「いかないで」と全力で引きとめられるまで転校できません 作:嵯峨野広秋
ピアノにはいい思い出がない。
おれじゃなくて、幼なじみの
ある日、あいつの家に遊びに行ったら、両手で目元をおさえてギャン泣きしていたんだ。近くにはピアノの先生と、その人にあやまる萌愛のお母さんが立っていて。
「ほんとにすみません……、ほら、萌愛も先生にあやまって」
「……」
体が四頭身で、おかっぱロング。
なんかピンク系のフリフリした服を着ていた記憶。
そんな萌愛が玄関にいるおれをみつけ、
「コウちゃーーーん!!!!」
一目散に走ってきて、両手をひろげ、胸にとびこんできた。
とっさに「たおれる」と思って後ろ足をひいてふんばったが、その必要はなく、思いのほか萌愛の体はかるかった。
「コウちゃん、コウちゃん」
涙も鼻水もおかまいなしで、おれのお気に入りのアニメのTシャツにぐりぐりこすりつけてくる。
はやくかえってセンタクしてもらわないとな、というのがそのときの正直な感想だ。
かわいそう、という気持ちも多少はあったけど。
「いま、なんか言った?」
小学校の卒業前、このときのことを萌愛にたずねたら、こんな反応だった。
それでおれはすべてを
ピアノでギャン泣きした件は、こいつの中では黒歴史なんだと。
「じゃあ……、何からはじめましょうか」
ピアノの前のイスに、背筋をのばして足を組んで座っている女の子がいる。
あれから、おれたちは教室を出て音楽室へと移動していた。
壁が防音になっていて、かつ
「まずは、あなたから話して」
どこからもってきたのか、
よっぽどカミナリの音がきらいらしい。
それにしても、こんな場所をえらぶとは。
どうせ中には吹奏楽部や合唱部がいると思ったのに、
「今日は活動日じゃないから」
と入り口のドアをあける前、深森さんは一ミリもまよわず断言した。
おれが知らなかっただけで、じつは彼女は音楽系の部活をやってる(やってた)んだろうか。
とにかく―――
(やはりタダモノじゃない)
広い空間。
奥に向かって高さが階段状に上がり、一番ひくいところに黒板やグランドピアノがある。
「えっと……じつはおれ、タイムリープしてて……」
いったん言葉をとめて、彼女の顔色をうかがった。
どこにもおどろいたような様子がない。
おどろいてないことに、おれのほうがおどろいた。
「どうしたの? 私をじっと見てないで、つづけて」
「お、オッケー。それで未来のキミに『今日、机の中をみろ』っていわれたんだ。だから放課後の教室でずっと一人になるまで待ってた」
「
深森さんは片手でおでこをおさえる。
「どうして〈私〉は、こんな人を助けようとしたのかしら。魔がさしたとしか思えない」
「あの……きいていいかな?」
「なに」
「あのブタのイラスト、いつも机の中においてるの?」
「文句ある」
うっ。
最後の音を〈
あるわけねぇよなぁ~、と
「も、もうひとつ。どうして、おれが机をさぐったときに、タイミングよく出てきたのか……もしかして外にずっといた?」
「ふだんさっさと帰宅してる人が、あからさまに読書のフリで時間かせぎしてたら、何をするつもりなのか気になっても当たり前でしょ?」
おれに言い返す
「確認するけど、ほんとに今日なの?」
「それは、まちがいないよ」
「そう。どうして私は、こんなカミナリにびくびくするような日に……」
はっ、とうつむき気味だった顔を上げて、
「このことは一切、他言無用。誰にも。いい?」
するどい目つきでおれをみる。
おれがうなずいたのを確認すると、
「どれぐらい未来からきてるの」と、深森さんは腕を組んだ。組んだ腕の前に、セーラー服の赤いスカーフが
「未来からというか……今月の終わりから」
「もしかしてループ?」
この
「なにか条件を満たせば出られるとか? そこから永遠に出られないってことはないんでしょう?」
「そう! そうなんだ! まさにそのとおりで、おれがループを出るには〈あること〉をしな……いや、されないといけないんだ」
「それは?」
「それが……すごく
「ブツブツうるさい」
深森さんは立ち上がって、おれのほうに寄ってくる。
息がかかるぐらい近くに。
「いってみなさい。ほら」
「い……『いかないで』って女の子にいわれないといけないんだ」
彼女は、あきれたように棒読みで言う。
「いかないで。はい達成」
くるりと回って背中を向けた。
その瞬間、カーテンの向こうが白く光って、彼女の小さな背中がビクってなった。
「あの、それじゃダメだったよ。けっこう判定がきびしいっていうか……涙を流して、心の底から転校するおれを引きとめてくれないと――」
「あなた、転校するんだ?」
「うん。今月末で」
そう、とつぶやいて彼女はまたピアノのイスにすわった。
無言で、ゆっくり
「深森さん、
「ぜんぜん」
「え? じゃ、なんでフタをあけたの?」
「さあ」
そこで、スマホにラインが入った。
「電気は?」
「コウちゃんの部屋の電気」
「もしかして、落ちこんでる? 親となんかあった?」
萌愛からだ。
なぜか勝手に誤解して、おれを心配してる。
「いやおれまだ学校」
「…………はぁぁぁ⁉」
「なーにやってんのよ!こんな時間まで!」
「あーあ、かっこわりー」
「てっきりアンタが」
「暗い部屋で一人、えんえん泣いてるかと思ったのに」
一方的にラインは終わった。
泣いてたのはおまえだよな、と心の中で返信する。
ねぇ、と深森さんが口をひらいた。
「その子は『いかないで』って言ってくれた?」
おれは首をふった。
彼女も首をふった。
「もう帰って。こんな静かな場所に男女二人でいたら、あらぬ疑いをかけられるから」
「まあ、そうだね」
「また来週。ただし、私の協力は期待しないように」
音楽室を出た。大雨でみんな下校を急いだらしく、ながい廊下は無人。
出て、その場に3分、いた。
(なっ!!?? これ……プロ級じゃないのか?)
ドアごしにきこえてくるのは、大人っぽい、ジャズみたいな曲。
その音楽のせいじゃないだろうけど、ちょっと外の
そして翌々日の日曜日。天気はからりと晴天。
「出かけない?」
おめかしした萌愛が、おれの家の玄関にあらわれた。