冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

203 / 210
琴線(きんせん) (旧題:陽動作戦) 

 カリーニングラードにいる駐留ソ連軍が、ポーランド国境沿いに展開をしている。

すわ、ソ連軍の軍事介入の兆候か。

 一方を受けた東独軍のシュトラハヴィッツ中将は、第1戦闘航空団の精鋭と共にベルリンから空路乗り込んできた。

東欧州社会主義同盟という、東独とポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーの社会主義国が、対等の盟約を結んだ為である。

分かりやすく言えば、五分(ごぶ)の兄弟(さかずき)を交わしたといったところだろう。

 

 イリューシンIl-76は、バルト海上ではなく、ポズナンを経由してワルシャワ方面に向かった。

ラダム近郊になると高度を下げ始め、地表の状況が見え始める。

「すごい所だな」

 第1戦闘航空団の政治将校が、思わず叫んだ。

彼は、北部にある第五軍管区のバーゼポールで新設された第54ヘリコプター飛行隊にいた為、ポーランドに来た経験がなかった。

 士官学校を出た後、3年ほど部隊勤務を経て、政治将校*1になったばかりなので、前線を知らなかったのだ。

「まるで砂漠の廃墟のようだ。

農産品が絶えるのも無理はない」

 情報統制を引く東独でも、ポーランド情勢は漏れ伝わっていた。

ポーランドの特権階級(ノーメンクラツーラ)が、BETA戦争前からしばしば東独に旅行に来ていた。

深刻な食糧不足の話が、それらの旅行者の口から、東独市民の耳に入っていたのだ。

「昔はドイツの一部だったとか」

 大隊長代理のカッツェ中尉は、窓越しに外の風景に目を向けながら、我関せずの姿勢でいう。

副長のカシミール・ヘンペルは、戦前の(はく)ロシア*2の姿を思い出し、新任の政治将校に73年以前の状況を言ったら信じるだろうかと思った。

 かつての友邦、ソ連の核飽和攻撃を、この政治将校は知らないらしい。

 党の方針に盲従し、堅苦しい講話ばかりをする政治将校に、その事を教えてやりたかった。

「本当にひでえもんだ」

 ヘンペルは、思わず笑い声が出た。

カッツェは、怪訝(けげん)そうにヘンペルを見た後、何事もなく続けた。

「いや、ここも昔は、きっとドイツの様に栄えていたのだろうよ」

 

 ワルシャワ空港にシュトラハヴィッツ一行が着いたのと、ほぼ同時刻。

エレバン*3発のアエロフロート機が着陸した。

 KGB本部要員の出迎えに来たポーランドのKGB支部長は、焦っていた。

本作戦の失敗により、自身の首が飛びかねない状況になっていたからだ。

 搭乗客を一人づつ見ていた支部長に、毛皮の帽子をかぶり、足首まで長さのある冬外套を着た男が声をかける。

 支部長は、ただの年寄りと思って追い払おうとしたが、声でその人物の正体を察知した。

外套姿の男は、KGBのチェブリコフ長官だった。

「驚きました。まさかそのようなお姿でおいでになるとは」 

「それが、私を探すのに10分も遅れた理由だといいたいのかね」

 支部長は身震いしながら、答えた。

「いえ、いえ……」

「じゃあ、他に言い訳でもあるのかね」

「ただその、ワルシャワ市内の交通検問で、時間を取れて……」

 チェブリコフ長官は、レイバンのサングラスをかけた。

そしてかぶっていた毛皮の帽子を、支部長に投げつける

「ええい。黙れ、黙れ!」

 支部長は固まったままだ。

「お前の言い訳などもう聞き飽きている。

一事が万事、そんな(てい)たらくだから、ポーランド野郎(プシェク)どころか、たかが黄色猿一匹、退治できないでいるんだ」

「ですが……」

「もうこれ以上お前に任せていては、埒が明かん。

今日限りで、貴様は(くび)だ」

 ポーランド支部長は己の運命を呪った。

既に死刑宣告をなされたも同然だったからだ。

 

 

 一方、その頃。

マサキは、日本国皇帝の親書とローマ法王の私信をもって、ヤブウォンスキ最高評議会議長にあっていた。

 国家評議会議長宛てのローマ法王の私信を準備できたのは、鎧衣左近のおかげだった。

 この男は飄々(ひょうひょう)とした態度とは別に、(たぎ)る愛国心の持ち主であった。

木原マサキと天のゼオライマーが、1977年の支那(しな)に突如として現れて以来、マサキの動向を注視していた。

 鎧衣は、サラリーマンを自称しながらも、己の信ずる価値観のために働く男であった。

天のゼオライマーの内偵任務に就きながら、マサキと交流を重ねるうちに、自身の考えとマサキの野望が共通する点を見つけ、関与し続けたのである。

 そんな鎧衣は、東欧での反ソ同盟結成というマサキの作戦を実現するために協力することにしたのであった。

 

「お恥ずかしい話ですが、BETA戦争が始まるまでは、ポーランドは豊かさを誇っていました」

 ヤブウォンスキは、申し訳なさそうに答えた。

「今思えば、贅沢をし過ぎたと……」

 1970年代初頭のポーランドは、西側の投資を受け入れて、コメコン諸国の中では経済成長を遂げていた。

 ギエレク政権での経済政策は、表面上は成功したかに見えた。

だが最大の問題は、西側からの借款の返済であった。

過剰な設備投資と、借入金の返済の為、1973年以降の成長はマイナスになっていた。

「国民皆が、ポーランドの経済成長は右肩上がりになると信じ込み、必要以上に投資をしたことで、国庫の金を使い果たしてしまったのです」

「そうか」

 マサキは言葉を切ると、煙草に火を点けた。

「国家予算と税収には限度がある。

長く投資をして経済を生かすにも、破綻させるにも……」

 マサキは不敵に笑った。

この国の不平不満が爆発するのは、時間の問題だ。

ここは一つ、何か仕掛けた方がいいだろう。

 財務大臣は、マサキに平謝りに詫びいった。

「新経済システムの再建には、あと5年余り……

それまでの食糧がどうしても必要だったのです」 

 1970年以降、投資の機会が増やされ、西側企業が進出したが、それも1973年を境に下方修正に落ち込んだ。

これは工業分野ではあるが、農政も似たような感じだった。

 ポーランドは早い段階から私有地での自作農を認めていたが、国家が支援したのは集団農場であり、地方の実情を無視した急速な社会化であった。

 食料品の需給は増えたが、政府は食料品価格を圧力によって抑え込む政策を取った。

その為、農林水産業は長期的不振に陥り、1974年以降、食料品の輸入に頼らざるを得なくなっていた。

 

 

 ポーランドとの首脳会見の翌日。

マリノフスキーたちは、送別会を敢行してくれた。

 場所は、件の集合住宅(ブロック)の一室ではなく、近くの会館だった。

 豪勢な料理の並ぶ席で、カーヤは、如何にも意味ありげな笑みを浮かべて近づいて来た。

マサキは、前日にポーランド軍情報部から彼女がポーランド版KGBの秘密情報部(SB)の協力者であることを聞いていたので、あまりいい感情をいだいていなかった。 

「あなた、素敵なガールフレンドがいるでしょう」 

「ガールフレンド?」

「とぼけないで、私知っているんだ」

 アイリスディーナの事は、一切口にしていない。

 マサキは、むらむらと反発心が湧いた。

このKGBスパイの小娘を少し懲らしめてやろう。

「誰の事だ。

美人は、星の数ほどいるさ!」

「そう……」

 カーヤは、少し鼻白(はなしろ)んだ。

「でも好きと思っている美人さんは、相手にしてくれないんでしょう」 

 ベアトリクスの事か?

マサキの表情はこわばった。

「そんなに慌てたことを見ると、つっけんどんにされているのね。

あたしなら、いつでもフリーよ」

 カーヤは、マサキの事を上目遣いの表情で見つめた。

 カーヤが、マサキを狙っているを見抜いていた鎧衣が、にやにやしながら近づいて来た。

含み笑いに、カーヤは嫌な感じがした。

「ひどいもんだねえ。あんたの友人(ダチ)は」

 婚約者と話していたイレーナは、後ろを振り返った。

 シルヴィアもさりげなく、声の主を見る。

静かにカーヤの傍に来ると、鎧衣は、そっとロシア語で囁く。 

「私にはできないな。幼馴染を売るなんて」

 カーヤは、戸惑いの表情を見せる。

マサキは、美人のイレーナやシルヴィアに嫉妬し、KGBに売ろうとした女の事は大嫌いだった。

少しばかり、カーヤに現実を知らせてやることにした。

「昨日は露助、今日は東洋人か。

掌をくるくる回す女心か……」

 そういってマサキは、氷の入った3リットルのピッチャージョッキをテーブルの上から持ち上げる。

「馬鹿な女は、俺は嫌いだ」

 カーヤの頭の上で、マサキはジョッキを傾けた。

杯から大粒の氷と共に、摂氏4度の水が流れ落ちる。

「あ、ああ……」

 氷水をかぶり、彼女はあっという間に濡れ鼠になり果てた。

それまで黙っていた白銀が、日本語で答えた。

「水も滴るいい女とは、まさにこの事を云うんですね」

 マサキは大げさに仰け反って、哄笑を響かせた。

「フハハハハ」

 他人の同意なく氷水をかける行為は、立派な犯罪行為で、日本国内では暴行罪が適応される。

ここポーランドでも同様の罪になるが、民警や治安局はマサキ達は逮捕できなかった 

 それはウィーン条約で認められた、外交官の身体保護の規則があるからである。

カーヤは、あらためて思い知らされた。

 

 

 シルヴィアは、不思議とカーヤへの同情は覚えなかった。

それよりも、憎悪を感じ、つぶやきを漏らす。

「獣ね」

 両手で、長いプラチナブロンドの髪をかき乱した。

「軽蔑するわ。何もかも……」

 マサキは、ホープを燻らせながら、シルヴィアに近づいた。

「お前を売ろうとした奴は、その獣以下さ」

 シルヴィアの背後に立ちながら、続けた。

「そんな獣以下の輩に手をかけて、自分の大切な人生を引き換えにし、台無しにすることはない」

 顔を上げたシルヴィアの肩に、マサキは手を乗せる。

「まだ10代じゃないか、やり直そうぜ。

なんなら、俺が男の世話をしてやる」  

 マサキは、自分のために親友を失った娘への償いとして、彼女の結婚相手を探してやることを提案した。

 一方のシルヴィアは、そんなマサキの魂胆も知らずに、丁重に断りの言葉を言った。

「私には、運命の人がいますから」

 マサキの親切な提案にもかかわらず、断ったのには理由があった。

それは、今年の夏、ヴロツワフ郊外で一人の東独兵と知り合ったからだ。

 相手の名前は、ヴァルター・クリューガーと言い、シルヴィアの10歳上の人物だった。

ただ、ヴァルター・クリューガーという名前は、ドイツ人によくある名前なので、簡単には再会できないだろう。

 でもこちらから東独に出向けば、会えるかもしれない。

18歳になったら、人民警察に旅券申請をして、ドイツに行こう。

 シルヴィアはあれこれ考えながら、思い人の顔を頭に浮かべるのであった。

*1
東独軍では、1983年まで他の社会主義国の様に政治将校の専門課程はなく、実務経験がなければ政治将校の試験が受けられなかった

*2
今日のベラルーシ共和国

*3
今日のアルメニア共和国の首都




 ご意見、ご感想お待ちしております。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。