イザベラはふと目を覚ますと、本を枕に眠ってしまっていたことに気が付いた。
―いけない、寝てしまった!今日は1050ページまで読む予定だったのに。
起き上がり、時計を見ると深夜3時を回っていた。この部屋では、窓もない為、時間間隔を知るには、この部屋に掛けられている時計を、頼るしかなかった。母の様子を見ようと、本を閉じ、ベットの横に立つ。
母様はもう数日目を覚ましてはいない。最近読んだ本に、母様の状態に、いくつも一致する病名がかかれていた。
“結晶病”。遺伝的な疾患だ。人は、魔核を中心に、毛細血管や神経の様に、全身に魔官が張り巡らされている。魔力はこの魔官を通り、全身にいきわたるのだ。結晶病は、この魔官内で、魔力が結晶の様に固まってしまうのだ。初めは小さな結晶ができるが、時間が経てば大きなものになり、それが魔官内の魔力の流れを邪魔することで、様々な症状が出現するのだ。初期症状は、眩暈や気分不良から始まる。魔官内で、魔力が結晶化してしまう時に、激しい痛みを生じる事も特徴だ。そして、魔官内の結晶化が進むと、意識を保つ事が困難になってくる。今の母様の様に……。
そして、どの文献や書物にも書かれていたのが、“この疾患に効果的な治療はない”というこの絶望的なものだった。私は模索すべく、残りの書物を読み漁っているが、希望は薄い。
脈の確認をしようと、母様の右腕に自然に手がいく。自分の右手にいつもなら一定のリズムで感じる振動が何も感じなかったのだ。
「え……」
急いで胸に耳を当てた。何も聞こえない。直ぐに呼吸の確認をした。息をする音も聞こえない。母様の心臓と呼吸はもう止まっていた。
「う、嘘っ…・…そんなぁ、か、母様‼目をっ……目を開けて……っ‼」
いくら呼び掛けても、固く閉じられた瞼が開かれることはなかった。
イザベラは治癒魔法で、強制的に心臓を動かした。まだ助かるかもしれない、その一心で魔法を使い続ける。まだ体が暖かいから、心臓が止まったのはついさっきの筈だ。同時に、体内に酸素を送り込むため、新たに術式を組み込んだ。アイシェの体を中心に、大きな光を放ちながら、イザベラの魔法は正常に発動する。
だが、このまま魔法をかけ続けても、根本的な解決にならない事は、イザベラが一番理解していた。実は以前から考えていた事がある。先ほどからイザベラの脳裏には、禁術とされる魔法が頭をよぎる。
禁術と指定された魔法は、対象者やこの世界に何らかの影響を与える可能性があるものを指している。だが、イザベラにとって、母アイシェの存在が全てであった。イザベラの頭の中に、楽しかった母との思い出が走馬灯の様に思い出される。
大きな瞳から、魔法の光に照らされてキラキラと輝く雫が頬を伝う。イザベラは決心した強い瞳で、アイシェを見つめた。
「人体を構成しているのは、酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リン、硫黄、カリウム、ナトリウム、塩素、マグネシウム、鉄……」
アイシェの体格から考えられる、人体構成成分とその比率を頭に思い浮かべていく。
―魂の情報として、私の血液で魔法陣を構成する。
イザベラは、魔法で自分の指を傷つけると、そこから風に乗って赤い雫が宙を舞った。するとイザベラの血液で、徐々に術式が刻まれていく。白く光っていた魔法陣は、次第に赤黒く激しい光を放っていた。イザベラを中心に激しい突風が巻き起こり、窓を覆っていた分厚い木の板は、その衝撃に耐えられず、窓ガラスごと弾け飛んだ。ガラス辺が、まだぷっくりとしたイザベラの頬を傷つけたが、全く動じずに魔法陣を完成させていく。
今まで読み込んだ分厚い魔術書も、同時に窓の外へ次々に投げ出された。本棚は倒れ、アイシェと共にダンスの練習に使った映像石は、あまりの魔力量に全て砕け散っていく。
唯一の出入り口である、鉄の扉だけが、最後までその衝撃に耐えていたが、ついにヒビが入り、その瞬間に吹き飛んでいく。激しい騒音と、禍々しい光を放ち、歴史ある公爵家の屋敷は、徐々に破壊されていく。公爵家の上空には、分厚い暗雲が立ち込めており、激しい突風が吹き荒れ、主が大事にしていたアマリリスの花々の命を摘んでいった。
何事かと、ようやくこの屋敷の主、ロバート・ハイドがやって来た頃には、たった7歳の少女が、禁術である“人体組成魔法”の7割を完成させていたのだ。
「なんだ……これはっ……!!!!」
ロバートは、起きている事態を把握しようとするも、今自分の目の前で起きている現象を受け入れられなかった。だが、ことの大きさが、どれだけ危険かを知っていたロバートは、すぐにやめさせようと、娘の名を呼んだ。
「イザベラ!すぐにやめろ!!今ならまだ間に合う!!!!」
そう言いながら、巻き起こる突風の中をゆっくりと進んでいく。
―っ、なんて魔力だ!!!近づくだけで皮膚が切れていく
ロバートの顔に、赤い線が入っていく。
「きゃああああああ!!!!!」
「と、父様!!!これは一体……!!!!」
廊下から叫んでいるのは、兄弟達であった。エリシアとルカは腰を抜かし、身を寄せ合いながら震えていた。長男のルーカスは、何が起きているのかを薄っすらと理解しており、この目の前で起こるあり得ない現象に、驚愕していた。
「お前達!そこを動くな!!!中に絶対入ってくるな!!!」
いつものポーカーフェイスではなく、初めて焦った表情の父親を見て、子供たちはビクッと体を震わせた。
イザベラは、禁術を成功させようと集中しており、いくら名を呼ばれても聞こえてはいなかった。
「母様、あともう少しです」
手足には自分の魔力によって傷ができており、赤黒い血が流れていた。
―あとは、比率を整えるだけだ。
イザベラの目に希望が見えた。その時だ。大きく暖かい手が、イザベラの目を覆った。すると、まだ小さな体を後ろから誰からが強く抱きしめたのだ。
耳元で、「イザベラ、もう大丈夫だ、大丈夫」と繰り返す声は、月に一度だけ冷たい言葉を放つ声によく似ていた。
「レダム」
その言葉が聞こえると、体の力が抜けていき、イザベラはいつの間にか意識を手放した。