冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 急遽決まった第一戦車軍団の帰国命令……
KGBの謀略工作が動き始めた首都・ベルリン。
ベルンハルト中尉の心中は如何に……




 この話は構成を変更していますので文字数が9000字近くになります。
長く読みづらいとは思いますが、ご容赦ください。



帰国命令 前編 (旧題:我が妹よ)

1978年2月

 

 

 再び第一戦車軍団と第40戦術機実験中隊に、ウクライナ派遣が下令された。

ベルンハルト中尉達、中隊の一行は、第一戦車軍団と共に寒風吹きすさぶハリコフに向かった。

 

 東部ウクライナの要衝であるこの地は、嘗て独ソ両軍が4度に渡って 干戈(かんか)を交えた場所。

冬季は平均気温が氷点下10度近くに下がり、寒さも身に染みる

静かに息を吐く。寒さで肺の中まで清められるような空気……

 市内を眺めると、まるで墓標のようなビル群が立ち並ぶ。

BETA戦争が始まる前は、この街は学校や研究施設がある静かな町であったことを思い出す。

わずか数年前の事とは言え、酷く昔に感じる。

耳付きの防寒帽を被り、将校外套を着て脇を歩くヤウクは、ずっと黙ったままだった。

 

「なあ、あの話は本当なのか」

 彼は、ヤウクに問うた。

ヤウクは周囲を見回した後、(ささや)く様に言った。

「本当さ。ハンニバル大尉には、家族が有ったというべきかな……

今は、奥さんと息子さん二人と、週末だけ家庭生活を送る暮らしをしているらしい。

なんでも、僕の聞いた話だと、奥さんの 従兄弟が色々な所に出入りして保安省に目を付けられているそうだ。

だから別居生活をして、大尉を庇う様な暮らしをなさっていると聞いている」

 彼は、ヤウクの方を静かに振り向く。

曇模様(くもりもよう)で、路面に降り積もった雪の寒さを強く感じる。

「だからといって若い娘と付き合うのはおかしくないか……」

 ヤウクは立ち止まって、彼の方を向く。

「彼女の方から誘ったらしい事は、大尉から(うかが)っている。

好き合った彼氏と、喧嘩別れしたそうだ。

彼の進路に関する事で反対したら、別れを切り出されて……」

 ヤウクは、彼の目を見つめる。

「聞いて思ったよ。まるで君達みたいじゃないか。

ベアトリクスの入学を最後まで反対したのは、君だろう。

君は……あの後、怒って暫く会わなかったそうじゃないか。

思い詰て、過激な手段に出るかもしれない……」

 彼は静かに問うた。

「どういう意味だ」

 ヤウクは肩を(すく)めて、おどける。

「何、言葉の通りだよ。

君のやり方では時間が掛かるとか言って、保安省や党中央に近づくかもしれない。

表現出来ない様な才色兼備(さいしょくけんび)と聞く。

その様な才媛(さいえん)を、シュタージの連中が放っておくと思う?

狙われたんだろう。一度で済むとは思えない……」

 強い口調で問いかける。

「何が言いたい……」

暫しの沈黙の後、ヤウク少尉は語った。

「君が守ってやる様な姿勢や理解する行動をしない限り……

彼女から、見捨てられるかもしれないってことさ」

 顔が紅葉し、革手袋をした拳が握りしめられる。

「貴様、言わせて置けば……」

 ヤウクは、彼の興奮を余所に、話し続けた。

「どちらにしても、今の僕達は、奴等から狙われている。

あの悪名高い野獣が見逃してくれるとは思えない」

 

 無論、奴等とは国家保安省の事で、野獣とはアクスマン少佐の事である。

彼が理解しているであろう事を考え、あえて説明しなかった。

「あいつ等、この国をソ連の様な専制国家に変えたいのか。

スターリンが築いた《収容所群島》を、民主共和国で実現させる心算なら……」

 

 彼は口ごもる。

幾ら、屋外で盗聴の危険性は低くなったとはいえ、何処かに間者が潜んでいるかもしれない。

 自分一人なら、どうでも良い。

妹である、あの聡明なアイリスディーナの事を案じると、そら恐ろしくなってしまう。

唯一の愛しい家族であるのだから……。

 

 日が傾くと次第に風が強くなり、勤務服の上から着て居る外套に、寒さが突き刺さって来る。

足早に、宿営地に戻る。

 夜間に為れば、現地では賊徒が闊歩し、危険。

戦地と言う事で、内務省軍*1警察(ミリツァ)*2も引き上げてしまった。

宿営地では、小銃に着剣し、ヘルメットを被った歩哨を立てている。

だが、ライフルでの狙撃や仕掛け爆弾に、数度遭遇した。

 幸い、人的被害はなかったものの、この地の反独感情の根深さを感じる。

或いは、ソ連支援の為に来た外征軍を、体制維持の先兵として、土民*3は見ているのかもしれない。

 

 宿営地に近づくと、門のところに、一人の男が立って待っているのが見える。

防寒帽を被り、羊皮の別襟を付けた外套を着て、腰には拳銃嚢を下げたベルト。

両腕を腰に当て、周囲を見張っていた。

 門から数メートル先の歩哨は、自動小銃に弾倉を付け、直立している。

門に近づくなり、声が飛んだ。

「同志中尉、遅かったではないか」

 声の主は、シュトラハヴィッツ少将。

一番帰りが遅かった将校の二人を、(たしな)める為に門前まで来ていた。

「同志将軍、少しばかり、話し込んでしまいました」

 ベルンハルトは、シュトラハヴィッツ少将に歩み寄っていった。

彼に向けて謝罪の言葉を伝える。

彼は厳しい顔つきになると、二人に忠告した。

「狙撃手は待ってくれんぞ。奴等は、隙があれば撃ってくる。

今度出歩くときは、小銃か、機関銃ぐらい持って行け。

どんな服装をしても狙われるから、勤務服でも構わん。

連中は、軍人だと分かれば仕掛けて来る」

 

 ベルンハルトは、彼の方を向く。

「ソ連では戦術機も狙われると聞きます。紐や針金に巻き付けた仕掛け爆弾で。

何か、刃物でも付ける対策でもせねば……ならぬでしょう」

彼は、思い出すかのように考える

「ソ連では、先んじて戦術機に炭素複合材(カーボン)の刀身を備え付けている。

ただ、その因で、(すこぶ)る整備性が落ちたと聞き及んでいる。

戦術機に、高性能アンテナを付けた君だ。何か、考えているんだろ」

 

 中尉は考え込んだ末、一つの答えを示した。

「支那や日本では、大型の刀剣を装備し、戦っていると聞いています。

ただ取り回しに困る長剣ではなく、合口(あいくち)*4程短くもなく、程よい長さの刀剣でもあれば……」

「実はな、同様の情報はT委員会経由で、入ってきている。

新型のソ連機には、人間でいう所の山刀(なた)程度の長さの刀剣を標準装備にするそうだ」

 

 『T委員会

それは、ドイツ民主共和国において戦術機導入を進めるために設置された特別委員会。

ほかならぬ委員長こそ、目の前に居るシュトラハヴィッツ少将であった。

「俺の所に、支那の商人が来て、刀を数振り置いていった。

ソ連でも使っているそうらしいから、それなりに評判のあるものであろう。

貴様等で好きにして良いぞ」

 

 彼が言った、「支那で作られた刀剣」

それは新型の武器で、正式名称を77式近接戦闘長刀と言い、先端が幅広の刀剣。

人民解放軍の工廠(こうしょう)で作られていたとは聞いたが、実戦配備はまだであったはず。

その様な物を、国外に売りさばくと言う事は、余程自信作の様だ……

 

「同志中尉、貴様はその刀を使って、他に先んじて、サーベルの専門家になれ。

(いず)れ、対人戦が起きるやもしれん。

そうなった時、そのサーベルが役に立つであろうと思える。

些か古めかしいかもしれんが、戦士たるもの剣を帯びてこそ、その姿が映える」

 

 (つるぎ)、なんという響きであろう。彼は興奮して答えた。

「つまり、BETAを断ち切る破邪(はじゃ)の剣になるかもしれないと言う事ですか」

「ああ、俺達自身はすでに、その存在自体がBETA狩りの剣其の物だ。

刀を帯びれば、文字通り、人類に仇なす魔物を狩る騎士になる」

 

 かのワグナーが、愛して()まなかった「ジークフリート」

あの英雄も、父の剣を鍛えなおし、雄々しく龍と戦った。

対BETA戦での戦意高揚の道具として、刀剣を振るい戦うのも悪くない……

今用いている短刀では、戦車級に取りつかれた時、心もとない。

長刀であれば、光線級吶喊(レーザーヤークト)の際、機銃弾が絶えた時、役に立つ。

否、弾薬を節約して、光線級吶喊の際に、有りっ丈の砲弾を浴びせる様にせねば駄目だ……

 彼の心は、決まった。

何れ、近接戦闘は避けがたい……

ならば、対人戦の訓練として、長刀を振るい、その技術を我が物にせねば、戦術機に未来はない。

砲弾を打つのならば、自走砲や戦車、ヘリコプター、低空飛行の航空機で十分だ。

 絶妙の剣技で、BETAを狩る。

それは、極限まで鍛え上げられた衛士と、洗練された戦術機でなければ、実現不可能だ。

帰国した後、早速その手法を取り入れよう。そうすれば、欧州初の剣術使いの部隊が出来る。

興奮した様子で、友を連れ立ち、己の天幕へ向かった。

 

 

 

 2月下旬のある夜、極秘電文が第一戦車軍団司令部に届く。

「緊急帰国せよ」

参謀本部の指令に、同本部は混乱した。僅か一か月の間に独ソ間の往復の命令。

1800キロの距離を帰還するのは、容易ではない。大部隊を率いて緊急帰国の指令。

 何かが起きている……。

大童(おおわらわ)で支度をすると、深夜ベルリンへ向かって部隊は移動を開始した。

先ずキエフまで戻って燃料を補給した後、ワルシャワまで最高速で走破。

ワルシャワに戻れば、あとは道路事情は格段に良くなる。

ワルシャワから、数時間でベルリン市内に入れるであろう。

数時間おきに小休止を入れ、全速力で帰路を急いだ。

 

 一方ベルリン市内では、表立ってKGBが動いた。

政府や軍に察知されることを気にせずに大胆な行動に出る。

公用車で、大使館や事務所から、直接官衙に出向いた。

午前10時前後に各省庁に乗り付け、シュミット等ソ連派人士を直接指導したのだ。

其の事は同日昼頃までに、他の官公庁や軍の情報部隊の知るところになる。

 保安省内からの『リーク』で、事前情報を得ていたハイム少将は、動いた。

保安省子飼いの監視員を恐れずに、この国を動かす面々が居る中央委員会に乗り込む。

午後1時過ぎごろ、自分が影響力を持つ連隊に指示を出し、庁舎周辺に非武装の兵を配置。

会議場内に少数の手勢と乗り込むなり、座上にある委員長に立礼をして話を切り出した。

 

「会議中、失礼致します。

KGBが、我が国に対して破壊工作を始めているとの緊急の情報が入りました。

詳細は未確認ながら、実力部隊を持って官衙を制圧すると計画が漏れ伝わっております。

どうか、緊急に非常線を引く準備を要請致します」

 ハイム少将は、委員長に掛け合った。

「同志議長、ご決断を!」

 目前の老人は、石像の様に固まっている。

保安相が立ち上がって、制止する。

「貴様。立場を分かって申しているのか。

これは党への反逆に当たるのではないのか」

 国防相が彼を弁護する。

「本当ならどうする。この国の主力は、ほぼウクライナに行ってしまったぞ。

早速だが、首都近郊の戦車部隊、高射砲部隊を呼び寄せろ。

仮に敵が戦術機部隊を引き連れてきたなら、事は内乱まで発展するぞ」

 

 遅れて、小火器*5で武装した保安省職員がなだれ込んだ。

彼等は遠巻きに非武装の人民軍将兵を囲む。

 議場に声が響いた。

周囲の顔がその声の主に振り替える。

ベルンハルト中尉達が会いに行った、件の屋敷の主人で有った。

「この非常時に、軍も警察も縄張り争いをやっている暇は、ありますまい。

そうでは御座いませんか、議長」

 委員長は押し黙ったままで、身動(みじろ)ぎもしない

彼はそれを気にせずに、保安省職員を一瞥(いちべつ)する。

「貴様等も小銃を置け。危なっかしくて、話も出来んわ」

 保安相は、職員に指示を下した。

彼等は小銃から弾倉を外すと、壁際に立てかけた。

「引き上げさせろ」

 間もなく退出命令を下し、その場から兵を引き上げさせた。

そしてある人物を指名して、議場に呼び寄せた。

「アクスマン少佐を、此処に呼べ」

 

 

 既に日は傾き始めており、幹線道路は渋滞し始める直前。 

交通警官の制止を振り切り、大急ぎで中央委員会のビルに一台の乗用車が乗り込む。

 運転手は、周囲を確認せずに荒々しく車を止める。

車内で、アクスマン少佐は、上着を脱ぐ。

普段上着の下に隠して保持する小型拳銃を、インサイドホルスターごと車内に置いた。

改めて、軍帽を被り、上着を着なおし、ネクタイを直す。

肩からランヤードと拳銃嚢の負い紐を下げ、ギャリソンベルトに着け直す。

弾倉を確認し、ランヤードを付けると、自動拳銃を拳銃嚢に仕舞いこむ。

予備マガジンの入ったポーチを付け、ベルトを締めこむ。

相手を威圧するために、あえて自動拳銃を目に見える形で帯びたのであった。

 ドアを開ける際、運転手に声を掛けた。

「車を回す準備をしておけ。ゾーネ」

彼は、両手で軍帽の位置を直すと、長靴を鳴らしながら庁舎内へ消えていった。

 

 議場のドアが勢い良く開けられる。

拳銃を帯びた兵士に連れられて、アクスマン少佐の姿が目に入る。

両腕を後ろ手に縛られながら、後ろから催促され歩いて来る。

帯びていた拳銃は、ベルト一式、衛兵に没収されしまった。

 

「議長、不届き者が居たので、お連れしました」

 保安相だった男が立ち上がって、声を掛ける。

「アクスマン少佐……」

 奥の方から、声が飛ぶ。

「先程、議長と保安相は辞意を示された。

新任の議長は未だ決まっていないが、暫定の立場で、俺が仕切る事になっている。

少佐、君は元議長をシェーネフェルト*6までお連れしなさい」

 

 彼は、その言葉に唖然とした。

自分が呼び出される間に、事態は大きく動いたのだ。

「遅かったか……」

 アクスマンは膝から力が抜け、その場に屈した。

奥の方に立つ男から声が飛ぶ。

「同志少佐、君と取引がしたい。

まず、元議長とそのご家族を国外に送り出す。

そのを成功させたのであれば、君の地位を保全しよう。

中佐に一旦昇進させた後、大佐にして保安省の次官級の職責を任せたいと思う。

受け入れるつもりはあるかね」

 非武装とはいえ、数百人規模の兵に、この庁舎は囲まれている

自らの生命は危うい……。

アクスマン少佐は、一旦彼等の提案を飲むことにした。

 


 

 

 ユルゲンが、政変の報に接したのは、その日の夕刻。

ワルシャワ入城後であった。

 まだポーランド側での報道はないが、噂話では広まっている様子。

現地語が出来ない彼等には、詳しい内容は分からなかった。

だが、委員長が辞職したらしいことは漏れ伝わって来る。

 ユルゲンは悔やんだ。

あの父が如く、数か国語を自在に操り、市井の人々から本音を聞けたらどれだけ良かったか……

 しかし今の立場は、人民軍中尉。

無闇に聞けば、彼等も(いぶか)しがって話はしない。

 もどかしい気持ちになる……

本音を言えば、誰が首脳になってもドイツはソ連の隷属の下。

 ソ連は、彼等なりに東ドイツに気を使ってはいる。

だが、WTO*7から離れるようなことをすれば許しはしない。

嘗て、アーベルやシュトラハヴィッツが話していた様に、ソ連が軍事行動をする危険性は十二分にある。

己が都合で、傀儡政権の首を挿げ替える事さえ、(いと)わない。

 

 いずれにせよ、社会主義の一党独裁体制下では、憲章や法典に定められたプロレタリアの自由も平等もない。

 5年前のソ連留学の時、ソ連軍は味方ごと核爆弾で焼いた。

BETAを倒す為には、市民の死すら(いと)わない、あの醜悪(しゅうあく)な政治体制……

200機の戦略爆撃機に、1000発の核弾頭を装備し、カザフスタン西部を核飽和攻撃で焼いた。

 あの(おぞ)ましい光景が鮮明に蘇る。

核による遅滞戦術……、中共ではハイヴ攻略まで取られていたと聞く。

 自らが推し進める光線級吶喊戦術。

これは正しいのであろうか……

 闇雲に兵を損耗させるだけではなかろうか……

やはり、嘗てシュトラハヴィッツが提唱していた諸兵科連合部隊による運用で戦うべきか……

 

 様々な思いを逡巡させていると、心配そうな顔つきでヤウクが話しかけて来る。

いつもの勤務服ではなく、深緑の綿入れ野戦服を着こみ、頭には防寒帽。

手には、磨かれたアルミ製のマグカップを二つ持ち、中には湯気が立つコーヒー。

「飲めよ。寒いだろう」

 (かぐわ)しい豆の香りがする。

 息を吹きかけ、冷ましながら静かに口に含む。

これは代用コーヒーではなく本物だ。

「どこで手に入れた」

「母が工面(くめん)してくれたのさ……」

 ユルゲンは、ふと、満天を仰ぐ。

月明りに照らされた木々の間を飄々(ひょうひょう)と、寒風が通り抜ける。

降り積もった雪には、幾つもの足跡と何列もの(わだち)……

 

 彼はヤウクの言葉を聞いて、在りし日の家族を思い起こす。

まだ父が健在で、愛しい妹が幼子であった頃、美しい母は傍にいてくれた。

 だが、 寂しさから間男に走り、生き別れる。

異父弟も、もう入学する頃合いであろう……

 自然と目が 潤み、涙が流れ落ちる。

脇に居るヨーク・ヤウクを、まじまじと見る。

 彼の生い立ちは、自身より壮絶だった。

ソ連の為に志願して、あの『大祖国戦争』*8を戦った祖父に待っていたのは国外追放であった。

 17世紀にドイツから移住したボルガ系ドイツ人を祖に持つ彼の祖父母。

彼等は大祖国戦争の折、中央アジアに強制移住*9させられた後、ドイツに再移住させられた。

大本を辿ればドイツ人だが、言葉や宗教、習慣も違うドイツに、捨てられたのだ……

祖父は志願して、東部戦線に参加したにも関わらず、勲章も恩給一つも貰えず、 弊履(へいり)を棄つるが如し扱いを受ける。

 その様な環境から身を起こして、空軍士官学校次席を取るのであるから、彼の努力は並々ならぬものである事が判る。

やはり、家族の強い絆と深い愛の裏付けがあって、為し得たのであろう……

 貧しいながらも、温かい家庭。

ヤウクが羨ましいと、ユルゲンは心の底から思うた。

 

「どうした、急に泣き出して」

 同輩が 滂沱(ぼうだ)する様に、ヤウクは困惑した。

目頭を官給品のハンカチで抑え、下を向いた侭だ。

ハンカチを取り、内ポケットへ畳むと、綿入れの腰ポケットから落とし紙を取る。

鼻をかみ、眼を拭くと、彼の方に振り返った。

「ああ、昔を思い出していたのさ……」

羊皮の防寒帽を被ったベルンハルトの顔は、涙で濡れ、目は赤く充血している。

 

 不安を感じたヤウク少尉は、ユルゲンを慰めるべく言葉をかける。

彼は、同輩の真横を向きながら、話し始めた。

「最近の君は、感傷的では無いかい……。妹さんが気になるんだろう。

美丈夫の君に似て、(うるわ)しい目鼻立ちと聞くし……。

色々、先々が心配なんだろう」

「ああ、俺の取り越し苦労かもしれんが……

アイリスは俺が死んだら、俺を思うて苦しむのであろうと悩んでいた。

ベアトリクスも、そうだ。

時々思うのだが、彼女達の愛は深く、そして重い。贅沢な悩みかもしれんがな……」

彼は、冷めたコーヒーを口に含む。

「ユルゲン……」

 ユルゲンは、泣き腫らした顔をヤウク少尉に向ける。

「俺はときどき思うのさ。

彼奴(アイツ)等は、俺が無き後も独り身で、寂しく死ぬのではないかと。

変に(みさお)など立って、高邁(こうまい)な思想とやらで(おお)い隠し、国の為に(じゅん)ずる……。

そう思えてくるのだよ」

 

 思えばベアトリクスと出会った時より、彼女の鬱屈した心に感情移入をしていたのではなかろうか。

遠く離れてみて、ユルゲンは改めてその事に気づかされた。

ベアトリクスの本心はこれほどまでに重く、何と深く鮮烈な愛であるのか……

ユルゲンは一人心の中で、ベアトリクスへの想いを強めた。

 

 ヤウクは、目の前で思い悩む同輩に心から忠告した。 

「彼女たちを幸せにするか、否かは君の行動次第じゃないかな。

有触(ありふ)れた言葉だけど、女の幸せを知らせてやる。それを出来るのは君しか居ないじゃないか……。

何時までも逃げていないで、彼女を(めと)ってあげなよ。

君が承諾しなければ、(とう)が立つ*10まで待ち続ける」

 

 ユルゲンは冷笑した後、天を仰ぐ。

「貴様は、其れしか言えんのか……。まあ良い、思い人*11など居るのか……」

 ヤウクは、満面(まんめん)(しゅ)を注いだ様子になる。

「実は、まだ誰にも明かしていないんだけど、同志将軍(シュトラハヴィッツ)の御嬢さん。

可愛らしいだろう。まるで、天女(てんにょ)の様じゃないか」

 同輩は、酷く狼狽(ろうばい)した。

「お前、本当なのか……」

彼は真摯(しんし)な眼差しで、狼狽するユルゲンを見る。

「本当さ。あの(けが)れなき姿……、思うだけで十分さ。

望む事なら妻に迎え入れたい位だよ」

 

 

 

「その言葉、本当であろうな」

 背後から、低音で通る声が聞こえる。

彼等は、後ろを振り返ると、逞しい体つきの男が、腰に手を当てている。

綺麗に剃られた口髭の顔は厳しく、鋭い目付きで彼等を睨む。

 綿の入った一(そろ)いの将校野戦服を着た、彼女の父が居た。

彼を、品定めするかの様に見つめ、黙っている。

眉が動き、被った防寒帽が微かに盛り上がったかのように感じた

「今の言葉が偽りでないのであれば、10年。いや5年待ってやろう。

貴様がフリードリッヒ・エンゲルス軍大学を出て、佐官に昇進するのが最低条件だ。

無論、この戦争を五体満足で生き残り、幕僚として活躍できる自信があって、そう抜かしているのであろうな」

 腰のベルトに付けたホルスターに手を伸ばし、蓋を開けて拳銃を取り出す

銀色に輝くPPK*12拳銃が握られた右手を、彼の方に向ける。

 

戯言(ざれごと)であるのならば、この場で撃ち殺す」

弾倉は外され、食指は引き金から離されて伸びた状態ではあった。

その姿に圧倒された彼は、確かめる余裕さえなかった。

 ベルンハルト中尉は脇目で、彼を見る。

あの落ち葉を散らした顔色は、雪景色のように白く、灰色の人造毛の防寒帽は汗で湿り変色している。

 彼は 諦観(ていかん)する。

深々と最敬礼をして、述べた。

御嬢(ウルスラ)さんを僕にくれませんか」

 

 少将は銃を向けた(まま)だ。

「貴様等は、こんな所で腐って地べたを()いずり回る様な存在ではない。

相応しい働きをして、それ相応の地位に就け。

先ず、男として遣るべき事だ」

 眼前の男は、同輩の方を振り向いた。

「同志ベルンハルト中尉!貴様もだ。

貴様が 祖国(ドイツ)を思う気持ちも分かる。

だが、一人の父親として、わが娘の幸せを願うのも人情。

あのブレーメの娘御を愛しているのなら、何時までも焦がせるな。

人にも旬がある。猶更(なおさら)、女だ……」

 

 彼はそういうと、手に持ったピストルを拳銃嚢に静かに収めた。

そして、背を向け歩き始めた。

「明日は早い。夕刻までにはベルリン市内に入る。良く準備をし、早く休め」

佇む彼等を後にして、月明りの中を、宿舎まで歩いて行った。

*1
内務省直属の武装組織。外征向けの赤軍とは違い、国内の防衛任務に従事。

*2
милиция,ソ連国内警察。治安維持の他に政治指導や一般住民の思想宣伝工作にまで携わった

*3
現地住民

*4
鍔の無い短刀

*5
個人で携帯可能な火器。小銃や拳銃の事。

*6
ベルリン市内の空港

*7
ワルシャワ条約機構

*8
独ソ戦のソ連側呼称。ナポレオンのロシア侵攻を祖国戦争と評した帝政ロシアに倣い、スターリンは対独戦を大祖国戦争とした。

*9
ソ連は戦争開始以前から日独への協力を恐れ、ドイツ系や朝鮮系の住民を強制移住させていた。

*10
野菜などの花茎が伸び過ぎ、硬くなって食べ頃が過ぎてしまう事。転じて人がその目的に最適の年齢を過ぎてしまう事を示す。一般的に男女の婚期を指す。

*11
恋しく思う人。 恋人の事。

*12
Polizei pistole Kriminal.カール・ワルサー社製の刑事警察用拳銃。東独では特許を無視して違法生産が続けられていた




 東独の平均的な婚姻年齢は21歳です。
また婚姻年齢が若い為、女性の離婚や不倫も珍しい事ではなく日常茶飯事でした。
 これは1989年のベルリンの壁崩壊まで変化しませんでした。
以上の事を勘案して、ユルゲンやヤウクの結婚観・家庭観を理解して頂ければ幸いです。

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