鮎川都子の出撃回数はここ数年で減少の一途を辿っている。
後進の魔法少女の育成のため、出撃機会を若手に優先して与える。ということになっているがそれは建前である。
世間は若い魔法少女を求めている。
必要なのは煌びやかなバトル・ドレスを纏った美少女が、ヒロイックに魔神から街を護る姿だ。
時には苦戦しながら魔神に立ち向かうその姿こそがドラマチックなエンターテイメントとして消費される。
一方で、美人でもない地味な三十路女が魔神と戦ったところで面白く感じる人は少ない。
鮎川都子は最強の魔法少女だ。
30歳になっても魔法少女を続けているような女だ。最強でなければおかしい。
だからこそ、都子の戦いはつまらない。
魔神を圧倒しすぎて、見ていてつまらない。
自分が陰でそう囁かれていることを都子はよく知っている。
それでもこの国の平和が保たれているなら、大したことではない。
※
魔法庁庁舎3階、動きやすさだけを追究したような地味なパンツスーツを着た都子は広い殺風景な廊下を歩き、やがてひとつの扉の前で立ち止まった。
サインプレートには「魔法少女一番隊《桜班》」と描かれている。
ここが魔法少女としての都子の職場である。
扉を開ける。
「岩村さん、おはよ」
「鮎川さん、おはようございますー」
時刻は午後8時を回っている。
24時間稼働を続ける不夜城こと魔法庁では、どの時間に出勤しようと挨拶は「おはようございます」が通例だ。
魔神はいつだって突然現れる。
詰所の奥でデスクワークをしていた女がノートパソコンから目を離して、都子にニコリと笑いかける。さらりと整えた長い黒髪に赤縁の眼鏡がトレードマークの職員である。
魔法少女一番隊《桜班》はふたりしかいない小さな部隊だ。
隊長に鮎川都子。そしてこの岩村よぞらはたったひとりの隊員だった。
都子の顔を見たよぞらが「ん?」と訝しげな表情を浮かべた。
「……鮎川さん、なんか調子悪いですか?」
「えっ」
「なんか疲れた顔してる気がします」
マジで? 都子は言われるがまま部屋の壁に備え付けられている鏡を見た。
いつも通りの自分がそこには写っている。
ふと思うと、最近、調子がいいと感じたことがほとんど無い。
もしかするといつも調子が悪くて気づかないだけかもしれない。
こうして人は病気になるのかな、なんて都子は他人事のように思った。
「ごめんわかんないかも。でも今日の昼は胃が痛かったな」
「ああ~、学校の先生って激務っていいますもんね」
「いや、まあ私は教員免許持ってないし、真似事みたいなものだからさ。このくらいで調子悪いなんて言ってたら……」
そこまで言うと、よぞらの表情がキッと鋭くなった。
あっ間違えた。都子は後悔した。
「ダメですよ! そうやって我慢してたらいつの間にか変な病気になっちゃうんですから。そもそも鮎川さんは不摂生すぎです! 忙しくても最低6時間は寝てくださいね。あとストレスで身体バキバキになったときはマッサージとか岩盤浴とか結構効きますよ」
「どこにそういうのあるか知らないし……」
「じゃあ私が今日予約して道も説明するので仕事終わったら行ってきてください」
「そこまでしてもらわなくても……」
料理なんてからっきしでほとんどいつも外食だし、確かに不摂生の自覚はある。
それでも都子は若干引いていた。
「いえいえ。この程度お茶の子さいさいですよ。一番隊隊員として、鮎川さんには健康でいていただかないと困りますからっ。それに鮎川さんはこのくらいしないと絶対に行ってくれなそうですし?」
よぞらは有無を言わせぬ笑顔を浮かべた。
お茶の子さいさいは若者が使う言葉ではない。
都子から見て、岩村よぞらは丁寧で気配り上手な女だった。
おせっかいとも言う。
話すときはいつだってにこやかだし、都子に怒る時以外不機嫌な時は見たことがない。
なにか仕事を頼んだりしても嫌そうな気配は一切見せない。
いや、実際には色々と思うところもあるんだろうけれど、ただそれを全く仕事上で見せることがないのだ。
たまに都子も無理していないかと聞くことがあるけれど、その度に、
「いえ、一番隊の隊員として鮎川さんの魔法少女のお仕事を円滑に! 気分良く! やりやすく! サポートするのが私の役目ですので! それに鮎川さんには私、いつも良くして貰ってますからお気になさらず~」
なんて元気に宣言しながらくすりと笑うのである。
年下なのに私よりよほど人間できてない? なんて、都子はたまに自己嫌悪に陥る。
魔法少女の詰所に配属されてはいるが、よぞらは魔法少女ではない。
姉が魔法少女だったのがきっかけで魔法庁で働くことを志したという。
魔法少女の親族が魔法庁へ入庁するケースは珍しい。
今でさえ危険は減ったが、魔法少女は命がけでやる仕事だ。
例えば魔法少女に危険が迫ったとしてその時、家族としての立場を越えて冷静な判断を下せるだろうか?
そういった判断力も厳しく審査されるため、魔法少女の親族が入庁するのは難しい。と都子は人事部の採用担当から話を聞いたことがある。
岩村よぞらはかつて殉職した魔法少女の妹である。
姉を失ってなお、なぜその原因である魔法庁で働こうと思ったのか。
よぞらがこの詰所に配属になって2年が経った今も、その理由ばかりは都子はいまだ聞いたことがない。
都子が自分のデスクに付こうとした瞬間だった。
ウウウウウウウ、けたたましい音でサイレンが鳴る。次いでスピーカーから副司令官の凜とした声が響いた。
『奥多摩湖空中に巨大な魔力反応を検知。レベル3の《魔神》と推定。都内巡回中の十三番隊《薊班》および庁内待機中の一番隊《桜班》はただちに急行・出撃してください。繰り返す。奥多摩湖空中に―――』
「隊長! 久しぶりの出撃ですね!」
よぞらは勢いよく立ち上がった。
最近出撃命令が減っていたことを気にしていたらしい。
実際のところ、レベル3の魔神で都子に出撃命令が下るのは珍しい。
その程度の魔神であれば、普通であれば都子にお鉢は回ってこない。
湖の上での空戦になるから念のためのバックアップだろうか。
それとも山の中の戦いだから、
なんとも嫌な考え方をするようになったものだと都子は自嘲する。
どちらにしてもマッサージも岩盤浴もお預けのようだ。
※
魔法庁9階外壁の、外にせり出すように不自然に存在する、巨大な屋根付きの屋外ラウンジのような外部空間は《ランディング》と呼ばれる魔法少女出撃用のスペースである。
そこには何に使うのか分からない巨大な機械に繋がったパソコンがところ狭しと並んでいて、まるで曲がりくねった廊下をみているようだ。
その隙間隙間を大勢の技術系職員が歩き回っていて、凄まじい喧噪を極めている。
ランディングの尖端の出撃ポイントで、身体にぴっちりと張り付く黒ずくめのスーツを纏い、深い緑色のジャケットを羽織った鮎川都子は生ぬるい風を感じていた。
その姿は未来のサイエンス・フィクションに登場するサイボーグ兵にも似ている。
間違ってもこの姿から『魔法少女』という言葉は連想できない。
それでいい。と都子は思う。
そもそも少女なんて歳でもないんだから。
眼前には所狭しと灯りに包まれた東京の夜景が見えている。
魔神の出現をよそに、この街は平和そのものだった。
都子は一息吐くと、ジャケットの胸ポケットから折りたたんだ1枚の古びた写真を取り出した。
その中に写っているのは10人の少女が並んでいる集合写真だ。
笑顔でピースして笑っていたり、変顔をしていたり、硬い表情のままだったり、10人は思い思いの表情をして写っていた。
そして真ん中付近で両肩に手を置かれてぎこちなく笑う、短く髪を切りそろえた小柄なちんちくりんがちょうど18年前の鮎川都子である。
第一次魔法少女連隊《桜》。
写真の中にいるその10人はかつてそう呼ばれた。
20年前、突如この世とは別の法則で成り立つ高次元暗黒より飛来した《魔神》によって、世界は滅亡の危機に瀕した。
銃弾どころか爆撃もミサイルも効かぬ、核兵器すら耐え抜くその怪物に文明は為す術もなく破壊されていった。日本もまたその例外ではなかった。
魔神の進撃は人類が滅亡するまで止まらないと思われたが、ある時いくつもの偶然と奇跡が重なった結果、日本国は一体の魔神を討伐することに成功する。
それは今では取るに足らない雑兵のような力しか持たない魔神だったが、魔神への対抗策を持たない当時の常識ではまさしく奇跡だった。
そしてその死体を研究することで人類は《魔法》という神秘の対抗策を得た。
―――この《魔法》を使いこなせる適正を持った人間を探し出せ!
そうして、ほぼ全ての国民が適正検査を行った結果、今すぐにでも魔神に対抗できるだけの強い適正を持つ人間が確かに存在した。
その数、僅か10名。
その全てが成人もしていない少女であった。
出身地も年齢もバラバラ、ただ《魔法》を使う強い適正があるという理由だけで集められた10人の少女。
敵は何もかもが未知。国土は荒廃し、国からのサポートもろくに期待できない。物資も足りなければ情報も足りない。
死ね、と言われているようなものだ。
魔神に対抗できる、かもしれない。というそれだけの僅かな可能性をたぐり寄せるために、戦いなど知らぬ少女たちは死と隣り合わせの戦場に赴く。
反対する者は、いなかった。
反対できなかった、と言い換えてもいい。
それほどに、人類の滅亡は目の前に迫っていたからだ。
たとえ子供であろうと、魔神を滅ぼせる可能性があるなら。
国民はその少女たちにただ祈った。
イヤだ、とは言えない。
内心死ぬことへの恐ろしさしかなかったが、都子もそんなことは口が裂けても言えなかった。逃げ出したら人類が滅亡することは、当時12歳だった都子もわかっていた。
傷つく覚悟などない。死にたくなんてない。
それでも、戦うしかない。
そうじゃなきゃ、家族も友達も、みんな死ぬ。
自分の運命を10人の少女全てが理解し、受け入れていた。
ある者は悲壮な覚悟で。
ある者は英雄的な勇敢さで。
ある者は無限の好奇心で。
《魔法》を使う少女。
すなわち魔法少女。
少女たちを戦いに向かわせるのだから、せめてその名前くらいは可愛らしく、なんて説明を聞いたとき、ひどいネーミングだとみんなで笑いあったことを都子は覚えている。
そうして彼女たちは第一次魔法少女連隊《桜》と名付けられ、魔神へ戦いを挑んだ。
―――そして数えきれぬ魔神との戦いで、そのうち9名は殉職。
18年が経った今、その生き残りは鮎川都子ただ1人である。
都子は左腕にきつく巻いた腕章に右手を当てた。
そこにあるのは鈍く金色に輝く、傷だらけの桜の紋章。
18年前から共にある、第一次魔法少女連隊の証である。
「静ヶ原先輩、ひまさん、ナナさん、まゆこちゃん、つむぎさん、りなさん、ゆかりさん、早紀先輩。みんな、今日も私に力を貸してください」
都子は祈るようにして呟いた。
それは既にこの世を去った大切な人たちの名前だ。
出撃するときはいつだってこうやって思いを馳せる。
第一次魔法少女連隊は今もここにある。
ただ一人だけになろうと、みんながいた証を消し去るわけにはいかない。
「隊長、お気を付けて!」
隣ではよぞらが緊張した表情で都子を見ていた。
いや、一人ではなかった。そう思うと、少しだけ心が軽くなる気がした。
「バックアップは頼むね」
「はい!」
頷き合うと、都子は耳元のインカムに向けて叫んだ。
「一番隊《桜班》鮎川、出撃します!」
都子は跳躍した。黒き影が飛翔する。