冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 ソ連軍機の突如とした亡命。
その一方を受けて、マサキは函館に向かうのであった。


暗雲(あんうん)函館(はこだて) 前編(旧題:スペツナズ)

 帝国陸軍のUH-1多目的ヘリコプター"ヒューイ"は、巡行速度200キロメートルで北関東に向かっていた。

払暁の赤く変わりつつある山々を通り過ぎると、やがて台地や低地からなる平野部が見えてきた。

 20キロメートルほどそんな景色が続く中、機体は高度を下げていき、低空飛行に入っていった。

「着地5分前」

 操縦士が無造作に告げてくる。

「諒解」

 白銀は、いつもよりもやや甲高い声で応じた。

ヘリコプターの中は騒音でひどく、高い声でないと聞こえないからだ。

「あと2分」

 ベトナム戦争やラオス内戦に参戦した経験が、反映されているのだろうか。 

そんな事を考えながら、マサキは空を見上げた。 

全体的に黒さが残っており、東の方角から金色に輝く太陽が上がり始めている。

嵐山渓谷の下の方を見ると、既に橙色に染まっていた。

「30秒」

 マサキは装備を確認する。

「目標地点到着」 

 絶え間ない操縦士の通告がまるで警報音のように感じる。

機体はすべるように、入間基地の滑走路に設置した。

 

 UH-1より巡航速度が速く安定性のあるYS-11に乗り換えようとして寄った埼玉県の入間基地で、マサキは思わぬ事態に遭遇していた。

一個編隊の国籍不明機が、北海道近海の防空識別圏に侵入しているとの一報が入ったからだ。

 滔々とサイレンが鳴り響き、(だいだい)*1の飛行服姿の男たちが基地の中を駆け抜けていく。 

秒を争う緊急出動、ここでの遅れが取り返しのつかない事態になりかねない。

 格納庫から出た機体のアフターバーナ―が点火し、次々と要撃機が空に上がっていく。

基地の滑走路で、静かにマサキはその様子を見守っていた。

 

 初めて乗るYS-11は、双発プロペラ機だけに狭く、今までの旅客機の中で最悪の乗り心地だった。

マサキは、ずっと耳栓を付けて、その景色を眺めていた。

 もっとも一度エンジン動き始めると、もう隣とは会話ができないくらい騒音が酷かった。

大型のプロペラによる振動の為、雲の中に入っただけで、体が浮くような浮遊感をよく感じさせる。

 YS-11は軍用機を設計した人間が作った機体であったので、商業機のような細やかな気配りがなかった。

カナダのボンバルディアのような機内の騒音低減装置も無いので、当然うるさい。

 最大に上昇しても20,000フィート*2までなので、天気が悪いと当然揺れる。

温度調整能力もそれはど良くないので、夏暑く、冬寒いのは当たり前だった。

 YS-11の日本の航空機産業に与えた影響は、必ずしも悪い物ばかりではなかった。

戦後10年以上のブランクがあってもなお、航空機を独力で開発できる素地があると世界に示すことができ、なおかつ軍用機開発のノウハウが失われていないことを証明したからだ。

ただ、ジャンボジェットのような大型機が一般化する時勢に乗り遅れた、時代のあだ花的存在と言えよう。 

 

 マサキはエンジンの振動に揺られながら、かつての世界であった東京急行の事を思い起こしていた。

 東京急行とは、ソ連空軍による防空識別圏への侵入、領空侵犯を指す言葉である。

 日本周辺を偵察飛行し、東京まで近づくコースが多かったことから在日米軍が呼び始めたと言われている。

わざと防空識別圏に侵入し、航空自衛隊や在日米軍の対応の能力、電子情報を収集するほか、政治的な示威行動も含まれた。

 このような対日示威行動は、冷戦期のソ連だけではなかった。

古くは化政(かせい)年間*3の頃、蝦夷(えぞ)地を襲撃し、そこにいる漁民や土民を拉致する事件を起こしたことがあった。

 後に文化(ぶんか)露寇(ろこう)と呼ばれるこの行動は、日本側に大きな衝撃*4を与えることとなり、幕末の尊王攘夷運動の遠因の一つとなった。

 また日露戦争中、ロシアのウラジオストック艦隊は東京湾近海に進出し、日本に向かう船を沈めたり拿捕したりする通商破壊戦を行っていた。

ロシア海軍の動きを察知した帝国海軍は迎撃部隊を送るも、補足できず、制海権を維持できなかった。

 この事案では、特に玄界(げんかい)(なだ)で起きた常陸(ひたち)丸事件の衝撃は大きかった

政府への批判と海軍への責任追及となり、第二艦隊の上村(かみむら)彦之丞(ひこのじょう)*5中将に非難が集中した。

 第二艦隊は、「露探(ろたん)艦隊」と呼ばれ、上村は自宅に投石をされた。

彼は日本海海戦で汚名を(そそ)ぐことになるが、今回の話に関係ないので割愛させていただく。

 

 東京急行の場合は、砲火を伴わないにらみ合いが主だった。

しかし、日本側の迎撃機にはミサイルや機銃弾の実弾を装填しており、ロシア機も武装している。

 互いに相手の出方を探り合う緊張は戦争と変わりなかった。

緊急発進(スクランブル)任務では肉眼で目標を確認し、写真撮影することが原則だったので、かなり接近しなければいけなかった。

ソ連の大型機Tu-142の乗員からも日本側の姿が良く見て手織り、要撃機のパイロットの写真を撮ったり、手を振ったりする姿を見られたという。

 

 YS-11で函館空港に着いたときには、すでに9時前だった。

空港職員の手引きで、ターミナルビルにあるラウンジに招かれると、そこには函館警察の署長と赤い斯衛(このえ)軍の制服を着た若い男が待っていた。

 憲兵隊や、陸海軍の関係者がいないところを見るといろいろ難しい事情の上にあることがマサキには察知できた。

 署長はマサキ達に一礼をした後、口を開いた。

「1時間前、情報省経由で、CIAから、プロの工作員が数名潜入したのと、FAXで連絡を受けました。

参謀総長の拉致と機体の爆破が目的と思われます」

 白銀が尋ねた。

「それは、既に北海道に工作員が潜入したという事ですか」

「そう取っていいでしょう……」

 署長は、そう言って語尾を濁す。

海岸線の多い日本では、潜水艦や小型のボートを使った洋上からの侵入は容易だからだ。

 北海道では、冷戦時代、ソ連の工作船による密入国事件が相次いだ。

レポ船と呼ばれる日本人が操業する漁船によるスパイ事件が横行し、北海道に駐留している自衛隊の配備状況に関する情報を高額で提供していた。

「それは、大変な事ですな」

 鎧衣はいつもの如く不敵の笑みを湛えて、応じた。

「いつどんなルートで入ったか、明確につかんでいないのか」

 マサキは言葉を切ると、タバコに火をつけた。

「この情報では、そこまで触れられていない」

 署長は、一応、そう返す。

マサキは少し落胆した表情で、男の方を向いた。

 しばしの間、その場に静寂が訪れる。

「言うまでもありませんが、これは国家安全保障上の機密です。

くれぐれも新聞は勿論の事、他の関係省庁への完全な極秘体制を取っていただきたい」

 KGBの浸透工作は、警察よりも軍の方が深刻だった。

署長はこの事を念頭において、マサキ達に警告したのだ。

 マサキは吸っていたタバコを、灰皿に押し付ける。

火を消しながら、過ぎ去った世界の日本を思い返していた。 

 前の世界でもそう確かにそうだったな。

ソ連の浸透を受けていたのは、警察よりも自衛隊の方が酷かった。

 


 

 函館空港を後にしたマサキたちは、市内の湯川町にある湯の川グランドホテルに来ていた。

 そこには、赤軍参謀総長と亡命してきたソ連人たちが、まとめて待機させられていた。

警備要員は一見して分からない様に、観光客を装って配置されていた。 

 マサキは、海岸沿いにある湯の川グランドホテルの立地条件を気にしていた。

小型潜水艇に取りついた工作員が、すぐに乗り込んで来れる場所だからである。

 警察の説明によれば、1キロほど先に陸軍の駐屯地があり、非常時には対応できるという。

また津軽海峡と、近隣の松倉川には海軍の警備艇を遊弋させているとの事だった。

  

 マサキは一人になって、じっくりと考えに耽った。

 心を落ち着かせようと、コーラをゆっくり飲み、タバコを燻らせた。

海岸沿いのホテルに参謀総長が滞在しているとなれば、ソ連にとって願ってもない好都合である。

 国際海峡になっている津軽海峡にソ連の駆逐艦を派遣して、そこから函館の街を艦砲射撃すれば済む。

あるいは原子力潜水艦から特殊工作員を送り込めば、簡単に暗殺できる絶好のポイントだ。

 マサキは紫煙を吐き出すと、椅子の背もたれに身を預けた。

 俺は、勘違いしていたのかもしれない。

何も外部からだけではなく、既にホテルに工作員が潜入している可能性がある。

そう考えたマサキは、大慌てで、警察署長たちの所に向かった。

 マサキたちは、湯の川グランドホテルにそのまま一泊した。

時折メンバーと警察が交代で、参謀総長の話し相手をし、警備を続けていた。

 昼過ぎに、在札幌ソ連総領事館の総領事と副領事を尋ねた。

北海道には、幕末からロシア領事館があり、今日も札幌と函館の二か所で活動をしている。 

 話し合いは警察立会いの下で行われ、彼らは参謀総長に亡命を思いとどまるように説得していた。

 マサキたちは待機を命ぜられ、部屋の中で待つことにした。

手持無沙汰になったマサキは、美久に近くのマクドナルドに行って、ビックマックセットを買ってくるように命じた。

単調なホテルの食事に飽きたのと、周囲の偵察を兼ねた命令だった。

 マサキは服を着崩すと、ベットに横になり、美久の帰りを待つことにした。

暫く眠っていると、ドアをノックする音がした。

 これは美久ではないな……

 マサキが無言で立ち上がる。

ドアを開けると、そこには給仕の制服を着た男が顔色一つ変えずに立っていた。

「誰だ……」

 マサキは言葉を切ると、タバコに火をつけた。

「この国には、我らと同じように、ソビエトと友好を望む人間がいる」

 目の前の人物は、マサキは即座に何者かが送り付けた刺客だと理解した。

髪型や給仕の制服の着こなしから、焦って潜入したことがありありとわかる。  

「脅しか……」

 マサキは、吸っていたタバコを灰皿に放り投げる。

「生きていく方法を教えているのだ」

 男は唾を吐きかけたくなるほど憎んでいるマサキに対して、笑みを浮かべて答えた。

マサキは、開襟シャツの胸元に手を入れて、ショルダーホルスターに指をかける。

「賢い男は、素手で敵に立ち向かわない」 

 M29リボルバーを握るマサキの手をつかむと、男は思い切り、下から腹部を蹴り上げる。

悲鳴と同時に、マサキは拳銃を取り落とし、その場に(うずくま)る。

 マサキが一瞬怯んだのを見て、男はこう切り出した。

「これは脅しだ」 

 物音を聞きつけた白銀が、ガラス窓を割って、部屋に入ってきた。

マサキがリボルバーを拾うよりも早く、男は、袖の下より自動拳銃を取り出す。

 白銀は、マサキに自動拳銃を向ける男に、脇差を放り投げる。

男の発砲よりもわずかに早く、脇差は男の右手に刺さった。 

 白銀は持って来た細引きで、襲撃犯の事を縛り上げていた。

マサキは、蹴られた腹部を庇いながら立ち上がった。

警備の厳重なホテルに入り込むのは、容易ではないはずだ。

 おそらく警察の中にも協力者がいるのだろう。

マサキは、白銀に問いただした。

「こいつはこの間、アイリスを狙った連中か」

 白銀は部屋に盗聴器がある前提で、奥歯にものが挟まった言い方をした。

「おそらく、そう受け取ってもらって結構です」

*1
現実世界の自衛隊では、1957年から1992年まで橙色の飛行服を着用していた。服地は難燃性を考慮し、化学繊維を忌避しており、夏季用は純綿、冬季用はウール製であった

*2
1国際フィート= 0.304800609601219メートル。参考までに言えば、現在でもロシアや中国などの旧共産圏ではメートル法である

*3
1800年代初頭

*4
文化露寇の顛末として、時の帝である光格天皇自らご下問になるほどの事態に発展した。江戸期において、外交問題で、当今(とうぎん)の宸襟を騒がせた自体は、幕末の日米和親条約とこの文化露寇だけであった

*5
(1849年6月20日 - 1916年8月8日)、明治期の海軍軍人




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