時間は、少し前、リリアーナ達が隠し通路を抜けた所まで遡る。
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『呪ってやる! 呪って……!』
「うわあああああっ!!」
両腕両足を失った女性が、イモムシのように這いずりながら、こちらを睨みつけ、呪詛を吐き続ける。堪らず逃げようとするが、逃げることが出来ない。女性と自分の距離は縮んでいき、目と鼻の先まで来たところで……光輝は悲鳴と共に飛び起きた。
はぁっ、はぁっと荒い息遣いで、周囲を見渡し、今見ていた光景が夢であることを確認して安堵の息を吐く。隣のベッドで眠っている龍太郎は、自分の絶叫にも動じず、スヤスヤと寝息を立てている。
「また、あの夢か……」
最近、光輝は悪夢を見るようになっていた。そう、捕虜となった魔人族の女性が、尋問の最中に、これからの人生に絶望して
両腕両足を無くした彼女が、これからどうやって生きていけば良いのか。少なくとも、兵士として戦場には戻れない。そもそも、人としてまともな生活も送れないだろう。そう考えれば、人生に絶望して自殺するのも無理はない。
「これで満足なのか? 中西……」
光輝はそう呟いた。あの時、確かに脱走や反撃のリスクはあった。だが、それでもどうにか五体満足のまま移送出来ていれば、彼女は死なずに済んだんじゃないか。誠司の、人を人と思わない傲慢なやり方が、彼女を死に追いやったんじゃないか。光輝は、そう思わずにはいられなかった。
その時だった。
パキャァアアアアン!!
ガラスが砕かれるような不快な騒音が響き渡った。隣のベッドで寝ていた龍太郎も、これには流石に目を覚ましたようで、「あがっ!?」という声と共に起き上がった。
「光輝、今のは?」
「……わ、分からない」
そこに、コンコンとノックの音が聞こえてきた。扉を開けると、そこには雫と香織の姿があった。雫はいきなり開いた扉に少し驚いた表情を見せた後、キョトンとしている光輝に頭の痛そうな表情を見せる。
「……光輝、あなた、もうちょっと警戒しなさいよ。いきなり扉開けるとか……
「不審者って……ここは王宮だぞ。不審者なんているわけないだろ?」
注意する雫に、やはりキョトンとしたままの光輝。破砕音は聞こえていたが、それでも王宮内の安全性というものを疑っていないらしい。光輝の後ろで、眠そうに目を擦る龍太郎も同様だろう。
ここ数日、雫が王宮内の違和感や愛子達のことで、「何かがおかしい、警戒するべきだ」と忠告をし続けているのだが、光輝も龍太郎も考えすぎだろうと余り真剣に受け取っていなかった。
「そんな事より雫、香織。さっきのは何だ? 何か割れたような音だったけど……」
「……分からないよ。とにかく、皆を起こして情報を貰いに行こう。何だか、嫌な予感がするよ……」
香織がそう言ってる間に、雫は踵を返して他のクラスメイト達の部屋を片っ端から確認して行った。流石は前線組というべきか、永山重吾と野村健太郎、遠藤浩介、辻綾子、吉野真央の永山パーティーや、檜山大介、近藤礼一、中野信治、斉藤良樹の檜山パーティーは既に装備を整えており、雫が呼び掛けると同時に廊下に集まった。少し遅れて園部優花、玉井淳、相川昇、菅原妙子、宮崎奈々、仁村明人、清水幸利といった愛ちゃん護衛隊のメンバーも廊下に集まる。
一方で、それ以外の居残り組のクラスメイト達は、この状況でも未だにベッドで眠っていて文字通り
「みんな! 寝ていたところをすまない! だが、先程何かが壊れる大きな音が響いたんだ。応急内は安全だと思うけど、一応、何が起きたのか確認する必要がある。万が一に備えて、一緒に行動しよう!」
不安そうに、あるいは突然の睡眠妨害に迷惑そうにしながら廊下に出てきた居残り組に喝を入れるべく、光輝が声を張り上げる。
光輝の言葉で、居残り組のクラスメイト達は、顔を青くしてざわつきつつも、コクリと頷いた。このまま部屋に残って、光輝達のいない間に何か起こることを想像したのだ。
その時、光輝達のもとに、一人の侍女が駆け込んで来た。雫と懇意にしている専属侍女のニアだった。彼女は、家が騎士の家系で剣術を嗜んでおり、その繋がりで雫と親しくなったのだ。
「雫様……」
「ニア!」
ニアは、どこか覇気に欠ける表情で雫の傍に歩み寄る。いつもの凛とした雰囲気に影が差しているような、そんな違和感がある。友人の様子に眉を寄せる雫だったが、そのことを尋ねる前にニアの口から飛び出した情報に度肝を抜かれ、その違和感も吹き飛んでしまった。
「大結界が一つ破られました」
「な、なんですって?」
思わず聞き返した雫に、ニアは淡々と事実を告げる。
「魔人族の侵攻です。大軍が王都近郊に展開されており、彼等の攻撃により大結界が破られました」
「……そんな、一体どうやって……」
もたらされた情報が余りに現実離れしており、流石の雫も冷静さを僅かばかり失って呆然としてしまう。
それは、光輝を筆頭に、他のクラスメイト達も同じだったようで、ざわざわと喧騒が広がっていく。魔人族の大軍が、誰にも見咎められずに王都まで侵攻するなど有り得ない。加えて、大結界が破られるというのも信じ難い話だ。何百年もの間、王都の守りを絶対たらしめてきた守りの要なのだ。座学でそれを聞かされていた光輝達が、冷静でいられないのも仕方ない。
「……ニア。破られた大結界は、一番外側の第三障壁だけかい?」
険しい表情をした光輝がニアに尋ねる。王都を守護する大結界は三枚で構成されており、内から第一、第二、第三障壁と呼び、内側の第一障壁が展開規模も小さい分もっとも堅牢な障壁となっている。
「はい、光輝様。今のところは……ですが、第三障壁は一撃で破られました。全て突破されるのも時間の問題かと……」
ニアの回答に、光輝は少し考える素振りを見せた後、自分達の方から打って出ようと提案した。
「俺達で少しでも時間を稼ぐんだ。その間に王都の人達を避難させて、兵団や騎士団が態勢を整えてくれれば……」
光輝の言葉に決然とした表情を見せたのはほんの僅か。前線組と愛ちゃん護衛隊の一部のメンバーだけだった。
他のクラスメイトは目を逸らすだけで暗い表情をしている。彼らは、前線に立つ意欲を失った者達だ。あのオルクス大迷宮での訓練で起きた
その心情を察した光輝は、仕方ないと目を伏せる。そして、それならば俺達だけでもと、号令をかけようとして、意外な人物、中村恵里が待ったをかけられた。
「待って、光輝君。勝手に戦うより、早くメルドさん達と合流するべきだと思う」
「恵里……だけど」
逡巡する光輝から視線を逸らして、恵里はニアに尋ねた。
「ニアさん、大軍って……どれくらいか分かりますか?」
「……ざっとですが十万ほどかと」
その数に、誰もが息を呑む。これは襲撃ではなく、侵攻だ。その数を自分達だけで……というのは流石に無理がある。
「光輝君。とても私達だけじゃ抑えきれないよ。……数には数で対抗しないと。私達は普通の人より強いから、一番必要な時に必要な場所にいるべきだと思う。それには、メルドさん達ときちんと連携をとって動くべきじゃないかな……」
大人しい眼鏡っ子の恵里らしく控えめな言い方ではあるが、彼女も勇者パーティーの一員だ。その瞳に宿る光の強さは光輝達にも決して引けを取らない。そして、その意見ももっともなものだった。恵里の親友である谷口鈴が真っ先に、彼女の意見に賛成した。
「うん、鈴もエリリンに賛成かな。さっすが鈴のエリリンだよ! 眼鏡は伊達じゃないね!」
「眼鏡は関係ないよぉ、鈴ぅ」
「ふふ、私も恵里ちゃんに賛成だね」
「そうね。少し、冷静さを欠いていたみたい。光輝は?」
女子四人の意見に、光輝は逡巡する。普段は大人しく一歩引いて物事を見ている恵里の判断を、光輝は結構信頼していた。だから、今回は恵里の意見を取り入れることにした。
「そうだな。こういう時こそ焦って動かず、連携を取るべきだ。よし、メルドさん達と早く合流しよう」
結局、恵里の言う通りメルド達騎士団や兵団と合流することにした。永山や檜山、優花など各パーティーのリーダーも異論はなかった。
光輝達は、出動時における兵や騎士達の集合場所に向けて走り出した。すぐ傍の三日月のように裂けた笑みには気づかずに……
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光輝達が、緊急時に指定されている屋外の集合場所に訪れたとき、既にそこには多くの兵士と騎士が整然と並び、前の壇上にはハイリヒ王国騎士団副団長のホセ・ランカイドが声高に状況説明を行っているところだった。月光を浴びながら、兵士達は、みな虚ろな表情で呆然と立ち尽くし、覇気のない様子でホセを見つめていた。
士気の低さに思わず足を止めた光輝達だったが、それに気付いたホセが状況説明を中断して
「……よく来てくれた。状況は理解しているか?」
「はい、ニアから聞きました。えっと、メルドさんは?」
ホセの歓迎の言葉と質問に光輝は頷き、そして、姿が見えないメルドを探してキョロキョロしながらその所在を尋ねた。
「団長は、少し、やる事があり、場を離れている。それより、さぁ、我らの中心へ。勇者が我らのリーダーなのだから……」
ホセは、そう言って光輝達を整列する兵士達の中央へ案内した。居残り組のクラスメイト達が、「えっ? 俺達も?」と戸惑った様子を見せたが、無言の兵達がひしめく場所で何か言い出せるはずもなく、流されるままに光輝達について行った。
無言を通し、表情もほとんど変わらない周囲の兵士、騎士達の様子に、雫の中の違和感が膨れ上がっていく。それは、起きた時からずっと感じている嫌な予感と相まって、雫の心を騒がせた。無意識の内に、剣を握る手に力が入る。
「ねぇ、雫ちゃん。なんだか……」
「……分かってる。気を抜かないで、香織。何かおかしいわ」
必死に不安を押し殺しているような表情を浮かべる香織が、小さく呟く。雫は頷きつつも、気を抜かないように言うことしか出来なかった。
何かがおかしいことは、他の前線組なども思っているようだったが、誰もそれを言葉に出来ない。
そして、光輝達が、ちょうど周囲の全てを兵士と騎士に囲まれた時、ホセが演説を再開した。
「みな、状況は切迫している。しかし、恐れることは何もない。我々に敵はない。我々に敗北はない。死が我々を襲うことなど有りはしないのだ。さぁ、みな、我らが勇者を歓迎しよう。今日、この日のために我々は存在するのだ。さぁ、剣をとれ」
兵士が、騎士が、一斉に剣を抜刀し掲げる。その時、いつの間にか、するりと兵士達や騎士達が、生徒達の間に割り込んできて、自分達は互いに距離を取らされ、囲まれた。その状況に、雫は総毛立った。本能がけたたましく警鐘を鳴らし、皆に呼び掛けようとするが、もう手遅れだった。
「みんなっ、逃げ……」
「始まりの狼煙だ。……注視せよっ!」
ホセが懐から取り出した何かを頭上に掲げた。彼の言葉に従い、兵士達だけでなく光輝達も思わず注目する。
刹那、
カッ!!
光が爆ぜた。
ホセの持つ何かが、凄まじい光量の光を放ったのだ。まるで、ポケモンの技の“フラッシュ”のようだった。無防備に注目していた光輝達は、それぞれ短い悲鳴を上げながら咄嗟に目を逸らしたり覆ったりするものの、直視してしまったことで一時的に視覚を光に塗りつぶされてしまった。そして、その中で、ポカンッという音がしたことに気付けた者はいなかった。
次の瞬間、肉を突き破る生々しい音が無数に鳴った。
「あぐっ?」
「がぁ!」
「ぐふっ!?」
その音に次いで、あちこちからくぐもった悲鳴が上がった。
先程の、光に驚いたような悲鳴ではない。苦痛を感じて、意図せず漏れ出た苦悶の声だ。そして、その直後に、ドサドサと人が倒れる音が無数に聞こえ始める。
そんな中、唯一、光に紛れて襲ってきた凶刃を防げたのは雫だけだった。目を灼かれたのは同じだったが、研ぎ澄まされた警戒感や、積み上げてきた鍛錬の成果や、踏み越えてきた経験が、彼女の身を守ったのだ。
そして、閃光が収まり、回復し始めた視力で周囲を見渡した雫が見たのは、クラスメイト達が全員、背後から兵士や騎士達の剣に貫かれた挙句、地面に組み伏せられている姿だった。しかも、周囲には先程まで無かった、黄土色の粉状の何かが舞っている。雫は、自分の身体に痺れを感じていることに、今更ながらに気が付いた。
「な、こんな……」
呻き声を上げながら上から伸し倒されるように押さえつけられ、更に、背中から剣を突き刺されたクラスメイト達を見て、雫が声を詰まらせる。まさか、今ので死んだ仲間がいるのではと最悪の想像が過ったが、みな、苦悶の声を上げながらも辛うじて生きているようだ。
そのことに僅かに安心しながらも、前線組の中でも、前衛職の者達の負傷の度合いが酷いようで、予断を許さない状況に冷や汗が噴き出た。どうすれば、どうすれば、と焦燥を募らせる雫が、周囲の兵士や騎士達に視線を巡らせる中、不意に奇妙な光景が映り込み、思わず硬直する。
「あらら、流石というべきかな? ……ねぇ、雫?」
「え? えっ……何をっ!?」
そう、瀕死状態でクラスメイト達が倒れ伏す中、二人だけ平然と立っている生徒がいたのだ。一人は普段と変わらず、
余りに雰囲気が変わっているため、雫は言葉を詰まらせつつ反射的に疑問を投げ掛けようとした。だが、その返事なのか分からないが、再び、雫の背後から一人の騎士が剣を突き出してきた。
「くっ!?」
よく知る相手の豹変に動揺しつつも、やはり辛うじてかわす雫に、その生徒は呆れたような視線を向ける。
「痺れてるはずなのに、これも避けるとか……ホント、雫って面倒だよね?」
「パララ……」
「何を言ってッ!」
更に激しく、そして他の兵士や騎士も加わり突き出される剣の嵐。雫は、痺れる身体に鞭打って、どうにか全て凌ぐが、突然、自分の名が叫ばれてそちらに視線を向ける。
「雫様! 助けて……」
「ニア!」
そこには、騎士に押し倒され馬乗りの状態から、今まさに剣を突き立てられようとしているニアの姿があった。雫は、一瞬でニアのもとへ掛け寄り、彼女に馬乗りになっている騎士に鞘を叩きつけてニアの上から吹き飛ばした。
「ニア、無事?」
「雫様……」
倒れ込んでいるニアを支え起こしながら、周囲に警戒の眼差しを向ける雫。
そんな雫の名を、ニアはポツリと呟き両手を回して縋りつく。
そして……雫の背中に懐剣を突き立てた。
「あぐっ!? ニ、ニア? ど、どうして……」
「……」
背中に奔る激痛に顔を歪めながら信じられないといった表情で、雫は自分に抱きつくニアを見下ろした。
ニアは、普段の親しみのこもった眼差しも快活な表情もなく、ただ無表情に雫を見返すだけだった。
雫は、そこでようやく気がついた。最初は、ニアの様子がおかしい原因は王都侵攻のせいだろうと思っていたのだが、そうではなく、彼女の様子が自分の周囲を無表情で取り囲む兵士や騎士と雰囲気が全く同じであり、別のところに原因があるのだと。
ニアは、そのまま雫の腕を取って捻りあげると地面に組み伏せて拘束し、他の生徒達にしているのと同じように魔力封じの枷を付けてしまった。
「アハハハ、流石の雫でも、まさかその子に刺されるとは思わなかった? うんうん、そうだろうね? だから、わざわざ直前まで待ってから用意したんだし?」
背中に感じる灼熱の痛みと、頬に感じる地面の冷たさに歯を食いしばりながら、雫は、ニアも他の正気でない兵士達と同じく何かをされたのだと悟る。そして、認めたくはないが、この惨状を作り出したであろう、今も、ニヤニヤと普段では考えられない嫌らしい笑みを浮かべる親友の名を呼んだ。
「どういうこと…なの……恵里、清水君……」
その人物は、控えめで大人しく、気配り上手で心優しい、雫達と苦楽を共にしてきた親友の一人、中村恵里その人だった。
そして、恵里の近くでボンヤリと立っているのは、愛ちゃん護衛隊のメンバーであり、ウルの町の騒動に巻き込まれた清水幸利であった。