冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
その際、己の内心を揺るがす事件に遭遇する。
マサキの運命や、如何に……
今回のマサキの東ベルリン訪問は、全くの私人での訪問という建前だった。
だから、
なにより、マサキは商売道具を入れたアタッシェケースの他に、着替えの私服を持ってきていた。
それは、将校鞄と呼ばれる大型の鞄で背広とワイシャツを入れることの出来る物であった。
今風にいえば、ガーメントケースのことである。
なぜ、マサキが私服を持ってきたかといえば、ずばり東独内部の調査のためである。
日本軍の制服では、あまりにも目立ちすぎるのだ。
かといって、着古しの黒い詰襟も、アイリスとの逢瀬にはふさわしくない。
そのようにいろいろと悩んだ末に、アクアスキュータム*1のオーバーコートと既製服にしたのだ。
調査活動をする鎧衣たちと別れた、マサキが訪れた場所。
それは、国家人民軍の作戦本部。つまり参謀本部である。
場所はベルリン市街からSバーンと呼ばれる鉄道で1時間ほどで着くシュトラウスベルクにあった。
中央情報センターと呼ばれる建物の他に、複数の兵舎、核爆弾の直撃に耐えられる防空壕を備えた軍事施設である。
BETA戦争が始まる前までは、モスクワのソ連赤軍総参謀本部との直通電話が通っており、24時間連絡可能であった。
また、ワルシャワ条約機構軍の構成国との連絡網も備えていた。
そのような場所に、帝国陸軍の制服を着て、門を
『俺は、この国に対して自由にモノが言える』と、一人おごっていたのも事実だった。
参謀総長は、基地視察に出かけていた。
なので、参謀次長のハイム少将がマサキと会うことになった。
「博士の、時ならぬご訪問は、何事でございますか」と、ハイム少将から訊ねだした。
マサキは改まって、
「貴様は、たしかアルフレート・シュトラハヴィッツと
パレオロゴス作戦の折、シュトラハヴィッツと協力し、シュタージのシュミットを処刑した。
その詳細を、聞きたいと思ってな」
ハイムは、色を失った。
自分の予感と違って、さては、詰問に来たのかと思われたからである。
だが、隠すべきことでもなく、隠しようもない破目と、ハイムは心をきめた。
「私の親友でもあるアルフレートは、本当に
あの時、シュタージを止めねば、この国は今まで以上にソ連の
その時、マサキの胸中に、ユルゲンの顔が浮かんできた。
今年の2月下旬に、もし彼と運命的な出会いをしなければ……
彼の
彼と
もし、KGBの軍事介入の際に、東ベルリンで大暴れしなかったら……
ユルゲンを、KGBのヘリから発射された熱源ミサイル攻撃から、助けなかったら……
KGBの
ユルゲンや、シュトラハヴィッツは、シュタージに処刑されていただろうか。
アイリスディーナやベアトリクスは、どんな人生を歩んだのだろうか……
そう思うと、熱い感情が、頬を伝わって落ちた。
「博士、どうなされました」
ハッと現実に意識を引き戻されたマサキは、椅子の上で居住まいをただした。
「
貴方の様な存在があって、今の世界は泰平ではありませんか。
なにを、
ハイムの鋭い目線は、上から振り下ろされるように感じる。
今の秋津マサトの若い肉体ゆえに仕方ないことだが、臆さず、答えた。
「将軍……」
マサキは濡れた目をあげて、断言した。
「俺に、シュタージの資金源を教えてほしい。
ユルゲンやアイリスから
ベアトリクスを孤独の中に押し込めて、長い年月苦しめた、
KGBの傀儡から、ありとあらゆる秘密を暴きたくなってな……」
その答えに満足したのか、ハイムは
目を細めて、マサキを見てくる。
「博士のご
その他に、KGBとシュタージの関係、欧州の諜報網と工作員の名簿も併記されていた。
だが、その資金源に関しては、厚いベールに包まれていた。
マサキは、美久に搭載された推論型AIを使って、KGBとシュタージの関係を洗いざらい調べた。
その過程で、中東での国際テロ支援や、西ドイツでの赤軍派による誘拐事件の
それでも、シュタージの富の
故に、シュタージと対立関係にある国家人民軍を頼ることにしたのだ。
無論、マサキも馬鹿ではない。
シュタージファイルと、CIAからの情報提供から、KGBから警戒されている人物にあたりを付けて、近づくことにしたのだ。
KGBから嫌われていると言う事は、こちらに協力する公算が高い。
敵の敵は、味方であるという、大時代的な手法をとることにしたのだ。
密議を終えたマサキは、ハイムの副官の黒髪の男の案内で、作戦本部の最上階から降りていた。
副官であるエドゥアルト・グラーフ*4少佐が、マサキを駅まで送迎することになっていた。
後ろを歩くマサキは、東独軍にいるアイリスディーナの事を思慕していた。
(『アイリスは今頃、なにをしているのだろうか。
こんな閉鎖された社会にいても、人を信じることのできる純粋な娘……
いつまでも放っておけるものだろうか……
前の世界の事や、二度あの世からよみがえったこと、年の差やあの娘の
そんな事よりも、純粋なアイリスに誠意を示してやるのが先ではないだろうか』)
つらつらと、そんなことを考えていた時である。
ふと、階段を下りる足を止め、
マサキの顔色が変わったことに、気が付いたグラーフは、
「博士、どうなさいましたか」
心配になって、思わず、声をかけてきたのだ。
マサキの視線の先にあったのは、迷彩服を着て歩く婦人兵であった。
長いストレートヘアーの、しかも迷彩服を着たアイリスディーナを見るのが初めてでも、マサキには、すぐにわかった。
9月のあの時の、アイリスディーナとの甘く
そして、
アイリスディーナと一緒にいた、
件の男は、中尉の階級章を付けた灰色の勤務服を着て、目をきらりと輝いて、彼女と楽し気に話をしていた。
その様を見た、マサキの内心は穏やかでなかった。
まるで
(『あの
俺という男がいながら……』}
マサキは、前の世界で男女の三角関係を用いて、
だが、そのマサキ自身が、それに似た状況に置かれるとは思いもよらなかったのだ。
マサキは、脇にいて心配するグラーフに、安心させるような声をかける。
「すまなかったな。俺は駅まで歩いて帰させてもらうぜ」
「えっ、博士。お車の方は……」
「あばよ!」
そういって、精いっぱいの笑顔を作って、作戦本部を後にした。
駅までの道中、マサキは、己の
(『何と言う事だ。この俺があんな
マサキが立ち去って行った、国家人民軍作戦本部。
その建物の屋上で、将官用の赤い裏地のついた大外套を羽織った二人の男が何やら話していた。
ハイム将軍は、シュトラハヴィッツ少将のほうを振り返って、
「そうか、木原マサキを……」
「ああ……奴は腐りかけているが、腐っちゃいない。
俺たちがこの先の高みに昇るには、奴の力が必要だ」
静かに脇で聞くハイムを横目にシュトラハヴィッツは、懐中より紙巻煙草を取り出す。
「それにしても、俺は最近こう考える……。
貴様なら、もっとうまくやるとな」
ハイムは、煙草を口にくわえたシュトラハヴィッツをかえりみた。
しばらく、二人して押し黙っていたが、
「私も同じことを考えていたよ」
と、イムコ*8のオイルライターを取り出して、シュトラハヴィッツに差し出す。
シュトラハヴィッツは相好を崩すと、両手でライターの火を覆い、タバコに火をつける。
パッチンとライターの蓋を閉めると、呟いた。
「いずれにせよ、一刻も早く、シュタージの息の根を止めねば……」
アイリスディーナと歩いていた
それは、兄ユルゲンの
ここでオスヴァルト・カッツェその人の、人となりを、すこし詳しくいっておく必要があろう。
彼の出自は、ユルゲンやベアトリクスと違い、
ベルリン市内のパンコウ区にある小規模なパン屋*10の次男坊で、政治的には
性格は
彼の事を、ユルゲンは総合技術学校から頼りにし、家庭内の話まで明かしていた。
そんな縁もあって、アイリスディーナが幼い頃から彼女の事をよく知る人物でもあった。
カッツェ自身は、アイリスディーナが美人であることを早くから認識していた。
だが、カッツェは、アイリスディーナに、好意は一切抱いていなかった。
兄であるユルゲンが義兄になることを嫌がっていた。
そして何よりも、5歳以上も年齢が離れすぎていて、興味を持たなかったのだ。
カッツェが、アイリスディーナと歩いていたのは訳がある。
彼は自分が管理する中隊に、アイリスディーナが配属されることが決まっていたので、面倒を見ていたのである。
「アイリス、情報センターでの
早速だけど、勤務服に着替えろ」
「はい」
カッツェの指示を受けたアイリスは、急いで更衣室に向かった。
軽くシャワーを浴びてから、髪をとかして、勤務服に着替えるともう小一時間が過ぎていた。
着替えてきたアイリスディーナを見たカッツェは、己の不思議な感情に驚いていた。
軍務で見慣れたタイトスカートの勤務服なのに、それは
実に、世の人とも思えぬ優雅な美しさであった。
男なら、誰しも目を離さずにいられない抜群のプロポーション。
この
彼女の、
「急いでるときに、ゆっくり着替えるとは本当に
変わっているというか、なんというか……」
と、カッツェは苦笑した。
だが、アイリスディーナは、どこまでも
彼の冗談を
そんな態度にカッツェの方が、ドギマギしてしまった。
まるで小さい女の子をいじめているような、気持ちになってしまったのだ。
カッツェはここは男らしく、先任の将校として立派に振るわねばと、自身を励ました。
「議長官邸に呼ばれるってことは、誰に会うかわからないもんな。
今のは冗談だから、許せよ」
と、さりげなく、アイリスを励ました。
まもなく彼女は、車で迎えに来たヴァルターの傍に駆け寄った。
そして、カッツェと
東ドイツ国家評議会議長の
シュトゥットガルトのマルクス・エンゲルス広場*13の南に位置する近代的な建物は、1964年に建設された。
その際、ベルリン王宮からファサードが移築され、左右非対称の外観になった。
このバルコニーは、第一次大戦終戦前夜、カール・リープクネヒトが「社会主義共和国」を宣言した場所である。
帝国議会で、
1960年代の東ドイツを代表する社会主義モダニズムの建築物。
それは、ローランド・コルンとハンス・エーリッヒ・ボガツキーを中心とする建築家集団によって建造された。
1階には、国家評議会議長執務室と、その代理人の執務室があった。
また、東ドイツ国旗が掲げられた議場と外交官
迎賓室には35メートルもあるマイセン磁器の絵画が飾ってあったが、それでもソ連の建築物よりは内装は地味であった。
ここで使われる食器やグラスは、ロココ様式で東ドイツ製ではあった。
そのすべてに、海外輸出のされているライヘンバッハ
ライヘンバッハ磁器工場の製品は、品質は折り紙付き。
東ドイツのマイセン
東独が崩壊した
だが迎賓館の食器は、ライヘンバッハの
上等な
社会主義特有の『ポチョムキン村』の偽装は、その崩壊まで秘密とされていた。
アイリスディーナが国家評議会ビルに着いたとき、玄関先には見慣れぬ車が数台止まっていた。
それは、アメリカ製のセダンで、ゼネラルモーターズのキャデラック・セビルの新型車であった。
1970年代前半に巻き起こった
BETA戦争での資材不足への懸念から、内装をより粗末にしたソ連製のチャイカとの違いに、アイリスはひとしきり驚いていた。
議長は、海外からの客の応対をしている最中だった。
相手国の国旗も掲げておらず、儀仗兵の役目をするシュタージのフェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊もいなかったから、私的訪問なのは判別がついた。
迎賓室の隣で待つうちに、話声が聞こえてきた。
どうやら話している言葉は英語で、内容は石油に関しての事らしい。
周囲に誰もいないことを確認すると、椅子の背もたれに寄りかかって、待つことにした。
椅子に腰かけていたアイリスディーナの体を揺すって、起こすものがあった。
銀色の落下傘の刺繍が縫い付けられた赤いベレー帽に、ツーバックルの編上靴。
折り襟の制服の胸元の第一ボタンを開け、ワイシャツにグレーのネクタイ。
東ドイツ精鋭の第40降下猟兵大隊にのみ許された、制服の着こなしだった。
起こした人物は、議長の身辺警護を務める警護隊長だった。
議長と米国人の客との話を待つ間に、アイリスディーナは
「同志ベルンハルト少尉、お疲れならば……」
軍隊は階級社会である。
本来ならば、もっと荒々しい言葉遣いでもよいのだが、議長の養子と言う事もあろう。
隊長は、丁寧な言葉づかいで、アイリスに声をかけた。
「同志少佐、大丈夫です」
第40降下猟兵大隊の長は、伝統的に少佐、中佐が務めた。
「さあ、議長がお待ちしております」
別室に待っていた議長は彫りの深い顔をほころばせて、こう言った。
「同志ベルンハルト少尉。急な呼び出しをして済まない」
議長は、養子とは言え、ユルゲンやアイリスディーナの事を一般人と同じように扱った。
対外的に、同志ベルンハルトと呼び、私的な空間ではユルゲンやアイリスと呼んだ。
もっとも周囲は、議長と親子の
「今日から数日間、木原博士は非公式で、我が国を訪問されている。
国家人民軍から、英語通訳の婦人兵を付けようとしたのだが……」
「はい」
「
同志ベルンハルト少尉。悪いが、君がやってくれないか」
アイリスディーナは、口元に笑みを
「わかりました」
アイリスディーナは、マサキに初めて出会えるような新鮮な期待に胸を膨らませた。
ご意見、ご感想お待ちしております。
マサキの恋愛路線に関する質問
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女と遊びながら、戦う
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色恋より戦闘描写
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別な原作ヒロインと逢瀬
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現状維持