冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
連絡を受けたマサキは、真偽を確かめるべく、西ドイツのバイエルンに飛んだ。
ココットから連絡を受けたマサキは、西ドイツのバイエルンに飛んだ。
日本での仕事が終わって向かったため、ドイツ時間は平日の昼間だったが、直ぐにココットが迎えに来てくれた。
シュタルンベルク湖畔の屋敷で、一通りの説明を受けた後、ゲーレンが手に入れた書類を渡された。
ダイダロス計画と書かれた機密資料に目を通しながら、かつての世界であったバーナード星系移住計画を振り返っていた。
バーナード星とは、地球からおよそ6光年離れたへびつかい座にある恒星のことである。
1916年に米国の天文学者のエドワード・エマーソン・バーナードによって発見された。
2024年現在、4つの太陽系外惑星が確認されているが、人類が可住可能かは不明である。
なぜならば実際にロケットを飛ばして観測したわけでもなければ、惑星の地表面を探査したわけでもないからだ。
その為、一度はバーナード星は恒星のみで、惑星がないという説が主流となった。
2024年にスペインのカナリア
1973年に英国惑星間協会が考案したものに、ダイダロス計画という物がある。
恒星間航行計画の一つとして、光速の10パーセントまで加速可能な核融合パルスエンジンを使う案である。
最も近い惑星が存在すると考えられたバーナード星系まで50年をかけて行き、宇宙探査をするという壮大な計画だ。
だが核パルスエンジンが未開発であることと、膨大な費用と広大な建造施設を要することから構想の域を出なかった。
1970年代半ばにバーナード星系には惑星が存在しないという説が出ると、一気に計画は尻すぼみになり、1978年を最後に立ち消えしてしまった。
マサキは、ホープの包み紙を開けながら、再び資料に目を落とした。
なるほど、この世界の技術ならば、あながち嘘とは言えないな。
たしかにこの世界には、前の世界と違って、核パルスエンジンの技術は確立されている。
1950年に米国とフランスを中心とする欧州宇宙機関が外宇宙探索の為に研究を開始した。
1961年には無人探査機という形で、衛星軌道から核パルスエンジン搭載のイカロス1号を宇宙に送り出している。
誰かが、俺の気を引くために作った偽文書かもしれん。
ソ連は自分たちの悪事を、他人に転嫁するのもいとわぬ連中だからな。
マサキは、煙草に火を点けた。
そして紫煙を燻らせながら、かつて過ごした世界の事を思い返していた。
1979年以降、ソ連はアフガン侵攻によって国際的な非難を浴びていた。
特にKGBが問題視したのは、ソ連赤軍が化学兵器を土匪相手にもちいたことが露見する事だった。
そこでアンドロポフを始めとするKGB指導部が思いついたのは、化学兵器に関する偽情報工作だった。
たとえば、「エイズは、生物兵器として人工的に発明された」「旧日本軍の731部隊による人体実験」という物である。
エイズウイルス人工兵器説に絞って、問題を見てみよう。
1980年代初頭、レーガン政権は、エイズ問題の動向に慎重な姿勢を見せていた。
1977年のサンフランシスコでの白人ホモ社会の発見以降、米国で原因不明の流行をみせていた。
医師はホモ社会を起源とする病気の為、ゲイ症候群と呼び、注目をしていた。
だが当時は性の解放運動が世間を席巻し、政府はエイズ問題の対処に苦慮していた。
KGBは、エイズウイルスに注目し、偽情報作戦を流布した。
それは「メリーランド州フォートデトリック陸軍基地にある細菌・生物兵器研究所で、エイズウイルスが生物兵器である」とされるものだった。
エイズウイルス人口兵器説は、1981年突如として、インドの新聞社「パトリオット」誌上で展開された。
最初の内はよくある三面記事として無視されたが、そこに、ソ連は自国の宣伝部門だけではなく東ドイツを巻き込んだ。
ソ連の国内向け新聞、
特に顕著な動きを見せたのはシュタージお抱えの医者ヤコブ・ゼーガルだった。
ゼーガル*3は「エイズの起源」*4という本を書き、西側に広く流布した。
ゼーガルが、東ドイツのフンボルト大学で生物学研究所の元所長も信用させるに十分だった。
この作戦は、西側を不安に陥れ、また同盟関係を結ぶ後進国に打撃を与えた。
結果として、反米感情が沸き起こり、米軍の駐留国との間の軋轢により、米国を海外で孤立させる目論見は成功した。
この一連の作戦は、現在、デンバー作戦、或いは、インフェクション作戦と呼ばれるものである。
1992年、エフゲニ・プリマコフ*5が、KGBの最高傑作の偽情報工作と評したほどであった。
この様な回りくどいことをする連中が、何かしてこないはずはない。
マサキは、この問題を、KGBの罠と疑ってかかることにした。
「この資料は、どこから手に入れた。
よもやKGBが俺を
言葉を切ると、マサキはタバコに火をつけた。
「木原博士、まずありえない話だ」
ゲーレンは、これ以上話を突っ込まれないよう、早口で答えた。
「情報の
マサキは念を押して聞いた。
「偽情報じゃ、あるまいな」
ゲーレンはマサキの方を向く。
いつになく、それは冷たい声だった
「それは、確実に裏が取れた話なんだろうな!」
ゲーレンは、内心で汗をかきながら思った。
彼は一度だけ、ソ連の偽情報に騙されてしまった経験があったからだ。
若い頃武装親衛隊に居たハインツ・フェルフェ*6という人物を、BNDの工作員としてリクルートしたことがあった。
フェルフェは、戦後すぐにソ連にリクルートされたKGBスパイ。
ゲーレンは、その正体を知らずに、10年もの間
彼のもたらす精巧な偽情報で、BNDが惑わされた苦い記憶が思い出される。
天才科学者・木原マサキをして慎重にさせたのは、2パーセク*7という距離である。
天のゼオライマー、グレートゼオライマーの各機に搭載された次元連結システムを使えば、即座にワープは可能だが、万が一の事が頭をよぎったからだ。
それは、高速で動く物の中で起きる時間の遅れを恐れたからである。
光速度に近い速度で運動している系の時間の進み方は、静止している観測者に比べて遅くなる現象である。
一般にリップ・ヴァン・ウィンクル効果と呼ばれるもので、日本ではウラシマ効果とされる事象だ。
ゼオライマーは次元から異次元への異動が可能だから、高速移動による弊害は大丈夫であろう。
出されていた焼き菓子をほおばることで、マサキは興奮した気持ちを抑えることにした。
ゲーレンが立ち去った後、マサキは部屋に残って、資料をカメラに収めていた。
詳しい分析は鎧衣あたりに任せよう、ともかくあとは帰るだけだな。
そう考えていると、部屋に近づいてくる足音に気が付いた。
「木原……」
婦人用のスーツ姿のココットは、部屋へ入ってくるなり、マサキに抱き着いてくる。
マサキはそれを宥めて、机の上にある冷たいコーラをすすめた。
「光の速さで、6年もかかる場所でしょ……
無事戻ってきても12年」
最初のうち、マサキは大人しかった。
ほとんどココットの言いなりと言っても差し支えなかった。
「もしものことがあったら……どうするの?」
この時、マサキの心にわずかばかりの揺らぎが見られた。
そうだ、前の世界と違って、俺はクローン受精卵を用意していなかった。
万に一つもない事とはいえ、リスク管理をしていなかったことを悔やんだ。
マサキはわずかに顔を背け、表情の変化を隠した。
「バーナード星行きは、
マサキはコーラを飲み、ゆっくりとホープを吸った。
気持ちを落ち着かせるために、いつも以上に静かに煙を燻らせる。
「せめてもの思い出に、一夜をあげるわ」
マサキは驚いた顔をすると、ココットは少し困惑したような笑みを浮かべて、胸を押し付けてきた。
「冗談はよせ」
「本当よ。
アナタほどの男を逃せば、何時いい人に出会えるかわからないし」
ココットの目の輝きは増している。
とても冗談を言っているようには見えなかった。
「ココット……」
マサキは新しい煙草に火をつけた。
OLやキャリアウーマンという物は、出世や自己実現のために自身を犠牲にする節がある。
いい人に巡り合えないとか、いい出会いがなかったというのは、その手のオールドミスに良くある話だ。
おそらく誰かしらから吹き込まれたのかもしれないが、困ったものだ。
こと野放図な肉体関係に関しては、マサキ自身を危険にさらす場合もあるから迂闊に聞き流せない。
そこでマサキは、無理難題を言って断ることにした。
「まず、この2枚の紙だ」
二枚の書類は、日本語で書かれた白紙の婚姻届と離婚届だった。
アイリスディーナとの一件があってから、常にその一組の書類を肌身離さず持ち歩くようになっていた。
マサキは、胸ポケットからパイロットの万年筆を投げ渡す。
「そこに捺印し、お前の本名と本籍地を書け」
ココットは現役のスパイだ。
そうやすやすと情報を出すわけがあるまいと、睨んでの事だった。
「そして今日の内に、挙式が出来るなら考えてやってもいいぞ」
通常、日本と違って海外では役所で法律婚の手続きを取る際に挙式をあげる。
だが即日の挙式は役所の人員不足の関係で難しく、指定した日に挙げるのが一般的だった。
「え……」
ココットは絶句し、確認した。
「今日中に」
彼女はしばらく考え込んでいる。
「出来ないというのなら、この話は無しだ」
マサキは不敵の笑みを浮かべた。
これであきらめのついたことだろう。
知り合ってから数度しか出会ったことの男女が、いきなり結婚するなどというバカな話がこの世にあるものか。
現にココットは、真剣に悩んでるではないか!
そんな仕草を見て、マサキは勝ち誇ったかのように紫煙を燻らせた。
ココットは、このマサキの態度を見て、その真剣さに感銘を覚えていた。
一夜の契りだけといったのに、この東洋人の男は式を挙げると返してきたのだ。
戦後の西ドイツは、男性就業人口の大幅な減少という結果を受けて、婦人労働力の活用に舵を切った。
但し、女性の社会進出は認めても、価値観として結婚後の女性は家庭に入るというのが一般的だった。
子供を保育所や幼稚園に預けようにも、その数は西ドイツ地域では足りなかった。
東ドイツでは、各地に幼稚園や保育所*8の拡充を進め、国策として結婚後の女性を積極的に活用しようとした。
人口維持のため、出産奨励金を出し、1年間の産休を早いうちから設定していた。
この事だけを聞けば、東ドイツは女性にとって素晴らしい社会に聞こえるかもしれない。
だが女性たちが外に働き口を求めたのは、家族の看病や介護といった理由を除いて、働かない女性は罰せられる法律があったためである。
多くの女性はパートタイマーを希望したが、認められず、保育所に止む無く預けて働かざるを得なかったのが実情だ。
肝心の収入も低く、複数の子供を育てながら、家事をして、働きに出て、やっとの思いで集合住宅にある小さい部屋に帰る。
夫の多くといえば、秘密警察が闊歩する鬱屈した社会主義の環境で悶々とし、酒に逃避することがままあった。
統計によれば、彼等は子育ては手伝ったが、家事は女性任せが一般的だった。
それらは、70年間社会主義で運営されてきたロシアでも同じで、現在でもその構造は変化がない。
東独の育児支援ばかりがほめそやされ、女性にとって、過酷な実像が忘れ去られようとしている。
筆者はあえて、ここで東独の女性は、ある意味西独の女性より厳しい環境だったということを記しておきたいと思う。
1968年以降、西ドイツ人にとって、結婚は遠い存在になっていた。
それは世界的な婦人解放運動と、経口避妊薬ピルの登場である。
1968年の世界的な学生運動は、それまでの生活習慣や性道徳を破壊するものだった。
東側がプラハの春や文化大革命による価値観の崩壊で警戒を強めていた頃、西側は学生運動で大荒れだった。
フランスの五月革命から始まり、西ドイツ、米国に広がり、日本にまで波及した。
大学という大学が武装した新左翼の学生に荒らされ、ノンポリ学生までも過去を否定する行動に走らせた。
西ドイツではそれまで戦後復興を支えてきた戦前生まれや戦中派の世代を否定し、ナチスを相克する価値観を求める声が上がった。
その為、相次ぐ凄惨なテロや言語を絶する内ゲバ事件を目の当たりにし、赤軍派を過激な極左暴力集団と蔑視した日本と違い、西ドイツではその多くが同情的だった。
1968年の学生運動は、古い価値観を壊し、ドイツに本当の民主主義を導いたなどと、今でも大真面目に信じられている。
日本もマルクスレーニン主義者らが日夜諸外国によって作られた自虐史観を児童に刷り込んでいるが、ドイツでも同じなのだ。
いや日本以上に過激化したのは、1918年に君主を追放し、精神的な中心を失った国の悲劇なのかもしれない。
午後2時の閉庁間近、バイエルン市の戸籍役場に数名の男女が集まっていた。
これから、結婚式を行うためである。
ドイツに居住実態のないマサキは、本来ならばボンの戸籍役場まで行って予約をし、登録を行う必要がある。
だが、ゲーレンの政治力でなんとか滑り込む形で強引に行ったのだ。
本来ならば、半年はかかる審査や手続きを、わずか数時間でパスした形だ。
執行人の講話を聞きながら、マサキの気持ちは沈んでいた。
半ば冗談で言ったことを強引に行ったゲーレンに呆れ、己の失言に後悔していたのだ。
長袖の第2種夏服のマサキの傍に立つココットは、緊張で打ち震えていた。
冴えないライトグレーの婦人用サマースーツ姿の彼女は、これからいう誓いの言葉で悩んでいた。
間違った文句を言って、結婚出来なかったらどうしよう……
ココットの悩みは、杞憂だった。
儀式は15分程度で、婚姻届けに署名するという流れである。
花嫁、花婿付添人にも署名をしてもらい、終わりというあっけのないものだった。
マサキは、この期に及んで違う事を考えていた。
この世界の住人の倫理観というのは、元の世界とは違うらしい。
彼は、今更ながら後悔をするのだった。
札幌より緯度の高いミュンヘンの朝は、4時15分ごろに日が明ける。
大分早い夏の夜明けであるが、マサキはすかっとした上機嫌で、美久にたいする語調まで快活だった。
「鎧衣や彩峰が電話をかけて来て、返事を待っているというのか。放っておけ、放っておけ」
一度、居間に姿を現したが、こう言ってまた部屋の奥へ隠れてしまった。
マサキは昨日の出来事が、まるで夢の中で起こったことに思えて仕方なかった。
だが、わずか半日の間に成り行きで法律婚をした事は、夢でも、幻でもなく、現実である。
ココットを見るまで、マサキはどんな態度で接すべきか考えていた。
彼女の元気な挨拶を聞くと、マサキは、何時もの不敵の笑みを浮かべて自然な態度で応じる。
「ココット、寂しかろう」
昨日の甘さを引きづっていたマサキは、ココットを抱き寄せる。
余りの堂々としたマサキの行動に、むしろココットの方がたじろいだ。
「どうしてですか」
言いようのない淋しさに襲われたココットは、マサキの手を握った。
BND諜報員の女が見せた真情のストレートな吐露に圧倒されながらも、マサキは弾ける様な喜びに包まれていた。
「お前と一緒に居たかったからさ」
予想もしなかったマサキの言葉だった。
ココットは、ちょっぴり頬を赤らめた。
「これから先、忙しくなる。
しばらく西独には来れんが……今にお前にも日本を見せてやる。
車に乗って、富士山へも連れて行ってやる。あるいは深川祭もよい」
マサキは自分のこれからの行動を説明しながら、さりげなく日本旅行の話をすすめた。
「いえ、ただもう……こうしているだけでも」
ココットの姿には、もう何ら暗い影もなく、ゼオライマーのパイロットの思い人になりきっていた。
「はっきり言うな……」
ココットのうきうきした様子を見ながら、マサキは急に決まった話に感じ入っていた。
それにしても、人間の運命の不思議さとは……
これは運命なのかもしれなかった。
ソ連当局から赤旗勲章と赤星勲章を授与され、2008年に死去する直前、FSBより卒寿の祝いを受けるほどだった
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