冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
一方、西ドイツでは、生前アスクマン少佐が遺した策謀の対応に追われていた.
東ドイツ・ポツダム
ここは、夕暮れのポツダム・サンスーシ宮殿。
シュトラハヴィッツ少将とハイム少将は、ある人物と密会をしていた。
陸軍総司令官であり、副大臣である男。
参謀本部よりほど近い場所に散歩という形で誘った。ここならば、間者が潜んでいても盗聴も不十分。
念には念を入れての対応であった。
ハイム少将は、男に意見を伺う。
「同志大将、ソ連の対応ですが……」
男は不敵の笑みを浮かべる。
「話は聞いている。いずれにせよ、ソ連は持たん。学徒兵に及ばず、徴兵年齢をこの三年で3歳下げた。
1941年と同じことを連中はしている……」
シュトラハヴィッツ少将は、不意に男の顔を覗き込む。
深い憂いを湛えた表情をしている様を時折見せる男は、続ける。
「ルガンスク*1で見た、凍え死んだ少年兵の亡骸は、未だに夢に出てくる……」
サンスーシ宮殿の庭園を歩きながら話した。
総司令官は、ふと立ち止まり、天を仰ぐ。
「貴様達には初めて話すが、俺は先の大戦のとき、国防軍に居たのは知っていよう。
第3装甲師団で装甲擲弾兵……、准尉の立場でウクライナに居た」
彼等は、男の独白に狼狽えた。
聞く所によれば、ソ連での3年間の抑留生活を過ごしたと言う。
その様な人物が、他者に内心を打ち明ける。
「我々の軍隊が駐留したウクライナ……、ソ連有数の農業地帯なのは知っていよう」
顔を下げると、彼等の周囲を歩き始めた。
「嘗てヒトラーとステファン・バンデーラ*2の圧政によって国土の大半を焼いて人口の半分を失った……。
それは半分あっていて、半分は嘘だ。既にそれ以前に尊い人命が失われた。
俺は、この目で見てきた……」
石畳の上に長靴の音が響く。
磨き上げた黒革の長靴に、朱色の側章の入った乗馬ズボン。
軍帽に東ドイツの国章が入っていなければ、まさに分裂前のドイツ国防軍人と見まがう姿。
彼等は、黙って男の姿を見ていた。
「40有余年前、レーニンはロシア全土に、やくざ者やチンピラを集めて『貧農委員会』*3という組織をでっち上げた。
奴等を
厳しい表情で、彼は続ける。
「歴史的にみれば、今の西部ウクライナは勇壮な
そんな彼等をスターリンは恐れた」
懐中よりタバコを取り出し、口に咥えて、再び立ち止まると、右手で火を点ける。
「日本軍が満洲より兵を動かすことを恐れ、極東より師団を動かすのを躊躇ってモスクワは落城寸前までいった。
あの時、米国からの
右手の親指と食指でタバコを挟み、此方を見る男。
「積年の思いというのは……、そう簡単には消えぬのだよ」
男の瞳は、何処か遠くを見るような目で、黄昏を見つめる。
「同志大将……」
この男は、前の議長の新任厚く政治局員にも推挙された人物。
先年、ポツダムの陸軍総参謀本部が出来た際、直々に総司令官に任命されたほど。
彼等は、俄かに信じられなかった。
「俺は、誰が議長になろうとも関係は無い。国が消えてなくなる事の方が問題だ」
タバコを地面に捨てると、軍靴で踏みつぶす。
「同志ハイム、退役将校作業部会に連絡を取れ」
1957年以降、社会主義統一党政治局の決定に基づき、旧国防軍軍人は退役を余儀なくされた。
党は、彼等の経歴を危険視し、退役将校作業部会という親睦団体に集めら、監視されていた。
ハイムは、色を失い、呆然となるも、
「緊急会合って事で押し通せ。俺の名を出せば、国防軍時代の年寄り共が上手くやって
旧国防軍軍人を通じて、ボンの西ドイツ参謀本部との連絡を取る事を匂わせる。
その言葉に、気を取り戻して、
「はい、同志大将」
と返事をする。
男は、シュトラハヴィッツの方を振り向く。
「同志シュトラハヴィッツ、貴様はソ連との細い糸をつなぐようにし給え。
彼等の動向次第では、対応を変えねばなるまい」
シュトラハヴィッツ少将は、沈黙を破り、重たい口を開く。
「同志大将、宜しいでしょうか。
今回の翻意の理由をお聞かせいただけませんか」
再び、タバコを取り出すと、静かに火を点け、目を瞑り、紫煙を燻らせた後、述べた。
「俺は、すでに貴様達のような情熱は無い……。
一介の軍人として国家の存亡が一大事だ。党の政治方針や社会主義など些事にしか過ぎん」
彼は、男の方を見る。
「その言葉を信じましょう、同志大将」
「時勢の流れに逆らう程、老いてはいぬ」
その言葉を受けて、二人は笑みを浮かべた。
西ドイツ・ボン
西ドイツの臨時首都ボンにある連邦国防省の一室で、始まっていた密議。
約20年ぶりの壁の向こうの連絡に、彼等は困惑した。
党の方針で追放された旧国防軍人からの密書の内容は俄かに信じがたかった。
「シュタインホフ君、君はどう思うのかね……」
出席者の一人が、左胸に略綬と首からダイヤモンド付騎士鉄十字章を下げ、濃紺の空軍士官制服を着た人物に問うた。
勲章は、国法により、鉤十字の紋章から柏葉に置き換えた勲章に変えられてはいるが、紛れもない
シュタインホフは立ち上がると、面前に居る男に返す。
戦時中に200機のソ連空軍機を撃墜したとされる男の目が鋭くなる。
「これはKGBの策謀の可能性は御座いませんか」
濃い灰色の背広を着た老人が口を挟み、
「儂もその線は考えた……」
濃紺のネクタイを締め、白色のシャツの襟から深い皴が畳まれた首筋を覗かせ、
「だが、手紙の差出人にはフランツ・ハイム参謀次長の名まであるのだ」
色の付いた
俄かに、周囲が騒がしくなる。
「東の参謀次長の直筆の手紙ですと!」
「そんな馬鹿な……」
杖で床を一突きする音が室内に響く。
「諸君、静粛にし給え」
周囲の目線が集まり、
「では良いかな」
杖に両手を預けると、男は話し始めた。
「ハイム参謀次長が、この手紙を送って寄越したと言う事は、奴等の仲にも何らかの方針変換があったと言う事ではないか」
「閣下、それで……」
閣下と呼ばれた老人は、男の質問に応じる。
「我等から出向くのは、危険だ。
会合に参加する面々は、1945年のあの日、ドイツ国防軍を思い起こす。
新型爆弾*4を前に、彼等の奮戦虚しく連合国に対し城下の
首都ベルリンは、米ソ英仏の4か国に分けられ、国土も分断された。
何れは
「そこでだ。奴等の中に乗り込む算段として、適当な人材を見繕う」
「そんな人材、何処に居りますか……」
老人は淡々と告げた。
「米国の指示で立ち上げた戦術機部隊の連中でも交流名目で送り込む。
どうせ、役立たずの烏合の衆だ……、こういう機会に汗をかいてもらおうではないか」
眼鏡越しに鋭い眼光で睨む。
「あの愚連隊には、ホトホト手を焼いていましたからな」
男達は一斉に、室内に響くほどの哄笑を発した。
「各所から兵を集めて米軍に指導させる、
参謀顕章を付けた男が、呟く。
老人は無言で頷き、
「奴等の中隊長に、ハルトウィック*5辺りを選べ。
奴は成績優秀な男だ、ソ連お手製の
と応じた。
「隊に
何せ、信念と言う物が有りませんからなあ」
閣下と呼ばれた老人は、顔を、その男の方に向け、
「寧ろ、信念が無いと言うのが安全なのだよ……、なまじ強烈な愛国心など持っていようものなら右派冒険主義に資金を差し出すソ連の工作に乗ってしまう。
反米愛国という甘い誘い口で、どれ程の将来有望な若者たちが
ふと、両切りのタバコを取り出し、火を点け、
「政治的には無関心な
応じつつも、紫煙を燻らせながら、苦笑する。
「方々に出入りして、粗野な振る舞いをしていたそうではありませんか。それで、東と揉め事に為ったら……、唯では済みますまい」
総兵力6万弱の東ドイツとは違って、35万の兵力を要する西ドイツ軍。
僅かばかりいる婦人志願兵は、通信隊や看護部隊専門であったが、一部の不埒な衛士*7が軍務の合間に戯れるなどの問題も起きた。
彼等の
閣下と呼ばれた老人は、シュタインホフ大将に問う。
「そこでだ、シュタインホフ君。君の方からNATOに出向いて話を付けて欲しい……」
その話を聞くなり、立ち上がって反論する。
「お待ちください、閣下。仮に各加盟国が納得してもフランスの対応が読めません……」
彼の困惑する顔を見ずに続ける。
「奴等は自分で抜けて置いて、口だけは挟んでくるからなぁ……」
フランスは時の大統領*8の意向で1966年にNATOより脱退した。
その影響もあって、本部機能はフランス・パリからベルギー・ブリュッセルに移転した。
だが抜け出したのは、軍事部門だけで政治的な影響力は残す処置を取る。
彼等はそのことを悩んだ。
老人は、色眼鏡を外して、周囲を伺いながら告げる。
「思えばあの敗戦以来、我が国は独立自尊の道を歩めたのかね」
出席者の一人が漏らす。
「11年間にわたる再軍備禁止*9……、
『モーゲンソー計画』*10での脱工業化。自前の核も持てず、国土防衛の姿勢で歩んできた」
同調する声が上がり、
「
「皮肉だな。露助の傀儡共の方が、ドイツ軍らしいとは……」
そう口々に、嘆いた。
老人は、再び色眼鏡をかけると、尋ね、
「CIAより変な話が持ち込まれたのは聞いておるかね……」
灰色の開襟型の上着を着て、陸軍総監の記章を付けた男が応じる。
「お聞かせ願えますかな、閣下」
赤い裏地の階級章は、この男が将官である事を示ている。
陸軍総監に問われた彼は、机の下から封筒を取り出し、
「ベルリンの周囲を嗅ぎまわっているCIAが、東側と接触した際、ある話が出た。
東ドイツ空軍の戦術機部隊長の妹の処遇に関する件が持ち上がった」
封筒を開けると、数葉の写真と厚いA4判の資料を机の上に置く。
「この写真に写ってる金髪の女が、件の娘御だ」
一葉の総天然色の写真を指差し、
「アイリスディーナ・ベルンハルトと言う名で……、それなりの美女。
漆黒の様な濃紺で、金ボタンのダブルブレストの上着に、海軍大将の袖章を付けた姿格好の男が、
「知った事ではないが……、中々酷い話ではないか。
遠い支那の故事になるが……、前漢・武帝の治世の折。
匈奴の
老人は、紫煙を燻らせ、
「私はそのことを、あの男に尋ねたかったのだが、
と返答した。
彼は、周囲を憚ってあえて口には出さなかったが、こう思った。
救いは、
粗野なスラブ人などに下げ渡されれば、肉体どころか、尊厳まで破壊つくされるであろう……
幾ら目の前に立っているのが、独ソ戦の4年間、苦楽を共にした戦友達。
気の置けない間柄とは言え、一人の美女の悲劇的な行く末……、言うのも引けたのだ。
件の老人はシュタインホフの方を振り向き、
「この娘の扱いは……」
問いかけると、彼は、しばしの沈黙の後、
「聞かなかったことにしましょう……、我等を誘い出す為の毒入りの餌かもしれませぬ故」と口を開く。
ふと、誰かが
「気の毒よの」と漏らす。
老人は、右の食指と親指に挟んだタバコを口元から遠ざけ、
「シュタインホフ君、君も同情もするのかね」
噴出される息より紫煙が揺らぐようにして、室内を漂う。
尋ねられたシュタインホフ大将は、ゆっくりと灰皿に灰を捨て、
「ふと、自分の孫娘*12と重ねただけですよ……。
年頃も然程離れていません。恨むなら彼等の政治体制を恨むべきでしょう」
両切りタバコから立ち昇る紫煙を見つめながら、そう告げた。
「そうかもしれぬな」
紫煙のまみれる室内に、男達の哄笑が響いた。
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