三十歳の魔法少女   作:きなかぼちゃん

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10.私だって、本当は

 増殖型とはその名の通りで、子実体を放つもしくは分離増殖する魔神を意味する。

 最初に現れたのは17年前に第一次魔法少女連隊が倒した《菌糸の魔神》にまで遡る。

 

 北海道の釧路湿原に突如出現した魔神。

 いや、もしくはもっと前からそこにいたのかもしれない。

 そう推測されるほどに、何の予兆もなくそれは大地をめくり上げながら緑の湿原の中心に発生した。

 

 《菌糸の魔神》とはベニテングタケを毒々しい青に染め、そのまま巨大になったような茸だ。夜になってもちかちかと青色に輝く魔力の胞子をまき散らし輝くその様は、常世のごとくぞっとするような光景だったと都子は回想する。

 

 動かない魔神。当時の日本政府が最初に選択したのは戦闘機によるミサイル攻撃だった。

 

 だが燃やすのは逆効果だった。茸の形をした魔神は熱源を餌として子実体を爆発的に拡散し、そして魔力で編まれた青白い触手のごとく菌糸は湿原を侵食しあらゆる生命体を破滅させ始めた。

 菌糸が広範囲に拡散する前に親株を刈り取らなければならない。第一次魔法少女連隊は湿原の中心に決死の突撃を敢行し、一定の犠牲のもと親株を破壊した。

 

 それによって子実体も全て滅びたという事実だけが、その犠牲を意味あるものにしてくれた。

 

 

 

 

 一番隊の詰所の壁に設置された大きなモニターには、いくつものカメラ映像が分割されて表示されていた。新宿駅での戦いを見守っていたよぞらが短い悲鳴をあげて、隣にいる都子を助けを求めるように見た。

 

「鮎川さん、増殖型って……!」

「……卵生の増殖型なら拡散力は低い。なら代わりに生み出された増殖体の能力が高いと見るべきかな。追い込まれて初めて増殖するなら魔神の行動理念は本来そこにはない。増殖体はあくまで囮だろうね」

「みんな、大丈夫でしょうか……」

「病院送りになる子はいるだろうね」

 

 1年前のあの時のように。

 

 よぞらは視線を落として、無意識に内線電話の方を見やった。今すぐにでも出撃要請が来ることを願っている自分がいる。ぞっとした。戦うのは私ではないのに……。

 

「……出撃要請、来ないね」

 

 都子がぽつりと呟く。びくりとしたよぞらは顔を青くして都子の顔を見上げた。感情が読み取れないひどく空虚な表情。

 

 よぞらは都子がたまに見せるこの表情が嫌いだった。全ての感情を置き去りにしたような、痛みを忘れて心が渇ききってしまったようで。生気を失った瞳はガラス玉のようだった。尊敬する人にこんな悲しい顔をしてほしくない。そう思って《桜班》で働いてきたのに。

 

 思わずぎこちなく返事をする。

 

 「そう、ですね」

 

 都子の視線は相変わらずモニターに注がれていた。

 

 殆どの衝撃をバトルドレスが肩代わりしてくれているはずだが、既にひとり撃墜されている。

 そんな中で、都子はただ教え子達が必死に戦い続ける様を観察し続ける。

 

 飛び去ろうとする魔神に追いすがる魔法少女たち。アスファルトにめり込んだ卵が割れ、巨大な青い水晶玉がずるりとまろび出る。熊を一回り大きくしたような鳩のような増殖体が毒々しい青色の粘液を纏い、人間にはけして発音できない声をまき散らしながら殻を破壊した。全ての卵が次々と孵化する。亜矢の指示が飛ぶ。戦場外縁で逃げなかった一般人たちを守っていた魔法少女たちまでもが、それぞれ増殖体のもとへ突撃した。飛ばれる前に斃さなければならない。

 

 おそらくあの人数で叩けばじきに本体はやれるだろう。逃げるということはもうそれほど余力はない。

 

 問題は増殖体の方だ。

 彼女たちはレベル2の魔神までしか討伐経験がない。

 

 もしあの増殖体がレベル3クラスの力を持っていればただではすまない。

 この突発的状況でもまた上層部は『経験』で済ませるのだろうか?

 

 そうやって傷つくのを覚えることで、魔法少女たちが強くなっていくのは事実だ。

 

 戦い続けて誰よりも強くなった都子はそれをよく知っている。

 

 でもそれは本当に正しいの? 昔とは違う、こんな戦いが見世物になっている世の中で?

 

 心の中で都子は嘲笑う。

 

 あははは、めんどくせえ。私が出ればすぐにでも今いる魔神なんか殺してやるのに。

 こんなものを見て楽しんでるヤツはみんなバカだ。

 

 みんな本当にどれだけ魔神に街を破壊されても、危ない目に遭っても、最後には魔法少女たちが全てを守ってくれると思っているだろうか? 

 

 そんなことはありえない。魔法少女は全能ではない。

 

 でもそれを招いたのは私だ。確かにそれが私の願いだった。

 都子はもはや途切れ途切れになった記憶をたぐり寄せる。

 

 ひとりぼっちになってからも国の下で魔神を殺し続けた。何の憂いもないよう、誰ひとり死なないように。誰ひとり零さないようにこの国を駆け回った。

 

 嘘だ。そんなことは絶対にできない。だって私はひとりしかいないんだから。助けようと思ったって、絶対に間に合わないことはある。

 

 だからなんだ? 私がやらなきゃ人が死ぬ。

 

 わたしが、わたしが助けなきゃわたしがわたしがわたしがみんなを。

 

 間に合うとき、間に合わないとき。いろいろあった。たくさんの感謝の言葉の中に潜む怨嗟が心を蝕む。家族や恋人、友達を失った彼ら彼女らはけして私を許さない。そうでなくてはいけない。魔神を殺せるのは私だけ。みんなはもういない。わたしのせいで。逃げられない。だから感情などいらない。暗い鉄の箱に心を閉じ込める。何も考えない。魔神を殺し続ける。

 

 いったいどれくらいの間そうしていただろう。

 

 気づけばいつの間にか、都子が自ら無理だと断じた理想は実現していた。

 

 都子以外の魔法少女たちによって、魔神狩りはただの見世物と化した。

 

 なんのことはない。いつの間にか魔法少女はたくさん増えていて、ただひとりがみんなを助けなくなってもよくなった。それだけのことだった。

 

 そして現実は都合良く塗り変わる。魔神が出現すれば、下手をすれば出現する前から、どこにでも魔法少女は現れる。魔法少女が自分たちを守ってくれる。そういうものだと思い込む。魔神は偶像に殺されるためにいる害虫にすぎない。結果が決まりきったただの劇。そうでなければならない。

 

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 いくら建物が壊れようと、誰かがなんとかしてくれる。

 スクラップアンドビルド。壊れれば当たり前のように工事が始まる。

 魔神の形跡はすべて消えて無くなる。日常が戻ってくる。

 全ては他人事。無関心は極まる。そしてただの娯楽になる。

 

 そんな未来をきっと私は望んだ。だからこれでいい。

 それが薄氷の幻想であろうと、私はこの世界を守る。

 たとえ必要とされなくても。

 

 私はいつまで戦えばいいの? もちろん死ぬまで。

 

 ねえ、だから私は戦うよ。

 望まれなくっても戦うよ。

 心は冷え切っていて、もう手で触れないくらいに冷たいから。

 

 だからきっと、いつか死んだ時はみんなわたしを許してくれる?

 

 都子はよぞらを一瞥すると、虚無めいた表情のまま笑みを浮かべる。

 

「出撃します。岩村さん、司令課から何を言われても全部私のせいにしなさい」

 

 

 

 

 大通りは見たこともないほど真っ白に凍り付いて、多少まばらになったが石ころのような雹がバチバチと身体を打ち付ける。

 

「はあ、はあッ……」

 

 笹川美夢が最も優先したのは増殖体と戦うことではなく、指示された通り墜落した魔法少女を回収してこの戦場を離脱することだ。

 

『aaaaaa aaaaaaaa』

 

 だというのに。

 

 この世のものでは発音できないような声で魔神が鳴いた。

 

 視線の先ではついさっき孵化したであろう、鳩の身体に青色の大きな目玉を生やした魔神がぐるりぐるりと視神経を首代わりにして動かしながら、舐めるように上から下から、そして横から観察するように美夢を見下ろしていた。

 

 あたしはどうして、ひとりでこんな化物と戦っているのだろう。

 どうしてこうなったのだろう。

 

 後ろには気を失った魔法少女がひとり力なく倒れている。

 美夢がちょうど回収しようとした時に、狙い澄ましたかのように魔神は現れた。

 餌としてあえて捨て置かれていたのかもしれない。交信などできないが魔神にも知能は存在する。でも今の美夢にそんなのはどうでもいいことだったし、思いつくこともなかった。

 

 耳の無線からは魔法少女たちの声と司令部の指示が混線している。

 

 というのに、ひどく音が遠くに聞こえるような気がした。何か呼びかけられているような気がするけれど、それがまったく頭に入ってこない。

 

 倒さなきゃ倒さなきゃ倒さなきゃ。

 

 美夢は左手に持った拡声器を口元で構えた。

 

「ハウリング! “吹き飛んで”ぇぇ!」

《Hyper Voice》

 

 少女のものとは思えない大声が響き渡った。空間が揺れる。拡声器の口で空間がたわみ、衝撃が拡散した。

 それは正面で美夢を観察している魔神に襲いかかる。その距離わずか5メートル。

 

 口のない魔神が歌う。

 

『aaaaaa aaaaaaaaaaa aaaa』

 

 青い魔力光がきらめく。それは波動となり美夢の放った攻撃を全てかき消した。

 瞳孔を開いた青白い単眼が、何が起きたかわからないまま呆気にとられた少女を射貫いた。

 水晶体で魔力光が収束する。

 

 美夢はひどく時間がゆっくりになったような気がした。

 ようやく無線の声が鮮明に聞こえた。

 

『笹川―――上空から攻撃を―――引きつけて応援を待て―――応答しなさい』

「あ」

 

『ki iiiiiii』

 

 夜空の輝きが正面から美夢の身体を焼き焦がした。衝撃のまま吹き飛ばされて、雪と雹が混じり合った車道の真ん中に叩き付けられる。取り落とした拡声器が遠くでがしゃりと音を立てた。

 

 『バトルドレス損傷率95%。深刻な機能低下を確認。耐環境防護・耐衝撃防護が損傷。シャットダウンします。早急に離脱してください』

 

 なにがおきたかわからない。なに。いたい。たおれてる、あたし。いきぐるしい。さむい。

 

 できるだけ大きく息をする。ひどく胸が冷たい。すぐに喉から何かせり上がってくる。思わず咳き込む。ごぼりと地面に血の塊が落ちて、降り積もった雪を紅く染めた。

 

 え、これ、あたしの。

 

「なん、で……?」

 

 氷点下状態で肺に空気を大量に取り込めば肺が凍結し破れ出血しその結果吐血する。

 ただの人間であれば呼吸困難で既に死んでいる。魔法少女としての魔力が生命力に変換することで美夢の命を繋ぎ止めていた。

 

『aaaaaa aaaa aaaaa』

 

 翼を広げて魔神が歌う。グロテスクに粘液で濡れる鳥の鉤爪が、ひたひたと近づいてくる。

 

 

 

 

『薊班! 至急笹川の救援に入りなさい! 増殖体と1人で接敵しているッ!』

 

 亜矢のただならぬ声で、式部班・菫班と共に魔神の本体を追っていた三人は反転した。

 全速力で指定地点まで一直線に飛ぶ。顔に雹が当たるがそれどころではなかった。

 

『aaaaa aaaa aaa』

 

 おぞましい歌が聞こえた。

 

「やべっ! 別の来てる!」

 

 最初に気づいた希海がぐるりと宙返りして歌の元へ銃撃した。

 右から飛来した増殖体が魔力の波動を拡散し希海の攻撃を相殺した。

 

 新たに吐きだした卵から孵化したのか。

 優子が大槌を構えた。

 

「くそ、コイツ倒さないとっ」

「でも笹川さんが!」

 

 指定地点の方を日菜乃は見た。開けた場所のおかげで見えた。大通りの真ん中で力なく倒れている魔法少女がふたり。その片方にゆっくりと近づく増殖体がいた。日菜乃の全身が怖気立った。

 

 思わず優子と希海の後ろ姿を見る。振り向いた希海と目が合った。

 

「こりゃいったん分かれるしか―――ってぇ!? ヤバ」

 

 『kiiiiiiiiiiii』

 

 魔力光が収束した。攻撃が放たれる。

 

 優子が増殖体に大槌を振りかぶり、希海が水色の銃弾を放った。

 わかっている。こいつを放置することはできないし振り切ることもできない。

 

 じゃあ他に誰が?

 

 ねえ! 誰か、誰か、あの子を助けて。

 このままじゃ死んじゃうよ……。 

 ねえ、お願い。

 

 お願い!

 

 日菜乃は焦りのまま周囲を見渡した。

 視界には戦っているふたりの姿だけがある。

 

 本当はわかっている。

 今いけるのは私だけだ。

 いつもふたりの後ろで戦わず逃げてばかりの私だけ……。

 

 どうすればいいの。

 私は戦えない。

 サポートしかできない。

 

「う、ううう」

 

 本当に?

 ねえ、本当にそう?

 役に立たないって言い訳して、何もかも諦めて、私は本当にそれでいいの……?

 

 違う、私だって、本当は

 

「うあぁぁああ」

 

 日菜乃は恐怖を覆い隠すために叫んだ。

 ひどく情けない声だった。そして魔法少女が飛べることに初めて感謝した。

 地に足がついていたなら、きっと震えて歩くことすらできなかっただろうから。

 

 ただ飛ぶ。東雲さんと登坂さんの声が聞こえる。何を言ってるのか聞き取れない。

 絶対にやらせない。私が、私がっ! しっかりしろ!

 

 増殖体と倒れ伏した美優の間に日菜乃は躍り出るように着地した。その拍子に帽子が取れてぱさりと雪の上に落ちた。

 

 雪を踏みしめる足ががくがくと震える。

 それでも杖を目の前に構えて、泣きそうな顔で魔神を睨み付ける。それに呼応して、青白い単眼が日菜乃の姿をぎょろりと見据えた。

 

 心臓が締め付けられるような恐ろしさがこみ上げる。

 日菜乃は今初めて気づいた。これが優子と希海が見ている景色なのだと。

 

 敵の注意を引いて逃げ回っていた私とは違う。魔神を倒す魔法少女たちは、いつだってこんな風に魔神と向かい合っていたんだ。

 

 凄いよ。いつもこんなふうに戦ってたんだね。東雲さん、登坂さん。

 出撃する前に言ってくれたこと、嬉しかった。

 でもね、だからこそ私も……きっとふたりに追いつきたい。 

 

「逃げて」

「ぇ……」

「逃げてぇッ!」

 

 死ぬほど怖かったけれど、それでも声だけはちゃんと出てくれた。

 

 日菜乃はありったけの力を込めて増殖体にビームを放って魔力を奪い取り始めた。

 違和感を覚えた増殖体がむずむずと身体を震わせた。そして日菜乃は走り出した。

 

「うわああああっ」

 

 そしてそのまま杖を振りかぶって、一ツ目が浮かび上がった目玉に殴りかかった。

 

 魔法少女になる前、杠日菜乃はどこにでもいる普通の中学生だった。

 家族との仲はよく、暮らしにも困っていない。友達もそれなりにいて、勉強は退屈だけれど学校は楽しい。そんな風に何不自由なく生きてきた。

 

 魔法少女になりたいなどと思ったことはない。痛いのも怖いのも嫌いだ。

 

『間違っててもいい。戦闘中の自分の行動には必ず理由付けをしなさい』

 

 都子が言っていた言葉を日菜乃はふと思い出す。

 

 直接戦う力もない私ひとりに何ができるんだろう。だから間違ってるのかも知れない。

 でも、それでも、人として正しいことをしたい。

 

 魔法少女に選ばれたのは高校も決まって入学する直前のことだった。

 その時、家族にはとても心配された。大人しい私が魔法少女やるなんて絶対に無理だって。

 

 私のことをよく分かってると思う。

 なんだかおかしくなってくる。そんな私が、魔神と今初めて戦おうとしている。

 

「ひなひな! 今行く、からッ!」

「登坂ッこいつはわたしがやる! あんたは杠さんを!」

『kiiiiiiiiiiii』

「ウソでしょ……まだいるの!?」

「くそっ、どんだけ卵産んでんだよッ」

 

 無線で優子と希海が叫ぶ声が聞こえる。

 

 日菜乃は増殖体の青い目玉を勢いよく殴りつけた。

 魔神すら予想できぬ攻撃だったのだろうか、果たしてその捨て身の攻撃は成功した。

 むき出しの神経を傷つけられた増殖体は、バチバチと魔力光を線香花火のように拡散し目玉を振り乱しながら苦しみの声をあげた。

 

『giiiii iiiiii』

 

 日菜乃は荒い息を吐きながら、杖に寄りかかって目の前の敵を見据えた。

 

 勝手に離れてごめんね、ふたりとも。 

 私にはこのくらいのことしかできない。

 それでも、人の命を助けることはできると思いたい。

 

 そうであってほしい。なんで、どうして、なんて言いながら俯くのは終わりにしよう。

 

 初めて魔法少女になった自分のことを好きになれる気がした。

 

『aaaaa aaa aaaaa』

 

 増殖体が大きく翼を広げ、目玉を上空に向けた。

 何か攻撃を仕掛けてくるのだろうということは日菜乃にもわかった。

 でも、それが何なのかわからない。

 

 いま魔力を吸収したところで焼け石に水だろうか。

 それならわたしにできるのは、あいつを殴りつけることだけだ。

 とても怖い。攻撃されたら、きっととても痛いんだろう。でも、諦めることはしたくない。

 

 日菜乃は杖を構えて走り出そうとした。

 

 左肩に手を置かれたような感触があった。気づくと横を黒い風が抜けていった。

 

「よく頑張った」

 

 そんな声を聞いた。

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