魔法庁全域にけたたましいサイレンの音が鳴り響く。
『16時48分。新宿駅上空250m広範囲にわたり魔力粒子を検知。魔神出現の兆候。粒子滞留範囲はおよそ直径300m。レベル4の出現が予想されます。繰り返します』
「出現までの予想時刻は」
『こちら調査一課篠塚。計算結果出ました。データ上の予測ではおよそ1時間17分後です』
携帯電話越しに報告を受けながら、副司令官の風間亜矢が目の前の扉を開いた。
階段状の大ホールのごとく広がる指令課本部ではそこかしこでオペレーターたちがモニターに目を離さず遠隔で各部署に指示を飛ばしている。そして正面に広がる700インチのひときわ大きな巨大モニターに魔神出現までのカウントダウンが表示された。
出現予想時刻は18時05分。今日は平日で帰宅ラッシュに重なる時間であり、日本で最も1日の利用者数が多い新宿駅で戦うなど狂気の沙汰だ。
亜矢は司令部中心にある幅広のデスクに立ち上がったまま両手を置き前のめりに宣言する。
「皆さん、約1年振りのレベル4出現です。今まで以上に気を引き締めて臨んでください。目の前にある残り時間を確認して。それまでになんとしても新宿駅を封鎖するように」
オペレーターたちが一斉に亜矢の方を見やった。
「新宿駅を封鎖、ですか?」
凄まじい混乱を招くことはわかっている。
「ええ、警視庁と連携して検問運休避難勧告メディアへの根回し全て。ウチだけで1日25万人が動く場所でレベル4から民間人を守り抜ける? レベル3討伐経験のある隊は早急に準備させて。それ未満の魔法少女たちも出撃可能な隊はバックアップで周辺巡回に当たらせる。緊急事態よ。非番でも関係ない」
魔法少女の中でもレベル3の討伐に手慣れている者は多くはない。レベル4に至っては1年に1度しか出現しないレベルの相手だ。前回出現したのは昨年の5月にまで遡る。
オペレーターの1人が声をあげた。
「菫班今村、返事がありません」
「GPSは?」
「寮の自室の中です。その……多分寝てるかと」
「たたき起こしなさい! 寮監に連絡して」
「副司令、薊班の登坂さんも応答しません。マナーモードになってます……」
亜矢は思わず頭痛がしてこめかみを押さえた。魔法少女たちは兵士ではない。通常非番であろうと本部からの連絡には必ず出るよう定められてはいるが、仕事への取組み方には個人差がある。
「大捕物になる。とにかく、レベル4に対しては総掛かりで行くわ。桜班も前線で出撃させる」
『いけませんね風間副司令官。今回の討伐は極めて注目度が高くなると予想されます。鮎川君を使って早々に戦いを終わらせてしまえば、
しん、と本部が一瞬で静まりかえった。
巨大モニターにウインドウが展開され、1人の壮年の男が映し出される。
黒い背広を着た痩せぎすの男であった。やや額が後退しているのが年齢を感じさせる。
「谷河原課長、お言葉ですがレベル4の危険性は……」
『そう、何よりレベル4を相手にするのは、未熟な魔法少女たちの成長にとってまたとない機会です。彼女たちの成長を促進しこの国の平和をより盤石なものとする。その上で、彼女たちの命は守る。それがあなたの役割ではないですか? 風間副司令官』
感情を読み取れないような薄い笑みを浮かべながら平坦な口調で、司令課課長兼本部総司令官の谷河原良悟はにべもなく言い放った。
司令課は魔法庁において他の全ての課を統括する部署である。その課長の方針は魔法庁そのものの意思決定に限りなく近いと言ってもよい。
『あなたがお父様と同じように彼女と懇意にしていることは知っていますが……最高戦力をただぶつけるだけなら
風間亜矢は30歳にして司令課の副司令官にまで上り詰めたが、今でもかつて司令官だった父親の影がついて回る。とうに慣れているが、それでもうんざりすることはある。
「……仰るとおりです。谷河原課長」
『よろしい。それでは作戦を再開してください』
それだけ言ってモニターのウインドウは閉じられた。
誰もが見ているこの場ではため息をつくことすらできない。亜矢はほんの少しだけ目を閉じてから、刻々と減り続ける残り時間を睨み付けた。
※
16:55
幻聴のあとはいつも一時的にひどい頭痛になる。
顔をしかめながら都子が一番隊詰所の扉を開けると、ちょうどよぞらがデスクの受話器を取る所が見えた。
「はい! こちら一番隊桜班、岩村です。出撃ですね! ……え? その、バックアップですらなく、ですか……? わかりました。はい、了解です……隊長にも伝えます」
よぞらは静かに受話器を置いた。カチャ、と小さな音がいやに鮮明に聞こえた。
そしておっかなびっくりという風に入り口にいる都子の顔を見た。
「鮎川さん……その……」
よぞらは一瞬だけ都子から目をそらした。
「待機?」
「……はい。でもおかしいです! レベル4なのに鮎川さんが出撃できないなんて。いくら最近出撃機会が減ってるって言っても、これじゃあ……」
もはや《桜班》は要らないということではないだろうか。
「前例はあるわ。前レベル4が出たときも私は待機だった」
「でもあの時は鮎川さんは別件の魔神を対応してたじゃないですか」
「半ば無理矢理ね。上はできるだけ目立つ討伐に私を出撃させたくないんだよ」
都子はこうなるのが分かっていたかのように落ち着いていた。
よぞらは顔を露骨に曇らせた。おそらくそうなのだろうとは思っていたけれど、事実としてそれをはっきり都子の口から聞くのは初めてだったからだ。
「鮎川さんの力が本当に必要ないならその決断もわかります。でも、今回に関しては絶対にそうとは思えません……私には……」
よぞらはかつての魔法少女の遺族として魔神の恐ろしさを胸に刻みつけている。
レベル4は戦力を出し惜しみして易々と討伐できる魔神ではないことも知っている。
もしかしたら、何かまかり間違えば誰かが死ぬかもしれない。
姉のように。
「岩村さん。もう一度司令の内容を教えて貰っていい? できるだけ詳しく」
「あ……はい。桜班は出撃せず詰所にて待機、とのことです」
「ありがとう。ちょっと出てくるね。すぐ戻るわ」
都子はよぞらの不安を和らげるように柔らかく笑った。
※
17:12
作戦開始の前には3分間だけ考えを整理するための時間を設けると決めている。
魔法庁3階のすみ、自販機の前に設置されたベンチで亜矢はただ1人精神を落ち着けていた。
たとえ魔法庁がどれだけ慌ただしくなろうとも、基本的に目立たず静寂が保たれているこのスペースのことが亜矢は気に入っていた。
コーヒーの最後の一口を飲みきると立ち上がる。そして。
「お疲れ様です。副司令」
廊下に出るとちょうど出口の横で待ち伏せのように佇んでいた女と目が合った。
びくりとして亜矢の肩にかかる黒いロングヘアがぶわりと揺れる。
足音など聞こえなかったのに、いつの間にここへ現れたのか。
「……桜班は待機だと岩村さんに伝えたはずだけれど」
「聞き間違えかと」
「そう。それならあなたは間違えてないから安心して詰所に戻りなさい。魔神出現まで1時間を切ってる」
足早に振り切るように歩き出した亜矢に、都子は同じ歩調でぴたりと隣に付いた。
「安心? 副司令、レベル4はレベル3のようにはいかないですよ。1年前のレベル4出現時のことをお忘れですか?」
「……魔法少女が5人病院行きになった。2人は脇腹と肩をぶち抜かれて重傷。もう1人はバトルドレス全損で複雑骨折。あとの2人は軽傷だったけどね。原因は格上の魔神との戦闘経験不足による連携の乱れ」
「私がいればそれは防げた。間違いなく。彼女たちにはまだ荷が重いともわかってた」
「魔法少女はあなた1人じゃないし、魔神だって1体だけじゃない。いつであろうと1体の魔神に全ての戦力を注ぎ込むわけにはいかないのよ。昔とは違う。もはやいつも桜班に頼らなければいけない時代じゃない」
「この前のレベル3には私を出撃させたのに?」
「念のためね」
ガス抜きのために注目されない現場にだけ私を出撃させるのが念のためと言うならそうなんでしょうね。
都子は喉からそんな罵倒が出てきそうだったがすんでの所で飲み込んだ。
「……それで杠さんが無傷で助かったことは無視ですか。どんな魔神であれレベル4であればああはいかないと私は言ってる。死にそうになったけど良い経験になった、じゃ済まない」
「でも死んでない。誰も」
足を止めて亜矢が強い語調で言い放った。都子はゆっくりと横に首を振った。
らしくない詭弁を弄してまで私を出撃させたくないというのだろうか。
都子はじっと亜矢の切れ長の瞳を覗き込むように見上げた。
「……ねえ、そんなに私が要らない?
「
都子と亜矢は同い年で、都子が魔法少女となった12歳からの付き合いだ。
父親の風間修二が司令官だった時代に頻繁に連れてきていたのもあり、魔法少女たちを除けば都子にとって唯一身近な同年代の友達だったとも言える。
かつては本音で何でも話し合える間柄だったが、大人となった今のふたりを隔てているのは立場という壁だった。
都子は諦めたように目線を下へ落とした。
「……いいえ、よくわかりました」
「これ以上話すことがなければもう行くわ。時間がない」
「どうぞ」
都子はそれ以上何も言わずにただ亜矢が去る背中を見送った。
気休めでも良かった。なんとかしようとしているから、今は我慢して。それだけでも言ってくれれば納得できたのに。
※
17:38
「ったく本部からの連絡出ないなんてホント信じられない。登坂のせいで完全に出遅れてるじゃん」
「ゴメンゴメンちょっと買い物してて気づかなくてさぁ~。てか、時間に間に合ってるからいいでしょ。ハハ。あまり真面目すぎると疲れちゃうぞ~? 優子ちゃん」
魔法庁9階、バトルドレスを纏った薊班の3人が出撃ランディングに集結していた。
既に他の班は出撃済みであり、彼女たちが最後の出撃組となる。
「ほんといい加減にしてよ。今回は今まで相手してきたようなやつじゃない。レベル4がどれだけ強いか授業でも習ったでしょ。大ケガした先輩だっている」
「あーしあんま授業聞いてないんだよね~。しかも今日は合同作戦なんっしょ? だから主役はみんなに任せるぜぇ~。てか優子ちゃんって呼んでいいってことカナ? 言質? 言質?」
「……あんたさ」
優子は希海に言い返そうとしたがそこで思いとどまる。
これ以上はマジな喧嘩になってしまうし、ちょうどこのあたりでそうならないよう日菜乃がふたりをたしなめるのだが、今日に限ってはそれがない。
ふたりは一歩後ろを歩く日菜乃に目を向けた。
両手で握りしめた杖が震えていた。とんがり帽子でうつむいているので表情は見えないが、きっとひどい顔をしているのだろう。
「杠さん、大丈夫……?」
「う、うう。私、レベル3で死にかけたのに、レベル4なんて……いったいどうしたら」
優子は日菜乃のとんがり帽子のブリムを上げて無理矢理目を合わせた。
呼吸は浅くもはや泣く一歩手前という有様だった。それでも構わず優子は口を開く。
「あれは杠さんだけの責任じゃない。わたしも登坂も油断してた。たまたま狙われたのが杠さんだっただけで、わたしたちだってきっと何も出来なかった」
「ちがうっ、ふたりなら絶対大丈夫だった。私は戦う力がないから無理。できない! ねえっ、ふたりに守られながらじゃなきゃ私はなにもできないの! なのになのに」
日菜乃の目から涙が溢れた。
「なんで私はここにいるの!? なんで魔法少女なの!? 私なんて役に立たない! 怖いのも痛いのも嫌いで全部ふたりに任せてる! なんでふたりは私に何も言わないの!? なんでそんなに優しいのぉ……」
あの戦い以降、明らかに意欲を失っていた日菜乃にも優子と希海は今までと変わりなく接していた。
力不足や意欲を窘められることもなかった。ただただ友達のように。それが当たり前のように。
それが日菜乃にはよくわからなかったし、何も言われないのが逆に恐ろしかった。
『出撃まで残り1分です』
館内スピーカーから無機質な音声が流れる。
ランディングで忙しなく動く技術課の職員たちは3人の様子を気にしてはいるものの、あえて泣いている日菜乃に声をかけることはしない。
それは優しさでもあり人間と魔法少女を隔てる無慈悲さでもある。
「ひなひな、よく聞いて」
「登坂さん、わたし……」
「聞いて」
いつも垂れている瞳をぱっちりと開かせた希海の様子は、日菜乃に有無を言わせなかった。
「あーしも優子ちゃんもひなひなのサポートがあるから戦えてる。優子ちゃんが前に出すぎって鮎川センセーに言われてたけど、あれはひなひながそれだけ優秀だからってことだよ。ひなひながしっかり強化と回復をしてくれるって信じてるから。もちろんあーしも」
「なに勝手に想像してんのよ。でもまあ……今回はその通りかも。杠さん。わたし達は全力であなたを守るし、あなたは全力でわたし達を守る」
「登坂さん、東雲さん……」
優子が日菜乃の震える右手を優しく握った。そしてその手の甲に自分の手のひらを合わせる。
「だってわたし達は友達で、同期で、チームだから。そうでしょ? 登坂は友達じゃないけど」
「ぶれねーな優子ちゃんは。ま、そういうところがからかいがいがあるんだけどね、ハハ」
「あ”?」
ドスの効いた声を出した優子の手の上に、希海が構わず右手を乗せた。
「ふふ……」
「やった! 優子ちゃんの渾身のギャグでひなひなが笑ったぞ!」
「茶化すなよぶち殺す後で」
「あは、ごめん、ふたりともありがとう。だめだよね……ふたりがこんなに信じてくれるのに、私だけうじうじしてたら」
真夏で暑いはずなのに、ふたりの手のぬくもりがほんの少しだけ日菜乃に勇気を与えてくれた。
いつの間にか手の震えも涙も止まっていて、しっかりとした動きで目尻をぬぐう。
戦いで傷つくことだけでなく友達のことすら怖がっていた。心の中でいつも謝っていた。
でもそれはただの空回りだったのかも知れない。
『《薊班》出撃まで残り20秒』
優子が勢いよく声を張り上げた。
「さあ、勝ってケーキ食べまくるよ! 3・2・1!」
「マ?」
「う、うん」
「ちょっ、ここは「おー!」って言うところだってば!」
運動部ノリは通用しなかった。優子は赤面した。
※
17:55
空が幾重にも重なった雲に覆われ、星は見えず、やがてしんしんと粒の大きな雪が降り出した。
今日は8月19日。蒸し暑い夏の真っ只中の夜である、はずだった。
『現場周辺にて急激に気温が低下! 凍結系の能力を持った魔神だと推測されます!』
現地で観測を続ける調査一課の職員の鋭い声が無線に響く。
これが後に《吹雪の魔神》と命名される化物との戦いだった。