シュネー雪原へ
誠司達を乗せた飛空艇フェルニルは、太陽の光を浴びてキラキラと光りながら、雲海の上を滑るように飛行していた。マンタインに寄せてデザインされているので、まるで本物のマンタインが飛行しているように見える。
「おぉ〜。全然地上が見えませんねぇ〜。上から見た樹海みたいですぅ」
ブリッジの丸い窓に張り付くようにして外の景色を眺めていたシアが感嘆の声を上げた。シアの言う通り、雲海は樹海の濃霧が作り出す霧の海を彷彿とさせる。そんなシアの言葉に頷きながら、ユエが説明する。
「……ん。シュネー雪原は常に曇天に覆われてる。地上はいつも吹雪。まさに極寒の地」
西の魔国ガーランドと、北のハルツィナ樹海に囲まれたこの場所では、決して晴れることのない曇天が常闇の如き暗い世界を作り出し、ただでさえ最悪の視界を、更に猛烈な吹雪が覆いつくす。大地は完全に雪と氷に覆われていて、気温が氷点下数十倍以上に上がることはない。
まさに極地というに相応しい地獄のような場所だ。
「ここまで環境が百八十度変わっているとはな……」
先程まで温暖な環境だったはずの樹海から、一気に極寒というべき環境に変わっている状態に驚き、誠司は呟いた。
「……まぁ、十中八九、解放者が何らかの手を施したんじゃろうな。自然では有り得んからのぅ」
「やっぱりか」
ティオが感心と驚嘆の滲む声音を漏らした。
その言葉の通り、シュネー雪原は、完全に外界と区切られていた。北の樹海にも、西の魔人領においても、過去一度として氷雪被害が出たという記録はない。
まるで壁でもあるかのように、樹海も魔国も雪や氷が途切れているのだ。いくらファンタジーな世界とはいえ、これが自然現象である可能性は限りなく低かった。
そんなシュネー雪原の奥地には、かなり大きな峡谷がある。氷と雪で出来た峡谷だ。その峡谷の先に最後の大迷宮である氷雪洞窟がある。解放者ミレディ・ライセンから確認も取っているので、確かな情報だ。
「それでどうじゃ、ハジメ。きちんと羅針盤は機能しておるかの?」
ティオの疑問に、ハジメは欠伸混じりに答えた。
「ふわぁ……うん、大丈夫だよ。それにしても、このアーティファクトすごいな。単に羅針盤の針が望んだ場所に向くだけじゃなく、なんとなく目的の場所とか、そこまでの距離とかが感覚で分かるんだから」
ハジメの手には古めかしい懐中時計のような物があった。ハルツィナ樹海の大迷宮攻略にて解放者リューティリス・ハルツィナから貰い受けたアーティファクト“導越の羅針盤”だ。
望んだ場所を指し示す機能を持ったそのアーティファクトは、地球への場所すら感じ取ることが出来たのだ。その分、魔力消費がとんでもないという代償はあったが。それでも地球への帰還が現実味を帯びてきたことに、ハジメの瞳には隠し切れない歓喜の色が滲んでいた。
そんなハジメに、誠司も笑みを浮かべた。その時、シアが少し不満そうに声を上げた。
「む~、誠司さんもハジメさんも全然甘々な雰囲気じゃないですねぇ。折角恋人になったのに」
誠司とハジメは、フェアベルゲンでの告白後も、いつも通りに振舞っていた。それがシアには不満だったらしい。シアとしては、恋人になって甘い雰囲気になった二人をからかうつもり満々だったのに、全然そんなことはなかったからだ。誠司もハジメも困ったように肩を竦める。
「甘々って……大迷宮攻略前でそんな真似出来る訳ないだろうが」
「変な空気にもなるしね。そういうのは二人きりの時だけにしようって決めているんだよ」
「そんな! こうなったら二人きりの時にこっそり覗……もがっ!?」
「シ~ア~?」
ニコニコ笑顔でシアのウサ耳を掴むハジメ。シアが離れようともがくが、ハジメにウサ耳をがっちり掴まれて離れることができない。
その時、スライド式のドアが開いた。ブリッジに入ってきたのは光輝達勇者パーティーだ。ウサ耳から手を放し、ハジメは声を掛けた。
「随分熱心にやってたね。アーティファクトの方はどう? 少しは慣れた?」
その言葉通り、光輝達は先程までハジメによって改良されたアーティファクトの扱いに慣れるために訓練を重ねていた。彼らの側には相棒のポケモン達もおり、ポケモン達と順調に絆を結んでいるようだ。アーティファクトの使い勝手について尋ねるハジメに、鞘に収めた聖剣に触れながら光輝が答える。
「あ、ああ。問題はなかった。というか驚いたよ。魔力の通りが段違いだ。出力自体も随分と上がっているし、新しい機能もかなり有用だ」
口ではそう絶賛しているが、光輝の表情はなんとも複雑だ。
その理由が、装備によってあっさり強くなってしまったことなのか、その原因がハジメによるものなのか。もしかしたら、両方なのかもしれない。
そんな光輝とは対照的に、龍太郎が快活に笑う。
「いやぁ、マジですごいぜ、このブーツ! 空中を踏むって感覚は戸惑ったけどよ、慣れればマジで使える。籠手の威力も倍増したし、マケンカニも新技を覚えた。こりゃあ、実戦が楽しみだぜ!」
「マケンカ!」
武器の改良の他にも、光輝達には新たにいくつかのアーティファクトが与えられている。空中に足場を作る空力ブーツもその一つだ。龍太郎もマケンカニも、上機嫌に自分の拳を打ち付ける。
隣に座る鈴も頷いた。
「龍太郎君達と違って、鈴だけ完全に新しいアーティファクトだから、ちゃんと扱えるかちょっと心配だったんだけど、実際に使ってみるとすごかったよ! これで鈴も……ちゃんと戦える。守るだけじゃない。戦えるんだ! ありがとう! ハジメン!」
屈託のない、だが強い意志を感じさせる笑顔でお礼を伝える鈴。彼女の大迷宮にかける意気込みは相当なものだった。この数日、アーティファクトだけでなく、相棒のイシズマイと共にバトルの練習を重ねてきた。属性の相性について猛勉強し、誠司に突撃してイシズマイの育成について何度も質問していた程だ。
「私の方も大丈夫だよ! 心なしか、魔法の発動速度とか精度とかが前より上がった気がするし!」
「私も問題ないわ。寧ろ、機能が多すぎて実戦の中での選択に戸惑わないか不安ではあるけど……そこは経験値を稼ぐしかないわね」
香織と雫も同様に頷いた。雫は新しく自分の愛刀となった黒い刀をやや引き気味に見つめていた。今まで使っていた剣から刀に変わったことで自分の剣技を十全に活かせるようになったのだが、黒刀の機能はかなりのオーバースペックだった。それこそ、この刀を巡って、国同士で争いが起こっても驚かないレベルだ。
「それは良かった。昇華魔法の練習がてらとはいえ、本気で手を加えた甲斐はあったみたいだ。まぁ、天之川君の聖剣に関しては少々納得し難いところなんだけど……」
「え? ちょ、ちょっと待て南雲! なんだその不吉な言葉は!?」
ハジメの聞き捨てならない言葉に、光輝が顔を青ざめつつ、問い詰めた。まさか、今の質問は「ネジが一本余ったけど、何か不具合はなかったか」という意味での質問だったのかと言わんばかりに。ハジメは苦笑いしながら首を横に振る。
ハジメ曰く、聖剣は改良の余地のない、元から完成されてるアーティファクトだった。下手に改良しようとすると、逆に性能を弱めてしまう可能性が高いことから、精々整備や外付けオプションの追加くらいしかしていないらしい。性能が上がったのは、長い年月によって起こっていた機能不全が解消されたためである。
ハジメをして、改造の余地なしと言わせる聖剣に誰もが目を丸くした。特に、光輝はマジマジと聖剣を見つめている。
その時、前方を見ていた誠司がハジメ達に声をかけた。
「そろそろ見えてきたぞ」
それを聞いたハジメが立ち上り、操作を誠司と変わる。フェルニルは雲海に突入する。一瞬で窓の外が灰色一色に塗りつぶされ、全員が瞳に真剣さを宿して外に視線を向けた。
雲の中を通ったのはほんの数秒程だ。直ぐにボバッと音をさせて曇天を突き抜けた。窓の外では吹雪が猛烈に荒れ狂っており、フェルニルの表面をピキピキッと一瞬で凍てつかせていく。
「まさに極寒の地……じゃな。妾の炎でも耐えられるかどうか……」
眼下の銀世界と視界を閉ざす猛吹雪を見て嫌そうに目元を歪めながらティオが愚痴る。他のメンバーも見るからに寒そうな外界にブルリと身震いした。
ハジメは宝物庫から小さな箱を取り出した。その中には雪の結晶の形をしたペンダントと、同じく雪の結晶の形をしたシールがそれぞれ複数入っていた。ハジメは簡単に説明する。
「このペンダントは防寒用のアーティファクトだよ。身に着ければ常に快適な大迷宮の旅が約束される。失くせば、一瞬で氷漬けになるから気をつけて。それで、このシールはポケモン用。モンスターボールに貼れば、ペンダントと同じ効果が得られるようにしてある」
受け取った誠司達はペンダントを身に着け、シールをモンスターボールに貼っていく。寒さに強いポケモンもいるが、念には念を……だ。
フェルニルを慎重に操作して、峡谷に沿って進んで行く。氷雪洞窟の入口を探すが、見つからない。そうこうしているうちに、峡谷の終わりが見えてきた。ハジメは首を傾げる。
「あれ? おかしいな。羅針盤はもっと先だと示しているのに……」
「……ハジメ、見て」
「ん?」
外界の様子をズーム機能付きで映せる水晶ディスプレイを見つめながらユエが指を指した。ハジメがその場所を見ると、どうやら峡谷の幅が狭くなっているらしく、上に氷雪が降り積もって巨大なドーム状通路になっているらしい。峡谷自体は奥まで続いているようだ。
「そういうことか……しょうがない。ここから先は地上を歩いていくしかないみたいだね。まぁ、洞窟までは一キロもないみたいだし、問題ないか」
「いよいよお外に出るんですね! 雪初体験ですぅ!」
ハジメの号令で動き出すメンバー。シアだけ、ちょっとわくわくしているようだ。一面の銀世界を今まで一度も見たことがなかったからか、電車の座席に登って外の景色に齧りつく子供のように目を輝かせていた。
そんなシアを微笑ましく思いつつも、ハジメはフェルニルの操作に意識を集中させる。やがて、フェルニルは峡谷の上に到着した。
ハッチを開けて外に出ると、あまりの寒さに全員慌てて防寒用アーティファクトを起動させる。続いて大量の吹雪が顔面に張り付くように襲いかかってきた。防寒用アーティファクトは、一定範囲内の温度を適温に保ってくれるだけで障壁があるわけではないので、コートのフードを目深に被るなどして雪を防ぐ。
「わぁ、これが雪ですかぁ。シャクシャクしますぅ! ふわっふわですぅ!」
一方、シアは大はしゃぎだった。全身で吹雪を受け止め、足を踏み鳴らしたり、手で掬ったりしながら存分に人生初の雪を楽しんでいる。そんなシアを見たハジメが苦笑しながら諌める。
「シア、あんまりはしゃぎすぎないでね。大迷宮に挑む前にバテたら困るよ」
「ああ、そうだ。間違ってもダイブとかするなよ。パッと見じゃ深さが分からな「ダイブですか! 良い考えですね!」……え? おい、ちょっとまっ……」
誠司の制止もむなしく、シアは大の字になって雪にダイブした。
「今日から私は雪ウサギぃあぁぁぁ~~~」
そんな情けない悲鳴を最後に、シアの姿が消えてしまった。誠司は思わず、顔を覆った。
「あの馬鹿……」
「その後、愚かなウサギを見た者は誰もいないのであった……」
ハジメは呆れた様子でナレーション風に呟いた。
「って、ちょっと! 落ち着いてる場合じゃないでしょ! このままじゃシアが死んじゃうわ!」
「ひぃいい、シアシアぁ~~~~!!」
突然人が落ちていった光景に、雫と鈴の二人が軽くパニックに陥っていた。そんな二人の叫びをスルーして、ハジメはフェルニルを宝物庫に戻してから、そのまま崖の上から六百メートルはありそうな谷底に向かって躊躇なく飛び降りた。続いてユエも、あっさり飛び降りていく。
突然の自殺行為に、光輝達は呆然としている。そんな光輝達に誠司は言った。
「空力ブーツもあるし、問題ないだろ。そもそも高い所から落ちたくらいで死ぬ程、ヤワでもないしな。時間も惜しいし、さっさと行くぞ」
そう言って誠司も飛び降りていった。
誠司達の最後の大迷宮攻略がこうして幕を開けた。