冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
だが突然、KGBは何故か作戦に介入するのだった。
果たして、その狙いは何か……
マサキが地球に帰還したころ。
ソ連は、極東軍管区で30万人規模の特別軍事演習を始めていた。
軍用車は35000両、艦艇400隻、航空機125機が投入する、史上最大の規模だった。
9月からの実働演習に合わせて準備をしている時、ある異変が起きていた。
きっかけは食料の配膳ミスが原因だった。
戦術機要員に配られるはずの合成蛋白の食糧が、間違って一般部隊に配布される事件が起きた。
合成蛋白の食品の見た目の悪さと、粗末な味に憤りを覚えたのは、第20親衛ロケット旅団の一般兵士だった。
偽物の食品が配られたと大騒ぎし、旅団長の元へ集団で直訴する事態になった。
旅団長直々に部隊の糧食を調べたところ、そのほとんどが合成食品であり、バターさえもマーガリンにすり替えられているというありさまだった。
肉類はそのほとんどが、賞味期限をはるかに超えた缶詰類のみ。
パンに至っては、全粒ライ麦のパンどころか、ふすま入り*1のものさえ一切ない状態だった。
事態を重く見た第20親衛ロケット旅団の将兵は、極東軍管区の司令部に直訴するまで発展した。
300名あまりの人員が、20台以上の軍用トラックに乗り、司令部のあるコムソモリスク・ナ・アムーレに向かう。
兵士の多くは完全武装した状態で、多連装ロケット砲を3台随伴させる異様なものだった。
コムソモリスク・ナ・アムーレの北東8キロにあるジェムギ航空基地に一報が入ったのは、事件発生から50分後だった。
赤軍参謀本部より秘密指令を受けたヴォールク連隊の隊長は、大急ぎで隊員がいる食堂に乗り込んでいった。
「同志諸君、今すぐ出撃だ」
中隊長の言葉に、フィカーツィア・ラトロワは驚きの色を表した。
航空基地には、敵機来訪のアラームも、非常時を告げる命令書も来ていなかったからだ。
「隊長、急な出撃とはどういうことですか」
火のついたタバコを咥えたまま、カザフ人少尉が問いかける。
彼は今月初めに補充兵としてきたばかりの男だった。
隊長は、少尉の口から火のついたタバコを取り上げると、灰皿に放り投げた。
「第20親衛ロケット旅団の師団長が反乱を起こした。
コムソモリスク・ナ・アムーレの市庁舎を占拠したと、今しがた連絡があった」
隊長は既に強化装備に着替えていた。
だが隊員の殆どは、規則違反の縞柄のランニングシャツに短パン姿だった。
「治安出動ですか」
「ああ」
隊長の後ろに立つ副長は、持って来た強化装備の入った段ボール箱を放り投げる。
隊員の多くはラトロワたち婦人兵の視線を気にすることなく、赤裸になり、強化装備を付けた。
「KGBの屑どもが来る前に片づけるぞ。」
隊長の掛け声に対して、隊員一同が合わせて答える。
血を揺るがすような雄たけびを上げ、拳を振り上げ、彼らは戦術機へと走っていった。
一方、KGBのアルファ部隊にも出撃が命ぜられた。
極東軍管区司令による軍事叛乱と報告が届けられたからだ。
放置すれば日米両政府、或いはゼオライマーの介入を招く事態になる。
そういった懸念から虎の子の戦術機部隊が送り込まれることとなったのだ。
コムソモリスク・ナ・アムーレ市内にいる第20親衛ロケット旅団は、ヴォールク連隊により簡単に武装解除された。
ヴォールク連隊は食料遅配の件を知ると、反乱軍の直訴に同意する態度をとった為、簡単に説得に応じたのだ。
事件はそれで解決するかに思えた。
だがKGBのアルファ部隊が、匍匐飛行で市庁舎前のレーニン広場にやってくると、小競り合いが始まってしまった。
広場に居た多くの兵士が、KGBに帰還をうながすシュプレヒコールが起こると、KGBのmig23は突撃砲を向けた。
「只今の行為は、ソ連への反革命行為とみなす」
突如として、殷々とした砲声がレーニン広場に鳴り響いた。
オレンジ色の発射炎が閃き、青白い曳痕が飛ぶ。
20ミリ口径弾が停車する車両の列に殺到する。
一台が被弾したのか、ボンネットから火を噴き、続いて大爆発を起こして車ごと吹き飛ぶ。
周囲にいる兵士は飛散したガソリンを浴び、火だるまになりながら周囲を逃げまどう。
「くたばれ、チェキストども」
ヴォールク連隊のカザフ人少尉は顔を真っ赤に染め、把手を握りしめながら、引き金を引く。
ともすれば発射の反動で引きあがりそうな突撃砲の銃身を、戦術機の左手で抑えながら火を吐き続ける。
直後、射弾を浴びたアルファ部隊の機体が、腰の付け根にある跳躍ユニットの付け根から火を噴く。
機体は燃えながら、地面へと叩きつけられた。
ヴォールク連隊とアルファ部隊の衝突事件は、拡大するかに見えた。
だが事態を聞いて駆けつけていた赤軍参謀総長の説得に応じる形で、この衝突は事故として片づけられた。
アルファ部隊の隊員が射撃をし、破壊したトラックに墜落事故を起こした形を取ることとなり、ぶつかったトラックと銃撃された兵士は殉職扱いになった。
一方、ヴォールク連隊のカザフ人少尉は、KGB将校立ち合いの元、拳銃自殺を強要された。
最後まで彼は拒否していたが、参謀総長から家族の面倒を見るとの言質を得ると笑顔で自刃した。
糧食遅配事件は、最終的に業務隊の責任者が軍法会議に掛けられることで解決を見た。
中央の統制不足による輜重の遅れという真の原因は伏され、責任者の大佐の横領によるものとされた。
犯人とされた大佐は、検察官立ち合いの元、即日の簡易裁判で一方的に死刑を宣告された。
銃殺刑に処された後、コムソモリスク・ナ・アムーレの市内の黒板*2に罪状を書いた紙を張り付けることで、一件落着となった。
「その者を野放しにしておいてよいのか」
薄い灰色のサマースーツを着た男が、骸骨のような顔を巡らせていった。
ワイドラペルのダブルブレストのジャケットに、裾幅が11インチもあり、袴のように太いバギーパンツという時代遅れの格好。
場違いな服装は、1930年代に英米の上流階級の子弟の間で流行ったビスポークスーツの一般的なスタイルだった。
「野放しではありません。
24時間の完全監視体制にあります。
電話やファックスは完全に盗聴しております」
上質なサマーウールの勤務服。
首都を防衛するKGB第9局の警護隊や国境警備隊、ドイツ駐留軍にしか許されていない特別な生地の服だった。
「なぜ監禁しない。
大事の前だ、口を封じろ」
老人は、既に20年来の年金生活者だった。
だが目の前に立つ軍服姿の男は、さも大臣からの質問を受けたかのような態度で応じた。
「それは簡単ですが、友邦諸国の軍に顔の広い男でして……
あらぬ疑惑を抱かせぬためにも、今は動きを抑え込んだ方が……」
薄気味悪いほど、男の口は平たんだった。
老人は、潔く男の意見に従うことにした。
「出来るか」
男は、再びゆとりのある笑みを浮かべた。
「今すぐにでも」
「検察を動かしたのか」
「KGB、内務省、法務省の一部です」
ドアが荒々しくノックされた。
老人は一瞬、躊躇いの色を表す。
黒い車に乗ったNKVDが、深夜に家庭訪問をするときに良く使われた手法だった。
老人は、その頃の習慣が抜けないのだ。
かつて、妻が逮捕されたときもこうだったな……
背筋を激しく震わせた後、それにこたえる。
「入れ」
意外な事にドアをノックしたのは、若い警護兵だった。
呼びかけに応じないので、荒々しくノックしたのだった。
「お時間です。本部で同志議長が」
老人はいつの間にか、乾ききった唇を湿らせた。
「言うまでもないが、我が国の存亡にかかわる問題だ。
必用とあれば、最終手段を取れ」
軍服姿の男は口元を引きつらせながら、答えた。
「心得ました」
ソ連では、指導者の健康問題が政治を左右することがままあった。
建国期のレーニン、世界大戦時のスターリンもその例外ではない。
彼等は、夜明けまで起きて、昼過ぎに寝るという秘密結社時代の習慣が抜けなかった為、健康を損ねていた。
専属の医師が付いていたが、最高権力者の生活習慣病を悪化させる行為を止めることは無理だった。
その為、ゴルバチョフ*3以外のソ連の指導者は、心臓疾患や糖尿病、脳の病気が原因で亡くなっている。
特に顕著だったのが、1970年代から1980年代前半のブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコの時代である。
ブレジネフはしばしば心臓発作を起こし、最晩年はほとんどなにが起きているかわからない状態であったとされる。
アンドロポフは重度の糖尿病の為、視力の殆どを失い、歩行もままならない状態だった。
死の1年前からベッドで横たわりながら、執務するほどであった。
チェルネンコは元々病弱で、書記長に選任されたときには持病が悪化した状態だった。
アンドロポフの葬儀に参加した英国人医師によって、重度の肺気腫であると推定されるほどだった。
では一旦史実の世界から離れて、BETAの侵略を受ける異界のソ連に、再び目を転じてみよう。
ソ連指導部の間では、書記長の健康問題は最大の秘密だった。
国民の多くは知らなかったが、指導部の誰の目から見てもあと1年は持たないほどに健康を損ねていた。
実務派官僚の多くは集団指導体制を模索しており、またKGBはアンドロポフが目をかけた人物を擁立しようと動いていた。
そんな時、問題になったのが、赤軍参謀総長である。
将兵と国民に絶大な人気を誇り、友邦諸国の信任の厚い人物がいずれの派閥にも属さないことは、危険極まりない事であった。
いずれの派閥も最終的に軍事力の裏付けを欲していたので、彼を味方につけることを画策するほどだった。
だが、そうした状況を嫌った政治局のごく一部から彼の引退が検討されたが、彼ほどに軍をまとめられる人物がいなかったので、取りやめになった経緯がある。
今回の糧食事件は、参謀総長がクーデター予備軍があることをKGBに再認識させる出来事だった。
KGB内部では、騒擾事件を起こした第20親衛ロケット旅団の肩を持ったとみなし、対応策を練ることにした。
ウラジオストックに置かれた、KGB臨時本部にある会議室。
巨大な円卓が設けられ、その周囲には12ほどの各総局長が座ってた。
「拘留している第20親衛ロケット旅団の旅団長と副官を調べた結果、すでに反革命的陰謀がかなり進んでいることが判明した。
同志長官も、この事態を憂慮されている」
第三総局長を兼務する特別部部長が、古い四角い眼鏡を持ち上げた。
「現時点で、軍部にブルジョア勢力の思想的影響が及んでいるとは、由々しき事態ですな」
思想犯や組織犯罪を専門にする第五総局長が、冷たい声で答えた。
「して、長官は何と?」
国内防諜を担当する第二総局長が、尋ねてきた。
彼はこの話に関しては、中立的ともいえる立場だった。
「計画実現のためには、万難を排さねばならない!
残る参謀総長とGRUの責任者5名の処置を完璧に……ということを条件に、我らに一任された」
特別部部長は、全くの無表情で答えた。
「その6名に関しては、逮捕も拘留も必要ない。
自然かつ速やかに排除すべきだろう」
すべての発言者が言い終えた後、第一総局長は静かに資料を広げる。
そこには、本事件で逮捕すべき60名の将校の名前が記されてた。
参謀総長は、この数日来、見慣れぬ男に尾行されていることに気が付いていた。
彼の周りには、既に10年来の運転手として、働いている下士官――特別部のスパイ――が居たが気には留めなかった。
海外に出るときにもぴったりくっついて来たが、KGBからのある種の信頼として放っておかれたのだ。
参謀総長は、尾行の事に関してはさして気にはしなかったが、明らかな異変を感じることはあった。
サハリンでの演習で、双眼鏡が必要になったので外貨ショップに行き、買い物をしようと考えて、
手持ちのルーブルを米ドル札に両替しようとした際、行員に止められたのだ。
仕方がないので、その足で外貨ショップの
だがその時も、店員から商品券の引換期限が切れていると言われ、にべなく店を後にするしかなかった。
貰ったばかりの商品引換券が使えないのはおかしい。
不審に思った彼は、
1987年の銀行改革が始まるまで、ソ連には銀行の数は決まっていた。
労働貯蓄金庫は、一般国民の国内唯一の貯蓄機関として、各村落に存在し、日本で言うところの郵便貯金に相当する。
この銀行は、今日、ズベルバンクとして知られるロシア連邦貯蓄銀行である。
労働貯蓄金庫の窓口でも対応は一緒だった。
預金がすべて前日に引き出されており、すでに残金がない状態だった。
ソ連財務省の管轄下にある金庫から、突如として金が消えるはずがない。
男には思い当たる節があった。
これはKGBの一支局の話ではない、国家がらみの陰謀だと……
受付嬢に謝意を述べた後、男は急いで市内にある将官向けの住宅に向かった。
「イワノフです。
奴は労働貯金、外国貿易銀行、外貨ショップ、全てを確認した模様です」
ハンチングにアディダスの運動着に革靴という成金風の服装をした男が、公衆電話から電話をしていた。
通話先はKGB本部で、軍を監視する特別部の通称で知られる第三総局であった。
「これで奴の動きは止まるはずだ。
まだあがくようなら、
第三総局の男は、カズベックを吹かしながら続けた。
「奴はシュトラハヴィッツと懇意だった。
東ドイツのスパイという事で、即座に逮捕できる」
「奴は拳銃を持っているはずです。
即座に取り上げましょうか」
「それは民警にやらせろ。
奴は普段、拳銃を持ち歩いていないはずだ」
「これで奴は牙を抜かれた虎です」
「いずれGRUと落ち合うはずだろう。
何としても阻止をしろ!」
「了解しました!同志大佐」
参謀総長は日没後、ウラジオストク市内にある軍高官向けの住宅に向かった。
そこには、彼が唯一所有する、黒塗りの新型車、ジル-4104が置いてあるからだ。
彼が車を取りに帰ったのは、ウラジオストク市内から脱出する為だった。
だがすでに車の周囲には、懐中電灯を持った制服姿の警官が待ち構えている。
将官用の灰色の
精々武器として使えそうなのは、手元にあるズボン用の細いバンドだけだ。
男は万事休すかと、あきらめかけていた。
突然、前方からヘッドライトが煌めく。
道路の幅は住宅街だから、一車線半ほどしかない。
小型の四駆車だった。
一昨年に出たばかりのラーダ・ニーバVAZ-2121に思われた。
この3ドア小型四駆車は、コスイギンの肝いりで作られたソ連の農業用自動車であった。
1970年に計画案が作られ、完成までに7年の歳月をかけた四駆車は、フィアット124の技術を応用し、手堅い設計で作られた。
悪路走破性が非常に優れており、西欧市場で今でも人気であり、発売から48年を経た現在でも同じモデルが作り続けられている希少な車種である。
男があっけにとらわれていると、間もなく閃光が認められた。
少し離れたところをマカロフ弾が通り抜ける。
隠れていたKGBの二人組の密偵が、マカロフ拳銃で撃ってきたのだ。
ジルを運転している人物が左の運転席の窓を開け、PSM拳銃で応射する。
ポン、ポンと調子を付けて撃つと、胴体に当たり、崩れ落ちる。
「乗って」
参謀総長を迎えに来た人物は、彼の個人秘書を務めるGRU工作員だった。
助手席に乗り込んだ参謀総長は、運転手の女の肩を叩く。
「発進だ」
もう警察どころか、KGBまで敵に回し、収拾のつかない状態だ。
後は迷わず、チュグエフカ空軍基地に向かうだけであった。
チュグエフカはウラジオストックより300キロ先にある、人口12000人程度の寒村である。
ここには原野を切り開いたような露天の駅舎があるだけで、ウラジオストックからの夜行列車が通るだけの場所だった。
だが極東防衛用の空軍基地がおかれており、対日、対米用の重要な防衛拠点だった。
2500メートル級の滑走路があり、少し無理をすれば大型機が止まれるほどの長さだった。
参謀総長が基地を訪問した日、偶然にもミグ設計局の方で新型の戦術機を運んできた所だった。
超大型のアントノフ124が着陸したばかりで、航空要員が荷下ろしの準備を始める準備をしていた。
参謀総長の一行は、300キロの道のりを一晩で移動し、早朝にチュグエフカ基地についた。
そして抜き打ちの視察を装って、基地の正面から堂々と入ってきたのだ。
突如として来た参謀総長に、基地は蜂の巣をつついた騒ぎになった。
こういう場合は、事前に将校間で、どのタイミングで、どんな人数で来るか、内々に連絡があるからだ。
本当の抜き打ちに、基地司令は恐縮し、丁重にもてなすほどだった。
焚き火に似た独特なきつい香りのするロシア茶と、干しブドウ入りのフルーツケーキであるストリーチヌィ、バトンチキと呼ばれるクルミを砕いたウエハースの菓子が用意するほどだった。
KGBの魔の手が来るのは、時間の問題だ。
この時、参謀総長はある恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
木原のいる日本に、新型機を土産にして亡命するという案である。
幸い、ここから近い南樺太や北海道には、大型機を止める空港がある。
参謀総長は、そう考えてから、内ポケットから白海運河を取り出す。
「同志ペトロフスカヤ」
言葉を切ると、口つきタバコに火をつけた。
「私の逃避行に、付き合ってもらって済まない。
誰も泣く人もなく、こんな戻るべき場所のない男の為に……」
男は、BETA戦争で愛息二人を失っていた。
長男はカザフのステップで、次男はヴォルゴグラードの市街地で。
遺骸はおろか、軍服の一つすら手元に帰って来ず、代わりに送られたのは肖像画だけであった。
男の妻はそのことが原因で精神を病み、真冬のバイカル湖に身を投げた。
「私には既に帰る家はここを除いてありません」
ペトロフスカヤは、参謀総長に敬礼の姿勢を取ったまま、小さな声で囁いた。
参謀総長は、改まった口調で返す。
「では行こう、同志ペトロフスカヤ」
連載開始から3年が経ちました。
月日が流れるのがものすごく速く感じるようになりました。
ご意見、ご感想お待ちしております。
ソ連の今後に関して
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核不使用の軍隊
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体制そのままに資源50パーセントオフ
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一億総懺悔
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クーデター