翌日。
Mは、鼻孔をくすぐる香りにつられ、目を覚ました。
体を起こし、キッチンに向かう。どうやら、親友が朝食を作ってくれているらしい。
Mに気付いた親友が振り返る。
「おはよう、M。別れ話は順調に進んだのか?」
「いや、保留になった」
「お前、何もできない赤ちゃんか?」
怒りの色を僅かに滲ませつつも、親友は前を向いて料理を続ける。
燻製肉と卵を使った、ごくごく一般的な朝食。あと数分で出来上がりそうだった。
Mは棚から皿を取り出して、テーブルの上に並べた後、席に着く。
「いや、大丈夫だよ。よくわかんないけど、どうも俺の術を封印したのは里長らしくてさ。B子が、封印を解除してもらうよう頼んでくれるって」
「ええ……お前、よくわかんないうちに術を封印されて、よくわかんないうちに封印を解除してもらう流れになったのか?」
「どうやら、そうらしい」
なんの脈絡もなくトラブルが舞い降りて、主人公は何もしていないのにいつのまにか解決する。
こんな話が、数多の大人気小説が投稿されているハーメルンにUPなどされようものなら、低評価を喰らうのは間違いなかった。
「ま、Mの問題が解決したのなら良かった。さぁ、食事にしよう」
◇◇◇
しばらく無言で、料理を口に運ぶ二人。
いつもならMがいらん事を言って会話が始まるのだが、この日のMは、珍しく口数が少なかった。
彼なりに、思うところがあったらしい。
狭い部屋。
Mと親友、二人で一杯になってしまう程度の広さしか無い。
小さい頃は暴れ回る余裕すらあったが、二人とも、大きくなった。
窓から差し込む朝日が、二人に降り注ぐ。昔はもっと小さい窓しか付いていなかったのだが、二人で暴れた際に壁をぶち抜いてしまったので、せっかくだからと大きく作り直したのだ。
鳥の声が聞こえた。何度追い払っても、なぜかこの部屋の外壁に巣を作ろうとするので、諦めて住まわせている。もう十年以上になるので何度も世代交代しているはずだが、この場所がお気に入りなのは変わらないらしい。
Mは、全部覚えている。
この世界に来てから、ずっと。
Mは、この部屋で過ごしてきた。
両親のことは、知らない。
気付けば、この部屋に一人でいた。
もし、誰もこの部屋を訪れていなければ。
Mはずっとこの部屋の中で、一人でいたのかもしれない。
食事のほとんどを終えてから、ようやくMが口を開く。
「……俺、昨日ずっと考えてみたんだけど。ハーレムってのも、大変なんだな」
「そうだな。きっと大変だ」
「みんな、何考えているかわかんないし」
「そうだな。君は、もう少し一人一人と向き合った方がいいかもしれない。大抵の人は、君みたいに身軽には生きていけない。色々抱えているんだ」
「一人一人のことを考えるのって、大変じゃないか?」
「大変だよ。たくさんの人を相手にそうするのは無理だ。まずは一人。君が知りたいと思える相手を、決める所から始めたらどうだ?」
「それが難しいんだよ……少し考えたけど、A子もB子も、俺のことを人間として見てない気がする。女の子ってこえぇわ」
「そうだな……いや待て。5000人中のツートップを、一般的な女の子のカテゴリに当てはめるのは止めろ」
Mは、食後のお茶を飲み干した。
あとは片付けをすれば、朝食タイムは終了。
だが、足が重い。
席を立てば、片付けをしなければならない。
片付けをすれば、今日という一日が始まる。
部屋を出て、色々やらなければいけない。
なんだか、億劫だった。
もう少しだけ、親友と一緒にいたい。
何もせずに、だらだらしていたい。
Mは、この世界で真剣に生きていこうという意欲が薄かった。
むしろ、意識的に考えないようにしている節すらある。
Mにとって、間違いなく現実。目の前に広がる世界。
だが、妙に現実感がない。
影分身の影響か。
はたまた、前世の記憶を持つが故か。
明日の朝、目を覚ましたら。
周囲の全部が、消えて無くなっているのではないか?
そんな恐怖すらあった。
「疲れてるのかな……」
Mはカップに口を付ける。中身は、既に空だ。
少しだけ迷ってから、カップをテーブルに置く。
喉が渇いていたわけではない。
ただ、気を紛らわせたかっただけだ。
代わりに首を上に向け、緊張をほぐしつつ考える。
一時的にとはいえ、影分身が使えなくなったのは幸いかもしれない。
何もしない言い訳になる。
少しだけ。一人の人間として、ゆっくりしてみたい。
ゆっくりしてみて、ほんの少しだけ。
親友が薦めたように、真面目に誰かと向き合ってみるのもいい。
Mは、そう思った。
「なぁー」
親友に声を掛ける。
幼なじみで、ずっと一緒だった親友。
自分を部屋から連れ出してくれた人物。
おそらく、Mのことを一番よく知っている人。
もし、誰か一人だけ。
この世界の中で、たった一人だけ。
深く知りたい相手を選べと言われたのなら。
Mは、
「お前、おれと付き合わねぇ?」
今まで"親友"という描写しかしていなかったが、Mの親友は美少女であった。
ボクっ娘幼なじみの黒髪スレンダー世話焼き美少女系ヒロインであった。
仮にこの物語が異世界チート転生二次創作の世界だったとしたら、大勝利間違いなしである。
Mの言葉に、親友は体を一瞬硬直させる。
だが、すぐ気持ちを落ち着かせた。
どうせMは、深く考えて発言などしていない。
そんなこと、わかりきっている。
今までの経験から、彼女はそう判断した。
彼女は思案する。
はたして、どう回答するのが最適か。
彼女にはわからない。
今まで、こんな事を言われたことがなかったので、わからない。
「あー……」
言葉が出ない。
Mの方に目を向けても、Mは無言で彼女のほうをじっと見ているばかりだった。
「……んー」
そうやって、しばし迷ったのち。
彼女は、どう答えるかを決める。
彼女が下した結論。それは、"保留"であった。
彼女もまたMと同様、クソ雑魚ナメクジな恋愛経験しか持っておらず、有り体に言えば優柔普段。何も出来ない赤ちゃんであった。
コホン、と。咳払いを一つしてから、彼女はこう答える。
「……君がまじめに人と向き合う気になれたのなら、考えてやるよ」
A子もB子もMを手放さないため、この物語はハーレムです。