冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
一方、鎧衣は謎のシュタージ工作員に接触していた。
早速、マサキは丸の内にある
しがないソ連相手の貿易商にしては、金回りのよさそうな感じを受けた。
資本金500万円ほどなのに、丸の内に大きなビルを持っており、多数の従業員を抱えている。
彼の経営手腕も関係あるだろうが、裏に金を貸す銀行なども絡んでいるのだろう。
ビルの受付に行くと、ちょっとした騒ぎがあった。
白い
「わ、私は、ほ、本気だぞ!
ここで、拳銃自殺をすれば、嫌でも明日の朝刊の一面に載る」
男の手には、2インチの銃身をもつ、コルト社製の
.357マグナム弾を発射できる小型拳銃で、1955年に発売された。
ほかのコルト社製回転拳銃と違い、ほぼすべての工程が、熟練工による手作業での組み立て。
その高品質と、高価格帯から、「拳銃のロールスロイス」と評された。
「そうすれば、八楠の汚いやり口が、白日の下に晒されるだろう」
「好きにすればいい。
なんなら、今から在京キー局のテレビカメラマンを呼んでやろうか」
「な、何!」
「株式買い取りを通じた合併は、合法的な企業戦術にしかすぎん。
それに敗れたお前は、ただの負け犬ってことさ」
「この
人が心血を注いで築き上げた会社を、二束三文の金で奪い取ることの、どこが合法的なんだ」
激昂した男は、リボルバーの撃鉄をゆっくりと上げた。
ほぼ同時に、輪胴式の弾倉が、連動して回転する。
「頼む、八楠さん。
「俺は忙しいんでね。
それに
「き、貴様、正体を現したな。
青年実業家などと、
政商とは、政府や官僚との縁故や癒着により、優位に事業を進めた事業家や企業のことである。
俗に、御用商人とも呼ばれ、公共事業や新規発展の目覚ましい産業に食い込んだりもした。
明治期の御用商人として代表的な人物として、薩摩藩士であった
もっとも彼は、事業の負債を抱え、商船三井や南海鉄道などの、今日まで残る仕事をした。
だが晩年は、重度の糖尿病に侵され、49歳で亡くなるという、あっけのない最期であった。
「こうなったら、地獄で待っているぜ。あばよ」
男は周囲の人間が止めるよりも早く、コルト・パイソンをこめかみに当てる。
その途端、ピューンという音とともに、手裏剣が拳銃をかすめた。
男は手裏剣の衝撃で、持っていた回転拳銃を取り落とした。
周囲の人間は、一瞬の出来事に理解が追いついていないようだった。
まもなくすると、その場に、拍手が鳴り響く。
野次馬として来ていた八楠の社員たちが振り向くと、数人の男女が立っていた。
1人は、季節外れの、茶色いトレンチコートを手にした、壮年の男。
薄い灰色の背広に、パナマハットなどを被っているところを見ると、サラリーマン風である。
「何だ、貴様らは!」
警備員の問いかけに、鎧衣は持ち前のユーモアをたっぷりと披露した。
「いや、東京は恐ろしいところですな。
ビルの中に入ってみれば、自殺未遂。
京都では考えられませんな」
藪から棒に変な事を口走る男。
人々は気違いと思って相手にしなかったが、社長の八楠はこう返した。
「京都から来たんだって?
じゃあ、大空寺の総帥、大空寺真龍は知っているかい。
総帥と俺は義理の兄弟なんだ」
マサキは苦笑すると、八楠の方を向いた。
手をのばせばすぐ届く距離に、肥満漢の大男が立っていた。
「知らんね。
俺には、お前の様な
男のだらしのない体型をあざ笑った後、タバコに火をつけた。
八楠は落ちているコルト・パイソンを拾うと怒りに任せ、拳銃をマサキに向ける。
引き金を引くと爆音が響いたが、当たったかどうかは判らない。
確認をする前に、彼自身が撃たれたためであった。
拳銃を持った八楠は、事件の通報を受けてきた警官に射殺された。
債権者の狂言を見て、美久が手配しておいたのだ。
事情を知らない警官は、八楠を立てこもり犯と勘違いした。
マサキに向けて発砲した直後、八楠の脳天を警告なしに撃ったのだ。
撃たれたマサキに被害はなかった。
次元連結システムのちょっとした応用で、難を逃れたのだった。
美久の運転するアコード・サルーンは、代々木インター付近を通り抜ける。
後部座席のマサキは、流れ去ってゆく新宿の街並みに顔を向けた。
外はすっかり陽が落ちて、暗くなっていた。
高速道路から見える街の灯りは、星のまたたきのように美しい。
この大東京の繁栄ぶりを、いつかアイリスディーナに見せてやりたい。
いや、みせるどころか、銀座や有楽町と言った街中を二人でぶらぶら歩いてみたい。
デートまではいかないが、誰に気兼ねすることなく朝から晩まで連れまわしてみたいものだ。
別に東京じゃなくてもいい。
紅葉の時期に、京都の金閣寺や、日光の中禅寺湖に連れて行ってのもよかろう。
真冬に沖縄でバカンスなども、楽しかろう。
彼女の眼の色と同じ海で泳ぐのも、また一興だ。
ソ連の後ろ盾のなくなった東独は、10年もしないうちに滅ぶ。
石油や天然資源が格安で入らなくなり、経済的に立ち行かなくなるのは目に見えている。
だから、焦る必要はない。
だが、アイリスディーナの年齢を考えれば、悠長なことも言えまい。
今は19歳の美少女だが、10年もすれば29歳だ。
若い女の1年は、男の5年にあたる価値がある。
10年も無駄に過ごせば、50年を無為に過ごしたことと同じになる。
この黄金の日々を、あのくすんだ色の軍服を着て過ごさせるような真似は避けたい。
彼女に似合うのは、レインドロップ模様の迷彩服ではなく、パールホワイトのドレスだ。
胸を飾るのは略綬やメダルではなく、神々しい光を放つジュエリーでなくてはならない。
トレンチコートではなく、練り絹やメリノウールで編んだストールをまとってほしい。
細い腕には、ソ連製の自動小銃・AKMではなく、いとし子を
そこまで思って、マサキは静かな笑みを浮かべた。
諜報戦というのは、実に地味な戦闘方法である。
劇映画のように敵地の奥深くに侵入して目標を破壊したり、機密文書や新兵器を盗むことばかりではない。
その多くは、敵国や第三国の世論を自国に有利なように煽動する情報工作がほとんどである。
日本や米国を代表する自由主義諸国は、ソ連や中共と違い、国民の声を政権に一定数反映する民主主義のシステムを採用している。
その為、対外工作や偽情報工作を受けやすく、KGBが仕掛けた世論誘導によって、政権転覆が起きた例もある。
1980年代の西ドイツの反核運動は、その起源の一つに環境問題を入り口とした偽情報工作があった。
当時の西ドイツでは、出来たばかりの緑の党や環境保護団体が地球寒冷化による気候変動の恐れを必死に説いていた。
中でも熱心に説いたのが、核戦争による核の冬の到来である。
彼らのやり口はこうだった。
いきなり核の冬を主張すれば、ソ連の核の脅威におびえる西ドイツ人でも警戒するので、自然保護運動を入り口に使われた。
自然保護という甘い言葉でくるんだ左翼思想を与え続け、気が付かない様に誘導を行う。
完全に左翼思想に痺れた頃合いを見て、気候変動による地球寒冷化を話に挙げる。
そして、そこから核兵器のことを学び、核による気候への深刻な影響を刷り込むのである。
この様な洗脳を受けた人間は、自然と核兵器廃絶や平和運動という左翼活動にも携わっていくという具合であった。
当時の西ドイツは、共産党は非合法で、尚且つ破壊的な活動を行うドイツ赤軍や毛沢東主義者は警戒されていた。
その為、KGBは正面からの赤化工作や反戦運動ではなく、環境問題を切り口にした工作を行った節がある。
当時の西ドイツでは急速な経済発展で、公害問題が続発しており、KGB工作の入り込める余地が存在していた。
西ドイツ南部に広がる
この広大な森林地帯が1970年代に急速に失われ始めており、酸性雨の被害であると連日連夜報道されていた。
だが、シュバルツバルトの大量枯死の原因*1は、酸性雨による環境破壊ではなく、高地特有の乾燥による枯死だった。
西ドイツ以上に、東ドイツやチェコスロバキアの環境汚染の方が深刻だった。
だが環境問題は、東側諸国で国禁であり、シュタージやKGBの管轄だった。
弾圧下であっても一部の知識人や学生が問題化し、西側と連携して情報を公開していくのだが、その話は後日に譲りたいと思う。
アクスマンの遺書という、今回の偽情報工作の目的とは何か。
それはKGBによる対日世論工作であり、また日・米・中の離間工作であった。
ゼオライマーの機密情報をもとにし、反ソで結束しているこの三カ国間の連携を崩すという方策であった。
この作戦は日米間の離間工作だけではなく、ソ連と急速に距離を置き始めていた東独にも向けられたものだった。
東独側は日米と違い、事態を静観しているばかりではなかった。
早速、その対策として、密かに人員を派遣することとしたのだ。
ラインホルト・ダウムは、東独政府団が東京に来る前に日本に来た。
彼は、シュタージの対外諜報部門・中央偵察総局の副局長の一人である。
ダウム自身はシュタージに採用されて、すぐポーランドでの潜入工作員として活躍した
西ドイツへの積極工作という情報操作を専門とし、わずかな虚偽情報を混ぜた政府機密を意図的に流す事をしている男だった。
これはKGBが良く使う手で、諜報界隈では積極工作という。
英語では、
防諜機関のない日本では、スパイ天国であることはシュタージの間でも常識だった。
KGBが東京の新聞社に出入りする人間に接触し、言葉巧みに世論誘導することは簡単である。
仮に非公然工作員が捕まっても、それを処罰する法律がない。
だから諜報関係者の間では、日本に来るという事は一種のバカンスである。
という様な
今回は東ドイツの雑誌、「
日本側も東独の新聞記者や雑誌社の人間を警戒しなかった。
それは日本が、東独では報道が許された数少ない西側先進国という面があったからだ。
東独では、西独の情報は入ってきていたが、大っぴらに語ってはいけないことだった。
住民はおろか、党幹部、軍関係者やシュタージでさえ、西独のテレビを見ていたが、そのことを口にするのはタブーだった。
資本主義的堕落の傾向とみなされ、最悪、懲役刑が待っている可能性があったからだ。
また米国に関して言えば、ソ連の衛星国という事で敵国の宣伝煽動を防ぐ意味合いから、否定的な宣伝以外は回避された。
ソ連とは違い、一応、ロック音楽やジーンズなどは入ってきていたが、当局の意図に沿う形に修正されたものだった。
ソ連のようにボロ布で闇のジーンズを作ったり、レントゲン写真を削ってレコードの音を複製する様な事はしないで済んでいた。
それでも闇屋が横行し、西ベルリン経由でジーンズを輸入したり、教会でロック音楽のレコードを掛けたりしていた。
日本に関する報道が許されたのは、米独と違い、直接の対立関係になく、地理的に遠かったのも大きい。
また日本も敗戦国だったので、その戦後復興や発展ぶりが東独で参考にされた部分もある。
日本人自身も、容共人士を中心に東独を詣でて、共産主義的な教育方針などを視察し、教育現場の参考にしようとしたり、比較対象として研究が進んでいた面もあった。
そういう事もあって、ダウム少佐はすんなりと日本国内に入れたのだ。
無論、内務省や情報省は、この外人に対して何もしなかったわけではない。
密偵を仕立てて、密かに尾行することにしたのだ。
ダウムは、流れ出る汗を拭きながら言った。
半袖姿で、先ほど買ったばかりの扇子で
「君の国は、フィンランドのサウナより酷いところなのだな」
30度近くだというのに、きっちりとパナマ帽と夏物の背広を着こなしている。
「無茶苦茶な事を言ってくれるな」
ネクタイこそ緩めてはいるが、上着を脱ぐそぶりすら見せない。
日本人は夏の暑さに慣れているというが、本当にそうなのだろう。
「確かに湿度は50パーセント以上あるが……」
「この時期には毎日、日射病*3で死者が出ていると新聞で報道されているそうじゃないか」
ダウムは、サングラス越しに目を細めた。
上野公園のアスファルトからの日光の照り返しは、比較的涼しい国であるドイツの国民にとって、強烈なものだった。
「極端な話さ」
明瞭なドイツ語で、彼の傍にいた日本人が答えた。
大通りを行き交う車や、道路の反対側にある商店街を見ている。
「建設作業者や運動部に入っている学生が日射病で倒れることはあるが、暑さだけで死ぬ事はないな。
何なら、ラムネでも
ここが温帯であることを忘れるほどの爽やかさだ。
冷えたものなら、多分、米国製のスプライトよりもおいしいぞ」
「冗談じゃない」
その話を聞いて、ダウムは余計に暑さを感じた。
「ソーダ水を飲んだぐらいじゃ、体にまとわりつく湿気は消えない」
「蒸し暑いのは嫌か」
「ここは地獄の窯だ」
「じゃあ、なんで真夏の日本に来たんだ」
「血のつながらない娘が、
血のつながらない娘とは、アイリスディーナ嬢の事か。
確かに、この男とアイリスディーナ嬢の母とは再婚関係にはあるが……
諜報員、鎧衣左近は笑った。
どうやら男は、自分が誰かと知っていて、身分を隠さないらしい。
「君の
「いくら社会主義国だからと言って、国際結婚を禁止する法律はない」
「自由を取り締まる人間が言う言葉じゃないな」
鎧衣は、面白くなさそうに言った。
ダウムは、かすかに笑みを浮かべて返す。
「お互い様だろう」
「ああ、そんな所さ」
鎧衣は、マルボーロと使い捨てライターを差し出した。
ダウムは白と赤いソフトパックとライターを受け取ると、封を開け、タバコに火をつける。
「ところで、君に頼みたいのが……」
鎧衣は、唐突に言った。
「信用出来る人間にこれをみせて、確認を取ってほしい」
そういうと鎧衣はワイシャツの胸ポケットにあるシガレットケースを取り出した。
ケースを開けると、中に挟んである紙をダウムに差し出した。
「目的はなんだ」
ダウムは、鎧衣から受け取った紙を見ると訊ねた。
そこには、アクスマンの遺書が東京の日刊紙に掲載された三日後にソ連で報道されたと書かれていた。
「ゼオライマーに関する偽情報にKGBが絡んでいるか、どうかだ。
アクスマンという男は、君の職場の人間なんだろ……
大方、今回の新聞報道で困っているそうじゃないか」
「損な話じゃないな」
ダウムは扇子であおぐと、首をかしげて言った
「KGBと彼の交友関係か。
それとも彼が二重スパイに仕立てた西ドイツの関係者の事か。
記事を書いた人間は……」
「中堅新聞社の編集局員だ。
その新聞社は、表向きは反共主義を掲げているが……」
「平和のためのスカウトを受けた人間かもしれないな」
平和のためのスカウトとは、中央偵察局長官マックス・ヴォルフが好んで使った表現である。
西側の人間をスパイや協力者に仕立てることを、戦争を防ぐためであると自己弁護したのが始まりだった。
この言葉は、シュタージ内部ではスパイとしての勧誘を意味する隠語となった。
「これがシュタージのやり口か」
「KGB直伝の手法さ。
もっとも、今はミルケ長官の時代ではないから、あまり好まれないがね……」
手練れの工作員は、さも10年来の友人のようにシュタージ少佐に答えた。
「まあ、仕事の話はこれくらいにして、冷えたビールでも飲もうではないか」
ダウムは、顔つきだけをにこやかなものに戻して応じた。
「日本人が作ったビールは、飲んだことがないからな」
1980年代に緑の党が盛んに宣伝してきたことと事実が異なることが判明した好例である。
以下に参考URLを記載したい。
株式会社東環『きょうの東環』2019,07,03, Wednesday「常識が覆されるとき」
http://www.tokan-eco.jp/blog/index.php?e=1667
男性向けの雑誌で、読者層の75パーセントは旧東独となっている。
スイス国内でも同名の雑誌が発行されているが、前出のドイツ紙とは全く無関係である
昔は喫煙マナーは今と比べて、非常に悪いものでした。
灰皿のない所でタバコを吸うのはザラで、道路を歩きながら吸うのは当たり前でした。
そういう時代背景を前提に、今回の喫煙シーンを書いています。
ご感想お待ちしております。
作者に書いてほしい話に関して その2(暁の連載にも影響します)
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