ウネフ、エレアを失ったアルン・ティーンズ率いる氷河族の一部組織は、ボスからの指示を受け、オスロの地から離れ、西方に位置するベルゲンの地に身を置いていた。そこにある地下部屋に彼等は身を潜めていた。
そこでリーダーであるアルン・ティーンズと再会した彼等。今、この場に居るのは四人。アルン、ジュラード、ニーア、ミルフである。多くのメンバーを失った彼等。ここに居ないのは、メイドぐらいか。ウィリアは彼等を裏切っており、彼等と合流する事は無いだろう。最早、このメンバーは何の為に存在しているのかと思える程に、縮小していると言えた。
「ウネフとエレアが死んじゃった……あーあ……」
一人、溜息を吐く少女がいた。ミルフである。
「奴等は短絡的過ぎた。それだけだ。」
ジュラードは見下すように、今は亡き二人に対して言った。それを聞いた時、幼い少女は苛立ちを隠せない様子で、ジュラードに言った。
「そんな言い方しなくても良いのに!一緒に居た仲間だったんだよ!?」
ミルフの目から、涙が流れた。滅多に見せない彼女の涙。ウネフとエレア。互いに残虐な内面を持つ人間の印象はあったが、共に行動していた時間が長いミルフからすれば、彼女達の死は大きな影響を与えている。
「許せないもん……あいつら……絶対許せないもん!」
組織の一員とはいえ、彼女はまだ少女だ。他人はどうなろうと構わないのだが、身近な人間の死には敏感なのである。
「……マターリャも、こんな組織に娘を入れるなんてよ……」
マターリャとは、ミルフの母親の事だ。消息は不明で、現在何をしているのか、生きているのかも不明だ。その真相を知る者は誰もいない。
「あれ、お母さんの事なんで知ってるの?」
「いや、別に。」
ミルフに聞かれ、ジュラードが視線を合わせないように、した。
「まさか、メンバーが二人も失う事になるとは。予想外と言うべきか。」
この場に居た、アルンが言った。彼はメンバーに命令を下した上で、別場所で組織の仕事をしていたのである。だがその結果の報告を聞き、尚且つボスの指令もあり、この場所でメンバーに会う事になっていたのだ。
「ところで、ウィリア・ラーゲンはどうした。」
アルンがメンバーに対し、聞いた。しかし、それを聞かれて即答する人間は居ない。明らかに、訳がある印象を持つ。
「彼女は……裏切ったわ。ゼオンを匿ったMS乗りと共に行動している。そして、エレアを殺したのは、ウィリアよ。」
ニーアが、唇を震わせて言った。元々は飲み仲間同士だった彼女達。それ故に、彼女の行動に対して驚愕していたのだ。
「あの女、身内を殺す事をするとは思えんが……一体、何がどうなっている……?」
理解が出来ない状況と、言えた。メンバーはゼオンを殺す為にセイントバードに潜入し、そこにはウィリアが居た。そして、ウネフとエレアが殺された。ウネフはエリィに、そしてエレアはウィリアに殺された。その事が、彼等にとって衝撃だったのである。
その中で、冷静な印象を持つアルンが表情を見せた。彼女の裏切りは、想定外であった事が分かる。
「事情はどうあれ、ボスを裏切る人間は責任をもって、抹殺せねばならない……そうだ、それと、メイド・ヘヴンは!?奴も何故ここに居ない!?」
同じ組織の人間である筈のメイドも居ない。そもそも、ゼオンの暗殺にも彼は顔を出していなかった。一体どこに居るというのか。その消息も不明だ。
世界が戦争状態になってから、組織の活動は疎かになってきている。まるで、自分達の役目は終わったと言わんばかりの扱い。この事に対し、一抹の不安を訴える、彼等。
「よぉ」
薄暗く、小汚い地下部屋に一人の男が現れた。その姿を見た時、誰もが驚愕した。何故ならば、先程話題にしていた男である、メイド・ヘヴンがそこに居たのだから。
「メイド……貴様、どういうつもりでここに来た?よく堂々と顔を見せられるものだな!?」
苛立ちを隠せないアルンが言う。と、同時にアルンは銃を構えた。この様子から、明らかに余裕がない事が分かる。
元々、メイドは組織に不利益をもたらす存在を消す為に存在している、“パニッシャー”と呼ばれる存在ではあるが、あくまでもアルンのチームの一員。招集命令にも応じなければならない筈だ。それに特例はない。彼は何故ゼオンの暗殺に参加をしなかったのか。
「久しぶりに顔を見せたらこれかよ。ひでぇ歓迎だなァ。んで、見た所、またメンバー死んだみたいだな。ハハー!」
笑いつつメイドは言った。しかしそれを聞いたミルフが怒りを込めて、彼に言った。
「ウネフとエレアが死んだのに!?なんで笑えるのよ!?」
「おぉう、そいつぁご臨終だなァ。あーあ。」
それも軽く受け流す。ミルフはこの時ナイフを取り出してメイドを刺殺してやろうと考え、右手にナイフを握り締めていた。が、それはニーアに止められた。ミルフがメイドに勝ち目がない事は明白だったからである。
すると、メイドは突然ニヤリと笑みを浮かべ、静かに口を開けた。
「なんでここに来たのか……だったよなぁ?その答えをテメェに伝えに来たんだよわざわざなァ!」
その時、素早い動きで銃を構え、アルンの眉間を狙った――
パァン
が、その弾はアルンを避けた。わざと、外したのだ。
「どういうつもりだ!?メイド!」
アルンの方は銃を構えつつも、それを離す様子を見せない。彼の話を聞こうとしていた為である。
「まあ、そーいう事だよ。てめぇらとはここでお別れって訳だ。つまり辞表を突きつける為にわざわざここに来たっつー訳よォ。」
メイドの一方的な発言。組織を辞めるとはどういう事なのか。抜け出すという事なのか。
「貴様、組織を辞めるならばそれ相応の覚悟、して貰わなければならんぞ。組織を抜ける事は許されない。組織を抜けた人間は、組織によって死ぬまで追われる身となる。絶対に逃がさない……それを忘れるなよ……!」
氷河族は旧世紀のマフィアのように、オメルタと呼ばれる血の掟のようなものが存在しており、組織の裏切りは即ち、死に値する。生半端な気持ちで組織に所属する事は許されない。その秘密を知ってしまっている人間を世に送り出す事は許されないのだ。
「とんだブラック企業じゃねぇか!まあそんなもん分かりきってたケドなぁ!こちとら戦後の暇潰しで居てただけやしなぁ!!」
メイドからすれば、氷河族はただの退屈凌ぎにすぎない。だがアルンはそのボスに忠誠を誓っている。この価値観の違いが、露呈した瞬間だった。
「お前、仮にここを辞めたとして、どこに行くつもりだ?」
ジュラードがメイドを睨み、言った。
「デウスだよ。俺さデウスに行って戦争さ楽しんでぐるだー」
馬鹿にした様子でメイドは言う。彼の口から語られる、デウス帝国の存在。それに疑問を抱く者がいるのは、当然だ。
「デウス帝国だと……!?何を言っている!?あの国は既に力を失っている筈だ!先の大戦で連邦に敗北したからな!」
怒りを込めて、アルンは言った。しかし、メイドはこれに対して動じる様子を見せない。
「ところがどっこい!デウスは生きてンだわ!この前もあいつらの手伝いしてきたんだよなぁ!そっからデスゲイズを貰った訳なんだよなぁ!てめぇがどっかで別の仕事してる間によォ!もっとメンバーの監視するべきだったんじゃねえのかよ?ええ?」
メイドの言葉も一理ある。アルンは、自身の所属メンバーの管理が出来ていない。彼自身がボスを崇拝しているが故、そのメンバーに対しての管理がずさんになっていたのである。
「黙れ!氷河族の活動を“暇潰し”と馬鹿にして、その上で組織を抜ける事等認めんぞ!もしこれ以上それを言うのならばこの場で私がお前を殺してやる……!」
怒るアルンは、銃を構える。メイドはそれを見ても、恐れる様子を見せない。
「わりぃけど俺はデウスの“次の作戦”に参加予定なんだわ。そこでこんなクッソ地味な麻薬蔓延組織に居るよりはド派手に暴れられるし金も貰えるし一石二鳥なんよなぁ!所謂ヘッドハンティングってやつ!リクルート!転職!職業選択の自由!何の問題ですか?ハッハッハ!」
メイドは大声で笑い出す。アルン・ティーンズを、あざ笑うかのように。
組織に貢献してきた男、アルン。一方で組織に貢献を然程せず、好き放題に生き、戦争状態になった事を良い事に所属を勝手な理由で変えるメイド。両者は対立している。そして、アルンはその怒りをメイドにぶつけた――
パァン
アルンの怒りを絶頂に迎え、右ポケットに入っていた銃を取り出し、メイドに向けて素早く撃った。
ピキィィィ
しかしその時、メイドの頭の中に電流が走った。それと同時に、先読みをしたように銃弾を素早く回避したのである。
「オカルトパワー!」
周りの人間は、ただただ茫然と見るだけ。確実に当たる距離を避けられた事で、アルンは更に怒って体を震わせる。が、ここで怒ったのはアルンだけではなかった。メイドも怒りに満ちていたのである。怒り任せに撃たれた銃弾の存在が、彼を怒らせた。
「一度もてめぇの事リーダーとか言った事なかったけどなァ、あんまりてめぇの都合で人を動かせると思ってんじゃねぇぞオイ?ここの組織はクッソ退屈だったぜぇ。けどなぁ、今の方が戦争も出来るし金も貰えるしウハウハなんだよォ。それをてめェの独断で俺の脱退を認めねぇってか?申し訳ないがそんなクソブラック企業はNG。良い人材は、良い企業、果ては良い国に集まる!傭兵ってのはそーいうもんなんだよォ!あんまりわがまま言ってるとぶち殺すぞ?オン?」
メイドの表情が、怒りに満ちている。自分を自由にさせない事に対する苛立ちか。
しかし組織を抜ける事は容易でない。氷河族には血の掟のようなものがある。それを無視する事は、容易ではないのだ。
「お前の事は以前から疑問だった……やはり、ただの人間ではないな……噂で聞く、シンギュラルタイプという人間か……何故、お前のような人間にそのような力が宿っているのかが不明だが……その力があれば組織に大きく貢献出来ると、言うのに……!」
何故だろうか。アルンはいつしか、メイドの存在に対して冷や汗を掻いている。挑発的な発言や、人を小馬鹿にするような言葉を続けるこの男。
だが、何故この男からは妙な“恐怖”を感じるのか。この男が放つ独特のプレッシャーは、オールドタイプである筈のこの場に居る者達を蝕んでいる。それは、彼自身の特有の感覚なのかも知れない。
人間は特別な力を持たなくとも、本能的な怖さを感じる時がある。それは、自身にとって未知なる存在と出会った時だ。その時、人は本能的に恐怖する。今の彼等が、それに該当すると言えるのだ。
「足元震えてんぜェリーダーさんよォ。ま、俺はここから去る訳でよぉ。ばいちゃ!」
メイドは銃を構えながら後方に移動し、やがてこの場から去った。彼は、辞表を実際に提出する事なく、彼等にただ、別れを告げに来ただけなのだ。この際、彼がメンバーを撃たないのは、ある意味温情なのかも知れない。彼なりに組織に所属し、数年何度か共にしたメンバーだ。そうした人間を殺める事は、この男はしない。ただ、アルンに対しては威嚇射撃を行ったが。
しかし、組織を勝手に辞める事は許されない。リーダーである彼が認めなければ、正式に脱退したとは言えない。故に、これはメイドが勝手に言った事だ。そして、彼は組織を裏切った者と認識される事になるのだ。これにより、組織の裏切り者は三名となった。ゼオン、ウィリア、そしてメイド。彼等の数は、残り四名となった訳である。
それから時間が経過した。残されたメンバーはボスからの指示通りに、同場所に居続けていた。あれから二時間が経過したが、特に大きな動きはない。アルンはボスに連絡を取るも、通じない。一体、何故……?
「クソ!!!」
メイドの勝手な離反に対して何も出来なかった彼等。そして、ボスからの命令待ちと言う板挟み状態。これが何を示すのかは分からない。普段ならば冷静な筈のアルンが怒りを露わにし、その怒りは形となって現れる。
バリィン
勢いの余り、テーブルに置かれていたグラスを全て床に落とし、割った。彼の怒りが伝わる瞬間と、言えた。
親愛なるボスの思惑も読めず、メンバーは次々と裏切り、死亡が続く状態。何故このような事になっているのか。今回の戦争を引き起こす引っ掛けを作り出すと言う貢献をした筈なのに、何故……まるで不当な扱いをされているようで、ならない。
「私は組織にずっと貢献してきたんだぞ……どれだけ多くの犠牲者が出そうとも、ボスに絶対の忠誠を誓ってきた……!あの時、戦後の荒れ果てた状況であの人は私に手を差し伸べた……!」
右手を振るわせるアルンは、過去の事を思い出す。彼の過去。戦前の事だ。今、氷河族の一部組織のリーダーとして行動している彼だが、戦前は今とは違う事をしてきた。
アルン・ティーンズは、元々荒くれのMS乗りだった。言わば珍走団のような存在だ。戦時中ではあったが乗り捨てられた機体を利用し、盗賊行為のような事を繰り返していた。
その一番の理由は貧困。彼には家族が居ない。故に、当時共に居たメンバー達が家族も同然と言えた。その中に、ジェルヴァチームのキャプテンであるゲイルの姿もあった。彼等の同郷は同じだったのだ。
だが戦後になり、状況は悪化。先も見えない状況となった時に彼等はある人物に出会う。その人間こそ、ボスと呼べる人間だった。ハットを被り、その立ち振る舞いや丁寧で物腰の柔らかい印象を持ったという、ボスの存在。これが氷河族と言う組織が拡大していくきっかけとなる。戦後の混乱期を経て巨大な怪物に変貌した氷河族。アルン達はその際の組織のメンバーとして、行動しているに過ぎない。
アルン達がボスに魅入られるのは至ってシンプルだった。自分達がどこかで劣等を感じていたが故に、その全てを持っていた存在が輝いて見えるのは当然だ。人が簡単に人を信用する事は本来難しいのだが、ボスはそれを行動で示した。
こうした場所に人が集まるのは思いの外、簡単だった。戦後の不安という状況は人の判断基準を鈍らせ易い。そして、洗脳もし易い。荒れ果てた大地に、連邦政府という存在な信用出来ない状態。生き残った人々の不満は爆発するばかり。中でも、特に戦争被害に遭った人間達や、無垢な少年少女、将来不安を覚えた人間達を取り込むのは至って容易な話なのだ。
全ては戦争があったが故に生じた出来事と言える。
その上、ボスには人脈があった。そして、そのカリスマ性もあった。それらが多くの人間を巻き込み、巨大な組織へ変貌を遂げる事になるのだ。人の為に存在する慈善企業としてではなく、欲が渦巻き、裏切り者は粛清の対象とする、ある種の“ファミリー”として。
普通に見ればこれが如何に異常かの判別は付く。しかし大勢の人間が組織に入っているとなれば、話は変わってくる。平和でない環境や治安の悪い場所で過ごした少年少女にとって、氷河族は憩いの場と言える環境になっていた。そして、次第に、反社会行動を起こしていくのである。
厄介なのはこの組織に対し、連邦の存在が介入していないという事だ。あろう事か、有事をの際には組織の存在を利用し、マッチポンプ等を行うという始末。如何に戦後の世界情勢が異常であるかを物語っている。現に、アステル家のセントマリア号襲撃にもこの組織の存在が関わっており、闇の根が深い問題となっているのである。
こうした組織の存在が公にならない原因の一つが、レヴィー・ダイルによる軍備増強だ。世界中で生じている問題を見て見ぬふりをし、ただ、軍備増強を続けて行った結果の成れの果てである。
リーダーのアルンが居ない部屋で、彼以外のメンバー、三人が集まっていた。今の彼の苛立ちに対して気を遣っている様子だったのだ。
「メイドの奴は離脱。ウィリアもどこに居るのか不明。とんだ状況だな。にしてもいつまでここに居させられるのか。全く、ボスの思惑が分からねえな。」
ジュラードは言う。皆、それに対してどこか、納得してる様子だった。しかし一人、子供のミルフはこの状況が分かっていないようである。
「おまけにリーダーがあの様子……ただでさえ裏切りとかが続いていた状況で、メイド、余計な事をしてくれたわね。」
ニーアが冷静な様子で言う。が、この状況が問題であることには変わりなく、内心では焦りを感じていた。
「なんか、変な感じだよ……メイドはともかく、ウィリアは優しかったのに、なんであんな事……」
ミルフが、視線を落として言った
「あいつは一番謎な所があったからな。メイドもそうだが。うちのメンバーは統一が出来ていない所が強いからな。皆が自由に動き過ぎた。しかし、それがメンバーで居られる秘訣でもあった。」
「にしても、ウィリアもメイドもどうしてこんな状況になったのかしらね……」
「知らねえよ。そして、メイドを追わずに何故ここに居続けるのかも謎だ。裏切り者は抹殺するのではないのか?」
「それは、リーダーの命令だからよ。」
何故メンバーがこのような場所を指定され、その上で待機させられているのかが不明な状況。そのフラストレーションは、募るばかりだ。寧ろメイドの離反に対して行動をすべきではないのかとさえ考える。だがアルンがボスの命令を優先する為、彼等はそれに従うのみなのである――
バァンッ
その時だった。突如入口のドアが蹴り破られ、そのまま七人の人間が銃を構えて彼等の部屋に現れたのだ。見覚えのない人間が七人。いずれもが警察組織の人間とは思えない、スーツ姿。彼等は何者なのか。
入口に居るのはアルン一人だ。そこに居る人間達を見て、驚愕する、アルン。
「なんだ!?」
「はい、どーも。殺しに来たからな!」
七人の内の一人が言った。恐らくこの中のリーダー的存在だろう。突如出現したこの妙な男の存在。妙な男の存在に、アルンは両手を上げ、戸惑っている。
「貴様は……!?」
突然現れ、異様に馴れ馴れしさがある一方で、メンバーを殺すと宣言した妙な男。この男は一体何者なのか。
「グァン・ホーキーズ。アルン・ティーンズ。お前らを殺しに来た男だからな。」
男の名は、グァンと言った。身長はアルンよりも高く、顔立ちは凛々しく、銀色の長い髪が特徴で、黒いハットを被っているこの男。彼はアルンに対し、まるで見下しているかのように気味の悪い笑みを浮かべ続けていた。
隣の部屋で騒々しいことが起きているのを知った三人は、静かに聞き耳を立てる。アルンは一人しかいない状況で、銃を突きつけられている。理解の出来ない状況だ。一体、何が起きているのか。
そして、アルンはグァンと名乗る、その男を見て冷や汗を掻いている。あくまでも氷河族のリーダーを務めてきたこの男が恐れる、グァン。満面の笑顔の裏に秘めるその本心は一体何か。
「おいおいそんなに怖がるなって。お前も俺と同じ、組織のリーダーなんだろ?同じ仲間同士仲良くしようよー。」
そう言いながら銃を構えているグァン。言葉と行動が相まっていない。その気味の悪い笑みは何を意味するのか。アルンからすれば、理解の追いつかない事ばかりが起きている。
「私は貴様を知らないぞ……それに、一別組織のリーダーが何故ここに来る!?どういうつもりだ!?」
困惑するアルンに対し、グァンは言った。
「いや、だからさぁ、殺しに来たって言ってんじゃん。話聞けって。」
そう言いながら、グァンは笑顔を浮かべながら、銃を躊躇なく構え、弾を放った。メイドですら行わなかった凶行を、行った。弾はアルンの左肩に直撃。激痛により、肩を抑え、激痛に耐える、アルン。
「ぐぅっ!?」
痛みが彼を襲う。それにより、動けなくなる、アルン。
「次は右腕だからなー」
と、再び銃を構えた時、アルンが呼吸を荒げながら口を開いた。
「貴様……何故襲う!?私が何をしたというのだ!?」
当然とも言える疑問だ。
「あー、それだけどさ、連帯責任で全員に死んでもらう事になったからな。」
「連帯責任だと!?」
聞き覚えも、身に覚えのない言葉だった。何を持って連帯責任というのか。連帯責任と言う事は、グァンの標的はアルンだけでない。メンバー全員と言う事になる。
「クレーディト社の社長のノード・ベルンが殺されているって報告があって、色々と調べていたらお前の所の人間が社長の弟諸共殺したって話だからな!」
オークション会場での死闘の末、ウィリアは仇であるノードを殺した。だが、この事は既にボスに伝わっており、その粛清対象を、あろう事かアルンに仕向けて来たのである。それも、彼の所属するメンバー全員に対して……だ。
「知らないぞ……そんな事!」
「けど事実って聞いてるぜ?ま、何がどうであれ久し振りに仕事が出来るんだ!有り難く殺させてもらうからな!」
と、再び引き金が引かれようとした時――
「リーダー!」
そこへ、ニーアが姿を見せた。銃を構え、近くに居た一人の男の顔に向け、放ったのである。
銃弾は直撃し、男は即死だった。それを見たグァンはすぐに、ニーアの腕を撃ち抜いた。
「ぐ……!?」
「ニーア!」
ニーアは腕を抑え、アルンは彼女を支えた。そして、更に銃弾が浴びせられようとしていた時、グァンがそれを止めた。
「何故出て来た!?奴の目的はメンバーの抹殺と言った!出て来る理由があるのか!?」
「リーダーが撃たれて黙って居られないわ!」
ニーアは人情に厚い人間でもあった。アルンの事はメイドと違い、慕っている。故に、彼女は危険と理解しながらもその身を出したのである。
「あああああ!!!俺とした事が、美人を撃っちまうとは!!俺は“形が整っている”美人だけは絶対に傷付けないって決めてたのに……くっそぉぉぉぉぉ!!!」
ニーアの怪我を見て、何故か錯乱状態になったグァンは、両手で頭を抱え、明らかに異常な素振りを見せた。他者が見ても明らかに妙な、この奇行に、違和感を覚える二人。
パァンッ
その時、グァンは側に居た別の男の胸と、頭を撃ち抜いた。あろう事か、味方である筈の人間を撃ち殺したのである。そのまま後ろに倒れる、スーツの男。これにより、残る男はグァンを含め、五人。それよりも、この男は何がしたいのか。
「仲間を殺した……!?」
グァンの理解出来ない行動に驚愕する、アルン。
「ふぅ~やっちまったから、とりあえず自省しないと駄目だからな!俺は自分が失敗したらその戒めを味方に向けてするようにしてるんだからな。そしたら戒めとして味方は居なくなるし、丁度良いハンディだからな?」
常軌を逸している。自ら勝手なルールを作り、それが失敗したと言う事で仲間を躊躇なく殺す男。それが、グァン・ホーキーズなのだ。
「狂っている……狂っているぞ……お前!」
自らを殺しに来た筈の男に対し、怒りを感じているアルン。しかしグァンは動じる様子を見せない。
「にしても、随分慕われている様子だなアルン!そうだ、お前の人望に免じて、お前だけ先に殺してやるからな!」
グァンはニーアの行動に感銘を受けたのか、アルンに対してせめてもの情けを掛けようとしていた。この場にいるメンバーの全滅ではなく、アルンのみを殺そうと、決めていたのである。
「ニーア、逃げろ……!」
「しかし……」
「良いから、行け!奴が何故私達を殺すのかは不明だが、お前達を巻き込む事はしない!」
この時、ニーアはアルンの言葉に躊躇った。しかし目の前に居るのはハット帽を被り、銃を持っている男。それも、味方をも躊躇いなく撃つ、危険な男だ。
「ごめんなさい……リーダー……!」
まるでこの場から逃げるように、ニーアは下がる。グァンは、それをただ、静かに見守っていた。
やがてこの場にはグァンを含めた構成員五人と、アルンだけがいる状況となった。既に殺されたメンバーが二人。内一人は理不尽な状態で殺されている。その中で、アルンは改めてグァンに、ここに来た目的を尋ねた。
「貴様がここに来た理由は何だ……?誰の命令だ?まさか、独断ではあるまい!?」
同じ構成員の人間が殺しに来ると言う事は、本来ならば裏切り行為やスパイ行為が発覚した時以外では考えにくい。誰がグァン・ホーキーズに指示を下したと言うのだろうか。
「それねー、ボスの命令なんだよ。」
「ボスの……命令だと!?」
アルンは衝撃を受けた。自らが崇拝するボスの存在。
まさか、今回グァンが彼等を殺すように命令したのは、あろう事か、アルンが崇拝している筈の、ボスだったと言う訳なのである。
「待て……ボスがこの部屋に私達に来るように命令したのは……まさか……?」
嫌な予感が、過った。この場所に集合するように言われたアルン。だが実際に部屋に集まっても何の指示もない。次の指示を待っていた矢先に、グァン・ホーキーズが現れた。これが何を示すのか。答えは一つ――
「ボスは、私達を殺す為にここに呼んだというのか……!?」
ボスの存在を慕っていたアルンにとって、ボスから裏切られたも同然と言えた。ボスは、アルン達を消す気でこの場所に呼んだのである。そして、その処刑を行うのは、目の前に居るグァン・ホーキーズという訳なのだ。
「そうだよ。残念だったねぇ。そして、俺はボスの命令でパニッシャーとしてここに来た訳だからな!」
彼は、メイドと同じ、“パニッシャー”であった。しかも、この男の場合はアルンとは異なる組織のリーダーを務めている上での、パニッシャーである。
「ま、要するに、クレーディト社の社長を殺した裏切り者が“恐らく”お前の所に所属している人間がやらかしやがったから、連帯責任として始末しろってこったよ!お前の所の飼い犬に手を噛まれちまったな!と言う訳で、ばらばらにして骨粉にしてやるぜぇ!ヒャハハハ!」
猟奇的な発言をする、グァン。舌を舐めまわし、アルンに、迫る。その発言も、理解出来ない内容ばかりだ。
「貴様ぁ!!!」
怒りが頂点に達したアルンはすぐに銃をグァンに向けて撃った。が、それに対抗するようにグァンも素早く銃をアルンに向けて撃つ。この攻撃で彼の右腕が負傷してしまった。
「ぐぁ……!」
アルンの右腕に激痛が走る。一方のグァンは、ダメージを負っていないようだった。
「残念だけどな!死ぬのはお前だよ!!」
と、グァンは身動きが取れないアルンに向かい、そのまま銃を二丁、いずれも彼の頸部に突きつけたのだ。
「もう銃が撃てないからな!利き腕だろ!右腕!」
迫る絶望。グァンという猟奇的な男に襲われ、今、まさにアルンは殺されようとしていた。
しかしグァンは簡単に殺そうとはせず、アルンの首元に二つの銃を突き付けながら、突然口を開いた。
「そういやぁさ、同じリーダーやってたなら知っていただろうけどさ、あいつは生きてるのかねぇ?ゲイル・ゼノイア・バーダって居たろ。俺が半殺しに陥れてやったんだけどな。逃げやがったんだよあいつ!!後少しで骨粉にしてやるトコだったのにな!!あの野郎、ボスへの恩を忘れる野郎だったぜぇ。」
「ゲイル……が……?」
アルンとゲイルは知人同士だ。故に、それを聞いて驚愕したのである。
ゲイルの話を始めたグァン。ゲイルは現在ジェルヴァチームを率いて氷河族や新生連邦と戦っている。彼は、かつてアルンの仲間だったのだ。その経緯でゲイルも氷河族に入り、そして今はその氷河族を裏切って戦い続けているという訳である。
「ゲイルの野郎が組織を裏切った時も連帯責任で皆殺しにしようと思ってたんだけどなぁ、なんとなんと!かつての部下だった連中の殆どが皆が氷河族に居続けて、ゲイルを殺す為に行動してるんだぜ!?見上げた忠誠心!俺は感心した!と同時にゲイルって奴は人望が殆ど無かったんだぜ!ま、一部寝返った連中は皆殺しになったけどな!」
ゲイルが率いていたメンバーの一部は彼に付いて行ったが、大半が彼を裏切った。かつての部下から追われている身だ。部下達は何をもってゲイルと戦っているのかは分からない。本当にゲイルを見限ったのか、それとも目の前の危険人物であるグァンを恐れて氷河族に所属せざるを得なかったのかは不明だ。
この時、アルンは恐らく、後者だと考えていた。味方をも躊躇なく殺害するこの男は、恐らくゲイルの部下達を脅したのだろう。
「今頃奴は何しているのかは分からないけどなぁ。」
氷河族は裏切り者には容赦しない。グァンのように、一部組織の中で裏切り者が生じれば、連帯責任として殺傷のターゲットにされる。そして、グァンはそれを、楽しんでいる。
「ま、今はてめぇだけどな!アルン・ティーンズ!」
ドゴッ
グァンは、身動きが取れないアルンの肩を思いきり蹴った。撃たれた場所であり、激痛を訴えるアルン。サディスティックな性格の男は、彼の苦悶に満ちた声を聞いて喜んでいるのだ。
「がああ!」
「オラァ、ドンドンやっちゃうよー?」
と、言った時、グァンは内ポケットからナイフを取り出し、柄を柔く掴んではアルンの脇腹部に目掛け、その刃を向かわせるようにした。
それはふわり、と落ちていき、ナイフが刺さる。まるで、それを楽しんでいるかのように、グァンは笑顔を見せたのだ。
「ぐぅぅ!」
「うへぇ!血まみれ!!勃っちまったよォー」
言葉遣いも明らかに常軌を逸している。この姿に、背後に居たスーツの男達も、やや引いている様子だった。この時、グァンの股間部が異様に怒張している様子だった。苦しむアルンを見て、悦びを感じているのだろうか。
「よぉし、お前等一発ずつ銃弾撃つ事を許可する!ただし殺すなよ?頭心臓以外は撃て!ゴーモンタイムの始まりってな!ヒャハハハハハ!」
グァンはハットを取り、くるくると回転させながら上機嫌な様子で言った。人が苦しむ姿を喜ぶ根っからのサディスト、グァン。そして、目の前で苦しんでいるアルンを見て、喜んでいるのだ。
後ろに居た四人は、それぞれ一発ずつ、銃弾を放った。右肩部、左膝部、右膝部、そして右足部と、致命傷にならない程度にいずれもが放たれる。無論、苦しみ悶えるアルンだが、グァンはこれを見て大いに喜んでいるのだ。
「うへっへへへ!おーい、まだ喋れるかぁ?ボスに裏切られたアルンさん!」
床一面が彼の血液で覆われている。最早、身動きを取る事も出来ない状態のアルン。瀕死状態と言っても過言ではなかった。
自身が信じていたボスに裏切られ、あろう事かボスの差し金であるパニッシャーの男にやりたい放題やられてしまっている状態だ。アルンは今、何も出来ない。意識が朦朧とする中、痛みに耐えている。辛うじて意識を保っている状態だった。
その時、グァンはアルンの髪を引っ張り、無理に視線を合わせようとしたのである。
「あー、くたばる前に一つ、聞いときたい事があるんだからな!」
何を聞こうというのか。この、瀕死の状態の男に対して……
「てめぇの所のウィリア・ラーゲン。どこに居んだ?」
グァンは、アルンの所属にウィリアが居る事を分かっていた。それが何故なのかは不明だが、アルンにはそれを答えようにも、裏切られたとしか、言い様がない。
「……知らない……私には、何も……」
ウィリアはアルンを裏切った。その筈なのに、何故“知らない”と言ったのか。
合理的に考えるならば、ウィリアは組織を裏切った人間として排除の対象になる。そうとなれば、グァンに殺させるように仕向ける方が良い。
だが彼はそれを、あえて言わなかった。そこには、彼の意地があったのである。目の前に居るパニッシャーに殺されるぐらいならば、自らの手で殺す。そう、考えた為にウィリアを庇ったのだ。
「知らバックレんじゃねえよ!」
ドゴッ
瀕死状態の男に対し、更に蹴りを入れる、残虐な男。
「知っていたとしても、言うつもりは……ない……」
これは、アルンの意地だ。自分の命は尽きるかも知れない。しかし、この男に情報を吐露して命乞いをする気は、無い。
「なあ、アルン!あの女はさァ、お前の所の所属の構成員の筈なのにさ、全然、“反応”しやがらねぇのよー。けどオスロでクレーディトの社長が殺された時に残された画像データ見てたら、ウィリアに似た人間がやらかしているのを見たんだよね!そこからあの女がやらかしたって話だぜ!」
何の話をしているのか。反応とは、どう言う事か。そして、何故グァンは“ウィリア”と馴れ馴れしい様子で言っているのか。
「何を……言っている……?」
当然の疑問だ。しかし、グァンは躊躇なくアルンの頭を踏み付け、邪悪な笑みを浮かべる。
「あの女は。色々と訳ありでよォ。あだもー、てめえが知らバックレるから殺すしかないからな!!」
ジャキンッ
ウィリアを知らないと答えたアルン。その制裁が、今加えられようとしている。グァンの右示指に、引っ掛けている引き金が引かれて行く――
(いや、待てよ……まさか……!?)
パァンッ
銃声が響いた。グァンが、伏臥位で倒れているアルンの肩甲帯中心部を目掛け、銃弾を放ったのである。位置としては、心臓の位置。これにより、胸からおびただしい量の血液が溢れ出た。
「うはー、流石にグログロですっ!」
胸部を討たれ、激痛を訴えるアルン。最早、彼は声を出す事すら出来ない状態となっていた。朦朧とする意識の中、アルンはグァンを睨み続けた。しかしグァンは彼の行為を踏みにじ
るように、彼の頭に向け、唾を掛けた。
「何睨んでんだよオイ。てめえの今の姿はな、まさにお化け屋敷のバケモンなんだよ!まさに人間じゃねえ!子供が見たら大泣きするぜ。」
「貴……様……!」
激痛を訴えるアルン。それとは対照的な、グァンの狂気的な笑顔。
「ま、このまま出血多量でご臨終だろうさ!おい、引き上げるぜ。」
その時、グァンは妙な事を言い出した。ボスからの依頼はアルン達の抹殺の筈。何故、メンバーが居ると分かっているのに撤退を開始したのか。
「リーダー、他の連中は追わなくて良いんですか?」
一人のスーツの男が、聞いた。
「どの道、嫌でもこいつらの“居場所”は分かるんだよ。あいつらがゲドゲドの恐怖面で逃げ惑う鬼ごっこをちょっとやろうと思ってさぁ!ボスからはいついつまでに殺せって期限、なかっただろ?」
「確かに、そうですが……」
この男は、殺す事を楽しんでいる。一方で、先のアルンのように、苦しみ悶えている様子を見て、喜ぶ。そういった男だ。
人を殺す事を行うだけならば、銃弾を用いて殺せばよい。だがこの男の場合、方法が余りに猟奇的だ。ただ、殺めるだけでなく、その人間が苦しみ悶えるのを見届けるという辺りが、余りに残酷なのである。ゲイルが彼に捕まり、殺され掛けた時は、この時間を掛けて殺すという拘り故に、逃がしてしまったという事がある程なのだ。
一見すればそれは組織側から見れば非効率的に見えるが、より、恐怖を、そして、より、異常性を見せつけるという意味では、この男のやり方と言うのはある意味理に適っているのだ。
「こいつはもう先は長くねぇや。こいつはほっとこ。さて、撤収するからな。」
あろう事か、グァンは死にかけているアルン一人置いて、この場を去ろうとしているのだ。ボスの為に忠実でいる訳ではないというのか。部下達も、この男の意図が理解出来ない様子だったのである。
その後、グァン達は撤収を開始した。そこで、一人、何も動けなくなったアルンはただ茫然とその場にいた。まだ生きてはいたが、出血が止まらず、段々と意識が失われていく。
激しい痛みに襲われているアルン。出血は止まらず、身動きもとれないまま傷を押さえている。しかし押さえている手も赤く染まっていく。
「リーダー!」
彼を心配する声が、部屋の奥から聞こえてきた。ニーア、ジュラード、ミルフの三名が駆け寄ってきたのである。
やがて側にいたニーアがアルンの容態を伺う。彼女の自らの怪我は包帯を巻き、応急処置を済ませた。だが一方のアルンは、おびただしい出血量で、このまま放置すれば確実に、死に至るものだった。
「気を……つけ……ろ……し……るし……に……」
それが、アルン・ティーンズの最期のメッセージだった。彼は最期の力を振り絞り、メンバー達に言葉を伝えたのである。
アルン・ティーンズ。氷河族の一部組織のリーダー。戦後より巨大な組織となった氷河族の中で、一際個性的なメンバーを集め、その中で組織の為に様々な暗躍を行ってきた、男。チームのメンバーは統率が取れているものとは言えない者ばかりだが、それでも組織の為に貢献をしてきた。フォン・ヤマグチの暗殺から始まったアルメジャン紛争を引き起こしたのも、紛れもなく彼等の恩恵があったが故なのである。
だがその中で、最後はグァン・ホーキーズという名のパニッシャーによって殺された。クレーディト社社長の殺害の連帯責任として。それから全く抵抗が出来ないまま、アルンは死んだのだ。
「リーダーが、死んだ……もう、滅茶苦茶よ……」
メイドが離反、ウィリアも裏切り、そして組織のリーダーが死亡するという状況。そして、彼を殺したグァン・ホーキーズは次の標的を、彼等にした。
「印……って言ってたよな。一体何の事だ?」
ジュラードはふと、呟いた。アルンが最期に言っていた言葉、印。それが何を示すのかは、分からない。
「でも、これで私達にも疑問が出てくるわ……さっきの男は私達を殺そうとした筈なのに、どうして見逃してくれたのかしら。」
「罠か……あるいは、“いつでも殺せる”っていう舐めた真似をしているとしか、言い様がない。」
「そんなの、恐ろしいわ……何をもってそう言えるのかが、分からない。」
ニーアが言った。
「それがさっきの男の思惑だとしたら?俺達はどうしようもないぞ。とにかく、逃げるしかない。地球上か、或いは宇宙か。それは不明だがな。」
と、ジュラードが言った時、ミルフが言った。
「ねえ、どうしたら良いの?分からないよ……」
自ら人を殺める、傷を付ける事をしてきたミルフだが、先のアルンの惨状を見て、考えが変わった。殺される。それも、先のような酷いやり方で死ぬと言うのは、彼女自身も恐ろしいと考えていた為である。
「逃げるしかねぇよ。クソ、そう言う意味ではメイドの野郎が逃げたのは正解だったって訳か!奴も今頃あいつに追われる身になってるって訳だ……」
ジュラードは、床を思い切り叩き、悔いた様子を見せたのだ。
「ねぇ、ところでさっきの奴はウィリアの事を言っていたわよね。」
ふと、ニーアが言った。ウィリアの事。ノード・ベルンを殺害したのは彼女ではないかと言う話だ。
それ自体は事実なのだが、ここでグァンがウィリアの事について語った事に、疑問を抱いている。
「あいつがどうあれ、裏切り者である事に変わりはねぇよ……クソッ、逃げるしかねぇのか……あのハット野郎から。」
絶望に浸る三人。だが、今は逃げるしか、無い。
「おい、二手に分かれるぞ。俺はミルフと一緒に行動する。お前は単独で。まとまる方が危険だ。」
今は逃げるしかない。グァンという危険な男から逃げる為に……必死になって。
全ては自分達のボスによって仕組まれているという事。ボスの命令で死ねと言われた彼等は、今は逃げるしか出来ないのだ。
(ノード・ベルンが何者かに殺害されたのは知っている……あいつの言っていた事がもし、本当で、以前彼女が言っていた事が本当に実行されたのだとしたら……)
一抹の不安が過ぎったニーア。ノード・ベルンの件に関しては、ウィリアと酒を酌み交わした際に彼女が言っていた事だ。それがもし、現実に起きたと言うのなら?その為に自分達が命を狙われる身になるとするなら?全てが該当する可能性は高い。
しかし、今はパニッシャーの魔の手から逃げるしかない。ウィリアには聞きたい事があるのだが、彼等にとってはセイントバードの場所も不明だ。まずは身の安全を確保しなければならないのだ。
「ジュラード、守ってくれるの?」
ミルフが、言った。
「“頼まれてる”のさ。色々とな……」
これが、何を意味するのかは不明だが、ジュラードの表情はミルフを見て、決意を固めているように見える。鋭い眼に映るミルフと言う少女が、捉えて離れない。
彼等にとって、悪魔との壮絶な逃亡劇が始まるのだった――
第六十七話、投了。
パニッシャー、グァン・ホーキーズ襲来。本作屈指の胸糞キャラであり、残忍なキャラクターの登場です。