冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
アクスマンと彼を巡る国際陰謀とは……
ポーランド訪問を終えたマサキは、西ベルリンの総領事館である男の調査に入っていた。
男の名前は、ハインツ・アクスマン。
シュタージ中央偵察局の少佐である。
彼が何故、反ソを隠さない彼が、なぜシュタージで生き残れたか。
それは、ミルケ長官とマルクス・ヴォルフの過去帳を持っていたからだった。
そして、ユーリ・アンドロポフの出世の秘密を握っていたからである。
アンドロポフが史実で後継者に選ばれたのは、車夫上がりでブレジネフの腰ぎんちゃくだったチェルネンコよりも有能だったのもある。
党中央での勤務経験もあり、人脈を多く持っていたのも要因であろう。
だが一番の理由は、若き日のアンドロポフがレニングラード事件に参加し、党組織を糾弾した調書をブレジネフが持っていた*1為だった。
この報告書により、アンドロポフはブレジネフに忠誠を誓い、KGB復活の機会を窺ったのだ。
さて、レニングラード事件とは、どんな事件であるか。
1951年のスターリン時代最末期に起きた、大規模な党幹部の粛清の一つである。
900日間の包囲戦を戦い抜いたレニングラードの党幹部たちを逮捕し、廃止していた死刑を復活させ、処刑した事件である。
続く弾圧として有名なのは、クレムリンの侍医団を粛正した「殺人医師団」事件。
100名近い関係者が逮捕され、その範囲は、中央の侍医団だけではなく診療所まで及んだ
そして「レニングラード事件」「殺人医師団」を捜査したアバクーモフ大将を始めとするMGB指導部を逮捕した「ユダヤ人民族派陰謀事件」
アバクーモフを始めとして、セイヴァノフスキー*2、ツァナワ*3、ピトヴラーノフ、ライヒマン*4、といった将官、トロツキー謀殺に関与したエイチンゴン*5、NKVDの毒殺研究所*6を指揮していたマイラノフスキー*7等といった人物が逮捕された。
自白が第一の証拠とされ、MGBの気に入った証言でなければ、採用されなかった。
地下牢の中で半死半生になるまで叩きのめし、所望された証言をするまでそれらは続けられた。
後にこれらの事件が根拠のない大疑獄であることが判明するのだが、それはスターリン死後の1953年まで待たねばならなかった。
また、アバクーモフ処刑にはフルシチョフも関わっており、レニングラード事件までさかのぼれば、当時のフルシチョフ政権の正統性まで左右しかねない物であった。
ソ連最高議長になる前にブレジネフが、これらの調書をどのようにして手に入れたかは不明である。
だがKGBとの関係を築くことで、歴代指導者と同様に、政権の長期安定化を図ったのは事実だ。
だがアクスマンが何故、シュタージ内部で立場を確立したかに関しては、シュタージファイルには書かれていなかった。
資料調査では限界があると感じたマサキは、ゲーレンの協力を得るべく、隣国であるオーストリー*8に飛んだ。
ウィーン南方26kmの距離にあるバーデン・バイ・ウィーンで、ココットたちと落ち合う事にしたのであった。
この風光明媚な保養地が選ばれたのは理由があった。
18世紀から湯治客に利用され、外人がいてもおかしくない場所だからである。
また、マサキが日本人ということを考慮して、この場所をココットが選定したのであった。
彼等は、レーマー・テルメ*9という温泉に来ていた。
そこにある露天風呂につかりながら、ココットからなぜ呼ばれたのかという話を聞いていた。
日本の温泉とは違い、水着着用が義務なので、マサキは今一つなれなかった。
だが、一番熱い39度の露天風呂に入ることで、自分を納得させていた。
マサキは黒の水泳パンツというラフな格好だったが、ココットは淡いグレーのワンピース*10型の水着を付けていた。
透けるような素材で、上から覗くと豊満な胸の谷間が丸見えだ。
下腹部のふくらみを包む水着の盛り上がり、肌に食い込んでる様も、視覚的に刺激的で、実に悩ましげである。
マサキは、彼女の着てきた水着よりも、これから会う人物の方が気になっていた。
レヒテ元夫人という女性と引き合わせるというが……
まさか、あのロスアラモス研究所にいるというリストマッティ・レヒテ博士ではあるまい。
米人科学者の妻が、何故オーストリーなどにいるのだ?
マサキが逡巡しているとき、急にココットが手を引っ張った。
「熱くて、耐えられないんだけど……」
39度で若干温めの湯だが……
ふとマサキが見ると、そこには雪肌が赤く、のぼせる寸前といった感じのココットがいた。
どうやら体感温度の高い白人種にとって、39度の温泉は熱湯風呂に入った感覚の様だ。
東洋人のマサキにとってちょうどよかったものが、どうも違ったらしい。
そういえば、風呂好きのアイリスディーナも、日本の温泉は押しなべて熱いと言っていたな……
どうでもいいことを考えながら、マサキはレーマーテルメを後にするのだった。
温泉から出た後、ココットに連れていかれた近くのレストランでは、一人の中年の白人女性が待っていた。
茶色い髪を金髪に染めてはいたが、碧眼とその容姿からすると北欧系であることが察しがついた。
件の中年女性は、リストマッティ・レヒテ博士の前妻で、フィンランド人*11だった。
彼女は、元夫のレヒテ博士が設計したというムアコック・レヒテ機関の問題点をマサキに伝えに来たのであった。
「ロスアラモス研究所が開発したムアコック・レヒテ機関というのを、ご存じでしょう?」
レヒテ元夫人の顔色が翳った。
「あれは繰り返し起動を続けていると、最後には重力偏重で、最後には死んでしまうんです」
マサキは思わず聞き返した。
「何、どういう事だ」
マサキは思わず、レヒテ元夫人の両肩を掴んだ。
「本当なのか!どうしてそんなことを知っているんだ」
ココットが補足した。
「あれは、この人が旦那さんと一緒に作った装置なの。
それをロスアラモスが、500万ドル*12で買う約束をして、設計図を国外に持ち出したの」
レヒテ元夫人は悲しげな顔のまま、話を続けた。
「マッティ*13……。
いえ主人は、設計図が完成した直後、大きな欠陥があるのを発見して、それを破棄しようとしました。
でも、それをかぎつけたKGBが、主人を誘拐しようとして自宅に押し入ってきた事件があって……」
冷戦期のフィンランドは、独立国の体裁を保ってはいたが、事実上のソ連の衛星国であった。
1948年にソ連との間に「友好協力相互援助条約」を締結し、フィンランドの独立及び議会民主制・資本主義の維持を引き換えに、事実上のソ連の衛星国になった。
ソ連の不凍港確保のためとはいえ、フィンランドの独立性は削がれ、親ソ容共的な政権が維持されることとなった。
国際政治の場では、対ソ友好政策をとることで,内政外交面で規制を受けるようになる傾向を指して、「フィンランド化」と称することになった。
「身の危険を感じた主人は、未完成の図面を持ったまま、ヘルシンキ*14の米国大使館に駆け込んだんです。
そこでCIAのオフィサーに、ロスアラモス研究所を紹介されて……」
マサキは席を立つと、夫人の方に歩み寄った。
「それが今になって、米軍の試作爆撃機のエンジンとして現れたという事か」
「主人はそれがもとで私と離婚し、米国に移住しました」
夫人は
「でも……
それより、このまま放っておいたら、あの装置のために大勢の人の命が失われる結果になります」
涙にぬれた顔をマサキの方に向ける。
「今なら、まだ間に合うんです」
マサキは、ホープに火を点けながら訪ねた。
「どうして、それを世間に発表しないんだ。
俺のような、極東の田舎学者の所に持ってくる必要はあるまい」
ココットが、悲壮な顔色で答えた。
「言ったわ。
でも、この人の話より、みんなロスアラモス研究所の事を信じて……」
「慰謝料欲しさで騒いでる元妻という非難の元に、世間で相手をされなくて……」
「そうだったのか」
紫煙を燻らせながら、何か引っ掛かるなと、マサキは思った。
この女は、本心からリストマッティ・レヒテ博士の事を心配していっただけだろうか。
もしかするとCIA工作員で、俺を何かの陰謀に引き込むつもり出来たのか。
あるいはKGBが、罠を仕組んだのか。
この話が本当だとすれば、米国政府は
非公式に聞くG元素計画への投資は、軍民合わせて、7
思わず、
「とりあえず、俺に任せてもらえないか」
マサキは思い当たることがあったので、夫人の提案を快諾した。
彼は以前、ラインハルト・ゲーレンからオルタネイティヴ第5計画という国連の研究機関が立てた計画を聞いていたからである。
CIAとBNDがほぼ同時にその計画を知ったとなれば、恐らく事実であろう。
アイリスディーナか、ベアトリクスを通じてアーベル・ブレーメか、東独の誰かに訊ねてみよう。
KGBに近いアーベルなら、ソ連側の動きを把握しているはずだ。
あるいは鎧衣あたりでもいいかもしれない。
マサキはそう思いながら、紫煙を燻らせるのであった。
中欧に位置するオーストリアの首都ウィーン。
日本では音楽の都として有名だが、その別な顔をして、スパイの都であった。
地理的条件からチェコスロバキアのプラハより東欧に近く、オーストリア自身が1955年以降、中立化宣言を行なっているので、ソ連と欧米諸国のスパイ達が暗躍していた。
この国には、
だが伝統的に、オーストリアは自国政府が標的でない限り、国内での秘密裏の諜報活動には目をつぶってきた歴史がある。
映画「第三の男」*15に描かれたオーストリアを舞台とするスパイ活動は、今も平然と行われているのが実情だ。
現代でも国際社会から制裁を受けているロシアや北朝鮮が資金洗浄をしたり、禁輸品を外交旅嚢に入れ、持ち運んでいる。
一般的にウィーンでソ連の間諜が活躍したのは1945年のソ連軍進駐以降だと信じられているが、それは間違いである。
ソ連建国以前、帝政ロシア時代から、ウィーンにはロシアスパイ団のネットワークが存在していた。
ウィーンでKGBにリクルートされた人物として有名なのは、MI6のソ連課長を務めたキム・フィルビー*16であろう。
コミンテルン国際部のアルノルト・ドイッチュ*17にスカウトされ、彼の下でケンブリッジ5人組が結成された。
マサキが今回ウィーンを訪問先に選んだのは、永世中立国という理由以外に、東独、西独と地理的に近いという理由があった。
ポーランドから東独に入ることは可能であったが、国境審査が煩わしいのと、彼自身の立場の変化である。
日本政府の特別顧問となったで、以前の様に、大っぴらに東独に入ることが出来なくなったのだ。
その為、東独の関係者をウィーンに呼んで、アクスマンの件を探ろうとしたのである。
一方の東独政府側も、マサキの案に乗らざるを得なかった。
KGBによる傀儡政権樹立を否定した為、最大の後ろ盾であるソ連との縁を切ったのも遠因の一つであるが、一番の理由は日本政府を利用する為であった。
史実がどうであったか、簡単に振り返ってみよう。
東独は、西独のハルシュタイン原則*18のために、ソ連と東欧の衛星国、中共、北鮮、共産越南を除いて、国家承認を受けていなかった。
東独は建国以来、ソ連およびKGBの指示の元、対日接近を数度謀った事実がある。
だが当時の日本政府や国民の多くは、同じ敗戦国民であるドイツ市民の事は気にかけていたが、東独国家の事は警戒していた。
接近した商社、共産党や社会党は日本国民から白眼視されており、ハンガリー動乱やプラハの春事件で親ソ的な態度を取ったことからより警戒心を強くされる遠因となった。
そこで東独は方針を転換し、1970年代から政権党である自民党に近づくこととなったのだ。
なぜそのような方針転換までして、日本を利用しようとしたのか。
それはソ連の傀儡国家という東独の特殊事情によるところが大きい。
スターリン主義の教条的な社会主義思想を国是とする東独が、ハンガリーやチェコスロバキア、ポーランドのような自由主義を追認する政策を取ればどうなるか。
それは東独の正統性の崩壊であり、やがては西独への併合という運命が待っていた為である。
東独を独立国とて存続させるには、資本主義国で、尚且つ立憲君主制の日本に、自国の存在を認めさせ、国際的な正当性を得ようとしたのだ。
ホテル・インペリアルの一室に招かれたマサキは、自分の目を疑った。
そこには東独の貿易関係の表と裏を知る人物が、一堂に会していたからだ。
ウルブリヒト時代以来のSED幹部、ギュンター・ミッターク*19中央委員会経済担当書記。
アレクサンダー・シャルク=ゴロトコフスキ貿易省次官兼シュタージ大佐。
日本・東独友好議員連盟会長のハンス・モドロウ*20。
彼等の他にも数名の人物がいるが、恐らくシュタージ工作員であろうことは容易に推測できた。
マサキの方も、万が一に備え、通訳という名目で
「ゴロトコフスキです」
マサキは表情をゆがめる。
ユルゲンとアイリスディーナの家庭を崩壊させ、彼等を地獄の底に送り込んだシュタージの事が嫌いだからだ。
だがアクスマンという男を調べるために、はっきりと拒否の色を示さなかった。
「木原マサキだ」
簡単なあいさつの後、ゴロトコフスキが部下時代のアクスマンの事を語った。
ゴロトコフスキの言によれば、アクスマンが出世したのは、秘密文書の他に、ホーネッカー元議長の為には働いたことを評価されたからである。
多くの東独国民がプレハブ工法の粗悪な高層集合住宅に暮らし、大衆車トラバントが10年以上待たないと手に入らないという生活を送っていた。
そんな中、ホーネッカーは、秘密の別荘地に大豪邸を建て、贅を尽くした暮らしを行っていた。
メルセデス・ベンツ、シトロエン・CX、ボルボ 760 GLE / 264、ランドローバーを所有し、プジョー604を公用車にしていた。
アクスマンは、1959年型のキャデラック調達に参加したのを切っ掛けに、ホーネッカーとの腐れ縁が始まった。
その他に、ゴロトコフスキが脱税の名目で素封家から押収した
その中で
それらは、ソ連支配地域の中央アジアは言うに及ばず、アフガンやペルシャの埋蔵文化財も多く含まれた。
この得難き至宝の数々は、アクスマンを経由して、極東の某国に持ち出されることとなったのだ。
マサキは埋蔵文化財の国外持ち出しが出来た理由を思わず、ゴロトコフスキに訊ねた。
「よくそんな大物が持ち出せたな」
ゴロトコフスキは不敵の笑みを浮かべた。
「ソ連は魔境です。
シベリアの原野から100キロの金塊を送っても、モスクワへ届く時には30キロになる場所なのです」
「発掘品を持ってこさせて……」
「どんな物資でされ、政府高官や陸海の将星*21のお歴々が懐に入れてしまう訳です。
金銀財宝となると、腹を減らした熊のように貪るというわけですな」
ゴロトコフスキが豪快に哄笑すると、つられてミッタークやモドロウも笑った。
どうやら党幹部でさえ、ソ連にはいい感情はない様だ。
鎧衣が口をはさんだ。
「原因は何でしょうか」
「順法精神の欠如、それが唯一最大の原因でしょうな!」
脇で来ていたマサキは、耐えきれなくなって、煙草に火を点けた。
法を
あとで、この男の事を西ドイツの刑務所に放り込んでやろう。
それはアクスマンの事を調べてからでも遅くはあるまい。
続いて説明をしたのは、ギュンター・ミッタークだった。
ミッタークの証言によれば、アクスマンは、ホーネッカーの関心を買う為、夫人マーゴット*22の違法工作にも参加した。
マーゴットの指示で行われたのは、西側亡命希望者の違法な養子縁組*23である。
マーゴットは亡命者から子供を取り上げ、子供の無い党幹部やシュタージに養子縁組をさせた。
そして出生記録から本当の親の情報を消し去って、偽の情報を書き込むという事を日常的に行っていた。
アクスマンは、マーゴットにも取り入り、違法な養子縁組を拡大させた。
BETA戦争の最中にソ連方面から避難してきたヴォルガ・ドイツ人*24を、西側の金満家に養子に出し、縁組の手数料として、一人当たり1万西独マルクを得ていたという物だ。
マサキはその話を聞いて、社会主義政権の闇というのは、思ったより根深いものであることを改めて知らされた。
どのような形でも、ご感想いただけたら励みになります。
ご意見、ご感想お待ちしております。