「――わたしの奴隷になってください!」
高校生活が始まって一年半。
山も無ければ谷もない日常を、僕は過ごしてきた。
過去形になってることと、今の台詞からもう分かってるよね? 僕のこれまでの日常が壊れたってこと。
まぁ、どうせ誰も聞いて無いんだから、分かっていても分かっていなくても関係ないんだけど。
そうなった原因は、今日からこの学校の生徒なった転入生。
槙浪メグと言う女子高生だ。
首元辺りで黒髪をツーテールにしてる、紅い瞳が印象的な女の子。
快活な彼女はクラスにすぐ馴染み、休み時間の度、他の生徒と色々な話をしていた。
住んでいた所。
以前居た学校。
家族構成等々。
知っていても意味の無い事柄ばかりを聞かれ、でも槙浪さんはその全てにちゃんと答えていた。
あぁ、どうして僕が槙浪さんを見ていたのかについては、どうぞ勝手に想像してください。
昼休みになると、槙浪さんは何故か僕に近付いて来た。
そしてクラスメイトに気付かれない様に一枚の四つ折にされた紙を渡すと、何処と無く照れた様な笑顔を浮かべて他の女子と共に出て行った。
開いた紙に書かれていたのは、放課後屋上まで来てください、と言う典型的な呼び出しの一文だった。
それから午後の授業を受けてHRが終わった後、ゆったりまったり屋上へ。
喉が渇いていたから、途中にある自販機でコーラを買った。
風呂上りに炭酸飲むと効くよね?
何時の間に追い越したのか、槙浪さんは既に屋上、その中心に立っていた。
そして冒頭の台詞。
僕の反応。
「はあ……?」
当たり前だと思う。
見知らぬ人に呼び出されて来た途端、奴隷になってください、なんて言われて、はい分かりましたなんて言う人がいたら、僕は結構真剣にその人の頭を疑ってしまう。
そんなことはおいといて……僕の反応を見た槙浪さんの反応。
「……? 嬉しくない?」
嬉しい嬉しくないの前に、まず意味が分からない。
「あれ? ……大喜びするって聞いたのに」
一体誰からそんなことを聞いたんでしょうか? そして何故そのことを疑わなかったんでしょうか?
疑問が生まれている間に、槙浪さんは自己完結したらしい。
「えと……それで」
「丁重にお断りさせて頂きます。それでは、さようなら」
「え? ちょ、ちょっと待って!」
「何でしょう? 僕は早く帰って風呂上りの炭酸を満喫したいんですが……」
「風呂上りの炭酸…………」
適当な、いや言っててホントに満喫したくなったから適当って訳でもないんだけど……とにかく、そんな深く考え込む様なことは言ってないのにどうして貴女はそんな真剣に考えているのでしょうか? あれですか? 風呂上りに炭酸を飲む自分を想像してるんですか? そんな訳ない――
「美味しそう」
ありましたね。すいません、決め付けちゃって。
「僕のお勧めはコーラです。それではまた明日」
「うん。良いこと教えてくれてありがとう」
「いえいえ」
そのまま踵を返し屋上を出ようとした所で、
「って! そうじゃないのっ!!」
学校全体に聞こえそうな大音声が真後ろから聞こえた。
耳が痛いですはい。
というか、多分このままにしておくと彼女、大声で話しを続けるんじゃないでしょうか? そうなると彼女自身は勿論、僕まで面倒事に巻き込まれてしまうかも知れない。
振り返ると思った通り、槙浪さんは息を大きく吸っていた。
「どれ――んぐ!?」
咄嗟に駆け出して口を抑え、なんとか最初の方で食い止めることに成功。
僕がしたことの意味を理解したのか、ハッとなりこくこくと頷く槙浪さんの口から手を離す。
「……とりあえず、人が来るかも知れないんで、移動しましょう」
「分かった。校門で待ってるから」
「了解です」
理解が早いね、と言って、槙浪さんは先に屋上から出て行った。
「それは貴女もですけどね」
缶を傾けると、炭酸の弾ける感覚が口内に広がった。
五分程経った所で屋上を出て、階段を降りていく。
途中のゴミ箱で缶を捨てて昇降口に到着。靴を履き替えて校門へ。
風に揺れるツーテールの片方が、柱の影から見えた。
近付いて声を掛けると、右手を軽く挙げて歩いていく槙浪さん。
後に続き、何処に向かっているのか尋ねると、
「あなたの家」
なんて返答を戴いた。
僕の反応は先と同じ。
「わたしも今日から一緒に住むの」
足が止まった。
それはもう、ピタリと止まった。
「あれ、どしたの?」
貴女こそどうしたんでせうか?
「え~……一体どういうことでしょう?」
「だって日本って、必ず異性と暮らさないといけないって言う決まりがあるんでしょ? 決まりは守らないと」
「ちょっと待って」
「なに?」
「……仕方ない。とりあえず、一旦家まで行こうか。そこで詳しい話を聞くから」
「うん、分かった」
そんなこんなで、学校から二十分程歩いた所にある住宅街に到着。
家に槙浪さんを招き入れ、リビングへ。
姉さんはまだ帰ってきてないみたいだ。
「えっと……槙浪さんは」
「メグで良いよ」
「じゃあ、メグさ…………メグは、日本についてどんな知識を持ってるの?」
さんを付けようとした瞬間じと目で睨まれ、呼び捨てにしながら聞く。
槙浪さんが以前通っていたのは、イギリスにあるお嬢様学校らしいけど、どうして変な知識を持ってるんだろう?
「え? まずさっきも言ったみたいに、必ず異性と暮らさないといけないってことでしょ」
まずそこから違うけど、必然的にそうなっていることが殆どだから、ここは黙っておく。
「それから、好きな人を奴隷にしないといけないこと」
「うん、ストップ」
「ほえ?」
きょとんとした顔で見られても困る。
「最初のもそうだけど、日本にそんな決まりは無いよ。しかも今の言い方、まるでメグ……が、僕を好きみたいじゃないか」
あり得ない。断じてあり得ない。
メグの容姿はそんじょそこらの女子より綺麗だし、今日の生活をみていた限りでも、頭脳明晰で運動神経抜群な、正しく絵に描いた様な彼女が容姿も何もかも平均以下である僕を好きだなんてことは、断じてあ――
「うん。好きだもん」
ったみたいです。また決め付けてしまってすいませんでしたはい。
「って! 可笑しいでしょ!」
「可笑しく無いよ。ずっと前から好きだもん」
「え? ずっと前って……?」
思いがけない言葉に、立ち上がったまま止まってしまう。
そんな僕を見て、メグは笑った。
「あなたのことは、子供の頃から知ってるよ。源(みなもと)アキラくん」
教えていない筈の名前を、メグは知っていた。
「どうして?」
詳しい話を聞こうとしていたことなんて、とっくに頭から無くなっている。
「春斗さんと美喜子さん、って言えば、もう答えたも同然だよね?」
まさかここで両親の名前が出てくると思っていなかったけど、確かにそれは答えたも同然だった。
両親は仕事の関係上、僕が小学二年になった頃からずっと外国で生活している。
何年前からか、各地を点々としていた両親はイギリスに落ち着き、そこである一家と仲良くなったことを、その年に手紙で教えてくれた。
写真も同封されていて、両親に挟まれる形で三人の家族が写っていたことを、朧気に覚えている。
思い出したことで、朧だったそれは明確な物となった。
日本人女性と英国人男性の間に居た、女の子のこと。
その家族の姓が、槙浪だということ。
黒い髪と紅い瞳を持つ少女は、確かに今目の前にいるこの子だ。
面影だって残っている。
「分かったでしょ?」
「…………分かったよ」
座りながら、溜息と同時に一言。
「確かに分かったけど、僕を好きって言うのは分からない」
「簡単。二人から、アキラくんの話を聞いて、気付いたらあなたのことばかり考える様になってた」
「それは――」
「勘違いなんかじゃないよ? だって、今日はずっとドキドキしてるもん」
「…………」
例えそうでも、それはメグの中で僕のイメージが出来上がっているからだ。
なら、結局それは勘違いでしか無い。
けど、わざわざ言わなくても、明日にでもなれば自然と気付くだろうから、話を進めよう。
「奴隷って言うのは? それも二人から聞いたの?」
「うん。奴隷になることをあなたが認めたら、その時は一緒に住んでも良いって許可も貰ってる。わたしのお父さんとお母さんからもね」
「奴隷って、人以下の存在として扱われるってことだよ? そんなこと、喜んで引き受ける人がいると思ってる?」
「え? わたしはあなたが好きです。付き合ってくださいって言う、告白の言葉じゃないの?」
「………………それも」
「うん。二人から聞いた」
ガン、と机に突っ伏す。痛みとかどうでも良い。
一体何を教えているんだ、あの両親は。
と、そこでふと気付く。
「どうして僕が分かったんだ……って、近い近い」
顔を上げると、何故か身を乗り出しているメグの顔が至近距離にあった。
ていうか、こんな近くで見るとホント可愛いな。パッチリした目と形の良い唇。通った鼻筋。
なんか……今更意識してきた。
「ぁ……ごめん」
「いや……」
若干頬を赤らめながら座り直すメグは、少しの間もじもじとしていたが、しっかり質問は聞こえていた様で理由を話してくれた。
「アキラくん、近況報告の為に、月に一度は電話を掛けるでしょ? 二年生に進級した後の電話で、美喜子さんからクラスとか席の場所とか、詳しいこと聞かれなかった?」
確かに聞かれた。
いつもは何か変わったことが無いか、体は大丈夫かと言ったことを聞いてきた後、時間があれば少し会話をする位だったのに、その時はメグが言う通り席順を聞かれ、身長や髪のことまで聞かれたから、よく覚えてる。
「それから、お姉さんに写真を撮られたことがあると思うんだけど……それも、ごく最近」
そこまで言われて漸く合点が行った。
写真を撮られたのは、これまたメグが言った様に最近。二週間程前のことだ。
寝ようとしている時にいきなり姉さんが入ってきて、写真を撮って行った。
深く考えてなかったし、考える訳も無かったけど、現像してファックスするなら、その写真は直ぐにイギリスの両親の元へ行くだろう。
予め余裕を持って転校手続きやら何やらをしていたなら、メグがこんなに早くこっちに来たのも頷ける。
「理由は分かった。けど、今日まで何処に居たんだ?」
「イギリスの家。飛行機で飛んできて、そこから直接学校に向かったの。あ、荷物は明日か明後日の夕方に届くことになってるから」
「なるほど……結局の所メグは、この家に住む訳か。まあ、姉さんもいるから、女同士の話しなんかも」
「あ、悠香さんはわたしと入れ替わる形で、あっちの学校に行ったよ?」
「………………」
最早何も言うまい。
けど、そういうことか。最近姉さんが妙に楽しそうだったのは。
そりゃ楽しみだろう。海外なんて初めてなんだし、僕の面倒を見ていないといけなかった所為で、自由な時間なんて殆ど無かったんだから。
存分に楽しんでくると良い。
「とりあえず、奴隷のことは二人がふざけただけだからな? もう言うなよ?」
「分かった。でも、返事はいつかして欲しい、かな……」
「…………いつかな。今は無理だ」
「うん、ありがと。アキラ――」
くぅ~……と、良いタイミングで小動物の鳴き声みたいな音が聞こえた。
腹を押さえて赤面しながら俯くメグ。
時刻は午後六時頃で、今から準備すれば丁度良い頃合だ。
「折角だし、メグが好きなもん作るよ。何が良い?」
「ぇ……じゃぁ、えと……オムレツがいい……半熟の」
何か恥ずかしいのか、上目遣いで言うメグ。
了解と言い、学ランを椅子に掛けシャツの袖を捲くりながら台所に向かう。
「あ、わたしも手伝いたい」
「……じゃ、お願いしましょうかね」
「うん!」
満点の笑顔を咲かせた後、セーラー服を捲くって台所に来るメグ。
今日この日、僕の日常は在り方を大きく変た。
きっとこれから先、様々なことが起こっていくだろう。
けどまあ、人生に一度の青春時代だ……残り一年半、そんな日常が続くのも良いかも知れない。
さっきのメグを可愛いと思ったのは、秘密にしておこう。