太陽が顔を隠し、夜の帳が下りた頃。
フェアベルゲンは仄かで温かな自然の灯りに照らされていた。この灯りは、燃えやすいが燃え尽きにくい特殊な木の枝で作った松明や、バルビートの尻の灯りなどによるものだ。
ハジメ達の再生魔法やマシェード達の“せいちょう”のおかげもあって、復興が大幅に進んだ今のフェアベルゲンは、元の美しさを取り戻しつつあった。一見すると、先の魔人族や帝国の襲撃が夢であったかのようだ。
故に、住人達は一日の終わりにホッと力を抜いて、家で一家団欒を楽しむという、襲撃以前の生活を見せていたのだが、今夜は少し違っていた。
「誰か! 西集落の備蓄状況が分かる奴はいないか!?」
「家の割り振りは終わったか!? 時間がねぇぞ!」
「東集落の備蓄は大丈夫そうだ! そっちはどうだ!?」
「うぉっ!? な、なんだ、ハウリアのか……やっぱ慣れないな。魔獣が普通にフェアベルゲンにいるの……」
まるで、昼夜が逆転したかのような喧騒だ。種族、老若男女、職種に関わらず、誰も彼も忙しそうに走り回っている。とはいえ、彼らの表情に、混乱や焦燥の色は見えない。寧ろ、かつてない希望の輝きで彩られているようだった。
そんな都の喧騒を開けっ放しの窓から夜風と共に取り入れつつ、長老衆の一人───森人族族長のアルフレリック・ハイピストは大きく息を吐いた。ついでに、疲れの滲む目元を指で軽く揉みほぐす。そして、何とも言えない表情で手元の書類に視線を戻した。
書類の内容は、数千人規模の同胞の受け入れ態勢に関する報告書、それに伴う各申請書などである。
「……なぁカムよ。本当に同胞達は戻ってくるのか?」
アルフレリックがポツリと呟くと、直後、まるで部屋の中に突然と現れたかのように人の気配が発生した。
「疑り深い人ですね。証人まで連れて来たというのに」
「ドッケ」
どこか呆れた様子の声の主は、ハウリア族の族長、カム・ハウリアと、彼の相棒ドクケイルだ。ずっとアルフレリックの側に控えていたのだが、極限まで気配を殺していたのだ。
ハウリア族は、先んじて亜人族の解放を伝えるために移動ゲートで帰って来ていた。カムだけはシアが目覚めるまでフェルニルにいたのだが、シアが回復してからはカムもフェアベルゲンに帰っていた。そして、帰還後は念話石を利用して、受け入れ態勢を効率的に整えるために、通信員の役割を買って出ているのである。
いきなりそんな話をしても信じてもらえない可能性も考慮して、ハウリア族は一人の亜人を証人として一緒に連れて行った。その亜人の証言もあって、手っ取り早く信じてもらうことに成功した。
カムの言葉にアルフレリックは苦笑する。
「分かっている。ただな、やはりにわかには信じ難いのだよ。あの帝国が同胞を解放するなど……」
「気持ちは分かりますが、これが現実ですよ。受け入れてください。もっとも、あと数時間も経てば証明されることです。我らも、誠司殿やハジメ殿がいなければ、ここまでの成果を挙げることは叶わなかったでしょうな」
「資格者の二人か……その話が本当なら、我が孫娘だけでなく、同胞全てを救い出してくれた恩人ということになる。大きすぎる恩だ。報いる方法が思い浮かばんな……」
「御二方はそんなものに期待などしていないでしょう。それよりも、さっさと手を動かすべきかと。こうしている間にも新たな報告が上がってきていますよ」
「む……」
にべもなく言うカムを、アルフレリックは一瞥した。カムは、念話石で仲間と何かを話しているようで視線は虚空に向いているが、その姿には一分の隙もない。側にポケモンがいるのもあるだろうが、先程まで控えていた時の気配の無さが嘘のように、一族を束ねる長に相応しい強烈な覇気を纏っていた。
かつては自分達の前で一族処刑の決定に諦観の表情をしていたが……とても同一人物だとは思えなかった。以前と同様に丁寧な口調で話すものの、元の温厚で気弱な雰囲気は微塵もない。寧ろ、氷のような冷徹さを感じさせる。
実際、その冷徹さは、既に示されている。
というのも、フェアベルゲンに戻ってきたハウリア族は、長老衆に対して事の次第と、解放された同胞達の受け入れ態勢の整備を伝えたのだが、最初はアルフレリック含め誰も信じなかったのだ。当然と言えば当然だし、そこはハウリア族も想定内だったため、証人として連れて来た亜人にも証言してもらい、何とかアルフレリック他数名の長老から信じてもらうことに成功した。
しかし、それでも疑り深い者はいるものである。あまりにも荒唐無稽な話のため、ハウリア族や証人の言葉を信じ切れないまでは良かった。だが、ハウリア族がフェアベルゲンと袂を分かっていることや、以前の長老会議の決定で処刑処分にしているという事実から、怨恨を起因に何か良からぬことを企んでいるのではないかと決めつけて言いがかりをつけたのはマズかった。
長老の部下の一人が、遅れて姿を現したカムに対して「何を企んでいる!」と掴み掛かろうとした瞬間、ハウリア族とポケモン達が一瞬でその場を制圧してしまったのだ。カムと証人の亜人以外の全員の首筋には小太刀や牙や爪が殺気と共に添えられた。
アルフレリックの執り成しでどうにかその場は収まったものの、歴戦の戦士達が反応出来なかった事実に、ハウリア族の実力を実感させられた。カムのニッコリ笑顔での「信じられないのであれば、我らが帝城で行ったことを、
そんな恐ろしい未遂事件を思い出して、冷や汗を流すアルフレリックに、鈴の鳴るような可憐な声が掛けられた。
「お祖父様、炊き出しの用意が整いましたわ。これが消費後の備蓄量です」
アルフレリックの孫娘、アルテナだ。彼女の傍らにはパルとエレキブルもいる。エレキブルの“テレポート”でアルフレリックのもとまで瞬間移動してきたのだ。
「む、アルテナか。ご苦労だった。しかし、お前も帰って来てまだ間がないのだ。余り無理をするな」
「わたくしなら平気ですわ。同胞達が帰って来るというのに、ジッとなんてしていられません」
祖父として気遣うアルフレリックに、アルテナは毅然とした態度をとる。彼女は、いつか祖父の後を継いで国のために仕事をしたいと公言しており、能力も高い。正直な話、この忙しい時にアルテナの補佐は有難かった。
その時、にわかに外が騒がしくなった。今までの忙しさからくる喧騒ではなく、不測の事態に緊迫するような騒がしさだ。怒号まで聞こえ始めている。
「バルドフェルド」
「はっ!」
「レキブゥ!」
カムが名前を呼ぶと、パルとエレキブルは心得たと言うように、一瞬で姿を消した。そんなカム達をよそに、アルフレリックが窓に駆け寄り、「何事だ!」と大声で叫ぶ。直後、騒ぎの原因を目の当たりにした。
「光の、柱……だと」
その言葉通り、木漏れ日のように、否、それとは比べものにならないくらいの強い光が、天より木々を通り抜けて広場を照らしていたのである。理解しがたいことに目を見開くアルフレリック。そこへ、どこか誇らしげな、落ち着いた声音が響いた。
「心配いりませんよ。あれは飛行用のアーティファクトです。そして……誠司殿達のご帰還だ」
そう、フェアベルゲンの広場を真昼のように照らす光の正体は、樹海の上空に到着した飛空艇フェルニルのサーチライトだったのである。
パルとエレキブル、それからカムの指示で駆け付けたハウリア族とポケモン達が、広場から人を捌けさせる。亜人達は遠巻きに、一体何事かと戦々恐々とした表情で天を仰いだ。戦士達が悲壮感を漂わせながらも必死に武器を構えている。そんな戦士達に、ハウリア族は武器を降ろすように怒鳴った。
そして、人が捌けるのを待っていたかのように、ぽっかり出来た広場の中央へ、木々の枝をへし折りながら巨大な影が降りてきた。飛空艇を当然知らない人達は、「すわっ、新手の魔獣か!?」と悲鳴を上げて右往左往している。もっとも、フェルニルはパッと見は巨大なマンタインなので無理もない。
そんな大混乱中の中、降下してきたフェルニルは船底下部のゴンドラを切り離して、ゆっくり着地させた。フェルニルが魔獣でないことは、間近で見て分かったが、未知のものに対する恐怖や不安はまだ残っている。誰もが緊張に満ちた眼差しをフェルニルに注いでいた。
一拍。突如、ガコンッという音が響き、ゴンドラの前後がパカリと開いた。その音に、亜人達はビクゥッと震える。そして、何が出てくるのかと表情を強張らせる。
中から出てきたのは、奴隷にされていた亜人達だった。
最初に犬人族の親子が感動の再会を果たしたのを皮切りに、帰ってきた亜人達と住民達が地を揺らさんばかりの歓声を上げて互いに駆け寄った。家族、友人、恋人───大切な人を見つける度に、声を嗄らす勢いで無事を喜び合う。
フェアベルゲンは、大きな喜びに包まれ、普段の静謐さは何処にいったのかと思う程のかつてないお祭り騒ぎとなった。そんな笑顔溢れる亜人達の喧騒の中、フェルニルから降り立った誠司達にアルフレリックを始めとした長老達が駆け寄ってくる。
「……全く、とんでもない登場をしてくれたものだ」
「アルフレリックさんか。すまないな、こんな登場で。これだけの大人数を運ぶとなると調整が難しくてな」
アルフレリックが、頭上のバッキバッキに折られた樹々を見て苦笑い気味に言うと、誠司は若干、バツの悪そうな表情になった。樹海の上空から、問答無用に樹々を押し潰して下降するという方法を取ったのは、単に樹海の外から歩いてくるのも、ゲートで一人一人転移させるのも面倒だったからである。他にも、ガリガリと削られた魔力のせいで判断が大雑把になっていたというのもあった。ゴンドラを着地させたのも、シャンデラやヤレユータン、エーフィの“サイコキネシス”によるものだ。誠司達の表情から、非常に疲れているのが見てとれるので、アルフレリックも苦笑いに留めて文句を言うことはなかった。
その時、アルテナがアルフレリックに耳打ちする。
「お祖父様。立ち話もそれくらいになさって、そろそろ……」
アルテナの視線は、たった今、フェルニルから降りてきたガハルドと、リリアーナと侍女のヘリーナ、その二人を護衛している騎士達に注がれている。ガハルドに対しては、フェアベルゲンの情報が入らないように、そして仇敵が目の前にいることでフェアベルゲンで暴動が起こらないようにするための措置として、光と音を完全遮断するフルフェイス型のヘルメットを被せている。
なので早々に正体がバレるということにはならないだろうが、リリアーナ達がいることからここに長時間留まればいずれバレてしまうだろう。そんな懸念故のアルテナの催促だった。
「む、そうだな。中西誠司、南雲ハジメ……いや、中西殿、南雲殿。大体の事情はカムから聞いている。にわかには信じられない事ではあるが、どうやら本当に同胞達は解放されたようだ。まずは、フェアベルゲンを代表して礼を言わせてもらう」
「言っておきますが、事を成したのはハウリア族だ。そこはお間違えなく」
アルフレリックの言葉に、誠司はそう返した。ハジメがフェルニルとゴンドラを宝物庫にしまったことで、亜人達が誠司達に注目し始めてしまい、それに気づいて釘を刺したのだ。
アルフレリックも誠司の意図を察したようで、頷いた。
「ああ、もちろん分かっている。まさか、最弱のはずの兎人族が帝国を落とすとはな……長生きはするものだ。以前言っていた、『違うもの同士が手を取り合った先の景色』がこれなのだな」
アルフレリックの言葉に、誠司は笑みで返した。そして、ハウリア族が戦いに挑み、勝利を掴み取って同胞を救い出したことをアルフレリックの口から証言されたことで、住民達も大切な人を取り戻してくれたのは誰なのか理解したようだ。カムに注目が集まっている。まるで英雄を見るような眼差しだ。