艦内
奇妙な光景があった。
何百人もの亜人が、揃って自分の頬をつねったり、張り手をしたり、あるいは空の彼方へ遠い目を向けたりしているのだ。現実逃避気味の彼らの耳には轟々と唸る風が響き、その視界には雲海が、そして、その狭間にある流線と化した地上が映っていた。
そう、彼らは現在、空の上にいるのである。
飛空挺フェルニル。ハジメが開発した重力制御式の飛行用アーティファクトであり、そのフェルニルの船底部分に新しく外付けされた超大型ゴンドラに彼らは搭乗していた。
亜人達が搭乗している理由は、歴史上初、というより前代未聞の大事件の一つ──後に『ハウリアの乱』と呼ばれる奴隷解放騒動にあった。シアの実父であるカムに率いられたハウリア族が帝国に反旗を翻し、一夜にして帝城を落としたのだ。そして、帝都の全奴隷を解放させ、現在彼らの故郷であるフェアベルゲンに向けてハルツィナ樹海へ帰る途中なのである。
ちなみに、ハウリア族の殆どは先に移動ゲートを使ってフェアベルゲンにいる。フェアベルゲンで事の経緯を先に説明しておく必要があるからだ。カムも、シアが目覚めたのを確認してから移動ゲートを通っている。他の亜人達も同様にフェアベルゲンに送ることも出来なくはないのだが、時間がかかる上に、帝国民に演出として見せつける意図もあったのでフェルニルで送り届けている。
あの戦いの後、皇帝陛下の勅命として『全亜人族の解放と今後の奴隷化の禁止』が全帝国民に布告された。当然、反発が起こり、帝城の前には既に突然の事態にどういうことかと問い詰める民で溢れ返ったのだが、ハジメが用意したシナリオによるガハルドの声明で暴動にならずに済んだ。
曰く、バイアス皇太子が魔人族側に寝返り、恐ろしい人体実験に手を染めていたこと。魔人族の狙いは亜人族であること。このまま亜人奴隷を手元に置き続けていれば、必ず大きな災いが起こること。そして……亜人の解放は、これからの帝国が更に繁栄するために必要だと創世神エヒト様から信託があったこと。等々、あることないことを宣言したのだ。
バイアスが魔人族の手に落ちたことに驚く者は多かったが、本人の生前での日頃の行いもあってか、「そんなはずはない!」といった反論の声は全く上がらなかった。更に「魔人族の狙いが亜人族である」という嘘も、先日起こった仮面部隊の暗躍もあり、納得の声が多かったことも幸いだった。エヒト様の信託というくだりも、勇者である光輝の存在が大きく、大多数の帝都民を納得させることに成功した。一応、奴隷商などに対しては補償が支払われる形となっており、その保証の程に不安を隠せない者もいたが、そこは今後のガハルド次第だろう。
そして、奴隷がいなくなったことで、大幅に遅れると思われた帝都復興については、奴隷の代わりとして誠司が貸し出した魔獣達の力を使って引き続き進められることとなった。魔獣を使うことを不安視する者も多かったが、貸出した誠司が金ランク冒険者であり、数々の実績があることもあって最終的には納得してもらえることになった。もっとも、帝都を早く復興するために魔獣の手でも良いから借りたいというのもあるが。
そういう訳で、「亜人奴隷の解放は神のご意思である!」という帝国民の人々への説明に対するダメ押しとしてフェルニルで亜人達を運んでいる。空を飛ぶ巨大な物体に導かれて故郷に帰るという光景には、帝都の人々もさぞかし度肝を抜かれたに違いない。だが、これだけの亜人達を乗せて運ぶのに、何も代償がない訳もなく……
『あ~~~……』
艦橋にあるベッドに変形出来るソファで、物凄く怠そうな声を漏らしているのは、誠司・ハジメ・ユエ・ティオの四人だ。誠司達の手首にはそれぞれ黒地に金色のラインが入ったブレスレットを嵌めており、そのブレスレットが紅い光を帯びている。このフェルニルは特殊な魔石を燃料にして空を飛んでいるのだが、全亜人達がいる分、重量が半端ではなく、誠司達四人の魔力も使っていた。魔力吸収効果を持つブレスレットを介して限界まで魔力を使って操縦しているので、四人とも余裕がある訳ではないのだが、悲しいことに傍目から見れば正月休みのようなだらけっぷりに見えていた。
「……おいおい。皇帝を前に随分な態度じゃねぇか」
艦橋の扉をウィンと開けて入ってきたガハルドが、呆れた様子でジト目を誠司達に向けた。この場にはリリアーナやヘリーナ、光輝達勇者パーティーもおり、皆何とも言えない表情を浮かべている。ブレスレットの効果は知っているので、どうこう言えないのだ。
ちなみに、ガハルドや光輝達の手首には魔力吸収のブレスレットがない。これは単純にブレスレットの在庫がないのと、彼らの魔力回路とフェルニルの魔力源を接続するためのシステムが構築されていないためだ。システムの構築には少し時間がかかることもあって、元々誠司達四人とシアの分が設定されていたが、シアは目覚めたばかりなので使う訳にはいかず、結果四人は相当な量の魔力が持っていかれている状態である。そして、シアは四人の世話を甲斐甲斐しく行っており、これがまた、彼らを甘やかしているようにも見えていた。
誠司はソファに突っ伏していた状態から顔だけ上げると、話題の転換も兼ねてガハルドに尋ねた。
「……ガハルドか。艦内の探索はもう終わったのか?」
「おう。本当にとんでもない代物だな。何故、こんな金属の塊が飛ぶのかさっぱり分からん。だが、最高に面白いな! おい、南雲ハジメ。俺用に一機用意してくれ。言い値で払うぞ」
対面の普通のソファーにドガッと座り、キラキラと好奇心を輝かせた瞳を向けるガハルド。ハジメは面倒そうな表情を隠しもしない。
「金なんか要らないよ。というか、今後のことを考えたら無駄金なんて使えないでしょ。乗るのは今回限りかもしれないし、せいぜい今の内に堪能しときなよ」
「おいおい、そう言うなよ。な? 一機だけ小さいのでいいんだ」
「……設計舐めてんの? ただ縮小させれば良いとか思ってない? これを作るのだって、何十回、何百回もの添削の果てに出来た設計図を基に何日もかけて作り上げたんだよ? 小型版を作るにしても設計図を再度描き直す必要が……」
「わ、分かった分かった。そんな怖い顔で凄むなっての」
ガハルドが冷汗を搔きながらそう言うと、小さく溜息を吐いた。
「まぁ、財政面の問題を考えりゃあ、どの道無理な話か。帝国も立て直しで手一杯だからな」
「そういえば、王女殿下の婚約云々はどうなったんだ?」
「あ~、それなのですが……」
ふと思い出したかのように尋ねる誠司。そんな誠司の問いに、言葉を詰まらせるリリアーナに代わって苦虫を百匹くらい噛み潰したような表情のガハルドが答えた。
「正直、一族は今、それどころじゃねぇんだよ。何せ、外せば死ぬ呪いの首飾りを一生付けてなきゃいけないなんて、とんでもない事態への対処で一杯一杯だからな」
そう言うガハルドの首には、確かに紅い宝石のついたネックレスが着けられている。
「あの誓約の内容から言って、皇族以外の誰かが約定に背いても、皇族が『法に則って裁く』限り、命は繋がるんだろうが、言ってみれば、国民に命握られているのと変わらねぇからな。取締体制の抜本的な改革と確実に執行される厳罰の体制、それに帝都以外の町にいる奴隷解放の手続きと法の周知徹底……誰も彼も必死なんだよ」
ガハルドはシートの背もたれに深々と背を預けながら、「参った!」とでも言うようにガシガシと頭を掻いた。
「国を裏切った者と結婚させようとした上に、いつ死ぬか分からない夫に王国の姫を嫁がせるわけにはいかないと言われれば、全く反論出来ねぇ。しかも、亜人族の奴隷解放で帝国の労働力はガタ落ち。産業も一つ潰れる形になっちまった。魔獣どもの力を借りれる上に演説をした帝都はともかく、他の町は騒動が確実だろうし、その辺の対応と鎮圧にも人手を割かなきゃならん。正直、帝国が王国に援助を頼みたいくらいだ」
誠司が貸し出したポケモン達は、王都で捕まえたポケモンのうち、フォレトス・マッスグマ・ダブラン・コジョフー・ダイオウドウ・ドッコラー・アーマーガア・ハリテヤマの八体だ。力自慢のポケモン達なので、帝都復興もあっという間に終わるだろう。
「なるほど。つまり王女殿下の輿入れは白紙撤回ってことか」
「まぁ、そういうことだ。状況が落ち着いて、皇族の命の安全性が一応でも確認されれば、その時改めて、今度は、こちらからランデル殿下に、娘を嫁がせるという形がベターだろうな」
ガハルドの説明に、その場の全員が「へぇ~」と納得の表情を見せる。
ちなみに、実は、皇族の一人が、「そんな馬鹿な話があるか! 俺は首飾りを外すぞ!」と喚き、本当に首飾りを外してしまい、その後、突然発狂して暴れ回ったあげく、糸が切れたように絶命したという事実があり、これが皇族を必死にさせている原因だったりする。
「良かったじゃないか! リリィ!」
「ホントね。自由恋愛……というのは無理かもしれないけど、取り敢えず、時間は出来たわ」
「うんうん! リリィ、良かったね!」
光輝、雫、香織が口々に「良かった!」と言えば、鈴や龍太郎だけでなく、ユエ達も「婚約白紙撤回おめでとう!」と祝福の言葉を贈った。
「ど、どうも」
リリアーナは少々視線を泳がせつつ、もごもごと返礼する。目の前に嫁ぎ先の親かつ皇帝陛下がいる上に、当の婚約者は化け物に成り果てて爆死しているので非常に気まずい。
とはいえ、自分を暴行しようとした挙句、魔人族に寝返るような輩と縁が切れたのは素直に嬉しいらしく、感情を隠すのが上手なリリアーナをして、珍しく本音が瞳の輝きとなって表れていた。
これには流石に、ガハルドも苦笑いだ。
「まぁ、なんだ。そういうわけで、今のリリアーナ姫はフリーだ。中西誠司。欲しけりゃ、皇帝の権力をフル活用して協力するぞ?」
「なっ!? 陛下! 何を言っておられるのですか! わ、私は……」
思わず動揺するリリアーナ。ハジメ達のジト目にも気が付かない様子で、リリアーナは誠司をチラ見する。だが、そんなリリアーナの視線をスルーして、何事もなかったかのようにガハルドへ口を開く。
「それで、見返りとして飛空挺を作って貰ったり、渡して貰うよう、ハジメに要求しろってか? 大体、王女殿下とそういう関係になるなんてめんど……恐れ多くてごめんだ」
「ちょっと中西さん! 今『面倒くさい』って言おうとしませんでしたか!?」
思わずそう突っ込む王女だが、誠司はスルーだ。そんな誠司の言葉に、ガハルドは「信じられん!」と言いたげな表情で言葉を返した。
「おいおい、一国の王女様だぞ? 男なら手に入れたいと思うものだろうが」
「俺はお前さんと違って、女をコレクションする趣味はないんだよ。俺はこれでも一途な方でね。複数の女を作って、滅多刺しにされるのはごめんだ」
「あの〜、二人とも聞いてますか? ちょっと~?」
リリアーナが両手を振って存在をアピールするが、やっぱり誠司からスルーされてしまう。
「言いたいことは分からなくもねえが……お前、権力に興味無さすぎだろ。パーティーで楽しそうに踊ってなかったか?」
「あぁ、一生の思い出になったな。俺としてはそれで十分なんだが……」
「あー、はいはい、無視ですね。私、王女なんですけど、誰も私の話を聞いてくれません。ぐすっ、王女って何なのでしょう……」
リリアーナは遂に投げやりな態度でいじけてしまった。彼女の瞳の端には煌く何かが溜まっている。そんなリリアーナを雫や光輝が必死に慰めているのを尻目に、諦めきれないガハルドがまだ交渉を粘っていた。
「本当に欲しいものはないのか? 皇帝の権力を使えば、色々なことが可能になるんだぞ? 本当に良いのか?」
「あのな……もう少し王女殿下を見習えよ。そういったことに権力なんて絶対に使わないぞ、あの人は」
「そもそも、前提として、材料の鉱石が不足しているのもあるんだよ。設計だって新しく考え直さないといけないし。そのうち、何かしら交渉することがあるかもだから、その時まで気長に待つことだね」
二人の言葉に、ガハルドもこれ以上は無駄だと悟ったようで、大きく溜息を吐く。
「はぁ……そうかい。そんじゃあ、その交渉の機会が来るまで大人しく待つことにするよ。チッ、甲板で景色でも堪能してくるか……」
そう言ってガハルドはさっさとブリッジを出て行ってしまった。それに苦笑いする誠司とハジメ。ブリッジ内は若干、微妙な雰囲気が漂っていた。リリアーナは先程までのようないじけた様子は見せなかったが、複雑そうな表情を浮かべており、光輝達も同様だ。そんな彼らをよそに、誠司達は変わらず気怠そうにしている。
そうこうしている間にも、一行はハルツィナ樹海に向かって突き進む。