冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
ソ連の超能力兵士、ESP発現体とはいったい何者か……
赤坂離宮の敷地は広く、森の中は静かだった。
和風別館の
そこから戻るには、薄暗い敷地の中を歩いていくしかなかった。
誰だろう。
俺たちを注目しているのは。
マサキは不意にそんな感じを抱く。
じっと背中を見つめられた気がしたからだ。
振り向くと脇にある
「誰かに、覗き見られているような気がします」
アイリスディーナが囁く。
彼女もまた嫌な雰囲気を察したのである。
秘密警察による監視社会を生き抜いてきたので、こうした感覚を身に着けていたのである。
「注意しよう」
マサキはアイリスディーナの言葉に頷き、そう答える。
「ですが、いったい誰でしょうかね」
「……」
マサキからの返事はない。
しかしながらアイリスディーナは、それは心当たりのない事だと当然ながら解釈した。
この日本には、随行員以外はシュタージがいないのだから……
会場に戻ったマサキたちの様子を遠くからうかがうものがいた。
陸軍礼装を着こなした男と、頭を僧侶の様に反り上げたタキシード姿の男である。
1人は帝国陸軍の中で日ソ友好論者の急先鋒と知られる
もう一人は、
穂積は大学時代、左翼系の団体に参加した経歴の持ち主であったが、卒業を間近にして団体から遠ざかり、実家の機械製作所を継いだ。
そこから産業界から遠ざけられていたソ連のシベリア開発に参加し、KGBのエージェントとなった男であった。
「木原と話している金髪の美女を知っているか……」
大伴は、アイリスディーナの事を
学生活動家崩れの若社長は、ラム酒と何かを混ぜた緑色の酒に口を付けた後、答える。
「東ドイツ軍の陸軍将校みたいですね」
「見ればわかる」
大伴の機嫌がだんだん悪くなってきたのを見計らってか、不意に彼らに話しかける者がいた。
その男は、160センチ強の背丈に、リンゴのような胴体に手足が生えた体型をしていた。
「ありゃ、ベルンハルトとかいう東ドイツのエースパイロットの妹ですよ。
なんなら私の方で裏から手を回して、手に入れますか」
話しかけた肥満漢の男は、大野という貿易商だった。
彼の祖父は代議士で、与党・立憲政友会の最大会派の領袖だった。
大野は、大変な
その為か、KGBの色仕掛け作戦に引っかかり、工作員の妹とされる人物を妻として迎えていた。
「出る所が出て、締まるところが締まっている。
良い女じゃないですか……抱けばああいう女もイチコロですよ。
ヒイヒイとよがり声をあげて、求めてきますから」
大野は
遠くから、その様子を見ていた人物がいたのにも気が付かずに。
大伴は、思わず眉をひそめる。
こういう場では、だれが聞いているかわからないからだ。
東ドイツの関係者の中に、日本語ができる人物がいてもおかしくはない。
いくら斜陽のシュタージとは言えど、KGBから手ほどきを受けた諜報機関なのだ。
関係が悪化する前なら笑ってすましていたかもしれんが……
こういう下品な男は、機会があったら殺そう。
今はソ連と東独に知り合いを多く持つ、大野の利用価値は捨てがたい。
大伴はそう考えると、目の前にあるぬるくなったビールに口を付けた。
無口な大伴をよそに、大野と穂積が酒を片手にアイリスディーナを見やった。
漁色家の大野は、大酒飲みの大伴に付き合ったせいでだいぶ酔っていた。
アルコールのせいで押し隠していた獣欲が顔を見せる。
「ウへへ、こうして
観音とは、仏教の
またの名を観世音菩薩や、救世菩薩といい、広く信仰・礼拝の対象となっている存在である。
元は男性神であったが、北伝で
観世音菩薩は女性の表象された仏という経緯から、美しい女性を観音様と隠語で呼ぶようになった。
本来の仏とは性別の区別がなく、それから超越した存在なのだが、なぜかそのような言葉が出来てしまった。
またその事実は、日本文化にいかに仏教が浸透したかともいう裏付けでもあった。
大野の言葉に、黄色い歯を剥いて、穂積はうなずく。
邪悪な考えで濁った眼で、アイリスディーナの気高く近寄りがたい
「若くピチピチで、その上、本当にいい体をしていやがる。皮を剥いてやるのが楽しみだわ」
大野は、
「へへへ、木原の屑野郎め、今に見ておれ。
ドイツ美人は、お前の代わりにたっぷり可愛がってやるよ」
脇にいた大伴は聞いていられなくなり、すでに席を離れていた。
男たちは酒をすすりながら、残忍な笑みを湛えた。
そこに白の色
大野は酒で濁った眼で彼女の白い肌を見やると、口を耳元に近づけた。
「和美、あの木原とかいう男の頭の中を見ろ。
お前が危険と感じたならば、殺しても構わない」
雪女の様な姿恰好をした人物は、大野のソ連人妻だった。
本名をゾフィーと言い、和美という通名を名乗っていた。
「わかりましたわ」
人工ESP発現体の生き残りの一人だったのを、大野が
彼女の兄はKGB第一総局の工作員で、彼女自身もKGBの協力者だった。
会場に戻ってからも、先程から異様な気配の方に、マサキの関心はあった。
何か、このところ静かなソ連が、仕掛けてこないのだろうか。
そう考えると、首脳たちの所に耳打ちに来ている秘書官たちなど後回しになった。
側にいる美久に注意されるまで、首脳の動きを気をしていないほどだった。
――誰かが俺の事を見ている――
不思議な殺気を感じたマサキは、一旦会場から離れることにした。
今までに感じた事のないような頭痛を覚えた彼は、会場外に設置された仮設の手洗いに向かった。
その際、後方から足音が聞こえてきた。
それは急速に接近してくる。
マサキは時間を見るふりをして、
プラチナブロンドとは違う、銀色の髪をしたスラブ系の女だった。
彫刻のような彫りの深い顔に、アルビノの様な赤い目。
自然界では絶対あり得ない組み合わせである。
白い留袖姿の女は、途中から駆け足に代わった。
マサキも足を速めた。
別館の外にある臨時の仮設トイレまで向かう。
50メートルほど離れた場所にあり、警備要員向けだった。
遺伝子工学者のマサキには、後ろから近づいてくる女が只者ではないことを察知した。
間違いなく、遺伝子組み換えで生まれたクローン人間だ。
これがアーベルが言うところの人工ESPか……
人工ESP発現体とは、ソ連が実施したオルタネイティヴ第3計画により開発された人造人間である。
英語の
早く言えば、他人の思考を自在に覗き見出来たり、機械の中身を分解せずに見れる能力である。
その他に人工ESP発現体には、観念動力と呼ばれるものが存在する。
英語の
俗に念力と呼ばれるもので、心に思うだけで自動車や鉄骨などを自在に空中浮遊させる能力を有する。
なぜ人工ESP発現体というのか。
ソ連では、秘密裏に超能力者を一か所に集め、人工的に交配したものだったからだ。
1950年代後半以降、ソ連では、遺伝や生物の交配の研究が盛んに進められた。
理由はスターリンの死と、トロフィム・ルイセンコの失脚の為である。
トロフィム・ルイセンコ*1は、1920年代以降ソ連における遺伝子学の第一人者だった。
環境が遺伝を完全に支配し、遺伝子も染色体も存在しないと主張した。
さらに、自説とは
1930年代、スターリンによってルイセンコの政治的姿勢が評価されると、ソ連の科学界は一変した。
ルイセンコの反対者の多くは投獄されるか、告発によって処刑された。
ソ連の科学者の多くは権力に屈するか、亡命*2しか生きる道はなかった。
その為、1930年代当時世界最高水準を誇ったソ連の遺伝学研究は停滞し、米国でのDNA発見までこの妄説に惑わされることとなった
ESP発現体は、超能力を人工的に再現する為、多量のコカインや
コカインや覚醒剤は、脳回路における化学伝達物質であるドーパミンの水準を上昇させる薬物である。
精神的覚醒と極度の興奮状態をもたらすが、強力な中毒性を持つ精神刺激薬でもある。
幻覚や妄想を生じさせ、つらい離脱症状を逃れる為に、より多くの薬物を依存性をもたらす薬である。
1970年代までのソ連では、西側に比して薬物規制が甘く、薬局で
ソ連の保健当局や警察、KGBが関心を持ったのは、麻薬中毒ではなく、アルコール中毒だった。
また反乱防止のため、指向性
指向性蛋白は、BETA由来の物質で、食事や水に混入するだけで記憶操作ができる精神作用を持つ薬物である。
この薬物に注目したのは、KGB上層部である。
指向性蛋白がソ連科学アカデミーで発見されるまで、KGBは2年近い洗脳教育を施すしかなかった。
長時間の思想洗脳や、視覚を通じた潜在意識化の洗脳も必要なかった。
ステファン・バンデーラを暗殺したボグダン・スタシンスキーに施したようなことをしなくて済んだのだ。
その為、人工ESP発現体の多くは、麻薬の禁断症状で発狂し、薬なしでは長くは生きられなかった。
マサキは、手洗いのドアを開けて、中に入る。
右袖の中に隠したコルト・ベスト・ポケットの安全装置を親指で解除する。
何時でも発射できるように、
マサキは、アーベルの話や国防大臣から聞いたESPの透視能力を思い起こした。
自身の思考を透視されている前提に立って、ソ連への憎悪を思い浮かべることにした。
こうすれば、後ろから来る超能力兵士も混乱するであろうという前提に立ってである。
足音が彼の後ろで止まると、背中に何か当たるような音がする。
マサキは振り返りざまに、25口径のコルト・ベスト・ポケットを発射する。
後ろに立っていた女は、マサキの方にナイフの柄を向けるようにして立っていた。
マサキの暗殺に使われたのは、スペツナズ・ナイフであった。
スペツナズ・ナイフといえば、ばねで刀身が飛ぶナイフというイメージがあるであろう。
ヴィクトル・スヴォ―ロフの著作が初見で広まった伝説は、広く
だが、ナイフの刃を目標に向けて飛ばすというのは、西側メディアの神話にしか過ぎない。
一応、KGBは真剣にナイフ形のピストルを開発していたのは事実である。
実際のスペツナズ・ナイフは、NRS-偵察ナイフと呼ばれるものである。
トゥーラ兵器工廠で開発された、6P25との正式番号のある暗殺拳銃で、25メートルの射程を誇る。
柄の後方から弾丸を装填し、
消音装置はないものの、弾丸に特殊な消音加工がされたもので、現在もGRUやFSBで使われている。
マサキの攻撃より一瞬遅れて、ナイフの柄から火が吹く。
7.62ミリ×38ミリの弾丸は、マサキの着ている制服の左の肩章をかすめ、壁に当たる。
壁には、7ミリメートルほどの穴が開き、中から煙のようなほこりが舞う。
マサキの放った.25ACP弾は、正確に心臓に到達し、女は持っていた短剣を取りこぼした。
女は、やや甲高い断末魔の声を上げるよりも早く、地面に崩れ落ちた。
案の定、ソ連人の女は、マサキの思い浮かべたソ連への強い憎悪に混乱をきたしていた。
マサキの心の闇の深さに恐怖し、彼の付け入るスキを与えることとなった。
振り返りざま、ESP兵士が反撃をしなかったのは、そういう理由があったからである。
――だいぶ若い女だな。
倒れた女を見ながら、そんな感想を抱く。
だが一旦、命を狙われれば、手加減はできない。
自分や、仲間たちの生命が危険にさらされるからだ。
目の前の女は、もうほとんど動く様子は見られなかった。
けれど油断は禁物である。
死んだふりをする可能性があるからだ。
マサキは最後の慈悲として、女の脳天に.25ACP弾を2発撃ちこんだ。
血だまりが手洗い場に広がると、その様子を気にすることなくマサキは去っていった。
麦茶マン様、匿名でのご評価ありがとうございました。
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