘惑するような行動をしてきたが、今回はあろうことか、直接彼の身体の一部を噛んでいるのである。その仕草をするエリィは、一体何を意味しているのか。愛情?嫉妬?単なる好奇心?レイに対する扱いとは、一体何なのか。

「僕の、家の中なのに……こんなの……あああっ……!」

声は大きく上げられない。もし家族に聞かれればまずいと、分かっているからだ。しかしエリィは止める様子を見せない。寧ろ、行動はエスカレートしていく。

「可愛い声……フフ、自分の家で、こんな事されてる気分はどう?」

「嫌……ですよ……」

「嫌なら、強引に離せばいいじゃない。はむっ」

更にエリィはレイの首筋に口唇を近づける。ピクリと反応するレイは、身体を震わせた。

「はぁっ……ああぅ……!」

レイは顔立ちも去る事ながら、声も甲高い。その上でエリィから受ける、優しくもくすぐったい感覚。それを少しでも感じるだけでも、喘ぎ声に似たような嬌声を上げてしまう。

 レイ自身、それは余り良い感覚とは言えなかった。恥だと、思っているからだ。だが一方で、エリィのような美女にこのような破廉恥とも言える行為をされている事に対しての悦びも、同時に感じ取っていたのである。

 困惑と愉悦は表裏一体なのだろうか。この状況に陥った時、人は果たして、どのように対応すれば良いのだろうか。嫌ではない、しかし、その行為を続けられる事は果たして、良いと言えるのだろうか。相手は、自分が世話になった美人の艦長。その彼女が、あろう事かレイの耳垂を舐め、首筋を甘く噛んでいるのだ。それも、レイの部屋で。

「レイ君は、どんな行動を取るのかなぁ?私を拒否する?それとも、受け入れる?いっそ、部屋でやってはイケナイことやってしまう?アハハ……」

と、言いながら、意地の悪い行動をするエリィ。レイの鎖骨部まで口唇を触れ、その指で反対側の耳垂を優しく触れた。

「ふぁぁっ……」

再びレイは嬌声を上げた。聞かれたくもない、声。思わず出てしまう声が、恥ずかしい。

「私を受け入れたら、私にしか興味なくなるって事を認めるってコトになっちゃうよ?私は、それで嬉しいけれど。」

「それって……?」

レイが聞いた時、エリィは先程までの挑発的な行為を止めた。

「それは、レイ君自身の心に聞いてみたら?」

「心って……?」

「分かってる癖に。その子が好きなんでしょ?」

エリィは、Eフォンに映る写真の、少女を指差した。レイと僅かな距離を空けて映っている、目が大きく、ブラウンヘアーの愛らしい少女。リルム・エリアスであった。

「す、好きって……!僕は、そんなのじゃ……」

咄嗟に否定するレイだが、エリィはそれを見てくすりと笑った。

「その分かりやすい反応は明らかにその子を意識しているって何よりの証拠だよ。本当に君は分かりやすいなぁ。」

レイの首元をその滑らかな指先で優しく、伝うように触りながら、エリィは言った。

「ふぁぅっ……くすぐったいです……」

レイの呼吸が、僅かに早くなった。恥じらいを感じているのだろう。

「前にレイ君達が下校中に会った時も、その子と居たじゃない。名前はなんて言うの?」

「リルム・エリアスです……」

レイは恥ずかしそうに、言った。

「こんなに可愛い幼馴染が居るのに、私に触れられて悦ぶなんて……。前にレイ君は美人局に引っ掛からないって言ったと思うけど、あれは前言撤回かな。思いっきり、私と言う名の美人局に引っ掛かりそうじゃない。」

エリィは右示指を口元に持っていき、首を横に傾げる。

 レイは、不快な気分になった。彼女が自らレイを翻弄するような事をしておいて、一方的に浴びせられる、罵倒に近い言葉。リルムを想うレイにとって嫌な感触を覚えていた。

「エリィさんは……最低です……」

「え?」

今度はレイが抵抗するように言った。

「エリィさんだってこんな、僕を誘惑するような事、しないで下さい!僕だって男なんです!こんな事、されたら……」

恥じらうレイ。そのように言われ、エリィの表情はやや、険しくなる。

「レイ君は誰を選ぶのかをハッキリしないから、そうなるんじゃない。優柔不断なのが一番良くないのよ。だから私と言う、悪い大人に触れられて、内心、悦んでいるんでしょ?可愛い変態さん。」

「悦んでないですよ!それに、変態ってなんですか!?」

「変態じゃなかったら人前であんな女の子みたいな、喘ぎ声なんて出せないよ。」

「だから恥ずかしいんですよ!ああ……」

と、言いながらレイは両手で顔を覆う。この時、エリィは完全にレイから距離を置いていた。彼女なりに、レイの気持ちを察していたのである。

 そして、その上でエリィは言った。

「レイ君は贅沢だ。平和な時代と環境に生きて、こんな可愛い幼馴染がいて、好きだって分かっている筈なのに想いを伝えない。私は違った。あの人しか、見えなかった。時代が違うなら、もっとデートだってしたかったし、もっと恋人らしい事をしたかったわ!」

エリィの表情に、余裕がなくなっていく。彼女の中にいた、かつての恋人の事が、今、思い出されているのだ。

 それは彼女のエゴである。それは、分かっているつもりだった。だがそれを、抑えきれなかったエリィは、このような悪戯をレイにしてしまったのである。

「レイ君だからなんだと思うの。私がこんな、悪戯をしてしまうのは。どっちつかずが一番

良くないよ。本当に好きな人は誰か。その人を明確に決めて、想いを伝えたら良いの。」

「想い……」

リルムに想いを伝えられれば、この気持ちはすっきりとさせることは出来るだろう。そうであれば、いかに楽か。

 だが幼馴染という関係だった彼等の関係を、進めて良いものなのかという迷いもレイにはあった。相手に対して想いを伝えるということは、関係性が壊れてしまう可能性も否定出来ない。レイとしては、それは避けたいという気持ちもあった。

「レイ君が明確に好きな人を決めないと、私が君を食べちゃうんだから。悪い大人に翻弄されても良いっていうなら話は別だけれどね。」

エリィの言葉は本心なのか、冗談なのか。それは全く分からない。ただ、レイは今、気持ちが揺れ動いていた。それを、エリィに煽られた気分になったのである。

「レイ君だから、私はちょっかいをかけたりしたんだよ?レイ君だから、耳を噛んだり、首筋を触ったり、ちょっとやらしい事だってしてあげたんだ。他の人に絶対そんなのしないんだから。でも、それを乗り越えるのがレイ君だって、私は信じてますもの。」

(この人……)

エリィなりの愛情表現であり、応援なのだと、レイは感じ取った。しかし過剰ともいえるスキンシップはただ、困惑させるばかりだ。

「さあ、レイ君は悪い大人の誘惑にも耐えて、好きな人の為に出来る事……それは、何かな?」

レイがすべき事。それは、分かっている筈だった。しかしその言葉が出ない。怖いから?関係が崩れるのを、恐れているから?

 想いを伝えるには勇気が要る。並大抵の勇気ではない。全てを把握した上での勇気だ。その後の事を深く考えない事も、求められる事があるのだ。

「……ごめんなさい、分からないです……」

レイは、はぐらかした。分かっている筈の言葉を、言わなかったのだ。

 エリィは溜息を吐き、表情を再びしかめ、レイの額に向けて示指を伸ばして、言った。

「あのね、レイ君!その人と幼馴染で仲良しってことは、幼い頃からずっとお互いを知っていた訳でしょ?一緒にお風呂に入ったりしたんでしょ?」

「ええ……って!どうして突然お風呂の話が出るんですかぁ!?」

顔を赤めるレイ。彼のようなティーンエイジャーが、想い人の裸を見て緊張するのは、至極当然と言える。

「なのに年齢重ねたからって奥手になってるようじゃダメだよ!レイ君は確かに女の子みたいで可愛いけど、心まで女の子である必要はないよ!君には取るべき行動があると、思うんだけどね?」

エリィの言葉はレイに響く。彼女は、彼女なりにレイの事を考えていたのだ。やや、強引なスキンシップではあるが、レイに素直にいて欲しいと、彼女は思っていた。

 その答えは、一つしかない。リルムに想いを伝える。たった一つのシンプルな回答。それだけだ。

「想いを……伝える……リルムに……」

本人が目の前にいる訳ではないのにも関わらず、何故かレイの心拍は上昇している。胸の高鳴りは何を示すのか。それは、紛れもない、“好き”という気持ちである。

「そう、素直じゃないとダメだよ。その気持ちこそ、今のレイ君に必要な事だと思うんだ。」

エリィは、うんと手を伸ばした。ストレッチ動作を行い、その際に肩関節の骨が、音を立てた。

「エリィさんは……」

「ん?」

今度はレイが、エリィに対して聞いた。

「僕の事を、どう思っているんですか?まるで、僕がリルムと……その……付き合わせようとしてくれてるように、思うんですけど……なんか、スキンシップが過激っていうか……」

只の恋のアドバイスならば、言葉だけで良いだろう。しかしエリィのスキンシップの過激さに、レイは妙な感覚を覚えていたのである。

「……さあ、それには答えません。」

「え……どうして?」

「それは、私が大人だからだよ。大人は余計な事は答えないの。」

エリィは示指を左右に振り、言った。

(やっぱり、この人が分からない……)

レイは首を傾げ、思っていた。それと同時にエリィは持参していたミネラルウォーターを口に含み、喉を、二回鳴らした。

「レイ君、逆に聞くけど、どうして私が君にその子に想いを伝えるように促すか分かる?」

「え……どうしてですか。」

エリィからすれば、関係のない人間だ。彼女にとって大切なのはレイの安否である。なのに、レイの幼馴染であるリルムの事について聞いてくるのは何故なのか。

「それはね、レイ君の場合受験に大きく影響するからよ。」

「受験に?」

レイは、首を傾げた。

「例えば、私がジュニアハイスクールの生徒だとします。当然女子生徒ね。ある日、私に好きな男の子が出来ました。それがレイ君。これは仮の話だけれど。私はレイ君にどうしても気持ちを伝えたい。でも失敗したらどうしよう……とか、そりゃ考える気持ちも分かる。」

得意げになり、エリィは口を開き始めた。エリィの動きの変わり様に、レイはただ、翻弄されるばかり。

「でもね、この心のモヤモヤを解消しないと晴れて受験に挑めないよ~。いくら学校の成績や模試とかの成績が良くったって、心の中にモヤモヤしたものがあると、どんな人でも本来の実力が出せなくなるの。それは受験に限らず、どんな状況においても……だけれど。」

再びエリィはミネラルウォーターを飲み始める。今度は、三回喉が鳴った。

「まあ、何が言いたいかって言うと、モヤモヤした気持ちはすっきりとさせて、そこからレイ君にとっても心残りのない青春を謳歌して欲しいって事!そう言う意味でも、心理的な面っていうのはとても大事なの。特に、受験においてはね。その子の事が本気で好きなら、早く想いを伝えた方がいいよ。」

エリィの言葉がレイに刺さる。想いを伝えた方が良いと言う、分かりやすいアドバイスは今のレイに決意を固めるのに十分な効果を発揮した。

 心理的に負荷が掛かる時、人はその持ち前のパフォーマンスを発揮する事が難しくなる。それはエリィの言う、受験に限らない。スポーツ場面や、仕事の場面。あらゆる場面でそれらは重要だ。だからこそ、心理的な充足や、足枷は払った方が良い。レイのようなティーンエイジャーはそうした事で悩みを抱え易い。それ故の、エリィのアドバイスだ。

「どうして、そこまで言ってくれるんですか?」

レイは素朴な疑問を投げかけた。

「私の立場、分かる?今、私は君の家庭教師なんだよ。教えた内容が試験や模試に反映されないと、私が困っちゃうの。点数が取れないと私の責任になってしまうんだから。個人契約でここに居るのに。」

「あ、そっか……」

エリィの立場を考えれば、レイの成績が下がる事があれば家庭教師としてこの家に居れなくなる。そうなれば、襲い来るかも知れない新生連邦の魔の手から彼を守る事や、近況の確認が出来なくなる可能性が高くなる。彼女としても、それは避けたいと思っていたのである。

「さて、お話はおしまい。そろそろ勉強を始めましょうか。まあ、レイ君がその子に仮に振られても、私がさっきみたいに触れたりしてあげるから。フフッ!」

「もう!縁起でもない事言わないで下さい!」

レイは明らかに嫌がる様子を見せていたが、エリィのアドバイスは彼の中に大きく残った様子だった。やや過激とも言えるスキンシップはあったものの、レイは内心で、リルムへの想いを伝えようと、決める事にしたのである。

 やがてレイは教科書を取り出し、勉強する準備に入る。その際、エリィは自身のEフォンを取り出し、写真を開いた。そして、レイと映っている写真を、静かに消去したのであった。

 

 

 しかしながら、すぐにその行動に移るのには当然ながら難しい。人に対して想いを打ち明けるというのは答えが決まっている数学の公式や、信憑性が非常に高いとされる科学的根拠が示された論文等と違い、全く形がないものである。故に難しく、何が正解なのかは不明だ。

 レイのようなティーンエイジャーにとっては、特にそうだ。それ故に、人によってエピソードが異なる。だからこそ、何らかの会話をする場面ではその馴れ初めの話題は盛り上がり易いと言えるのだ。それが成就する者も居れば、散る者もいる。そして、それぞれの対応は人により異なる。答えのない、話だ。

 エリィはレイのリルムに対する想いに対し、“大人”としてアドバイスをした。それはレイの為でもあり、彼女自身の為でもあった。

 しかし想いを伝える事は、その環境、状況によって左右される事もある。例えば、逃せば二度と会えなくなる場面での告白等がそれらに該当する。それならば、想いを伝える方は悔いなく済む。下手な人間関係に左右される事なく、心置きなく過ごせるだろう。そして、次の恋に繋がるのだろう。無論、個人差はあるが。

 エリィのアドバイスから時間が経過し、今日は五月十三日。この日は、レイの誕生日であった。彼はこの日をもって十五歳となった。一つ、歳を重ねた事になる。

 学校では彼の誕生日を知る人間達が、声を掛けていた。皆が簡易的に祝福をしてくれている。それだけで、レイからすれば十分に満たされていた。ただ一つ、リルムの事を除いては。

「誕生日、おめでとう!」

レイはリルムに声を掛けられた。それは良い。だが、彼女が込めた言葉は、幼馴染としての言葉だ。もしその先に行った時、彼女の言葉はどのように変化するのだろうか。それは、告白をして失敗しても、成功しても変わる事は分かっている。レイにとって、それは恐怖である。今の関係が続けば良いという保守的な関係と、その先へ行きたいという、革新的な関係。レイは、どちらを取るべきなのか――

「ねぇ、レイ。今日はお祝いしたいなって思ってるんだけど。レストラン、行かない?」

「え?」

レストラン。まさか、彼女の方からその誘いを受けるとは思わなかった。僥倖と呼べる事だ。まさかの出来事に、レイは喜びを感じていた。まさに、これは天がレイに与えた祝福だと言うべきか。

 彼女は彼女なりに、レイの事を考えていたのである。それも、二人だけで食事に行くと言う、絶好の機会。

 周りには幼馴染が食事に行く程度の話であり、それに伴って冷やかしをしたりする人間がいる事だろうが、それは最早彼等にとっては日常の一部分である。だが、レイにとってこれは、僥倖以外の何者でもなかったのであった。

 

 

 レイは部活動、リルムは生徒会の役割を終え、二人は帰り道に合流。モークにも内緒にし、二人のみで合流した。

 レストランとは言っても、学生がよく出入りするようなレストラン……所謂、ファミリーレストランである。以前レイの後輩であるティル・バーンと一緒に寄った時と同じような感覚で、彼等はレストランに入ったのである。

 実際、二人だけで食事をするのは随分と久しぶりだった。学園祭以来、トラン、イーシャ達と何かしら一緒に行動する事が多かった彼等。その為、改めて二人だけの時間というのはレイにとってはどこか、緊張する場面でもあったのだ。

「いつ以来だろうね。なんか、二人でご飯行くのって。」

「レイが女装した時ぐらいじゃなかった?」

「あ……」

去年の十二月の事を思い出したレイ。リルムがレイに対して女装を提案し、それを実行した時だ。その時は、女装した男子生徒と女子生徒と言う妙な組み合わせで彼等は出掛けていたが、今は違う。彼等が着用している制服は、紛れもなく性別を分けていたのであった。

「そう思うと、男装しているレイとご飯に行くなんて随分と久しぶりだよねー!」

「僕は元々男だよ……」

幼馴染にまで彼の存在は女顔の男の子という認識だ。リルムの中のレイは、やはり彼の事を“男性”として見ていないのだろう。そう思った時、レイは内心悲しくなっていた。

「なんかさ、男子生徒とご飯って色々と言われそうだから、敬遠してたんだけど、今日はせっかくの日だし、良いのかなって。」

「そうなんだ……。」

レイは嬉しく感じた。やはり、リルムは自分の事を大切に思ってくれている。それは間違い無いだろう。

 だが、そこに恋愛感情はあると言えるのか。レイにとってはそれが一番重要なのだ。

 

 その後料理が来てからは会話が弾んだ。会話内容は、至って他愛のない会話が繰り広げられる。学校の事やクラスメイトの事等。

 その会話自体は、楽しいものだった。その間、レイに自然な笑みが浮かんできたのだ。二人だけでこのような時間を過ごす事は去年からなかった為、随分と久しぶりな時間であったのだ。

 空白の二ヶ月の存在は、レイにとって長い時間だ。その間、彼は命に関わる状況を何度も経験した。その事もあり、今の日常をより、噛み締めることが出来ている。やがて日常生活に戻ったレイ。そこで、リルムにのみ自らの近況を明かした。最初、彼女はレイを拒否した。だが時間が経ち、リルムはレイを受け入れた。

 時間は人との絆を考えるきっかけとなる。全ての物事に言えるが、急がなければならないという事は、ない。関係が一度途絶えそうになっても、そこからあえて一度、距離を置く事で再び人は会話をすることさえあるのだ。今の彼等が、正にそれに該当する。レイもリルムも、会話が弾んでいる。互いに、笑顔だ。

 やがて会話内容は空白の二ヶ月の話になっていく。

「レイって休んでいる間、勉強とかしていたの?」

「勉強は……している暇もなかったよ。自分がどうなるかも分からない状況だったから。」

その埋め合わせを、家庭教師のエリィが行っているのだ。

「あのね……ロボットに乗ってる時の感覚ってどんな感じなの?ほら、よくアニメとかであるじゃない。ロボットに乗って敵と戦う、男の子が好きなやつ。」

MSは兵器である。その話を、レイはした。彼は元々MSは好きだ。だが現実の戦闘は死に関わる。その怖さを、改めて伝えたのだ。

 よく、主人公が巨大な人型ロボットに乗り、敵と戦うという事は有り得る話。しかしこの世界では、MSは兵器だ。戦争の道具とも言える存在。そのようなものは、お伽話以外の何者でもない。MSに乗る以上は、常に命懸けだ。レイが好きなMSのプラモデルは、所詮は平和な日常の延長でしかない。

「必死だった。けれど、助けてくれた人達が優しい人達だった。だから、守りたいって思って、夢中になって戦ってた。だから今の状況が好き。僕は、普通でありたい。こんな日常が続けば良いのにって、思う。」

レイは自身の考えを伝えた。その時、リルムが言った。

「私はね、レイが羨ましいなって思う時がある。私自身は全く何も出来ないし、生徒会にもただ、所属してるだけだし……けど、レイはそんな経験もしてる。私はもっと色々な経験を積みたい。何でも良いと思うの。いっそ、学校の外に出られたらなぁーって思う。」

意外な返答だった。日常を望むレイとは違う答え。リルムの心境だ。

「友達も居て、授業に出て、生徒会で色々とやって……それも楽しいんだけど、レイの話を聞いてたら、もっと外の世界を見てみるのも良いなって思ったんだ。羨ましいよ。レイが。」

リルムはオレンジジュースを啜りながら、言った。彼の想いとは裏腹な言葉に、レイは驚く様子を見せる。

「でも、命懸けだよ。リルムが経験する事はないかもだけど、本当に怖いんだ……」

「でもその経験があるからこれだけ話せるんじゃない。私は良いなって思う。」

それは励ましなのかは分からない。ただ、レイにとっては、出来れば二度としたくない経験である事は間違いない。

 この時、彼は個人差を感じていた。そして、自分が如何に保守的な考えであるかを思い知ったのである。

「多分、経験したら分かると思う。あり得ない事だとは思うけど、MSが万が一モントリオールを襲撃したりするような事があれば、リルムの考えも変わるよ。本当に怖い世界だ。プラモデルなんかとは全然違う。」

「そうなんだね……。」

とは言うが、やはり実際に経験した人間と、それを経験していない人間では物事の捉え方が違う。

経験というのは、知識があれど、実際にしてみなければそれらを知る事が難しい。今まで平和な生活を送ってきたリルムからすれば、それ自体があり得ない、非現実的な話であるのだ。

「色々と、話が出来たね。改めて誕生日おめでとう!」

リルムは、会計の前に一言、レイに祝福した。

「ありがとう。」

と、レイは一言、言った。

 

 

 レストランから出た時、辺りは暗くなっていた。人通りも少なく、その場に居たのは二人だけ。互いに積もった話をする事が出来て、満足そうにしている。

 しかしレイの方は違う。心の中に残した言葉がある。リルムに対し、伝えなければならない事がある。彼は食事中も、常にそれを意識していた。

「じゃあね、また明日!おやすみ!」

と、リルムが手を振る。

 この瞬間に、エリィが言っていた言葉が思い出される。

 

 

――――――――――君には取るべき行動があると、思うんだけどね―――――――――

 

―――――――その子の事が本気で好きなら、早く想いを伝えた方がいいよ――――――

 

 

それらの言葉は、レイを突き動かす力を秘めていた。この時間も、天がレイに与えた機会。もしそれを逃せば、いつ訪れるか分からない。そして、そのまま卒業を迎え、そのまま後悔して日常を送る事になるのか。それは、避けたい。しかし関係が崩れるかも知れない怖さも、ある。

 リルムは幼馴染。そして良き友人だ。その一線を越える事は、果たして出来るのか。幼馴染の少女に想いを伝える事は怖い。互いを知っているが故に、その怖さがある。今まで築いた関係が壊れる事はあってはならないと、保守的なレイは思う。

 しかし想いを伝えなければ、後悔する。そして万が一、リルムに恋人が出来た時、レイは素直にそれを受け入れられるか。難しいかも知れない。好きだと認識した人間が、別の男と仲良く行動している姿は考えたくもない。リルムの隣にいるのは、自分だ。自分以外に考えられない。自分以外の男に彼女の居場所があってたまるものか。

 いつしかレイの考えは増長していった。保守的な彼は、この時ばかりは革新的な思考に至りつつあったのである。

 今、この瞬間を逃したらどうなる?明日にはリルムは隣に違う男と一緒にいるかも知れない。それはレイにとって悪夢だ。考えられない。ならば、動くしかない。

 想いさえ伝えれば、どうにでもなる。その後の関係に亀裂が走ろうと、そこからより親密になろうと、とにかく、今は行動するしかない。

 これは賭けだ。人間同士の関係が変わる為の、賭け。想いを伝える。それを、意識するだけ。そして口にするだけ。分かっている。だから、動くのだろう。

「リルム。」

口が動いた。リルムは立ち止まり、振り返る。

 レイの視線がリルムを見る。その愛らしい顔つき、髪型、服装。全てを見て、そっと、呼吸をするのだ。

 

 そして――

 

「好きです。僕と付き合って欲しい。」

 

色の付いた、言葉が走った。

 




第三十七話、投了。

レイは幼馴染のリルムに想いを伝えたという、話でした。
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