「し、死ぬかと思った! 死ぬかと思ったよぉ……!」
氷雪の峡谷にそんな鈴の泣きべそが木霊していた。誠司達が飛び降りた後、光輝達も続くことになったのだが、空力ブーツがあるとはいえ、断崖絶壁を安全ヒモ無しで飛び降りるのは相当勇気がいる。いつまで経っても飛び降りようとしない鈴に痺れを切らしたティオが文字通り背中を押した結果、鈴は半泣きで震えていた。ちなみに、他の勇者パーティーは、そんな鈴を見て覚悟を決めて自分から飛び込んだため、鈴のようにポイ捨てされることはなかった。
「……そんなに怖かったの?」
ユエが首を傾げた。「鈴の場合は結界もあるのだから、それで身を守ることが出来るのでは?」と言いたげなユエの顔に鈴の心は更にグサリと突き刺さる。
「うーむ、少しやり過ぎたかもしれんのぉ」
鈴の様子にティオは少しばつの悪そうな顔をしている。どうにか、ノーロープノーバンジーでの飛び降りによる余韻から持ち直した光輝達が鈴を慰め始めているのをよそに、別の方ではシアの悲鳴が上がっていた。
「痛たたたっ!? すみません、ホルード。これは私の童心を弄ぼうとした狡猾な罠で、痛たたたたっ!?」
シアはホルードから怒りのグリグリ攻撃を食らっていた。落下した際に、ホルードを出して“とびはねる”を何度か使うことで無事に着地に成功したのだが、ホルードはボール越しにシアの行動を見ていたため、危ない行動をしたシアに怒っていた。
そんな騒ぎをスルーして誠司はハジメに尋ねた。
「ハジメ、道はどっちを示してる?」
「こっちの方角だね。じゃあ皆、遊んでいないで行くよ」
そう言って、誠司もハジメも奥にある氷のトンネルに向かって歩き出した。ユエやティオ達も誠司達に続く。シアもこれ幸いとばかりにホルードをモンスターボールに戻して、彼らを追いかける。光輝達も、今は大迷宮に集中すべきだと気持ちを切り替えた。
光輝が自分の頬を両手で叩いて気合いを入れる。
「確かに呆けてる場合じゃないな。皆、行こう」
「おう、そうだな。ほら、鈴も元気出せよ」
「うぅ、分かってるよぉ」
「鈴ちゃん、大丈夫? 飴ちゃんあるけど、要る?」
「……要る」
「この調子なら大丈夫そうね」
光輝に促される形で、龍太郎達も気を取り直して暗い氷のトンネルへと足を踏み入れた。
氷壁と、峡谷の上の積雪で作られた天然のトンネルは、極寒の風が吹き付ける過酷な環境だ。地表よりも更に気温が低く、風も合わせて体感温度はマイナス五十度近くはある。誠司達にはエアゾーンがあるから良いが、エアゾーンがなかったら、どんなに厚着をしていても体温を奪われ続け、最終的には凍死していただろう。幸いライセン大峡谷のように魔力が霧散することはないので、炎属性の魔法を使って暖をとることも可能ではあるが、それでもずっとは難しい。
そんなことを考えながら、誠司達はトンネルを突き進む。トンネルの中は当然整備などされていないので、氷塊や氷柱があちこちに出来ており、道も曲がりくねっている。そんな道をどうにか進んでいると、不意に壁の向こうからハグハグという音が響いてきた。しかも、その音はどんどん大きくなっている。
「なんでしょう……? 何かいますね」
「あれは……」
シアのウサ耳が最初にピコンと反応し、続いて誠司も反応する。すると、周囲の壁からボコッという音を立てて、音の正体が姿を現した。
「ユンミ」
「ハミ~」
「ユッキ」
白い体に氷の蓑が特徴的なイモムシのようなポケモン、ユキハミだ。
「わぁっ、可愛い!」
ユキハミを見て、真っ先に黄色い声を上げたのは、可愛いもの好きの雫だ。全員の生温かい視線が雫に向く。それに気付いた雫は、慌てて咳払いして取り繕う。
「ご、ごほんっ。中西君、あのポケモンは?」
「ユキハミってポケモンだよ。氷・虫属性のポケモンだ」
「そう、可愛らしい外見で惑わそうとしてくるなんて、中々恐ろしいわね」
「雫ちゃん、取り繕えてないよ?」
「うん、シズシズ、お耳、真っ赤だよ?」
そんなことを言っている間に、ユキハミ達がトンネルの壁を食い破って入ってきた。ユキハミ達は誠司達を見ると、嬉しそうに近付いてくる。友好的な態度のユキハミ達に、雫だけでなく、香織や鈴、シアまでもが頬を緩めている。
だが、誠司、ユエ、ティオの三人は訝しげに首を傾げた。
「……大迷宮のポケモンがあんなに友好的に?」
「俺のミズゴロウやハジメのヒバニーみたいな例があるから、人懐っこいポケモンがいない訳ではないだろうけど、あんな集団で人懐っこいのは変だな……」
「うーむ。これはひょっとすると……」
その時だった。ユキハミ達の体がカッと光に包まれた。進化が始まったのだ。これには、雫達は目を点にする。光が収まると、そこにいたのは、可愛らしいイモムシポケモンではなく、白い蛾のようなポケモンだった。モスノウだ。
『……え?』
突然の進化に思わず声を漏らす雫達。モスノウ達は大きく翅を動かし始めた。
「皆、走るぞ!」
誠司がそう怒鳴ったと同時に、モスノウ達の極寒の羽ばたきが吹き荒れる。
『ぎゃああああっ!!』
トンネル内に悲鳴が響き渡った。
ーーーーーーーーーー
「もう何も信じられない……」
鈴がげんなりした様子で呟く。他の面々も似たような感じだ。あんなに人懐っこくて可愛らしいポケモン達が、一気に襲い掛かってきたのだ。無理もない。一方で、誠司は感心したように頷いていた。
「ユキハミは懐き進化するポケモンだからな。人懐っこいユキハミ達で相手の警戒心を削いで、進化したら相手を氷漬けにする……大したもんだ」
「……感心している場合じゃないでしょ」
ハジメが呆れ顔でツッコミを入れる。
氷雪洞窟の入口に近付くうちに、トンネル内を吹き付ける風も強く冷たくなっていく。既に暴風の域に達している。ハジメは羅針盤を確認する。
「次は……右だね。この向かい風を突っ切る必要がありそうだ。ティオ、お願い出来る?」
「承知じゃ」
ティオがハジメの言葉に従って風を左右に逸らそうと魔力を練り上げる。しかし、その魔法が発動する前に制止の声がかかった。
「待って、ティオさん! それは鈴にやらせて!」
自ら志願してついてきたというのに、今のところ何も出来ていないことに焦りを感じているようだ。意気込みは強く、眼差しも強い。
彼女の両手には、ハジメから貰い受けた新たなアーティファクトである二つの鉄扇が握られていた。鈴専用の武具として開発された、結界術特化型アーティファクト『双鉄扇』だ。一方の鉄扇で従来の結界を発動し、もう一方の鉄扇で様々な効果を付加するといった複合魔法の行使が可能となっている。しかも、詠唱省略機能や消費魔力の軽減機能も組み込まれているため、今まで使っていたアーティファクトよりも遥かに高性能な代物である。
ハジメは鈴の目を見て、頷いた。
「確かに実践前の肩慣らしにはもってこいかもね。じゃあ、お願い」
「うむ。鈴よ、お主に任せよう。訓練の成果を見せてみよ」
二人にそう言われて、鈴は少し緊張しつつも笑い返した。
「よっし、それじゃいくよ! “聖絶・散”!!」
鈴が魔法名を唱えると同時に、前方に淡い光を放つ半透明の障壁が出現した。緩く前方に向かって曲線を描いた障壁は中心部から外側へ波打つように光の波紋を発生させている。
訓練の成果は確かに証明されたようだ。前方から吹き付ける暴風は障壁に当たると威力を散らされ、微風となって脇へと流されていく。
「おぉ、やるではないか、鈴」
「……ん。確かに悪くない」
魔法のエキスパート二人からのお墨付きに、鈴の頬が綻んだ。暴風を逸らし、快適になった道を進む。するとほどなくして、前方にぼんやりとした光が見えた。
「……あれかな?」
ハジメの視線の先には、二等辺三角形の大きな空間があった。奥の氷壁には大きな裂け目があり、裂け目の周りにはクリスタルのような氷柱が咲き乱れている。まるで、その裂け目の奥の暗闇に誘っているようだ。羅針盤を確かめると、その針は真っ直ぐその裂け目を示していた。羅針盤から伝わる感覚も、そこが最後の大迷宮である氷雪洞窟の入口で間違いないと訴えていた。
「あ、風が止んだみたい。結界、消すね」
鈴がそう言って結界を解除する。鈴の言う通り、先程まで吹き荒れていたはずの暴風は綺麗さっぱり無くなっていた。
「着いたみたいですね。……でも、誠司さん」
「ああ。俺も感知した。あれは……ヒヒダルマだな。全員、備えろ!」
シアがウサミミをピコピコしながら瞳を剣呑に細めた。洞窟の暗がりの奥に複数の気配を捉えたからだ。誠司も同様に感知したらしく、全員に警告を発する。ハジメ、ユエ、ティオは自然体だが、光輝達の間には緊張が駆け抜けた。
ヒヒダルマの名が上がり、光輝や雫は一瞬「ん?」と眉を顰める。ヒヒダルマはオルクス大迷宮にもいたポケモンだが、確か炎属性のポケモンだったはずだ。こんな場所にも生息しているのかと不思議に思ったが、暗がりの奥から姿を現したヒヒダルマ達を見て、目を見開いた。
オルクスで見たヒヒダルマと姿が違っていたからだ。ここのヒヒダルマ達は白い体毛で覆われており、頭には大きな雪玉を載せていた。リージョンフォームの、ヒヒダルマ(ガラルの姿)だった。
五体のヒヒダルマ達は誠司達を見るや否や、猛然と迫ってくる。
誠司達がそれぞれポケモンを出したり、魔法を繰り出そうとする中、その機先を制するように光輝が前に躍り出た。光輝はモンスターボールからムックルを繰り出し、聖剣を構えて仲間に呼びかける。
「やるぞっ、皆! 俺達の力を証明するんだ!」
「ムクーーッ!」
「よっしゃあ! 今度こそ大迷宮攻略だ! やってやるぜぇ!」
「マケンカーーッ!」
「守りは任せて! シズシズ、カオリン、行こう!」
「イマ!」
「ええ、私も色々試したいしね! だから、ここは私達にやらせてちょうだい!」
「ミジュ!」
「皆、無理はしないでね。回復は任せて!」
「ラキラッキ!」
意気込む光輝達を見て、誠司達は大人しく壁際へ移動する。一応、念のためにそれぞれ自分のポケモンを出して警戒はしているが、完全に観戦モードとなっていた。ハジメは、ついでに勇者パーティーに渡したアーティファクトの性能を改めて確認しておくつもりのようで、技術屋としての観察の目を光輝達に向けている。
まだ大迷宮に入ってすらいないのだ。この程度の相手に苦戦するようでは、大迷宮に挑む資格すらない。この戦いは、そんな相手を見定めるための最後の確認でもあった。