冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
そこでヤウクが聞いた衝撃的な話とは……
月は、地球から約38万キロから40万キロほど先にある天体で、地球の周囲を一か月単位で公転する衛星だ。
大きさは直径約3,476kmで、直径約12,756kmの地球の四分の一である。
だが、地球と違い、大気がなく、大小無数のクレーターや海と呼ばれる無水の平野が広がる荒涼とした世界だ。
我々の世界では、1972年12月7日のアポロ17号を最後に月面への有人飛行による往還は実施されていない。
だが、木原マサキが転移した世界では違っていた。
戦後間もない1950年に、月面に人類を送り込んでおり、1960年の段階ですでに月面基地が整備されていた。
1967年からベトナム戦争と並行して行われた月面戦争では、ハーディマン*1と呼ばれる強化外骨格服が投入された。
これは、1968年からジェネラル・エレクトリック社で研究がされていた油圧式のマニピュレータを応用したもので、1970年に完成したばかりの物を軍事用に転用したものである。
これらの装備は、作家でもあった、海軍技術大尉のロバート・A・ハインライン*2の小説「宇宙の戦士」*3の
初期のハーディマンは、ハインラインが思い描いた、重装甲・重武装と倍力機能を持った軍用強化防護服とは違い、腹部に装甲がなく、人体がむき出しだった。
重火器を振り回すマニピュレータと月面を走破するキャタピラーを装備した大型の背嚢を背負う形で、宇宙服の上から着こみ、歩兵では持てない20ミリ以上の無反動砲を持って戦う装備だった。
ハーディマン自体は120キロだが、地球の表面重力の約6分の1*4の月面では、20キロの重さになったのでなんとか着用することが出来た。
だが地球上では、そのままの状態では使えないため、大型化し、乗員が乗り込み操作する形へと変更されることとなった。
これが現在、この異世界で使われている戦術機と呼ばれる大型ロボットの起源である。
1979年10月15日18時45分*5、宇宙船を搭載したタイタン3ロケット15機が、ケープカナベラル空軍基地*6から月に向かって発射された。
打ち上げ発射から10分後に第一段を切り離し、50分後には地球周回軌道に投入された。
地球から月まで最速で行っても4日間。
月面での活動を考慮すると、往復で8日以上。
これらは戦術機や武器を積んでいない場合である。
その為、作戦に置いて、月衛星軌道上にある宇宙基地が利用されることとなった。
宇宙基地は、ソ連のサリュート11があるが、その他に米国企業が出資して作ったブル―・ポート、アルジェリア戦争時にフランス政府が建設した
ヤウクたち一行は、米政府が管理するブル―ポートに入港した。
宇宙基地の大きさは、1000メートル×700メートルで、地球上の大きさだと約70ヘクタール。
千葉県浦安市にある、某テーマパークより少し広いぐらいの大きさだ。
そこには、戦術機の保管整備をする大型格納庫と広大な人工農場がある。
1973年4月30日の米軍撤退以降、ほぼ無人状態だった。
だが79年6月のソ連の威力偵察を受けて、急遽人員と物資を運び込んで、3か月で最前線基地へと変貌していた。
7日間の旅を続けてきた戦術機部隊の衛士たちは、宇宙基地に着くと、球速もそこそこに最終調整を行っていた。
4万発の弾丸、12発の核砲弾、近接用短剣、使用するF‐5戦術機フリーダムファイター等々。
ヤウク中尉は、地上と同じ気圧に与圧された格納庫にいた。
強化装備の上から着るA8L PGAのサイズ合わせをしていると、見覚えのある男が声をかけて来た。
戦術機部隊の指揮官を務めるジェームズ・マクディビット*7米国空軍准将だ。
彼は朝鮮戦争で勲章を授与された経験の持ち主で、ノースアメリカンX-15のテストパイロットでもあった。
後に宇宙飛行士となり、月面戦争の際は撤退の2時間前まで交戦していた。
撤退間際まで戦っていたことで議会と対立し、一度は退役に追い込まれたのだが、本作戦の実施を受け、呼び戻された軍人の一人でもあった。
「やはり君はドイツ人というより、ロシア人なのだな。
ユーリの後ろ姿にそっくりだ」
ユーリとは、すでに物故したユーリ・ガガーリン大佐の事だ。
1965年のパリ航空ショーで、マクディビットはガガーリンと会ったことを感慨深く語った。
ヤウクは、最初ロシア人という言葉にいささか不快感を覚えたが、5分もたたないうちに老将のかたる昔話のとりこになっていた。
朝鮮戦争での145回の出撃、テストパイロット時代、宇宙遊泳の話などである。
だが、一番聞きたかった月面での戦争には、一言も触れなかった。
一応、月面司令官キャンベル大将の公式遺言である「月は地獄だ」という言葉は知っている。
帰国したキャンベル大将は、米下院の公聴会で撤退を非難された後、妻と共に自動車で入水自殺した話も、ソ連に行った時、図書館で調べたのを覚えている。
情報統制されていた東独でも、1973年の末の時点で、月面派遣軍が核地雷を設置して撤退した話が広く知れ渡っていた。
それでも、一見は百聞に勝るという事で、マクディビット准将の口から話を聞きたかったのだ。
「閣下」
ヤウクは、思い切って老将に訊ねてみた。
「キャンベル大将はなぜ自決されたのですか」
マクディビット准将の口から、体格に見合った大きなため息が漏れる。
「奴は、戦えないで死にそうな目に遭った。
戦って死にそうな目に遭ったのなら、納得ができるが、そうではない」
その一言だけで、ヤウクは気まずそうな表情を浮かべる。
いま二人の脳裏に浮かんでいるのは、戦うことにこだわっていたキャンベル大将の公聴会での姿だ。
「正直、私にもわからん。
なぜ彼がそこまでこだわったのか」
戦術機部隊の隊長として部下の意識調査まで余念のないマクディビット准将ではあるが、かつての上司についてはその気持ちはつかみかねていた。
「まあ、一つ二つ思い当たることがないでもないがな……」
准将は、そういうと、ヤウクにコーヒーをすすめた。
粗末なパウチに入ったインスタントであるが、その温かさは、ひと口ごとに無重力の孤独をやわらげる。
「薬物や催眠術に頼る方法もある。
だがそれでは戦うための奴隷だ。ソ連が送った囚人兵と何ら変わらん」
ヤウクは、その言葉にハッとさせられた。
長くウクライナの戦場で戦ってきた彼は、薬漬けのソ連兵の姿を見てきた。
廃人同様となりながら、コカインやアンフェタミンを常用し、最後には死んでいく。
自分の弟と年端も変わらない少年兵の姿を見た時の絶望感は、今も脳裏に焼き付いている。
「自分の意志で戦場に立つパイロットと何もかもが違う。
貴重な人的資源、装備を思えば、彼の更迭はやむを得なかったのだろう」
「それは確かに……」
何か遠い目をしていた准将は、取ってつけた様に呟いた。
「ソ連のESP計画が何故始まったか、噂ぐらいに聞いているだろう」
ソ連のESP。
1968年に始まった国連肝いりのオルタネイティヴ3計画の事だ。
同年に実施されたオルタネイティヴ2計画で発見された代謝低下酵素の応用実験の一つである。
「公然の秘密とするのも野暮な話ではあるが、それはそれでいい。
一軍人がとやかく言うたぐいではないからな」
ヤウクは、老将の瞳を凝視した。
そこには深い悲しみの色が湛えられている。
「実は、ソ連への資金提供以外にも公になっていない話がある。
しかも、上層部の肝いりと来ている」
「どういうことですか、閣下」
「画を描いたのは、英国のタヴィストック人間関係研究所さ」
その話を聞いた瞬間、ヤウクはある噂を聞いたことを思い出した。
英国にあるタヴィストック人間関係研究所は、人間を「操作する」行動主義科学の先駆的研究も行う機関。
第一次大戦中にドイツ軍の蛮行を捏造し、流布させる謀略を行っていたと。
「チャタムハウスにおわす司祭共は、中々の癖者どものようでな……
外交問題評議会と組んで、どうやら国連経由で、ソ連にご神託を送ったそうだ」
「ご神託……
それはESP計画の原案ですか……」
老将は、顔の前に手を掲げる。
「おっと、そこまでだ。
当時のソ連の連中は、国土の3割以上の陥失という段階まで来ていたからな……
藁にも縋るものだったのだろうよ」
まるで霊験あらたかな経典を読み上げる僧侶の様な表情になったマクディビット准将を前に、ヤウク中尉は襟を正した。
だが、次に飛び出した言葉は、彼の意表を突くものだった。
「神も仏もないと思ってたところに、本当の奇跡が起こったらどうする。
2年前、中共に現れたゼオライマーは、今や我らの救い主じゃないか。
地獄で仏に会ったようとは、この事を云うのかもしれん。
大真面目にな」
他の人間が聞いたら、呆れるよりも理解不能だったろう。
だがヤウク中尉には、それは共感できるものだった。
1978年3月のベルリンに、天のゼオライマーが来ねば、シュトラハヴィッツ少将を擁する改革派の運命は違っていただろう。
ハンガリアやチェコスロバキアの改革の様に、KGBに弾圧され、今頃は刑場の露として消えていたかもしれないからだ。
ああ、木原マサキ。
彼は今どうしているのだろう。
ヤウクは、宇宙港の展望室から臨む地球を見ながら、そう思うのであった。
全世界がケープカナベラルでのロケット発射に注目している頃、ウラジオストクでは動きがあった。
旧チューリン百貨店の建物に設置されている国防省本部では、大臣の指名した少人数による密議が行われていた。
目的は、ソ連宇宙艦隊の再度の月面派遣である。
この諮問会議のメンバーは、ヤゾフ元帥、新任のアフロメーエフ赤軍参謀総長、GRUを統括するイワシュチン副参謀長兼GRU総局長、トルプコ副大臣兼戦略ロケット軍総司令官だ。
ヤゾフ元帥は、初の諮問会議で、前任者であるウスチノフ元帥の政策および軍事的姿勢を継承することを宣言した。
かつての大祖国戦争時のような大動員は出来なくとも、月面攻略戦の如何によって、米国との対等な軍事バランスを築くことが目的であると説明した。
ヤゾフの言葉に耳を傾けていた彼らを驚かせたのは、G元素への言及である。
それというのも、BETA戦争開戦以来、ソ連の国家方針としてハイヴはおろか、BETAに由来する物は完全に消滅させるのが決まっていたからだ。
ソ連政府の公式声明では、国連及びそれに類する機関への研究協力は惜しまないと発表していたが、実態は違っていた。
ノボシビルスク市にあった細胞・遺伝学研究所の爆発事故以降、国連と共に推し進めたオルタネイティブ3計画は深刻な影響を受けた。
1958年から同研究所で行われていたキツネの家畜化実験の記録はおろか、西側から秘密裏に来ていた学者は全員が死亡し、研究そのものが破棄される結末を迎えた。
3年に及ぶ秘密交渉で、なんとか賠償は回避できたものの、西側の援助者たちは自分たちに有利な条件で交渉を押し付けようとしてくる。
国際情勢に敏いインテリ層ならば、ソ連のBETA研究は行き詰まりを迎えている事は、周知の事実だ。
秘密裏に集められた諮問会議に課された使命は、ゼオライマーとあからさまに対立せずに月面を攻略する戦略の策定だ。
アフロメーエフ参謀総長が口を開いた。
「まず、米国の動きですが」
参謀総長は、月面地図の張られた白板の前にまで来ると、指示棒で静かの海を指した。
「静かの海に大部隊を空挺降下させた後、ハイヴに戦術機部隊を投入するであろうと予測されます」
そして、指示棒を隣に貼ってある月面の裏側の地図に当て直した。
「そこでわが軍は、今回の作戦において、バビロフ・クレーターに核飽和攻撃を実施し、速やかに部隊を派遣することとしました」
ソ連は、1959年の無人探査機「ルナ3号」により、世界で初めて月の裏側を撮影・観測していた。
ただ月の面と違い、裏側は40万キロ離れているので電波障害が発生しやすかった。
その為、セルゲイ・コロリョフの肝いりで、黒海艦隊の通信を止めさせ、米国よりも早く貴重なデータを得たのだ。
「問題は」
ヤゾフが口を開く。
「そこまで届くロケットがあるかという事だ」
この場合のロケットは、宇宙ロケットではない。
核ミサイルのことである。
トルプコ副大臣兼戦略ロケット軍総司令官が、力強く答えた。
「同志大臣、R-36の新型は既に実用段階にあります。
20メガトン級の小型核を10発ほど内蔵した、多弾頭式であります」
R-36M2は、全長34.6メートル、直径3メートルの超大型ミサイルだ。
最大射程は16000キロメートル、最大当社は8800キログラム。
単に巨大なだけではなく、能力も以前のR-36とは格段の向上を経ている。
発射指令から、発射までの時間短縮。
レーダーに検知されやすく、攻撃に脆弱な、ブーストフェイズの時間短縮。
分断式を改良し、弾頭の命中精度を高めたなどである。
史実での実戦配備は、1988年からである。
だが、この異世界ではすでに1977年の段階でほぼ完成しており、実戦配備は1980年を予定していた。
トルプコ副大臣は、熱弁を続ける。
「日本野郎に頼らなくても、ハイヴの撃滅は、現在のソ連の科学力を持ってして十分可能なことです」
イワシュチン副参謀長は、椅子から立ち上がって、付け加えた。
「米国にいる
新型のG弾兵器が、すでに実戦配備状態であることを確認したと!」
ヤゾフ元帥がまとめた。
「諸君!
我々はBETAを総力を挙げて抹殺するとともに、月面を奪回せねばならん。
もともと、我々のものだったのだからな!」
その頃、党政治局を中心とし、閣僚会議、最高会議幹部会、ソ連の最高権力は、異様な恐慌に
幹部会では、今日もその事について大会議が開かれていた。
幹部会の評議はなかなか一決しない。
ところへ、トルプコ副大臣が
時局の急を察し、一大献策のために参ったと彼はいう。
ゴルバチョフは招いて、すぐ訊ねた。
「では同志トルプコ。いかなる策があるというのですか」
「さればです。いまこそわが軍は月面の天与を利し、G元素をとって、次の侵略に備えておかねばなりません。
強馬精兵を内に
トルプコは難航しているアフリカでの作戦上にも、なお固く必勝の信念を抱いているらしく陳じた。
トルプコの発言は、会議の方針を導くに充分な力があった。
なぜならば、彼の任地であった極東は、ソ連、中共、日本という三国の利害が交叉している重要な地域だ。
彼はその現地防衛司令の重任にあったのみならず、智慮才謀にかけても、
「大策の決った上は、現地のことはすべて戦略ロケット軍にまかせます。
ゴルバチョフは少し間をおいてから、いった。
すなわち、この間に対米問題も、アフリカでの時局方針も一決した。
ヤゾフは、議長の決定を補足する。
「機は熟した。
GRUと協力して、月面ハイヴを攻め取れ。
直ちに出撃せよ!」
後陣の副将として、現政権の派閥であるドニエプロペトロフスク出身者から、チェルナヴィン提督を特に添えてやった。
三万の精兵は、一夜のうちに、80余りのシャトルやロケットに乗りこんだ。
参軍の諸将には、マルゲロフ空挺軍司令、ボブロフ第4航空隊指令など名だたる猛者のみ選ばれた。
そのうち10機ほどは、半日ほど先に月に向かって出発して行った。
ご意見、ご感想お待ちしております。