冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 彩峰は、東京を火の海にすることを避けるべく、クーデター軍の隊長に決闘を申し込んだ。
一方、マサキは五摂家の崇宰(たかつかさ)邸に乗り込むのであった。
クーデターの結末や、如何に……


和睦(わぼく)

 崇宰(たかつかさ)公衛は、私宅で夜のとばりが明けるを待っていた。

朝になれば、皇帝奪還の成否に関わらず、新政権樹立を宣言する予定だったからだ。

 だが一向に斉御司(さいおんじ)からの連絡はない。

焦りを感じた崇宰公衛は、部下に斉御司宅へ電話するように命じた。

「斉御司閣下のご自宅ですね。

私は崇宰の秘書でございますが……」

 受話器を持つ秘書の顔色が変わった。

「え……斉御司閣下が……」

「受話器を貸せい」

 崇宰公衛は、部下から受話器を奪い取った。

「崇宰です」

「閣下、先ほど斉御司(さいおんじ)先生が心筋梗塞で……」

 斉御司家の人間は嘘を伝えていた。

実際は、部下の壹岐により暗殺されていたのだった。

 途端に、崇宰は不安に陥った。

 ――これは、偶然ではありえない。

いや、斉御司(さいおんじ)は殺されたのだ。

そして、このワシも、時間の問題だ――

 

 果たせるかな、崇宰公衛の不安は現実のものとなった。

外から、複数の人間が早足でやってくる音が聞こえる。

 ただ事でないことに気が付いた崇宰は、椅子に備え付けられている緊急用のブザーを押した。

警報がなれば、即座に第10警備小隊の護衛が駆けつけてくる手はずだった。

 急に障子(しょうじ)が開かれると、数人が土足のまま部屋に上がり込んできた。

崇宰は立ち上がって、男たちに問いただした。

「何だ、お前たちは!」

「この国を頂戴(ちょうだい)することにした男さ」

 崇宰の問いに、中央に立つ黒い詰襟の青年が答えた。

両側に立つUZI機関銃を構えた背広姿の男二人は、少しづつ向きを変えて警戒に当たる。

その姿は、なかなか堂に入ったものである。

「お前たちは何者だ」

「誰でもいいじゃないか!」

 黒装束の上から膝下まである長いオーバーを着た男は、それ以上答えなかった。

崇宰は指示をするように、左手を振った。

 合図を受けて、隣室で備えていた完全武装の兵士たち10名以上が、即座になだれ込む。

崇宰は満足したかのように、哄笑を漏らした。

 その直後、銃を持った迷彩服姿の兵士たちは振り返る。

彼等の顔は野戦に備えて、ドーランで黒く染め上げられていた。

「う、何!」

 完全武装の兵士たちは、第10警備小隊ではなかった。

マサキの依頼を受け、榊が用意したレンジャー特技を持つ陸軍兵であった。

「第10警備小隊よ、何をしておる!」

 兵士たちは、慌てふためく崇宰に歩み寄った。

「よ、余は、元老の崇宰公衛なるぞ!」

 構えていたM1騎銃をそのまま、崇宰に向けた。

「さ、下がりおろう!」

 マサキはCZ75拳銃の安全装置を解除していた。

崇宰の胸めがけて、引き金を落とす。

 閃光と同時に、耳を(ろう)する発射音が部屋中に広がる。

 マサキの放った弾は、立派な体格をした老人の肺腑(はいふ)を貫いて、外に出た。

崇宰は悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちた。

「おのれ、この小僧が!」

 崇宰は、血まみれになりながらも立ち上がろうと、何とか必死にもがいている。

 この男が一番危険だ。

マサキは拳銃の狙いを、崇宰の頭に向ける。

「この外道が!」

 余は、こんな男を向こうに回して戦っていたのか!

崇宰がそう思った瞬間、赤い閃光がほとばしる。

9x19ミリパラベラム弾は、崇宰の額から入り、頭蓋骨を通り抜けていった。

 

 

 場面は変わって、東京(かすみ)(せき)

官衙(かんが)一帯を占拠する反乱軍司令部が置かれた星ヶ岡(ほしがおか)茶寮(さりょう)*1に一本の電話がかかってきたのは、夜明け前だった。 

「吉岡大佐ですね。

参謀本部付の彩峰です」

 受話器を持った副官から電話を受け取った反乱軍司令官の吉岡大佐は、電話の相手に面食らった。 

 それは参謀本部付将校である彩峰(あやみね)大尉からの物であり、部隊を指揮する吉岡大佐に対する電話だった。

吉岡大佐の顔色が曇る。

「なぜこの電話を知っているかと仰りたいんでしょう。

我々は全て掴んでいるんです。

あなた方の動向も、規模も」

 吉岡は近くにあるセブンスターの箱とBIGのライターを取った。

「部隊を送り込んで、鎮圧させようと思えばできるんです」

「じゃあ、なぜやらん」

 吉岡は言葉を切ると、煙草に火を点けた。

「まず殿下や主上(しゅじょう)は、事態の拡大を望んでおりません。

それに、この反乱は軍内部の派閥の覇権を賭けた抗争ではない。

いわば、御剣閣下に対する憎悪を元にしたあなたの私闘だ。

違いますか?」

 吉岡は、燃え盛る煙草を口から離し、応じた。

「その通りだ」

「ならば、他の若い人間を巻き込む必要はないでしょう。

もう戦争ごっこは止めましょう。

御剣閣下の代理人である私とあなたが対決すれば、すべて済むんです」 

 

 千代田の料亭の前に一台のジープが止まった。

その車から降りてきたのは、帯剣した彩峰大尉だった。

 大勢の兵士に囲まれている彩峰の前に、料亭の中から吉岡大佐が現れた

勤務服に加州景光を背負った姿を見た兵士たちは、これから起こることを察知して、一斉に道を開ける。

 

「反乱軍将校は、首魁を除いて、罪一等を減じるとの聖上からの特旨が出されました。

自発的に武装解除をすれば、下士官兵は罪を問わないとのお達しです。

どうぞ、部隊に解散命令を下してください」

 特旨とは、君主から出される特別な考えや思し召しの事である。

 事件の経緯を聞いた皇帝は、反乱は自らの不徳さであると歎かれた。

そして侍従長経由で、首魁を除いた将兵に対し、武装解除の後、速やかに原隊復帰を行えば、罪は不問とする旨を伝えてきたのだ。 

 

「吉岡大佐、お願いがあります。

この勝負に、もし反乱軍が勝って、新政権のトップに着いたら、これ以上の争いは避けてください」

「どういう事だ」

 吉岡は、ズボンのマフポケットに手を突っ込んだまま訊ねた。

「戦争になって、誰が得をするのか……

誰が損をするのか……

それを考えればわかるでしょう」

「政治という事か」

「このまま、日本人同士が争えば、外国勢力や共産圏のスパイの暗躍を容易にさせることに繋がります。

この国を愛するのなら、せめて軍部だけでも意思統一を図り、外圧をはねのけてほしいのです」

 

「それが彩峰、お前の背後にいる木原マサキの本音か。

中共とつるみ、米国と手を握っても、本音は奴らの侵略を防ぐ為だったと言いたいのか!」

 

「御剣閣下の他に、先を見る男がいた」

「彩峰……」

「あの木原が、書いている絵はな……

日本社会の再編成。

再構築だ!」

 

「フフフフ、はなっから俺たち反乱軍の事は相手にしていなかったという訳か」

 吉岡は背中の剣に右手を添える。

「もうこうなったら、戦うしかあるまい。

剣を抜け、彩峰」

 吉岡は片手に剣を抜いて、彩峰めがけて駆け寄った。

同時に彩峰も、太刀拵えの軍刀を抜き払う。

 抜き払った一閃が鈍い音を立てて、ぶつかり合う。

 それは斬りむすぶというよりは、叩き合いだった。

逃げる、追う、また取り組む。

 そうしている間に、彩峰は軍刀を弾き飛ばされた。

「止めだ!」

吉岡は刀を水平にすると、体ごとぶつかってきた。

すんでのところで、彩峰は剣を受け止める。

 一瞬の間の後、彩峰はあいての刀を奪う。

その刀で、彩峰は一突きに、吉岡を刺していた。

 

 脾腹(ひばら)を一突きにされた吉岡は、その場に力なく崩れ落ちる。

反撃する余裕もないことを悟った彩峰は、足元に横たわる吉岡に声をかけた。

「生きて帰れないとわかってたはずでは……」

 血まみれになりながら、何かをつぶやく吉岡の顔に彩峰は耳を近づけた。

「武人としての……意地というやつさ」

 吉岡の口元には、悲しげではあるが、満足げな笑みが浮かんでいる。

「もう少し早く、お前たちと会いたかった。

俺も、貴様と同じ夢を見たかった……」

 吉岡は満足げな笑みを浮かべた後、目を閉じた。

出血の量から、2度と目覚めることがないのは明らかだった。

 大勢の兵士が見守る中で行われた決闘の勝敗は、決まった。

だが彩峰の心中は、複雑だった。

 込み上げる感情を抑えるのは、すでに限界だった。

彩峰は眠るようにして倒れた吉岡を抱えながら、言葉にならない慟哭(どうこく)を上げるのであった。

   

 

 富士学校部隊を指揮した吉岡大佐の死後、反乱軍は自発的に投降を開始した。

永田町周辺に居た戦車や装甲車は、夜明け前までにいなくなり、周辺に立っていた歩哨も姿をかき消すようにしていなくなっていた。

 そして夜が明けるころ、警察が確認したときには、既に全部隊が撤退した後だった。

斯衛軍の東京進駐計画は事前で回避されることとなり、東京は無血開城されたのであった。

 大東京の壊滅を未然に防いだ彩峰の胸中は複雑だった。

戦いに勝ったが、試合に負けたというのが、彼の心境だった。

 崇宰、斉御司の陰謀は粉砕したが、尊い犠牲を払う結末となったためである。

 

 クーデター軍が失敗したのには、理由があった。

それは政威大将軍(せいいたいしょうぐん)に対する国内外の認識の差であった。

 斯衛(このえ)軍や烈士(れっし)と呼ばれる将軍の個人崇拝をする人士は、将軍の存在を絶対視していた。

彼らは口々に、殿下あっての日本、殿下あっての武家と、公言してやまなかった。

 殿下に万が一の事態が起これば、日本帝国は終わる。

そして日本帝国が、米国の傀儡(かいらい)に落ちぶれれば、独立もひと時の平和も、また潰されてしまうだろう。

 だが、日本国外の勢力や異界から来たマサキたちの考えは違った。

 極端な話、将軍職は非世襲の臨時職。

他の五摂家から次期将軍候補を選出すれば良いだけであり、仮に将軍の権威が落ちぶれようと問題はない。

元枢府(げんすいふ)という幕府が亡びても皇室が残ってさえすれば、再び日本は世界に燦然(さんぜん)と輝くことができる。

 鎌倉、室町、江戸の三大幕府の崩壊の際、時の指導者たちは皇統の威光(いこう)に頼ったではないか。

あくまで将軍職は、摂政(せっしょう)関白(かんぱく)に並ぶ、 国事行為の代行者に過ぎない。 

 CIAやKGBが重要視したのは、日本国皇帝の行方だった。

そして二条に居た将軍の事は一切気にも留めなかった。

 時の権力者が傀儡(かいらい)の将軍を立てればいいだけであるとみなしていたからだ。

だが皇帝は、違った。

 日本の歴史上、天皇を要した勢力が一番の正当性を得るからだ。

そして今、皇帝は、日本軍の一部隊ととともに避難している。

彼等の後ろには、ゼオライマーパイロットの木原マサキの影が見え隠れする。

 誰が本当の勝利者かは、既に明らかだった。

マサキが支援する青年将校グループが、一番日本で正当性のある立場だった。

 

 午前6時。

マサキは都ホテルの一室で、電話を受けていた。

 電話の相手は榊国防政務次官で、東京での出来事を逐一報告してきた。

詳しい説明を榊から聞いたマサキは、不敵の笑みを浮かべる。

 思えば、この戦いはソ連とそれに連なるスパイへの復讐から始まった戦いだが、その中で分かったことが一つだけある。

この世界の腐敗は、戦後35年の中で出来上がった権力構造がもたらした闇という事だ。

 元の世界もそうだったが、この世界の日本は堕落(だらく)しきった醜悪(しゅうあく)な存在だ。

政財官を問わず、どこもかしこも豚のように堕落しきっている。

 この日本社会が生き返るには、一度すべての価値観を壊さねばなるまい。

戦後35年、この世界を支配してきた権力の破壊。

 それが、今ある俺の野望の全てだ。

マサキはそこまで考えるとタバコに火を点けて、明けゆく京都の街並みを見るのだった。 

 


 

 日本国内のクーデター事件は、その日のうちに在京の海外通信社によって、世界へ発信された。

それは東京支局を置く英国の公共放送BBCや米国の3大ネットワーク*2ばかりではなく、ボイス・オブ・アメリカも事件を報道した。

 日本より6時間の時差のあるドイツでは、ちょうど夕方7時のニュースとして、この事件が放送されていた。

アイリスディーナは、東独最東端のコトブス基地の近くにある婦人兵向けの官舎に置かれたTVを見入っていた。

 

「ソ連スパイ団事件に揺れる日本政界に今日また、激震が走りました。

外務、国防政務次官を務めたことのある政友会幹部の(さかき)是親(これちか)氏や、陸軍大尉の彩峰(あやみね)萩閣(しゅうかく)氏が、同志数十名と共に、新政権を発足させるという声明を発表しました」

 レポーターが会見の場となった港区の芝パークホテルの前から伝えた後、カメラは記者会見場に移る。

 そこには紋付(もんつき)羽織(はおり)(はかま)の榊と通常礼装の彩峰の姿が大写しになる。

まず榊から答えた。

「我々は大公儀(だいこうぎ)の一員として、主上(しゅじょう)から体制を一任され、また国民からの依託(いたく)を受けて、国政の仕事をさせていただきました。

長い事、大政を担当してきた元枢府は、ご存じの通り多くの問題を内包していることは周知の事実でございます」

 次に彩峰が淡々とした口調で告げた。

「このままでは日本の政治は、政財界の腐敗した一部の物でしか動かなくなるという危機感を抱き、今回の行動に移ったのであります」

 ふたたびカメラは、芝パークホテルの前に戻り、アナウンサーが一連の事件にこうコメントした。

「政権の中心にいた二人の人物によるが、政府の自浄作用なしと判断して起こしたクーデタ―。

これは、800年続いた武家の政治にどのような影響を与えるのでしょうか」

 

 事件の一報を聞いたとき、アイリスディーナの心境は複雑だった。

 休憩室にあるテレビを見ながら同僚たちとお茶を飲んでいた。

だが心ここにあらずで、空になったカップに茶を注ぐのでさえ、ひどく億劫(おっくう)だった。

 もうマサキの事が不安で、彼女の心はめいいっぱいだった。

 同輩の女達は、テレビを見入るアイリスディーナに詮索(せんさく)がましい目線を向けた。

なるほどこの人が、事件の首謀者の一人とされる木原マサキに見初(みそ)められた相手なのね。

彼女たちの顔には、そう書いてあった。

 だがズーズィ・ツァップ*3だけは、一人冷めた目でアイリスディーナの事を見ていた。

 ズーズィ・ツァップは、アイリスディーナの僚機操縦者(ウィングマン)を務める陸軍中尉である。

 ズーズィは、アイリスディーナの2歳年上の21歳で、通信員から戦術機衛士に転属した経歴を持つ。

かつてユルゲンとシュトラハヴィッツ少将がクーデターを計画したときにその思想に心酔(しんすい)し、参加した最古参のメンバーである。

 ズーズィは、ユルゲンの事をああなりたい上司と尊敬し、個人的に崇拝(すうはい)している対象だった。

 ユルゲンは、他の士官学校卒のエリートとは違って、高卒で軍隊に入ったズーズィや下士官上がりのヴァルターに丁寧に接してくれた。

それでいながら、堂々と党や上層部と渡り合う。

非の打ちどころのない容姿も素敵(すてき)で、そんなユルゲンの態度と美しさにズーズィは敬服していた。

 ズーズィは、ハイム少将に近い立場の将校でもあった。

将軍からの密命で、アイリスディーナを付け回している隊内シュタージ*4を監視する立場で派遣された軍情報部*5の協力者の一人であった。

 ズーズィが人づてに聞いた話によれば、アイリスディーナと彼女の兄はシュタージの中央偵察総局の監視対象者だったという。

 ズーズィは、ふと隣にいる(ろう)()けた*6同輩の顔を見やった。

そして彼女の兄であり、白皙(はくせき)美丈夫(びじょうふ)の事を思い起こしていた。

 アクスマン少佐が、美貌(びぼう)と知性を兼ね備えた兄妹の追っかけていたという話も本当の事なのだろうか。

あの褐色(かっしょく)野獣(やじゅう)に関しては、東独内で様々なうわさが飛び交っていたのは事実だ。

 KGBの二重スパイ、GRU部長イワン・セーロフ*7の犬、フーバー*8に100万ドルで買われた男、ゲーレン*9のドル箱。

はては、MI6*10のお気に入りスパイなどである。

 

 アクスマン少佐の悪評は、シュタージ、軍情報部のみならず、CIAやKGBでは周知の事実だった。

 1950年代末から1960年にアクスマンが関与した西ドイツでの工作は、前近代的だった。

KGB仕込みの手法で、脅迫やゆすりは勿論のこと、白昼堂々に被疑者の誘拐まで行う荒っぽいものだった。

 一度MI6につかまった際は、協力者となることを告げて逃げ帰ってきたことがあった。

シュタージの上層部にはうまく2重スパイになるというごまかしを言って切り抜けたが、KGBはそうはいかなかった。

 東ドイツKGBの責任者アレクサンドル・コロトコフに(にら)まれ、即座にKGBの尋問に掛けられた。

ルビヤンカ*11は、BNDに潜入中のハインツ・フェルフェからも同様の報告を受けていたが、彼らを信用しなかった。

 偶然にもハインツ・フェルフェが西ドイツ当局に逮捕されるという事件が発生したためである。

そしてアクスマンを敵視していたアレクサンドル・コロトコフも、急遽呼び出されたモスクワで病死したのだ。

 同時に起きた二つの事件にはある風説が立った。

KGB第一総局長のアレクサンドル・サハロフスキー大将が関与しているという説である。

 西独政府内にいる超大物スパイを守るために、親衛隊上がりのハインツ・フェルフェをBNDに売りとばし、スパイが露見したという責任を問う形でコロトコフを消したとされるものである。

 ソ連では高官の突然死はよくある話で、(こと)に有名なのは国連総会出席中に急死したヴィシンスキー*12元検事総長である。

「イズベスチア」元副編集長でタシケント市長を歴任したV・A・アルハンゲリスキー*13氏は、自著*14の中でヴィシンスキーの急死は、暗殺であったことをほのめかしている。

 その様な経緯からアクスマン問題は、シュタージにおける禁忌の一つであった。

ウルブリヒト時代以降、国禁とされ、アクスマンの専横が許される遠因となったのだ。

 

 ズーズィは、呆然(ぼうぜん)とするアイリスディーナから急須(きゅうす)を奪うようにして取ると、茶葉を入れ替えた。

新しい湯を(そそ)いだ後、その場にいる人数分ある茶器に紅茶を()れ直した。

 自分は学歴もないし、頭もよくないから、あのユルゲン・ベルンハルト大尉の様になれないだろう。

だがそれはそれでいい。

自分が望むのは、ユルゲン・ベルンハルト大尉から認められたい、役に立ちたいという一心だった。

 死んだシュタージ少佐の事に、いつまでも構っていても仕方あるまい。

例えそんな余裕があっても、相手にしたくはない男だ。

 いざ有事となれば、共に戦わねばならない相手とは……

到底(とうてい)命を預けて、戦う気にはなれそうにない。

 それに引き換え、大隊長は……

(うる)んだ(ひとみ)を輝かせながら、ユルゲン・ベルンハルトを思い起こす。

金髪(きんぱつ)碧眼(へきがん)を誇る大隊長の魅力的(みりょくてき)容姿(ようし)を頭に浮かべながら、ズーズィは激しい動悸(どうき)を感じた。

 ズーズィは感情の乱高下(らんこうげ)を落ち着かせた後、考えを元に戻した。

 大事なのは人間関係だ。

国家と軍、その関係から命令があったとしても、身の入った戦いができるだろうか。

本当の意味で仲間と認められ、信じられるか。

 そのためには、相手であるアイリスディーナを知らねばならない。

 自分がしっかりして、尊敬する人物の妹を支えねば……

ズーズィは、感嘆(かんたん)自戒(じかい)が混ざった息を吐いていた。

 

 

 

 

 同時刻、ベルリンの共和国宮殿では、議長を始めとする幹部が、西独の国営放送ZDFの7時の番組を見ていた。

「9月14日に発生した陸軍のクーデター事件を受けて、日本政界は混乱の極みにあります。

政府与党はこの責任を取って、内閣総辞職が発表されました。

政界の空白を埋めるべく、臨時政権が発足するとの旨が発表されましたが、日本政界の混乱は収まりそうにありません。

以上、ZDF東京支局からお伝えしました」

 なお東ドイツでは、国法により一般国民は西独の報道番組の視聴は禁止されていた。

だが、幹部は例外だった。

彼等は必要に応じて、ZDFのみならず、BBCやRTFの第二放送を自由に視聴していたのだ。

「これは木原の描いた画なんでしょうか」 

 ハイム少将は、テレビを見たまま呟いた。

「このクーデターも?」

 シュトラハヴィッツ中将の問いに、議長が答える。

「西ドイツの時は間違いなく仕掛けたが、これはわからん……

もともと日本社会にそういう芽があったんだろう。

武家という存在は、良くも悪くも爆弾だったという事だ」

 議長は言葉を切ると、煙草に火を点けた。

「もしクーデター軍が勝って、ゼオライマーも手に入れたら、それを裏で支援している連中は極東で最大の勢力となる。

となると影響を受けるのは、中ソ両国だ」

 議長の言葉に、閣僚たちは一斉に(うなづ)いた。

一昨年のベルリンクーデタ―では、KGBが大々的に動いたからだ。

もし事態の拡大を望まなかったソ連指導部と英仏の仲介がなければ、戦争になっていたことは想像に難くない。

「だがクーデター軍を未然に防げば、日本国内の中ソの影響力を落とすことができる」

 ハイム少将以上に、難しい質問をしたのは、外相だった。

前任者のオスカー・フィッシャー*15とは違い、反ソ的な感情を持つ人物だった。

「今、クーデターを起こせば、裏で絵を描いているのは紛争中のソ連だと誰もが思うはずですね」

 外相からの問いに、議長は双眸を閉じて眉間をつまんだ。

「ああ」

 ハイム少将は、難しい顔をして訊ねた。

「木原はそれを知って、反乱軍を泳がせたのでしょうか」

 議長は紫煙を燻らせながら応じる。

「木原が仕掛けたのか、全くの偶然か、どうかは、分からん。

ただ言える事は……」

 議長は、満足げな笑みを湛えながら言った。

「木原は勝ったという事だ。

これで奴はまた大きくなる」

*1
史実の世界では、星ヶ岡茶寮は東京大空襲で焼け落ち、土地は東急の五島慶太の手に渡った。

東京ヒルトンホテル、キャピトル東急ホテルをへて、今日のザ・キャピトルホテル 東急になっている

*2
民放のNBC・CBS・ABCの各社

*3
シュヴァルツェスマーケンの原作キャラクター

*4
シュタージには、軍事防諜を担当する第一総局の内部に部門2000という非公式協力者を送り込む組織があり、軍人の身分に偽装し、国家人民軍を秘密裏に監視していた。そしてKGB第三総局と特別なパートナー関係を持って居り、「党の盾と剣」を自称していた

*5
Militärische Aufklärung der Nationalen Volksarmee.国家人民軍軍事情報部。1952年創設。1964年から1984年までは偵察部。1980年代末の段階で、1270人の常勤職員と、デッサウの第2無線偵察連隊の隊員1,620人で構成されていた

*6
洗練された美しさと気品がある女性のこと。後に年功を積んでその道に熟達した女性に対して使われる言葉になった。文中でのアイリスディーナへの表現は前述の意味である

*7
Ива́н Алекса́ндрович Серо́в(1905年8月13日 - 1990年7月1日)。ソ連の軍人、秘密警察員。KGB長官、GRU局長などを歴任。べリヤ逮捕で重要な役割を果たし、フルシチョフに重用されるも、オレグ・ペンコフスキ―GRU大佐事件の影響で失脚し、1965年に汚職と職権乱用の罪で党から除名処分を受ける。1990年まで名誉回復を訴えるも拒否され、失意のうちに死んだ

*8
ジョン・エドガー・フーバー(1895年1月1日 - 1972年5月2日)。米国の官僚。FBI初代長官。1924年から1972年に死去するまで48年にわたり長官職に留まった

*9
ラインハルト・ゲーレン。(1902年4月3日 - 1979年6月8日) ドイツの軍人。西ドイツ情報機関である連邦情報局の初代長官

*10
英国秘密情報部

*11
KGB本部

*12
Andrey Januaryevich Vyshinsky.(1883年12月10日 - 1954年11月22日)。ソ連の政治家、法律家、外交官。速決裁判「トロイカ」の主要メンバー

*13
Valentín Akímovich Arkhángelskiy.(1928年7月18日- 2013年4月25日)ソ連のジャーナリスト。著作多数。邦訳に『レーニンと会った日本人: ドキュメント歴史の30分』、『プリンス近衞殺人事件』がある

*14
V・A・アルハンゲリスキー著,瀧澤一郎訳『プリンス近衞殺人事件』,新潮社,2000年,p125.

*15
Oskar Fischer.(1923年3月19日-2020年4月2日).東ドイツの政治家。1965年から1975年まで外務次官。1975年から1990年まで東ドイツの外務大臣




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