冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
一方、亡命した参謀総長は、日本政府の尋問に掛けられていた。
函館空港の件は、既に事件の範囲を超えて、事変に分類されるものだった。
日本側の抑制的な態度の為に、その被害は空港周辺に限定されている。
市民生活の実害も、数台のジェット機のみで、人的被害はないという僥倖に近い状態になっていた。
KGBは今回の事件を契機に、軍部大臣となったドミトリー・ヤゾフ将軍をどうにかして更迭すべく策を練っている最中であった。
ヤゾフ将軍は、非常に公平な人物で、軍上層部からの評価は高く、また現場の信任も厚かった。
KGBは、一度キューバ危機の際に彼を特別部の工作員としてリクルートしようとしたが固辞されたことがあった。
その事を恨んで、ヤゾフ将軍をいつか排除しようと企んでいたのだ。
ヤゾフ自身は、清廉な将校であったが、亡命した参謀総長とは、一つだけ意見が食い違う点があった。
それは、ESP発現体の少年兵の扱いに関してである。
大祖国戦争*1の際、少年志願兵として戦争に参加したヤゾフにとって、子供の年齢にちかいESP発現体に銃を取らせるという行為は耐えられなかった。
ノボシビルスクにあるESPの秘密研究所を解散し、国連のオルタネイティヴ3計画からの即時離脱を上訴したことがあった。
後にグロムイコとウスチノフからの不興を買い、ヤゾフは蒙古駐留軍へ左遷された。
命令を出したのは参謀総長であったが、彼が蒙古駐留軍への左遷を提案しなければ、即座にカザフの主戦場に送られているところだった。
その事実を知らないヤゾフは、モスクワより遠く離れた蒙古の地で罪無くして配所の月を見る日々を過ごしていた。
そして、密かに参謀総長への
新しく書記長になったゴルバチョフは、眠れぬ夜を過ごしていた。
GRUスペツナズの暴走により、日本との関係悪化から戦争を恐れていたからだ。
今のソ連は戦時体制を取っており、兵力は1500万人だが、その多くは少年兵や45歳以上の後備兵だ。
長引くBETA戦争の為、人口は7000万を割る勢いで減っており、急速な少子高齢化の兆しが見え始めている。
ブレジネフ時代の1975年に発令した生後間もない乳幼児を軍の施設で教育させるという政令の為に、一気に結婚を控える風潮が広がった。
その為、
このまま、戦争になったら、今度こそは国を失う。
悶々と暖炉の前に座りながら、彼は悩んでいたのだった。
シベリアの夏の夜は寒い。
日中は摂氏30度を超える日でも、夜間は10度前後に下がり、雨が降れば一けた台もザラだった。
ゴルバチョフは、KGB第9総局から来た護衛を遠ざけて、ライサ*2夫人とともに公邸の庭を散策した。
無論、盗聴を避けるためである。
「まだ眠れないの」
薄い夏外套を寝巻の上から来た夫人のライサは、夫の事を見かねて声をかけた。
「しかし、チェブリコフ長官からの提案を無視するわけにはいかないでしょう。
軍の統制強化は、国際関係の観点からも、内政の安定化の点からも、表面的には国民に支持される……」
ゴルバチョフは、妻の言葉を遮った。
「それに、次の後継者の事も絡んで来る」
短いシベリアの夜が明け、東の方に朝日が昇り始めて来た。
日が出れば、今日もまた、摂氏30度近くになるだろう。
「KGBは、今までのソ連政治の影の部分を演出してきた強固な団体だ」
一瞬、夫人の顔色が
想像もしていない話をされて、頭が付いていかないのだ。
「確かにKGBの提案は理にかなっている。
だが、それによって、極東、日本との関係悪化が進むことが問題なのだ」
その頃、KGB本部では、長官をはじめとする幹部たちが密議を凝らしていた。
クーデターでチェルネンコを排除したことから、軍部による再クーデターを恐れての事だった。
「我らKGBが、ソ連に君臨するには、どうしても軍部の統率が必要だ」
猜疑心に駆られたKGB長官は言葉を切ると、タバコに火をつけた。
煙草の銘柄は、フィリップ・モリス社のマルボーロで、ソ連国内ではなかなか手に入らない高級品だった。
机の上には、帝政時代に作られた純銀製のサモワール、
参加する人数と同じ数が並べられた茶碗には、なみなみと熱い茶が注がれいる。
ほかにもエビアンの小瓶と西ドイツの高級ガラスであるアルンシュタットクリスタルの切子のコップが置かれていた。
その全てが、ソ連の普通の暮らしでは手に入らない物だ。
KGBの高級幹部でなければ、資本主義的堕落の兆候として見なされ、獄窓に追いやられていただろう。
「しかし……同志議長は、これで動きますかな」
KGB第3総局長は、静かに青白磁のマグカップを置く。
KGB長官は、その言葉を聞いた瞬間、不敵に笑った。
「動かなければ、動くように仕向ければいい」
長官は煙草をふかしながら、数名の幹部の方を振り向いた。
「国家の存続、党の繁栄に、正当性にこだわる必要はない……
どのような形であれ、KGBが全権を握り、国民を指導すればいい」
一方、京都の帝都城では、日・米・ソの三者による秘密会談が行われている最中だった。
当事者の日本政府は、襲撃実行犯の処罰と、民財への損害賠償として航空機の譲渡を申し入れた。
その一方、帰国を希望するソ連兵に関しては、彼らの意思を尊重するという立場を取った。
対するソ連側は、新型輸送機と参謀総長の引き渡しを求める一方、軍事作戦に関しては謝罪の姿勢を示していた。
ソ連政府内での混乱がそのまま交渉に現れた形となったのだ。
そこで当該事件に関する米国側は、以下の通りだった。
人道的観点から亡命を希望する参謀総長の引き渡しを拒否したが、航空検査が終わった後であれば輸送機は返還するという意向を日本政府に伝えてきた。
「大臣、なにとぞソ連機の分解検査は……」
親ソ派として知られる大伴中尉は、数名の部下を引き連れて国防省に乗り込んでいた。
彼等は軍刀を帯びたまま、大臣室に乗り込み、直談判をしている最中だった。
「しかし分解検査の立ち合いも、つまるところは平和の為なのだ」
大臣の周りには、政務官の榊の他に、彩峰大尉や、灰色の常装第1種夏服*4を着た海軍少佐が近侍している。
彼等は、大伴が激高して刀で切りつけないか、不安だったので、大臣を庇う様にして周りを固めていたのだ。
「それに我が国にとっても、米国は最大の友好国だ。
その頼みを
大伴は、きつい視線で大臣を睨んだ。
「大臣!」
大伴は、唇を強くかんだ。
怒りで肩を震わし、両手で上着の下にある剣帯を握りしめている。
「大伴君、この事は政治の最高段階において決定された事なのだ」
一瞬静かになると、部屋に軍刀の猿手が鳴る音が響く。
大臣は煙草を灰皿に押し付けて、消した。
「しかし、不愉快であります」
そういうと大伴は、さっさと立ち去ってしまった。
大臣は、立ち去る大伴の方を向かずに、榊の方を振り返った。
「榊君は、直ちに米軍の調査団に便宜を図ってくれ
彩峰は怒りを鎮めるために、胸ポケットからラッキーストライクの両切りを出して、パイプに差し込む。
ここが大臣室であることを忘れたふりをして、タバコに火をつけた。
大伴一派は、不満を表明しに来ただけで済むのだろうか。
よもや、どこかでクーデターを企てる謀議をしているのではないかという考えが頭をよぎった。
口の中に、パイプを通して冷やされた煙が広がると、怒りに燃えた頭が落ち着いて来た。
変だと勘繰る前に、まず目の前の問題を解決しようと考え直すことにした。
マサキたち一行は、亡命を希望する参謀総長を連れて、東京の市ヶ谷基地を訪れていた。
参謀総長と彼の護衛役である女秘書はソ連の軍服姿のまま、目隠しをされて、東部軍司令室に案内された。
部屋の中には、既に司令官の他に、通訳と記録を取るタイピストが待っていた。
ドアを閉めた後、赤軍参謀総長と女秘書は、ようやく黒い帯状の目隠しと手錠を外された。
「ソ連が、G元素を狙うために月に特別攻撃隊を送ったとは……
本当なのか」
目隠しを解かれた参謀総長は、返答する。
会話はロシア語で行われ、その場に通訳が同席した。
「ほ、本当です。
私が、参謀本部に、その作戦の原案を書かせました」
東部軍司令は、感情を抑えた声で返した。
「うむ。
嘘をついてるようには思えんが……」
帝国陸軍参謀本部は、ソ連赤軍が単独での月面攻略を行う可能性も考慮していた。
地球の衛星軌道上に宇宙艦隊を展開している以上、G元素
「今度の米軍の月面攻撃に乗じて、再度G元素の奪取を計画しております」
ソファーに腰かけたマサキは、コーラを片手にその様子を静かに聞いていた。
司令室に来てから、押し黙っていた口を初めて開いた。
「なるほど、漁夫の利を得ようという訳か」
赤軍参謀総長は、ロシア語で答えた。
「ソ連赤軍は、大乗り気だ」
マサキは、氷で味の薄くなったコカ・コーラを一口飲む。
通訳の返答を待たずに、彼は参謀総長の言葉をせせら笑った。
「何がおかしい」
ロシア人の参謀総長には、この東洋人特有の笑みは気色悪かった。
ロシアの文化では、必要のない時に笑う事はなく、つくった笑顔は「形式的微笑」と呼ばれ、忌避された。
マサキのみせた笑みは、偽善、裏がある、腹を明かしたくないといった悪い兆候ととらえたのだ。
マサキは満面に笑みを湛えて、答えた。
「愉快な話だ」
マサキは
「こんな人間を信用できるか?
露助どもは、俺の事を欺こうと散々と謀略を仕掛けてきたのだぞ」
「ああ……」
マサキの一言に、参謀総長の表情が強張ったまま、凝固した。
だらけた格好でタバコを吸い、軍服を着崩している東洋人の瞳を見る。
「俺は、こいつらの仕掛ける謀略に事あるごとに乗せられてきた」
東部軍司令は、いかにも困惑した表情で、マサキを見つめた。
マサキは、このチャンスを逃してはなるものかとばかり、話を続けた。
「約束を破る露助どもの事は信用できん!」
国際法違反を繰り返す、独裁国家の
先の大戦以降、友邦諸国さえもだまし討ちにし、国際社会を
参謀総長は、テーブルの上にあるテーカップを取る。
杯に注がれた、すっかり温くなった紅茶を舐め、口内の苦みを堪能した。
「なにせ、樺太をだまし取られたからな」
露悪的な言い方をするマサキからは、どことなく自信のような物が見受けられる。
「なんですって」
参謀総長の脇に居た女秘書は、
「じゃあ、どうすればいいのよ」
女秘書が明らかに困惑しているのを見て、マサキは愉快そうに答える。
「お前の態度を見ていると、退屈しない」
その一言に、女秘書は色をなして怒った。
「いい加減にしなさい!」
女秘書は、面前の東洋人へ返す目差しに怒気を込める。
その様子を見ながらマサキは、ふてぶてしく笑った。
「そんなに騒ぐなら、勝手にやればいい」
再び沈黙が訪れる。
参謀総長は、呆れ半分、怒り半分といった顔色でマサキを見つめ返した。
「とりあえず、彼らの事をもう少し調べたい。
今、ソ連の特別攻撃隊の事も調査している」
そこに報告を持って来た下士官がやって来た。
「司令官、どうやら本当のようです。
極東のスヴォボードヌイ基地からソユーズ宇宙船が発射されています」
「何ッ!?」
司令官は声のした方に、視線を向けた。
マサキの人を見下すような態度が、彼の気に障っていたのも関係しているだろう。
「木原君、あんまり人を疑うもんじゃないよ。
私は、最初からこの人を信用していたんだ」
男は、重苦しい部屋の雰囲気から逃れるべくケントの封を開けた。
ケントは、世界初のアセテートフィルター付き紙巻煙草で、大女優オードリー・ヘップバーンが愛したたばこでもある。
発売当初は健康を考えたタバコとして全世界的にヒットし、口つきタバコの文化があるロシアでは今でも人気のタバコだ。
「第一、この人は逃げる際に監視要員を殺してる。
いくらGRUでも、仲間は殺さないよ」
男は言葉を切ると、煙草に火を点けた。
バニラフレーバーを混ぜたバージニア種のタバコ葉と燃焼補助剤を混ぜたさや紙が燃える匂いが部屋中に広がる。
「だが……」
マサキは、勿論納得したわけではなかった。
敵を騙すにはまず味方から、という古典的なやり口をロシア人がしないわけがない。
ただその現場を見ていないので、完璧な確証がないだけである。
芝居好きのロシア人の事だ。
見え透いた
考えすぎという事もない、だろう。
紫煙を燻らす男の姿を見ながら、マサキもまたタバコに火を点けるのだった。
マブラヴ世界の帝国軍の軍服は、自衛隊そのものなので、本作品では史実を反映した描写にした
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