冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 月に攻撃隊を送った米国では、様々な組織が暗躍していた。
彼らの狙いとは……


赤(あか)い衝撃(しょうげき) 後編

 

米国・ワシントンD.C.*1

米国東部時間・1979年10月14日 18時00分

 ワシントン近郊の某ホテルでは。

米ソの実務者たちが、密議を凝らしていた。

「何、停戦協定だと」

 政務担当国務次官デイヴィッド・D・ニューサム*2は驚きの声をあげた。

多忙である外相のヤコフ・マリクに代わって、外務次官のニコライ・ロジオノフが訪米していた。

「ソ連としては、これ以上の被害は望まん。

米国の外交的姿勢も、同じであろう」

 ニューサムの傍に持していたジョセフ・ナイ*3は、内心訝しがっていた。

 何をいまさら。

散々仕掛けてきたのは、ソ連、貴様たちではないか。

 ナイの懸念を余所に、ロジオノフが答える。

「これまでの事は、水に流そう。

できれば、穏便に済ませたい」

 ニューサムは、怪訝な顔色で返した。

「平和的解決が出来れば、それに越したことはない。

しかし、口約束だけでは、信用できん。

具体的な案を、示してほしい」

 ロジオノフが差し出したのは、英文および露文の並記で書かれた外交文書だった。

題名は、平和協定とある。

 ニューサムは、目を皿にして読み込んだ。

 

「貴様、神経に針を刺すような真似をしおって」

 ロジオノフはマルボーロを取り出すと、口に咥える。

「それが、最善の打開策だろう」

 ロジオノフは言葉を切ると、タバコに火を点けた。

側にいた高官*4の一人であるナイが、ニューサムの投げ捨てた文書を拾う。

「な、何ぃ、これは!」

 それは、月面攻略隊の即時撤退と英仏西独の合同部隊の解散要求であった。

「こんな一方的な協定があるか!」

「誰も傷つかずに、平和的に解決する。

何も起きないうちに、大統領閣下の署名捺印(なついん)をお願いされたい」

 


 

米国・カリフォルニア州・ローレンス・リバモア研究所

米国太平洋時間・1979年10月15日 8時00分

 

 今はニューヨークにいる、涼宮(すずみや)総一郎(そういちろう)。

彼が、ロンドンのマサキから連絡を貰ったのは、ロスアンゼルスへ3日間の小旅行に出かける前夜の事だった。

 リバモア研究所は涼宮の予定になかった場所だが、日本領事館の手配で訪問の機会を得たのだ。

 マサキは、リバモアに行ってエドワード・テラー博士との接見とそこで行われている計画を確かめてくるように指示を出したのである。

その時、マサキは涼宮にこう告げた。

「それは、他の誰かに期待できることではない。

貴様以上の事は、誰にもできない」 

 重要な指示を矢継ぎ早に告げた後、マサキはロンドン時間の16日0時までに報告を教えてほしいと言って電話を切った。

 ロスアンゼルス空港を早朝に出れば、午前9時にはオークランド空港につく。

そこからレンタカーを借りても、一時間弱でリバモアにつくはずだ。

 

「カリフォルニアは、庭も同然です」

 そう豪語するだけあって、警察から出向している書記官は、道に精通していた。

黄金色の乾いた丘陵地帯を切り裂くように、ハイウェイが延々とつづく。

 車はI-580号線を降りてリバモアの一般道に入り、乾燥した風が吹き抜ける平坦な道をしばらく走った。

やがて視界の端に、厳重な有刺鉄線のフェンスと、物々しい警備のゲートを備えたローレンス・リバモア研究所の敷地が現れた。

 

 玄関で待っていたロジャー・バッツェル *5所長が、車から降りた涼宮を見て、声をかける。

「ところで、こちらの学生さんが、例の……

驚きました。

予想より若くて、たくましい方で」

 涼宮たち一行を施設に案内する中、CIA職員が双眼鏡をもって施設の建物から覗いていた。

その様子を一瞥した後、リバモアの警備担当者へ冷ややかに指示を出した。

「まさか、あんな小僧っ子を送って来るとはな。

あの小僧の写真を、撮っておけ」

 

 

 一方、リバモア研究所の奥では。

数名の男たちが、密議を凝らしていた。

 参加者は、国防総省、CIA、リバモア研究所のスタッフたちだった。

 ロバート・コウマー*6は、満足そうに答えた。

彼は、第二次大戦の従軍以後、CIA、ベトナム戦争での民生安定策の指揮、外交官を経て、国防総省に戻ったばかりの人物だ。

近く新設される、政策担当国防次官への就任が予定*7されていた。

「レーザー衛星は、見せていただいたよ。

非常に感動した。

準備は、遅延なく進んでいるようだな」

 リバモア研究所の所長名誉顧問を務めるエドワード・テラーが答えた。

「ええ、勿論(もちろん)ですよ。

私の計画は、秘密に包まれていますから」

 テラーがそういう横顔を、カールッチCIA副長官は強い瞳で見つめていた。

「だがその点で、テラー博士。

苦言(くげん)を呈(てい)さねばならないでしょう」

 カールッチは、強(し)いて一笑に附しながら、テラーの注意を他人事(ひとごと)のように答える。

「表に来た、東洋人の男についての報告があります。

驚くべきことに、彼らは日本領事館の職員とその関係者」

 カールッチは、報告を聞くと、ぞくと身の毛をよだてて、疑念を強く抱いた。

「つまり内閣調査室こと、日本のインテリジェンス機関の連中ですよ」

 カールッチは、日本政府を必要以上に恐れていた。

ラングレー*8から、正式な報告が上がってくるより先に、彼はそう判断していた。

 ロバート・コウマーが、驚きの色を表す。

「それは、事もあろうに日本の内調が!」

 カールッチは、元CIA職員の男に向かって顔を向けた。

「残念ながら、博士の周辺に裏切り者がいるという事ですな」

 それをテラーは聞きながしながら、答えた。

「まあまあ。

日本の学者連中が、日本政府の水爆保有を検討しているという。

リバモア研究所に興味を持つことも、不思議はあるまい」

 

「それよりもだ。

CIA長官が、不在な内に話したいが。

彼が、木原に協力的というのは本当か」

 ふたたび、コウマーはそういって、問わせてみた。

カールッチの伝えて来た返辞は、看過できない物であった。

「事実だ。

奴は、我々の作戦を両てんびんにかけているんだろうな」

 空軍システム軍団(AFSC)司令官のアルトン・デイビス・スレイ・シニア*9大将が、答えた。

「ゼオライマーに頼るようでは、我が米軍の士気は、しりすぼみになってしまうだろうよ」

 コウマーが、腕を組んで意見を述べる。

「奴がソ連を撹乱しなければ、共産圏の分断は不可能だ」

 しかしコウマーは、自身がいおうとすることを、決して途中で言い濁すようなことはなかった。

そうしたスレイ大将のひとみや気色を覚(さと)りながらも、なお話をつづけて、切言した。

「無駄なら、我らでやるだけさ」

 カールッチは思った。

なんて身勝手な連中であるかと。

 テラーはこれを機に、コウマーやスレイ大将を顧みて、話を先に促(うなが)した。

「いずれ、G元素を手に入れるのですから」

「それも、戦わずしてか」

「そうです」

 コウマーは、それ以上、ふかく訊ねなかった。

何事にも腹蔵なく話す学者が口に出したくないことなら、触れないのが道であると考えたからである。

 テラーは口をつぐむと、また壁にかかる世界地図を飽かずに眺めていた。

 

 マサキからの指示を受けた、涼宮(すずみや)は、リバモアまでニューヨークから出向いて、ひそかにテラーと会見していた。

 時も時である。

この留学生と、テラーとの会合に、周囲も耳をそばだて、警戒しあった。

 テラーと涼宮の会見は、どういう内容かは、いわゆる秘中の秘とされた。

だが、実際は、まるで大人が子どもをあやすようなものだった。

 ともあれ涼宮は、満悦(まんえつ)してへ帰路についた。

テラーは涼宮を送り出した後、所員とバッツェルを集めた。 

 

「木原マサキ。

異次元を通じて、全宇宙のエネルギーを集める次元連結システムを実用化した男。

何と素晴らしい奴。

初めて乗った戦術機も、自由に扱った」  

 テラーは脇に立つ研究所員やバッツェルを振り返る。

「こんな部下が、私にもほしいものだ」

 研究員の誰かが言った。

「我々がいるではありませんか」  

 テラーは冷たく返す。

「ならば、核電源を小型化してみよ」  

 所員たちはテラーの視線から目を背けた。

「それにゼオライマーにも、興味がある」  

 テラーは、自分の机に向かった。

 少し間をおいて、バッツェルは尋ねた。

「しかし、どこにいるかわからない者を、どうやって」

 テラーは、椅子に腰かけながら応じる。

「奴は、独自に50メートルのロボットに搭載可能な小型の核ミサイルを完成させた。

どうやら、核エネルギーに並々(なみなみ)ならぬ関心を持っているようだ」  

 テラーは、不敵に笑った。

「フフフ、見ているが良い。

必ずやつを引っ張り出して、捕らえて見せる。」

 

米国・ニューメキシコ州・ロスアラモス研究所

米国山岳部時間・1979年10月15日 18時00分

 

 ロスアラモスでは。

月面攻略作戦の最終段階の打ち合わせとして、国防総省のハロルド・ブラウン国防長官が訪問している最中だった。

「ブラウン長官」

 ハロルド・ブラウンは、ウイリアム・グレイ博士に声をかけた。

グレイは、ロスアラモスの特別研究顧問である。

「何度見ても、不思議な部屋だ」

「そうですか。

私には、居心地のいい部屋ですよ。

部屋を好き勝手に作らせていただいたことには、感謝しています」

「君も変わったやつだな」

「何か相談事ですか。月面攻略作戦が動き出すのは1日以上先ですが」

「その事だが、グレイ博士。

航空戦略要塞の進退を左右する爆弾が舞い込んできたが、責任者としての意見を聞きたい」

 グレイ博士は書類を整理しながら、淡々と答える。

「まあいいんじゃないですか。

リバモアとの作戦連携を考えても」

 グレイ博士は、ハロルド・ブラウンの方に初めて顔を向けた。

「いや組まなければなりません。

もし断れば日本に行くでしょう。

そうなればロスアラモスは、後手を踏む可能性があります」   

 ブラウンはかつて核軍縮に携わった経験から、グレイ博士の言を重く受け止めた。

「日本に伝わるより先にロスアラモスに相談に参られたのが幸いです」  

 ブラウンは重い口を開いた。

「そうか」

「リバモアの絵図が読めますが、一つ景品を付けましょう」

 ブラウンはグレイの意図がよめなかった。

「景品」

 間もなく米空軍将校の制服を着た男が、グレイ博士の部屋に入ってきた。

「はい。お呼びでしょうか、グレイ博士」

「マンテル君、リバモアへ潜入して来てください。

リバモアは、まだ統制が取れていませんから。

一人ぐらい、飛び込んでも怪しまれない」

 ブラウンは、動揺の色をにじませた。

「リバモアの動きを監視させようというのか。

グレイ博士よ。

彼は共同研究の副責任者だ。

戦力低下は免れない」

「彼をおいて大任を任せられる人物はいません」

 グレイは、氷のように冷たく命じた。

「いいですか、リバモアが裏切り行為を見せた時。

あなたが、テラーとバッツェルを排除しなさい!」

「分かりました」  

 グレイは不敵の笑みを浮かべた。  

 戦略航空機動要塞機長、ゴードン・マンテル大尉*10。

 このグレイが舵なら、マンテルは舳(みよし)。  

舳が波を切り、船を前進させる。

舳のいる組織に迷いはなく、戦いは有利に進められる。

 

 

 22時の、ロスアラモス研究所。

 KGB工作員のヴァルガ夫妻は、研究所内の資料をコピーしていた。

密かに持ち出して、KGBに引き渡すためである。

 その時、重々しい大勢の足音が、はっきり聞こえ出した。

その足音は初めはかすかで、次にはっきりとなり、やがて止まりもせずとだえもせず、静かに、徐々に近づいてきた。

 聞こえるものは、ただそれだけだった。

あたかも銅像が歩いてくるような沈黙と響きとだけだった。

 しかしその石のような足音には、一つの部隊だとも思われた。

 その足音はしだいに近づいていき、ますます近寄り、それから立ち止まった。

数人の息が聞こえるようだった。

けれども何も見えず、ただ、その奥に、暗闇の中に、細い針のような金属の光がいくつも浮かんでいる。

 黒覆面に、黒装束姿の男たちが、夫妻の目の前に現れる。

 なお少しの猶予があった。

両方とも待ってるようだった。

「流石は、GRUの特殊作戦隊(スペツナズ)か」

 名状し難い一種の燐光が、ヴァルガ夫妻の目に入る。

それは蛍光灯の遠い反映で輝く、銃剣や銃身であった。

「おっと、そう身構えんでいい」

 ヴァルガ夫妻は、着ている白衣を持ち上げて、万歳の姿勢をとった。

何も武器を持たず、敵意もないという意思表明だった。

「我々は、GRUと事を構える気は無いし、実働部隊との軋轢を作る気もない。

君たちに、どうこうなど……」

 GRU大尉は、思わず口走った。

それと同時に、銃をおろす音が聞こえた。

「疲れた、全く」

 KGB工作員の男は、返した。

「まあ、今は仕事中でな。 

我々の官姓名は、勘弁してくれ。 

それよりも気になるかね?」

 GRUスペツナズの隊長は、ヴァルガの問いを心外に思った。

「いえ、なりません。 

小官の任務とは、関わりが有りませんので」

「結構。大変に結構」

 白ロシア人の男が、答えた。

男は射撃の正確さと語学力から、GRUに選抜された人物であった。

「ところで、研究所の先生さんよ。

車を貸してくれねえか」

 白ロシア人の左隣に立つ、別なGRUの将校はPM拳銃を仕舞った。

「それから、911番してくれ。

コンピューターがバラバラにされたってよ。

ただし、俺たちが脱出して30分後だ」

 その刹那、殷々と警報音が鳴り響いた。

ヴァルガは車の鍵を取り出すと、将校たちへ放った。

「これ以上、何も、してやれんが」

 鍵を受け取った隊長は、すぐ駈け去った。

部下は、みな追いかける程だった。

 ヴァルガは、GRUの姿が消えてから夫人に問いかけた。

「GRUの奴らめ、騒ぎを起こすとは……」

 夫人は、夫のヴァルガの話を聞きながら、彼に退避をうながした。

「そんな事より、脱出しましょう。貴方」

 KGB工作員のヴァルガ夫妻は、GRUスペツナズと別方向に向かった。

途中で警備員たちに会うと、逆方向を探すように命令する。

「右だ、右方向に逃げていった」

 

「至近距離にいるぞ。気を付けろ」

 監視員の叫び声に、隊舎の警備員はどやどやと出てきた。

そして一発の銃声を聞くと、やたらに銃を発射した。

 その盲目(めくら)滅法(めっぽう)な射撃は、およそ数分も続いた。

そして、近くの建物の窓ガラスを、数枚打ち破った。 

「探知された。退避計画は」

 隊長は、しばらく息を休めた後に、激しい銃火の音がしてる方へ振り向く。

「最初のゲートへ逃げる」 

 その時、フォード・ブロンコ*11が突っ込んできた。

「早く乗れ、武装した車両が数台、こっちに向かっている!」 

 運転席から、バルト・ドイツ人の男が叫んだ。

男たちは、急いで車に乗り込む。

そして、車は猛スピードで発進した。

「一人でも逮捕されたら、お前を殺すからな」

 隊員のウクライナ人は、隊長に声をかけた。

隊長は、ウクライナ人の男に返した。  

「そいつは勘弁してくれよ。

予定より1時間早く撤退できたんだから」

「監視カメラを16台も壊したんだ。

アメリカ警察を舐めると、痛い目にあうぞ」

 ハンドルを握るバルト・ドイツ人が、叫んだ。

男は元々西ドイツ担当であったが、今回の任務で呼び出された一人だった。

 彼らは万が一に備え、駐車場にある車に発煙筒を仕掛けて来た。

このおかげで、警備陣は爆発物処理の対応をとらざるを得なかった。

 ロスアラモス市内に着くや、隊長は後部座席を振向いた。

余煙を遠望して、勃然とうごかした感情はもう顔のどこにもない。

「しかし、基地を襲っていたら、まさかKGBに助けられるとは。

こいつは、驚(おどろ)き桃(もも)の木(き)山椒(さんしょう)の木(き)*12よ」

 

 翌16日の朝8時。

 ロスアラモス警察署では、事件を受けて、記者会見が開かれていた。

警察署長が、テレビカメラマンや新聞記者に答える。

「所内の被害は、大したことはありません」

 一斉に、カメラのフラッシュが焚かれる。

まず、ニューヨークタイムズの記者が、尋ねた。

「研究所を襲った犯人は、どこにおるのですか。

僅かな手勢で乗り込んで、エネルギー省(DOE)*13の警護部隊*14と対決したわけですからね」 

 脇に立つ強面の警察官たちは、身じろぎもしない。

 署長は、ハンカチで顔を拭きながら答えた。

「それは、勘弁してください。

もし犯人たちに、背後関係があった場合、報復を受ける恐れがありますし」

 続いて、NBCのリポーターが、マイクを片手に質問する。

「戦術機を飛ばしたのは、エネルギー省の考えなんですかね」

 署長は、顎に手を当てながら、応じる。

「ワシントンの意向とだけ、申しておきます」

 

 

ソ連・ロシアSFSR*15・沿海地方・ウラジオストック

ウラジオストック時間・1979年10月17日 8時00分

 

 場面は変わって、ソ連政治局。

ソ連時間、午前8時の定例会議の冒頭、外相のマリクが言った。

「白昼のニューヨーク空港から、4人の工作員が脱出。

ソフィア行きに乗るのを目撃したのは、数百人だぞ」

 ロスアラモス研究所に暮夜密かに侵入した4名の工作隊。

彼らは、ロスアラモス郡空港から、小型機でアルバカーキ国際空港へ飛んだ。

そして、アルバカーキからジョン・F・ケネディ国際空港に着くと、ブルガリア政府発行の外交旅券で堂々と出国したのであった。

「表向きは外交旅券の紛失で収めたが、私がどれだけ米国務省に頭を下げたと思う」

 マリクはヴァンス国務長官に電話会談で、外交旅券の紛失による外務省職員の対応と答えた。

すかさず、内相のニコライ・シチョーロコフが詰問する。

「GRUは事件の全容を明らかにし、釈明すべきだ」

 GRU局長のイシュワチンは、シチョーロコフに反論する。

「お言葉だが、我々は国防省の一部局で他省庁に説明義務を負っているわけではない。

貴方がたも、時の政治局にすべてを報告してきたわけではあるまい」

 シチョーロコフは、難しい顔をした。

 ふと覆い得ない憂色が、彼の眉をかすめていた。

彼が面(おもて)を冒して、今のような咎(とが)めだてをしたのは、理由があった。

 ただに軍律ばかりでなく、日頃からイシュワチンの態度に対して、ひそかに反省を求めたいものがあったのである。

 それはイシュワチンが何かにつけて、ウスチノフやヤゾフの寵(ちょう)に驕(おご)っている風があることだった。

赤軍の主脳部に私情が濃くうごいているのを見ると、シチョーロコフは、この堅陣も心もとない気がしてならない。

「むう」

 イシュワチンは、それまで吸っていた紙巻煙草のケントを消すと立ち上がった。

「だが、これから話すことは信頼してもらわねばならない。

ブルガリア政府旅券の不正使用では済まなくなるのだ」

 イシュワチンは、激しい勢いでこれまでの米国軍事産業の状況を説いた。

「レイセオンとビーチクラフト*16の合併*17は、米国の兵器産業の再編が目的の様だ。

ロケット兵器を大量生産して、極東や東欧に配備する謀略がある。

この一件で問題なのは、米政府内にそれを支援するグループが存在するという事だ」

 

 ゴルバチョフはすぐ返答に及ぼうと思ったが、マリク、チェブリコフ、ヘイダル・アリエフなどの幹部たちの言を容れた。

 ――しばらく待て。

 イシュワチンに返しておいてから、すぐ使番を走らせて、ウラジオ要塞にあるヤゾフに意見を訊きにやった。

 チェブリコフは感心半ば、諦め半ばで答える。

「驚いたな。事実とすればKGBとしても無視することはできない。

ただし内容を精査してからだがね」

 イシュワチンは、チェブリコフKGB長官に返した。

「我々は今後も事実の解明を進めていく」

 マリクは、イシュワチンを窘めた。

マリク自身も、スターリン時代末期にスパイ機関の長として経験のある人物だったためである。

「だが君たちの活動は、完全な闇の中で行われてこそ是認(ぜにん)されるものだ。

それが露見されては困る」

 ゴルバチョフは、マリクの言に重ねるように答えた。

「今回のような事が続けば、GRUの組織の見直しを検討せざるを得ない」

 あさましいお人ではある。

イシュワチンは、心のうちでゴルバチョフを蔑んだ。

一瞬は、唾棄してやりたいような憤りすら覚えた。

「承っておきましょう」

*1:
D.C.とは、コロンビア特別区(District of Columbia)の頭文字で、通常の州とは違う行政区分を表す。ワシントンでも問題はないが、ワシントン州との混同を避けるために本作では、ワシントンD.C.の地名表記を使うことにした

*2:
David Dunlop Newsom.(1918年1月6日 - 2008年3月30日)米国の外交官

*3:
Joseph Samuel Nye Jr.(1937年1月19日 - 2025年5月6日)米国の外交官、国際政治学者。著書多数。有名な著書に"Soft Power: The Means to Success in World Politics,"(邦題:『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』(山岡洋一訳、日本経済新聞社, 2004年))

*4:
正確には、安全保障援助・科学・技術担当国務次官補。副次官級のポスト

*5:
Roger Elwood Batzel.(1921年12月1日 - 2000年7月29日)米国の核科学者。1971年から1988年までの16年間、ローレンス・リバモア国立研究所の所長を務めた

*6:
Robert William Komer.(1922年2月23日 - 2000年4月9日)米国の官僚、諜報員

*7:
史実でも、カーター大統領が1979年9月27日にコウマーを国防政策担当次官に指名し、実際の就任は10月24日だった

*8:
CIA本部

*9:
Alton Davis Slay, Sr.(1924年11月11日 – 2015年11月16日)米国の軍人。1944年以来、戦闘機パイロットとして第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍。1978年3月に空軍システム軍団の司令官に就任。同年4月に大将。1981年退役。

*10:
マブラヴの原作キャラクター。初出は2023年発行の公式同人誌『MUV-LUV REGENERATIVE Vol.03』

*11:
Ford Bronco。米国のフォード・モーターが製造する4WDおよびSUV。1965年から1996年まで4WDとして販売された後、販売を休止し、2021年からSUVとして復活した

*12:
「驚き」の「き」に「木」をかけた語呂ごろ合わせ。たいそう驚いたことを意味する言葉

*13:
Department of Energy.1977年8月4日設置。

*14:
Protective Force。1950年設置。米国エネルギー省の法執行機関。米国8か所の核関連施設に常駐し、ロスアラモスの他に、ローレンス・リバモア研究所に常駐する

*15:
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国。英文表記:Russian Soviet Federative Socialist Republic 正式名称:Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика. 1917年から1991年まで存在した社会主義国。1922年に成立したソ連の中核国家であった

*16:
Beechcraft.ウォルター・H・ビーチが、妻のオリーブ・アン・ビーチとともに1932年4月に設立した会社。単発機や双発機の他に、ミサイルや標的も製作した。代表作としてはT-6テキサンⅡがある

*17:
史実でも、ビーチクラフトは、1980年2月8日にレイセオンの完全子会社化した




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