冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 KGB長官暗殺への復讐に執念を燃やすコバレンコ少将。
だが反乱軍の首謀者たちは、復讐を急ぐあまり作戦を遅らせた彼を許さなかった。
 内部崩壊していく、反乱軍の行方は如何に…… 


四分(しぶん)五裂(ごれつ) 後編

 場面は変わって、大阪市中央区久太郎町にある近畿商事本社ビル。

 その中では、数名の男たちの密議が凝らされていた。

「まだ木原の行方はつかめないのか」

 ソ連共産党国際部副部長コワレンコの問いかけに、近畿商事の社長が応じる。

「申し訳ありませんが……手口からしてプロ。

つまり西側の諜報機関と我々は見ております。

……となると、我々は迂闊に動けないのです。

現代の日本社会は各国のスパイ機関の均衡の上に成り立っていますから、下手に動くと代理戦争になりかねないのです」

 社長は、終始(しゅうし)低頭平身(ていとうへいしん)の姿勢であった。

「ですからコワレンコさんには単独で動くのは止めてほしいのです。

コワレンコさんが下手に動いて、CIAやFBIを刺激するようなことは……」

 コワレンコは表情を変えないで答えた。

真剣な話をしているときに、わざわざ作ったような笑顔を見せる必要がないと感じたからだ。

 これはロシア人特有の態度であったが、社長には不機嫌な表情に見えた。

日露間の文化的摩擦の一つであった。

「分かったよ。

私は、大阪グランドホテルで待たせてもらうよ」

 大阪グランドホテルとは、リーガグランドホテルに改名し、2008年まで存続したホテルの事である。

今日(こんにち)大阪市北区中之島にあるリーガロイヤルホテルは、リーガロイヤルホテルチェーンに属するシティホテルだ。

「何かあったら連絡はしますから」

「期待しないで、待っているよ」

 コワレンコは、そう言い残すとドアを閉め、足早に去っていった。

近畿商事の社長秘書はその様を見て、恨めしそうにつぶやいた。

「社長、あの男にあんな口を聞かせていいんですか」

「あのロシア人、自分を何様だと思ってるんだ」

 そんな部下の気持ちを知らないわけでもない社長は、こう告げた。

「モスクワの指示を待っているんだ。

KGBがあの男を必要としないと決めたら、二度とあんな口は聞かせない」

 

 コワレンコは走り去る車の中から、近畿商事本社ビルを振り返った。

 あの黄色猿(マカーキ)どもはああいっているが、信用できない。

何か、私に隠し事をしているのだろう。

 奴らの手を借りずとも、木原を探すことはできるだろう。

 ここは商都・大阪だ。

金がすべてを解決する街のはずだ。

 コワレンコは、胸ポケットから封筒を出した。

中身は手の切れそうな1万円の札束で、額面にて100万円が入っている。

「おい、運転手の旦那。

関西周辺で自由に動ける組織を教えてほしい」 

 

 

 

「分かりました!

木原は京都に居ます」

「何だって!」

「そして、京都御所にゼオライマーが現れたそうです」

「なんで京都御所にゼオライマーが……」

 社長は言葉を切ると、煙草に火を点けた。

「それとコワレンコを監視している人間の報告によれば、コワレンコは光菱商事の人間と接触した後、京都に向かったそうです」

「何だと!」

 同席している副社長が呟いた。

「……ということは、光菱商事から木原の居場所を聞いて後を追ったという事か」

 社長秘書も続いた。

「光菱商事も我々の動きを掴んでいたという事でしょう。

油断も隙もございませんな」

 社長は、渋面を強張(こわば)らせる。

「それにしてもコワレンコめ。

我らを信用せずに、ほかの会社を使うとは……

あの男、復讐に狂って周りが見えなくなっているな!」

その内、誰かが尋ねた。

「光菱商事の件はどうしますか。

我々の面子(メンツ)が丸つぶれですよ」

「光菱商事が関わた贈収賄事件を、見せしめにトップ屋に流してやれ!」

 トップ屋とは、週刊誌などの巻頭(トップ)記事を書いて、雑誌社に売り込むフリーランス記者の事だ。

 奇抜な色のダブルの背広、パンチパーマ、レイバンのサングラスをかけて、人目を引いた格好をするのが常だった。

 交友する人脈も広くて、政財界から闇社会まで及んだ。

劇映画に出てくる鳥打帽をかぶり、トレンチコートを着込んだ記者などはその典型例であった。

「コワレンコとの件は、大空寺の旦那に連絡を取る」

 

 京都嵐山にある大空寺の別宅では、深夜4時というのに電話が鳴り響く。

日課の朝風呂から出たばかりの大空寺は、ガウン姿のまま受話器を取った。

「大空寺さんですか。大阪の大門(だいもん)です」

 電話の相手は近畿商事の社長である大門だった。

「おお、大門さん、大空寺です」

「実はコバレンコの事なのですが」

 大空寺は受話器を持ったまま、椅子に座った。

「どうした」

「我々を無視して、京都に飛んだのです」

 大空寺は、愛用する(みね)*1に火を点けた。

「ゼオライマーが京都に飛んできたのです」

 大空寺は驚いた顔をしながら、紫煙を吐き出した。

「それを追っかけるのか」

「とてもソ連共産党国際部のナンバー2とは思えませんね。

完全に復讐に狂ってますよ」

「それは私も思った。

ソ連共産党の看板を背負って、我々の計画を支援しに来たはずが、そっちのけで木原を追っているからな」

「奴が下手に動いて、我々との関係がCIAにでも察知されたら……」

「うむ」

 大空寺は、一瞬黙り込んだ。

そして諦めるように、コワレンコの運命を話した。

「奴の事は、ソ連にも連絡しよう。

恐らく消えてもらうことになる」

 

 大空寺が、なぜソ連共産党国際部のコワレンコに近づいたのか。

それは、1954年に発見された西シベリアの油田開発に参加していた為である。

 1965年に設立された「日ソ経済委員会」主導の形で進められた、チュメニ油田開発プロジェクトがそれにあたる。

 チュメニ油田とは、単独の油田ではなく、西シベリアのチュメニ州とその周辺にある油田の総称である。

西シベリア一帯の低地は世界最大級の積載盆地であったが、当時のソ連の採掘技術では不十分だった。

その為、西側の援助が必要だったのだ。

 

 ソ連にとって、日本のシベリア開発は有意義なものであった。

日米間の経済的競争を激化させ、なおかつ日中間の接近を牽制し、そして日本の領返還交渉を弱めることにつながるためである。

 また日本にとっても、シベリア開発は意味のあるものだった。

1960年代末から1970年代初頭にかけて、イスラエルとアラブ国家間の4度にわたる中東戦争の結果、石油価格の上昇は、日本経済を圧迫した。

 その為、日本は独自の油田を持つ必要に迫られたのだ。

俗にいう日の丸油田の開発は、戦後すぐに始まった。

 出光興産の創業者である出光(いでみつ)佐三(さぞう)*2の起こした日昇丸事件*3は、つとに有名であろう。

 概要を説明すれば、1953年当時、イランは英国資本の石油会社アングロ・イラニアン社の国有化政策を巡って、英国と抗争中だった。

そのイランに、極秘裏にタンカー「日章丸2世」を差し向け、石油を買い付けた事件である。

 

 ウラジオストックのソ連共産党国際部のオフィスでは、部長以下、コワレンコの連絡を待っていた。

すでにクーデター計画が実行されてから、二日間も連絡が入っていないためである。

 連絡を待つポノマリョフ部長の所に一報が入ったのは、既にウラジオストク時間で午前6時だった。

「部長、東京の大空寺さんからの電話です」

 ポノマリョフは、部下の持って来た米国製のコードレス電話の受話器を受け取った。

ソ連では有線式の黒電話が一般的だったが、共産党本部などでは海外製の機器を購入することもままあった。

 後に諜報上の理由から国産化を進めるのだが、それも技術的問題もあって、盗聴事件からしばらくたってからの事だった。

「替わりました」

「実は、相談がありまして」

「といいますと」

「コバレンコさんの事ですが……」

 一瞬の間の後、ポノマリョフは答えた。

「分かりました。

大空寺さんには迷惑をかけるわけにはいきません。

ですから、代わりの物を立てますので、今後もよろしくお願いいたします」

 ポノマリョフは、受話器の通話を切った。

同席する幹部の一人が、先ほどの電話の内容を問いただした。

「コバレンコがどうかしたのですか」

 ポノマリョフは、苦渋を顔中に浮かべる。

「奴が、木原への復讐に狂って、京都にまで行ったらしい」

 一瞬にして、周りに詰める部下たちの顔色が翳る。

「木原が!」

「木原が京都に居たんだ!

コワレンコは仕事を放り出して、木原の事を追っかけた!」

 第一副部長の一人で、東欧担当の人物が口を開いた。

「今言うのもなんですが、穂積事件の件は()()ちないことが多すぎるのです。

日本側の資料が東独経由で第6総局に送られているというのも、つじつまが合わない話ですし」

 先ほどの幹部も、口をそろえて言う。

「コワレンコと五摂家の間で何かしらあったのでしょう。

例えば金銭トラブルとか。

金の事でもめたから、独り占めを狙ったコワレンコによって東独方面に持ち込まれたとしか」

 ポノマリョフは、目の前の幹部に訊ねた。

「KGBの報告書には赤軍参謀本部情報総局(GRU)の単独犯行と書かれているぞ」

「そいつはKGBのでっち上げでしょう。

コワレンコは自分の保身のためにKGBのでっち上げに乗ったとしか考えられません」

 一瞬の間の後、ポノマリョフは重い口を開いた。

「一番目をかけてやったのに……

次期国際部長……

俺の跡目を継がせてやってもいいと思ったのに!」

 ポノマリョフは机の上にあるフランスの高級コニャックの瓶を放り投げた。

ヘネシーとラベリングされたボトルは、壁にぶつかると粉々に砕け散って、床に散乱する。

「大空寺は、こういって来た。

コワレンコに下手に日本国内で動かれて当局に逮捕されて、ソ連の存在が露見するとまずいから始末していいかと。

だがこうなったら奴らの手を借りずに、自ら始末するまでよ。

鉄砲玉を用意しろ!」

「はいッ」

 ポノマリョフが焦るのには理由があった。

 ソ連では、外交システムとして、ソ連には外務省の他に、ソ連共産党国際部、KGB、GRUの4大機関が存在し、それぞれが競争していた。

 特にポノマリョフがトップを務めるソ連共産党国際部とグロムイコの外務省は、犬猿の仲で有名だった。

それぞれ党や閣僚会議(かくりょうかいぎ)*4から独立した機関であった為、意見の食い違いは日常茶飯事だった。

 この事は、1978年に亡命した外交官アルカジー・N・シェフチェンコ*5の証言*6からも、垣間見ることができる。

 シェフチェンコは、国連事務次長を歴任した人物で、長く外相を務めたグロムイコとは家族ぐるみの付き合いをしていた*7

米国亡命時、クレムリン内部の機密情報を握っていたとされ、時のレーガン大統領から米国帰化を歓迎された人物であった。

 

ソ連の権力構造では、外務省は特別な地位にある。西側では外務省は中央委の各部や閣僚会議に責任を負っているように見なされる。しかし、これは正確ではない。……外務省が直接、責任を負っているのは政治局に対してである*8

 

 それ故にポノマリョフは、この問題が政治局に知られるのを恐れていたのだ。

もし露見すれば、粛清はおろか、それまでの外交政策が水泡に帰するためである。

「それと、この事が木原に露見したら」

 怒り心頭のポノマリョフに部下が尋ねた。

ポノマリョフは一瞬難しい顔をした後、頬を緩ませた。

「むしろ好都合だ。二人とも抹殺せよ!」

 事ここに至ったら、コワレンコ諸共始末するまでよ。

国際共産主義運動成就のためにも、ゼオライマーと木原という黄色猿は消えてもらうのが一番。

ポノマリョフは、凄惨な笑みを浮かべるのだった。

 


 

 ウラジオストックの党本部に、日も上がらぬうちに召集が駆けられた。

ゴルバチョフ以下、政治局のメンバーによる緊急の会議が行われていた。

「どうしてあんな行動に出たんだ!

BETA戦が終結しつつある今、あんな真似をしたら一触即発の事態になるのは判っている事だろう!」

 珍しく不快の色をみせるゴルバチョフへ向け、外相は平謝りに詫びいった。 

「同志議長、申し訳ありません。

それは判っておりますが、日本大使のポリャンスキーらが言うにはやむにやまれず行ったそうです」

 何時もならば誰かしらがタバコに火を点けるのだが、ゴルバチョフの勢いに気圧されて、外相の話を真剣に話を聞いていた。

「あの木原という黄猿(マカーキ)めが、余りにも我らソビエトを舐めきった態度で、何もしないでいたら、このまま他国にも舐められるから、どこかで見せしめをせねばと行ったそうです」

 懐刀のシャフナザーロフが、外相の意見に賛同を示した。

「確かに同志ポリャンスキーの言う通りだと思います。

CIAの関心を引くことは間違いありませんが、分かっていてもやらねばならない状態だったと思います。

国家にとって一番重要なのは体面を汚さないことです。

ましてや、天下のソビエトが、封建社会の黄猿に舐められたとあっては……」

 ゴルバチョフは、一旦目をつぶって、怒りを収めようと心掛けた。  

「やってしまったことは仕方がない。

当面は極東方面では、身動きは取れないという事だ」

 眼を見開いたゴルバチョフは、諦めたかのような表情で告げる。

「しかも日本は、ソ連にとって重要な貿易相手国という事だ。

日本は西側諸国で、唯一と言っていいほど、KGBの自由に動ける国だ。

我らにとって十分に利益のある存在だ。

そことの関係が断たれることがあっては……」

 それまで黙っていたチェブリコフKGB長官が、口を開いた。

「同志議長、そのことに関してはKGBにご一任ください。

但し、党側からも少しは罪を認めてもらうことになるでしょう」

 KGB長官は言葉を切ると、タバコに火をつけた。

煙草はフィリップ・モリス社のマルボーロで、ソ連国内では広く通貨代わりに流通している品物であった。

「まあ常任クラスが一人犠牲にしてもらうことになると思いますが……」

「それくらいの犠牲ならば……致し方のない事でしょう」

 ゴルバチョフは、チェブリコフの意見に賛同の色を示した。 

それはどこか、諦めに近い答えだった。

 

 ソ連は日本での工作を続けるコワレンコを、何故容易に切り捨てたのか。

それは、別な後ろ盾があったためである。

 今回のクーデター事件の首謀者の一人である大空寺の後ろに居たのは、ソ連商工会議所会頭のエフゲニー・ピトヴラーノフ*9だった。

ピトヴラーノフはただの経済人(ビジネスマン)ではなく、KGB中将の肩書を持つ(れっき)としたKGB現役予備将校であった。

そしてピトヴラーノフの秘密組織は、商工会議所内部に設置されていた。

 では、ピトヴラーノフとその背後にある秘密組織を探ってみる必要があるだろう。

視点を史実の世界に戻し、歴史解説が少し長くなるが、読者諸賢に付き合ってもらいたい。

 

 ソ連にはKGB、GRUという二大諜報機関の他に別ラインの諜報組織が存在した。

 一つは、コミンテルン情報部と呼ばれるものであり、1943年まで組織として存続したものだ。

有名なリヒャルト・ゾルゲもこの機関を経て、情報部員としてのキャリアを積んだ。

 第二に、外務省直轄の情報機関である。

1940年代後半、米国の中央情報局(CIA)設置を見たスターリンが、モロトフに指示を出して組織させたものである。

 先日物故したオレグ・ゴルジエフスキー*10の著作『KGBの内幕』によれば、その組織を作ったことによって、数年間ソ連の諜報は混乱し、結果的にスターリンは組織を従来のGRUとKGBに戻したという。

 第三に、ソ連商工会議所(TPP)に設置された秘密組織である。

1969年に当時のKGB長官ユーリー・アンドロポフの命で設置され、P機関や商会(フィールマ)と呼ばれる存在である。

 指揮官はエフゲニー・ピトヴラーノフKGB中将で、彼が直々に選抜した信用できる諜報員から組織された秘密の部署だった。

 ピトヴラノフは、1938年に内務人民委員部(NKVD)に入ると、わずか数年で将官にまで上り詰めた人物で、戦後再編された国家保安省(MGB)の防諜局長を務めた人物だ。

 一見すると順調なキャリアの持ち主に見えるが、1951年にアバクーモフ事件に連座したとして一度逮捕されており、昼夜を問わず行われた激しい拷問と尋問に耐え、元の職場に戻った経緯を持つ。

 同時期に逮捕されたヴィクトル・アバクーモフ*11は、連日の拷問で心神喪失し、後に処刑されている。

なおアバクーモフは、国家保安大臣を務める前に、あの悪名高いスメルシ機関の責任者であり、戦時中にスウェーデンの外交官、ラウル・ワレンバーグ*12の逮捕及び処刑に関係した。

 スメルシ機関とは、正式名称を国防人民委員部対諜報本部といい、1943年4月19日、ソ連人民委員会議秘密命令第415-138ss号により、設立された防諜機関である。

 書記長であるスターリン直轄の機関とされ、主な任務はソ連軍内部の防諜と後方攪乱である。

規則として判決なしの投獄(とうごく)や処刑は禁止されていたが、戦時特例として裁判なしの処刑が認められていた。

 そのため、しばしば超法規的殺人が行われており、今日もその正確な犠牲者は不明である。

 アバクーモフは、小学校卒の筋肉労働者上がりで、政治的な事に疎かったとされる。

スメルシ機関での活躍をスターリンに認められ、MGB長官の地位を手に入れた。

 筋骨隆々な体を使い、被告に過激な拷問を加えたいたが、後に自分自身が体験することとなった。

ミハイル・ドミトリエヴィッチ・リューミン大佐の誣告(ぶこく)により、逮捕され、昼夜を問わない激しい拷問を受けた。

なおリューミン大佐は、スターリン死去に際して逮捕され、単純な裁判の後、銃殺刑になっていることを付け加えておこう!

 

 スメルシ機関はソ連兵ばかりではなく、ドイツ人や日本人などの外国人を逮捕して尋問した。

近衛(このえ)文麿(ふみまろ)の嫡子である近衛(このえ)文隆(ふみたか)大尉は、終戦後に満洲でスメルシ機関に逮捕され、シベリアに抑留された*13

十数年の抑留の末、帰国寸前にイヴァノヴォ収容所で生涯を閉じた。

 

 再びピトヴラーノフの話に戻ろう。

MGBに復帰したピトヴラーノフは対外諜報部門である第一総局長を4か月務めた後、東独の防諜責任者となり、東ベルリンに出向いた。

そこでシュタージを統括するKGB上級顧問として4年間勤務し、様々なNATOへの有害工作を行った。

元親衛隊員であるハインツ・フェルフェ*14をリクルートし、ゲーレン機関に送り込んだのもピトヴラーノフであった。

 ソ連に帰国後は第四総局長を4年間務めた後、支那に出向き、在支KGB顧問として中共の諜報機関の近代化を進めた。

 支那から帰国後、諜報学校の校長などをしていたピトヴラーノフは、1966年に予備役に編入された。

表向き引退した彼は、ソ連商工会議所に入った。

 だがアンドロポフがKGB長官になると積極的に売り込みを図り、秘密組織である商会を作り上げた。

 売り込みがうまく行ったのには理由があった。

 まずピトヴラーノフ自身が、オットー・クーシネン*15を通じて、アンドロポフと知己のあった為である。

 次にアンドロポフ自身が、既存の諜報機関であるGRU、KGBを一切信用していなかったからである。

その事に関して、同様の証言をロシアの有力日刊紙『コメルサント』*162004年4月26日号にピトヴラーノフ自身が残している。

「同志スターリンは、現在の諜報機関の体制にとらわれてはいけないと常々申されました。

情報機関のKGBやGRUから得られたデータを通じて相互に照合する必要があります。

彼らの活動を補完する何らかの手段が必要です。秘密裏に機能し、かつ国家にとって有用なものです。既存の国家安全保障機関と同等の組織として、どのような組織を提案できるか検討してください」

 

 

 

 さて史実の世界から、異星起源種の闊歩する異世界に視点を戻してみよう。

 KGB長官は、彼自身が所有するセーフハウスに一人の男を招いていた。

「よう、どうした。

私と酒が飲みたいから出てこいだなんて……」

 セーフハウスとは、法執行機関や諜報機関の専門用語である。

証人となる目撃者や工作員など、保護すべき人物との密会に適した安全な場所を指す言葉だ。

「まあ、同志ピトヴラーノフにはお願いがございますし」

「私の要件から聞こうか」

「2週間ほど旅行に出かけませんか」

 ピトヴラーノフは商工会議所会頭の偽装身分(アンダーカバー)を持っていた為、自由に渡航できた。

会頭の身分で、30カ国を185回以上訪問している記録が残っている。

「そいつは良いな、どこに行くんだい」

「韓国はどうです」

「なるほど、むこうの財閥の下調べをさせようっていうんだな」

 ピトヴラノフは、何時にないチェブリコフの翳りが気になっていた。

フランス製の高級コニャックであるヘネシーをジュースの様に一気飲みすると、チェブリコフに訊ねてみた。

「それにしても、何かあった」

「一人、人を消そうと思います。

KGBの組織のためにも、どうしても口を封じねばならぬ人間を」

「他の道はないのか」

「自分の手を汚さないで、国家組織を支配するなんて都合のいいことはできないでしょう。

ここまで来たら、同じチェキストを殺してでも、汚れきって、地獄に落ちても許されぬ立場にならねば……」

「チェブリコフ」

 チェブリコフは腕時計を見た後、立ち上がった。

チェブリコフの面の色は、ピトヴラーノフには、まるで断頭台に立つ処刑人のそれに見えた。

「時間です。

同志アンドロポフが聞いたら、笑うでしょうね」

 そういうと、チェブリコフはセーフハウスを後にした。

*1
峰は、日本たばこ産業が発売している高級紙巻煙草。1973年から2010年まで、日本国内で一般市場が販売されていた。現行品は、航空の免税店でのみ購入可能である

*2
1885年8月22日~1981年3月7日。実業家。出光興産の創業者

*3
なお、出光の燃える様な愛国心は、既に多くの書籍や劇映画になっている。本稿において、詳細は省かせて頂く

*4
ソ連における内閣

*5
Arkady Nikolayevich Shevchenko.1930年10月11日—1998年2月28日。ソ連の外交官。国連事務次長を歴任。

*6
アルカジー N.シェフチェンコ著,読売新聞外報部訳,『モスクワとの訣別』読売新聞社,1985年,

*7
スラヴァ・カタミーゼ著,伊藤綺訳,『ソ連のスパイたち ――KGBと情報機関1917-1991年』原書房 ,2009年,p.309-310.

*8
シェフチェンコ,前掲書,P.241

*9
Evgenii Petrovich Pitovranov.1915年3月20日 - 1999年11月30日。ソ連の秘密警察員、政治家

*10
Oleg Antonovich Gordievsky.1938年10月10日 – 2025年3月4日。元KGB職員。二重スパイ

*11
Ви́ктор Семёнович Абаку́мов.1908年4月11日 - 1954年12月19日.ソ連の政治家、秘密警察員

*12
Raoul Gustaf Wallenberg.1912年8月4日 - 1947年1月17日.スエーデンの外交官

*13
シベリア抑留時の近衛文隆に興味の向きがある方は、V・A・アルハンゲリスキー著、瀧澤一郎訳『プリンス近衞殺人事件』、新潮社、2000年.を参照にされるとよい

*14
Heinz Paul Johann Felfe.1918年3月18日 - 2008年5月8日.ソ連の二重スパイ

*15
Otto Wille Kuusinen.1881年10月4日 - 1964年5月17日。ソ連の政治家。コミンテルン書記を歴任

*16
1989年創業のロシアの日刊紙。新聞自由化の後に創刊し、オルガリヒのボリス・ベレゾフスキーなどの手を経た後、現在の体制になっている




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ソ連の今後に関して

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