冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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隔靴掻痒

 

英国・サリー州

英国夏時間*1・1979年10月15日 18時00分

 

 マサキは、涼宮からの連絡を待つ間、夕刻迫る別荘地の周辺を歩いていた。

眼下には、なだらかな丘陵地帯(ダウンズ)が広がり、美しい森や牧草地、上品な別荘(カントリーハウス)や散策路(フットパス)が点在する。

英国の最も美しい田園風景(イングリッシュ・ガーデン)の代名詞のような場所だ。

「うーん。

中秋(ちゅうしゅう)のサリーは、晩秋(ばんしゅう)の霧ケ峰(きりがみね)に劣らず、きれいだ」

 霧ケ峰とは、長野県中部の茅野(ちの)市、諏訪(すわ)市、諏訪郡(すわぐん)下諏訪町(しもすわまち)にまたがる火山である。

八ヶ岳(やつがたけ)中信(ちゅうしん)高原国定公園に含まれ、なだらかな草原が広がる高原地帯だ。

標高1600メートルで、諏訪市街地から車で約30分、絶景ドライブルートとして知られている。

 タバコに火を点けようとしたマサキは、後ろから来る気配に気が付いた。

 今、小さな火の光が見えた。

 煙草の火だ。

誰かが俺を見ている。

 マサキはそう思いながら、静かに丘陵地帯を降りていった。

そうすると間もなく、黒い羅紗(ラシャ)地の蝙蝠傘(こうもりがさ)を持ったツイードの背広姿の紳士が近づいて来る。

 年のころは40前後、黒髪で小太りの体形。

どこにでもいそうな、白人の中年男だ。

 雨も降っていないのに、蝙蝠傘を?

マサキにはピンとくるものがあった。

 マサキは、男が通り過ぎようとする前に草むらの方に体を向けた。

立小便をすると見せかけて、様子を見ることにしたのだ。

 着ていたシェラデザインのオリジナルマウンテンパーカーの前立てを開け、ファスナーを勢い良く下げた。

 ツイード姿の紳士は駆け寄ると、マサキの背中に向けて、雨傘の石突(いしづき)を突き刺そうとする。

 その刹那、男の体をマグナム弾が貫いた。

男は傘を手放すと、後ろ向きに倒れ込む。

「なぜ……わかったんだ」

 息も絶え絶えに、男が答えた。

マサキはM29リボルバーを手に持ちつつ、応じた。

「晴れているのに雨傘を持っているのか。

こっちが聞きたいくらいだ」

 周囲の安全確認が済むと、リボルバーをショルダーホルスターへ戻す。

そして、タバコに火を点けた。

「サリー州は、ここ数日晴れている。

それにマルコフ事件の後だ。

雨傘を持っているやつに、警戒してもおかしくあるまい」

 1978年、ロンドンに亡命中のブルガリア人作家、ゲオルギー・マルコフは何者かによって暗殺された。

今日ではKGBとブルガリア情報機関の作戦として知られる事件には、独入りカプセルを発射する仕込み傘が用いられた事は、既に公然の事実である。

 傘の石突の所から出る針によって、猛毒のリシンが入ったカプセルを体内に注射して、毒殺するのだ。

「小便をしようとして、俺に背を向けたのも……」

「様子を見る為さ」

 男は苦悶の表情を浮かべ、薄れゆく意識の中で末期の言葉を漏らす。

「さすが、日本野郎(ヤポーシカ)の……」

 マサキは、こと切れた男の衣服を素早く探った。

しかし、背広の内ポケットにもズボンのポケットにも、ライターやマッチは見当たらない。

 タバコもライターもない。

そうするともう一人、間者がいる。

 マサキは吸いつけていたタバコを放り投げると、急いで山荘の方へかけて行った。

 

 マサキが山荘に近づいたとき、怪しげな集団がいるのが認められた。

バブアーのオイルドジャケットやコール天のズボン姿だが、手には不似合いなAKMやPM拳銃が握られている。

 恐らくKGBの暗殺隊だろう。

 マサキは躊躇することなく、M29をぶっ放した。

轟音とともに放たれたマグナム弾は、RPG-7を担ぐ男の頭を直撃し、鳥打帽ごと顔半分を吹き飛ばす。

 AKMで反撃しようとする者に対しては、左袖に隠したS&WのM37回転拳銃、チーフスペシャルを放つ。

普段使うコルト・ベスト・ポケットより嵩張るが、威力は強力だった。

 CZ75拳銃よりも装弾数は少ないが、動作も問題なく、反動も少ない。

 あとでこれも購入しておくか。

そう考えた瞬間、PM拳銃を持った男が飛び出して来る。

 遅かりしか!

一瞬動作の遅れたマサキは、覚悟した。

 だが男は銃の引き金を引くより早く、地面に崩れ落ちた。

体は、頭から唐竹に割られ、どす黒い血の海が広がる。

 まもなく日本刀を持った白銀が駆け寄ってきた。

「先生、大丈夫ですか」

「ああ」

 すんでのところで、鎧衣たちが気が付いたようだった。

 タッチの差だったな……

マサキは深い溜息をついた。   

 

 

英国・ロンドン

英国夏時間・1979年10月16日 02時00分

 

 場面は変わって、ロンドン。

 夜は、午前2時の頃であった。

 まだマサキは、起きていた。

アーベル・ブレーメ*2やラインハルト・ゲーレン*3から渡されたロスアラモス研究所の秘密資料を、再び読んでいた。

 理由はCIA長官から、ロスアラモスの特別顧問ウイリアム・グレイ博士がG元素兵器を完成させたと聞いていたからである。

 ロスアラモス。

最初の核爆弾を実用化させた施設であり、またソ連スパイの伏魔殿。

 たしか前の世界では、マンハッタン計画の責任者、オッペンハイマーは一家そろっての共産主義者であり、夫人のキティ*4はNKVD工作員だった*5はず

べリヤの息子、セルゴ・べリヤによれば、モスクワのべリヤの家に頻繁に来ていたという。

 

 あの伏魔殿を潰さねば、いずれG元素の秘密がソ連に漏れるのは時間の問題だ。。

この際、オッペンハイマーに追放された、テラーの復讐心を上手く使うべきか。

 あるいはオッペンハイマー最後の弟子を自称するグレイ博士なる男の敵愾心を煽ってやるべきか。

 どちらでも構いはしないが、日本をG元素爆弾で焼くまねは避けねばなるまい。

 この世界は幸いにして、日本は核被害を受けていないのだ。

なんなら、ロスアラモスごと消すのも悪くはあるまい……

 マサキは自分自身と、間断なく問答していたのである。

他の誰もうかがい得ないほどな大事を、マサキは胸の中に論争の激流をうずまかせていた。

 そしてそのことの可能性やら、世人の輿論やら、または一朝(いっちょう)不成功に帰した場合までの結果を、彼らしい用心深さをもって綿密に考えつめていたものだった。

 

 

 マサキは、ニューヨークの涼宮からファックスで送られた資料を一瞥した。

リバモアで行われている実験と計画が何であるか、即座に理解したのだ。

「あの衛星のエネルギーは、核爆発の反応を応用した物。

もしや……」

 戦略防衛構想(SDI)。

1980年代に、米国のレーガン大統領が打ち出した弾道ミサイル攻撃への防御策だ。

SDIは、粒子ビームやX線レーザー兵器を宇宙に配備し、旧ソ連の長距離弾道ミサイルを宇宙兵器で撃ち落とすという壮大な計画である。

第二次大戦後に、40年続いた東西冷戦を、米国の圧倒的優位に終わらせる究極の構想だ。

 相互確証破壊が唯一の核抑止力であった時代の終焉を意味する、最終計画であった。

当時の金額で、およそ187億ドルの予算が投じられたとされる。

 ただ、1980年代当時の技術水準では実現困難な部分が多く、実用化しなかった。

テラーは冷戦後も諦めておらず、莫大な費用を掛ければ実現可能と豪語していたのを、前世の記憶として思い出した。

 ハンガリー系ユダヤ人のテラーも、恐らくは徹底した人間不信が根底にあったのだろう。

仮想敵への疑念は、冷戦を勝利し、世界の覇権を握っても膨らみ続けたのではないか。

これで十分という事は、ないのだから。

 マサキは、それまで読んでいた資料を机に放り投げる。

本数の少なくなったホープの箱を手に持つと、部屋を歩き回り始めた。

 

 この世界は、BETAとの戦争でタガが外れた世界である。

兵器開発のための予算も、すんなり通ったのであろう。   

 しかしどんなに強固なミサイル防衛網を作っても、100パーセントの安全は保証できない。

人間そのものを消さない限り、争いは起きる。

 否、自然災害は人間の意志を無視して起きるから、究極的には自然も自在に扱えねばならない。

 そこまで考えて、マサキは笑みを浮かべた。

 この俺は、無限のエネルギーはおろか、自然環境さえも自在に操れる科学力を持っている。

ただ人の心さえ、自由にできないのが残念だが……

 マサキは、自嘲気味に笑った後、タバコに火を点けた。

「奴らも、次の手を着々と考えておるのだな。

だが俺の科学は、そんなものには負けんぞ。フハハハハ」

 

 

 

英国・ロンドン

英国夏時間・1979年10月17日 08時00分

 

『15日付のタス通信によりますと。

ソ連政府は、軍事的対応を明言しており、月面に向かって鎮圧部隊が向かっていることを発表しました』

 カーラジオが掛かる、ロールスロイスのシルバーシャドウ。

 ロンドン市内にある米国大使館に向かう車内で、榊外務政務次官は木原マサキに声をかけた。

「あれは不味かった。

政界に野心のない君に、へそを曲げるなというのも酷だが……」

 マサキは憮然(ぶぜん)とした表情のまま、窓を見ながら聞いていた。

「君は、若手の内閣顧問だ。

躓(つまづ)かせたいと思っている連中は、大勢いる。

行動を起こすのは構わないが、一応官房の求めに応じた形にしなくてはいけない」

 話の合間に聞こえるカーラジオは、いつもに増して騒々しい。 

『なお2日前に発生したロスアラモス研究所の襲撃事件に、ブルガリア政府が関与しているとの情報に関しては』

 榊は、ラジオを遮るようにしゃべった。

「内閣が必要とする情報は内閣官房に渡すのが通例だ。

今の総理である藤堂さんは、独自活動に熱心だが……」

 マサキは何か確信を抱いたものの如く、その熱意を瞳にいわせながらこう求めた。

「なあ、榊。内閣顧問というのは受命機能しかないのか」

 マサキは、いったん言葉を切ると、レモネードの入った瓶を傾け、のどを潤す。

シュウェップス *6の空き瓶を置いてから、続けた。

「日本の文民統制というのは、民主主義の顔をした言論封殺システムだ。

ことが起これば、一握りの野心家の官僚が専横がまかり通る面がある。

俺はその仕組みを変える為に、藤堂を総理の椅子に付けたのだぞ」

 マサキは色をなしかけたが、さすがに榊は激さない。

衆院の4回生議員らしい落着きを失わずに教えた。

「分かっている。

一旦緩急あれば、守るべきものは国体そのものだ。忘れては困る。

だが、目に見える敵ばかりとは限らんぞ。」

 

 

 

英国・ロンドン・米国大使館

英国夏時間・1979年10月17日 10時00分

 

「正直申しますとな、木原博士。 

米国は、疲れ始めておるのですよ」

 キングマン・ブリュースター・ジュニア駐英米国大使は、コーヒーカップを置いて、振り返った。

彼は、木原マサキを直視しつつ、穏やかに、しかし確信を持ってそう言った。 

 それに対して、マサキは探る様な視線を向ける。

 話しが始まって、十数分。 

お互い儀礼的なやり取りや、世話話を一通り終わって、探り合いが始まった。

 マサキに侍従のようについて回る鎧衣が、反応する。

「ほう。 

今や、世界中の富の過半を手中に収め、自由世界の盟主を標榜するアメリカが、ですかな」

 内調職員としては、この程度の反応は普通か。 

もっと断定に、モノを言う人物もいるが。

 マサキは、そう思って鎧衣を見る。

ブリュースター大使は、念を押した。

「そうです。 

富を手中に収め、盟主を続けなければならぬ、その疲労ですな。 

外に目を向ければ、現実的に西側各国を支援せねば、世界的な戦況の悪化に直結する。 

これは米国の国防政策にも、即座に影響する重要な要因ですな。」

 秘書代わりの役目を果たす白銀影行が、新しいコーヒーと茶、そしてガラス瓶に入ったジュースを持ってきた。

マサキは冷めた紅茶の代わりに、ペプシコーラを受け取る。

「国内に目を向ければ、軍事費の増大と、それに続く増税、福祉の統廃合。

市民生活に重圧として、圧(の)し掛(か)かりつつあるのです」

 鎧衣は、思った。

 世界一の豊かな国。

安全と富と自由を享受し続ける国、アメリカ。

彼らも、無尽蔵の富を右から左に捻出できる訳じゃない。

 ブリュースターは続ける。 

「国連への拠出負担は、以前より軽減されています。

ですが、その一方で、国際通貨基金(IMF)やアジア開発銀行(ADB)など、国際金融機関を通じた資金供給の負担は増えています。

これは主に、西側各国の経済状況が反映されたものです。

特にドイツの置かれた状況が改善されない限り、今後も財政的な負担は増加する。

財務省は、そう試算しております」

 ブリュースターの眼には、つきつめた感情が燃えていた。

深夜の無気味な静寂は、語気の微かなふるえまでを伝える。

 白銀も鎧衣も、何かただならぬ気持を抱かせられた。

マサキは、ペプシの蓋を開けると、何気なしに呷った。

「そして、もう一つ。

博士には、お伝えしておきたいことがあります。

ロスアラモスのロボットは、強力なバリア発生装置を備えた殺人兵器ということです」

 マサキは、それまでと打って変わって真剣な表情になる。

「ブリュースター、今の話は本当か」

 マサキは、眉をひそめて、なお凝視(ぎょうし)した。

本当と思ったのは、余りにも彼の予感が悪い方向に当たり過ぎていた為であった。

 マサキは、ホープに火を点けた。

一旦間をおいてから、こう答える。

「軍の連中に任せればいいだろう」

 ブリュースターは、応じる。

「今のうちならば、米ソの対立のエスカレーションを避けられる」

 マサキはタバコを燻らせながら、短く言った。

「ああ」

 そして、マサキは微笑を見せた。

「そうか」

 敵の意図は読めた。

そういったふうな彼の独語だった。

*1:

*2:
シュヴァルツェスマーケンの原作キャラクター。ベアトリクス・ブレーメの実父

*3:
史実では、ゲーレンは1979年6月8日に77歳で死没しているが、本作品では存命中である

*4:
本名:キャサリン・プューニング。3度の離婚歴があり、オッペンハイマーは4人目の夫だった。なお正式な米国共産党員で、3番目の夫ジョー・ダレットは米国共産党の活動家だった

*5:
V・A・アルハンゲリスキー著、瀧澤一郎訳『プリンス近衛殺人事件』新潮社,2000年,P.147

*6:
Schweppes




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