冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
彼は自己保身の為に、シュタージファイルの一部を持ち出す。
妖しい目を輝かせながら、西側情報機関に接触する。
褐色の野獣 前編
ドイツ連邦共和国・西ベルリン近郊
深夜二時の東西ドイツ国境*1。
山高帽に厚いウールコートを着た、栗色の髪の男が、東洋人と思しき男に声を掛ける。
「なあ、こんな所で飛び込みの『営業』とは、君も仕事熱心だね。
日本人が『エコノミック・アニマル』という前評判も嘘ではないらしいな」
淀みなく
「お褒めに預かり、光栄の極みです」
黙って立つもう一人の黒髪の男はシルクハットに、脹脛を覆い隠す長さのマントという
深い森の中を一台のトラックが抜けて来る。
青い煤を吐き出しながら走る車は、前照灯に人影を認めると止まった。
エンジンを掛けた儘、二人の男が降りてきた。
灰色のキャスケット帽を被り、黒色の起毛が掛かった横朱子織*2の上着に、薄汚れた茶色の
何処にでもいる百姓姿で、両手には不似合いな皮手袋。
後ろには同様の支度をした金髪の小柄な男が、アタッシェ・ケース二つを下げて立ちすくんでいる。
背の高い方の百姓は、帽子を持ち上げて、眼前に立つ紳士達に挨拶をする。
「いや、お久しぶりですな。紳士殿」
彼は、シルクハット姿の男に声を掛ける
件の紳士は、シルクハットのつばを持ち上げ、返礼の挨拶をすると話し始めた
百姓は、右手を顎に添える。
「まあ良い。して、目的の物は用意してきた」
左掌を、後方に立つ小男に向ける。
彼の指図に従って、手提げかばんをゆっくりと紳士に渡す。
紳士は、中を
山高帽の男が、ジュラルミン製の大型カバンを両手で抱えて、小姓と思しき男に渡す。
一連の作業を黙って見ていたトレンチコート姿の男は、動き出した。
車の前に立つ百姓に、一礼をした後、懐中より、化粧箱を取り出す
「どうか、お近づきの印として、お納めください」
百姓は、受け取るなり、中を改める。そして時計のバンドを持ち、裏に書かれた銘鈑を確かめた。
見た所、日本製の時計であり、彼の記憶が間違いなければ『クオーツ・アストロン35SQ*4』という商品である事に違いはなかった。
「初めて会う方から、
百姓は、彼からの贈答品を後ろに立つ小男に渡すと、代わりにファイルを受け取った
「代わりになるか、解りませぬが、貴方方が欲しがった『目録』で御座います」
トレンチコート姿の男は、百姓より手渡されたファイルを受け取った後、一瞬顔色が変わった。
男は思った。これが、悪名高い
政府に不都合な人間や移住希望者、危険思想に感化された人物、等の情報収集。
相互の住民監視を通じての統制の噂は聞き及んではいたが、真実であった事に、今更ながら驚いていた。
百姓男が出した資料を、改めて見る。
「まあ、私なりの誠意に御座います。どうか、良れば、受け取って頂ければ幸いです」
シルクハットの紳士が告げる。
「君なりの、
百姓は、不敵の笑みを浮かべた。
「端的に申し上げましょう。万が一の際、西に下る保険に御座います。
もし宜しければ……」
婉曲な表現で、告げる。
彼は暗に、貢ぎ物として差し出す様な事を示した。
紳士は、マントを押し上げ、腕を組む。
「何ゆえに」
百姓は、皮手袋越しに、右手で顎を撫でる。
「『我が同志』の……」
薄ら笑いを浮かべながら、続けた。
「いや、知人の妹なのです。彼女の兄の頼みもあって、せめて彼女だけ西に逃してほしい、との考えて居ります」
紳士は、トレンチコート姿の男からファイルを取り上げると、付箋があるページまで
暫し凝視した後、答えた。
「我等に下る準備とは言え、百姓風情が、慣れぬ頼み事などすべきではない」
冷笑が響き渡る。
「では、この辺でお暇させて頂きます。旦那」
キャスケットの鍔を持ち上げて、挨拶をすると、車に乗り込む。
深緑色のトラックは、元来た道を駆け抜けていった。
紳士は、トラックが立ち去るのを見届けると、周囲を
山高帽の男は、持ってきた革張りのアタッシェから電動工具のような外観をした物を取り出す。
M10*5と呼ばれる
コッキングレバーを引き、何時でも射撃可能なように、つり革を左手で掴む。
『安全』が確認された後、懐中電灯を取り出し、ファイルを再び見た。
「これは、東ドイツの戦術機部隊長の妹ではないのか……」
紳士は、思わず独り言を漏らした
脇から、トレンチコート姿の男が、改めて覗き込む
見目麗しい、金髪碧眼の美女の写真。
その他に資料には、説明文として家族構成や子細な情報が独語で、別刷りの紙に英字のタイプで書き込んである。
英国紳士は、表情を厳しくして言う。
「諸君!これは大事になったぞ。今しがた入れた東ドイツ財政の機密資料*6の比ではない。
本物の
彼は、帽子の鍔を握る。
「我々も、奴等の政治的策謀に載せられていると言う事だよ」
紳士は、米人に返答する。
「君も、
こればかりは、我等で判断できるレベルではない……」
紳士は、トレンチコート姿の男を振り向いた。
「君は一旦日本に持ち帰り給え。これは大事だよ。
下手すれば、西ドイツ宰相の首が再び飛びかねん*8」
男は、中折帽のクラウンに手を置く。
「いやはや、今年はとんでもない年になりそうですな」
男達の談笑の声が、深夜の森に響いた。
ベルリン・共和国宮殿
窓辺に立つ一人の初老の男が呟いた。
「この話は本当なのか、同志シュミット将軍」
濃紺の背広を着た男は、後ろに立つ軍服姿の男に振り返る。
「議長、小職は、そう伺っております」
禿髪で、黒縁眼鏡を掛けた国家保安省少将の階級章を付けた男が答える。
「アスクマン少佐が、直々に仕入れた情報を精査した結果、その様な結論が出ました」
男は、椅子に深く腰掛けた。
彼は、ドイツ民主共和国の国家指導者である国家評議会議長であり、SED*9書記長を兼務している人物。
「つまり我々は、既に、その男と接触していたと言う事かね」
禿頭の男が、頷く。
「小職も、KGB*10に問い合わせた所、同様の見解を得ました」
『KGB』との言葉を聞いて、男の目が鋭くなる。
「では、私が直々に、同志ベルンハルト中尉を宮殿に呼ぼう。
君達は、引き続き、その大型戦術機の衛士の内偵を続けよ……」
「心得ました」
机の上に有る、『CASINO』と書かれたタバコの箱を引き寄せて、掴む。
中から一本取りだして、火を点けた。深く吸うと、溜息を吐き出すような勢いで紫煙を燻らせる。
「これは、とんでもないことになったぞ……。ご苦労であった、同志シュミット将軍。
君は下がり給え。後は評議会で、どうにかすべき話だ……」
男の言葉が終わると、シュミットは深々と頭を下げた。
議長は、再び立ち上がると深夜の執務室の窓を開けた。
遠くから、車両の行きかう音が微かに聞こえる。
シュミット少将は、ふと思った。
昼夜問わずパレオロゴス作戦の準備をしていると、聞く。
彼は、内心馬鹿々々しく思ったが、その場では顔には出さなかった。
部屋を後にすると、静かに苦笑した。
ベルリン某所の私邸。
アスクマン少佐は、一人湯船に浸かり乍ら昨夜の出来事を振り返っていた。
シュタージファイルの一部と引き換えに、西側から大型戦術機の情報、つまりゼオライマーの秘密の一部を手に入れた。
憎きユルゲン・ベルンハルト空軍中尉の妹、アイリスディーナ・ベルンハルト。
彼女を、文字通り西側に『売り飛ばす』*11事によって、その秘密を我が物としたのだ。
彼は、ほくそ笑んだ。
女一人を、西の社会に貢物と出す確約をする代わりに、ソ連KGBやGRU*12が最も欲した秘密情報を得る。
敵対するモスクワ一派*13を出し抜き、優位に立つ。
無論、表立って敵対者を作るのを避ける為に、上司のシュミットには一応、明かした。
其れより先に、議長と大臣には私信を送る形で報告済み……
今頃、それを知らぬ間抜けな上司が、
出し抜かれた事も知らずに、報告しに行く様を想うとなんと滑稽な事か……
肩まで桃色の薬湯に浸ると、一人、哄笑した。
その様な事を思いながら、味わう
薬湯に浸りながら、ガラス細工の施された杯を持ち上げる。
自然と笑みが浮かぶ。
奴等に先んじて、そのゼオライマー・パイロットと接触してみるのも一策であろう。
杯を置き、湯舟より立ち上がる。
細く痩せてはいるが、筋肉はまだ残っている。
若かりし頃よりは衰えたとはいえ、小娘などを簡単に捻って屈せるであろう。
かのベルンハルトの妹、アイリスディーナや、その恋人、ベアトリクスを思い浮かべる。
二人の美少女を思い浮かべる内に、なんとなく
その連想は、男の食欲に似た魅惑を刺激し、さらなる欲望を搔き立てる。
ただ遠くから見ているだけでは飽き足らず、何れや手で触れて、ざっくりと歯を当てたい。
我が手で辱めたいという、性欲的な衝動に駆られた。
「実に愉快」
ふと、独り言を言う。
寝台の上では、バスローブ姿で横になっている愛人が待っているであろう事を思い起こす。
ハンガーにかけてある、バスローブを着こむと、浴室から出て寝所に向かう。
この興奮冷めやらぬうちに、愉しませて貰うとするかと考え、戸を閉めた。
暁の方で会話が冗長すぎるという意見をもらいました。
その為、余計な会話は削り、最低限の内容に致しました。
脚注やフリガナに関して
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脚注やフリガナは必要
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脚注の数が多すぎる
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脚注の数が少なすぎる
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フリガナが多すぎる
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フリガナが少なすぎる
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現状維持のままでよい