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鮎川都子は魔神を倒すためにそれ以外の全てを削ぎ落としたような女だ。
小学6年生の頃に魔法少女として徴用されて以降、18年間魔神を倒すことしか考えてこなかった、そんな人間である。
考えられなかったと言い換えてもいい。
書類上では中卒になっているが実際のところ都子は中学校に通ったことがなく、つまるところ小卒ということになるのだった。
普通の人間にはあるはずの学生時代の思い出があらかた抜け落ちているのだ。
友達同士でたわいのない話をしたりとか、下校後に遊びに行ったりとか、部活を本気で頑張ったりとか、そういう経験をしたことがない。
だから、年頃の女の子に対してどう接すれば正解なのかがわからなかった。
(生徒のメンタルケアかぁ……)
空が赤らんできた夕方、放課後の人気のない教室。
机を挟んで向こう側に座り、遠慮がちに表情を伺っている杠日菜乃の顔を見ながら、都子は心の中で肩を落とした。
この状況で、何を言おうか迷っている。
本来こういうことは魔法庁の産業医が担当するものだが、魔法少女たちの教官を始めてからというもの、よほど深刻でなければ魔法少女達の相談を受けるのも都子の役割だった。
魔神に喰われかけるのが深刻でない、という魔法庁の判断の是非は分かれるところである。
「杠さん、まず昨日は遅くまで魔人の討伐、お疲れ様。えっと、その後は」
よく眠れた? なんて口から出かかったのをすんでのところで止める。
死ぬかもしれない、なんて体験をしたのによく眠れるわけがない。
自分の感覚がだいぶ前からおかしくなっていることを都子は自覚している。
「……その後、何か体に異常とかはない?」
「あ、特には。先生に助けていただいたおかげで、その……食べられずに済みましたし。鮎川先生、ほんとうにありがとうございました」
日菜乃はいつものような落ち着いた声音でそう答えた。だがその顔はやや暗く、やはりどこか無理をしているようにも見えた。
大事故にはつながらなくとも、戦いの中で迫り来る死を感じた魔法少女が、その後恐怖で足がすくみ戦えなくなるのはかつていくらでもあったことだ。
魔法少女の死亡事故が起こらなくなった時代とはいえ、《魔神》は膨大な魔力を持ち文明を破壊し人間を殺す怪物である。
本来ならそんなものと戦って、恐怖するなという方がおかしい。
「かしこまらなくても大丈夫。ただ、魔神によっては討伐したと思っても死んでないことがたまにあるの。昨日みたいなことは頻繁にあるわけじゃないけど、これからは討伐してからも引き渡しまで気を抜かないでね」
「ごめんなさい、授業でそういう魔神もいるって教えてもらったのに。ほんと私、なにやってんだろ。あはは」
日菜乃は自分を責めるように力なく笑った。
授業で教わったからといって、実際にそのケースに出会った時に適切に対処できるわけではない。ということは都子もよく分かっている。
都子は日菜乃を安心させるように微笑んだ。
「こういうのはね、戦わないと分からないことだよ。そうやって私も戦い方を覚えてきたから、気にしないで切り替えていこう」
杠さんもこれから危険な目に遭って私みたいに色々覚えていけばいいよ。
そんなひどい言葉が勝手に頭に思い浮かんだ。
やっぱり自分は戦いすぎて頭がおかしくなったのかと都子は思う。
誰が嬉しくてそんな危険な目に遭いたいのだろう。
魔法少女になれて人気アイドルのような立場に浮かれる少女もいれば、そうでない少女もいる。
日菜乃が後者であろうということは、教官として接する中で都子も理解していた。
だからこそ、こういった面談でも言葉の選び方に慎重になる。
「……先生。私、やっぱりダメなのかな」
「えっ?」
都子が視線を戻すと日菜乃は泣きそうな顔をしていた。
「やる気がないから、東雲さんや登坂さんみたいに魔法少女やる気がないからダメなのかな。後ろの方で余裕ぶって、攻撃も二人に任せっきりで足引っ張って。昨日なんて油断して死にかけるし。頭では分かってるんですっ、誰かがやらなきゃいけない仕事だって。でもダメなんです。魔神との戦いはこういうものだって先生に見せてもらっても。今みたいに励まされても……」
そこまでまくし立てるように一気に喋った日菜乃は都子から目をそらした。
すでに都子は日菜乃が何を言おうとしてるか察していた。
「こんな危ない仕事、早くやめたいって思っちゃうんです! 怖いに決まってるじゃないですか! 何でみんな、平気で魔法少女やってられるんですか!? どれだけちやほやされたって、お金が稼げて有名になれたって、ほんとは魔法少女なんてやりたくないんです……!」
日菜乃はまだ16歳の少女だ。
大人になってから「楽しかった思い出」として処理するには魔法少女は重すぎる。
いつの間にか椅子から立ち上がって、日菜乃は肩で息をしながら都子を見下ろしていた。
そしてすぐに我に返って表情が青ざめる。
言ってはいけないことを言ってしまった。
友達への愚痴ならこれで良かったかもしれない。
だが目の前にいる人は誰よりも長い間、魔神と戦って日本を守り続けてきたのだ。
そんな人に対して、魔法少女なんてやりたくないと言ってしまった。
「ご、ごめんなさいっ! こんなこと、先生に言っちゃだめですよね。あはは、私なに言ってんだろ。バカだなー。甘えてんじゃないって話ですよね。あははは……」
「そんなことないよ」
日菜乃は言葉に詰まった。
都子の黒い瞳が半笑いで取り繕う日菜乃を真っ直ぐに見つめていた。
その表情は至って真面目で、怒りの感情は全く見えない。
「え……」
「そんなことない。戦いが怖いなんて当たり前だし、一番大事なことなんだから。魔法少女やめたいって思うのもおかしなことじゃないよ。それでも……」
それでも、辞めていいなんて言えない。
都子は心が痛んだ。私にはこの子を良い方向に導くなんてことはきっとできない。
魔法少女たちは戦わなければならない。魔力を失うその日まで。
「だから、その気持ちは隠さないでいいの。私じゃなくても、相談できる人がいれば押し殺さずはき出しちゃっていい。他の魔法少女たちに言ったっていい。私も杠さんが無事に20歳を迎えられるように全力を尽くす」
傷つくのは身体だけではない。
心が疲弊した末の傷は外側からでは分からない。
「だからそれまで信じて欲しい。私を」
都子が信じられるのは自分自身の強さだけだ。
この18年でそれ以外のものはほとんど失ってしまった。
魔法少女にならなかったらいったい私はどんな人間になってたのかな、なんて思い描くことすらもはやできない。
《最強の魔法少女》である私を信じて欲しい。
この程度の薄っぺらいことしか、言えない。
日菜乃は何も言わなかった。言えなかった。
気のせいだろうか。ほんの一瞬だけ、都子がとても辛そうな顔をしていたからだ。
その気づきをよそに、「それにね」と、都子は穏やかな表情に戻るとくすりと笑う。
「杠さんは班の中でも凄く大事な役目を担ってるんだから。杠さんは自分のことをやる気が無いと思ってるみたいだけれど」
「えっ、だって私、後ろでビーム撃ってるだけだし……」
「魔神討伐はチームプレイ。《薊班》で東雲さんと登坂さんがうまく連携して戦えているのは杠さんがいるからだよ。いつだって人への気配りができるその考え方とバランス感が、杠さんの一番の力だと思うな」
魔法少女は魔法の力だけで評価の優劣が決まるわけではない。
「そうかな……私、二人が喧嘩するのが見たくないだけだったから、そんな深く考えてなくて」
「考えなくてもできることが凄いんだよ。だからあまり自分のことをダメだって卑下しないでくれると先生も嬉しいかな、なんてね」
きっとその考え方は魔法少女をやめた後の人生にも役に立つだろう。
日菜乃の未来を思いながら、どうかこの子にとって20歳までの思い出が苦しさだけで終わりませんようにと都子は祈った。
※
「ありがとうございます、先生。少し心が楽になったかもしれないです」
「あまり悩みすぎないでね。いつでも相談乗るから」
廊下に出て去って行く日菜乃の後ろ姿を都子はただ見ていた。
もっと自分が魔法少女たちの気持ちに寄り添える優秀な人間だったなら、もっと彼女のためになる言葉をかけてあげられただろうに。
ただ強いだけで、後輩の魔法少女たちの悩みも解決することもできない。恐怖心すらまともに和らげてあげられない。
「戦うことしか知らない、つまらない女、か」
どんな魔神だろうと一切感情を出さず淡々と屠り、メディアやファンに対してもまともにコメントなど残さない、つまらない女。
都子はそれでいいと思っていた。
所詮、私は戦うことしか知らないしできない女なのだから、向いてないことはできないし、しょうがない。
できることといえば、魔法少女たちが死なないよう戦い方を教えることくらい。
でも、それだけでいいのだろうか。もっと何かできることは?
そんな冴えたことを考えるには時間が経ちすぎてしまった気がする。
「やっぱり私って老害なのかしら」
※
「……ってことで、アタシを飲みに呼びつけたって話なワケ?」
「ごめんなさい、その、木戸先生にこんなこと相談するのもどうかと思うんですけど……」
「戦い方を教えてるだけじゃ、指導者として情けなさすぎる、ですって?」
「はい……」
金曜日の夜、居酒屋の個室。
歯切れの悪い都子の目の前でジョッキに注がれた生ビールをあっという間に空にしている男がいた。
男である。
かっちりとしたツーブロックを決め、黒縁の眼鏡をかけたビジネスマンじみた姿から放たれる言葉は女のようなイントネーションだ。
本人いわく女っぽい喋り方なだけであって別にオカマではないらしい。
こんな喋り方の女もそうはいないと思うけど、なんて都子は思っている。
木戸正義は都子の同僚の国語教師だ。
形式としては魔法庁の職員だが、都子と同じように魔法少女たちの『教室』で現代文や古典を教えている。
「なんつーか、真面目よねぇ鮎川先生は。そのくらいで自分を老害だなんて思ってたら老けるばっかよ。まだ30なのにさ」
「そりゃあ、まあ、30歳にもなって魔法少女なんて呼ばれてますから」
これは都子渾身の自虐ネタである。
あまり笑ってくれる人がいないのが辛いところだ。
木戸はひどく呆れたような顔をする。
「アンタ、同じネタ擦りすぎでしょ」
「だって木戸先生最初これで爆笑してくれたじゃないですかっ」
「そりゃそうだけど何度もやられたら飽きるわよ……」
以前教職員で集まる飲み会があったとき、30歳の魔法少女ネタでシンプルに爆笑してくれたのは木戸だけだった。
木戸は都子のことをあくまで魔法少女ではなく一般人として接してくれる人間であり、都子にとって話しやすい友人の一人である。
「ま。アタシたちって社会の歯車なわけじゃない? できることだってあればできないことだってある。鮎川先生はできる範囲で頑張ってると思うわよ。あ、生中2つお願いするわ」
「アイッ喜んで!」
「勝手に私のも追加された……」
ちょうど枝豆の皿を回収しにきた店員に追加注文。
げんなりした都子を見て木戸は「何言ってんのよ」とケラケラ笑った。
「こういうどうにもならないことはね、飲んで忘れて切り替えていくしかないのよ! 忘れた頃に解決策が降ってくることだってあるんだから。今やれることやんなさい!」
それは都子にもわかる。わかるのだが、単純に考えられないのが悪い癖だ。
都子は微妙な気持ちになりながら手元のジョッキに入った金色の液体をのぞき見た。
「だからって解決策が酒ってあんまりすぎる……人間は愚か……」
「人間は愚かなものよ。誰だってそうだし、だからこそ取り繕わない人は魅力的に映るし手を差し伸べたくなる。品行方正な完璧人間なんて見ててつまらないわ。昔の文豪だってそうでしょう。不完全さゆえに彼らの作品は愛されている」
都子は上機嫌に語る木戸の顔を見た。この人は私が面白いから相談に乗ってくれてるのだろうか。
木戸は薄く笑みを浮かべた。
「鮎川先生は見てて面白いわよ。だって全力で教え子に向き合ってるのがわかるもの。そうじゃなきゃそんな風に悩まないわ。だからこそ抱え込まずに愚痴って適当にやり過ごすことも覚えなさい。そのくらいが丁度いいわ」
日菜乃に言ったことと同じようなことを言われている。
人のこと言えないな、と都子は恥ずかしさで顔が赤くなった。
話を変えよう。
「そ、そういえば木戸先生こそ悩みとかあるんですか?」
「あら、聞いちゃう? 鮎川先生も出来上がってきたわねえ。少し前置きが長くなるわよ。そう、それはあたしがまだ5歳の頃。あの時は女の子の服を着るのが当たり前だと思っていたわね────────」
酔っ払いによる本当に長い話が始まりそうだった。
これ終電間に合うかな。タクシーコースかもしれない。
都子は腕時計を横目で見ながら、残りが半分くらいになったビールのジョッキに口をつけた。
都子には誰にも言っていない秘密がある。
魔法少女にアルコールは効かない。