冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 コトブス空軍基地にいるアイリスディーナを尋ねる人物がいた。
その狙いとは……


夏日

 ドイツの天気は、日本と違って暦通りの物ではない。

7月に摂氏30度に迫る好天が続いたかと思えば、8月には20度を切る日がある。

また南部と北部では気候が違い、ベルリンなどでは海風の影響が強く降雨量も多い。

 ただし、それとて我らが住む日本のそれより湿度が低く、降雨量も少なかった。

地上の陰鬱な天気を別として、上空は常に澄み渡るような晴天だった。

鮮烈な青い色合いが迫ってくるような感覚に陥る。

 

「ブラウ1より、ブラウ10へ、しっかりとついて来い」

「了解!」

 

 気密装甲兜(ヘルメット)受信機(レシーバー)から響く編隊長の声に返答したアイリスディーナ・ベルンハルト少尉。

MIG-21のコックピットで居心地の悪そうに背中を動かす。

 網膜投射に移る画像から、右前方を飛ぶ編隊長機を見る。

向こうからこっちは見えないはずなのに、一体どこから目を付けているのだろうか。

経験豊富な古参兵だからだろうか、それとも戦場を生き残ってきた素質だろうか。

 彼女は、北方の守りを任せられた東独コットブス空軍基地で、一番若いMIG-23の衛士だった。

第1防空師団第1戦闘航空団に配属されて、まだ1年もたたない。

この半年間、気の抜けない日々の連続だった。

 第1戦闘航空団に配属されるという事は、将来の展望が開けていると同意義だった。

しかしそれは、ソ連帰りの実戦経験者から手荒い訓練を受けることを意味していた。

アイリスディーナの訓練を受け持つ人々は、普段は優しく、酒が入れば率直な人間だ。

だがひとたび空に上がれば、それ以上の力で物事に対処し、躊躇なく彼女の欠点を指摘してきた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 アイリスディーナが訓練していた日は、大規模な実働演習の開始日だった。

東独軍では数年ぶりに行うもので、空軍司令官の視察も兼ねていた。

実はワルシャワ条約機構軍の間では、1970年代の後半に西方(ザパート)77という軍事演習を行うつもりだった。

 だがBETA侵攻でそれも取りやめになり、東側諸国の軍隊の練度は低下した。

そこで東独軍は新たに友好国となった米国やポーランドとの間で軍事演習を2年おきに実施する事にした。

実際に部隊を動かす実働演習と、地図上で部隊を動かす図上演習である。

 米軍との相互理解・信頼関係の強化を目的とした実働演習が始まるとコットブス空軍基地は緊張に包まれた。

アイリスディーナが勤務する第1防空師団の庁舎は、いつもよりも騒々しかった。

基地を行き交う兵士の数が多く、彼らの足取りは早かった。

実働演習のメインは部隊であるが、司令部の中もあわただしかった。

報告や決済に訪れる幕僚の数も多く、副官室の前に並んで待つほどだった。

 

 その日の昼間、司令部庁舎の車寄せに黒塗りの高級車が止まった。

東ドイツの国産車・ヴァルトブルク311ではなく、ソ連製のジル114だった。

このソ連製の高級車を、東独の要人たちは、GAZのチャイカと共に好んで使った。

中から降りてきたのは、薄い水色のシャツに灰色のスラックスという略装の航空軍司令官。

この四角い眼鏡をかけた男は、国防副大臣の一人でもあった。

 そしてもう一人の陸軍将官は、シュトラハヴィッツだった。

彼は、真夏というのにワイシャツ型の略装ではなく、杉綾織のジャケットに、乗馬ズボン。

灰色の姿は、まるで1940年のフランス戦でのドイツ軍のそれであり、国章以外は全く同じつくりであった。

 

 二人の来訪で、基地の機能は完全に止まった。

司令部への報告や決済は後回しにされて、近くにいた将校はその対応に追われた。

 わずか二人のVIPのために、師団司令部が混乱したのはなぜか。

東独軍は、ソ連式の軍事ドクトリンを採用しており、そのすべてが上意下達型だ。

大隊、連隊規模では考えることはなく、ベルリンにある最高司令部の命令で動く。

 その為、司令部要員の数も、司令部の規模も小さく、中隊長が大隊の幕僚を務めた。

また、訓練された下士官団は存在したが、それは西独軍に比して規模が小さかった。

 そして、本家本元であるソ連赤軍では、下士官団が存在しなかった。 

ゆえに、下級将校は西側でいうところの下士官の仕事をせねばならず、負担が大きかった。

 ソ連赤軍や衛星国の軍隊では、下士官とは、あくまで志願兵やその類である。

特殊な技能を持つ兵士や、定期雇用の一つでしかなかった。

 

 

「総員、傾注!」

 

 裂帛(れっぱく)*1一声、その場にいた将兵は気を付けの姿勢をとる。

 

「同志副大臣並びに、同志将軍に敬礼!」

 

 彼等は、壇上の上にいる人物に礼を行う。

それを受けた副大臣は、教本の様な見事な返礼を送った。

 男の名前は、ハインツ・ゾルン*2。 

 彼はかつて第三帝国時代のドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)に将校として10年間勤務した後、ソ連軍の捕虜になった人物だった。

1949年までソ連に抑留され、反ファシスト学校での再教育後に、東独に戻った。

SEDの幹部となった後、兵営人民警察に入隊し、1956年に人民航空軍少将になった人物である。  

 だがゾルン少将の様な旧軍人は、SEDお気に入りの新将校と違い、手ひどい扱いを受けた。

1957年2月15日のSED政治局の決定により、旧軍関係者は、段階的に退役させられることとなったのだ。

旧軍関係者を信用できない指導部は、段階的に彼等を退役させ、実戦経験のない人物に任せることとしたのだ。

 この結果、軍上層部は、参謀経験のある老練な将校が払底し、党や指導部におべっかを使う人物であふれた。

またゾルンが追放されたのは、当時の国防相ヴィリー・シュトフ*3との不仲によるものだった。

兵卒上がりの大臣と、このエースパイロットはそりが合わなかったのだ。

 だが今の議長は、退役させられていたゾルンを現役復帰させ、航空軍および防空軍の中核へ彼を送った。

議長は、この事によって、三軍全てを自分の派閥の人事で固めることとなったのだ。 

 

 基地の総員は、不意の来訪にもかかわらず、うまく対応して見せた。

アイロンのかかった制服に、磨き上げられた軍靴、それらを見せつける様なガチョウ足行進。

奇麗に塗装し直された戦術機や自走ロケット砲などを展示し、副大臣を満足させ、彼からの感謝の意を受け取った。

共産国の軍隊の常として、このような政治指導者への接待は、訓練よりも重要視されたのだ。 

 

 一連の儀式が終わった後、アイリスディーナは師団長室に呼び出された。

彼女の服装は、濃紺の強化装備から男物の戦闘服に着替えていた。

 アイリスディーナが、男物の戎衣(じゅうい)を着ているのには訳があった。

彼女の172センチの身長と、98センチという豊満すぎるバストサイズのためである。

婦人用野戦服では、肩幅や胸周りがきつく、腕が思うように上がらなかったのも大きかった。

 また基地の将兵や関係者のほとんどが男性だったので、彼等からの好機の目を避ける意味合いもあったのだ。

しかしその服装は、本人の意思を別として、大変に目立つものであったのは間違いがなかった。

政治将校に会うたびに風紀面で気を付けてほしいと、くだらない話をされたものだった。

 

 アイリスディーナが部屋に入るなり、上座のゾルン副大臣兼防空軍司令から声を掛けられた。

室内には師団長の他に、シュトラハヴィッツ中将が、何故かいた。

 

「同志ベルンハルト少尉、君の着陸は、墜落かね」 

 

 かつてのドイツ空軍パイロットからの言葉は、非常に厳しいものだった。

その声と姿勢は、ソ連での抑留生活や長い退役生活を感じさせない軍人のそれであった。

空軍司令官は言葉を切ると、ゲルベ・ゾルテの箱を開け、両切りタバコを口に咥える。

西独製の楕円状の紙巻煙草に火をつけると、甘い独特の香りが室内に広がった。

 

 数分の沈黙ののち、司令官が再び口を開いた。

それまでかけていた型の古い四角いフレームの老眼鏡を、ゆっくりと机の上に置く。

その眉と眼差(まなざ)しの間に、ふと、音の発するような感情が露出していた。

 

「君は国家人民軍の宣誓を覚えているかね」

 

 アイリスディーナは、老将軍の視線に見つめられ、俄然、おののきを覚えた。

明らかな狼狽(うろた)えを表し、新兵特有のコチコチの態度になり、やや間をおいてから答えた。

ゾルンの声と態度に、ついつい士官学校で教え込まれた習慣が顔を出したのだ。

 

「宣誓!」

 

 アイリスディーナの透き通るような声には、幾分か戸惑いの響きが込められていた。

 

「私はドイツ民主共和国に忠誠を誓い、労農政府の命令に従い、常にいかなる敵から……」

 

「答えなくて良いぞ」

 

 ゾルンは、空軍大将の声と態度で、アイリスディーナの声を遮った。

老将の声は、そこが第1防空師団長室ではないかのように、堂々と響いた。

 

「要するに、君は国家と軍に忠誠を誓っているという態度は本物だという事だろう」

 

「その通りであります、同志ゾルン大将。

このアイリスディーナ・ベルンハルト少尉が、絶対の自信をもって確約いたします」

 

「よろしい! 私は、第一航空戦闘団の同志たちに全幅の信頼を置いている」

 

 ゾルン大将が沈黙する間、アイリスディーナに遅れて、オズヴァルド・カッツェ中尉が入ってきた。

彼は、病気療養中のハンニバル大尉の後任として、大隊長代理についていた。

 

「強行軍で済まないが、同志ベルンハルト、同志カッツェ。

二人には、明日中に東京に飛んでもらう」

 

 カッツェが入室した頃合(ころあ)いを見て、それまで黙っていたシュトラハヴィッツ中将が口を開く。

 

「同志カッツェ、ちょうどよいところに来た。

君には、同志ベルンハルトと共に東京サミットの随行員として参加してほしいと同志議長から下命があった。

これは東西融和の一環と思ってくれればいい。

また向こうの政威大将軍(ショーグン)(おん)(みずか)らが東独軍の英雄にお会いになりたいとご所望になられている」

 

 東独軍のソ連派遣部隊である第1戦車軍団の評判の高さは、友邦諸国*4だけではなかった。

砲弾やミサイルが少ない状況下で光線級を撃破し、航空爆撃を可能とした光線級吶喊を行った部隊の名前は広く知れ渡っていた。

 

「随行員として参加し、向こうのショーグンとお会いできるのは、大変この上ない名誉と心得ますが……

僭越ですが……本官が行ってどうにかなるのでしょうか」

 

 カッツェは、恥じ入って言う。

 

「同志カッツェ中尉、実をいうとな、私も君の考えに賛成なのだ。

完熟訓練も終えていない衛士を、そのような国際会議の場に引っ張り出すのはふさわしくない」

 

 アイリスディーナが、めずらしく不機嫌な顔をしているのが気が付いた。

だがシュトラハヴィッツは穏やかな口調で、この若い少尉を諭すことにした。

 

「私としては、心苦しいのだが、しかし日本政府の要請を断れば、今後の国際関係に傷をつけかねない事態になる。

東西融和を行い、友好関係を保つのも、また祖国のためになるのだ。

これも任務だと思ってほしい」

 

 シュトラハヴィッツは、若い将校たちにこれまでの交渉経緯を詳らかにした。

この話の四日前、東独政府首脳に秘密裏に日本大使が接触した。

そこで対ソ宣伝煽動(プロパガンダ)として、東独軍精鋭であった第40戦術機実験中隊の関係者の訪日を要請されたのだ。

 だがシュトラハヴィッツは、衛士たちの機密保護という観点から、その提案を固辞した。大使から再三の提案がなされたが、アーベルを通じて日本側に連絡し、その提案を下げさせた経緯があった。

そこで日本側は宣伝戦ではなく、将軍個人による引見*5を希望したという形をとることにした。

 

 日本との関係拡大を願っているのは、東ドイツ側である。

すでに日本の大手ゼネコンによる東ベルリンの再開発や、合弁会社による半導体工場の建設などが決まっている。

もしここで日本側から資本を引き揚げられたら、困るのは東独である。

 将軍の鶴の一声で、合弁事業が中止になれば、日本からの技術導入が不可能になる。

合弁事業を進めている大規模集積回路(LSI)以外にも、東独が必要としている技術は多数ある。

小規模な基地局を経由する無線電話を始めとする高性能な通信機器や、最新鋭の自動車生産設備。

どれを一つとっても、今後の経済発展には必要なものばかりだ。

 日本との友好関係は、長い目で見なければならない。

その為に、将軍からの無体(むたい)ともいえる要求を受け入れざるを得なかった。

そこで、送り出しても一番実害の少ないアイリスディーナが、カッツェ中尉と共に選ばれたのだ。

彼等は、戦術機部隊のメンバーとして訪日することが、軍指導部によって決められた。

 

「そういう事情ならば、日本に行きます」

 

 カッツェは微笑を浮かべ、返答した。

 

「このような機会がなければ、日本の首都を訪れるなど、二度とないかもしれません。

ましてや国家元首に会えるなど、望外(ぼうがい)僥倖(ぎょうこう)です。

カッツェ中尉以下、喜んでご招待に与ります」

 

「そう言ってくれると助かる」 

 


 

 東独軍が、なぜ実戦部隊である戦術機隊にまで婦人兵を配備したのか。

それはソ連からの強い要請によるものと、1970年代の婦人解放の影響であった。

すでに東独軍は1950年代の兵営人民警察時代から少数の婦人兵を後方勤務要員として迎え入れていた。

 プロイセン軍の伝統を色濃く残す東独軍が、軍への婦人参加を認めたのは、第三帝国時代の先例があったからだ。

通信や看護要員として、既に女性職員が存在していた影響もあって、専門職である下士官の女性への門戸開放が行われた。

 

 1961年まで東独は、ワイマール共和国と同じように完全志願制の軍隊で、兵役が存在しなかった。

戦争の惨禍の記憶が人々に残ったことと、東独政府自身が経済発展を重視した為である。

また、駐留ソ連軍に安全保障を任せきりにした面もある。

ソ連の衛星国という地位に甘んじ、自主的な軍備を控えるという形で安全保障を放棄していたのだ。

 その様な考えは、1961年のベルリンの壁建設で脆くも崩れ去ることとなる。

東独政府は、35万を有する西ドイツ軍に対抗すべく、選抜徴兵制の導入に舵を切った。

 

 だが、住民の反発も強く、徴兵拒否で逮捕されたり実刑判決が出る事態が相次ぐと態度を一転し、徴兵忌避を認めることとなった。

徴兵忌避者は、兵役を回避する代わりに、建設兵(バウ・ソルダート)と呼ばれる特殊な階級章を付け、土木作業や災害対応任務、援農などに回された。

 ちなみに西ドイツでも同様に徴兵忌避が認められたが、彼等もまた人が嫌がる仕事を低賃金で行わされることとなった。

この徴兵忌避制度は、戦後ドイツ社会の一種のあだ花となり、2011年の徴兵制停止まで様々な形で乱用されることとなった。

 

 東独政府が女性衛士の育成に乗り出したのは、ソ連での相次ぐ敗戦を見越しての事だった。

第二次大戦による大量の戦死と相次ぐ亡命により、もともと成年男子人口の少ない東独では、兵員数の確保は急務であった。

 だが急速な経済発展と産業の維持を考えて、兵員数は10万人以下と内々に決められていた。

仮に西独と同じように40万人ほどを動員すれば、1600万人の人口のこの国に与える経済的損失は大きかった。

 

 東独軍は、一定数の士官や下士官を確保するために様々な特典を付与して、その維持に努めるほどだった。

その一例として、選抜徴兵ではなく予備士官の教育を受けた人間は大学に無試験で入学できた。

また4年以上の勤務経験のある予備士官及び下士官は、国営企業や関連団体に再就職先が確保されていた。

 この様に各種の恩恵を与えていても、徴兵忌避者は毎年2000人以上と一定数出て、士官の数が足りなかった。

手塩にかけて育てたパイロットなども有能な人間から退役し、国営航空のインターフルークや民間に流れていく状況だった。

そういう事もあって東独軍は、最前線が中央アジアというドイツ本土から遠い段階であるにもかかわらず、婦人兵の試験的な実戦配備を決めたのだ。

 

 ユルゲンの同僚、ツァリーツェ・ヴィークマンは、そうした人間の一人だった。

彼女は柔道と空手の有段者という事で体力もあり、なおかつ露語を巧みに使いこなす才媛(さいえん)である。 

 東独政府の意向や世論を背景にして、彼女の未来は約束されたようなものだった。

ゆくゆくは東独初の女性戦闘航空団長という下馬(げば)(ひょう)も、内局あたりから聞こえてくるほどだった。

だが彼女は、24歳という若さで部隊から去り、大臣官房付けとなった。予想外の妊娠とそれに伴う結婚によってである。 

 この事によって、東独軍は混乱を起こした。

予定していた軍における女性の活躍推進というシナリオが狂ってしまったのだ。

その様な時代の流れを否定するようなことを起こした、オズヴァルト・カッツェに対する上層部の怒りはすさまじかった。

一組の夫婦の誕生という個人的な問題は、カッツェの昇進見送りという政治的決着に落ち着いた。

 

 上層部から疎まれ、出世の機会も当分ないと思われていたヴィークマンの夫に出張の話が来たのは今朝だった。

昨日、ポーランドからの演習が終わったばかりだというのに……。

 しかも場所はワルシャワやプラハではなく、極東だという。

指導部は何を考えているのだろうか……

疑問に思ったヴィークマンは、食事という機会を利用して自分の夫に問いただした。

 

「どうして部隊勤務の貴方が日本なんかに……」

 

 ヴィークマンは、他人が聞いたらなんと無神経なと思われる言葉をかけた。

だが彼女は長い付き合いから、カッツェがそういう物言いを好んでいることを知っている。

 

「今回の出張は判らないことばかりだ」

 

 ジントニックに口を付けながら、カッツェは答えた。

 

「ただの戦術機乗りじゃない。

ああいう場所に出るのは、軍でももっと毛色の違った人でしょう」

 

「俺もそう思っていた」

 

 カッツェは正直に答えた。

 

「嫌なの。だったら……」

 

 否定の言葉を口にしようとして止めた。

カッツェの表情が、まるで知り合いの葬式に行かざるを得ないような顔をしていたからだ。

ああ、断れない事情があるのね……

 

「とにかく行くだけ行って見るさ」

 

 

 東独の首脳は、東京サミットに向けて出発した。

機種は、イリューシン62が2機と、随伴機のツポレフ134が1機。

これは国営航空のインターフルークの持ち物で、BETA戦争前に購入した古い機種である。 

 とくにツポレフの方は航続距離が3000キロしかなかったので、日本に行くのは一苦労だった。

ソ連上空を経由し、シベリアにある空港を使えば、比較的安全に訪日できたのだが、政治がそれを許さなかった。

東独の首脳一行は、中東経由の南回りで2日かけて、日本に向かう事となった。

 随伴用のツポレフ134は、シュタージが保有する三機の航空機の一台であった。

シュタージはKGBやCIA同様に独自の航空隊を持ち、ツポレフ134を2機と、アントノフ24を1台保有していた。

実は軍用のツポレフ154があり、民間機登録もしてあったが、満載時の航続距離が134と同じなので取りやめとなったのだ。

 

 東ベルリンのシェーネフェルト空港から、羽田までの道地は過酷なものであった。

イリューシン62の航続距離が1万キロだったので、途中ダマスカスとラングーン*6を経由せざるを得なかった。

 東独人にとって南方の地であるシリアとビルマでの給油と機体整備は、不慣れなため半日以上かかった。

機外に降りた議長たちは、シリアやビルマでの臨時の首脳会談を行った。

給油のためとはいえ、足止めされた彼らは、向こうの政府関係者からの接待に応じないわけにはいかなかった。

 

 それに外交問題に関して、今更ソ連に気兼ねする必要もなかったからだ。

今回のサミットへのオブザーバー参加は、元々東独の地位安定化のためである。

国連による世界各国間の調整機能がほとんど意味が失われた現在、頼るべき相手は西側しかなかったのも大きい。

シリアやビルマは社会主義政権ではあるが、ソ連や西側との間を上手く行き来し、援助を受け取っていた。

かの国の首脳にあって、その(ひそみ)(なら)おうとしていた面も否めなかった。

 

 東独の経済的低迷は致命的なものだった。

BETA戦争の結果、頼みの綱であるソ連からあらゆる資源が入って来なくなり、工場群は停止した。

 僅かばかりある褐炭を掘り起こして、電力需要を満たそうとした。

だが、それも輪番停電などをして工場に回すのが精いっぱい。

友邦諸国のチェコスロバキアやハンガリーは、原発の建設が終わっているが、分けるほどではない。

 隣国ポーランドは、BETA戦争の影響で、国内のロジスティックが破綻している。

西独に頼るにしても、難しかった。

シュタージが行ったテロ作戦や壁のせいで、西独の国民感情は最悪だった。

 まさに八方ふさがりの状況だった。

それ故に、東独は日本を頼るしかなかったのだ。

*1
(はく)とは白色の厚手の絹を意味し、裂帛とは絹を引き裂く事を指す。そこから転じ、絹を引き裂く音。あるいは絹を引き裂くように鋭い声の事

*2
Heinz-Bernhard Zorn.(1912年4月28日 - 1993年5月15日)、ドイツの軍人、政治家。ドイツ第三帝国空軍を経て、国家人民軍航空軍及び防空軍に勤務した。史実では強制的に退役させられて、シュタージの非公式協力者となった

*3
Willi Stoph.(1914年7月9日 - 1999年4月13日)は、東ドイツの政治家、首相

*4
ワルシャワ条約機構

*5
引見とは、身分の高い人間が身分の低い人間と会う事を示す言葉である

*6
今日のミャンマー連邦のヤンゴン




 世間一般で言うところのなろう風の表記にしてみました。
改行に関してアンケートをしていますので、よろしくお願いします。
ご感想お待ちしております。

161話の文章の改行に関して

  • 今まで通りに戻して
  • 今後はなろう方式にして
  • 今まで文書で、セリフだけ空欄
  • 気にせず好き勝手に書けや
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