冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 日ソは、ハイネマン誘拐事件の外交的解決を図るべく動いた。
その結末とは……


外交的解決 後編

 ソ連外務省の男は、早速マサキがアベール・ブレーメに渡した資料をKGB第6総局長に渡した。

アーベルは資料を渡す際、資料の入手先はマサキ経由ではなく、東ドイツで半導体製造の合弁事業を始めようとしている日系企業と答えた。

 その会社は、ソ連でも活動しており、モスクワにあるダミー会社を通じて、工作機械を輸出していた。

KGBスパイも多く関わっており、第6総局の工作員の遊び場と称される場所であった。

「驚いた。

ソビエトの貴重な国家財産を貸し出して、享楽(きょうらく)のために用いていたとは……」

「ええ、信じられません。同志長官」

 KGB長官は、深いため息をつくと、紙の束を机の上に放り投げた。

そこには、アターエフと彼の管理する日本人スパイによる贈賄の事実が仔細に記されていた。 

 アターエフは、日本人スパイたちから中元や歳暮として大量の図書券を授受(じゅじゅ)していた。

それらを換金し、自分の活動費や交際費の元にしていたのである。

 また穂積から20万円相当のビール券を、ESPの貸し出しの謝礼として受け取っていた。

これらはその当時の日本社会では、ごく普通の行為であり、大規模な公共事業や設備投資の発注の返礼として慣習化されたものであった。

穂積や大野は日本の役所の事業発注への返礼と同じ感覚で、ソ連スパイに対応したのであった。

 1980年代の日本では収賄とされていなかったが、ソ連では別だった。

経済事犯を扱う第6総局では、事業の見返りとしての金券授受は立派な汚職である。

罪状は、「経済的破壊活動(サボタージュ)」、「経済的反革命行為」であった。

 ましてや、外国人から何かしらの利益を得るのは、それ自体が「反革命行為」である。

「反ソ帝国主義への幇助(ほうじょ)」であり、「外国のスパイ」であった。

 

「明日の政治局会議に、この事は報告する」

 KGB長官は言葉を切ると、ステートエクスプレス555に火をつけた。

ヴァージニア葉のみを使った英国製の高級煙草の匂いが、部屋中に充満する。

「了解しました!同志長官」

 第6総局の男は一礼をして、部屋を後にする。

KGB長官は、火のついたタバコを咥えながら、資料を一瞥した。

「はした金を理由に、ESPに飯盛り女の真似事をさせていたのか」

 これを上手く使えば、老獪(ろうかい)なウスチノフや増長しきって居る赤軍参謀総長を抑えることができる。

 そして何よりも反抗的な赤軍に、大々的な粛清のメスが入れられる。

男はそう考えると、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 場面は変わって、ソ連極東の都市、ウラジオストック。

そこにある共産党臨時本部では、定例の会議が一段落したところだった。

 チェルネンコ議長は、最高会議のメンバー、37人を見直す。

その多くはフルシチョフ及びブレジネフ時代の古参。

既に70歳を超えた人物も多く、メンバーの入れ替えは死亡や病気による引退を除けば、殆どない。

 

「対日関係で何らかの妥協点はないのか」

 突如として、チェルネンコ議長からの問いかけで、日ソ間の懸案になっている事項の話し合いが始まった。

この異世界では、ソ連の対日参戦は起きておらず、また日本側も対ソ静謐(せいひつ)という事で軍事行動は起きていなかった。

 我々の世界の様に、北方領土の不法占領や国際法違反のシベリア強制抑留問題が発生していなかった。

その為、日本企業はシベリアや北樺太の資源開発事業に積極的に参加していた。

「実は、今回の事件に関して信頼できる筋から情報を得ていまして……」

 

 信頼できる筋とは、KGBの用語で、KGBの影響下にある人物の事である。

露語でдоверенное(ダヴェーリニェー) лицо(リツォー)といい、英語ではTrusted(トラステッド) Contact(コンタクト)と呼ばれる。

 彼らはKGBのアクチフとはことなり、偽名を与えられず、また協力への宣誓署名を免除された。

密会は、官憲の手の及ばない「安全な家」や隠れ家ではなく、信頼できる人物の希望する場所で行えた。

明確な犯罪以外は調書を作成せず、報告書は残されない存在である。

 ユーリー・アンドロポフは信頼できる人物を重用し、彼らをこう評した。

「国家安全保障の観点から研究に値する人物や事実についてKGBに信号を送り、また個々の作戦任務も遂行するソ連の愛国者」

 

 

 

「つまり件のGRU将校は、日本野郎に騙されて、不必要な支払いをしていたという事か」

 チェルネンコ議長は、説明を聞いて何度も頷く。

「その通りでございます。同志議長」

 KGB長官は、いささか興奮気に告げた。

「猿どもに、一杯食わされたも同然ではないか!」

 会議に参加していたウスチノフ国防相が、声を荒げた。

「要するに、日本野郎を化かすつもりが、化かされていたという事でありますな!」

 検事総長はそのように察した。

「では、例のものを」

 KGB長官は手を挙げて、数人の秘書官を呼んだ。

秘書官たちは、全員分の資料を一斉に机の上に置く。

「穂積の行っていたのは、ソ日間の輸出入事業です。

彼の会社である穂積交易は、大空寺物産の協力企業でした」

 穂積交易は、大空寺財閥の子会社『大空寺物産』のモスクワにおけるダミー会社。

大空寺物産は、ココム規制に違反して大型工作機械を第三国のノルウェーを迂回させ、ソ連に不正輸出するために設立されたものだった。

 しかしながらダミー会社なので能力に欠如しており、その実務の多くはKGBに代行させていた。

社員の大半はKGBのハニー・トラップに引っかかるか、多額の資金提供を受けているかのどちらかだった。

「穂積交易は、ナホトカに事務所を置いております。

従業員は、20名ほど日本人が運営しているとの事であります」

 KGB長官は、すでに調べ上げた資料から、そう読み上げた。

その資料からは、KGBの痕跡は一切消して、GRUのアターエフ少佐の事だけ子細に記した。

「それで、アターエフはなんでこの案件に?」

 グロムイコ外相は、KGB長官の方を向くと、そう訊ねた。

GRUがなぜKGBの関わっている経済スパイと知り合いなのか。

一抹の不安を抱いたのである。

「穂積の父親の会社は、強化外骨格の製造をしております。

その技術を応用して、死んだ人間や重度の障害を負った人間をサイボーグ化する計画を立てておりました。

そこには、GRUのアターエフが関わっていたそうです」

 KGB長官は真顔で言った。

ウスチノフ国防相はあきれ果てた表情で、KGB長官を観た。

「祖国のために戦った人間を墓場から掘り起こして、馬車馬の如く働かせるだと!

それは人間のすることではない!」 

 判断をためらっていたチェルネンコ議長は、ようやく納得したようだった。

ウスチノフ国防相の一言が、大きく影響し、決断をする。

「このような人物は、今のソビエトには必要のない人材だ。

最高検察庁と組んで、全員を死刑にするよう手配しなさい!」

 ソ連の司法は、いわゆるブルジョア的(わずら)わしさから解放されていた。

私選の弁護士もなく、三権分立という込み入った制度もなかった。

 1980年、サハロフ*1博士のゴーリキー*2への流刑をした時、根拠法はなく、最高会議の決定が基準となった。

また1961年に密輸品のジーンズを売った闇屋の青年二人が死刑になった時、それを取り締まる法律はなく、フルシチョフの命令が根拠となった。

この様に、ソ連では、最高権力機関が一度(ひとたび)決定すれば、それが法律とされた。

 刑事被疑者・被告人の法を超える勾留期間の延長も、最高会議によってしばしばなされた。

このような考え方は、今日のロシア社会でも支配的である。

「承知しました」

「裁判と刑の執行は、いつやるのだね……」

 チェルネンコ議長が、尋ねた。

「早ければ、明日にでも行うつもりです」

 KGB長官は、自信に満ちた表情で答えた。

 

 

 

 襲撃事件の翌日。

アターエフたちGRU工作員の一行は、アエロフロート機により大阪伊丹(いたみ)空港を後にした。

 マサキは「ペルソナ・ノン・グラータ」*3に認定され、出国する敦賀(つるが)総領事をTV画面越しに黙って見ていた。

 今回のハイネマンの誘拐事件。

何にしても、ソ連人たちは、焦っている。

 何を焦っているかは知らないが、余りに急ぎ過ぎている。

マサキは不安を鎮めるかのように煙草を吹かすと、器用に煙の輪を吐いた。

 

 総領事以下、外交団とGRUの工作隊はウラジオストック空港について間もなく、空港近くの倉庫に集められた。

訝しがる男たちの前に、剣と楯の紋章にラズベリー色の兵科職の階級章を付けた法務将校が立ちはだかった。

少し遅れて、青色の検察官の制服を着た男たちが一斉に現れる。

そして厳かな雰囲気で判決文を読み始めた。

「主文は理由を述べた後に言い渡します」

 その言葉に、GRU工作員の男たちに動揺が走った。

主文後回しの場合は、最低でも懲役25年以上の判決を告げる合図だからだ。

 法務大佐が朗々と文書を読み上げる。

「被告人、ワシリー・アターエフ。

同人は、ソビエト連邦赤軍軍人として、15年以上の勤続により……」

 アターエフの経歴が滔々と告げられ、穂積や大野との交友関係が検察官から述べられる。

そして大野やシベリア開発に参加していた八楠から付け届けを受けていたことが、白日の下にさらされた。

 この事実は、日本帝国主義に加担したものであると最後に検察官が付け加える。

 アターエフの様子は哀れだった。

既に狼狽の色が現れて、右往左往し始める。

「被告人を死刑に処する」

 法務大佐は、冷酷に告げる。 

アターエフは自分が軍人であることを忘れて、必死に許しを乞うた。

「わ、私は知らないぞ!」

 叫び声をあげるアターエフは、倉庫の端に引きずられていった。

「た、助けてくれー」

 アターエフは、兵士たちに柱に鎖と針金で括り付けられる。

「うぁ!」

 法務大佐の制服を着た男が、右手を上げる。

「撃て!」

 一斉に銃を持った兵士が、SKSのボルトを操作する。

鋭い銃声が10秒ほど続いた後、全てが終わった。

 


 

 穂積事件の衝撃は大きかった。

日ソを行き交うビジネスマンが、実は大空寺財閥のソ連でのダミー会社の社員で、しかもソ連の工作員。

最新技術がソ連に漏れ伝わっていた事実は、日本の政財界を揺るがすこととなった。

 

 事件の翌日、二条城二の丸の敷地内にある城内省庁舎に大野は祖父と共に呼ばれていた。

先ごろのハイネマン誘拐事件に関しての事情聴取を受けるためである。

 マサキに砕かれた両膝を庇う様にして平伏していると、斯衛(このえ)軍の赤い服を着た男が三人ほど入ってきた。

外から見えるように手紙を胸元に挟んだ男は立ち止まると、大野達に手紙を見せつける。

「ご上意(じょうい)である」

 大野の祖父は、男の意図を正確にわかった様子だった。

観念したかのように、改めて平伏した。

 赤い服の男は封筒から中身を取り出すと刀の柄にかけ、手紙を広げた。

「衆議院議員、大野。

其の方、恐れ多くも首脳会議の日、ハイネマン博士誘拐未遂の段、誠に持って不届き至極(しごく)

よって、斯衛軍第19警備小隊お預けの上、切腹申し付けるものなり」

 大野は驚愕の色を浮かべると、身を起こす。

(あい)分かったな。大野」

 大野は、使者の足に縋り付いた。

「お待ちくださいませ!これには深い理由がございまして……」 

 大野の顔は、みるみる青ざめ、声も涙っぽいものになっている。

「これは、木原の仕掛けた罠にございまする」

「見苦しいぞ。大野」

 涙で顔の半分を濡らしながら、大野は哀れっぽい声を出した。

「今一度、お調べくださいませ」

「既に、ご上意は下ったのだ!」

 使者の男は、足に縋り付く大野を振り払おうとする。

「嫌でございまする」

 大野は追いすがるように、使者に訴えた。

「ええい、放せ!」

 負けじと、強い力で足にしがみつく。

「無礼者!」

 二度ほど足を前後に振ると、大野がはじけ飛ばされた。

大の男が二条城の庭先に転がって、泣き叫ぶ。

 大野は震えあがっていた。

この俺から妻ばかりではなく、命まで奪うのか。

木原の鬼畜生、ド外道め……

 使者は既に去っていた。

それに気が付かないまま、大野はクドクドと切ない願いを虚空に向かって吐き続けていた。

 

 夜半、大野は切腹の会場となる斯衛軍第19警備小隊の陣屋の中に居た。

浅葱色の装束に着替えさせられ、その時を待っていたのだ。

「お支度が整いました」

 黒い斯衛軍の制服を着た若い少尉が、彼にそう伝える。

「いざ」

 大野は、ものすごい形相になると悲鳴を上げた。

そして訳の分からないまま、引きずられていき、会場となる庭に出る。

 そこには既に拳銃を帯びた10人以上の刑務官が並び、白い幕が張られてる。

刀を手に持った介錯(かいしゃく)人が立ち、介添(かいぞえ)人が近くで正座で待つ。

「いざ、切腹の場へ!」

 切腹の準備を見た大野は、恐怖のあまり委縮し、その場で立ち止まった。

むりやり白布を張った畳の上に正座させられる。

彼の正面には、二人の検使が椅子に座って待っている。

 間もなく徳利(とっくり)(さかずき)を持った男が、大野の目の前に現れる。

末期(まつご)の水にござりまする」

 大野は震えながら、盃を取った。

「今後、二口で飲むのが作法(さほう)です」

 震える手で水杯をとると、顔の位置にまで持ってくる。

だが大野は、恐怖のあまり、全ての水をぶちまけてしまった。

「見苦しいぞ!大野」 

 検使が声を荒げる。

そして少し置いた後、別な検使が声をかけた。

「遺言か、辞世(じせい)の句を……」

 大野は何か答えたが、彼等には聞こえなかった。

刑務官は、さっさと和紙で包まれた扇子を載せた三方を目の前に置く。

 本来は和紙で包んだ脇差の刀身を用いるのだが、江戸中期以降、扇子で代替えするのが一般化した。

切腹の苦しみを味わなくて済み、尚且つ武士としての面目が保てる。

この事は扇子腹と呼ばれ、形の上では自主的に腹を切る(てい)を指す言葉となった。

「お支度を」

 掛け声と同時に、介錯人は太刀を振り上げる。

介添(かいぞえ)人は大野の衣服をはぎ取った。

 大野は扇子を手に取ると、介錯人の方を振り向く。

絶叫するとともに、介錯人に飛び掛かって、太刀を奪い取ろうとする。

「取り押さえろ!」

 刀を奪い取った大野は最期の力をもって、介錯人を撫で切りにする。

血まみれの裸身で振り返り、ピストルを抜いた刑務官たちの方を向く。

「いやだ、やだ、死にたくない!」

 刑務官たちのもつ拳銃から、一斉に閃光が走る。

興奮状態にある大野は倒れず、太刀を振り上げながら突っ込んでいく。

 乱闘となった際、照明のたいまつが倒され、火は消えてしまう。

周囲は漆黒の闇に包まれ、3名ほどの刑務官が斬られた。

 事態を重く見た検使が、甲高い声を上げる。

「引けい」

 誰も言葉を発しなかった。

凄惨な現場に遭遇して、そのまま立ち尽くしていた。

 興奮状態の大野の後ろに、静かに黒い影が現れる。

鈍い閃光が上弦の月の光で浮かび上がる。

一瞬の煌きと共に、大野の首は飛び、血煙が周囲を舞った。

 切ったのは、白銀であった。

 白銀は血の付いた脇差を懐紙で拭くと、静かに鞘に納める。

驚く刑務官たちに一礼をすると、何食わぬ顔でその場を後にした。

*1
アンドレイ・ドミートリエヴィチ・サハロフ(1921年5月21日 - 1989年12月14日)、ソ連の物理学者。ソ連水爆の父

*2
今日のニジニ・ノヴゴロド

*3
Persona non grata.ラテン語で好ましからざる人物の意味。外交用語




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ソ連の今後に関して

  • 核不使用の軍隊
  • 体制そのままに資源50パーセントオフ
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