震えながら魔神に向い合う杠さんを見て、素直に羨ましく思った。
ああ、わたしもあのとき、そんなふうになれたらよかったのに。
※
増殖体に正面から迫る都子の左足が鞭のようにしなり、空を蹴った。
触れてもいないのに増殖体の視神経が切断された。地面に目玉が落下する前に目と鼻の先まで突撃する。雪に触れる寸前に水晶体の単眼が都子を捉えた。身体をひねって瞳に向かって踵を突っ込む。ボギョアと肉が潰れる音。飛び散る青い体液。突き刺さる足。
『aaaaaa a a』
「ふうん、死んでるのに声が出せるの」
低い声で囁く。水晶体がねじ切られるように爆散した。
その時、都子の足を中心に小さな風が渦を巻いて景色が揺らめいているのを日菜乃は見た。鳩の身体が倒れ伏してびくびくと打ち上げられた魚のように痙攣する。都子は右手をかざす。白い雷が瞬いた。爆竹のような音が炸裂して鳩が一瞬で黒く焼け焦げて沈黙した。
呆然と見守っていた日菜乃と都子の目が合う。
日菜乃は怖気立った。ガラス玉みたいに何の感情もない瞳がこちらを見据えていた。
あの時、教室で優しく語りかけてくれた先生じゃない。人の形をしただけの何か違うものがそこにいた。
吐き気がするほど香ばしい焼けた臭いが辺りを鼻をつく。
「杠さん、笹川さんと朝永さんの応急処置をお願い。あとは司令課の指示に従って」
返事をする間もなく都子はぐっと膝を曲げると垂直に飛び上がった。
日菜乃はそれをただ視線で追うことしか出来ない。大通りを曲がったビルとビルの間の空中、優子と希海が増殖体と2対2で戦っているのが見えた。
飛び上がり上昇中に大気を蹴り直角に曲がり、都子はさらに空気を蹴りつけ疾走する。慣性も重力も無視した人体に耐えられない動きをしたところで魔法少女の肉体は軋まない。
優子の大ぶりな攻撃はひらりと飛び回る増殖体に避けられてばかりだ。
小型とは言え大きな熊ほどの大きさはあるというのに、体躯に比べてすばしこい。
「ああっ、こいつら速くて全然当たんない!」
優子は思わず舌打ちする。杠さんを助けないと。今すぐにこいつら倒して。くそくそくそ。
ダメだ冷静になれない。
『aaaaaaaaaaaaaaaa』
増殖体がひときわ大きな声で鳴いた。
優子はかまいたちのごとく刃のような何かが鳩の翼を切断したのをかろうじて見た。
翼が生えていた根元から青い血を吹き出し、増殖体がバランスを崩し道路へふらふらと墜落する。
希海と魔力の撃ち合いをしているもう1体の方を見た。瞬間、同じように翼が根元から切断された。
「杠さんの方は片付けた。東雲さん、登坂さん、あとは頭を破壊しなさい。そうすれば止まる。できるね?」
「えっ、は、はいっ」
ふたりして声の方を見やる。突然現れた都子に返事が出来たのは優子だけだ。そして都子は一瞬で飛び去りいなくなる。希海は墜落して苦しむ増殖体たちを見下ろしてドン引きしている。
「……ヤバぁ、今のどうやったん?」
「っそれよりあいつら倒すよ! 登坂!」
「それはそう。パパッとやってひなひなのとこ行こうぜぇ。あー、流石のあーしでも今回はヤバイと思ったよ」
希海はぼやいてキャスケット帽に巻かれたゴーグルの位置を直した。両手に銃を構えて優子の背中を追う。
増殖体には魔力攻撃を打ち消す力があるようだが、機動力を失えばそれほどの驚異ではないことはわずかな戦いの中でなんとなく察していた。
『《桜班》出撃しています!』
『……通信は可能?』
『その、技術課からも連絡がなく……おそらくランディングを通さず出撃したものかと……』
『でしょうね』
亜矢のひどく低い声が無線から聞こえた。完全に都子は命令違反を犯しているということになる。希海はそこまでして出撃してくれた都子に心の中で感謝しつつ、こうも思った。
ああ、あーしたちって、普通に弱くて守られる側なんだなあ。
なるほど、魔法少女ってのは確かに
※
魔法で練り上げられた異常現象に理屈などない。
Aランク魔法《暴風》。大気を支配し自在に風を起こす力。
Bランク魔法《神速》。大幅な脚力の強化。それは鋼すら一撃で叩き折るほどの出力を持つ。
《暴風》と《神速》の同時発動による風の鎌。都子はこれを
いわく、足で空を斬り裂くように発動するから。だがその感覚は都子以外の誰にもわからない。
複数の魔法を束ね合わせた埒外の戦闘術である。
本来、都子に武装など必要ない。
わざわざ魔法庁のランディングを通して出撃準備をすれば技術課に気づかれるので、今着ているのはいつもの動きやすいパンツスーツに、上は半袖のブラウス。
つまり着の身着のまま詰所の窓から出撃してここまで飛んできただけだ。
効率よく魔神を殺すためであればレールガンのような武器は使うが、必要以上の防御力は不要だったのでバトルドレスなど着たこともなかった。
都子が普段戦う時に纏っている、身体に吸い付くような黒いスーツは動きやすさを追求した『服』でしかなく、バトルドレスのように特殊な機能が備わった『装備』ではない。
それでも氷点下のような異常環境で何事もなく行動できるのは《暴風》の大気操作によって、外気が身体に触れるスレスレの限りなく小さな空間を都合良く改竄しているからにすぎない。
魔法庁がまだ成立する以前から都子はその能力だけを頼みに戦い続けてきた。死んでいった仲間の力であらゆる魔神を駆逐する怨念と未練の化身である。
都子はぎょろりと目を瞬いた。増殖体を含めた全ての魔神と魔法少女たちの居場所を一瞬で脳に焼き付ける。Bランク魔法《遠見》の能力。障害物など問題にならない。それはあらゆる『壁』を貫通して必要とするものを暴く。
都子は縦横無尽に新宿を駆け回る。増殖体と戦う魔法少女たちをフォローしながら、野放しになって封鎖区域内を出ようとする増殖体を確実に切り刻み焼き焦がし殺していく。増殖体が向かってきた方向へ向かえば、やがて真っ白になった新宿御園の上空へ。
『AAA……aaaaaAAAA ァaaa』
100m近い巨体が空で暴れながら無差別に魔力の束を放つのが見える。
荒々しい羽ばたきが吹雪を呼び起こし、視界が全く安定しない。
その周りでは式部班と菫班、4人の魔法少女が魔神の最後の抵抗を受けつつ戦っていた。
視界不良と吹雪、そして魔力光の嵐に煽られて決定打を撃てない状況が続いている。
薊班の3人が加われば既に戦いは終わっていただろうけれど、人数が少ないのもあり決め手に欠けている。
都子は一瞬だけ考えた。このまま任せた方がいいか?
「効率悪いな」
この魔神はレベル4の規模にしてはそれほど強くはないが、これ以上長引かせると必要の無い事故を生むかもしれない。生徒達の成功体験よりも、心と体に消えない傷を残す方が可能性の方が高まる。それは良くない。
こいつを自分たちの力で倒したいのなら、もう少し強くなければいけない。
でも、そんなことはしなくてもいい。無事20歳を迎えて、みんな日常に戻ればそれでいい。
どうしようもなく強いやつが現れたら、そいつは全部
いつだって、18年前からずっと、わたしたちはそうやってきたのだから。
都子は目を閉じた。自分自身の身体を広げるイメージを構築し、再び目を開く。
すると周囲に、都子自身と全く同じ姿をした人影が5つ現れた。
Cランク魔法《空蝉》。シンプルに自分の分身を5体まで作る力である。
出現させた分身は、強い命令をしなければ能力者の思考に合わせてオート行動を行う。自分から一定の距離まで離れると自動消滅するので、単体では使い勝手がそれほど良い能力ではない。
しかし、この能力の真骨頂は都子が使用することで『複数の魔法を持つ魔法少女を複製できる』という所にある。
都子は分身とともに戦場へ突入した。
それにいち早く気づいた式部班の魔法少女たちが声をあげた。
「はっ、センセーよぉ! 今回はアンタの出る幕じゃねえって。漁夫の利なんてセコいことはやめてくれや。レベル4はあたしら式部班が獲る!」
「そうかも? そうかもそうかも〜」
「いいや、残念だけど私が来た時点で
都子は心中で命令した。
魔神を囲んで全員同時に《停止》を発動させろ!
本来の《停止》の発動範囲は直径50m程度で、とても体長100mを越える魔神を捕らえることは出来ない。しかし同じ能力を持った魔法少女が5人同時に能力を発動すれば、その効果範囲は直径200mをゆうに越える。
《空蝉》の役割とは、同じ魔法を同時に発動して行う
新宿御縁の上空に巨大な半透明の球体が出現した。
その内部であらゆる時が止まる。降りしきる雪も、冷たい風も、暴れる魔神も、戦っている魔法少女たちも。全ての時が停止した。その中で動けるのはその発動者ただひとり。たった10秒の静寂。
都子の左手の中で死が編み出される。凝縮した《雷電》と《暴風》を同時に掛け合わせた闇色の魔力体。
都子はこれを「消しゴム」と呼んでいる。
擦るように触れれば全てを跡形もなく分解して無かったことにする。
この世にあるものを世界から完全に消し去る、魔神であろうと関係ない『存在』を否定する力。
なぜそんな現象が起きるのか解析できない。都子自身ですら知らない。感覚だけでそんな力を振るっている。あまりに危険すぎるため、本来であれば魔法庁長官の承認が無ければ使用を禁じられている力だった。
「消しゴム」を使うのは何年ぶりだろう。
今の都子には出撃命令は下っていない。
最初から命令になんて従ってない。だから使うことにした。
何に向けたものか、都子にとってそれはささやかな怒りだった。
都子は魔神の頭部へと飛び上がる。人の身体をゆうに越える巨大な水晶体の中には、宇宙の向こう側に在る青白い夜空の光が瞬く。魔神の頭から生えていなければオブジェのようにも見えるかもしれない。
都子はテニスボール大まで大きくした闇色の球体を水晶体に突っ込んだ。紙くずの山に手を突っ込むかのように、何の抵抗もなく都子の手は奥に沈んだ。「消しゴム」が手当たり次第に水晶体を分解しているからだ。
残り3秒。
都子は「消しゴム」の時間を《停止》に同期させた。
これで《停止》が解除されるまで「消しゴム」は効果を発揮しない。
水晶体から腕を抜き取る。
残り2秒。
その場から離れる。周囲の魔法少女たちの立ち位置を再確認。
残り1秒、0秒。
「砕けろ」
『 』
人間がけして聴いてはいけない、命が壊れるおぞましい音が響いた。
空間が歪み黒い光が魔神の水晶体を捻った。そのままギュルギュルと歪んだ円を描き急速に小さくなり圧縮され点となり完全に消滅した。
魔神は断末魔をあげることすら許されずに死を知覚することもなく死んだ。
魔神の身体がひとたび大きく羽ばたき痙攣すると、急速にに力を失い森に墜落した。森を元に回復するにはどれだけの月日がかかるだろう。
周囲で戦う魔法少女の誰もが口をつぐむ。8人がかりで戦った、いや、増殖体と戦った者も含めれば10人をゆうに越える。それだけの魔法少女がいても、及ばない。
世界で最も有名な魔法少女、鮎川都子。
知っているつもりだった。近くで見てきてもいた。
でも、それでも、最強の魔法少女とはこれほど恐ろしいものか。
都子はそれぞれの魔法少女たちを見渡しながら静かに口を開いた。
「戦闘は終わり。あとは司令課に従って帰投しなさい」
雪は止み始めた。夕日は沈み、いつもと変わらない夜がやってくる。
※
新宿駅前、高層ビルの屋上。
まだまばらに雪が降る中で、新宿御縁を見つめる1人の少女がいた。
「やれやれ、多少は犠牲を出すかと思えば、魔法少女? だっけ。あいつら1人も死なないなんて。こちら側の連中っていうのは本当に強いのね」
そう肩を竦めて残念そうに呟く。対してその口元は気色に満ちたひどくアンバランスなもので、少女らしい幼さが欠落していた。
「くすくす。楽しい『祭り』だったわね。これから会うのが楽しみ。ねえ、
少女は踵を返して歩き出した。
その見た目は白いセーラー服を纏った、黒髪を左右でおさげにした中学生の少女でしかない。でも街を歩けば彼女の日本人離れした青白い瞳に気を取られる者もいるだろう。
その奥に渦巻くのは常人では知覚できぬ、暗黒の夜空の果てに瞬く輝きである。
魔神は己に名など付けない。
生物の在り方が全く異なる『向こう側』において、そんなものは何の意味も持たない。
だが今、彼女は『こちら側』で『摂津葵』と名乗っていた。
それはかつてこの身体の持ち主であった『魔法少女』なる、彼らに限りなく近い在り方を備えた生物の名前である。
「今日は何しようかしら、ボーリング? カラオケ? ケーキ食べるのもいいなぁ。本当に『こちら側』は面白くて飽きないね。いくらでも面白いものがあるのに、どうして『こちら側』の連中は命の危険を冒してつまらない殺し合いを見ているのか? 理解できない。素晴らしい。わからないことばかりで楽しいわ」
そうして人間のふりをした魔神は文字通り景色に溶ける。
封鎖区域の境、ビルの中や地上の大通りでは、様々な人間が今もまだ外に向けてスマートフォンを向けている。「終わった?」「まだかも」なんて話し合いながら。
検問付近では魔法少女に取材しようと待ち構えているメディアのアナウンサーやカメラマン、新聞の番記者らしき人間がひしめく。
戦場を劇場に演者のごとく踊る。魔法少女も、魔神も。そして人も。
《停止》
能力ランクはA
第一次魔法少女連隊隊長、静ヶ原萌花の能力。
自分を中心に半径50mの円状範囲に透明なドームを形成し、その内部にいるものの時間を10秒間だけ停止させる。発動者のみドーム内で自由に行動でき、自分の所有物として認識している物体に関しても自由に使えるが、逆に《停止》状態を同期させることもできる。
《遠見》
能力ランクはB
第一次魔法少女連隊副隊長、与座ゆかりの能力。
遮蔽物を貫通する千里眼。数百キロ先の景色まで見通せる能力だが、サーチ能力が備わっており「自分の探したいもの」の位置を立体的に把握し実際に見ていなくてもリアルタイムで観察することが出来る。距離があまりに遠いとサーチ能力の確実性は比例して失われる。
《神速》
能力ランクはB
第一次魔法少女連隊、岸梨里奈の能力。
脚力を強化する。その一撃は鋼をへし折り、コンクリートや岩程度であれば粉々に日粉砕する。走力も人間を超越しており、魔法少女の通常飛行よりも速く駈けることが可能。
《空蝉》
能力ランクはC
第一次魔法少女連隊、甲斐紬の能力。
質量のある分身を創り出す能力。同時に創れる分身は5体まで。分身はオート操作で発動者の思考にあったそれぞれ別の動きをするが、思考命令により全く同じ動きをさせることもできる。本体と分身の距離が離れすぎると自動的に分身は消滅する。