一方その頃、当のミュウはというと……
「んみゅ……」
「フルゥ……」
とある路地裏の片隅で、大きな瓦礫の陰に隠れるようにして、フローゼルと共に小さくなっていた。周囲には他に気配はなく、代わりに不気味かつ嫌な雰囲気が漂っている。幼子が突然こんな状況に放り込まれれば、怯えて泣き喚くか動けなくなるのが当然なのだが…………
「早くママを助けに行かないと」
ミュウはそのどちらでも無かったらしい。ミュウはそっと瓦礫から顔を覗かせ、周囲を探る。先程まで感じていた嫌な気配は薄れ、何かが潜んでいる様子もない。フローゼルも“かぎわける”で周囲の気配を探り、問題ないことをミュウに知らせる。
ミュウは頷くと、深呼吸を一つする。そして、ぐっと足に力を入れて立ち上がった。怯えていない訳ではない。ミュウの身体は少し震えているし、瞳にも隠しようのない不安が広がっていた。
けれど、それでも、ミュウは一歩を踏み出した。誠司が言っていた通りの、一級品の勇気と根性を振り絞って前へと進む。隣には仲良しのフローゼルがいるし、この短くも濃厚な旅でミュウは見て学んできたのだ。強くて優しくて、格好良いお兄ちゃん、お姉ちゃん達の姿を。
それらがミュウを前に歩ませ、ミュウとフローゼルは裏路地を抜けた先にメインストリートが広がっているのを見つけた。あちこちが荒廃しているが、メインストリートの先には城らしき大きな建物や巨大な塔、そして真横に伸びる巨大な壁が見えた。
周囲の建物は軒並み崩壊しているが、周囲の瓦礫の量から見て、なんとなく本来はずっと大きな建物が並んでいたのだろうと想像出来た。
「……ママは、きっとミュウを探してるの」
誰ともなしに呟く。混乱しそうになる頭を必死に整理する。
「誠司お兄ちゃんやハジメお姉ちゃん達なら……きっとあのお城に行く?」
あの城が、この廃都では一番の目印だ。彼らが城に向かう可能性は確かにある。フローゼルもミュウの言葉に同じ意見のようで、頷く。それを見たミュウは、少しずつ今どうするべきかまとめていく。
「誠司お兄ちゃんもユエお姉ちゃんも空を飛べるポケモンがいるし、ハジメお姉ちゃんも
「フルゥッ!」
「うん! なんだか行けそうな気がするの!」とミュウは小さな両手をギュッと握り締める。フローゼルも「バトルなら任せて!」と言うかのように胸を叩いた。それで勇気が出たミュウは、今はその方針で行くことを決めた。だが、いざ薄暗い道を前にしたら、自然、足が竦むが、それでも前に進もうと無理矢理にでもテンションを上げていく。
「そういえば、ハジメお姉ちゃんが言ってたの。諦めたら、そこで試合?終了だって! もっと熱くなるの! ミュウは絶対できるの! どぅ〜ゆぁべすとっ、なの!」
言葉の意味はあんまり分かっていないが、心に響いた名言を口にして己を鼓舞するミュウ。それにミュウは一人じゃない。ハジメを支えてきたポケモン達の一体、フローゼルもいるのだ。だから自分達は大丈夫! ミュウは勇気を振り絞って、裏路地から出ようとした瞬間、出鼻を挫くように声が響いた。
『こちらだ』
「ひょわふわぁ!?」
「フルル……」
ミュウは奇怪な絶叫を上げた。慌てて両手で口を押さえ、転がるようにして瓦礫の影に隠れる。フローゼルが警戒するように、周囲を見回し、唸り声を上げる。突然響いてきた声に、ミュウは思わず涙目になっていた。
『こちらだ。海の幼子よ』
再び聞こえてきた声に、今度は悲鳴を根性で呑み込み、キョロキョロと周囲を見渡すが、声の主は見えない。いや、よくよく目を凝らしてみると、薄い人型のような影が見えた。先程まで見たあの恐ろしげな影ではなく、今にも消えそうなくらいの薄さだ。
ミュウは丁寧にその影に呼び掛けた。レミアママの教育が生きている。
「ど、どちら様ですか?」
『こちらだ。急ぐのだ。海の幼子よ。危険が迫っている』
一向に動かないミュウとフローゼルに業を煮やしたのか、言葉が少しだけ具体的になった。ミュウとフローゼルはお互いの顔を見合わせて、やがて同時に頷いた。
「影さん、こっち、なの?」
「……フルゥ?」
ミュウとフローゼルが尋ねると、また影の声が響いてきた。
『汝が同胞のもとへ。強き海の子のもとへ』
「ママ……のことなの?」
ミュウが思わず尋ねたが、返答は返ってこない。そうこうしているうちに、影はどこかへ進み始めた。それを見たミュウはグッと口元を引き締め歩き出した。フローゼルもそんなミュウに付いて行く。
足場の悪い道を、なるべく音を立てずに進むミュウとフローゼルは、影に尋ねた。
「影さん影さん。お名前はなんですか? 何をしてほしいの?」
「フルルゥ?」
『我に名は無い。だが……
「われ……ら、なの?」
やがて、影は自分のことを語り始めた。
『我らは、百と八の魂を持つ存在。我はその欠片なり』
「え、えっと……」
あまりにも予想外の答えに、どういうことかよく分からないミュウ。思わずどういうことか詳しく聞こうとするが、影はそれきり答えることはなかった。再び助けを求める声が強くなっていく。
「影さん、弱ってるの……」
ミュウがそう呟くと、影は何かうわ言のように呟き始めた。所々聞き取れないが、最後の文言は聞き取れた。
『……異なる刻、同じ場所に重なりし者達を。我がもとへ」
「な、何を言ってるの……?」
ミュウは思わず頭上にハテナマークが浮かぶ。その時、フローゼルがミュウに呼び掛ける。
「フルフルゥッ!」
「そ、そうなの! 今は進むの!」
疑問を振り払い、目の前のことに集中する。いくら影の案内があるとは言え、余計な考え事は命取りだ。そう意志を切り替えようとした次の瞬間、突然轟音が響いた。
「みゃぁ!?」
地響きまで伝わってきて、ミュウは思わず飛び上がった。轟音は一度ならず、二度三度と響き激しさを増していく。
方角はミュウの後方で、徐々に近づいてきている。廃城まではまだまだ遠く、ミュウの足では確実に追いつかれるだろう。
ひょっとして誠司達かとも思ったが、どこか違うような気もした。
『急ぐのだっ、海の幼子よ! 汝の同胞はすぐそこだ!』
「は、はいなのっ!」
影の声に切迫感が増したと同時に、嫌な気配が急速に集まり出したのを感じたミュウは、戦闘音に背を向け、ダッと走り出した。嫌な気配が、恐ろしい気配が、凄まじい勢いで迫ってきているのが、背中越しでも分かる。
ミュウは恐怖のあまり泣きそうになりながら、けれど決して涙は流さず、歯を食いしばって必死に足を動かし続けた。荒れた地面を気にする余裕もなく、ミュウの足もみるみるうちに傷を負っていく。そのうち、足がもつれてしまった。
「あぅっ」
「フルル!?」
ミュウは転倒してしまい、膝を強かに打って涙目になる。フローゼルが心配そうに駆け寄り、声を掛けた。ミュウは、逃げ回っているうちに、自分達が広場のような場所にいつの間にか飛び出していたことに気がついた。
何とか起き上がって、女の子座りのまま振り返ると、そこには、死神というかのような黒い化け物が群れを成していた。
「ぅ、ぁ……」
悲鳴も出ず、恐怖で凍りつく。本能は動き逃げろと叫ぶのに、身体は少しも動くことが出来ない。化け物達は、顔が大きく歪み、歪な形になっていく。さながら狼の口のようだった。化け物達は巨大な顎門を開いて、ミュウに食らいつかんと肉薄する。
しかし、その瞬間、化け物達は、渦に呑み込まれてしまった。フローゼルが“うずしお”で化け物達を攻撃したのだ。
「フローゼルちゃん!」
「フルフルゥッ!」
フローゼルは、ミュウに顔を向けて、「心配しないで」と言うように鳴いた。だが、ミュウは気付いてしまった。フローゼルの体が微かに震えていることを。
「フローゼルちゃんも…怖いの……?」
化け物達が怖いのに、フローゼルは自分を守るために戦っている。それなのに、自分はただ震えているだけ? そんなの…………
ミュウは、グッと歯を食いしばって、流れ落ちそうな涙を乱暴に拭った。そして、先程まで身体を凍てつかせていた恐怖を勇気という名の剣で切り裂き、立ち上がると、フローゼルに指示を叫んだ。
「フローゼルちゃん、“ハイドロポンプ”なの!」
「ッ!? フーールゥッ!!」
突然の指示に、フローゼルは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに意識を切り替えて“ハイドロポンプ”を目の前の化け物達にぶつけていく。ミュウは、ハジメがフローゼルにどんな技を指示していたかを必死に思い出しながら、指示を飛ばしていく。
「それからえっと……“スピードスター”なの!」
「フルフルルゥッ!!」
「あれ? 効いてない……それならもう一度“うずしお”なの!」
「フルフールゥ!!」
フローゼルの“うずしお”が化け物達を呑み込んでいく。だが、戦闘が長引けば長引く程、ミュウ達に気付いたのか化け物の数はどんどん集まってくる。フローゼルはそれに気付いていたが、指示を飛ばすことに必死なミュウはそれに気が付いていなかった。
そのため、自分の背後に化け物が迫ってきていることに、ミュウは気付いていなかった。
「フルルゥッ!」
「っ!? フローゼルちゃん!?」
ミュウを庇うように、フローゼルは化け物の攻撃をモロに受けてしまった。相当な威力だったようで、フローゼルは意識を失ってしまう。ミュウが必死に呼び掛けるが、フローゼルは目覚めない。
「フローゼルちゃん、起きて! 起きてなの!」
フローゼルが倒れたことで邪魔する者がいなくなったと判断したのか、化け物達はミュウを嘲笑うかのようにジリジリと近づいてくる。ミュウはフローゼルを抱えて走ろうとするが、フローゼルの体を四歳児が抱えるには重すぎた。すぐに転んでしまうが、それでも必死にフローゼルを引きずってでも一緒に逃げ出そうとする。
化け物達の包囲網は既に完成しており、ミュウに襲い掛かるのも時間の問題であった。ミュウはそんな状況でも怯まず、すぅっと大きく息を吸って、
「フローゼルちゃんは絶対にやらせないの! やれるもんならやってみやがれっ、なの!!」
心だけは負けるものかと雄叫びを上げた。直後、幼子の想いを食い千切らんと化け物達が一斉に飛び掛かる。その時だった。
「あら。小さいのに、なかなか痺れる啖呵を切るわね」
「ダッダン!」
凄まじい激流が、全てを呑み込み浚っていった。同時に巨大なイカリが降ってきて、周囲を薙ぎ払っていく。
「ふ、ふぇ?」
目の前の光景に、ポカンと口を開けて呆けてしまうミュウ。そうしている間にも、まるで生き物の如くうねった水流が化け物達を呑み込んで遠くへ吹き飛ばしたり、巨大なイカリにぶっ飛ばされたりして、あれほど恐ろしく、沢山いた化け物達がミュウ達に近寄ることも出来ずに蹂躙されていく。ミュウ達は、周囲に水流のベールが結界のように渦巻いていたので、濡れたりすることはなかった。
「か、影さんのお友達、なの?」
ミュウは思わず近くの影に尋ねてみるが、答えは返らず。けれど、先程までのような緊迫感は無くなっていた。困惑するミュウに、先程の女性の声が届いた。
「大丈夫かしら? 同族のお嬢さん?」
「ダダン」
どこかおっとりしていて、未知の怪物と戦っている最中とは思えないほど緊迫感のない声音が上から降ってきた。視線を上げたミュウの目に飛び込んできたのは……
「ママ?」
水流のアーチに優雅に腰掛けて微笑を浮かべている海人族のお姉さんだった。彼女の傍らには緑色の藻に覆われた舵輪のようなポケモンが水流の上に浮かんでいる。その柔らかく優しい雰囲気がどこかレミアと被って、格好は全然違うのに、ミュウは思わずそう呟いてしまった。
「マ、ママ? それは予想外の反応ね」
「ダッリン!」
「ええ、分かってるわ」
と言うや否や、お姉さんは水流の鞭を作り出すと、迫り来る化け物に視線を向けることなく、化け物の顔へ正確に水流の鞭を叩き込んだ。
「躾がなってないわね。さぁ、悲鳴を上げて反省なさい!」
そう言いながら、容赦なく水流の鞭の連撃が化け物に叩き込まれる。化け物の口から悲鳴のような声が漏れ出る。化け物達は恐れをなして、どこかへ飛んで逃げて行ってしまった。
レミアそっくりのおっとりした雰囲気で、えげつない攻撃と罵倒を繰り出した海人族のお姉さんは、全部の化け物を追い払ったことを確認すると、ミュウに話し掛けた。
「ごめんなさいね、話の腰を折って。一応言っておくけれど、お姉さんはママじゃないわよ?」
「あ、はい。ママじゃないです」
「あら? そのフローゼルはどうしたの?」
お姉さんの言葉に、ミュウはハッとした表情を浮かべた。怒涛の展開に色々持っていかれて、フローゼルが怪我をしたことを失念していたのだ。
「お姉さん、フローゼルちゃんを助けて欲しいの! フローゼルちゃんはミュウを助けようとして、それで……」
「……分かったわ。それなら助けてあげないとね」
お姉さんはそう言うと、水流のアーチからミュウ達を守っていた水の結界の中に飛び込んだ。お姉さんはフローゼルに何か魔法を掛ける。すると、ずっと気絶していたフローゼルは、意識を取り戻した。
「フル……? フルルゥ!」
「フローゼルちゃん!」
ミュウがフローゼルに抱きついた。そんなミュウをフローゼルは優しく受け止める。それを見たお姉さんは満足そうに頷いた。
「とっても良い魔獣のお友達ね」
ミュウはフローゼルと一緒にお姉さんにお礼を言った。
「あの……ミュウとフローゼルちゃんを助けてくれてありがとうなの。お姉さんは誰ですか? ミュウはミュウです!」
「フルフルぅッ!」
「あら、ちゃんとお礼が言えて偉いわね。自己紹介もありがとう。私は……」
その時、舵輪のポケモンも水流のアーチから飛び降りてきた。ズンッという音が響いたと同時に、水の結界も弾けて消える。無数の水滴が浮かぶ中心で悠然と佇むお姉さんは、弾けるような素敵な笑みと共に正体を明かした。
「メイル。メルジーネ海賊団の、船長様よ。そして、この子は私の相棒。ダダリンのだぁりんよ」
「ダッリーンッ!」
ここに、本来あり得ない邂逅は果たされた。