冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
彼を現代社会に連れ戻したのは木原マサキだった。
マサキの狙いとは……
ルドルフ・ヘス*1は、自室で何時ものようにベットに横たわっていた。
彼は、元
同様の判決を受けた他の6名の戦犯とともに、西ベルリンのシュパンダウ区ヴィルヘルムシュタットにあるシュパンダウ刑務所*4に服役していた。
だがほかの囚人たちは、既に1960年代に出獄が許され、残るはヘスのみとなっていた。
独房の一つへ、
男たちは、独居房の鍵を開けると、ベットに横たわる老人をたたき起こした。
「囚人7号、出ろ」
入ってきたフランス軍
何時もの身体検査だろうと。
ヘスは囚人服のまま、浴室に連れ出された。
沐浴と散髪を終えた後、マイゼル*5のソフト帽にヒューゴ・ボス*6のスーツに着替えさせられる。
そして目隠しと手錠をされたまま、車に乗せられた。
既に80歳を超える高齢と病気のために弱っていたヘスに、抵抗する気力はなかった。
1960年代の頃であれば、激しく抵抗し、周囲を困惑させたであろう。
車が止まると、ヘスは後部座席から降ろされた。
目隠しと手錠を解かれた彼は、ここがテンペルホーフ空港*7であることが信じられなかった。
大勢の出迎えの人々も、ヘスを驚かせていた。
子息のヴォルフ*8、1947年以来の親友で回顧録の出版に協力してくれたユージン・K・バード*9米陸軍大佐。
戦後久しく会っていなかったヴィリー・メッサーシュミット、囚人仲間でもあったカール・デーニッツ*10提督。
何よりもに驚いたのは、側に留まった車から翩翻とする日章旗の存在であった。
かつての同盟国がなぜという疑問もあったが、自由の身になった彼にとってそれはどうでもいい事だった。
ヘスの一行は、駐機していた日本航空のボーニング*11B747-100に乗せられた。
その畿内には、黒い詰襟の上下一揃いを
「ルドルフ・ヘスか。
金を出すから、もう一度国際政治の世界で暴れてみないか」
ヘスは、客室の通路に立つ男を見た。
意外な若さに驚いた。
東洋人は整った風貌をしており、見つめる目には信念の炎が燃えている。
「私は、40年近く塀の中にいた老人だよ。
もう政治の世界から足を洗ったのだ。余計な事をしないでくれ」
無言のうちにヘスは、マサキを
「その言葉を素直に受け取るほど、俺は率直な人間ではないのでね」
マサキが面色をあらためて言い出したので、ヘスは、気をのまれた。
茫然と、その顔を見まもっていた。
「お前は、国際政治の場から足を洗ってはいない。
機会があれば、あの世界に戻りたいと思っているはずだ」
ヘスは依然、うなずかない。
「何故そう思う」
そう答えると、マサキは急に黙って、喜色を
「俺がそう考えるのは、俺とお前の心の底が同じだからだ。
政治も経済も、一部の人間、階層によって
「先ほど、私と同じものがあると君が言ったな。
もしかして私の過去を知って、言ったのではないか」
マサキは、
「その通りだ。お前の過去を調べさせてもらった。
カール・ハウスホーファーの直弟子だという事もな」
カール・ハウスホーファー*12は、近代地理学の祖と言われるラッツエル*13に起源を持つドイツ地政学の泰斗である。
第一次大戦から第二次大戦に至るドイツの20年間の強烈な変化の立役者の一人だった。
ハウスホーファ―自身は、ランドパワーの大国であるドイツとロシアの同盟論を唱えていた。
また駐日武官として日本にいた経験もあって、日本とドイツ、ソ連を含めた同盟を作り、ソ連とのランドパワーによる世界支配をもくろんでいた学者でもあった。
マサキは、なおいった。
「お前は、60年前*14の敗戦で辛酸をなめ尽くした後、大学を出て、政治の世界に入った。
それは全て、復讐する為だったのではないのか。
つまり俺と同じという事だ」
そう話すうちに、マサキは帝政ドイツの敗戦と日本の敗戦を重ねていた。
敗戦の後、日本社会は、何もかも変わった。
それも、あっという間に。
商店に物はなく、紙幣はその価値を失った。
随所で闇市が横行し、支配している闇屋に警察は手を出せなかった。
人々は助けを求めに犯罪組織のところに行き、彼らに守ってもらおうとした。
マサキの表情は一瞬憎悪に燃え、その後に憐みの色が浮かんだ。
「俺は、この世界であらゆるところに根を張っている国際金融資本に
政財界のあらゆる所を、一部の権力層が牛耳って、動かしている。
どんな非道をしても、許される。
国際法さえ操り、人を操って、自分たちだけが、のうのうと支配の高みから見物している」
ヘスが青年時代を送った1920年代のドイツは、混乱に満ちていた。
世界大戦の敗戦、47年続いた帝国の滅亡、経済破綻、価値観の崩壊等である。
特にワイマール共和国の中で暴れまわったのは、社会主義者や強欲な資本家だった。
彼等のその多くが、ユダヤ系であったこともあって、ドイツ社会では比較的抑えられてきた反ユダヤ思想が出てくることとなったのだ。
これは、ソ連崩壊後のロシアに関しても言える事である。
1990年代の
彼らユダヤ人は、ロシアの富を掠め取っていく姿は、強欲で支配欲に飢えているという陰謀論に描かれる典型的なユダヤ人そのものの姿だった。
強欲なオルガリヒのために、ソ連時代に封じこめられていた反ユダヤ主義を再燃させた。
ポグロム*16の再発から逃れて、数十万のユダヤ人がロシアから脱出した。
今日、イスラエルに移住したロシア系ユダヤ人は、約120万人。
イスラエルの総人口の約15%を占める一大勢力で、右派強硬派の支持基盤の一つである。
「そんな非道がまかり通る、この世界の仕組みが許せないのだ。
こういう仕組みを作り上げた、国際金融資本が許せぬのだ」
マサキは、心からそういった。
「ソ連というのは、その秘密勢力が産んだ一つの悪だ。
悪を征するには、悪だ。
それが、俺のやり方だ」
最初の内、ヘスは、この若い東洋人にからかわれていると思った。
しかし、マサキは真剣だった。
自分の刑務所時代を知ったら、この男はどうするのだろうか。
政治的に不遇な時代に、ノイローゼに罹ったことを知ったらどうなるのだろうか。
そんな心配を先回りするかのように、マサキは言った。
「人間には、様々な過去があり、現在がある。
未来だけを見つめながら、俺と共に戦ってくれぬか」
そこまで聞くと、さすがは、元副総統のヘスであった。
一言を聞いて、万事を覚ったものとみえる。
「共通の敵、ソ連を倒すために」
ヘスは、むしろ得意を感じたらしい。
早速に協力を乞うと、すこしも辞すところなく、直ちにニューヨークへ向かう事となった。
9時間のフライトを経て、チャーター機はジョン・F・ケネディ国際空港に到着した。
マサキたち一行は、日本大使館所有のリムジンではなく、フォード・エコノライン150*17というフルサイズバンに乗って、市内に繰り出した。
後ろから美久の運転する車が続き、
狭いワゴンの最前列で、マサキの胸は少年の様に高まった。
運転席からは、ココットの香水のにおいが充満してくる。
むせかえるような女の匂いだった。
マサキは、ルームミラーに映る後部座席のVIPから、ココットに視線を変えた。
体にぴったりとした黒の婦人用スーツは、座ると
黒いストッキングに覆われた脚線は、肌色のそれに比べてスリムに感じさせた。
「無茶よ」
ハンドルを握ったココットは、悲痛な声を出した。
「あのビルは、
ネズミ一匹さえ、入れはしないわ」
ココットは、大いに慌てた。
如何したものかと迷っている間、マサキがぶっきらぼうに答えた。
「ネズミは無理でも、俺は入る。
潜り込んで、ワルトハイムの奴にヘスを会わせてやるのさ」
「たとえ入れたとしても、そう簡単に出られないわ。
貴方、どうかしてるわ」
ココットには、マサキの行動は理解を超えたものだった。
だが、重大な決意を秘めていることは判った。
「ああ、俺は生まれつきどうかしている」
マサキは笑うのみで、
ニューヨークの国連本部前に、防弾装甲仕様のリムジンが止まった。
車種は黒塗りのメルセデス・ベンツ・W100で、中に乗るのは国連総長のワルトハイムである。
トンプソン短機関銃を構えたニューヨーク市警の制服警官が巡回した後、美人秘書と共に総長は本部ビルに入った。
いくつもの厳重な
部屋に入ると既に灯りが
そして机の上には、長いコートを着た男が腰かけており、タバコをふかしながら彼の事を見ていた。
部屋の中には、彼の他にトレンチコート姿と白い
あとは背広姿の白人の老人が2名、その他にはミンクのロングコート若い女だけだった。
「何だ、貴様は」
ワルトハイムは、東洋人の青年に訊ねた。
護衛官たちが、一斉に前に出る。
「国連の未来に憂慮を持つ男さ」
東洋人の男は周囲の喧騒がまるでなかったかのように話を続けた。
護衛官たちが一斉にFN ブローニング・ハイパワーを男に向ける。
「私が撃てと命じたら、どうなる」
ワルトハイムは、不敵の笑みを浮かべた。
しかし東洋人の男は焦らなかった。
「お前たち、例の物をみせてやれ」
彼の声に、男たちは一斉に上着を脱ぎ去る。
それと同時に、体に巻き付けられている無数の薬包紙筒が目の前に現れた。
帽子姿の男が、ワルトハイムに問いかけた。
手には、すでに火のついた導火線が握られている。
「事務総長、我々の体に巻き付けたTNT火薬は、国連本部を破壊しますぞ」
ワルトハイムは、それまでに見せたことのないほどの狼狽の色を顔に表した。
「うおぉ」
「皆で、御一緒に、地獄に参りましょうか!」
そこにいたのは、既に国連総長ではなかった。
命乞いをする哀れな中年の男であった。
「わ、わかった」
一斉に護衛官たちは拳銃を下に置く。
護衛官たちを部屋から追い出した後、ワルトハイムは東洋人の男に訊ねた。
「要件はなんだね」
「お前と話したい人物がいてな……」
東洋人がそういうと、それまで座っていた老人の一人が立ち上がった。
老人は黒い制服をつけて現われ、彼に対して挙手の礼をした。
それは軍隊式敬礼の無意識的な機械的な型とは違う、古代ローマの敬礼の型に由来したものだ。
ワルトハイムは、その容姿を見て、驚いた。
相応の
長年の習慣とは恐ろしいものである。
ワルトハイムは、男の前に立っていて、突撃隊式の礼をしていた。
ヘスの背後にいたマサキは、立て続けにポラロイドカメラのシャッターを切る。
ワルトハイムの忘れようとした過去を思い起こさせる写真が次々と出来上がった。
シャッター音で判断したのだろう。
ワルトハイムの顔色に、明らかに血の気が多くなった。
「抵抗しても無駄だ。
貴様の
マサキは、古めかしいラテン語の表現を使った。
ワルトハイムは、自分の自由が奪われたことを
マサキは勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ワルトハイムの傍に立った。
ワルトハイムは、マサキがどこまで過去を知っているか、気になった。
下手に質問すると余計なことまで露見しそうなので、しばし沈黙を保っていた。
その内、マサキが図々しく事務総長の椅子に座り、煙草を吹かしはじめたので、ようやく口を開き始めた。
「国連事務総長を、世界の首長か何かと勘違いしているようだがね。
もちろん実態はそんなものではない。
国連の最高意思は、ずっと変わらず、常任理事国にあり、実質指揮しているのはその下にある政治安全保障局だ」
マサキは鎧衣と共に、冷静にそのうごきを眺めていた。
ワルトハイムがいう。
「では、国連事務総長は?
その名前の通り、国連事務局の人形さ。
国際政治および安保理担当の歴代国連事務次長の決定に従う、ただの案山子に過ぎんのだよ」
国連では1944年以来、ある不文律が存在した。
最重要ポストとなる国際政治および安保理担当の歴代国連事務次長は、ソ連国籍を持つ人物とすることである。
このアルジャー・ヒスによって決められた秘密の規定は、1997年のキエラン・プレンダギャスト*18の就任まで堅持された。
以下は、1944年から1997年までの歴代国連事務次長の実名である。
アルカジ・ソボロフ*19 在任期間1944年-1949年。
コンスタンチン・ジンチェンコ*20在任期間1949年-1953年。
イリヤ・S・チェミチェフ*21在任期間1953年-1954年。
ドラゴスラフ・M・プロティッチ*22在任期間1954年-1957年
アナトリー・F・ドブルイニン*23 在任期間1958年-1959年
ゲオルギー・P・アルカデフ*24在任期間在任期間1960年-1962年
エフゲニー・D・キセリフ *25在任期間1962年-1963年4月17日
ウラジーミル・P・ススロフ*26在任期間1963年-1965年
アレクセイ・E・ネステレンコ*27在任期間1965年-1968年
レオニード・N・クタコフ*28 在任期間1968年-1973年
アルカジ・N・シェフチェンコ*29 在任期間1973年-1978年
ミハイル・D・シテンコ*30 在任期間1978年-1981年
ヴィャチェスラフ・A・ウスチノフ*31 在任期間1981年-1986年
ワシリー・S・サフロンチュク *32在任期間1987年-1992年
ウラジミール・F・ペトロフスキー *33在任期間1992年-1997年
キエラン・プレンダギャスト 在任期間1997年-
これに対し、マサキが立って、鋭い声を上げた。
「何だと!早く話せ」
手に持ったS&Wの29回転拳銃で、うながす。
「オルタネイティヴ計画の絵を描いたのは、政治安全保障局か」
ワルトハイムは、これを聞いて笑いを浮べる。
「私の任期中に知った機密の中でも、最も特異な代物だったと言えるね。
それを詳しくここで語ることはできないが、一部は公開資料にも書いてある通りだ」
それまで笑っていたワルトハイムは、勃然と面色を変じた。
ズボンの右ポケットにあるPPKピストルをつかみ、遊底を引き上げた。
「ここにスパイがいる」
「え」
ワルトハイムの行動は、一同の理解を超えるものだった。
後ろの方で立っていたワルトハイムの美人秘書が、思わず口走った。
「事務総長、何を仰るのですか!」
「情報を漏らしたものがいるのだ」
その言葉の終るか終らぬうち、突如として、引き金を落とす。
安全だと思われていた国連事務総長の傍にまで、スパイが……
諜報活動のイロハを知るココットにさえ、この事は衝撃だった。
マサキは、良いとも悪いともいわなかった。
ただ帰る折に、事務総長室のドアへ「
どういう考えだろう。
一緒に来た
しばらくすると、煙草のにおいがしてきた。
ココットがマサキの方を振り向く。
マサキは紫煙を燻らせながら、まもなく始めた。
「いや、大きな収穫があった。
敵は国連の内部事情に詳しく、事務局の中にスパイが潜んでいた。
そのことで、事務総長の身内の中にさえ、ソ連に通じている者が確認されたという事だ」
マサキは、考えた末、ある決心をして、マンハッタンの国連本部を後にするのだった。
ソ連の外交官。駐ガーナ大使を歴任
ご意見、ご感想お待ちしております。