アイプラ短編集 〜Mottled Rose〜 作:黒マメファナ
どうしてこうなったんだっけ、と彼は現状を把握するために頭を抑える。カウンター席に座り、ラーメンをおいしそうに食べる隣の女性をチラリと伺い、そしてその視線に気付いた彼女がどうしたんです? とはんなりとした京都弁で訊ねてきた。
「いや……えっと、なんで俺はここにいるんだろうって」
「嫌やわぁ、まだボケるには早いと思うで」
「アルツハイマー的なやつじゃなくてな」
そのツッコミを待っていたようで、変装をしても人目を惹くその麗しい女性、元バンプロダクション所属アイドルであり現在は星見プロダクションに籍を置いている鈴村優はふふふと上品に微笑んだ。その笑顔はアイドルとしてファンに見せるものとは違った色合いを感じ、マネージャーである彼は身体の距離を少しだけ空けた。
「うち、ちゃーんとマネージャーさんに言いましたよ? 今度のライブバトルに勝てたら、ご褒美くださいって」
「それがこれか」
「そうそう」
そんな言葉に彼女の気合が入るならと安請け合いで頷いたし、直前でオフを合わせる際にマネージャーさんはどんなラーメンが好きかと優に問われてあっさり目の塩ラーメンとその時の気分で返事をした。わかりましたぁとアテがありそうな雰囲気で微笑んだ優を見送ったのに、どうしてと。
「なんで……函館にいるんだ」
「なんでってあっさり塩がいいって言ったのマネージャーさんやんか」
「都内じゃダメなのか?」
「ダメです」
ダメなのか、と呆れ気味に息を吐いた。朝早くに電話が来て、わけがわからないまま飛行機に乗せられ、そしてここがオススメなんですと慈母のような微笑みを浮かべた優を思い返し、でもまぁこれが優の言うご褒美なんだろうと諦めることにした。それに、今まで食べてきた塩ラーメンとはまた格別の透明度を誇る飲めるあっさりスープも、口の中で溶けるようなチャーシューも、スープが絡む縮れた細麺も全てが日々の疲れを癒す程の絶品なのは事実だった。
「どうです? おいしいやろ?」
「ああ、最高だ」
「やろ? そんなに喜んでもらえるんやったら、連れてきたかいがあったってもんやんなぁ」
旅費やこの後のことを考えるとその味も鈍りそうだからな、とマネージャーはラーメンの美味に現実逃避をし始めていた。ただ、優は母が知らぬ人はいない程の大女優で父がこれまた名前を知らぬ人がいない程の有名な大企業の社長という、混じりっ気なしのお嬢様であり、またこれまで彼女に振り回された経験を踏まえて、鈴村優という女の子が自分の問いになんと言い出すかは予想できていた。
「この後はどういう予定なんだ?」
「別になんも、ゆっくり観光して、両親が買った家に泊まって飛行機乗って帰るだけです」
「やっぱりか」
前例にはサニーピースの沖縄ライブの際、その日をオフにして自費でついてきた優は彼女たちに別荘とプライベートビーチを貸してバーベキューに手持ち花火で遊んだこともあった。飛行機は飛行機でも明らかにプライベートジェットだったことも、気にしないようにしていた。
「ごちそうさまでした」
「いい食べっぷりやったなぁ、スープまで全部飲んで……ふふ、うちもなんか嬉しいわ」
「おいしかった。連れてきてくれてありがとう、優」
「……なんや、えらい素直やなぁ」
アイドルとマネージャーとして色々と問題がある現状ではあるが、それはそれとしてライブバトルで頑張った優の約束をちゃんとしたいという気持ちや、ご褒美にと無心してきたのにも関わらず彼が食べたいものを優先してしまう彼女の人間性を思えば邪険にはできなかった。
「それじゃ、お忍びデートといこか、な? マネージャー……って呼んだらあかんな、ふふ」
「そうだな、名前で呼んでくれると助かるよ」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
こうして、アイドルと所属事務所のマネージャーという二人はその関係を夜の帳に覆い隠すように歩き出した。途中で優は手を繋ごうとしてくるのを払っていくがいくつかの会話の隙を突かれ、腕を抱きこまれてしまう。
「お、おい……」
「どうです? 嬉しいやろ、誰かさん、たまーにうちの胸見とるもんなぁ?」
「いや……えっとそれは」
ないわけではない、というのが本音だった。そもそも優ほどのスタイル、特にバストを持っていれば男性の視線が下を向くのは当然といえば当然なのだが、優は彼には目を見てお話してほしいですと言われていたのだった。
「すまない……気をつけてるつもりなんだけど」
「つもりじゃあかんのよ。でもまぁ、これなら見えないもんな?」
「気になるけど」
「顔見てくれたらうちはそれでええから」
肘や腕がクッションに触れているのではと思うような感触を味わいながら努めて冷静にどこに連れてってくれるんだ? と彼女に訊ねる。旅行なんてほとんどしない、行っても本当に星見市と東京の往復くらいで済ませていたこともあり、そんな日常とは違う景色に、彼は少しだけ心を躍らせていた。
「やっぱり夜景やな、夜の函館って言ったら」
「百万ドルの夜景?」
「そうです」
ロープウェイを目指しながら優はマネージャーにここで問題です、と小悪魔の微笑みを見せた。函館の景色が百万ドルの夜景と呼ばれる由来はなんでしょう、という問いかけに彼は腕を組んで予想していく。
「数字が具体的な意味はあるのか?」
「もちろんあるで」
「観光収入? いや流石にそれはないだろう……あ」
「どうしました?」
「夜景の電気代、じゃなかったか?」
その答えに優はややつまらなさそうに、なんや知っとんたんです? と肯定した。当初は神戸の六甲山からの夜景の電気代が約百万ドルであったことが由来となり、美しい夜景のことを次第にそう呼ぶことになったのだ、と優は詳しくその答えに補足をした。
「詳しいな」
「地域自慢でよぉ言われるんで、うちは絶対にえらい地に足ついた名称なんやなぁって返すんよ」
「皮肉……か?」
「もちろん」
電気代を呼ぶのだとしたらロマンの欠片もないのだが、それを敢えて地に足ついたと表現する毒に彼は苦笑いする。それにしても、と彼はそういうの疎いと思っていた優がどうして知っていたのかと首を傾げると彼はちょっとねと頭を掻いた。
「なんや、秘密ってことです?」
「いや秘密ってわけじゃなくて……昔、な」
──そこに女の気配を感じ取った優はへぇと少し冷たい目で見た。なにより星見プロに所属してからより、マネージャーである彼の過去を佐伯遥子から訊き出していた優はその人物に心当たりがあったのだ。
「長瀬麻奈さんと……えらい仲良くしてた、みたいやけど?」
「バレてるのか」
「そりゃあもう、マネージャーさんが正直者やからなぁ」
また皮肉だと苦笑いをする。そして意を決したように別にロマンチックな男女の話とかではないよと前置きをする。そもそも、アイドルとして誘われる前から想われていたと知った今だからこそ、感触すらなかったとしてもキスをされるほど想われていたはずの麻奈が生きていた二年間も、麻奈が亡くなってからの三年間も、全くロマンというかそういう雰囲気にならなかったのだから。
「あ、函館いいなぁ」
「……そんな暇ある?」
「はぁ、つまんない返し。センスないよ?」
「あのなぁ……」
それは、麻奈がアイドルとしての道を駆け抜けていく忙しい時の話。クリスマスにもライブが入りレッスン漬けで少し不満だった麻奈がぽつりとテレビを見ながら零した雑談からだった。百万ドルの夜景という単語にロマンチックさを感じていた彼はふと、なんで百万ドルなんだ? と麻奈に会話を振った。
「電気代」
「……は?」
「その見渡せる夜景ぜーんぶ合わせた電気代が百万ドルくらいしたから、らしいよ」
なんだそれ、と呆れる彼に向かってキミと同じでロマンの欠片もないよね、と笑われじゃあクリスマスらしいことはしないということでと返された麻奈は冗談だよ~といたずらっぽく笑った。その時は一年後に突然の別れがあることなど想像もしなかった温かい一時だった。
「なるほどなぁ」
「結局、イヴの夜に麻奈は実家に戻っていったけど」
「クリスマスは琴乃ちゃんの誕生日やから」
「うん」
そんな過去の話を優はそんならと降りてくるロープウェイを見上げながら敢えて全力の笑顔を彼に向けた。星見プロに集まったアイドルたちはみんながみんな、どこかで長瀬麻奈という存在に囚われ、惹かれ、そしてその影を振り切って前に進んでいった。麻奈の心臓を持つ川崎さくらも、そっくりな見た目を持つ長瀬琴乃も、ライバルであった神崎莉央も、長瀬麻奈を越えたいと言っていた天動瑠依も。そして彼女らがリーダーを務めるグループメンバーたちも。
「うちが見せてあげれてよかったわぁ」
「……麻奈はいないけど」
「ええんです、麻奈さんがマネージャーさんに見せたかった景色をうちが見せてるんですから」
見せたかったのか、見たかったのかはわからないけど。優はそんな麻奈の想いを、マネージャーの話の素振りで察知した。自分はきっと、彼の中にいる長瀬麻奈には勝てていない。きっと彼女が幽霊にでもなって出てきて一緒に来てと言われたら、自分はぽつんと一人放っておかれてしまうような気がするほどに。
「いけずやわぁ……ほんまに」
自分は生きてここにいるのに、これほどまでに好きという気持ちを表面に出しているのにもちろん、反応が面白い彼のことをからかいたいという気持ちもある。だが根本にあるのはやはり、好きな人に自分のことを見てほしいというわがままな欲求に他ならないのだから。
「キレイだな……本当に」
「ええ……キレイ、やんなぁ」
──麻奈にも見せたかったよ。その一言を喉の奥に押し込める程度には、意識されているという状況に優は精一杯の笑顔を見せた。その目尻には涙を堪えて潤んでいたのにも関わらず。まだ、チャンスはあるのだと優は強かにその想いをぶつけていく。
「頼むから寝る場所は別にしてくれ!」
「そんなん、別にええやんかぁ、うちに抱きしめられると安眠できるってすみれちゃんが言っとたんよ~」
「俺が抱き枕なのか!?」
「それとも、マネージャーさんは所属アイドルに手出すほど溜まってるん?」
「……それはない、ないけどダメなんだよ」
「なにが」
「倫理観がな」
「ええやん」
「どこがだ!」
結局押すに押し切られ、同じベッドで一夜を過ごせた優はその彼の体温と日々の疲れに眠ってしまい翌朝早く、陽が昇り始めた頃に目を覚ました。そこでやや鈍い頭を動かして目を覚ました彼をどうからかおうか、そんな風に微笑み未だ眠る彼の頬をつついた。
「だからって服を脱ぐのは本当にどうかと思う」
「朝チュンは定番やん? 幸せな目覚めだったやろし、よかったなぁ」
「よくない!」
朝からキレのあるツッコミを食らい、優はこれからも彼を好きでいられることに、彼の傍でアイドルとして活躍できることを幸せだと思った。なにより、このペースでいけばいつかは押しきれるのではないのだろうか、そう考えたことが優にとっての翼となるのだった。