冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 東独議長の招待で、秘密の別荘地ヴァントリッツに招かれたマサキ。
そこでの宴の際に、アーベルからソ連のESP計画について驚くべきことを聞く。



秘密(ひみつ)別荘地(べっそうち)

 月面より飛翔物が接近している、まさにその頃。

東ドイツにいるマサキたちといえば。

議長専用のリムジンに、マサキも厚い羅紗のダッフルコートにくるまりながら、同乗し、ベルリン近郊にある、高級幹部専用の住宅地に向かっていた。

 この場所は、ヴァントリッツと呼ばれていたが、実際は違った。

ベルリン郊外のの村落ベルナウ・バイ・ベルリン*1にあり、樹林(ヴァルト)開拓地(ズィードルング)と呼ばれていた。

ミッテ区から、A11号道路を40キロほど進んだ場所にあった。

 

「私が提案した条件は、飲んでくれるのかね」

ソ連製大型リムジン、ジル(ZIL)114型の中で、議長は紫煙を燻らせながら訊ねてきた。

「ああ、まあ……なあ」

 籍を入れなくてもいい、アイリスディーナと式を挙げてほしい。

形だけの人前式を上げてほしいというのが、条件だった。

移動時間は40分程度なのだから、それに合わせて返答してほしいという要求だった。

 後部座席はミラー加工された窓ガラスに変えられ、外から見えなくなっている。

……とはいえ、運転手の存在が気になった。

 黒いスーツに、レイバンの黒縁のサングラスをかけた寡黙(かもく)な男。

屈強な体つきと見あげるばかりの背丈から、如何にも軍人然とした風貌だった。

「大丈夫だ。運転手は俺が議長になる前からの長い付き合いの男だ。

口は堅いし、こういう事には慣れっこだ」

 議長の言葉に、マサキは、何で今さらといわぬばかりな顔していた。

 いきなり人前式の話を持ちだされて、マサキは焦った。

義理の親とは言え、妙齢の娘の先行きを気にする気持ちはわかる。

マサキも、アイリスディーナとの同居することには意義はない。

 だが、その身分が問題になった。

アイリスディーナは、国家人民軍陸軍少尉。

BETA戦争の為、2年早く繰り上げ卒業をしたとはいえ、士官教育を受けた現役将校。

 いくら東ドイツがOKしても、日本政府が許すわけがない。

外国人との結婚は、その後の進路ばかりか、マサキの日本国内での立場を危うくしかねない。 

 ミラ・ブリッジスと結婚した貴公子、篁祐唯(まさただ)とは違う

武家でもないマサキには、爵位も、後ろ盾も、何もない。

この世界では根無し草のマサキにとって、外人との結婚は自殺行為だ。

 

 前の世界の自衛隊の様に、この世界の帝国陸海軍は外国人との結婚には甘くない。

もっとも、陸海空の自衛隊、海上保安庁、警察消防、公安調査庁等々……

 日本国憲法24条によって婚姻の自由は、両性間の合意にのみゆだねられている面が大きかった。

慣習として、外国人との結婚をした治安・法執行機関関係者は、出世を絶たれた。

 対象国・(こう)(おつ)(へい)(てい)*2と称される仮想敵国の国民と結婚した人物は、不利な立場に置かれる。

無論、マサキもそのことを知らぬわけではない。

 

 日本帝国に調略工作を仕掛ける面から言っても、適当な武家や素封家から娘を妻に迎え入れる。

その方が安全なのは、知っていた。

 ただ、東ドイツに工作拠点の一つを作る。

謀略工作という点から、アイリスディーナとの関係を利用するのも悪くない。

マサキ自身、そう考えていた面もあったのだ。

 

 議長の爛々(らんらん)とした眼が、マサキの顔や姿を見つめ合った。

瞬間は、やはりどうにもならない。

相手の意識に圧しられて、顔のすじも肩の骨も、こわばりきったままだった。 

「形だけの結婚式でもいいんですよ、博士。

そして、いつでもアイリスディーナの所に来てやってください。

但し、このおままごとに関しては決して口外しないと……」 

 それに対して、マサキは十分心が動いた。

その証拠に、応じる色を見せて来た。

「内縁関係……、(めかけ)なら考えてもやらんでもないが」

 マサキのつぶやきを聞くと、議長は相好を崩した。

「そう。博士のその言葉を待って居りました」

「うあっ……あ」

 綸言(りんげん)汗の(ごと)し。

マサキは、自分の失言に、もう全てが、どうでもよくなり、深い後悔の念に苛まれた。

 

 車窓から見えるのは畑や森林、そして晴れ渡る空に、豊かな自然。

冬の澄み切った空気で、遠くまで一望できる。

 マサキは、後部座席に寄りかかりながら、呆然とその景色を見ていた。

やがて運転手が、

「あと5分ほどで着きます」と告げると、目的地が見えてきた。

金網のフェンスに囲まれた深い森で、『野生生物保護区』、との看板も見える。

 

 国家人民軍の勤務服に似た開襟式のジャケットに乗馬ズボン、ワイシャツに黒のネクタイ。

陣笠のような鉄兜に、カラシニコフ自動小銃を持った一群が近づいてくる。

彼らは国家保安省(シュタージ)の武装部隊、フェリックス・ジェルジンスキー連隊の兵士であった。

 車は、キノコ型の守衛所の前に一時停止する。

運転手が鑑札(かんさつ)を見せると、兵士たちは敬礼をし、門を開け、車を中に招き入れた。

 深緑の中に、ぽつぽつと建物が点在している。

薄暗い森林の中に、突如として、閑静な住宅街が出現した。

 マサキが車を降りるなり、背広姿の老翁が近づいてきて、住宅に続く道を案内される。

給仕と思しき老人は、矍鑠(かくしゃく)としており、一般人でないことは察せられた。

 議長の別荘は、2階建てだった。

15部屋のある戸建てで、広さは、180平方メートル。

 木漏れ日に佇む姿は、ベルリンのパンコウ区の喧騒とは一線を画していた。

 

「アーベルの家は、ここから2軒先にある。

もっともアイツは、ベルリン市内で寝起きしているけどな」

 使用人たちが、マサキの脇を通り過ぎ、彼の荷物を運んでいく。

見た感じ、3人以上いるのが分かる。

「俺は、今は一人もんだから、使用人は5人までに減らした。

前議長(おやじ)は、多い時には60人の使用人を使っていた」

「シュタージは、家政婦の派遣業もしているのか……」

「ソ連の特権階級(ノーメンクラツーラー)の劣化コピーと考えてもらえば、早い」

「だろうな……」

 マサキの察した通り、使用人はシュタージからの派遣であった。

総勢650人の使用人の主な業務は、身辺警護、庭師、運転手、炊事婦、住宅管理。

そのほかに、140人ほどの警備員が4交代で、24時間体制の警備を敷いている。

 腕時計を見ると、時刻は午後3時を過ぎたあたりであった。

マサキは、深いため息をついた。

『えらいところに連れてこられてしまった』 

 

 それから。

マサキは、茶もそこそこに、別荘近辺を散策していた。

とは言っても、後ろから2名の護衛がついて、詳しく案内してくれた。

 マサキは、この場所を全く知らなかったし、東ドイツの公式の地図には載っていなかった。

CIAの発行したベルリン周辺の地図にあるかどうかは、不明の場所だった。 

 紫煙を燻らせながら、遊歩道を散策していると二重の壁で区切られていることに感づいた。

高さはおよそ2メートル、総延長5キロに及ぶ、深緑色に染められた壁がぐるりと囲んでいる。

 

 市街地にまで買い物に行くのは大変であろう。

そう思って、護衛の一人を呼んで訊ねてみた。

「ガソリンは近くの村落まで入れに行くのか」

 そっと、懐中より、アメリカ煙草の「マルボーロ」を差し出す。

西側との限られた通商が許可された東ドイツでは、外国たばこは商材として有効だった。

物不足のソ連ほどではないにしても、「マルボーロ」ひとつで色々な事を融通できたのだ。

 一応、インターショップという外貨建ての店で、東ドイツ国民が購入できた。

だが、西ドイツマルクや米国ドルを持たない一般庶民には、高嶺(たかね)の花だった。

一方、西から入る人間には免税された状態で販売されていたので、ほぼ原価で買えるのが魅力的だった。

 護衛は、マサキの差し出したタバコに火を付けながら、

「外壁と内壁の間に、ガソリンスタンドと洗車場。

別荘地に勤務する、従業員のためのショッピングセンターがあります」

「オレンジなど食いたくなったときは、どうする」

 オレンジやグレープフルーツといった柑橘類は東ドイツでは高級食材であった。

一応、共産圏のキューバから、バナナやオレンジが入ってきてはいるも、粗悪品であった。

 バナナは腐敗を避けるため、青いまま輸送されて、店頭で黄色く熟成させられた。

逆にオレンジは、収穫から時間がたち、瑞々(みずみず)しさを失ったものが多かった。

 

 散々に質してみたが、男は口を閉じ、どうかすると、その口辺に、不敵な薄ら笑いをみせるだけだった。

「そうか」

 マサキは、しばらく彼と根くらべのように黙りあった。

そして、今度はズバッと言った。

「ソ連では、ブレジネフが作った幹部用の住宅地がクンツェヴォにあったそうだ。

たしか、そこはもともとスターリンが使う別荘地(ダーチャ)という。

幹部専用の店があったとも」 

「…………」

「顔にも出たぞ、口を閉じている意味はあるまい。

つまらん()せ意地は、よせ」

「どうしてわかった」

「どうして知っていたか。

それはベアトリクスの護衛、デュルクにでも聞くんだな」

「デュルク?」 

 こうして、地面の枯れ草を踏んでいるだけで、ここは特別な場所と実感する。

マサキは、余裕のある雰囲気を残して、その場を辞した。

 

 

 ソ連に限らず、東欧諸国、支那(しな)北鮮(ほくせん)越南(ベトナム)、キューバ等々……

社会主義国の党専従者、幹部並びにその子弟は、特権を享受(きょうじゅ)できた。

家族でなくても、党の重役につながる人間は、優先された。

 自家用車の所有が厳しく制限されていたソ連。

かの国では、人口の54人に一人が、一台の車を持っていたのに対し、党幹部たちは車を好きなだけ買えた。

 1970年代の指導者であるブレジネフ。

自動車好きの彼は、ジルやボルガといったソ連製の高級車の他に、複数の外車を所有した。

 東ドイツのホーネッカーも、その(ひそみ)(なら)って、めぼしい高級車を買い(あさ)った。

特にお気に入りだったのは、フランスのシトロエンCXという高級セダンであった。

 

 幹部用のスーパーや特別な牧場や専用農場も、あった。

東ドイツのそれに関して言えば。

西ドイツの商業スーパーと遜色(そんしょく)のないものが並び、新鮮な柑橘類と野菜が年中手に入った。

だが、それでも西ドイツの中流家庭、日米の一般家庭の水準であった。

 社会主義の優等生として知られている東ドイツは、対外的に消費の平等を打ち出していた。

住民の不平不満を抑えるために、ホーネッカーはそのことに細心の注意を払うほどであった。

1970年には、リーバイスのジンーズ、およそ1万2千本を輸入し、国営商店(ハーオー)に並べたりもした。

 しかし、その利益の恩恵を受ける人々は、わずかであった。

社会的立場によって、耐久消費財や一般雑貨、食料品など、得られる機会が限られていた。

 マサキは、前の世界でソ連崩壊を、社会主義の失敗を見てきた男である。

たかがオレンジのこととはいえ……。

食料の供給システムは、その国家の真の豊かさを測る尺度になる。

そう思って訊ねたのだ。

 

 

 

 日が暮れて間もなく。

外出先から、アイリスディーナが帰ってきた。 

「ただいま、もどりました」

 勤務服姿の彼女が、玄関をくぐると、声がする。

屋敷の居間からであった。

 なにやら、ベアトリクスと誰かが語り合っている最中であった。

そっと、覗いてみると、意外な人物であることに、アイリスは驚愕した。

 ベアトリクスと今で話していたのは黒髪の東洋人。

木原マサキだった。

軽食の後、居間で二人して、トランプに興じていたのだ。

「やられたわね。ま、まったく……あんた、やるじゃない」

「七ならべが、こんなに強いとは、なあ……。

9回連続で負け通しだぜ」

「負けたから、私の約束を聞いてよ」

マサキはトランプの札を手で、もてあそびながらささやいた。

「なあ……最後の一回は俺の勝ちだ。

勝った人間の言う事を聞くのなら……

勿論、俺の言う事も聞いてくれるんだろう」

ベアトリクスの顔が、パアと赤らんでしまう。 

「それは……人妻に掛ける言葉なの、酷いわ」

 ベアトリクスは、すねて少し怒った。

そのさまを見たマサキは、会心の笑みを漏らした。

「だから、断っておいたじゃないか。本当に面白い女だよ」

 マサキの突然の訪問に、唖然としているアイリスディーナ。

彼女に向かって、英語訛りのドイツ語が帰ってきた。

「邪魔してるぜ」

ベアトリクスの脇に座るマサキは、立ち上がると、

「俺についてくる意思はあるか。

もしお前がその気があるのなら……

少なくとも、今よりは自由で刺激的な暮らしをさせてやるつもりだ」

 用ありげな使用人の一人が、何気なく、ひょいとドアを開けて入りかけた。

だが、使用人でさえ、顔を赤くして、あわてて引き下がってしまった。

「そのままでいいから、聞いてくれ。

俺はゼオライマーのパイロットだ。

今のままでいれば、俺とお前との関係はどうあがいても縮まるまい。

一生、俺の事を名前で呼ぶ関係になれず、先生とか、博士と呼ぶ関係に終わる」

 マサキも、また若い一人の男だった。

その性も(たくま)しく、悶々(もんもん)とアイリスディーナで思い悩んでいたほどである。

 体の奥底から這い上がってくる欲望に触発され、理性が飛ばないように抑えるだけで精一杯であった。

前世では、絶対に手に入れられないような美少女に心を握られているのだから、猶更(なおさら)である。

「アイリスディーナ、兵隊の道を捨てる覚悟はあるか」

 帝国陸軍に籍を置いている以上、外国人との結婚は、いろいろな影響を与えないわけがない。

こんな真似はいけないと思いながらも、自分の心には(あらが)うことが出来なかった。 

 

 別荘地の夜は、静かに()けていった。

 歓迎の晩餐会は、こじんまりとして、ささやかな集まりだった。

呼ばれたのは、ヴァントリッツの住人たちと、議長の親しい間柄の人間。

 多くが政府高官と言う事もあって、3時間ほどと短めだったのも異例だった。

ドイツでは、基本的に樽俎(えんそ)は深夜まで行うのが当たり前だった。

老若男女問わず、明け方まで踊ったり、酒盛りをするのが一般的だった。

 

 まだ、ごたごたとしたざわめきの中で、マサキの声がはっきりと、皆の耳朶(じだ)を打った。

「なあ、議長さんよ。

どうして俺のような凡夫(ぼんぷ)に取り入った。

訳を……聞かせてほしい」

 マサキの質問を受けて、部屋の中に、ちょっとしたざわめきが起きた。

議長が不敵の笑みを浮かべて、マサキを揶揄(からか)う。

「博士は、ずいぶんと意地の悪い質問をなされる」

 

 マサキは不審な顔をした。東ドイツはまだ彼の支配下でない。

この国の政治家との交友や通商には、彼も少なからぬ神経を働かせていた。

「お前たちが、俺に近づいた理由は、大体見当がついている。

この東ドイツが、国際社会の荒波の中で生き残るのには、道は非常に少ない。

例えば、シベリア移転でソ連が減らした武器生産。

それをソ連に代わって、東ドイツが(にな)い、アフリカや中近東に安く売りさばく……

ユルゲンは、その様に考えたそうだな」

 ちらりとベアトリクスの方を向いて、彼女の瞳をながめた。

「あるいは、力による統制でBETAに対抗する究極の戦闘国家の創造……。

なんて馬鹿げた絵空事(えそらごと)を、考えているわけではあるまい。

圧倒的な物量を誇るBETAには、戦術機の突撃ぐらいで時間稼ぎにもならない」

 ベアトリクスは、先ほどまでの高圧的な態度に比べて、どこか落ち着きのない様に感ぜられる。

しきりに手を組み替え、机を触れたりして、視線を泳がせていた。

わずかに、頬を赤らめているほどであった。

 マサキは、ベアトリクスの名さえ出さなかった。

だが、聴衆は誰に対して言っているか、判っている様だった。

「たしかに、支配の原理として、力は有効だ。

富や名声、知性など、この世のすべては移ろいやすいものだ……

だが、それは人間の心も同じではないか。俺自身がそれを最も実感している」

そういうと、マサキは、はるか遠い過去への追憶(ついおく)に旅立った。

 

 

 人の想像もつかない所に、いつも人の表裏はひそんでいる。

 思えば、ゼオライマーを建造している時から、鉄甲龍はマサキを()むようになった。

うるさくなった。なければと、いとう邪魔物になった。

自分の力を凌駕(りょうが)する存在と、敵視するようになった。

 けれど、それを表面化して、マサキと争うほどの勇気もない。

彼等の智謀は、極めて陰性であった。

 

 そのことを察知したマサキは、密かに幾つの布石を打っておいた。

 まず、八卦ロボの爆破と図面の焼却。

簡単に復元できぬよう重要な部分に高性能爆薬を仕掛け、粉々に砕いた。

 次に、鉄甲龍首領とパイロット、名だたる幹部の暗殺。

マサキ自ら、イングラムM10機関銃を使って、手を下したのだ。

 最後に、ゼオライマーに(ほどこ)された幾重(いくじゅう)防御機構(セキュリティー)

ゼオライマーの生体認証には、マサキ自身のクローン受精卵を登録した。

 一番の秘密である次元連結システムも同様であった。

主要部品を人間の姿に偽装させ、氷室美久というアンドロイドを開発した。

 

 前の世界で、日ソ交渉の保険としてゼオライマーを欲した日本政府の陰謀によって、凶弾に倒れたことをまじまじと思い返していた。

クローン受精卵や自分の遺伝子を、何らかの形で伝えるものを残していない。

そのことを、今更ながら思い返していた。

  

 この世界に、俺の敵はいないと驕ってはいなかったか。

たしかに、秋津マサトの人格さえは消え去ったが、それだけに満足していないか。

 この世に冥府を築き、世界を征服するという野望も道半ばだ……

見目麗(みめうるわ)しい女性(にょしょう)に心奪われ、(おの)積年(せきねん)(ゆめ)をあきらめるとはどうかしている。

 クローン受精卵を用意できぬのなら、生身の女を抱いて、(はら)ませれば、済むこと。

そんなことも気が付かぬとは、俺もだいぶ(ほう)けてしまったものよ……

 

 やがてマサキは、意識を現実に戻した。

()わぬ(てい)をつくろって、改めてアイリスディーナを振り返った。

彼女の鼓動は、息が詰まるほどに、激しく跳ね上がる。

突然の事態に困惑しながらも、ドキドキと心を震わせていた。

「でも、ソ連とは言えども、何千万人の思想を操作するのは……さすがに無理でしょう」

 一生懸命に背筋を伸ばして話し出すきっかけを作ろうとするアイリスディーナ。

どうしても口ごもってしまう様子の彼女は、思わず抱きしめたくなるほど初々(ういうい)しかった。

 

 アイリスディーナは、本当に純粋で汚れも知らない表情で、それに似合わず大胆な質問をした。

ズバッと切り込んでくることに、マサキ自身が、かえって困惑をした。

「ただ、出来なくもないことはない……。

特定の薬剤による集団洗脳。奴らはそれを実用段階まで達成した」

余りの衝撃に、未知(みち)狂気(きょうき)に、アイリスディーナは身をすくませた。

「薬物といっても、既存の麻薬や向精神薬ではない。

阿芙蓉(あふよう)、ヘロインでは依存性が強すぎるし、人体への悪影響も大きい。

そこで奴らが作ったのは、指向性蛋白(しこうせいいたんぱく)と呼ばれる特殊な酵素(こうそ)さ」

 

 

 ベアトリクスは、マサキの言葉に驚いて、キッと目を吊り上げて言う。 

指向性蛋白(しこうせいいたんぱく)?」

 夫ユルゲンやヤウクからの話を聞いていたベアトリクスには、思い当たる節があった。

以前からソ連兵の態度が、BETAへの恐怖を喪失(そうしつ)していて、何かおかしいと直感していたのだ。

洗脳教育だけではないことは、その虚ろな目つきからわかっていた。

 軍人の、いや、女の直感だろう。

何か、麻薬をやっている。

 そういう目で見れば、ソ連赤軍兵士の虚無感に、そのことがありありとうかがえた。

しかし、情報不足の軍学校での生活の中で、中々真相はつかめないでいた。

「ソ連で実用化された洗脳用のたんぱく質さ」

ベアトリクスの勢いに気圧されたマサキは、しぶしぶ答えた。

「これの恐ろしいところは、無色透明、無味無臭。

ヘロインより簡単に合成出来て、検査試薬に反応しない」

 考えるだにおぞましい光景だった。

ベアトリクスは込み上げる怒りをもてあまして、コップをもてあそび続けるしかなかった。

「だから、ソ連では水源地にこれを散布する計画を持っていた」

 ベアトリクスの母であり、アーベル夫人でもあるザビーネが、マサキに問いただした。

マサキの話を、今一つ信じられない様子で。

「なぜ、そんなものを用意したのですか」

そんなザビーネの問いに、マサキは不気味な笑みを浮かべて、

「ソ連指導部は、そうまでせねば生き残れない。

奴らが、そうと思ったからと、俺は思っている」

 

 アーベルが、まるで(とが)めるような声音でいった。

「待ちたまえ、木原君。

君の説明は難しすぎて、あまりにも意味不明すぎる。

説明とは、女子供でも分かるようにしなくてはだめだ」

困惑顔をする妻のザビーネや、アイリスディーナの方を向くと、

「いいかい。

BETAが侵攻してくる前のソ連にも、コーヒー、オレンジやバナナがあり、娯楽もあった。

車や被服にしても、東ドイツに少し劣る、戦前のそれとさほど変わらない生活をしていた訳だ。

それがBETAの侵攻で、代用食材しか手に入らなくなり、制限されていた国内移動がさらに制限された。

平時の記憶を保ったままでは、戦時体制に耐えられない。

そういうことで、政治局はある決定をした。

それが、指向性蛋白による記憶操作という政策だよ」

 

 それは、まんざらでたらめという感じでもなさそうな話具合だった。

アーベルの事なので、恐らくソ連経由での話であろう。

 だが、そこは余程(よほど)割引いて聞く必要がある。

マサキは感じながら、耳を傾けた。

「指向性蛋白は、偶然発見された代謝低下(たいしゃていか)酵素によるものだ」

「代謝低下酵素?」

「ああ。国連の秘密計画であるオルタネイティヴ2。

オルタネイティヴ2とは、1968年に開始され、BETAの地球降下まで実施された秘密の計画。

内容は、BETAの捕獲・解剖によって調査分析を行うものだ。

BETAが、炭素生命体であることはわかったが……」

「その際に、代謝低下酵素を……」

「そうだ。

ソ連科学アカデミーでは、その基礎代謝を低下させる酵素に早くから注目。

数年に及ぶ研究の結果、特殊な蛋白質の抽出(ちゅうしゅつ)に成功した」

「それを使って、死を恐れぬ兵士を作っていたと……」

「ああそうだ。

ソ連では、それを裏付ける政治局決定が出されている。

生後間もない乳幼児を両親の元から切り離し、軍の保育施設で養育するという内容だ」

 マサキは、アーベルの話に、反射的に答えていた。 

今まで見せなかった狼狽(うろた)えの色を、いよいよ明らかにして。

「どういうことだ。

兵士としての教育なら、10代前半からでも間に合うはずだ……。

ソ連には、党直属のピオネール*3という少数精鋭の組織があるだろう」

(がく)として、疑いと、半ば信じたくないような感情を声にして放ったのは、マサキのほうであった。

「私もソ連にいた時、ピオネールにいたからわかるが、入隊基準は厳格だ。

参加資格は、健康で、優秀で、品行方正(ひんこうほうせい)な人物と決まっている」

アーベルは、氷のように冷たく答えた。

 

 ソ連はレーニン時代の失敗を見直さないのか……。

家族制度の否定は、やがて国家体制の崩壊につながる。

それに、乳幼児期の生活は今後の人格形成に大きな影響を与える……

 あのスターリンをして、否定させた政策を復活させるとは……

マサキの背筋には、憤怒(ふんど)と共に冷たいものが走った。

 

アイリスディーナは、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、 

「つまり、ソ連は洗脳教育と指向性蛋白によって、死を恐れない無敵の兵士を作ると……」

 アーベルの弁解は、中々熱心だった。

マサキの言葉から、彼を怖れ、警戒している様子だった。

「私も人の親だ。この話を初めて聞いたときは……言葉すら思い浮かばなかった」

マサキは、抑え難きいきどおりもこめて、おもわずつぶやいた。

「しかし、妙な話だ。

ソ連では成年男子が大分減少したというのに、少年兵まで繰り出したら……

やがては、人口形態がいびつになるぞ。

女ばかり残って、男が少ないのでは人口減少も(おさ)まるまいよ」

 

 まだ納得できず言いつのろうとするマサキに、アーベルは手を振って抑えた。

「実は……ソ連では人工子宮の実用段階に入ったと聞く。

優れた体格や容姿などを持つ人物の遺伝子を選別し、人工授精によって、培養(ばいよう)する。

そのような秘密計画が、あるそうだ」

 同席した客たちも首をあげて、そこへ瞳をあつめた。

驚くべきものを、そこに見たような眼いろである。

凝視(ぎょうし)したまま、しばしの間、(みな)心をうつろにしていた。

「オルタネイティヴ3計画の、人工ESP発現体の技術を応用して……。

何者かによって、ノボシビルスクのESP培養施設が破壊された。

だが……仕方のなかった事かもしれない」

 マサキは、木像の様な顔で、突っ立っていた。

アーベルの言ったことが耳に入ったのか、入らなかったのか。

虚無を思わせたマサキの目は、その瞬間、(さん)とした悲痛な色に満たされて、(うめ)く様に言った。

「人を人とも思わぬ研究など、滅びて当然だ」

 室中、氷のようにしんとなったところ、ハイム少将の副官が飛び込んでくる。

エドゥアルト・グラーフ少佐は、顔のいろを変えて、何事か告げに来た。

「同志将軍、それにおいでになられましたか。一大事です」

ハイム将軍は、副官の狼狽ぶりを叱った。

「同志グラーフ少佐、貴官は少し(つつし)みをもて。

一大事などということは、佐官の職責にあるものが滅多に口にすべきではない」

 若い副官に教えるばかりでなく、ハイム将軍は、議長の(おどろ)きを(なだ)める為にもいわざるを得なかった。

なぜならば日頃の毅然(きぜん)とした姿にも似合わず、議長がひどく顔色を変えたからである。

 ところが、グラーフ少佐は、

「いい加減なことを申しているわけではありません。

真に……、一大事にございます」

と、はや廊下を駈けて来て、テーブルのそばに平伏し、

「ただ今、軍情報部へ、プラハの米大使館からの急電がありました。

月面ハイヴから地球への飛翔物接近とのことです」

と、一息にいった。

 

 その場に、衝撃が走った。

首相はじめ、みな凍り付いた表情である。

議長は、容易にしずまらない胸の鼓動を、なお語気のふるえにみせながら、

「電報は。電報は」

と、グラーフ少佐が携えて来たはずの、プラハの米大使館からの急電の提出を求めた。

マサキはすでにある予感をもっていたのか、唇を噛んで、グラーフの姿を見下ろしているのみだった。

 その後、披露宴はそのまま臨時閣議の場になった。

マサキは明後日までいるつもりであったが、出立(しゅったつ)早暁(そうぎょう)

シュトラハヴィッツ少将とともに、ベルリン市内のシェーネフェルト空港に向かう事と決まった。

 

 閣議を終えた後、外に出たマサキは、我慢していたタバコを取り出す。

妊娠しているベアトリクスの前でタバコを吸うのは、流石に気が引けたのだ。 

「怖れていたことが、ついに実現したか」

と、ひとり呟き、紫煙を燻らせて、思慮にふけった。

 せめて今日一日だけでも、戦争のつかれ、旅の気疲れなど、すべてを放りだして、気ままに(こも)っていたい。

そう思っていたが、それも周囲がゆるしてくれない。

 

「ここにいたんだ」

ベアトリクスの声は、その闇夜がもっている寂寞(じゃくまく)(かね)のように破るものだった。

()むような声の明るさに対しては、マサキもどうしても快活(かいかつ)にせずにいられなかった。

「どうした」

 ベアトリクスは、薄いウール製のストールを羽織り、足首までの長いネグリジェ姿。

そんな薄着の姿に、マサキの方がびっくりするほどであった。

「こんな冬の夜更けに、薄着で身重の女が出歩くのは、体を冷やすだけだぞ」

 マサキとしては、最大な表現といっていい。努めて磊落(らくらく)であろうとしたのだ。

けれどすこし話している間に、そういう努力はすぐ霧消(むしょう)していた。

 幾多の困難を乗り越えてくると、おのずから重厚が備わって来る。

まして戦場の中で心胆を磨き、逆境から立身の過程に飽くまで教養を積んで来たほどな人物。

そうというものには、言い知れぬ奥行きがある、(ゆか)しい匂いがある。

(『ユルゲンが、注目するだけの男だけあるわ』)

 ベアトリクスの眼で見ても、しみじみ思う。

議長が、その政治生命を傾けて打ちこんだのも、無理はないと思う。

帝国陸軍の下士官にあって、戦術機を操縦する衛士として見ても……

すこしも不足のない人がらと、(うなず)ける。

 

「何が、可笑(おか)しい」

 ふと、話のとぎれに、マサキからこう訊かれて、ベアトリクスは初めて、しげしげと彼に見入っていた自分の恍惚(こうこつ)に気がついた。

「アハハハ。いや別に」

と、卑屈(ひくつ)なく声を放って、

「せめて、アイリスと話しぐらいしてやって……」

 マサキは、うらやましげにすら、相手を見ていた。

何不足ない扱いを自覚しながら、気持ちだけはもう10歳、20歳も若くあって欲しい。

 マサキは、そう言いたげな顔いろである。

自分の秘めたる思いを言い出された事から、客としての居心地は、たいへん気楽になって来た。

何でも言いたい事の言えるベアトリクスにも、また(うらや)ましさを感じないでいられなかった。

 

 哀願(あいがん)するように言うベアトリクスに、マサキはすまして答えた。

それは、まるで壮年の男が幼児に話しかける様な、やさしい声だった。

「俺は、その気のない奴を抱く気はない。

心を通っていない状態で、欲望の赴くままに、求めたりはしない。

この一件が終わり、そして、アイリスがただの女になった時、本当の男女の仲になるつもりだ」

 そう言いながら、マサキは新しい煙草を取り出した。

ベアトリクスの姿など目に入らないかのように、紫煙をゆっくり燻らせる。

「今は、闇夜に(ひそ)む獣と戦う為に、剣の様に感覚を()()まさせねばならない時だ。

愛欲を充足させれば、そこに油断が生まれる……

アイリスが欲しいと思えばこそ、いつも彼女に心が向いている」

 

 まるで、心を(のぞ)かれている!

唐突なマサキの告白に、ベアトリクスの背筋がゾクと震え上がった。

「アイリスに気を引かれて、注意が散漫(さんまん)になったらどうするのよ」

悲しげな眼でマサキを覗きあげて言えば、胸が締め付けられる。

「アイリスが身を任せたら、そうなるかもしれない。

だが、欲しいだけで物にはしていない。

だから、気を取られることはない」

 大きくうなづくマサキを見るなり、ベアトリクスは、くるりと向きを変えて、

「色んな体験をしてきたんでしょうけど、ずいぶん気障(キザ)な事を言うのね……

ネンネ*4のアイリスが首ったけになるのはわかる気がするわ」

立ち去ろうとするベアトリクスの背中に、マサキは着ていたダウンジャケットをかけた。

「今日は特段冷える。もう少し自分の身を大事にするんだな」

 反射的に振り返りそうになるのを、ベアトリクスは抑えた。

自分でどうにかしていいかわからないまま、素知らぬ振りをしてマサキが通り過ぎていくのを待つばかりであった。

*1
今日のブランデンブルク州ベルナウ・ベイ・ベルリン

*2
自衛隊ではこのようなものの存在は認めてはいない物の、一般論として、甲は旧ソ連圏、乙は香港・マカオを含む中共、丙は北鮮、丁は旧東側諸国であるとされる

*3
レーニン夫人のクルプスカヤ女史によって提案されたソ連共産党の幼年組織。ボーイスカウトを模倣し、軍隊形式の集団活動をした

*4
寝ること、眠ることをいう幼児語。そこから転じて幼稚なこと、また、世間知らずであることをあざけっていう言葉




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近いうち、グレートゼオライマー出そうと思っています。 ですが、OVA本編は未登場で、設定のみは公式資料集。 映像化の初出が『スーパーロボット大戦J』となっています。 その際は、スパロボのタグが必要なのでしょうか

  • スパロボタグは必要
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