何としても曲がれなかった
でも、もし
そのウマ娘が曲がったら―――
「エレジー」と呼ばれたウマ娘がいた。名前の由来ははっきりしない、エナジーを間違えたとか対戦相手に捧げるエレジー(哀歌)だとか色々言われたがはっきりしてない。
だがそんなことは彼女にとってどうでもいい。
彼女は勝てなかった。
どうあっても勝てなかった。
理由は簡単だ、彼女は尋常でない程、いっそ異常なほど、コース取りが下手くそだったからだ。
特にコーナリングは致命的だった。コーナーに差し掛かり、外に膨らむウマ娘たちは多かれ少なかれいる。だが彼女の場合、文字通り外に吹っ飛ぶのだ。
最初それを目にした観客たちは、何か事故が起きたのではないかと騒いだ。レースに慣れていないウマ娘がパニックを起こし、或いは接触し足を滑らせたのかとも思った。
しかし結局、他のウマ娘に関係なく盛大に転倒した彼女は。当然大差も大差のシンガリ負け。それはそうだ。彼女がスッ転んでいる間に、先頭のウマ娘はコーナーを曲がり切っていたのだから。
まぁそんなこともある。運が悪かったんだ。誰もがそう思っていた。
次のレース、またも彼女は転倒した。最後尾に付けて第三コーナーに差し掛かったところで盛大に外に吹っ飛んだ。
前走で盛大にやらかしていたんだ、当然それの対策をしてくるだろう。誰もがそう思っていた。
だがそれが一切功を制していないところをみると、コーナリングが苦手とかそんな話ではないように思えてくる。
もしかしたら彼女は直線番長なのかもしれない。
誰かがそう零した。
確かに直線一本に賭ける脚質もあるにはある。だがそれは第四コーナーを回った後、最後の叩き合いの時だ。最終直線以前に、そこまで到達しないで直線番長も何もない。
最初こそ、そういうモノだと考えていた観客は、しかし段々と苛立ちを覚えた。
いつもいつもスッ転んでばかり。
真面目に走る気が無いなら出走なんてするな。
そんな声も聞こえてきた。
中には転倒を繰り返す彼女に対し「替えの服は持ってきたのか」と叫ぶ客もいた。
それでも彼女は転倒を繰り返した。
観客の誰もが呆れ、苛立ち、そしていつしか諦めていた。
どうせあのウマ娘は完走すら出来ない、と。
恰好だけのウマ娘。員数合わせのウマ娘。
茶褐色の毛色とウマ耳。パッチワークのような勝負服。彼女は何時しか居るだけの「ハリボテ」と呼ばれていた。
その日、大一番のレース。軒を連ねるのは早々たる麗駿達。その中に彼女は居た。
誰も彼女を見ていない。誰も彼もが彼女に期待なんてしてなかった。酔狂な物好きが野次混じりの声援を掛けるぐらいだった。
ゲートが開く。各バ一斉にスタート。向こう正面から始まったレースは、ある種予測通りの展開となった。無敗の三冠馬がレースを引っ張りそれに競り合う数人。脚を貯め中団から狙いを定めるウマ娘たちもいた。そして彼女。最後尾。いつものパターン。
「さぁ、各バが第三コーナーへと差し掛かります」
実況がレースが折り返しに入ったことを伝える。ここで観客たちの目は先頭集団へ。先頭が逃げ続けるか、或いは中団から進出してくるか。
誰が勝ってもおかしくないレース。走っていたウマ娘達もそう思っていただろう。
それが、起こった。
「―――曲がった」
誰かが呟いた。
その言葉に、何人かが視線を上げた。そこには全ウマ娘が無事にコーナーを回りきる姿。
本来ならばなにもおかしなところはない。だが、今までレースを見続けてきた観客は即座に気付いた。
そう、「全ウマ娘が」コーナーを回ったのだ。
「―――」
一瞬、レース場が静寂に包まれた。誰も彼もが、声を出すことを忘れたように。
折しもレースは佳境。本来ならば正面スタンド前に走り込んでくるウマ娘達を大歓声が向かえる筈なのに。
それなのに。
誰も、何も、声を発しない。実況席ですらその光景に目を奪われていた。
彼女が、今まで「ハリボテ」であった「エレジー」が、曲がった。
「―――曲がったぁぁぁああああああああっっっっ!!」
それはもはや歓声などというモノでは無かった。比喩でも何でもなくレース場が音で揺れた。
驚いたのは前方を走っていたウマ娘たちだ。特に先頭の一人は思わず気を逸らした。
一瞬静かになったかと思えば、次には大歓声。なんだ、何かあったのか、と思わず後方に気を回して。
「―――ッ」
背筋が、粟立った。何か来る。何か分からない。けれども、何かとてつもない物が来る。今まで背後に居たウマ娘達じゃない。彼女たちのプレッシャーは嫌と言うほど身体が覚えている。
でも、これは違う。初めての重圧だ。誰だ、何が来るんだ。
『後ろから一人、何かすごい勢いで突っ込んでくる!! エレジーか!? エレジーだ!! これはびっくりエレジーだ!! 後方から凄い脚!! 次々と前方のウマ娘達を捕らえている!!』
漸く我を取り戻した実況が興奮が見て取れるほどの声を上げる。
嘘だろう、と誰も彼もが思った。
今までコーナーでスッこけていたために、誰も知らなかったのだ。
彼女の鬼の末脚を。
そして誰も予測などしていなかった。出来るはずが無かった。
出走しているウマ娘達。いずれも歴史を築いてきた優駿ばかりだ。そんな彼女たちを最終直線だけでゴボウ抜きするなど。
『――――――!!』
地鳴りの如き歓声は止まない。今まで期待もされていなかった彼女が見せた最終直線一気。
他のウマ娘が止まって見える程の超加速。大地の上を弾み、宙を駆けていると言わんばかりの末脚。
老いも若きも、男も女も、そしてこのレースを目にしていた全ての観客が叫んだ。
―――行け―――と。
『エレジー伸びるッ!! ここにきて更にエレジー伸びるッ!! 他のウマ娘を置き去りに四番手から三番手ッ!! 二番手ッ!! 前に、届くか!! 届くかっ!? 差しきるのかッ!!―――』
実況はもはや絶叫だ。ありとあらゆるレースを目にしてきた実況者が一人の観客となっている。
そしてその場にいた全員が目にした。
後方から追い上げてきた影が、先頭のウマ娘を並ぶ間もなく抜き去った瞬間を。
『―――並ばない!! 並ばない!! 届いた!! 届いた!! 差し切り勝ち、凄い脚だ!! エレジーが纏めて抜き去った!! 着差はハナ差!! ハナ差です!! しかし僅差とは言いません!! 間違ことなき圧勝!! エレジーの圧勝です!!』
何時までもやまない大歓声。いつしかそれは勝者を称えるコールへとなっていた。
それは「ハリボテ」と呼ばれたウマ娘が成し遂げた奇跡の瞬間だった。